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蒼き夢の果てに

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第3章 白き浮遊島(うきしま)
  第26話 猟犬

 
前書き
 第26話を更新します。
 

 
 結局、あの決闘騒ぎはなんだったんですかね。
 才人はワルド子爵に対して妙に好戦的でしたし、ワルドの方も才人に対して妙な対抗意識のような物が有ったように感じました。

 確かに、いきなり、好きな女の子の婚約者などが現れたら心穏やかで居られるはずはないですし、その婚約者の方も、自らの婚約者の少女と寝食を共にしている男がいたら、平静を保って居られる訳などないのですが。……って、才人がルイズを好きかどうかなんて、はっきりとは判らなかったな。これは、典型的な思い込みと言うヤツですか。

 それに、最後……立ち去り際にルイズが俺に伝えて行ったワルド子爵の二つ名『閃光』の意味。

 ルイズは、俺とキュルケが二つ名についてギトー先生の授業中に話しをしていた事は知っています。
 そして、レンのクモとの戦闘時に、俺がレンのクモの精霊の護りを無効化した事を知って居たとしても不思議では有りません。

 つまり、彼女は、俺が相手の二つ名から推測して、相手の攻撃魔法を無効化する方法を持っている事が判っている可能性が高いと言う事です。

 それで。この世界に光系統の魔法……レーザーなどに分類される魔法が存在していないと言う説明は、タバサより受けています。ならば、閃光と言う二つ名が付くとすると、炎か風の魔法使いと言う事でしょうね。あのワルド子爵は。
 炎に関しては呪符頼りに成りますけど、風に関しては、俺の属性を付与した龍の護りで、このアルビオン行きの間ぐらいならなんとでも成るとは思いますが……。

 ただ、俺は才人と同じ世界の出身ですから、間違いなく才人の側に立つ人間だと言う事は判っているはずなのに、その俺にワルドの情報を教えるルイズの気持ちは……。


☆★☆★☆


 えっと、アルビオン帰りの傭兵が多く集まる『金の酒樽亭』と言うのは、この店の事ですか。
 時間帯から言うと、現在は未だ午前中。もう少しするとお昼時と言う時間帯。しかし、このラ・ロシェールと言う街の特性からか、かなり薄暗く、少しの陰の気が漂う周辺の雰囲気。

 薄暗い路地の一角に存在している、昨日のラ・ロシェールの護衛任務の兵士達に紹介された居酒屋の、最初のひとつを訪れて来たのですが……。
 もっとも、酒樽は有るけど、金にはあまり縁が無さそうな店で有るのは間違いないですね。

 一見すると廃屋と間違い兼ねない居酒屋を見つめながら、そう言う、どうでも良い感想を思い浮かべてみる。
 それに……。
 少し視線をずらして、更に廃屋らしき雰囲気を強く醸し出している、嘗て家具で有った残骸たちを見つめる俺。

 まして、店先にうず高く積まれたこの壊れた椅子やテーブルの成れの果ては、一体何を意味するのか良く判らないのですが……。
 もっとも、そんな事を今、気にしても何も始まりませんか。

 取り敢えず、何時までも看板や店構えだけを見つめていても始まらないので、ある程度の覚悟を決めて西部劇風のはね扉を押し開き、かなり小汚い店内に侵入する俺……とタバサ。
 尚、当然のようにタバサは俺と行動を共にして居ります。
 使い魔とその主人ですからこれは当たり前ですし、彼女を信頼して預けられる人間は居ませんから。



 忙しく動き回る女性……所謂、酒場女たちの姿が薄暗い店内を色々な意味で動き周り、場に満ちる雰囲気は……、どう考えても教育的に良いと言う雰囲気でない事だけは確実な雰囲気。確かに、この手の安い酒場には付き物の淫靡にして猥雑で、そして、ある程度の活気に満ちた空間と言うべき場所でしょうかね。

 つまり、侵入した店内は……かなり、と言うか、大盛況と言う雰囲気だった、と言う事です。

 もっとも、正直に言うと、俺はこの手の雰囲気は苦手なんですが。ここは、ものすごい垢と体臭。そして、妙な嬌声に塗れた、この世界の一般大衆が住む世界ですから。
 俺はどちらかと言うと、活字の中に世界を見出し、シェークスピアの中に時代を感じ、モーツァルトの中に哀愁や悲壮を感じる生き方を好む人間です。
 ただ、色々な意味で、表面上の綺麗なトコロだけをみて生きていたいだけ、なのかも知れませんが。

 尚、何故に、この安酒場が昼間から盛況なのかと言うと、昨夜の兵士達に事前に情報収集を行ったトコロによると、つい先日、アルビオンで大きな戦いが行われ、王党派の方が敗北。王党派に付いていた傭兵たちが戦場から生きて帰って来られてヤケ酒を煽っている者や、それなりに金を稼いで来たので、次の仕事が入るまで酒を呑んで暮らそうと言う者で店内がごった返しているらしいんですけど……。

 兵士達の言を借りるなら、街の中が物騒になるから、連中、さっさと出て行ってくれないかな。……と言う事でした。それでも、これは仕方がない事だと思いますけどね。
 昨日の傭兵たちのように、簡単に山賊に転身出来る連中もかなりいる、と言う事ですから。街の治安を預かる身としては、厄介事の種は少ない方が良いでしょう。

 但し、飲み屋の親父たちの方からしてみたら、別の意見も有ると思いますけどね。これは、人それぞれ。立場に因って意見が変わって来ると言う典型的な例だと思います。

「おいおい、こんな場末の安酒場に坊ちゃん嬢ちゃんがお出ましだぜ」

 酒臭い息を吐き出しながら、一人の酔客が場違いな店に侵入して来たエエとこの坊ちゃん嬢ちゃんの俺とタバサの方を見てそう言った。
 それに、これは当たり前の反応でしょう。

 但し、その酔客もタバサの手にしていた巨大な物体を目にして、何故か、少し酔いが醒めたような雰囲気ですごすごと隅の方に行って仕舞いましたが。

 タバサはそのトレード・マークと成っている自らの身長よりも大きな魔術師の杖は装備しています。これは誰がどう見ても魔法使い(メイジ)……つまり、貴族です。いくら見た目が子供とは言え、正面切って何か仕掛けて来る事もないと言う事なのでしょう。
 もっとも、少しぐらいのチョッカイを掛けて来て貰った方が、こちらの実力を簡単に表現出来るので、後の交渉が楽には成るのですが……。

「少し聞きたい事が有って来たんやけどな。白い仮面を被った長身で左腕の無い男について、何か知っている事はないか?」

 俺は、店の中央で、誰に問うでもなく少し大きな声でそう聞いた。
 ただ、同時にろくな情報を得られる訳はない、とも思っているのは確かなのですが。

 その理由は、この人物の事を知っている人間が居たとしても、そもそも、そいつ自身が仮面を被っているので、人相が判らない事には変わりがない。
 更に、運よく、その仮面の男が居る時、及び場所に行き合わせると言う事も無かったみたいですから。

「昨日、ウロチョロしていたヤツなら、今日は来ていないぜ」

 カウンターの方で立ったままの姿勢で呑んでいた傭兵の一人がそう言った。見た感じでは壮年。三十を少し超えたぐらいの年齢と言うトコロですか。
 太い眉にエラの張った四角い顔。やや厚めのくちびるに、短めに刈り込まれた枯葉色の髪の毛。身長は、間違いなく俺より大きい。適当に見積もっても、2メートルに120キロとか言う体格じゃないかとは思います。
 もっとも、本当に適当に見積もった数字なんですけどね。

 但し、その濃いブラウンの瞳が、妙に人懐っこい雰囲気を漂わせています。

 うむ。確かに傭兵ですからそれなりの危険な雰囲気も漂わせているけど、危険過ぎる雰囲気ではないですね。少なくとも、ある程度の信頼は置けそうな人物では有ると言う事ですか。

「用はそれだけなら、もう帰った方がいい。ここは、アンタらのような綺麗ななりをした人間が来る所じゃないぜ」

 そう言う巨漢の傭兵。成るほど。この台詞からすると、この男はそんなに悪い人間でもないと言う事ですか。
 それに、昨日の色々と小細工をしていた仮面の男の仕事(口車)に簡単に乗らなかったトコロからも、それが窺えると言う物でしょう。
 何故ならば、昨日の傭兵どもは、傭兵兼山賊と言う連中で、簡単に境界線を越えて仕舞いましたからね。

「いや。それだけが用やないんや。仕事が入っていないのなら、信用出来る人間を集めて貰いたい」

 一応、最初の用件は空振りに終わったので、次の話に移る俺。

 しかし、この部分に関しては、もしかすると、無駄に成るかも知れないのですが。特に、昨日の今日で、同じような方法で、ルイズの持って居る密書を狙っている連中が、傭兵を雇って襲撃をして来る可能性は低いとは思いますから。
 但し、絶対に有り得ないと言う訳でもないと思います。そして、危険な芽は早い内に潰して置くに限るとも思いましたから、こんな事を始めた訳ですし。

「仕事? いくら貴族の坊ちゃん方でも、傭兵を雇うのは安くはないぜ」

 俺とタバサを一瞥した後、再び、安酒かどうかは判りませんが、カップに注がれた琥珀色の液体を煽るように一気に飲み干す巨漢の傭兵。おそらくは、蒸留酒の類だと思いますね。

 もっとも、俺の言葉については頭から笑われるかと思ったけど、そんな事は有りませんでしたが。
 それに、金に関してなら問題は有りません。流石に、宝石類はあまり換金出来ないけど、金、銀、プラチナなどはかなりの量をハゲンチの錬金術で手に入れていますから。それで手に入れた貴金属を、この世界での活動資金用のエキュー金貨に換金した物がかなりの金額に成っています。

「雇うと言っても、今夜一晩だけの事。その代わり、ある程度の人数を集めて貰いたい」

 普通に考えたら、一晩だけの雇用になるから、多く見積もっても一人に付き金貨4,5枚程度だと思います。確か、これだけでも、半月は遊んで暮らせる程度の金額には成るはずでしたから。

 そう思い、金貨が百枚程度入った袋を取り出し、そのデカい傭兵の前に置く。

「おい、これはエキュー金貨じゃねえか」

 その袋の中身を覗き込んだデカい傭兵が、少し、驚いたような雰囲気でそう言った。
 それに、こんな見た目が子供の俺やタバサが持ち出して来て良いレベルの金額ではない事も事実でしょう。

 もっとも、俺としては、この傭兵たちが敵……白い仮面の男の手下として現れなければ良い、と言う程度の雇用ですから、大して彼らの戦闘力を当てにしている訳では無いのですが。

 確かに、昨日の元傭兵たちもそれなりの戦闘力は有していましたが、それでも矢張り、魔法の前には無力でした。そして、その白い仮面の男が、トリステイン国内の反王家の不満分子や、アルビオン貴族派からの工作員なら、魔法を使う人間が敵には確実に存在しています。
 その魔法使いたちの手足となって働く傭兵と言う存在が現れられると、流石に辛いですから。

 味方を巻き込んで魔法を発動させるような連中だって存在するはずです。所詮、傭兵と言うのは貴族からして見ると使い捨てのコマに等しいはずですからね。

「仕事は、『女神の杵』亭の泊り客の護衛。仕事は今夜一晩だけ。先ずは半金を今日。例え、今晩の間に何の事件が起こらなくても、残りの半金は明日の朝に支払う」

 この店中の傭兵を雇っても良い、と言う意味から少し大きな声で宣言する俺。もっとも、白い仮面の男が既に手を打っている可能性も有りますから、自らが雇った傭兵とは言え完全に信用出来る訳でもない、とは思うのですが。
 それでも、何も手を打たないよりはマシですから。

「この契約内容に不満が無ければ、アンタの知り合いで信用出来る……昨日、白い仮面の男の口車に乗せられて山賊の振りをして隊商を襲おうとした連中ではない、信用出来る連中を雇用したいんやけど、どうやろうか?」


☆★☆★☆


「う~む。結局、当てが外れた可能性が高いな」

 街の特性上、昼でも暗い路地と言うのが多くなるのは仕方がないですけど、これは少し不味くないですか、と言う雰囲気の暗い裏道を歩みながら、そう独り言を呟く俺。

 結局、金の酒樽亭を皮切りに、似たような酒場を数件回り、このラ・ロシェールに滞在している傭兵のかなりの部分に声を掛けて、仕事の依頼を行ったのですが……。
 大きな収穫はなし。まして、その長身で左腕の無い白い仮面を被った男とやらが今日、現れた気配もない。

 確かに、昨日の段階で、イリーガルな仕事を受ける傭兵はかなりの人数が監獄にぶち込まれていますし、アルビオン戦域で負傷した傭兵は、そもそも酒など呑みに来ていませんから、声を掛けられた傭兵の人数自体がそう多い事が無かったのが原因なのですが。

 幾つ目かの角を曲がり、出発点の女神の杵亭まであと少し、と言う場所までたどり着いた時……。

「囲まれている」

 タバサが普段通りの簡潔な言葉使いでそう言った。独り言を呟くような自然な雰囲気で。
 そして、後ろを振り返る事などなく。

「流石に、表通りに出られるとマズイと判断したか。それにしても、動物を操る存在。ビースト・テイマーのような能力を持ったヤツが敵には居る、と言う事なのか」

 前後を抑えられたにしては、平然とした雰囲気で俺も答える。
 もっとも、前の飲み屋を出た時には、ヤツラの一部が付いて来ていた事は気付いていたのですが。

 低いうなり声をノドの奥から絞り出すソイツら。その数、前に十、後ろに二十と言うぐらいですか。
 しかし、どいつもこいつも、真っ当な精神状態ではないみたいに感じますね。俺とタバサを見つめるその瞳は、どう考えても人間を見るソイツら……犬の瞳では有りませんから。

 憎悪と怒りに満ちた瞳と言う表現ならしっくり来ますか。

「なぁ、タバサ。狂犬病と言う病気を知っているか?」

 懐に手をツッコミながら、そう自然な雰囲気でタバサに話し掛ける俺。
 大丈夫。タバサも。そして、俺も物理反射を一度だけは行えます。
 更に、ふたりとも強化も行っています。俺はアガレス。タバサは森の乙女によって。

 俺の問いに、コクリとひとつ首肯くタバサ。その仕草にも、彼女から発せられる雰囲気にも不安の色は感じられない。


 暗い路地裏に狂気に満ちた数多の瞳が怪しく光り、その赤く開かられた口からは、だらだらと垂れ流される涎の中に有って、その白い牙だけが不気味にその存在感を誇示し続けるようで有った。

 ずいっと、包囲の輪が狭められる。その距離が、十メートル弱から、八メートル……いや、七メートル以下にまで縮まる。コイツらは人間では無い。まして、猫科の大形の捕食獣と違い、イヌ科の連中は集団で狩りを行う存在。毛皮と言う防具と、牙と言う武器。そして、人間と比べて圧倒的な敏捷度。それに、リーダーの指示に従い集団で行動する戦闘集団。

 まして、狂気に彩られたヤツラからは、死を恐れると言う、真っ当な生命体ならば持っているはずの本能の部分も感じる事は無い。

 刹那、最初の一頭が飛びかかるのと、俺の右手が懐から何かを取り出してばら撒くのとではどちらの方が早かったで有ろうか?

 剪紙鬼兵。俺の姿形を模した十体の分身達。
 半数の剪紙鬼兵が俺とタバサの周りを護り、残りの半数が猛犬の間に、その手にした刀で斬りこんで行く。

 最初の交錯で、簡単に一体の剪紙鬼兵が無効化される。それとほぼ同時に、俺の額に軽い裂傷が走った。
 しかし、その貴重な一瞬の間にタバサの口訣が紡がれ、導引が結ばれた。

 打ち据えられるは雷公の(カイナ)。森の乙女の得意とする雷撃のタバサ仕様。
 一瞬の白光の後、地に転がる獣たち。
 後方の一角を護りし猛犬たちが、一瞬の内に無力化された瞬間で有った。

 しかし、その程度でヤツラに動揺も、そして揺らぎすらも感じさせる事はない。
 元より、何者かに操られ、狂気と化した存在。

 再び、俺とタバサを包囲していた猛犬たちの一角が突出。
 上と左が同時に、そして、一瞬のタイムラグの後、更に右。
 二頭の同時攻撃と、その二頭の攻撃が失敗したとしても、一瞬の後に残った一頭に因る攻撃で俺とタバサ。そのどちらか一人の喉笛をかみ切ろうと言う意図の元繰り出される必殺の攻撃で有った。

 すっと半歩、タバサの前に出る俺。そんな俺の背に感じる彼女の存在。

 彼女は、何の反応も示す事はない。但し、俺の背後に隠れて震えている少女でもない。
 突如、俺の右手に顕われた七星の宝刀が優美な弧を描き、再びその鞘に納められるまで瞬きの間でしかなかった。

 しかし!
 そう、しかし。その一瞬の弧の後、跳び上がったはずの猛犬が、最初に跳んだ二頭がほぼ同時に、そして、それに続いた一頭が、その一瞬の後に、石畳と俺を、彼ら自身の赤い生命の証で色付けながら倒れ込み、空しく痙攣を続けた後、その活動を永遠に終了させる。

 最初の二頭に関しては、空間を歪める事に因って放たれる剣圧により無力化。そして、残った一頭に関しては、直接、七星の宝刀に因って斬り裂いたのだ。

 刹那、再び召喚される雷公の腕。その無慈悲にして苛烈な腕が、姿勢を低くして、今まさに俺達に向かって飛びかかろうとした猛犬たちを襲い、石畳に黒い痕跡と、そして物言わぬ骸を作り上げる。

 斬り込んで行った剪紙鬼兵が残り二体。俺とタバサを護る者が四体。
 そして、残りの猛犬の数は、六……いや、今、二頭の猛犬が剪紙鬼兵に斬り裂かれて、残りは四頭と成った。

 その瞬間、数本の弓矢が後方より飛来し、残った犬たちをすべて射抜いて仕舞う。

「さっき、金の酒樽亭で雇った傭兵たち」

 それまでと全く変わりがない口調で、そう事実のみを淡々と告げるタバサ。
 但し、その言葉の中に、戦闘時の緊張した色は最早存在してはいない。

 振り返った俺の瞳にも、先ほど、金の酒樽亭で安酒をやって居た巨漢の傭兵と彼に連れられた数人の傭兵たちの姿が映ったのだった。
 もっとも、どう見ても、三十メートルほど離れているのですが、彼だけ、遠近感を無視した存在のように感じるんですけどね。

 遠近感を無視したその巨漢の傭兵……。確か、ラウルとか名乗っていたな。……って言うか、本名はラウル・シャニュイ子爵とか言うオチではないのでしょかね。
 仮面の男が関係していて、あの傭兵がラウル子爵なら、その仮面の男はファントムですよ。

 もっとも、あの巨漢の傭兵は、オペラ座の怪人のラウル子爵と言う優男タイプと言うよりは、元ボディビルダーのハリウッドのアクションスターで、嗤うと並びの良い健康な白い歯がニッと光るタイプに思えるのですが。筋肉ムキムキの。

「助かりましたよ。少し、ヤバ目の状態でしたからね」

 近寄って来るに従って、俺の遠近感が間違っていた訳では無く、コイツがデカ過ぎると言う事が確認された巨漢の男、ラウルに対して、感謝の言葉を告げて置く俺。
 尚、倒されずに残った剪紙鬼兵はすべてカードに戻して回収して置きました。剪紙鬼兵用の呪符だって有限ですからね。回収出来る物は全て回収すべきですから。

 そんな俺の言葉に、ボディビルダー独特の爽やかな笑顔で答えるラウル。おっと、コイツはボディビルダーではなしに、傭兵でしたか。

「そんな事を言う割には余裕が有ったように思えるけどな」

 ラウルが俺とタバサの周りを一当たり見回してから、そう言った。俺達の周りには、三十近くの様々な姿の犬たちが、有るモノは血の海に沈み、またある者は雷を撃ち付けられて、無残な骸の姿を晒しているのだった。

 確かに、この犬たちは何者かに操られた存在であったと思います。ただ、だからと言って、俺やタバサが殺されてやる訳にも行きません。俺やタバサは忍び寄る死の影を、自らの能力(チカラ)で振り払ったに過ぎないのですから。

「しかし、オマエさんら、トンでもない実力を持ったメイジだったんだな」

 ついに、俺の真横にまで接近して来たラウルが、かなり感心したようにそう言った。
 尚、彼について来ていた傭兵たちは、流石に、この赤く染まった凄惨な現場に近付くのを躊躇ったのか、少し遠巻きにして、俺達の事を見つめているだけで有りました。

 ……多分、俺とタバサが魔法使い(キゾク)で、それも、かなり実力を持った貴族だと判ったから、恐れられている訳でもないと思うのですが。

「偏在と言う、自らの分身を作り出す魔法を聞いた事は有ったが、実際に目にするのは初めてだ」

 隣に立たれると、更に異様な圧迫感と言うか、威圧感と言うか、暑苦しさを感じさせるラウルが更に続けてそう言った。
 そう言えば、タバサにもそう聞かれましたね。剪紙鬼兵とは偏在なのか、と。

 尚、俺の使う剪紙鬼兵は、この世界の風の系統魔法が生み出す偏在とは質が違います。少なくとも、剪紙鬼兵に魔法は使用不能です。更に彼らの経験も俺にはフィード・バックする事は出来ません。
 まして、能力が俺と剪紙鬼兵では違い過ぎますから。

 剪紙鬼兵とは、孫悟空が自らの毛から生み出す子ザルのような存在。呪符に呪文を書き、それに俺の気を籠めただけの物。
 但し、元が俺。つまり、龍種で、更に駆け出しの仙人ですから、ある程度の修練を積んだ剣士程度の能力は持っていますが、妖怪や邪仙の相手をするには、かなり実力が不足して居ます。

 この世界の遍在に相当する仙術では、『飛霊』と言う仙術が有るのですが……。
 これは、すべての経験も俺にフィード・バックする事が出来、更に、俺とほぼ同等の能力を行使する事が出来るのですが……。
 全ての被害も俺にフィード・バックしてしまう仙術なんですよね、これは。つまり、『飛霊』が一撃で死亡するような被害を受けた場合、その被害がリアルタイムで俺にフィード・バックされてしまい……。

 まぁ、強力な仙術には、それなりのリスクが有る、と言うことです。

「先ほども言ったけど、ラウル。危ないトコロを助けてくれて有難うな」

 俺は、再び、そう感謝の言葉を伝える。
 確かに、俺とタバサだけでも何とかなった可能性も有ります。……なのですが、だからと言って、感謝の言葉を告げないで良い理由には成らないでしょう。

「コイツらは、死病に冒された犬で、コイツらに噛まれる……いや、その涎からだけでも、その死病に冒される危険性が有ったんや」

 大地に骸を晒す猛犬たちを、かなり哀しい瞳で見つめながら、俺はそう続けた。

 それに、俺の曖昧な知識が正しいのならば、狂犬病は嘗められただけでも罹患する可能性が有ったと思います。
 つまり、知識が無い相手なら、コイツらだけでも十分に暗殺を行う事が可能だったと言う事。そして、その見えない、ウィルスと言う暗殺者は未だ、この空間内に存在しています。
 いや、もしかすると、エキノコックスを持っている可能性も有りますか。

 ならば、こいつらの死体をこのままにして置く事も出来ないか。
 それに、ヤツラの返り血を浴びた以上、俺も消毒と、多少の治療が必要と言う事。
 剪紙鬼兵が倒されて、返しの風を受けていますから。

 俺は、数枚の金貨を取り出し、ラウルに渡す。そして、

「これが消毒薬の代金。今晩は無理やけど、明日はその金を使ってアルコールで消毒してくれたら良い。
 ただし、ここで踏んだ犬の血は直ぐに洗って置く事が大前提やけどな」

 もっとも、そう気にする必要もないとは思いますが、それでも矢張り、この狂犬たちを操った存在如何によっては、ある程度の警戒は必要でしょう。
 疱瘡神や疫神のような存在は、世の東西を問わず存在して居ますから。

 死病憑きの犬と聞いて、少し、薄気味悪そうに犬たちの死体を見つめるラウル。
 そうして、

「成るほど。何故、犬たちが急に凶暴になってオマエさん達を襲ったのかと思ったが、死病憑きなら判るな。死病憑きの犬は、凶暴になって、少しの物音などにも敏感に反応する様なる」

 ……と、その見た目からは想像も付かない、知性派の台詞を口にした。どうやら、傭兵としては、かなり程度の高い、脳ミソまで筋肉で出来ているタイプの存在ではないらしい。

 しかし……。成るほどね。この世界でも狂犬病は恐怖の対象となっているのですか。
 何故ならば、俺が住んで居た現代社会でも、死亡率100パーセントの病として認知されていた病気ですからね、狂犬病と言う病は。其処から考えると、巨漢の傭兵ラウルの台詞は当然の事ですか。

「それで、この死体の処理はどうする心算なんだ? 死病憑きの死体をこのままにして置く事は出来ないだろう?」

 
 

 
後書き
 最初に。今回の後書きは、かなりのネタバレを含みます。

 この話……第26話の展開により、第22話の『ギトーの災難』の意味が判ると思います。
 あの話の意味は、ギトー先生を貶める意味ではなく、ルイズに主人公の能力。二つ名から相手の魔法の属性を読み取って、それに対処する方法が有る可能性に気付かせる為の話でした。
 何度かシミュレートした結果、あの手の話を経過させない限り、ルイズが主人公にワルドの二つ名を教える可能性は低い。まして、このアルビオン行きの最中に才人に護符を渡さない限りは。……と考えたのです。

 この物語は非常にシビアに判定していますから、才人やルイズを無事にアルビオンから帰って来させるには……。戦闘に特化したスクエアのグリフォン隊々長は伊達じゃないと思いましたから。
 そのルートも面白かった可能性は有りますが。アルビオン行きの最中にルイズがレコンキスタの囚われて……。完全に原作崩壊の時期が早まりますね。
 もっとも、ヘキサゴン・スペルでも、才人にちょいとした傷を付けただけで命には問題がない状況が、後の原作小説内で描写されているトコロから推測すると、スクエアの四人や五人程度では、ガンダールヴの能力を駆使したら問題なし、と判断しても良かったのですが。

 尚、この第26話のタイトルがイマイチ意味不明でしょうけど、気にしないで下さい。直ぐに理解出来ますから。
 それに、巨漢の傭兵ラウル登場では、あまりに素っ気ないですからね。

 それでは、次回タイトルは『ティンダロスの猟犬』です。

 追記。
 このアルビオン編の後に原作小説内で行われるゼロ戦回収話に、主人公とタバサが付き合う事は有りません。

 理由は、次の……アルビオン行きの次の月のスヴェルの夜に起きる事件が有る事。
 更に、アルビオンとの戦争が起きるまでに熟して置く必要が有るイベントが存在している事。
 このふたつが大きな理由で、後は小さいのが幾つか有る程度ですか。

 但し、主人公とタバサが参加しないだけで、イベント自体は粛々と進行して行きます。
 
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