蒼き夢の果てに
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第3章 白き浮遊島(うきしま)
第28話 ラグナロク?
前書き
第28話を更新します。
普段の雷公召喚法とは違い、やや仰角方向に放たれた雷光の柱は、そのまま二頭のティンダロスの猟犬と冷気に凍らされた一頭、及び最初の電撃で無力化されていた一頭を巻き込み、石造りの天井を貫通。そのまま一階上の天井に叩き付けられて、全ての猟犬はその活動を停止した。
……って言うか、これは少々やり過ぎの感が有るのですが。
もっとも、普段通り上から下、の形を取った場合、一階に向けての大穴を空けて仕舞い、おそらくは一階酒場部分で戦闘を続けているキュルケ達に、何らかの被害が及ぶ可能性が有ったので、これに付いては仕方が無かったのですが。
そんな事を考えながら、天井に空いた大穴にほんの一瞬、気を取られていた俺。そんな俺の右腕を取り、直ぐに治癒魔法を開始するタバサ。
これは、水の乙女の得意魔法をタバサの霊力で発動させているのですが……。
「有難うな」
先ずはタバサに感謝の言葉を告げて置く俺。それに、これは最低限の礼儀。
それならば周囲の警戒だけは行うようにして、治癒はタバサに任せるべきでしょう。多分、この毒に関しては呪いの類などではなく、普通の生物由来の有機化合物系の毒だと思うので、普通の治癒魔法で状態を回復させる事が出来ると思いますから。
伝承や物語の上では、普通の水で洗い流せたり、タオルでふき取ったり出来ると表現されていたと記憶していますから、多分問題はないでしょう。
変色した俺の腕を見つめたまま、そっと首肯くタバサ。少し、負の感情を発しているような気がしないでもないのですが、ティンダロスの猟犬四頭に襲われて、この程度の被害で戦闘を終えたのですから、俺としては自分を褒めても良いと思うのですけどね。
舌が命中した手首の部分に、回復不能な呪いに相当する穴が開いていないだけでも、準備が機能したと言う事ですから。
少し視線を天井部分に開いた大穴から、その上の階の天井に着けた黒とも、何色とも表現出来ない傷痕を見つめて、吐息にも似た息を吐き出す俺。
おそらく、ティンダロスの猟犬は送還の術で追い返す事が出来るレベルではないでしょう。ならば、五遁の呪符を使用した次元孔を開く為の術の使用しか方法が有りません。
……なのですが。
「あのティンダロスの猟犬と呼ばれる魔物は、一説には不死だと言う説が有る。
そして、一度狙われた人間がヤツらから逃れるには、追い払うしか方法が無いとも言われている」
治癒魔法を施して貰っている最中ですが、黙って治療を施しつつ有るタバサを見つめていると、どうも落ち着かなくなりますし、妙に彼女の事を意識して仕舞います。ですから、彼女からは少し視線を外し、更に彼女に取っては、謎の存在だと思われるティンダロスの猟犬の解説を行う俺。
それに、ティンダロスの猟犬については、不死の相手だから倒す事は難しいので追い払うしかない、と言う事だとは思いますし、厳密に言うと、絶対に死ぬ事のない不死と言うよりは、常に回復を続けるタイプの生命体だとは思うのですが……。
それで、俺としては追い払う為に次元孔。つまり、送還用のゲートを開いて、ティンダロスの猟犬たちを、彼らの元々居た世界に強制送還させる心算なのです。
もっとも、俺の術は何処の世界に向かって次元孔が開くか判らない、安定しない術なので、少し問題が有るのですが……。
但し、試さないで、もし、ティンダロスの猟犬たちが伝承通り不死身の存在だった場合は、非常にマズイ状況……つまり、永久に、俺かタバサ。もしくはその両方が狙われ続ける結果と成りますので、試しては見る心算なのですが。
治癒魔法を行使している最中なので、俺の右腕から視線を外す事なく、一度小さく首肯くのみで答えと為すタバサ。
その仕草は、非常に彼女らしい仕草だとは思うのですが、偶には、実際の声に出して返事をして貰いたいとも思うのですよね、俺としては。
それで無ければ、俺は常に彼女、つまり、タバサの反応を見ていなければ成らなくなりますから。
まるで、恋する相手を常に視線で追っているみたいな気分。幼い子供が、常に自らの母親を瞳に映していなければ不安になる状態。そんな気さえして来るので、出来る事ならば、言葉で返事を貰えた方が非常に有り難い時も有るのですが……。
もっとも、今は俺の治療をしている最中ですから、仕方がないと言えば、仕方がないのですが。
そんな、今のトコロはどうでも良い事をウダウダと考えながら、それから時計の秒針が軽く二回りするほどの時間が経過。
しかし、未だ、治療は終わらず。
……少し、治療に時間が掛かり過ぎているような気がするのですが。
そう思い、治療中のタバサの手元を覗き込む俺。
其処。……タバサが治癒魔法を施している俺の右腕は、既に大半の部分が元通り綺麗な肌の状態に戻って居るように見えます。ただ、一か所。タバサが治療を行っている俺の右腕。その手首の内側の部分に、ほんの少しの傷痕のような物が残って居た。
ここは確か、最初にティンダロスの猟犬の舌が命中した部分ですか。
赤黒く変色していた傷が、どちらかと言うと紫色に近い傷痕にまで戻っては居るのですが、それでも最後の部分で、何故か頑健に元の肌の色に戻るのを拒否している。そんな雰囲気さえ漂わせている傷痕を、かなり真剣な表情で見つめ、治療を施すタバサ。
おそらく、【念話】によって、水の乙女や森の乙女に状態を尋ねながら治療を施していると思いますので、ただ無暗矢鱈と霊力を消費している訳ではないでしょうし、かなり的確な治療を施しているはずです。
しかし、ここが最初に傷つけられた傷痕ならば、ここが毒を含む膿が着いた場所です。それ故に即時に、しかも完全に回復させるのは難しい可能性も有りますか。
「タバサ、有難う。もう、大丈夫や。その程度の傷痕なら問題ないと思うで」
治療中のタバサに対してそう告げながら、右手を開いたり閉じたりして見せる俺。それに、動かして見た感覚から言っても、何の問題もない雰囲気では有ります。
そもそも、未だ戦闘は続いているのは間違いない状態。階下からも、そして屋外からも戦闘中を思わせる響きが聞こえて来ていますから。まして、ティンダロスの猟犬をこのまま放置する訳には行きません。ヤツラには、少なくとも、この世界からは消えて貰う必要が有ります。
それも、出来るだけ早い段階で。
それに、右手に何らかの不都合が有ったのなら、この戦闘が終わった後にウィンディーネを召喚して調べて貰ったら良いだけの事です。おそらく、見た雰囲気、及び俺の曖昧な記憶の中に有る映像と比べてみても、この傷痕は、組織自体が壊死を起こした状態とは違うと思いますから。
俺の記憶が間違っていなければ、毒蛇や毒蜘蛛の毒に冒された部分が壊死する可能性も有ります。それ故、多少は警戒をしていたのですけど、壊死した状態とは少し違うような気もしますからね。
この残った傷痕に関しては。
しかし、一度、俺の方に視線を向けたタバサが少し首を横に振る。
そうして……。
「この傷はわたしを護る為に付けた傷痕」
……と、短く伝えて来た。普段通りの彼女に相応しい口調と声で。
だから、自らが治療するのが正当と言う事ですか。
少し神経質に成っているような気がしないでもないですが、それでもこの娘が優しい娘なのは判っていますし、今までも少し生真面目過ぎるような面も見せていましたから、こう言う反応を示す可能性も有りましたか。
「それなら、全ての戦闘行為が終わってから時間を取ってタバサに見て貰うから、今は応急処置だけで留めて置いてくれるか。もう実戦には支障が無さそうやから」
そもそも、俺の仕事は彼女を護る事。それに、あの舌による攻撃を見過ごして、彼女の顔に当たっていた時の方が被害は大きかったはずです。あの舌は、タバサの頭部直撃ルートだったのは間違いないですから。
そして、彼女の顔に二度と消える事のない傷痕が残るぐらいなら、俺の手首に傷痕が残る方が何倍もマシです。俺の気持ちの部分では。
俺のその言葉に、少し考える雰囲気のタバサ。そう言えば、普段はかなり冷静な雰囲気の彼女が、このティンダロスの猟犬との戦いの後には、少し冷静さを欠いていたような気もしますね。そんな、俺が少々傷付いたぐらいは、別にどうと言う事もないのですが。
そして、少しの逡巡の後、タバサが今度はそっと首肯いてくれる。おそらくは、少し落ち着きを取り戻して、普段の冷静な彼女に戻ったと言う事なのでしょう。
「それなら、上の階に行ってあの馬鹿犬どもに引導を渡して仕舞うか」
俺が右手を差し出しながら、そうタバサに問い掛けた。もっとも、彼女も花神の浮遊能力を使用すれば、二階から三階に上昇するぐらいなら問題なく出来るのですが。
普段通りの透明な表情で俺の差し出した手を取るタバサ。
もう大丈夫。雰囲気も普段通りの彼女に戻っているように感じます。それに、その前の……才人の部屋から出た後の会話についても、彼女が冷静さを失う遠因に成っている可能性も有りますか。
そんな事を気にする必要などないのに。
……おっと、その前に、人として最低限、口にすべき台詞を行って置く必要が有るな。
「なぁ、タバサ」
彼女の右手を取り、そのまま彼女を抱き上げて床を蹴り浮遊する俺。
そして、
「俺の事を心配してくれて有難うな」
そう短く感謝の言葉を告げる俺。
その言葉を聞いた彼女の反応は……。
☆★☆★☆
自らが作った穴から三階に昇り、辺りを見渡す。
……床には大穴。この階の天井も半分崩れて、周りの壁もかなり被害を受けた状態。
修繕費用をどうするかに付いては、後回しにすべきですか。
そうしたら、吹き飛ばした四頭の魔獣に関しては……。
一当たり、周囲を見渡してみる俺。
ふむ。居ましたね。
一応、ちゃんと四肢は繋がった形、つまり、原型を留めた形で、粉々になった石材の中に、半ば埋まるような形で、四体の魔獣はその動きを完全に止めていました。ただ、この状態から再び動き出すとは、どう考えても思えないのですが……。しかし、それでも、物語自体に魔力が有る以上、不死と言う記述を馬鹿には出来ないですか。
但し、同時に物語に記載されている、一度退散させると、ティンダロスの猟犬は諦める、と言う記述も、同じように強い魔力を持っていると言う事でも有ります。
そう考えながら、四頭の魔獣を生来の重力を操る能力で持ち上げ、破壊に巻き込まれていない床に横たえる俺。
タバサはただ見つめるのみ。彼女は、彼女なりの方法で、奪って仕舞ったのかも知れない生命に対して敬意を表しているのだと思います。
そして、
「さて。これから俺が何をするか見ていてくれるか」
俺のその言葉にこくりとひとつ首肯くタバサ。表情は普段通り。但し、彼女から感じる雰囲気は、かなり興味を覚えているのは間違い有りません。
先ず、五行の呪符を懐から取り出す。そして、
集められた四頭の魔獣の周りに、五行に属する呪符を、とある形の頂点に配置。そして、全ての準備が整った後、その呪符に霊力を注ぎ込んだ。
次の瞬間、横たえられた四体の魔獣を中心にして、木火土金水の順番……つまり、相生の順番に光る曲線に因って円が描かれ、それと同時に、その内部……それぞれの呪符を頂点とした一筆書きの星形……今度は相克の順番で引かれた直線によって、五芒星が浮かび上がる。これは、陣。所謂、魔法陣、魔術回路と呼ばれる物。
そう、これは晴明桔梗を使用した、次元孔を強制的に開く仙術。
そして、懐から取り出した何かを、その晴明桔梗の中心に向け、短い口訣と共に放つ俺。
次の瞬間、その晴明桔梗の中心に突き立つ……釘。
刹那。それまでの雰囲気から、空気が一変した。
そう。晴明桔梗内側だけ、まるで重力が変わったかのように、四頭の魔獣たちが床に押し付けられ、次の瞬間……。
異世界へのゲートが開いた。
その異世界のゲートの奥では黒い闇がゆっくりとうねり、禍々しい風が、こちらの世界で横たえられた四頭の魔獣を包み込む。
一応、俺個人としては、ティンダロスの猟犬たちがやって来た世界へのゲートを開いた心算なのですが、俺の実力ではそこまでの精度を持っていないのは事実です。まして、彼らの元々居た世界と言うのは、曲線が支配する世界ではなく、時間と角が支配する世界と言う、俺にはイメージする事さえ難しい世界。それに、最悪、コイツらをこの俺とタバサの居る世界から追い返す事が出来たら良いだけなのですから。
伝承を信用するのなら、それで諦めてくれるはずですから。
そして、次の瞬間。横たえられた四頭の魔獣たちが開いた異界へのゲートに消えて行く。
異界の風に包まれ、黒い闇に飲み込まれ。
右手を胸に。瞳は、自らが送り出す存在から離す事なく、その一部始終を見つめる俺と、その俺の様を見つめるタバサ。
生命で有る以上、俺は他者の生命を奪う事でしか生きて行く術を知りません。故に、自ら奪った生命に関しては、俺は全てを覚えていたいと思っています。
例え、それが自らの生命を奪おうとした存在で有ったとしても、その全てを。
全ての儀式を終えた後、普段通りの少しいい加減な雰囲気に戻した俺が、タバサに視線を移す。
タバサ自身も俺の方を物言いたげに見つめる。
……それに、彼女が問いたい内容は、何となく判りますが。
「これが今、俺が使える次元孔を開く仙術と言う事やな」
但し、今の俺では次元孔を開く事しか出来ないのも事実。この能力では、いくら才人が望んだとしても、彼を元の世界に確実に戻してやる事は出来ません。
俺自身が元の世界に道を開いた心算でも、それは確実では有りません。まして、平行世界とは、人間が考え付く限り無限に存在している物。確実に元々住んで居た世界に向けての次元孔を開く事など、今の俺には無理。
俺の説明に納得したのか、ひとつ首肯くタバサ。雰囲気は微妙ですか。陰陽入り交じった雰囲気で、彼女がどう思ったのかは少し判り辛いですか。
それに、そんな事など今はどうだって良い事ですから。
「そうしたら、この階の他の宿泊客の確認の後、階段に人間以外の侵入を防ぐ結界を施してから、下の階も同様の処置を行う。そして、それから一階に向かうか」
もっとも、この宿は貴族専用。つまり、俺達以外の宿泊客も貴族や、その御付きの人間なのですから、それなりに身を守る術は持っているはずなのですが。
俺のその台詞に、タバサは小さく、それでも、彼女にしては珍しく強い調子で首肯いて答えてくれたのでした。
☆★☆★☆
降りた先の一階、酒場部分。そこも既に戦場で有った。
二階から続く階段から現れた俺に向かって、いきなり振り下ろされる巨大な腕。
その攻撃を半歩分左に身体をずらす事によって躱し、同時に閃く銀光。
下段から斬り上げられた一刀に、周囲を朱に染めて倒れ込む巨大な毛むくじゃらの鬼。……と言うか、こいつはもしかするとトロールか?
そして、優美な弧を描いた七星の宝刀はそのまま、元の鞘へと収まった。
俺と同じように、斬り掛かって来た小鬼を瞬殺して見せたジョルジュが俺に近寄って来て共に階段を護る位置に付く。
もっとも、小鬼と表現しては居ますが、最初に俺に襲い掛かって来たヤツと比べて小さいと言うだけで、ほぼ人間と同じサイズの鬼では有ったのですが。
……う~む。しかし、もし最初のヤツがトロールなら、コイツらはドヴェルグなのか?
刹那。周囲に降り注ぐ氷の刃。
その狙いは彼女に相応しい正確さで、酒場中に広がりつつ有った魔物の大半が一掃される。
そのタバサの仙術が行使された直後。
壊れたか、壊したのかは判らないのですが、分厚い石製のテーブルを防御壁代わりにして魔法を放っていたキュルケが、テーブルの後ろから俺とジョルジュくんの後ろ。つまり、階段の方に走り込む。
その彼女に付き従うかのように追従する、数体のゴーレム。
こいつらは、おそらくジョルジュがキュルケの防壁代わりとする為に作製したゴーレムなのでしょう。
彼は土属性。確か、この世界の土系統の魔法の中にはゴーレム作製魔法も含まれていたはずですし、五遁土行の仙術の中にも似たような仙術は存在していました。
「二階の方は終わったの?」
ルイズと才人のふたりに話しを聞いていたのでしょうね、二階での戦闘に付いても。
開口一番、キュルケにそう問われた蒼い御主人様が、無言でコクリと首肯く事によって彼女の問いを肯定する。
……って言うか、そんなあっさりした答えで終わるほどの相手では無かったと思うのですが。
最初の攻撃によって俺の利き腕が封じられて仕舞った上に、あの狭い直線的な空間で、かなり長い距離を攻撃可能な毒の槍攻撃を持った存在を相手にしたのですから、もう少し熱の籠った態度で応対しても良いと思いますよ。
俺にしても、貴女にしても、戦闘のスタイルは回避に重きを置いた戦闘スタイルなので、戦場自体が苦手な場所だったのは事実でしょう、狭くて長い廊下と言う場所は。
切れ味のあまり良く無さそうなロングソードを袈裟懸けに斬り下ろして来る小鬼。
しかし、その振り下ろされる剣をあっさりと跳ね上げて仕舞う俺。そして、その事により無防備となった小鬼の脇腹に、軍杖と言う呼び方をするレイピアを突き立て、無力化するジョルジュ。
そして、その背後に迫りつつ有った数体の小鬼の集団が、タバサの放った雷公の腕によって一掃される。
う~む。どうも、この道行きは屍山血河となる要素が有ったと言う事ですか。さして好戦的ではないはずの俺なのですが、巻き込まれている事件の質に因って、俺の周りには屍の山が築かれ、血が河となって流れて行くように成っています。
但し、そうかと言って、動き出した以上、俺やタバサに降りかかって来る火の粉は振り払うしか有りません。座して死を待つ趣味は有りませんから。
願わくは、この女神の杵亭を襲っている魔物達が、俺達の能力の高さに襲う事の無意味さに気付いてくれたら良いのですが……。
しかし、減らした分が再び補充されたかのように包囲の輪を縮める魔物。
「裏手の方から、どんどんと魔物が侵入して来るのよ」
そう説明を行うキュルケ。成るほど。確かに、厨房の方から、どんどんと魔物が吐き出されて来ていますね。もっとも、既に厨房と食堂を隔てる壁のあちこちに大きな穴が穿たれ、そこを押さえて侵入口を失くしたとしても、労力が掛かるばかりで大した意味はないように思えます。
そう俺に告げた後、ルーンを紡ぐキュルケ。その魔法使いの杖の先に現れる巨大な炎の塊。
そして、その一瞬の後、手首の返しのみで放たれる炎の塊。短い飛翔の後、その塊の直撃を受けたドヴェルグが巨大な炎の柱と化す。
しかし、そんな状況ではいくらこの場で魔物を倒しても意味は有りません。
ならば、
「ルイズ達一行は先に進んだと言う事やな?」
その台詞に続き、翻る銀の光。
横薙ぎに剣圧を放ち、一気に数体のドヴェルグの無力化を行う。
俺の問いに首肯き、
「ルイズとサイト。それに、ギーシュくんは、彼のゴーレムと、貴方が雇った傭兵たちに守られながら港に向かいました。ワルド子爵は、この騒動が起きる少し前にグリフォンの世話をする為に席を外した為、その後の事は不明です」
……と、答えたジョルジュが一閃。近寄って来ていた小鬼を一体、袈裟懸けに斬り捨てて仕舞う。
成るほど。ワルドに関しては多少疑念が残るけど、自らの乗騎であるグリフォンの世話を他人任せにする騎士の方が俺は信用出来ないから、この部分に関しては仕方が有りません。
まして、外には、俺とタバサのふたりで集めた傭兵たちが居ます。有事の際にはこの宿屋の護衛を依頼して有りましたし、護衛の最優先人物として、ルイズと才人の人相風体は伝えて有ります。彼らふたりが、この騒動の最中に宿から出て港に行くと言ったら、傭兵たちが護衛に付いたはず。
それに、この二人がここに居残るのも当然でしょう。キュルケはタバサをこの騒動に巻き込んだ責を感じているはずです。そして、ジョルジュの仕事はタバサの護衛。ここで、この一階の護りを放棄してルイズ達と共に先へと進めば、上の階で戦っている俺達が挟み撃ちを食らう可能性も有りました。
「ならば、もう問題はないな。俺とタバサが合流したから、この階段に人間以外の出入りを防ぐ結界を施してから屋外に出て、状況の確認を行う」
そうしたら、以後の行動の指針に関しては……。
先ず楽がしたいのなら、この場から転移魔法を使用して、何処へでも良いから逃げ出す方法が有ります。
次の策は、この場に誰も侵入出来ない結界を施して護りに徹する方法。
但し、このふたつは論外。能力が有る者には、それなりの責任が有ります。そして、その責任を放棄する選択肢と言うのが、このふたつの選択肢だと思います。
まして、キュルケには、出来る事ならば、俺の転移魔法は知られたくは有りませんから。
それに、この異常な状況はおそらくは何らかの異界化現象。ならば、その異界化現象の核を見つけ出してどうにかしない限り、この魔物が暴走状態と成って居る異常な夜は終わらないと言う事でも有ります。
「ここに居ても状況が好転しないのなら、その方がマシよね」
キュルケが真っ先に俺の意見に同意する。まぁ、彼女は炎の系統の魔法使い。それに、今までの対応などから考えると、やや好戦的で、積極的な行動を好むように見えていますから、この意見に賛同するのは当然ですか。
「無辜の民を護るのは貴族の務めであり、私も貴方の意見には賛同します」
ジョルジュもそうあっさりと賛同する。それに、これは高貴なる者の義務と言う考え方に繋がる考え方でも有りますか。
それに、その程度の事なら判っていて当たり前でしょう。貴族はただ偉そうにふんぞり返っていて良いだけの存在ではないと思います。権利には、それなりの責任と言う物が付きまとうはずですから。
但し、彼……ジョルジュの言う無辜の民とは、タバサやキュルケを含む全ての人間の事で有り、貴族と言うのは、自らと同じ血を持つ種族の事を指す言葉だとは思うのですが。
それに、彼らが言うように、積極的に前に向いて進んだ方が活路も開けるとも思いますしね。少なくとも、二階、三階に残っている生き残りの泊り客には、俺達がここから離れたとしても害は少ないはずですから。
何故ならば、階段自体に結界を施して有りますから、残された侵入口は各部屋の窓だけ。
それぐらいの侵入経路なら、彼ら自身が貴族……魔法使いでしたから、自らの身を守るある程度の方法は持っているはずでしょう。
この宿屋内では、ここに居る四人が、最後の精兵と言う訳では有りませんから。
「そうしたら、さっさと表に向かいますか」
俺のかなり軽い調子のその言葉に、その場に残った一同が無言で首肯いたのでした。
☆★☆★☆
軽く、両手以上の魔物の相手をさせられた後、ようやく屋外の風を感じられる場所に到達した俺達だったのですが……。
外は……屋内以上に酷い有様でした。
「あれって港の方じゃない?」
天中に煌々と輝く青白き月に対比するかのように、昼間の如き明るさで夜空を焦がし続けている炎は、街の方ではなく、立体的な形で組み上げられた飛空船用の木製の桟橋が燃えている炎で有った。
確かに、石材を中心に造り上げられた街よりは、木製の桟橋の方が燃えやすいのでしょうが、それにしても……。
ルイズ達は無事に港に辿り着いていても、船自体がダメになっている可能性も有りますか。この炎の勢いから考えるのならば。
刹那、タバサの魔術師の杖が振られ、俺達に向かって飛びかかろうとしていた数頭の赤い巨大なオオカミが氷の刃で斬り裂かれ、その身体と同じ色の飛沫を上げた。
見た目はオオカミに似ていて赤い身体。
コイツらは、伝承上に残るガルムに似ているような気がするのですけど……。
トロール。ドヴェルグ。それに、ガルム?
「なぁ、タバサ。この街に有る船の接岸用の桟橋は、確か世界樹とか言う、巨大な樹の再利用とか言っていたよな」
俺の問いに、首肯いて答えるタバサ。……って言うか、その世界樹と言うのが、この規模の飛行船用の桟橋を作る事が出来るサイズだと言う事も驚きなのですが、今はそれドコロでは有りません。
世界樹が燃えている。これは、もしかするとラグナロクの再現なのか?
そうだとすると、世界樹に火を放つのは炎の巨人スルトなのですが……。
「取り敢えず、ルイズ達の後を追う。ここから始めるべきか」
☆★☆★☆
「良い夜だな」
かなり西の空に傾きながらも、そう言うに相応しい光を煌々と放つ双子の衛星を見上げ、そいつは語り掛けて来た。
ごく普通の天気を問うような穏やかな口調、及び雰囲気で。
俺が雇った傭兵や、この街の護衛兵、そして、おそらくは燃えつつ有る船の船員たちと思しき死体や重症者たちの中心にたった一人だけ残った生者として。
探している時には出会う事は出来なかったクセに、最終局面では簡単に出会う事が出来ると言う事ですか。
周囲を包む気は、月神が支配する死と静寂の気配。船が燃え盛る炎を上げ、桟橋が燃えている、『炎』が支配している世界のはずなのですが、何故か、この場所は死と静寂が世界を支配していた。
青白き月光を浴びて佇むは、昨日の逢魔が時以降、何度も目にする事と成った派手な羽飾りの着いた帽子を斜に被り、グリフォン隊所属の騎士である証のマントを羽織った姿の白い仮面の男。
但し、左腕に関してはマントに隠されて見る事は出来ず、声に関しても、似ているような気はするのですが、仮面によってくぐもった声に聞こえている為に、確実にワルド子爵の声だと断言出来る状態ではない。
「なぁ、ジョルジュさんよ」
俺はタバサの端整な容貌を見つめながら、しかし、口ではジョルジュの方に呼び掛ける。
そう、ただ一人の生者として、と先ほどこの目の前の仮面の男の事を表現しましたが、それはもしかすると間違いの可能性も有ります。
少なくとも、真っ当な生者から感じる物とはまったく違う気を、俺はこの眼前の仮面の男から感じていたのですから。
「戦闘が始まる前に、キュルケを連れて、ここから全速力で逃げて欲しい。
少なくとも、オマエさんの判断で、戦闘に巻き込まれる事のない場所までは退避していて貰いたい」
本当の事を言うのなら、タバサの方にそう言いたいのですが、彼女の瞳がそれを拒絶している。そして、キュルケが傷付く事も、彼女が望んでいない事だけは確実。
まして、離れている間にタバサが襲われる可能性も否定出来ない以上、俺から彼女を離れさせる、と言う選択肢は選びようがない。
「貴方とタバサ嬢だけで勝てる相手ですか?」
ジョルジュからの当然の問い。確かに、この竜殺し殿が居てくれた方がかなり安心なのですが……。
「こんな事件に巻き込んで仕舞った事を後悔しているキュルケに、彼女一人で逃げろと言ったトコロで受け入れてくれる訳はない」
表の理由はこれ。裏の理由は、はっきり言うとキュルケは邪魔。
タバサには、俺と同じように物理反射と魔法反射の仙術が施され、俺の気を通した護符を装備して貰っている。つまり、属性として風と雷に関しては完全に無効化出来ると言う事。
この状態なら、ヤツが金行で俺の属性、木行を剋さない限り、この戦闘の間はワルド子爵の魔法の直撃を少々受けたとしても大丈夫なはず。
しかし、キュルケの防御力は一般人。そんな彼女にこの戦場に居られても、役に立つドコロか邪魔にしかならない。
彼女自身がどう思うかは、また別問題ですけどね。
「ちょっと、シノブ。何を勝手な事を言っているのよ。あたしだって、ツェルプストーの名を継ぐ人間」
そう言い放ち、杖を振り、ルーンを唱えるキュルケ。
しかし……。
「ここは、もう、家名などは何の効果も発揮しない世界に成っているんや、キュルケ。
ヤツの見た目はワルド子爵やけど、残念ながら、服装が彼の服装をしていると言うだけで、ホンマの彼かどうかは判らない」
ルーンを唱えながらも、まったく発動しない魔法に驚愕の表情を浮かべるキュルケに対して、ゆっくりとそう告げる俺。
そう。より高位者の前では、精霊は、そちらの指示に従って仕舞うと言う世界の法則に則った正式な反応。
つまり、この目の前の仮面を被ったワルドの服装をした存在は、精霊を従える事が出来る存在だと言う事になる。
「夜を統べる女神に惹かれて、古の彼方から帰り来たのか、それとも、誰かに呼び出されたのかは知らないけど」
彼我の距離は約十メートル。
その距離を一瞬にして詰める俺。アガレスの能力により、自らの時間を操る今の俺の戦闘をこの世界の一般的な生命体から見ると、残像すら確認出来ないレベルのスピードと成る。
但し、同じように精霊を纏い戦う事の出来る存在に取っては、ほぼ互角の能力に過ぎない能力。
「迷惑な話やな、実際!」
下段より斬り上げようとした一刀は、しかし、この世の物とも思えないような美しい音色によって阻まれて仕舞う。
そう、貫く手さえ見せずに払われた長剣の一閃にて、俺の初手は完全に防がれた瞬間であったのだ。
しかし、払われるのは元より承知。その一瞬の隙に、振り下ろされる雷公の腕。
元々、俺の剣は後の先。初手を俺の方から仕掛けた以上、これは囮。本命はタバサによる魔法攻撃。
そして、俺の攻撃の意図を察したで有ろうジョルジュによって、キュルケが戦場から撤退する時間を作る貴重な囮でも有った。
しかし。そう、しかし!
タバサからの雷を自らの纏った精霊の護りで無効化。ヤツの纏いし精霊は、風の精霊。
但し、風の精霊だけなら、完全に雷を無効化するのは難しい。おそらく、同時に水の精霊も支配していると思う。
つまり、こいつは冷気属性を操る存在の可能性が高いと言う事。
もっとも、冷気属性なら、もっと圧倒的な雷ならば、ヤツの精霊の護りを粉砕して直接ダメージを与える事は不可能では有りませんが。
……その場合、もう一度、タバサとの精神の同期を行う必要が有るのですが。
「ほう」
最初の交錯の後、やや、距離を置き対峙したワルドの口から感嘆の声が漏れた。
そして……。
「神の頭脳に、ここまでの戦闘能力が有ったとは驚きだな」
神の頭脳?
そんな、ワルドの台詞に一瞬、気を取られて仕舞った俺。
そして、そんな隙を見逃さず、剣を握る右腕を振るうワルド。
集められしは水の精霊。
そして、その振るわれた剣の軌道をなぞるかのように、放射状に放たれる氷の刃。
しかし、一瞬の隙から立ち直った俺が、タバサに対してアイ・コンタクト。
承諾を意味する【念話】に成っていない気のような物が彼女から返された瞬間、その放射状に放たれた氷の刃に向け突っ込む俺。
本来ならこれは自殺行為。しかし、魔法反射に守られている今は、この一瞬は、好機。
確実に俺を死に誘うはずの氷の刃が俺を捕らえた刹那、空中に浮かぶ防御用と思しき魔法陣。そして、その魔法陣により反転させられ、魔法を放った存在たるワルドを氷の刃が襲う!
しかし、自らの放った氷の刃は、彼の髪の毛一本。派手な羽飾りすら傷つける事は出来ずに、全て精霊の護りにて防がれて仕舞う。
しかし、そんな物は単なるオマケ。目くらましに過ぎない。
俺の間合いに入った刹那、先ほどと同じようにやや下方より斬り上げられた一刀が、ワルドを襲う。
そして、同時に紡がれる口訣。
今度は振り抜かれた形のワルドの長剣が迎撃する事は出来ず、俺の必殺の一刀がワルドを捉えた!
しかし、やや後方に身体を引き、ほんの数センチ。いや、場所によっては数ミリの差で躱されて仕舞う必殺の一撃。
刹那、それまでの高速詠唱とは違う、通常詠唱と導引によって導かれた電撃がワルドを包み込む!
その電撃は、それまで放たれていたそれと、籠められた霊力。そして、想いが違う。
そう。いかな鬼神と言えど、これを退け、どんな魔鳥で有ろうとも一撃で滅する事の出来る必殺の雷。
タバサが召喚せし雷、九天応元雷声普化天尊の雷は、それまで彼女が呼び寄せていた雷公の腕とは神格が違う。
人のすべての生死吉凶禍福を支配すると言われし神の雷が、ただ一点を撃ち貫く。
迎え撃つは、ワルドの精霊の護り。しかし、その護りに今は綻びが存在していた。
そう、俺の攻撃はワルド個人を斬り裂く為に放たれた攻撃では有りません。それは、ヤツの鉄壁の守りと成っていた精霊の護りを斬り裂く為に放たれた一刀。
レンのクモの護りを無効化した仙術を、ただ斬り裂くと言う意志によって強化した一刀。
空間の歪みさえ引き起こす雷が、斬り裂かれた精霊の護りを粉砕し、ただ一点を目指して貫く!
瞬間、音すら消えた。
そして、次の瞬間。
世界は炎が世界を焦がしてはいるが、生者が支配する、通常の世界へと移り変わっていた。
後書き
最初に。主人公とタバサの間には、確かに縁が存在します。あの召喚は事故でもなければ、偶然でも有りません。まして、人間以外の上位者が介入して来た訳でも有りません。ゼロ魔に置ける使い魔召喚の儀式ではなく、彼女が行ったのは別の儀式です。
○ーヴァ○ト召喚の儀式と言った方が近いですかね。
それと、レンのクモが顕われたのも偶然では有りません。あれは某かの存在が人間界に介入して来た事により起きた事態です。
ここから導き出せる答えを考えてみて下さい。
それでは、『ティンダロスの猟犬』について多少の説明を。
コイツも基本はクトゥルフ神話に登場する魔獣……と言うべき存在です。
何かよく判らない表現なのですが、彼らは時間の「角」に存在しているらしくて、角の有る場所、例えば部屋の隅とかから、実体化して出て来る事が出来るらしいです。
更に、資料によっては不死だとか言う厄介な特性も持っているようなのですが……。
こんなモン、どうやって追い払ったら良いんですかね、と言う相手です。
しかし、最早、ゼロ魔とは思えないような魔物がどんどん登場して来ますが……。
死体を飲み込む者とか、暗い夜の女王とか。南極大陸に棲む巨大な白い鳥と同じ鳴き声を放つ存在とか。
トロールやドヴェルグ、ガルム辺りなら、多少は関係が有るとは思いますが、実際、その辺りについて、どう言う評価を受けているのか判らないトコロが少し怖いです。
それでは、次回タイトルは『死体を飲みこむモノ』です。
そして、第29話でこの『第3章 白き浮遊島』は終わりです。
第30話から第4章の開始と成って居ります。
追記。
主人公は、神の頭脳では有りません。一応、念の為に記載して置きます。
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