SAO─戦士達の物語
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SAO編
三十五話 それはいつも唐突に
あの地下水路の一件から大体一ヶ月と少し。その日は、ついに念願のギルドホームを購入できる事がほぼ確定した日だった。
黒猫団は前々から目標としていた額のコルを溜める事に成功たため、ケイタはその日の朝から、ギルドホームにうってつけな小さなプレイヤーホームを売りに出していた不動産仲介プレイヤーのもとへギルドマスターとして交渉に出かけ、キリトやサチ達他のメンバーたちはそれを宿屋で待っていた。
サチは、少し特殊な方法で、何とか睡眠をとれるようになっていた。
夜中になるとキリトの部屋へもぐり込み、キリトの自分に対する「死なない」と言う言葉を聞く事で、何とか眠れるようになったのだ。
それが何故なのか、キリトには正直な所よく分からなかったが、ただ、自分にはそうする事しか出来なかったキリトは、唯ひたすらに、毎晩同じ言葉を唱え続けていた。
始まりは、メイサーとしてキリトと共に前衛をポジションとするテツオが、こんな事を言ったからだった。
「ケイタが帰って来るまでに、迷宮区でちょっと金を稼いで、新しい家用の家具を全部揃えちまって、あいつをびっくりさせてやろうぜ」
ホームを買うと言う事で、ギルドの共通ストレージのコル欄はすっからかんになっていたし、異を唱える者はおらず、そうしてキリト達は、始めて行く最前線から三層程下の迷宮区を訪れた。
始めてとはいっても、当然キリトだけは以前にそこを訪れた事が有ったため、そのダンジョンの特性を把握していた。
即ち、稼ぎはいい物の、トラップが多発するダンジョンである、と。
レベル的には黒猫団にとっても安全圏だったそこで、キリト達はあっという間に目標の額を稼ぎきり、街へ帰って買い物をしようと、帰路に就いた、その時だった。
「おっ!宝箱はっけーん!」
メンバーの一人、《鍵開け》等のスキルを持つ、職業性RPGでいう盗賊《シーフ》のダガー使いが横道の奥にある部屋の宝箱を目敏く見つけたのである。
部屋は東、西、南に通路が有り、北側の壁に宝箱が置かれた正方形の部屋だった。
近づいたメンバーはその場で、これを開けるかどうかの相談を始める。と言うか、キリトが突然開ける事に反対し始めたのだ。
当然キリトの主張は此処がトラップの多いダンジョンである事を考慮した上での言葉だったのだが、レベルを隠している以上それを言い出す事は出来ない。
他のメンバーは少しでも稼ぎを増やしたいこの時、この宝箱を開けようと主張して譲らなかった。
結局、多数決の結果、サチとキリトが明けない側へ、他の三人が明ける側に回り、宝箱は開けられる事となった。
かかっていた鍵をシーフのメンバーが解除し、皆が見守る中そのふたが開けられた……瞬間、
GLILILILILYLYLYLYLYLYLYLY!!!
と言うけたたましい音が大音響で鳴り響き、東西と南に有った部屋の入り口から、一斉にモンスターがなだれ込んで来た。
「うわっ!」
「な、なんだこれ!?」
「うわああああああ!!」
「な、何!?」
「っ!」
一瞬パニックに陥りかけるメンバーの中で、最も復活が早かったのはキリトだ。反射的にこれを切り抜けるのは無理であると判断し、即座に叫ぶ。
「全員!クリスタルで脱出だ!!」
まだモンスター達の射程に入るには少しだけ距離が有る。直ぐに転移結晶を使い、街に跳べばギリギリだが間違いなく逃げ切れる……はずだった。
「転移!な、何でだ!?転移!転移!」
「き、キリト!クリスタルが使えないよ!」
「なっ!?」
「う、嘘だろ!?こんな……!」
「うわ、く、来るなぁぁぁっ!!!」
罠は二重だった。
部屋全体が、結晶系アイテムを無効化する《結晶無効化空間》に設定されていたのである。
当然転移結晶がその効力を発する事は無く、脱出はモンスターをアラームの元凶である宝箱を壊し全て倒す事でしか不可能となった。
しかし突然の事にメンバー全員が(程度に差はあったが)大混乱に陥った上に、部屋を埋め尽くすほどのモンスターが押し寄せて来るのだ。
宝箱に気を払う余裕など無く、キリト達五人は絶望的な戦闘を強いられる事となった。
そして、戦闘開始から五分程が過ぎたころ……
バシャン!という、プレイヤーが死亡した事を知らせる時特有の無情な効果音が、キリトとサチの耳に、三度目の不快な刺激をもたらした。
────
「嫌ああああぁぁぁぁぁぁ!!」
「くっそぉおおおぉぉおおぉぉ!!」
サチの悲鳴が響き、キリトの絶叫が轟く。そこらじゅうを埋め尽くすモンスターに対し、キリトとサチは必死の抵抗を続けていた。
既に仲間達三人は絶望の表情と共にその魂を砕け散らせ、その状況にキリトは恐慌し、今までは隠していたため出さなかった上位のソードスキルの乱発する事で周りのモンスター達を次々にポリゴン片に変えていた。
せめて、せめてこの少女だけはと。それだけを一心に思いながら少年は必死に剣を振り続ける。
しかし、なまじ数が多すぎた。
何しろ、前後左右有りとあらゆる方向から、無数のモンスター達が迫って来るのである。対応などしきれる訳も無く、次第にサチの周りにモンスターが群がり、彼女を、サチのHPを飲み込み始める。
長槍使いであるサチは、本来剣士であるキリトやテツオの陰に隠れ後ろから射程の長い突き攻撃によって攻撃を行う役目であるため、懐に入られれば殆ど抵抗する術が無い。
そして周りの埋め尽くすモンスターを相手に接近されずに戦う力など、サチに有るはずも無かった。
必死に槍を振り回しても、焼け石に水。徐々にキリトのカバーが間に合わなくなって行き、周りから攻撃を受ける回数が増えて行く。
HPが、サチの命の残量が確実に減って行くのが、サチにもキリトにも分かった。
このままで行けば、確実に自分は死ぬのだろう。と、サチはどうしようもなくそう悟らざるを得なくなる。
それはサチにとって恐怖以外の何物でも無く、考えるだけで悲鳴を上げそうになるし、涙だって今にも溢れ出しそうだ。
しかし、「死」が目の前に迫るこの状況の中で、サチの妙に冷静な部分は、こうも考えていた。
自分は死ぬ。ならば、キリトに伝えなくてはならない。
眼の前で、自分のために必死になって剣を振り続ける。この、とても優しい少年に……貴方のせいではないと。
自分に生きる意志が足りなかったからこんな事になったのだと。
SAOで生きるために必要な事。自分が見つけた答え。「生き残ると言う意思」が自分に足りなかっただけなのだと。
この少年が自分の弱さのせいで、彼自身を責めないように。
彼自身の生すらも諦めてしまわぬように。
彼の優しさで、もっとたくさんの人が救われるのだから。
ただ……「生きてほしい」と、伝えなくてはならない。
キリトの眼を真っ直ぐに見て、手を伸ばそうと右手を動かす。
その時、ひときわ大きな斧型の武器を持った豚鼻のモンスターが、赤い眼を輝かせて、得物を振り上げるのが視界の端にちらりと見えた。
──死ぬ
考えるまでも無く、それが分かった。自分のHPはすでに赤の危険域にまで割り込んでいる。
今、あんないかにも威力の高そうな攻撃を受ければ、自分のHPは間違いなく0になるだろう。
即ち、死ぬのだ。
諦めた途端、恐怖を感じつつも、冷静な自分が意識の中で妙に肥大する。
とたんにふと、一人の青年の顔が頭に浮かぶ。
自分がまだ何も知らなかった時に出会い。何時からかずっと、心の中何処かで思い続けて来た、一人の青年の姿。
モンスターの腕に、力がこもる。
久しぶりに会えた時嬉しかった、でもこんな世界で有ってしまった事がどこか悲しくて、けれどそれよりも同じ世界に彼がいる事で、何処か安心した。
そして……その日の夜、色々な気持ちがごちゃ混ぜになった涙を流した。
キリトの眼が絶望に染まる。サチは、口を開く。
いずれ自分が死んでしまうだろうことは、自分でも感じていたのに……後悔するのなら、もっとたくさん話しておけばよかっただろうか……?
不思議な物だと思う。あれだけ怖かった死が目の前に有ると言うのに、あの顔を思い浮かべているとその怖さが殆ど無い。
『あ……やっぱり私、本当に駄目だ……』
今更になって……この世界で、絶対に生き残りたいと思えるなんて。
鉄の凶暴な輝きを持った銀閃が、空気を切り裂いた。
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