ドリトル先生の長崎での出会い
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第十一幕その五
「それで自分だけで品性も学ばないなら」
「そうなるね」
「とんでもなく悪い人になるね」
「それも醜い」
「そうなるね」
「そして人を騙して利用することも平気だから」
そうであるからだというのです。
「騙される人も出るよ」
「そうなるよね」
「もっと悪いことに」
「根っからの悪人だとね」
「人を騙すことも平気だしね」
「そして悪知恵をね」
そう言われるものをというのです。
「ひたすら備えていくから」
「それを使ってね」
「どんどん悪いことをするね」
「まさに世の害にしかならない」
「そんな人だね」
「そんな人がいるんだよ」
世の中にはというのです。
「信仰を持たないでね」
「そんな人になりたくないわね」
「そして近寄りたくないね」
「絶対に」
「そうしたいね」
「うん、なったらね」
そうしたとても悪い人にというのです。
「何時かこのうえない報いを受けるよ」
「神様仏様からね」
「そうなるね」
「絶対にね」
「その人は信じていなくても神様仏様がいるから」
「だからね」
「そうなるよ」
絶対にというのです。
「見ているからね」
「神様仏様がね」
「例え大勢の人を騙せてもね」
「神様仏様は騙せないから」
「悪事を見られて」
「裁かれるね」
「天網恢恢疎にして漏らさずとも言うね」
先生はこの言葉も出しました。
「悪事は隠れてこそこそやってもね」
「神様仏様が見ていて」
「それでだよね」
「報いを受けるね」
「絶対に」
「まして堂々と公の場でやっていたなら」
それならというのです。
「受けない筈がないよ」
「そうだね」
「本当にね」
「そうならない筈がないね」
「絶対に」
「そうだよ、そうならないと思うならね」
それならというのです。
「その人は人でも生きものでもないよ」
「もうね」
「堂々と悪事をやり続けてね」
「それでどうにもならないって思うなら」
「人でも生きものでもないね」
「例え絶大な財産や権力があってね」
そうであってというのです。
「法律を意のままに出来ても」
「それでもね」
「本当に神様仏様は見ているから」
「だからね」
「それでだね」
「確実にね」
それこそというのです。
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