ドリトル先生の長崎での出会い
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第十幕その十
「どれだけよかったか」
「全くだね」
「当時のアメリカは確かに人種的偏見が強くて」
「中尉よりも遥かに酷い人もいたけれどね」
「後で排日移民法なんてとんでもない法律が出来て」
「二次大戦の時は西海岸の日系人の人達は収容所に入れられて」
「大変だったけれどね」
それでもというのです。
「ちゃんとだよ」
「シャープレスさんみたいな人もいて」
「正しいことを言って行っていたね」
「そうした人もいたんだね」
「そうだよ、日系人を収容所に送った時も」
その時もというのです。
「日系人の人達を守った知事さんがいたよ」
「そうだったね」
「それも偏見に満ちた群衆の前に出て」
「それで堂々と言ったね」
「日系人の人達を守ることを」
「ハーストみたいに偏見を煽ったマスメディアもあればね」
それと共にというのです。
「その知事さんみたいにだよ」
「身を挺して守った」
「正義を貫いた人達がいたね」
「偏見を持たなかった人達が」
「そうだったね」
「一つの正義は百の邪悪に勝るというけれど」
それと共にというのです。
「まさにだよね」
「そうだね」
「スズキさんがいてくれてね」
「シャープレスさんもいてくれて」
「それでだね」
「それだけでも救われていたね」
「そう思うよ、そしてね」
先生はお顔を少し上げてお空を見ました、そのうえで皆にこんなことを穏やかな声で言ったのでした。
「スズキさんはきっと蝶々さんの冥福を祈って」」
「それでだね」
「シャープレスさんもだね」
「蝶々さんの息子さんの為に尽力したね」
「きっとね」
「その筈だよ」
まさにというのです。
「あの人もね」
「息子さんも孤独じゃなかったね」
「シャープレスさんがいてくれて」
「当時ハーフってアメリカでも珍しくて」
「何かとあっただろうけれど」
「それでもね」
そうであってもというのです。
「きっとね」
「あの人もだね」
「孤独じゃなかった」
「お家に暗い影があっても」
「それでも」
「その筈だよ」
こう言ったのでした。
ページ上へ戻る