八条学園騒動記
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第七百八十話 好色一代男その三
「人間四十代からそうした欲はな」
「ああ、衰えるらしいね」
「そうらしいからな」
「何でも食欲もだね」
「ああ、そっちもな」
歳を経ると、というのだ。
「衰えるらしいな」
「うん、けれどこっちは」
食欲はというのだ。
「運動してるとね」
「身体を動かしているとな」
「普通にね」
それこそというのだ。
「お腹空いて」
「食べられるな」
「沢山ね、けれどね」
「そっちはか」
「本当にね」
それこそというのだ。
「僕も聞いてるよ」
「歳を取ると衰えるな」
「そうなるってね」
その様にというのだ。
「特に四十代以降は」
「そうなるな」
「そしてね」
そうなりというのだ。
「還暦位になると」
「もうな」
「かなりね」
それこそというのだ。
「衰えるらしいね」
「そうみたいだな」
「まあ八十でも子供作る人いるけれど」
この時代の連合ではわりかしあることである。
「それでもね」
「八十になるとな」
「さらにね」
還暦、六十の頃よりもというのだ。
「そうした欲落ちてるよ」
「そうなるな」
「昔は五十を過ぎると」
「人間五十年だったな」
「そう、そして」
それにというのだった。
「豊臣秀吉さんもね」
「あの人五十過ぎて子供出来たな」
「あれ一説には」
ベンはこう前置きして話した。
「秀吉さんのお子さんじゃないってね」
「言われているか」
「そう、お二人いたけれど」
それでもというのだ。
「その実はね」
「どちらの人もか」
「秀吉さんのお子さんじゃないってね」
「そんな説があるんだな」
「実際あの人五十を過ぎてから」
それからというのだ。
「身体衰えていたそうだし」
「衰えた身体でか」
「お子さん二人も作るなんて」
「ないか」
「徳川家康さんは違ったけれどね」
六十一歳で子供を作っている。
「そうだけれどね」
「秀吉さんは衰えていてか」
「とてもね」
それこそというのだ。
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