冥王来訪
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第三部 1979年
戦争の陰翳
柵 その4
前書き
アイリスディーナに、19歳の乙女らしいことをさせました。
色恋に興味のある年齢なのに、そういう事が出来ない世界ってかわいそうだなと思って、こういう話を書きました。
ふたたびマサキたちがいる日本に視点を戻してみよう。
米ソの陰謀をよそに、極東の日本は静かだった。
ニューヨークとの時差が14時間ある京都では、6月29日の夕方を迎えつつあった
今回の篁家へのアイリスディーナの訪問は、各機関によって綿密に計画されたものだった。
マサキが異世界人であることに葛藤し、自分自身の中で折り合いがつかず、何時までも気になる女性に手を出さないことに業を煮やしての措置だった。
マサキ自身は、一度目の死亡時、壮年だったこともあって、秋津マサトの若い肉体に違和感を感じざるを得なかった。
気にしていたアイリスディーナやベアトリクスの事は、どうしても自分が老齢に達した人間である事を意識し、引け目に感じていた。
その他にも、外国人であることや文化的な差異、生まれてくる子供の立場等を考えて、遠慮しがちになっていた。
そこで、白羽の矢が立ったのが篁だった。
篁は米人であるミラを妻に迎えているので、マサキを遠回しに説得できると思い、御剣が密かにこの計画を進めていたのだ。
夕飯が出来上がるまでの間、アイリスディーナは篁夫妻と歓談を続けていた。
一緒に来ていたマサキは、自分中心の話が出来ないので、途中から転寝をするほどだった。
「どうして、ミラさんは将来が約束されていたグラナンの研究職を捨てたのですか?
あそこに残っていれば、今よりもずっと自由な暮らしが出来たでしょうに……」
とりとめのない雑談が2,30分続いた後に、アイリスディーナは、ミラの退職について問いただした。
アイリスディーナの関心は、ミラの仕事に関することではなかった。
大企業グラマンの設計師の一人である彼女が、なぜ結婚を機に引退したという事であった。
大学院卒でキャリアウーマンのミラが、いとも簡単に仕事を捨て、家庭に入ったのが受け入れられなかったのだ。
人不足の東ドイツでは、1960年代半ばから婦人の労働参加が積極的に進められていた。
1980年代末の統計では、婦人の9割近くが何かしらの労働についている状態だった。
大体の職業婦人は、既婚か、離婚歴のある場合が、一般的であった。
公務員も同じで、警察などの法執行機関や軍隊でない限り、女性は出産後も元の職場に残って働いていた。
東独政府は人口維持の観点から、出産を推奨しており、一時金を払う制度を設けていた。
そして企業などにも託児所や保育施設の設置を義務化しており、家庭に居なくても子供を育てられるようにはなっていた。
主婦はいることはいたが、大体が家庭内で内職をするような自由業者か、小規模な自営業者だった。
有閑マダムの様なものは、前近代の遺物とされ、ある種の偏見が生まれていたのだ。
ミラの表情は一瞬強張った。
その直後、笑い飛ばしながら、アイリスディーナの疑問に答えた。
「面白いことをいう子ね」
ミラは、あいまいな笑みを浮かべながら続ける。
「私が単純にタダマサと一緒になったのは、自分の将来を考えての事よ」
それに対してアイリスディーナは何も言わず、真剣に聞き入っている様子だった。
マサキは、その話を聞いて、ふと前の世界の事を思い出していた。
婦人解放運動で、本当に女性は幸せになったのであろうかと。
女性が充実したキャリアを持つには、高校は無論のこと、大学や大学院に進む必要がある。
大学を出た後、企業や公的機関に就職し、そこから結婚をして、子供を設ける。
それが日米を代表とするG7諸国の一般的なキャリアウーマンの道だ。
ただそれを行うとどんなに早くても、女性は24歳以上になってしまう。
就職して2,3年すれば、27、8歳だ。
そうすると今度は子供を持つのが必然的に遅くなる。
前の世界では30歳前後の出産が一般化したせいで、高齢出産の年齢が5歳引き上げられたほどであった。
30歳前後でも健康な子供は生めなくはないが、生める子供の数は限られてくる。
仮に就職から結婚の期間が短くても、育児資金をためるために妊娠の時期を遅らせることが考えられる。
そうすると、今度は子供より親の介護や自分自身の老後を考えるしかなくなってくる。
必然的に子供を持つ数が減ってくるという負のスパイラルに入ってくる。
先進国の宿痾ともいうべき問題だ。
アイリスディーナがその辺に疎いのは、ソ連東欧圏という早婚の文化の中に育ったためであった。
ロシア人などは、婚姻可能な18歳前後で結婚し、若いうちに子供を産んでおく文化が一般的だ。
ただ近年は社会の変化で少子化の傾向も出てきており、第一子と第二子の年齢が10歳ほど離れているのが一般的である。
そしてある程度の年齢になると結婚していないのを以上ととらえる習慣も大きいだろう。
その為、20歳前後で結婚し、二人ほど子供を持った後、離婚するのザラだった。
ソ連や東欧の結婚制度では、余計な裁判や手続きなしに簡単に離婚できたためであった。
そして婦人の社会進出が進んでいたので、現金収入の手段が西側より多かったのもあろう。
ただしソ連の場合は、都市部の話であって、僻地や寒村では19世紀の様な状態が続いているとも聞く。
マサキは、篁とミラの結婚年齢の事は気にならなかった。
30歳の夫と27歳の妻というのは、平均的な日本人の婚姻年齢であり、また米国人の婚姻年齢であったからだ。
ただそれは2020年代の感覚である。
1970年代では、アメリカ人男性の平均結婚年齢は24歳、女性は22歳が一般的だった。
篁はともかくとして、ミラが婚姻年齢を気にしていたのはそういう事情があったのだ。
また東独では最も新しい1987年の統計でも夫25歳、妻22歳であり、世界的に25歳前後で結婚するのが普通だった。
だからアイリスディーナは、ミラが2年ほど前に結婚したと聞いて、驚いていたのだ。
早婚の文化圏に生まれ育った彼女の感覚からすれば、篁もミラも遅い結婚だった。
マサキが子供のおままごとと言っていたユルゲンとベアトリクスの結婚はよくあるもので気にならなかったのだ。
むしろ、25を超えて独身だったマライ・ハイゼンベルクなどは、東独社会では異質だった。
20歳を過ぎた女性が独身でいると、いろんな意味で変人の扱いだった。
逆に西独では初婚年齢が遅れる傾向にあった。
1989年の統計によれば、夫28歳、妻26歳だった。
妙齢のココットなどがマサキに粉をかけてきたのにはそういう理由があったのである。
東独と違い、西独では専業主婦が一般的だったので、職業婦人といえば独身が基本だった。
その為、国家公務員のキャリアウーマンなどは独身が多く、シュタージのロメオ工作員の餌食になった。
人生の大半を自己実現に使ってきた彼女たちは、シュタージ工作員の手練手管に圧倒され、簡単に協力者になった。
中には結婚詐欺に近い状況や、スパイになった事を恥じて命を絶つという事態になることも多かった。
だが大多数は自己保身のため、事件化せずに、シュタージやKGBの暗躍を許してしまう事になった。
そういう時代だったので、BND対ソ部長を務める女性がシュタージ工作員であるという悲劇が起きる遠因となった。
自由社会であった英米もまた、婦人解放運動のあらしが吹き荒れた。
それまで既婚女性の雇用が禁止されていた公務員にも雇用が認められ、男女間の不当な格差は排除される傾向にあった。
婦人参政権は1920年代にすでに実現していたが、医師や弁護士、建築士や設計士などの知識層に門戸が開かれたのは遅かった。
1970年代にはいると雪崩を打って女性がそれらの仕事に就いたが、性差別や猥褻行為は無くならなかった。
だが時代が進むと男女平等が徹底され、それまで認められていた扶養控除や出産手当が性差別とみなされるようになった。
そして、欧米の行き過ぎた性解放運動は、プロ野球やサッカーのリーグまで及んでいる。
男性のみのプロサッカーチームはおかしいとか、プロ野球に女子選手がいないのは差別といった具合である。
この流れは、今日、世界中を荒らしまわっているポリティカル・コネクト運動へとつながっている。
白く化粧をした共産主義である婦人解放運動を何処かで止めねば、この世界の女性の多くは不幸になるだろう。
キブツという共産主義的な共同体での実験を行ったイスラエルでさえ、職業の性差は解消できなかった。
恐らく女性が家庭に入って、家族のサポートをするのは脳の本能であると、なぜ気が付かないのか。
マサキは深い憂慮の念とともに、ため息をついた。
一斉にテーブルに置いてあるグラスに、琥珀色の液体が注がれる。
篁とマサキのグラスはコニャックで、ミラとアイリスディーナのグラスはジンジャエールだった。
「それでは乾杯!」
乾杯をすると、一斉にワイングラスを傾ける。
コニャックをおいしそうに飲むマサキを見ながら、興味を示した。
「私も、ちょっと試しに飲んでもいいかな」
「アイリスディーナさん、19歳でしょ?
貴方には、まだ早いわ」
これはミラなりの配慮だった。
未成年者のアイリスディーナに酒を出してはいけないという、如何にも清教徒の米人らしい発想だった。
「私は19歳です。子供じゃありません」
アイリスディーナは、東独の法律ではすでに成人年齢である18歳だったので、この配慮に違和感を感じた。
ミラの言に対し、マサキが補足するようなことを口走る。
「東ドイツでは18歳が成人かもしれんが、日本では20歳、米国では21歳だ。
ローマではローマ人のなすようになせとの諺もある。
アイリスディーナ、素直に応じるべきだな」
マサキの表情は、いつになく真剣だった。
ユルゲンとアイリスディーナの父、ヨーゼフがアルコール中毒に因る不具廃疾になっていたからである。
ここできつく戒めておかねばならないという、老婆心からだった。
「若すぎる飲酒は、まず大脳皮質を委縮させ、知能の低下を生じさせる。
肝臓や膵臓といった様々な内臓を痛め、一生涯苦しむ遠因になる。
何より、内分泌機能に異常を生じさせやすくなる……
簡単に言えば、月経不順になりやすく、若年不妊や流産や早産の危険性を増大させる。
つまりは、欲しい時に、望んだときに子供が出来ない体になる可能性が高い……
お前のような優れた女が、子を持つことすらできないのは非常な損失だ。
社会にとっての、いや国家にとっての、俺にとっての損失だ」
アイリスディーナの頬は、見る見るうちにリンゴのように赤くなった。
きわどい話をしているのはマサキなのに、聞いているアイリスディーナの方が恥ずかしくなった。
「米国での43000人に実施した疫学調査では、若年期の飲酒はアルコール中毒になりやすいという結果が出ている。
そして多量の飲酒は、不適切な性行動を誘発しやすく、またそういった事例に巻き込まれやすい。
望まぬ相手に、操を奪われるような真似はしたくもなかろう」
脇で聞いていたミラは、酔ったように顔を赤くする。
他人がいるときにしていい話だろうかという気持ちに、ミラはおちいっていたのだ。
「つまり、未成年の不適切な飲酒の影響は、非常に大きい。
本人の心身の健康障害だけでなく、その家族や周囲の人にも関わる重要な問題なのだ。
判ってくれたかな、アイリスディーナ」
アイリスディーナは、目元まで赤く染めながらうなづく。
「はい。わかりました」
話し終えたマサキは、ミラとアイリスディーナの表情を見て驚いた。
科学者として不妊の危険性という一般的な事を言ったのに、どうやら性的な話と拡大解釈して照れたのだな。
事情を把握した後、マサキは苦笑いを浮かべるしかなかった。
暮れていく夕陽を見ながら、マサキは酒杯を傾けた。
銘柄は、マルセル・ダイスの白。
篁が用意してくれた77年物のアルザスワインで、輸入物であるが比較的廉価な商品だった。
――アイリスディーナと逢瀬をした後は、何かと事件に巻き込まれる。
そんな考えが、マサキの頭をよぎる。
最初の時はKGBによる美久の誘拐で、2度目は着陸ユニットの接近だった。
二度あることは三度あるのか、それとも三度目の正直か。
マサキは苦笑しながら、ワイングラスを置いた。
夕食は、ウナギのかば焼きだった。
関西風に腹開きではなく、関東風の背開きだった。
これは篁家の料理人が、武家である篁に配慮した結果だった。
しかし、今回の訪問でミラが用意したものは何もかもがメッセージのあるものだった。
ワインは独仏が権益を求めて争った係争地のアルザス・ロレーヌ地方のもの。
昼間に出された茶器は、ハンガリーのヘレンドの磁器だった。
ヘレンドは、ドイツのマイセンの模倣品を焼く窯から発展した国営の磁器工場である。
マイセンは、景徳鎮や有田の磁器の模倣品である。
いわば昼間のヘレンド茶器は、今風に言えば、ブランドコピーのスーパーコピー品なのだ。
しかも時期の説明をする際、厭味ったらしく、最近は量産傾向にあり質が若干落ちたとまで付け加えたのだ。
統一後のマイセンに比べれば、費用対効果を無視した高品質ではないかとマサキが言いかけるほどだった。
それにしても、今夜のウナギのかば焼きには何かしらの政治的メッセージがあるのだろうか?
他の副菜を持っている皿は、全て有田焼の柿右衛門だ。
まるでドイツ人のアイリスディーナへの当てつけの様だ……
貴方の国・東ドイツは贋作づくりの国なのよと……
「なあ、ミラ、ウナギのかば焼きなどだして、何か意味があるのか」
政治の世界では、ウナギのかば焼きは意味のあるものだった。
50年ほど前まで家庭用の換気扇がない時代は、玄関先や店先で魚を焼くのが一般的だった。
うなぎ屋の前を通った客は、白焼きのきつい香りやかば焼きの何とも言えない甘い香りがして、つい店の中に入る。
いくら待っていても、ウナギのかば焼きが出てこない。
あるいは、かば焼きが出てきても小ぶりなものしかない。
いくら待っても見のある結果がないことを指して、鰻香と称した。
歴史用語でも鰻香内閣という言葉があるほどだ。
同事件は、1914年(大正3年)の山本権兵衛内閣のシーメンス事件による総辞職後に、枢密院顧問官清浦奎吾が組閣の大命降下を受けながら辞退に追い込まれた騒動を指す言葉だった。
また、戦後の日ソ交渉でもその言葉が多用された。
ソ連はことあるごとに北方領土返還をにおわせ、援助やシベリア開発を名目に多額の資金を日本側からかすめ取った。
日本側は数十億円単位の金を持ち出されながら、領土交渉は進まなかった。
そのことを外務官僚が、ウナギのかば焼きと称したほどである。
ミラは暗にフェニックスミサイルの事は教えませんよと、自分にメッセージを送っているのだな。
マサキはそう理解すると、アルザスワインの香りを娯しんだ。
後書き
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