魔法戦史リリカルなのはSAGA(サーガ)
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【第一部】新世界ローゼン。アインハルト救出作戦。
【第6章】ベルカ世界より、いよいよ新世界へ。
【第3節】古代ベルカに関するエドガーの講義。
〈スキドブラドニール〉が亜空間から通常空間に降りた後、ヴィクトーリアとコニィを除く一同が談話室からホールへ移動してみると、そこにはいつの間にか学校の講義室のような感じで「片側四~五人掛けの細長いテーブル」が横向きで前後に四つ並べられていました。椅子は、最前列から順に、四脚、五脚、四脚、五脚と並べられており、ちょうどエドガー以外の18名が座れるようになっています。
一方、正面の大スクリーンには、惑星ベルカの北半球のリアルタイム映像が大写しになっていました。どうやら、静止衛星軌道上のサーチャーから送られて来た画像を拡大したもののようで、映像の上では惑星が全く自転をせずに静止しているように見えます。
まず、ザフィーラが有無を言わさず最後列の真ん中の席に陣取ってしまったので、その両側にはごく自然に、先程まで彼と雑談をしていたカナタとツバサ、マチュレアとフォデッサが座りました。そして、三列目には同じ一貫校を出た例の四人組が席を占め、二列目と最前列では他9名の男性陣がバラバラと席に着きます。
エドガーは私物を取りに少しばかり自室へ立ち寄っていたので、一人だけ遅れて前方の入り口からホールに入りました。そのまま壇上の端に上がり、教卓のような縦長の小さな机の上に、一冊の分厚い本を置きます。
「皆さん、すでにお揃いですね。では、早速始めましょうか。准将からは古代ベルカの文化についての話をするように言われておりますが、ミッドで一般の陸士として働いていると、古代ベルカの歴史に触れる機会もなかなか得られないだろうと思いますから、まずは歴史についてもごく大雑把に触れておきましょう」
以下、エドガーの講義は30分あまりに亘って続きました。
「さて、ベルカ世界もミッドチルダと同様、次元世界における『歴史の起点』とも言うべき〈大断絶〉より前の時代には、どうやら、まだ無人の世界だったようです。その後、千五百年ほど続いた『先史ベルカ時代』は、古代ベルカでは〈栄光の時代〉とも呼ばれていましたが、それが具体的にどんな時代であったのかについては、今ではもう全く解らなくなってしまっています。
ただし、『その当時から、ベルカ世界には〈聖王家〉が存在し、〈ゆりかご〉が存在し、他にもさまざまな〈アルハザードの遺産〉が存在していた』ということだけは、歴史的に確かな事実のようです。
そして、今からおよそ千六百年前に〈次元世界大戦〉と呼ばれる事件がありました。『ベルカ聖王家が、禁断の兵器である〈ゆりかご〉を目覚めさせ、アルハザード無き後の次元世界に覇を唱えようとしていた幾つもの有力な世界を一方的に打ち滅ぼした』という大事件です。
それ以降の二百年ほどが、いわゆる〈空白の時代〉ですが、その時代に惑星ベルカは急速に寒冷化し、海面の低下によって〈中央大陸〉も初めてこの画像のような形になりました。それ以前には、細長く伸びた海によって、この大陸は〈中央島〉とその東西南北にある〈四つの小型大陸〉とに分け隔てられていたのです。それらの土地が、後の〈中央大陸〉でもそのままに、聖王直轄地と四つの州になりました」
エドガーはそう言って指示棒を取り、スクリーンの中心に映った〈中央大陸〉の画像の上に「小さめの中心円」とその四隅から外側に向かって伸びる「四本の斜め線」をかなり正確に描き込んでいきます。
それを見ると、先程までエドガーと親しく話し込んでいたフェルノッド陸曹が、最前列から思わず砕けた口調でこんな感想を述べました。
「北部州って、こんなに小さかったんですか?」
よく見る地図では、北部州の方が南部州よりもかなり大きく描かれているのに、スクリーンには、むしろ南部州の方が北部州よりもだいぶ大きく映し出されていたのです。
エドガーは、そんな突然の質問にも、実にすらすらとこう答えました。
「私たちが普段から見慣れている平面上の地図は、おおむね円筒図法の類で描かれたモノなので、緯度の高い場所ほど東西に、そして、しばしば南北にも、大きく拡大されてしまっています。
一方、この画像は赤道のはるか上空から惑星全体を見下ろしている映像なので、中心点から遠くへ離れた場所ほどひどく斜めに見ている形になり、結果として、大陸の北側や東端部や西端部は『実際の大きさ』よりもだいぶ小さく見えているのです。……え~っと。艦橋の担当者の方、聞こえますか?」
エドガーが宙に向かってそう語りかけると、『はい、どうぞ』と、機械のように無機質な音声が何処からともなく即座に返って来ました。
「中央大陸の実際の大きさと形を、この画像の上に同じ縮尺で重ねて見せることは可能でしょうか?」
「はい、可能です」
スクリーンには、ほとんどタイムラグ無しで、エドガーが要求したとおりの映像が出ました。大陸の中心点同士を一致させているので、南岸部は少しだけ、東岸部や西岸部や北岸部はもっと大きく、それぞれの方向に拡大された形の映像となります。
「ありがとうございました」
エドガーは、名も顔も知らぬオペレーターに一言礼を言ってから、講義に戻りました。
「こうして見れば解るように、実際には、北部州と南部州はおおよそ同じ広さです。東部州と西部州もおおよそ似たような広さで、南北の二州よりは少し広くなっており、大陸全体では、ミッド〈第一大陸〉のおよそ2.6倍の面積となっています」
【地球の単位で言うと、北部州と南部州がそれぞれ460万平方キロメートルほど。東部州と西部州がそれぞれ570万平方キロメートルほど。中央の聖王直轄地は、せいぜい40万平方キロメートルといったところでしょうか。
(ちなみに、日本の国土面積は、全部で37万8千平方キロメートルほどです。)】
「さて、今からおよそ千四百年前に、〈空白の時代〉が終わり、『古代ベルカ時代』が始まった訳ですが……古代ベルカの最盛期、いわゆる〈第一中間期〉の末には、総人口も現在のミッドの2.6倍に近い25億人余に達していました。ユーノ・スクライア教授の推計によれば、『東西と南の三州にそれぞれ7億人あまりが、北部州にはその半分ほどが、中央の聖王直轄地には数千万人が、それぞれ暮らしていただろう』とのことです。
どうやら、北部州では気候が厳しかったため、面積は南部州と同じでも、同程度の人口を養うことはできなかったようですね。まあ、『だからこそ、グンダハール王国のエルデンクロース王家は、〈第二戦乱期〉の最中に北部州を統一することができた』とも言える訳ですが」
「その第二戦乱期というのは、具体的にはいつ頃のことなんですか?」
レムノルド(18歳)の「今さら」な問いにも、エドガーは面倒くさがること無く、次のように答えました。
「昔は、『千年以上も前から聖王戦争の時代に至るまで、八百年ちかくにも亘って一連の〈古代ベルカ戦争〉が延々と続いていた』かのように思われていましたが、近年になって、その八百年ちかくの間には、『実は、大陸全体規模での戦乱は起きていなかった、比較的平和だった時代』が二回、それぞれ240年ほど続いていたことが明らかとなり、ユーノ・スクライア教授はそれらを〈中間期〉と名付けました。
つまり、古代ベルカ歴で言う『およそ241年から1031年までの790年間』は、実際には『五つの時期』に分かれており、現在では、おおよそのところ、第一戦乱期が120年ほど、第一中間期が240年ほど、第二戦乱期が140年ほど、第二中間期がまた240年ほど、最後に、〈聖王戦争〉の時代である第三戦乱期が50年ほど続いたものと考えられています。
今年は新暦95年で、古代ベルカ歴に換算すると1393年ですから、古代ベルカ歴で600年頃から始まった〈第二戦乱期〉は『800年ちかく前から660年ちかく前までのこと』という計算になります。ミッドで言うと、『旧暦以前』の時代ですね」
【実際には、第一戦乱期は古代ベルカ歴300年頃から始まり、ほんの60年ほどで終了していたのですが、そうした史実が正確に把握されるのは、新暦96年に〈冥王イクスヴェリア〉が覚醒し、そのように証言してくれた後のことになります。】
「この第二戦乱期は最も長く続いた戦乱期であり、この時代には数多くの貴重な歴史資料が失われてしまいました。そのため、私たちが『古代ベルカ』という用語から普通に連想できるような状況や物事は、実のところ、その大半が『第二中間期以降の、言わば「古代後期」のモノ』であり、少し大袈裟に言うならば、第二戦乱期以前のベルカとは、『我々がまだ知らない「古代前期」のベルカ』なのです。
その一方で、私たちがこれから赴く〈新世界ローゼン〉は、おそらく『古代前期』のベルカ文化を今もそのままに伝えている世界であり、時間さえかければ、歴史的文化的な面でとても多くの知見が新たに得られることでしょう。実は、そうした可能性こそが、『管理局が新世界にこれほどまでに強い関心を寄せている理由』のうちの一つなのです」
エドガー自身は『他にも何かしら理由があるに違いない』と推測していたので、『理由のうちの一つ』という言い回しになったのですが……実のところ、彼も「他の理由」については、『今はまだ具体的には見当がついていない』という状況でした。
(彼等は、まだ〈ルートメイカー〉の存在それ自体を知らされてはいないのです。)
そこで、バラム陸曹がふとした疑問を述べました。
「ところで、今のお話に出て来た『ユーノ・スクライア教授』というのは、一体どういう方なのですか?」
それを聞くと、エドガーは『その一言を待っていた!』とばかりに、彼としては珍しいほどの熱量を込めて、平素よりもわずかに速い口調で語り始めます。
「皆さんには、『無限書庫の総合司書長だ』と言った方が解りやすいかも知れませんね。一般的には、まだそれほど知名度の高い方ではありませんが、学問の世界では、三十代にしてすでに高名な学者となっている方です。
教授は、歴史や言語や哲学を中心として実にさまざまな分野に精通しておられますから、後世の歴史書には、必ずや『ユーノ・スクライアはこの時代のミッドを代表する〈知の巨人〉である』と特筆されることでしょう。
実のところ、〈大脱出〉の終了後は長らく『無人の世界』となっていたベルカ世界に対して発掘調査が解禁されたのは新暦76年、今からほんの19年前のことなのですが、そのわずか8年後には、ユーノ・スクライア教授は早くもこの『歴史的な名著』を世に送り出しました」
エドガーはそう言って、わざわざ部屋から持って来た一冊の分厚い本を教卓の上に立てて、その表紙の『古代ベルカ通史の再構築』というタイトルを皆に見せました。
「この著作が刊行された当初は、学者たちの間でもいろいろな議論が巻き起こったようですが、それから間もなく、この著作の内容がそのまま学会の通説となりました。実は、私が今お話しした『中間期』や『戦乱期』といった用語も、ユーノ・スクライア教授がこの著作で初めて用いた用語なのです。
個人的な話で恐縮ですが、私はつい先日、〈本局〉で教授と直接にお会いする機会に恵まれ、11年前に購入したこの初版本にサインをいただいて来ました。(ドヤァ)」
エドガーは嬉々としてハードカバーの表紙を開き、さらにページをめくって、いかにも誇らしげに「ユーノ・スクライア」のサインを皆々に披露します。
そのドヤ顔に、カナタは内心、ちょっと引いてしまいました。
《うわあ……。エドガーさんの、司書長さんに対する評価が熱すぎる……。》
《しかし、よくよく考えてみれば、私たちは、なのは母様やヴィヴィオ姉様のコネで特別に親しくさせていただいているだけなのであって……多分、一般世間では、こちらの方が『本来の、あるべき評価』なんでしょうねえ。》
ツバサの感想はごく正当なものでしたが、カナタはまだ少し腑に落ちないような表情をしていました。
「いや、サインも驚きですが……今でも、パルプでできた『紙の本』って、あるところにはあるんですねえ」
レムノルドは、素直に感嘆の声を上げました。おそらくは、今時の若者らしく、紙に印刷された本など、もう何年も読んだことが無いのでしょう。
「現代は『大半の著作物が最初からデータの形でのみ出版され、いきなり通信用の端末で誰にでも読めてしまう』という時代ですが、そんな時代だからこそ、パルプはステータスなのです!」
「ステータス、ですか?」
レムノルドが『ちょっと意味が解らない』という表情を浮かべたので、エドガーはひとつわざとらしい咳払いをしてから、以下のような説明を加えました。
「余談になりますが、近年のミッドでは、幼児向けの絵本などを除いて『紙の本』を目にする機会がほぼ無くなってしまったことについても、少しだけ御説明しておきましょう。
皆さんも御存知のとおり、ミッドチルダでは古来、第一大陸にしか人間は住んでいなかったのですが、今からおよそ170年前、旧暦の時代の末期に〈統合戦争〉が始まると、有事にはいろいろな物資が平時よりも多めに必要となるので、第二大陸の北東部には主に鉱産資源と森林資源を得るために『資源供給特区』が設置されました。
そして、実は今もなお、ミッドで消費されているパルプの大半は、この特区で計画的に植林され、伐採された樹木から製造されたものなのです。
しかしながら、現在、ミッド中央政府の政策論争としては、しばしば『今はもう有事ではないのだから、これからは資源供給特区を順次縮小し、本来の自然保護区に戻してゆく方向で政策を考えていった方が良いのではないか』といった提案がなされています。
実際に、ミッド中央政府も新暦の時代になってからは、一貫してパルプの消費量を減らそうと努力を続けており、この数十年間で書籍の電子化が急速に進んだのも、本来はそうした努力の一環としての作業でした。その結果、今では最初から紙で出版される本は、幼児向けの絵本まで含めて、当局が『これには、森林を伐採するに足るほどの価値がある』と認めた内容の著作物に限定されているのです」
エドガーは、前から誰かに言いたかったことをひととおり言い終えると、不意にまたいつもの表情に戻り、そっと本をたたんで講義を再開しました。いつしか、口調も元どおりの冷静なものとなっています。
「では、そろそろ本題に戻りましょうか。……さて、一口に『古代ベルカの文化』と言っても、元々は別個の大陸だったため、後世においても四つの州ではそれぞれ少しずつ文化のあり方が異なっていたのですが……第一次調査隊が取得したデータを見る限り、〈新世界ローゼン〉はおおよそ東部州の文化を継承しているようです。
具体的に言うと……あくまでも『他の州と比較して』の話ですが……相対的に身分の流動性が高く、貴族と平民の間に横たわる『生活水準の格差』もそれほど莫大なものでは無く、庶民も決して日常的に虐げられ続けていた訳では無い、という文化ですね。私たち現代人にとっては、比較的なじみやすい文化であると言って良いでしょう。
もう少し解りやすく言うと……時代はかなり異なりますが……基本的には、一昨年に公開された映画『クラウスとオリヴィエの物語』で描写されていたような感じの文化です。
あの映画における諸々の描写は、歴史学者たちの目から見ても、『身分制度の下での人間関係から、登場する小物に至るまで』相当に正確だったという話ですが……。ところで、皆さん。あの映画はもう御覧になりましたか?」
試しに、エドガーがそっと右手を挙げてみせると、ザフィーラも含めて全員が同じように右手を挙げました。
ゼルフィ「私の兄夫婦もあの映画の大ファンで、昨年の春に男の子が生まれると、迷わずその子のミドルネームをクラウスにしました。(苦笑)」
ガルーチャス《何という俗物!(笑)》
ノーラ《う~ん、同族嫌悪かな?(笑)》
ガルーチャス《なんだと、この……。(怒)》
ディナウド《やめなよ、二人とも。(嘆息)》
(上記の4行は「グループ念話」であり、他の陸士たちには全く聞こえていません。)
ジョスカナルザード「そうやって流行に乗った夫婦も、ミッド全体では何十万組もいたらしいねえ。(笑)」
ゼルフィ「まあ、ファーストネームの方をクラウスにしなかった分だけ、ウチの兄貴らはまだマシなんだと思ってやってください。(苦笑)」
こうした(音声上の)会話に、エドガーも思わず表情を崩しました。
「しかし、『他の州の文化よりはマシだ』というだけのことで、ローゼンの社会が中世風の厳格な身分制社会であること自体には変わりがありません。新世界では、皆さんもどうかそのつもりで、現地の貴族との応対などには充分に気を付けてくださいね」
その後も、エドガーは、まずは一般論として「中世貴族社会の爵位や階級」について、次に「古代ベルカの宗教意識」について、さらには「その世界観(マクロコスモスの成り立ちについての考え方)や霊魂観(ミクロコスモスの成り立ちについての考え方)」などについてもごく大雑把に語り、『その多くが新世界にも継承されているはずだ』ということを皆に伝えました。
【爵位は、いわゆる「公・侯・伯・子・男」のことです。なお、古代ベルカの宗教意識や世界観や霊魂観に関しては、「プロローグ 第10章」の「背景設定10」で詳しく述べておきましたので、ここでは繰り返しません。】
そうした「ひととおりの説明」を終えても、まだ少しだけ時間が余ったので、エドガーは最後に幾つか質問を受け付けることにしました。
すると、フェルノッド陸曹が真っ先に手を挙げて、こんな質問をします。
「そもそもの話、第三戦乱期は、何故〈聖王戦争〉などと呼ばれているんですか?」
「それは、ベルカ聖王家という存在が、それまでは常に『戦争の調停者』であり続けていたのに、その戦乱期において初めて聖王家そのものが攻撃の対象となり、戦争の当事者となったからです。つまり、〈聖王戦争〉とは、元来は『聖王家までもが当事者として巻き込まれてしまった戦争』という意味の用語なのです。
その時代に、ベルカ世界は〈聖王連合〉と〈反聖王連合〉に、真っ二つに分かれて相争いました。そうした中で、聖王連合の中核を成していたのが、各州に一つずつの四大同盟国。すなわち、北部州のグンダハール帝国、南部州のガレア王国、東部州のシュトゥラ王国、西部州のダムノニア王国、の四か国だったのです」
エドガーはすらすらとそう答えながらも、指示棒でスクリーンの上に、それら四か国の都のおおよその位置を指し示していきました。
「なお、現在、ベルカ地上に存在する幾つかの発掘調査の現場は、いずれも当時の王都や離宮などの『都市遺跡』が眠る場所なのですが、残念ながら、〈聖王の都〉はまだ正確な所在が不明のままとなっています」
【実際には、第八地区だけは例外で、全くその種の「都市遺跡」ではなかったのですが、その事実は、まだエドガーたちにも知らされてはいません。】
「また、〈聖王〉オリヴィエが〈ゆりかご〉とともにミッドに移ってから10年後、戦乱の正式な終結とともに、以後50年に及ぶ〈ベルカ世界からの大脱出〉が始まった訳ですが、〈剣王〉と〈覇王〉はその直前に死亡しました。
ダムノニア王国の〈剣王〉アルトゥリウス三世は戦場で敵の大将と相討ちになったそうですが、シュトゥラ王国の〈覇王〉クラウス六世は血まみれの姿で独り王宮に戻り、王妃と王子の目の前で息絶えたのだと伝えられています。
なお、グンダハール帝国の〈雷帝〉ダールグリュン四世は当時すでに老齢で、みずから戦場に出ることもありませんでしたが、最後まで聖王家に忠誠を捧げ、滅びゆくベルカと運命を共にしました。ガレア王国の〈冥王〉イクスヴェリア一世だけは消息不明ですが、一説によれば、彼女は今もどこかの世界でひっそりと眠り続けているのだそうです」
エドガー自身は、もちろん、『冥王イクスヴェリアが今はミッドの聖王教会本部で保護されている』という事実を知っているのですが、それは今や『特秘事項あつかい』なので、ここではわざとボカした言い方をしました。
(ザフィーラもすかさず念話で、カナタとツバサに『くどいようだが、イクスヴェリアの件に関しては、彼女自身の身の安全のためにも、一般の陸士たちには決して口外しないように』と言い含めます。)
「ただし、ここで王の名に『何世』と付けたのは、あくまでも現代における仮の呼称です。当時のベルカでは名前もまた財産のように同じ一族の中で継承されてゆくことが多く……まだ生きている親族や、まだ『祀り上げ』が終わっていない祖先の名前をそのまま赤子につけることは、さすがに避けられていましたが……結果として『一族の系譜を読むと、数世代ごとに何度も繰り返し同じ名前が出て来る』という状況も全く珍しくはありませんでした。そこで、古代ベルカでは一般に、王の名には『綽名』や『長い称号』をつけて区別をしていたのです」
「その『長い称号』というのは、具体的にはどういったものだったのでしょうか?」
「そうですね。例えば、冥王イクスヴェリアは当時、少なくとも敵国では、『屍の群れを駆る冥府の炎王』と呼ばれていましたし、同様に、生前の剣王アルトゥリウスも『屍の山を踏む千刃の兇王』と呼ばれていました。
しかし、そうした称号や綽名の類が全く伝わっていない王も多いので、現代では区別のため、仮に『何世』と付けて呼び分けているのです」
そこで、不意に艦橋の方から、こんなアナウンスが入りました。
「上陸部隊の皆様にお知らせします。当艦は、つい先程、准将ほか一名を回収しました。現在は、執務官ほか一名を回収するため、第五地区の上空へと移動中です。
なお、当艦はその回収作業を終えた後、直ちに惑星ベルカの周回軌道から離脱し、そのおよそ1刻後、1500時には新航路に突入する予定です」
それを聞くと、エドガーは小さくうなずき、こう言って皆に発言を促しました。
「それでは、このホールでのお話は、次の質問で最後にしましょう。何か、談話室へ戻る前に訊いておきたいことはありますか?」
すると、マチュレアがいささか躊躇いがちに右手を挙げました。
「あの……ちょっと俗っぽい話でも構いませんか?」
「良いですよ。どうぞ」
「以前、『腹違いの王子らが相争って国が滅びた』とかいう古代ベルカの話を聞いたことがあるんですけど、当時の王族って、フツーに一夫多妻制だったんですか?」
「いいえ。古代ベルカの王族における結婚制度は、一夫多妻制ではなく、あくまでも一夫一妻多妾制です」
《ええ? 何、それ……。》
女性陣の困惑の表情を見て、エドガーはさらにこう説明を続けました。
「個々の用語の意味を学問的に正しく定義するならば、一夫多妻制とは『複数の妻たちが、相続などに関して互いに対等の権利を持っている制度』のことです。しかし、古代ベルカでは、王妃以外の女性は、たとえ個人的には王からどれほどの寵愛を受けていたとしても、法的には決して王妃と対等の権利など認められず、王妃ただ一人が格別の諸権利を保持していました。そうした制度のことを、学問的には一夫一妻多妾制と言います。つまり、『妻と妾の間には、法的に明瞭な格差がある』という制度です。
何故そのような制度が必要だったのかと言えば、一国の王たる人物には是が非でも子供をもうけてもらわねばならなかったからです。子供の一人もいないまま、国王が死んだりしたら、傍系の王族たちの間ですぐに王位継承の争いが起きてしまいますからね。
そのため、古代ベルカでは……もちろん、原則は一夫一妻なのですが……一般に、王妃が三年以上も子宝に恵まれなかった場合に限り、王は妾を取る決まりになっていました。現代では誤解している人たちも大勢いるようですが、これは『個人として、妾を取る権利があった』のではなく、『国家のために、妾を取る義務があった』のです」
《ええ……。》
女性陣はさらなる困惑の表情を浮かべました。その感性は、「ロマンス至上主義」の現代人からはあまりにも遠くかけ離れていたからです。
「もちろん、『王の妾に子供が生まれた後で、王妃にも子供が生まれてしまう』といった事例は幾らでもありましたから、王位の継承順位に関しては、大半の王国に明文規定がありました。原則は、『第一に、男子が優先。第二に、妃の生んだ子供が優先。第三に、年長者が優先』といったところでしょうか。
ただし、こうした原則には、いろいろと例外もありました。例えば、能力や人格に何かしら『見過ごせないほどの問題点』があれば、たとえ王妃の長子でも、後から廃嫡されることもありましたし、また逆に、妾の子供があからさまに有能であれば、『王妃が早い段階でその子を養子に迎え、自分の息子の「兄」として公式に認めてしまう』ということもあったそうです」
「ええ……。それって、実の母親として、どうなんですか?」
マチュレアが、いかにも現代人らしい感想を述べると、エドガーはさらにこう言葉を続けました。
「理念として言えば、どの王国でも最初から、『自分の子孫の繁栄よりも王国の繁栄を優先させることができるような女性』だけを選んで、王妃に迎えていたのでしょうね。また、古代ベルカでは、『王妃の親しい身内』の中から王妃自身の推薦によって妾が選ばれることも多く、王妃と妾の仲は必ずしも険悪なものではなかったと言います。
しかし、実際には、もちろん、そんな理想的な状況ばかりではなく、王妃と妾が互いに対立することもよくあり、そうした対立の結果として、王妃が早くに亡くなって、妾の一人が新たな王妃となった場合には、『前の王妃が生んだ「年少の王子」の継承順位が、後から繰り下げられてしまう』などという事例もありました。
一説によると、〈剣王〉アルトゥリウス三世も、幼いうちに母親を亡くし、随分と継承順位が低くなってしまったために、あの映画でオリヴィエがシュトゥラ王国に預けられていたのと同じように、幼児期には同母の姉とともに、どこか別の国に預けられていたのだと言います」
こうしてエドガーの説明に一区切りがつくと、まるでそのタイミングを見計らったかのようにホールの前の方の扉が開き、はやてとリインの二人が入って来ました。
突然のことで、ホールは不意に静まり返ってしまいます。
「んん? もしかして、何かお邪魔やったか?」
「いいえ、准将。ちょうど今、私の話にも区切りがついたところです」
「それなら、良かったわ。何やら面倒事を押し付けたみたいで、エドガーも済まんかったなぁ」
「いえ。この種の話であれば得意な方ですから、決して面倒と言うほどのことではありませんでしたよ」
「そう言うてもらえると、私としても気が楽や。……ほな、みんなにはこちらからの報告も聞いといてもらおうか」
エドガーの返答に、はやても随分と砕けた口調でそう応えました。ただし、実際の報告はリインの役目となります。
「艦橋を経由するのも、かえって面倒なので、こちらから直接にお伝えします。当艦はつい先程、惑星周回軌道を離脱しました。ヴィクトーリアさんとコニィさんは何やら少し気疲れしたそうで、今は自室で休んでいます。
また、当艦は予定どおりに新航路に入ります。航路の側に若干の問題があって、亜空間に突入した直後に、艦が少しばかり揺れることになるだろうと思いますが、御心配には及びません。皆さんは引き続き、御歓談ください」
「と言うても、ここでは茶のひとつも出ぇへんからなぁ。話の続きはまた談話室でやってや。……ああ、それから、帰りには、今度は『全員で』ベルカに上陸する時間的な余裕もあるやろうからな。みんな、期待しとってや」
はやてがそう言葉を足すと、どっと歓声が湧きました。案の定、大受けです。
こうして、はやてとリインは自室に戻り、総勢19名の男女もまた談話室へと移動したのでした。
そして、〈スキドブラドニール〉は再び1刻ほどかけて惑星ベルカから充分な距離を取った後、いよいよ新世界ローゼンに接続する次元航路に突入しました。
時刻はちょうど15時。
現地ローゼンに到着するのは54時間後、つまり、翌々日(5月10日)の21時の「予定」です。
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