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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
迷走する西ドイツ
  暮色のハーグ宮 その1

 
前書き
 8月中に西ドイツでのスパイ作戦を終わりにしたい。
ということで、予定を変更して、8月25日の15時に急遽、投稿することにしました。
 

 
 鎧衣が、CIA長官に一報を入れてからの米国の動きは早かった。
 後にマサキは、涼宮総一郎の話によって知るのだが、外交筋は対策に乗り出す。
その日のうちに、米大統領府(ホワイトハウス)はブレジンスキー補佐官を呼びつけ、西ドイツへの調査を命じた。
ブレジンスキーは、翌日、ヘンリー・キッシンジャー博士に電話し、事件を調べさせた。
 
 ここで、読者の多くは、キッシンジャー博士とブレジンスキー教授が犬猿の仲ではなかったかと考えておられる方も多いであろう。
 たしかに、キッシンジャーは、米共和党に組みし、リアリズム外交に徹した戦略家であるのは事実である。
国際秩序を安定させるためならば、敵の中共とも手を組む柔軟な戦略家である。
 それに対し、ブレジンスキーは、米民主党の戦略家として歴代民主党政権に影響力を及ぼしてきた。 
 生まれも、育ちも違った。
 キッシンジャーはドイツ系ユダヤ人の移民で、戦前に米国に亡命した人物であった。
 一方、ブレジンスキーはポーランドの草深いベレジャニ(今日のウクライナにある都市)に基盤を持つ貴族の出であった。
一説には、白ロシアあたりのユダヤ系ポーランド人を起源とする説もあるが、さだかではない。
 だから、全く対照的な存在であるのではないかと。
しかし、米国においては、彼らは新天地を求めてやってきた成り上がりの外人であった。
 民主党、共和党に限らず、外交問題評議会や国務省に盤踞する東欧系ユダヤ人という点では、彼らは同志だった。
 世間での評判は別に、ブレジンスキーとキッシンジャーは、個人的な仲は良好であった。
ほぼ同年代で、ドイツ・東欧出身ということもあり、政治的見解も近かった。
頻繁に私的な電話を繰り返し、彼らの政策は、組織的な談合である程度の方針が決められていたのだ。
両人は、名うての反共人士との前評判だったが、実際は反ソ容共人士だった。
 キッシンジャーは、さる会合で、ハーバード大のリチャード・パイプスと同席した。
核不拡散と対中接近は失敗であるという事を詰め寄られると、しぶしぶ認めた。
――パイプス教授は、ブレジンスキーと同様にポーランド系。
ユダヤ人で、ハーバード大にロシア研究センター所長を務めた。
後にレーガン政権で、国家安全保障会議(NSC)ソ連・東欧部長として政策に関与した人物である――
 ブレジンスキーは、反ソ思考は本物であったろう。
だが、米国の利益のためには考えていない節があった。
 そしてなによりも、自他ともに認めるマルクス主義者であった。
彼の著作、『大いなる失敗: 20世紀における共産主義の誕生と終焉』の中にも端的に表れている。
 前掲著では、共産党一党独裁の人的被害を記した。
その一方、『共産主義諸国がとくに重工業、社会福祉、教育の分野で大きな発展をとげた』と手放しで、一党独裁の経済政策をほめそやす面があった。
 ブレジンスキーが大統領補佐官であった時期(1977年1月20日から1981年1月20日)。
――時の大統領を説得し、泥沼のアフガン情勢に飛び込み、結果として米国の戦力を著しく低下させた――
などという説が、米国内ではまことしやかに流されるほどである。
 そして驚くべきことに、ブレジンスキーのすぐそばにKGB工作員のチェコ人が助手として存在したのだ。
同人は、チェコスロバキアからの亡命者を装って、コロンビア大学に入学し、CIA工作員になった。
 のちに同人は、FBIの操作とKGB内部に潜入したCIAスパイによって、スパイであることが露見し、ベルリン経由でプラハに帰国した。
今も存命で、時折ロシアのメディアに出る健在ぶりである。


 さて、話を再び異界の物語に戻したい。 
 翌朝、ボンに米国政府高官の非公式訪問の連絡が入った。
その時、首相府では、夜を徹したマサキ対策の臨時閣議が行われている最中であった。  
「何、元大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャー博士が、シュトゥットガルトの米軍基地に!
ど、どういう事だ」
 会議を主催する首相は、報告を伝える首相補佐官に驚きの声を上げた。
一様に青い顔をする閣僚たちに向けて、補佐官は米国側の動きを伝える。
「米国大使館に問い合わせたところ、返答が来ました。
公式の訪問予定は入っていないそうです」
「全くの非公式という事かね……」
「しかし、何のために……」
 キッシンジャーの突如としたドイツ訪問に、慌てたのはシュトゥットガルトの米陸軍基地ばかりではない。
近隣の航空基地であるラムシュタイン空軍基地まで、いつになく物々しかった。
上空を空中警戒機C-130 ハーキュリーズが行き来し、戦術機までが何機も飛び回っている。
 昨年三月の東独政変以降、シュトゥットガルトの警戒態勢は格段に上がった。
ドイツ南部に対する警戒網は倍以上に増えたが、その日は常にもまして多かった。
 最重要人物(VIP)の為に、米駐留欧州軍の司令以下がその対応に追われている最中である。
突如として、キッシンジャー博士一行が、SH-3 シーキングでオランダ方面に飛び立ったのだ。


 早朝のアムステルダムは騒がしかった。
市の中心部にあるハウステンボス宮殿に、突如として現れた米海兵隊の大型ヘリコプター。
 米海兵隊の精兵50名に守られた関係者は、オランダ側の制止を無視し、宮殿に突入した。
折しも、蘭政府から王配殿下にマサキ襲撃事件の失敗が伝えられている最中。
「貴様ら、米国人には関係のない問題だ。
さっさと帰れ、このユダヤ野郎!」
 不用意に、突然そういってしまってから、王配殿下はハッと思った。
キッシンジャーの顔色もうすく変っていた。
「このおたんちんが!」
蘭政府関係者の謝罪より早く、キッシンジャーの言葉が飛んだ。
「貴様らは、このキッシンジャーの頭をそれほどまでに抑えたいか!
貴様らの動きが、営々として築き上げてきた米ソ緊張緩和の動きに終止符をうつわ!」
 ゾッと身の毛を立てて、蘭政府関係者は下を向いてしまった。
そして、巣にもぐった小鳥のように、おびえた目をして、動悸を抑えた。 
「お前は、この先暫くは、一切公式の場に顔を出すな!」
 王配殿下は、早く帰れと言わないばかりの態度。
 キッシンジャーの眉間みけんにムッとした色が燃える。
だが、一緒に来ていたブレジンスキーが強く変ったのを見ると、にわかに、腰の弱い妥協性を出した。
「ゼ、ゼオライマーのパイロットとは、ほ、本当に知らなかったのです……
た、ただ、東西ドイツに入り浸っている日本軍の衛士としか……」
 米側の動きは、オランダにとって全くの寝耳に水だった。
なぜなら、オランダは西欧四か国で進められているトーネード計画を密かに離脱して、最新の米国製戦術機を導入することで話が進められていたからだ。
 ジェネラル・ダイナミクスが、開発中のYF-16ファイティングファルコンを実用段階以前から大規模導入することを決めていた。
そして、ジェネラル・ダイナミクスのみならず、敵対企業のマクドネルなどからも多額の賄賂を貰っていた。
 米側は、この国家規模の汚職を見て見ぬふりをしてきた。
 だがゲーレンとの接触で、マサキが蘭王室の闇を知ったので、状況が変わった。
キッシンジャーやブレジンスキーは、この機に乗じて、蘭王室を切ることにしたのだ。 

 重苦しい沈黙を破って、言葉をかけたのは、チェースマンハッタン銀行の頭取だった。
米国有数の銀行である同行の頭取は、ビルダーバーグ会議の常連メンバー。 
「殿下、今日からあなたは病気だ。いいね」
「エッ!」
 続けて、ブレジンスキー大統領補佐官が言う。
「病気療養のため、ビルダーバーグ会議の議長を辞任……
いいね」
「ブ、ブレジンスキー大統領補佐官!」
「我が合衆国に、これ以上資金援助する義務はない!」
 ブレジンスキーの言葉に、王配殿下が強い語調で言い返した。
「ふざけるな!この帝国主義者め!
これはオランダへの、内政干渉だ」
「干渉するのは当然だ!
これは政権を担う大統領補佐官として、何よりも先に優先せねばならない事項だ!」
 

「こちらの要求には、電子産業を含めて、何一つ明確な返答をしていない。
そんな国に、これ以上の援助が必要かね……
もし必要なら、その提供した資金に対して、報告書が必要という事だ。
今までの資金援助が、いつ、どこで使われたか、我々にも知らされていない。
援助によって、オランダの戦術機産業が発展し、国民が豊かになったという噂も聞かない」
 チェースマンハッタン銀行の頭取が、割って入るような形で言った。
黙って聞いていた彼は、苦笑を浮かべながら、最後通牒を行う。
 ビルダーバーグ会議の中での立場も、影響力も彼の方が上だが、相手が王族なので丁寧に話している。
「もはや、我々の力では、いかんともしがたいところに行っているのです。
もし、ビルダーバーグ会議の議長職を辞任なされば……。
我々としても、手助けできるでしょう」
 王配殿下はしばし絶句し、キッシンジャーとブレジンスキーの顔を見つめた。
次いで、二人ともばつの悪そうな表情を浮かべる。
「せめて、木原と日本政府への謝罪を実施すれば、如何様にでも、お助けをしましょう」
 王配殿下は、背筋が冷たくなるのを感じた。
どうこうできる話ではないにしても、納得できるものではなかった。
腹が立った王配殿下は、思わず机を両手で叩いた。
「黄色い猿目に、頭を下げるだと!
もう、この命に未練などないわ!」
「もう君は必要ない。
我々が後始末しよう」
「フハハハハ、私の後始末を付けるだと!
貴様らに後始末をされる問題など抱えていない!」
 王配殿下は、その時、机の引き出しを静かに開ける。
引き出しの中に入った44オートマグを即座に取り出せるように準備した。
「それじゃあ、仕方がないな。
これを持っていきなさい」
 そういって、会長は机の上に一通の手紙を投げた。
除名処分と赤字で書かれた封書である。
「じょ、除名処分!」
「この除名処分には、添え状が付いている。
外交問題評議会の幹部全員……
それと、石油財閥傘下の各企業の添え状だ」
 処分は思った以上に仰々しいものだった。
王配殿下は、込み上げる絶望感に喘いだ。
「まあ、早い話、この除名処分出された日には……
この自由世界には、どこにも行き場がないという事さ」
 額に太い筋を立てていた王配殿下は、歯ぎしりを噛んだ。
 まるでこの米人どもは、おれの今を冷やかしていやがる。
俺の、この形相を嘲笑(あざわら)っていやがる。
 なにが面白い?……
全身はあぶら、額にも汗をしぼって、王配殿下の息は荒く苦しげだった。
「貴様ら、外交顧問風情が、王族の私に向かって、何だ!」
 王配殿下は、机の中に手を突っ込む。
 44オートマグを取り出すと、怒りのあまり、銃身を彼らに振り向ける。
安全装置を解除すると、食指を引き金に添えた。
「じゃあ、私を破門にでも何でもするがいい!
貴様らにビルダーバーグ会議を割られたところで、この蘭王室は痛くもかゆくもないわ!」

 米国と蘭王室のもめごとは、NATOにとっては不幸であった。
だが、根無し草であるキッシンジャーやブレジンスキーにとっては、どうでもいい事であった。
 彼らのような東欧移民は10代で国を捨てて、米国に帰化し、国土への愛着や愛国心はさほどない。
所詮は、自分の立身出世の階段にしか過ぎないという考えであった。
 蘭王室の王配殿下も、国家をまたぐ貴族階層であったから彼らに似た面はあった。
だが、それでも地主貴族の出であったエリートにとって、東欧移民とはそりが合わなかった。
それ故に、この重大局面で仲たがいが起きたのだ。


 視点を再び、西ドイツに戻してみよう。 
 ボンの首相府では、今後のドイツ政界に関して話し合いが行われていた。
政権与党のSPD、FDPの他に、野党であるCDUなどの各会派が呼ばれていた。
「ぎ、議会の解散ですって!
ぶ、ブラントさん、本気ですか」
 居並ぶ各党の幹事長、書記局長を前に、SPD党首のヴィリー・ブラントの意志は固かった。
彼は、この木原マサキ事件の決着として、ドイツ両院の解散と、ヴァルター・シェールの大統領選挙の不出馬を主張したのだ。
「無責任な発言は困りますよ……
未だ月面攻略作戦が実施されていないのに、議会の解散なんって……」
 FDPの党首を兼任するゲンシャー外相が、悲憤を込めて言い放った。
今の首相のシュミットはSPDの出身だが、党首ではなかった。
実際の党首は、ヴィリー・ブラントであり、彼の意のままに政権は操れたのだ。
「こればかりは納得がいきませんよ!」
 西ドイツの暫定憲法であるボン基本法では、議会の解散権は非常に制限されたものだった。
首相が議会の信任を得られない状態に陥って、初めて議会の解散を大統領に提案し、そこから解散するという非常に込み入ったものだった。
 
 それまで黙っていたブラントは、たちどころに赫怒した。
「このたわけが!
この中でNSDAPに関わっていない者がどれだけいるか!
ビルダーバーグ会議と一切かかわりのない人間がいるか!」
 ブラントは、異色の経歴の持ち主だった。
本名は、ヘルベルト・エルンスト・カール・フラームといい、私生児だった。
父はヨーン・メラー、母はマルタ・フラームで、生涯、父に会うことなく育った。
 第三帝国時代は、ノルウェーに亡命し、SPDの左派である社会主義労働者党に所属した。
その時代に、ヴィリー・ブラントのペンネームを用いて、ノルウェーの新聞社に潜入し、敗戦まで過ごした。
ニュルンベルク裁判の際、ノルウェー軍将校として帰国し、ふたたびSPDに復職した人物であった。
だから、NSDAPに関しても、ビルダーバーグ会議も自由にモノが言えたのだ。
 他方、社会主義者や共産主義者に関してはかなり甘いものがあった。
中央偵察局所属のギュンター・ギヨーム大尉を私設秘書として可愛がり、各国首脳との会談にも参加させたりした。
 それには、ブラントの個人的な因縁があった。
ブラントは、第三帝国時代に、ある男に助けられて亡命に成功した経緯がある。
 実はその男こそ、東ドイツのスパイ、ギュンター・ギヨームの実父だった。
故にブラントは、恩人の息子であるギヨームの事を切れなかった面があった。
 手練れの工作員、マックス・ヴォルフがそのことを知っていて、ギヨームを西ドイツ政界に送り込んだのであろうか?
既に関係者全員が鬼籍に入ったしまったため、真相は全て闇の中である。
「一度や二度、ビルダーバーグ会議を通じて、表に出せない仕事を頼んではいるのではないか。
そのせいで、キッシンジャーの言いなりになっているのと違うか!」
 ブラント自身は、キッシンジャー博士と不仲だった。
同じ亡命者であっても、ブラントはドイツに戻り、祖国再建の道を選んだ。
 一方キッシンジャーは祖国を捨て、米国で学者の道を選んだ。
そして1957年の「核兵器と外交政策」というベストセラーのおかげで、米国政界に入った。
 ユダヤ系という事で、ニクソン大統領補佐官時代、西ドイツにイスラエル支援をするよう要請した。
イスラエル支援は、東方外交という緊張緩和策を進めるブラントには、受け入れられない話だった。
(ちなみにブラント自身は、反ユダヤ主義者でもなく、彼の友人にユダヤ人は多かった。
初めてイスラエルを公式訪問した西ドイツの首脳でもあった)
 中近東に対して西ドイツは中立であるとの趣旨の返答をして以来、キッシンジャーはブラントを憎んだ。
 そして、かねてより把握していたギヨーム事件が暴露され、ブラントは辞表を提出する。
かくして、1974年に政権の座を追われることとなった。
以上の経緯から、ブラントは人一倍、ビルダーバーグ会議に非常な恨みを持っていた。

 言葉を切ると、タバコに火をつける。
銘柄は、R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニーの名品、キャメルであった。
トルコ葉の何とも言えない香りが、室内に充満する。
「……BNDのゲーレンがな……
議会を解散しなきゃ、一切合切公表すると言っているんだよ」
 ゲーレンは、週刊誌の「デア・シュピーゲル」の編集部と昵懇の仲だった。
同誌は、1947年創刊の西ドイツの週刊誌で、欧州最大の発行部数を誇る雑誌である。
 1960年代初頭、西ドイツ軍は急激な軍拡を進めていた。
その事は東ドイツを刺激し、それまで志願兵制だった国家人民軍に選抜徴兵制を実施させる根拠となった。
 東西両陣営での核戦争の危機が高かった時代である。
急速な東ドイツとソ連の軍拡を憂いたケネディは、ゲーレンを通じ、西ドイツ政府に忠告を入れた。
だが、西ドイツ政府は聞く耳を持たず、国防大臣のフランツ・ヨーゼフ・シュトラウスは軍事産業の言いなりだった。
 そんな折、デア・シュピーゲル紙上に、NATOの軍事演習の記事が載る。
シュトラウス国防相は嚇怒し、時の首相のコンラート・アデナウアーに関係者の逮捕を直訴した。
 1962年にNATOの図上演習を手に入れた(かど)で編集長のルドルフ・アウグシュタインが逮捕される事件が起きる。
 シュトラウス国防大臣は、警察とBNDに協力要請を取り付けた。
だが、ゲーレンは様子を見て、警察の捜査と政府の見解をデア・シュピーゲル編集部に伝えた。
 その事件のために、アデナウアー首相から非難され、彼は政権内で不遇の立場に置かれた。
 この事件は、ゲーレンの愛国心により、NATOの軍事的不備をリークした特集記事だった。
だが事件のために、ゲーレンは政界で浮く存在となって、彼の政治的生命は立たれたも同然だった。
 そういう経緯から、シュトラウスへの恨みを募らせていた。
シュトラウスを調べるうちに、彼がビルダーバーグ会議の手先となっていることが判明する。
 ゲーレンは、自分の利益誘導のために米国企業の言いなりになっている事実をつかんでいた。
だから、今回のマサキの事件を通じて、その復讐を果たすつもりでもあったのだ。
 一連の経緯を知っている与野党の関係者は黙然した。
秘密情報部のゲーレンに情報で勝てる者はいないからだ。
 やはりスパイは引退してもスパイなのだな……
一同が沈黙する中、ブラントの叱咤ばかり高かった。
「そうなってみろ、いずれにせよ、解散だ。
公表されて、SPDとFDUは勝てると思うか……
君たちに当選する自信はあるかね?」 
 

 
後書き
 チェコスロバキアのスパイは、れっきとした公人で、名前も顔写真も明らかになっているのですが、存命中の人物なので、文中での言及は控えます。
コメント欄でご質問があれば、どういった人物か、資料を提示します。
 次回で異例の長さを誇ったゲーレン編が終わります。
足かけ4か月近くかかりました……
生臭い政治の話になっておりましたので、9月は息抜きできるような話にしようか考えています。
 
ご意見ご感想お待ちしております。
 
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