冥王来訪
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第三部 1979年
迷走する西ドイツ
忌まわしき老チェーカー その4
前書き
もうちょっと面倒くさい諜報の話が続きます。
「どうしてそんな事を西ドイツ政府じゃなく、俺に頼む。
ドイツ人の問題はドイツ人同士で話し合えばいいじゃないか」
「今の首相は、ヘルムート・シュミット。
奴は、ビルダーバーグ会議の手の物によってえらばれた男なのでな……」
「えっ!」
「この男こそが、西ドイツの石油危機を招いた一人なのじゃよ。
1973年5月11日から13日にかけて、スエーデンで行われたビルダーバーグ会議が行われてな。
彼は蔵相として参加し、その座上で、世界の原油価格を4倍に値上げする決定にも関わっていた」
ゲーレンの話は、この異世界の事を詳しく知らないマサキにとって衝撃的な内容であった。
1973年の急激な原油価格の高騰は、BETA戦争を理由に石油輸出国機構が決めた事だとばかり……
それが支那でのハイヴ発見から一月もたたないうちに計画されていたとなれば……
まったく、話は違う。
原油価格の上昇による市場操作が、BETA戦争に関係なく行われていたとなれば……
中共の文革が理由で、ソ連によるカシュガルハイヴへの介入が遅れたのではない。
おそらく意図的に遅らせたのではないか……
原油価格の上昇は、何も欧米のオイルメジャーを潤わせるばかりではない。
地下資源に依存するソ連や中近東諸国も同様に利益を享受するはずだ。
この異世界でも、ソ連の石油依存度は非常に高い。
石油産業は、同国のGDPの3割以上を占める経済の屋台骨である。
輸出の内訳としては、石油75パーセント、天然ガス25パーセントである。
1980年のデータによれば、原油60321万トンを算出し、12200万トンを輸出していた。
産出量は世界の2割強で、輸出量は世界の1割弱であった。
天然ガスは、16733万トンを算出し、2014万トンを輸出していた。
産出量は世界の29パーセントで、輸出量は世界の27パーセントであった。
(横山昭市著『国際関係の政治地理学』古今書院、2014年、P87-88より参照)
東欧のポーランドやチェコスロバキアはおろか、西ドイツやフランスまでソ連の石油資源に依存していた。
BETA戦争に関係なく、石油や天然ガスの供給が打ち切られれば、欧州の経済活動は破綻するのは目に見えている。
前の世界とは違い、この世界の東西ドイツは被爆国だ。
原子力船はおろか、軽水炉型の原子力発電所も、試験用の黒鉛炉もない……
そうすると、ソ連からの石油・天然ガスはまさに命綱なのだ。
東ドイツの経済を支えた国営のコンビナート群も、ソ連の石油が入らねば、あっという間に破綻するのは目に見えている。
トルコ経由のパイプラインを作る計画もあるであろう。
だが、それが実現するには時間がかかり過ぎるのが実情だ。
今の話を聞いていたマサキは、自身の背中に、焦りと悲嘆を感じ始めていた。
「ビルダーバーグ会議の本当の狙いは、何か知っているかね」
「BETA戦争を利用して、自分たちの利益を得る事か?」
「もっと悪い。BETAを利用して市場の一本化を狙っているのだよ。
BETA戦争を通じて地域共同体や国連など、世界的な統合を推し進めるのが、奴らの狙いだ。
国家という物が無くなれば、そこに依存する民族資本も亡くなる。
そうすれば、あとは国際金融資本と大企業の独壇場だ」
灯台下暗し……
マサキは、怒ることよりも不安を感じた。
「ここまでいえば、自明の理だ。木原博士」
まさか……
マサキはある一つの結論に行きついた。
ビルダーバーク会議や三極委員会、ローマクラブなどの世界の支配層の本当の狙いは人口削減。
石油資源の枯渇を恐れて、人口抑制政策を行うべしと働きかけようとしたところに降ってわいてきたBTEAという宇宙怪獣。
支那の地に飛来したのを、これ幸いとばかりに悪用したのではないか。
ビルダーバーグ会議のメンバーの多くは白人で欧州の王族や企業家だ。
アジア人やスキタイ人が多く死のうが、知ったことではない。
むしろ彼等にとっては、石油資源や天然ガスの利用分が増えるので好都合なのだ。
連中の頭の中では、世界人口を5億人ほどにまで減らすまでは何もしないつもりだったのだろう。
その証拠に、ソ連で人口の3割が減った時も米国は具体的な支援策をしなかったからだ。
いや正確に言えば、戦術機関連の技術を渡して、独裁政権を維持させたというだけだ。
全世界的企業や国際金融資本にとって、利益を得るためには競争のない社会こそ理想だ。
国によって利益が制限され、市場が限定されている共産国家こそ理想の場所だ。
いくらゼオライマーで大暴れしたところでも、ビルダーバーク会議や三極委員会、ローマクラブなどの世界の支配層の会合で秘密の計画を立てられてしまったら対処の使用がない。
マサキは己の立ててきた計画が、恐ろしく甘い見通しであったことを突き付けられるような感覚に陥った。
「わたしは、ドイツ軍人として50有余年、ワイマール共和国、第三帝国、連邦共和国に仕えてきた。
ドイツ民族が自立し、どの様な形で残りさえすれば、政体などどうでもいい。
敵の米軍に頼ったように、悪魔や鬼にでも頼るときは頼る。
だから木原博士、君を頼ったのはドイツ民族独立のためなのだ。
欧州共同体や国連などという有象無象の機関の事は、これっぽっちも信用しておらん」
ゲーレンの告白は、マサキに違う意味での感動を与えた。
かつて大東亜戦争で敗れた日本は、社稷を守るために、偽りの裁判結果を受け入れ、偽物の憲法典を奉った。
一軍人として、2度の敗戦は思うところがあるであろう。
マサキは同時代人として、ゲーレンの姿勢に同情の色を示した。
「君はビルダーバーク会議と戦わねばならない宿命を背負っているのだよ」
「よかろう」
西ドイツの諜報機関の全てを知る男、ラインハルト・ゲーレン。
なぜ彼が、東ドイツ人のベルンハルト兄妹と懇意な木原マサキに近づいたか。
まずマサキがKGBとの対決姿勢を公然と見せる人物だからである。
ユーリー・アンドロポフKGB長官に決闘を挑み、一撃のもとに葬り去った事ばかりではない。
PLFPや日本赤軍などの過激派を向こうに回して、その根城であるレバノンを焼き払った。
この事をゲーレンは高く評価していた。
なぜ、西ドイツの捜査機関が友好国である日本人のマサキをマークしたのか。
それは当時の国際情勢と切っても切り離せない理由があったからだ。
1970年代以降、西ドイツ国内ではドイツ赤軍と称する過激派のテロ事件が続発した。
この団体は、KGBから資金援助を受け、シュタージの支援の下、西ドイツ国内での犯罪を繰り返した。
有名なのは、ドイツ工業連盟会長シュライヤー暗殺事件であろう。
ドイツ赤軍はシュライヤー会長を誘拐し、身代金を要求したがBNDは応じなかった。
ドイツ赤軍は、パレスチナ解放人民戦線とともにルフトハンザ航空ハイジャック事件を起こすも、失敗した。
その報道を受け、首領ら数名はその日のうちに不審死を遂げた。
犯人グループはハイジャック事件の失敗と同時にフランスへ逃亡。
ミュルーズ郊外で、シュライヤーを暗殺し、その遺体をアウディの乗用車に捨てて逃亡した。
パレスチナ解放人民戦線は、KGBによって創設されたテロ機関である。
アラブ民族主義による社会主義国家の建設を目指して作られた極左暴力集団であった。
PLFPの共同創設者であるワジ・ハダド。
彼はユーリー・アンドロポフKGB長官の信任が厚く、KGBは三度の武器貸与を実施していた。
ハダドは、1960年代後半から1970年代末までの国際ハイジャック事件を敢行した人物。
PLFPのみならず、日本赤軍、ドイツ赤軍を使嗾して、国際テロで世界を恐怖のどん底に押し入れた極悪人である。
1970年代当時、日本国内でのテロ活動で国民の支持を失っていた極左暴力集団。
彼等は海外に逃亡し、遠いパレスチナやレバノンの地にいるPLFPを頼った。
その際、国際的なテロ集団である、日本赤軍を結成し、幾多の国際テロを敢行した。
改めて、1970年代に日本赤軍とPLFPが合同で行った国際テロに関して、説明を許されたい。
ドバイ日航機ハイジャック事件(1973年(昭和48年)7月20日)
ロイヤルダッチシェル石油精製施設爆破事件及び船舶シージャック事件(1974年(昭和49年)1月31日『いわゆるシンガポール事件』)
シンガポール事件に呼応して起きた在クウェート日本大使館占領事件(1974年2月6日)
この一連の赤色テロリズムは、西側の世人を恐怖のどん底に陥れ、相互の国家間の不振を抱かせることに成功した。
当時のBNDは、東ドイツのシュタージ同様に、中近東への秘密工作を進めている最中であった。
それは1973年の石油危機の影響の為である。
BND現長官のクラウス・キンケルも同様の策を進めていた所である。
だがゲーレンら古参幹部とキンケル長官は、非常に不仲であった。
キンケル長官は、元々軍人や諜報畑の人間ではなかった。
内科医の父を持ち、司法試験に合格した法曹の専門家であった。
郡役場の吏人を起点にして、1968年に内務省に採用され、中央の官界に入った。
当時内相であったゲンシャーによって見出され、彼の個人秘書を務めた。
その際、憲法擁護局から接触があって、情報の世界に入った。
親であるゲンシャーが外相になると、外務省に移って、企画部長を務めた。
そして、BNDと外務省企画部の人事交流を進める方針を示した。
1979年1月1日、ゲーレンの信任が厚かったヴィッセルに代わってBND長官となる。
弁護士出身ということもあり、人権の観点から東ドイツへの積極的な工作を進めることとなった。
だが彼の方針は、ゲーレンら長老閥との折り合いが合わなかった。
キンケル長官のあまりにも情熱的な人権外交とやらに、辟易していた面があったのも事実である。
東ドイツでの諜報作戦が失敗していたのも大きい。
彼の長官時代はKGBやシュタージの間者が堂々と暴れまわっている時代でもあった。
マサキがバイエルン州を訪れた情報は、その日の夕刻にはすでにボンに通報されていた。
事態を重く見た首相は、緊急の秘密閣議を行う事となった。
連邦議会副議長ショルシュ・レーバーが忌々しげにつぶやいた。
「日本の奴らめ……
進退窮まって、ゲーレンの所に泣きついたか」
不愉快そうなうめき声が漏れる。
それは当然の結果であった。
レーバーはギヨーム事件のあおりを受けて、BNDに電話盗聴をされていたからだ。
今の首相であるヘルムート・シュミットが引き留めていなければ、そのまま政界から引退するつもりでもあった。
「超マシン、ゼオライマーの機密情報が手に入るのは結構だが……
木原は、なあ……」
レーバーの問いに対し、キンケルBND長官が応じる。
「しかし、木原マサキは、ゼオライマーの開発者でもあります」
「超マシンは、たしかに、核戦力を持たぬ、この国の切り札となる。
独ソが親密度を深める以上、我々にも保険がいる」
西ドイツは、1960年代以降、ソ連の天然ガス資源のパイプライン延長を模索していた。
中近東の絶え間ない混乱によるは、石油や天然ガスの供給そのものを不安視させていたのだ。
1970年に独ソ間で結ばれた「天然ガス・ガスパイプライン交換協定」
これにより、西独の企業は、ソ連に対し、高品質の大口径鋼管を供給することを決定した。
当時、西ドイツと日本だけがこうした大口径鋼管を生産可能なためであった。
米国の横やりもあったが、ソ連からの天然ガスの割合は20年で35倍に増えた。
1980年代当時で言えば、ドイツでは30パーセントに達した。
このように、ソ連は、欧州を自国のガスに依存させた。
だが、それと同時に、急速な経済成長をもたらした。
「保険ですか……」
「だが、木原が生きている限り、いつ奴がまたソ連へと牙をむかないとも限らん。
調略するよりは、いっそ……」
それまで、すべての発言を黙って聞いていた首相が口を開いた。
キンケル長官とレーバー副議長の言を遮るようにして、
「木原の事は頼らんでも、わが国にはすでに秘密裏にパーシング2が配備してある。
奴らは核ミサイルをモスクワに飛ばされるくらいなら、中近東の半値で石油を売ろう。
何の心配もいらん」
男は、強いいらだちを隠すようにして、吸っていた紙巻煙草を灰皿に押し付ける。
休む間もなく、新しいゲルベゾルテの箱の封を開けた。
「ゲンシャー君、キンケル君。
木原の事は逐一、私の元に報告を上げたまえ」
男は言葉を切ると、取り出した煙草に火をつけた。
「はい、総理」
後書き
(参考文献:
熊谷徹著『顔のない男 - 東ドイツ最強スパイの栄光と挫折』新潮社,2007年
関根伸一郎著『ドイツの秘密情報機関』,講談社,1995年
『治安フォーラム』令和3年1月号)
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