| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

冥王来訪

作者:雄渾
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第三部 1979年
孤独な戦い
  威力偵察 その3

 
前書き
 西ドイツ軍のバルク少佐って、そういえば対して活躍してませんよね。
そういうことで彼も一応、東独軍の連中と絡ませることにしました。 

 
 ゼオライマーによる威力偵察を受けて、日米両政府は秘密会合を行った。
その際、マサキの資料から判明したのは、違う惑星間でのBETAの連携が見られないという事であった。
 また、土星にあったハイヴの規模は、カシュガルハイヴの2倍という途方もないものであった。
構造物の高さが2キロメートル、最大深度8キロメートル。
核搭載の特殊貫通弾でも、厳しかったであろうことが予測される。
 今回のルナ・ゼロハイヴ攻略に関しては、その前段階として月にある静かの海に前線基地の建設が急務となった。
シャトル着陸地点の他に、月面での資源の活用や、G元素の搬出の為に、基地建設は必須。 
 米国としては、月面探査基地の回復は、重要な国威発動の一環だった。
1950年以来、月面に前線基地を作ってきた歴史もあって、基地建設は絶対譲れない条項だった。
 また前線基地は、補給物資や武器弾薬を貯蔵するにも必要だった。
いくら輸送船での運搬とは言えども、上空からの投下と基地の搬入では運び込める物資の量が格段の差があったからである。
 マサキ自身は、月面を核ミサイルの飽和攻撃で焼き払った後に、ハイヴを消せばよいと考えていたので、彼らの案はまともとは思えなかった。
別に人類は、地球圏の中で暮らせばいいではないかと考えていたのだ。
それは、マサキのいた世界では宇宙開発が月面への着陸で終わっていた為である。

  
 さて、米国政府が主導して計画した月面攻略作戦はどうなったであろうか。
第一陣の出発は、半年後の10月と正式に決定された。
 その為に、100名の精鋭が集められることとなった。
 無論、人口2億2千万を誇る米国でも100名の衛士たちを選抜するのは厳しかった。
また、政治的な配慮から、NATOおよび西側諸国からも30名のパイロットが選抜された。
 
 基地奪還を主力とする米兵と違い、NATOおよび西側諸国の兵士たちは決死隊の扱いであった。
部隊への参加に際して、厳しい身辺調査と、誓約書の提出が求められた。

 身辺調査の内容は、以下のような物である。
その条件は、非常に厳しく過酷なものであった。

 第一に、英語の他に、2か国語を完璧に話す語学力と知性。
仏語、露語など、世界各国で話者が多い言語が望ましい。
 第二に、身長170センチ以上の強靭な肉体。
目だった既往(きおう)歴がなく、五体満足である事。
 第三に、精神的な憂いをなくすために、30歳以下の人物は独身者である事。
例外として、1967年のサクロボスコ事件の参加者は、既婚でも問題ないものとする。
 第四に、階級は将校で、少尉以上。
高等指揮幕僚過程、士官学校卒、戦時任官など、昇進の過程は問わない物とする。
 第五に、勤務経験5年以上である事。
下士官での勤務や、各種軍学校での経歴なども、加算したものとする。
BETA戦争での従軍歴が1年以上あれば、勤務歴5年と計算する。

 第一、第二の条件に比して、第三の条件は非常に厳しかった。
当該人物の戸籍はおろか、婚姻歴、子の有無、交友歴まで調べられた。
 正式な法律婚ではなくても、愛人との間に子供がいればアウトだった。
子供の状態は、成人していても、胎児の状態でも、いることが判明すれば、選抜から蹴落とされた。
 
 幼い頃から宇宙飛行士の夢を持っていたユルゲンは、当然この選抜に参加した。
ベアトリクスにあてた離縁状と共に血判状を書いて、東独大使に提出するほどだった。
 だが結果から言えば、彼は選考から有無も言わさず除外された。
つい先ごろ、ベアトリクスが生んだ息子のためである。  
 選考から漏れたのは、ベアトリクスの件ばかりではなかった。
実は彼の傍にいた人物が原因だったのである。
 NASAは選考にあたって、ユルゲンの傍にいた人物への徹底的な身辺調査をした。
その際、彼の護衛兼秘書でもあったマライ・ハイゼンベルクからある問題点が浮上した為である。
 
 ユルゲンの同級生であり、彼の副官であったヨーク・ヤウク少尉。
彼は、ちょうど英国のサンドハースト陸軍士官学校に留学中だった。
 ヤウクも、ユルゲンの顰に倣って、もちろん選考に参加した。
そして1度目にして、合格した。
選抜をしたのが、英国空軍であった為もあろう。
 彼は、東ドイツ人で、NATO非加盟の国家の出身。
しかも身長が規定より一センチ足りなく、本来ならば一発不合格である。
どんなに望んでも、再試験に回されたであろう。
 だが、彼は熱心に自己アピールをして、担当官を口説いた。
独身で、反ソ感情の強い人間が月面に立ってハイヴ攻略に参加したことを示せば、ソ連への牽制になるという内容である。
 英国空軍の担当官は、鬼気迫るヤウクの態度に感銘を受け、彼を推薦することにした。
東独空軍士官学校次席で、実戦経験豊富な人物である。
 死地からも幾度となく、ほぼ無傷で生還してきた男である。
彼は難なく、筆記試験と実技を通り越し、晴れて攻撃隊のメンバーに選ばれたのだ。
 
 ドイツ系ロシア人のヤウクにとって、ロンドンでの生活は刺激的だった。
流行りのパンク・ロック音楽、会員制のクラブ。
自由にモノを言える社会に、だれでも自動車を買える資本主義制度……
 華やかな面ばかりではない。
当時の英国は、1960年代から続く長い停滞の時代に入っていた。
戦後長く続いた労働党政権による、国民福祉政策。
 それは産業の分野まで影響し、より保護主義的なものとなった。
相次ぐ企業の国有化に、慢性化するストライキ。
 頼みの綱となっていた自動車産業は、国有化のために国際競争力を失っていた。
当時飛ぶ鳥を落とす勢いの日本車に負け、多くの労働者は路頭に迷った。
 彼のいた1979年は、『不満の冬』と呼ばれる最悪の時期だった。
 街にあふれる多くのゴミに、はびこる違法薬物。
公務員のストも常態化し、警察や消防は人手不足であった。
医者や看護婦はストで出勤せず、墓場では死体が埋められず、鳥獣の餌になった。
 ストライキのために、どれほど酷かったか。
都市部でさえ、暖房用の灯油すら不足し、生木を裂いて暖を取るほどである。
路地を歩いていると、何度もエクスタシーの密売人に声を掛けられた事か。
(エクスタシーとは、麻薬指定のされた向精神薬・MDMAの俗称である)
 海外暮らしの長いユルゲンから、ロンドンの食事は不味いと言われたが、気にならなかった。
ソ連の一般的な食事よりも、クビンカ空軍基地の給食よりも、おいしかった。
 物価高が深刻で、スターリングポンドの価値も乱高下した。
国から留学資金では厳しくなり、ソ連留学時代にためた外貨を使わざるを得ないほどであった。
 ソ連から東ドイツに仕送りをする際は、外貨しか送れなかったので、ためておいて正解だった。
彼は、一人そう思っていた。

 貧しい留学生であったヤウクは、士官学校での外出許可を貰っても出来ることは少なかった。
クラブやバーに行くことなどは、資金面から難しい。
古本を読むか、公園で運動をするくらいしか、楽しみがなかった。
 子供の頃憧れたロンドンが社会主義のために廃墟となっていたとは……
行先のない乞食(ルンペン)のたまり場になっていた、ハイド・パーク公園。
 その一角にあるベンチに座り、タバコをふかしていた時である。
一人の男が、ドイツ語で声をかけてきた。
「おい、ロシア人の兄ちゃん」
 不意に、彼は振りむく。
そこには金剛力士像のような体つきをした、見あげるばかりの実に立派な偉丈夫がいた。
「あんた……ヤウクか……」
 咄嗟に上着の中から自動拳銃を取り出す。
男は、拳銃を向けられても、不敵な態度を崩さなかった。
「ふっ」
 男の着ていた服装は、実に奇妙だった。
運動着の様な意匠の上着、側章の入ったズボン、合成皮革の長靴であった。
両方の袖に付けられた第51戦術機甲大隊のマークがなかったら、アディダスのジャージと勘違いしたであろう。
「なるほどな」
 鳩尾まで開けた上着の下は、厚手のティシャツとペンダントだった。
ペンダントは、米軍の認識票を模した私物だった。
「おめえ、ただのいい子ちゃんってタイプじゃねえな」
 話し方と言い、服装と言い、やくざ風ではないか。
西ドイツ軍の衛士はこんな感じなのかと、ヤウクは目を丸くするばかりだった。
「ちょっと待ってくれ。今吸っているシケモクで一服させてくれ」
 ヤウクは、両切りタバコを爪の先のぎりぎりの長さまで吸っていた。
火傷しそうなほど短くなったシガレットを、空き缶に捨て、立ち上がった。
「さあ、いいよ。
僕に聞きたい事があるんだろう」

「あんた、資本主義と社会主義の共存共栄はありうるか」
 厳しい表情をみせる男に、ヤウクは不敵な笑みを浮かべる。
男の質問など、彼は全く相手にしていなかった。
「何、寝ぼけたことを言ってるんだい。
そんな世迷言を言いに、はるばるロンドンまで来たのかい。
国際関係は、力と力のぶつかり合いだ。
食うか食われるかだよ」
男は、せせら笑いを浮かべながら、ヤウクの問いに答えた。
「飯でも食おうか、ヤウクさんよ」

 食事は、ロンドン市内にある中華街で行われた。
代金は男持ちで、ヤウクは一銭も身銭を切らずに済んだ。
 紹興酒を飲みながら、男の問わず語りが始まった。
 男の名前は、ヨアヒム・バルク。
第51戦術機甲大隊「フッケバイン」所属の大尉だという。
 その話を聞いた瞬間、彼は第51戦車大隊を思い浮かべた。
クルクス防衛戦で「大ドイツ師団(グロース・ドイッチュラント)」の麾下に入った戦車部隊だ。
西ドイツは、第三帝国時代の国防軍最精鋭部隊の名称までつかっているのか……
思わず苦笑してしまうほどであった。
 西ドイツ軍では訓練の一環として、海外での研修が行われていた。
米本土に飛行訓練大隊が二個、英国のウェールズに戦車大隊が常駐しているという。
 西ドイツ軍はNATOの任務割り当てで、低空侵入による航空阻止を担当していた。
その為、連邦空軍(ルフトバッフェ)では過酷な訓練で、事故死が常態化しているほどであった。
 保有する戦術機の4分の1は訓練で既に失われていた。
だが、18機編成の戦術機隊に、予備機が16機あり、保有数は34機という大規模な部隊であった。
 その話を聞いて、ヤウクは、西ドイツ軍が少しばかり羨ましくなった。
ソ連軍は東ドイツをけっして信用せず、戦車や航空機の自主開発はおろか、重機関銃どころか、小銃でさえ旧式しか渡さなかった。
 中近東に派遣された軍事顧問団も、シュタージのジェルジンスキー衛兵連隊が中心で、国家人民軍は東独政府とソ連から全く信用されていなかった。
プラハの春事件当時、第7戦車師団にいたシュトラハヴィッツは、高級将校の教育課程を終えていたので、視察団として許可されただけで、実戦の参加は出来なかった。
 
 食事の後、彼らはロンドン市内を散策していた。
その内、 テムズ川の周辺に広がる貧民窟が一望できる場所に移動する。
「何を考えてるんだ、バルクさん」
「見るがいい。これがロンドンの光と影だ」
 テムズ川をはさんで、眩い摩天楼と貧民窟がみえる。
摩天楼は星空を地上に下したように、きらびやかで美しい。
半面、貧民窟は、カザフスタンで見たソ連市民の住宅よりひどい有様であった。
 Rの音の強い英語を話す、(ナツメ)の様に肌の浅黒い人々。
住民の発音から、ヤウクは、インドか、パキスタンからの移民であることを理解した。 
 当時の英国は、労働力不足から大量の移民を受け入れていた。
その多くは、旧植民地からの出稼ぎで、黒人やインド人などの有色人種であった。
「ドイツも東西統一がなれば、東側から富を求めて押し寄せるだろう」
 バルクは、タバコを燻らせながら、ヤウクに語りかけた。
脇にいるヤウクも、彼に分けてもらったステートエクスプレス555を吹かしていた。 
(ステートエクスプレス555は、箱入りの高級タバコで、金正日の愛用品だった)
「ドイツの富は食い荒らされて、やせ細る。
いずれこの光景は、ドイツ全土に広がる……」
 ロシア系なのに酒があまり得意ではないヤウクにとって、タバコは非常に重要な娯楽品であった。
ソ連留学時は、マホルカや高級煙草の「白海運河(ベルモルカナール)」、口付き(パピロス)「カズベック」、何でも吸った。
酸っぱい煙草も苦い煙草も吸ってきた。
 バルクから貰ったタバコは、癖がなくて上品な味わいだが、物足りなく感じてしまう。 
そんな事を考えながら、バルクの話を聞き流していた。
「そこで政府にいる年寄りどもが考えたのが、共存共栄路線だ」
ヤウクは、バルクのその言葉に(ばつ)を合わせる。
「ご老人は、どこでも同じことを考える」
 バルクはタバコを()いながら、
「ヤウクさん、あんた生まれは」
「僕は捨て猫みたいなものさ」
 ヤウクの言葉は、彼の来歴を簡単にあらわしたようなものだった。
ロシア系ドイツ人の運命は、常に時代にほんろうされる存在だった。
 18世紀に請われて、ロシアに渡った彼らの運命は、一言で言えば過酷だった。
帝政時代も、ソ連になってからも、同じだった。
 一定の自治を認めるようで、その政治情勢で強制的に同化を求められた。
ソ連では、選挙権も徴兵権も剥奪され、カザフスタンにある居留地に留め置かれた。
 追放された東ドイツの地でも、ロシア人として扱われた。
自分は、民族はドイツ人でありながら、人から見ればロシア人なのだろう。
 生まれた時から恵まれた立場にいるユルゲンとアイリスディーナの兄妹。
党の大幹部の孫娘ベアトリクスなどとは、全然違うのだ。
 それにロシア系ドイツ人とは言え、先住民のソルブ人の様に少数民族の得点はない。
上級学校への無資格での入学やソルブ語の使用のような、手厚い保護もない。
 だから、ドイツ社会からも、ロシア社会からも捨てられた存在なのだ。
それ故に、捨て猫みたいな物と、つい、本音を口走ったのだ。
「君も同じだろう。暖衣飽食の育ちとは思えない」
ヤウクはつぶやくように、そういってから、眼をバルクに向けた。 
「この大戦争の時代、生きようと思ったら這い上がるしかねえ。
生きるも死ぬも自分の能力さ」
 バルクは、得意になって、相好を崩しながらヤウクはへ言った。
ヤウクは、苦笑をもちながら、ただうなずいた。
「つまり僕たちが生き残るには、方法は一つしかない」
「頭になるしかない」
「君の話だと、国を乗っ取るしかない」
問われたことには答えず、バルクは、タバコを吸い終ると、こういって、ヤウクの方をふり向いた。
「おめえさんが担いでいるシュトラハヴィッツ。
あの爺を神輿にして、東ドイツの世論を統一にまとめる。
そして、統一ドイツの旗、ブルッセルにおっ立てる!」
 変な事を、臆面もなく言う男。
ヤウクは、感心しているような、またすこし、鼻白んだような面持ちで、まじまじと、バルクの口元を見まもった。
「これは木原が作ったグレートゼオライマーの資料映像だ。
土産に不足はねえだろう」
「確かに土産に不足はない。だけどそんなもので動く簡単な話ではない。
しかも、君の肚の中にある真意はつかめていない」
ヤウクは、当然なことを、当然いっているような態度である。
「駄目ってことか……」
 バルクは、一応口をつぐんだ。
けれどヤウクは、それを不愉快らしくは少しも聞かなかった。
むしろこういうはっきりした男も、大いによろしい。
「だけど君は僕に気に入ることを一つ言った」
 バルクは、使うには、使いよいことなども考えられた。
いや多分にそういう男であるから、さして不快とする理由もなかったのである。
「統一ドイツの旗、ブルッセルにおっ立てる」

「フッ、それでいいんだよ。
他人が何考えてようが関係えねえ」

「俺たちの目的は、同じ場所にある。
だから同じ月面作戦の船に乗る。
同じ作戦に参加したからって、一生親友って間柄じゃねえんだ」

「これは面白い冒険になりそうだね」
 
 

 
後書き
 カティアの経歴調べたら、1968年生まれなんですよ……
ずっと1967年生まれだと思って勘違いしていました。
 ヤウクが1954年生まれだとしたら、カティアとの年齢差は、14歳以上……
原作主人公のテオドールは1964年4月13日生まれですから、彼女とは4歳差ですね。

 当時の東ドイツだと、一応16歳でも家庭裁判所の許可が下りれば結婚出来ました。 
どうしても早く結婚したい場合は、婚姻年齢が15歳のフランスか、13歳のスペイン・ポルトガルで式上げるしかねえのかなと……考えております。
(フランスは2006年、スペインは2008年に婚姻年齢が18歳に引き上げられました。
なお婚前妊娠の場合は、ロシアを含む欧州のすべての地域で、家庭裁判所の許可で16歳で婚姻が可能です)

 ご感想、ご意見、お待ちしております。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧