水の国の王は転生者
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第八十四話 ボヘニアのヂシュカ
帝政ゲルマニアの帝都プラーカは、かつては古代のゲルマニア人の集落があったが、二千年ほぼ前の騎馬民族の侵入でゲルマニア人は土地を追われて西に逃げ、代わりにスラヴ人が流入して来て大規模な集落を作った。
その後、ガリアやトリステインといった国々の貴族達と婚姻し、魔法の力を得たゲルマニア人は、騎馬民族によって捨てざるを得なかった土地を取り戻す為に東征を開始し、スラヴ人の大集落もゲルマニア人に接収され、プラーカと名を改めた。
征服の結果、多くの都市国家が出来て、後の帝政ゲルマニアの基礎が出来ると、プラーカじゃロマリア教圏の東の要衝としてロマリア司教座が設けられる、大量のゲルマニア人が流入し、ボヘニア王の首府として繁栄、『黄金のプラーカ』と呼ばれるまで発展した。
しかし、繁栄の裏では、スラヴ人はゲルマニア人の圧倒的な魔法の力で末席へと追いやられていった。
現在、プラーカのゲルマニア人とスラヴ人の比率は1対4で、スラヴ人が圧倒的に多いが、社会的地位はゲルマニア人の方が高く、スラヴ系平民はゲルマニア系平民よりも低い地位で生きていた。
この様な事例はプラーカだけでなく、『新領土(ノイエ・ラント)』と呼ばれる、東征でゲルマニア領に組み込まれたスラヴ人の土地では、大量のゲルマニア人が入植して来て、差別的な光景が随所で見られた。
プラーカに住むスラヴ人は、自分達の事をのチェック人と名乗り、トリステインの迂回献金による資金提供を受け、来るべき独立のために暗躍していた。
プラーカ市内にある大衆酒場「麦畑の馬蹄」亭。
この何処にでも在る大衆酒場の一室では、5人のチェック系ゲルマニア貴族が集まり、密談を行っていた。
「皇帝の様子はどうだ?」
「耄碌し過ぎて、自分が何者かも分からなくなったそうだぜ」
「それなら我々の仕事もやりやすくなるという物だな」
「まったくだ」
ハハハ、と笑う貴族一同。
彼らチェック系ゲルマニア貴族は、貴族ではあるが全てが下級貴族で、要職についている者は誰も無く、チェック人のための独立国家建設の為にトリステインのゲルマニア謀略の尖兵として暗躍していた。
「では一両日中にも行動を起こすのですな?」
「そうだ。皇帝を血祭りにしなければ、今までの苦難から解放されない」
「では、いよいよ……」
「ああ、明日未明に行動を起こす」
『ザワ……』
大衆食堂の一室は、にわかにざわめいた。
「そうとなれば、早速蜂起の準備をしよう」
「だが、どうやって城内に潜入するんだ?」
「城内には協力者が何名か居る。皇帝の寝室まで難なくたどり着けるだろう」
「それじゃ俺は、市内の平民達に武器を渡して合図を待とう」
「よし! やるぞ!」
チェック人貴族達が盛り上がっていると……
「待て待て!」
今まで黙っていた一人のチェック貴族が待ったをかけた。
「ヂシュカ。もしかしてお前は俺達の義挙に反対する積りなのか?」
別のチェック貴族が、ヂシュカと呼ばれた碧眼の男に詰め寄る。
「反対と入ってない。私はそんな行き当たりばったりでは、蜂起は失敗するといっているんだ」
「行き当たりばったりでは無い! 現に我らはこの日の為に艱難辛苦の日々に耐えてきたではないか!」
「そうだそうだ!」
「ゲルマニア皇帝の命は高齢で明日をも知れないというのに、そんなボヤボヤしてたら、皇帝に制裁を加える間に死なれてしまう」
「落ち着け! 我々の目的は皇帝を殺す事ではなく、チェック人の国家を作る事だ。目的を履き違えるな!」
「ぐ、ぬぬ……」
「た、確かに……」
ヂシュカの説得で、場の熱気がトーンダウンした。
さらにヂシュカは続ける。
「とにかく待って欲しい。神父様に相談したい事もあるし、他の同志達にも連絡をしなければならない。とにかく待て」
「……分かった。この場はこれでお開きにしよう」
「ありがとう」
「気にするな。神父様によろしく伝えておいてくれ」
「分かった」
こうして「麦畑の馬蹄」亭での会合は、何の実りも無く終わった。
……
帝都プラーカに西日が差し掛かる頃、市内の下町に相当する裏通りには、小さな教会が建っていて、その門前には先ほど「麦畑の馬蹄」亭で、チェック貴族の暴発を抑えた碧眼のヂシュカが訪れていた。
「神父様、居られますか?」
ヂシュカは声を掛けたが、何処からも返事が無かった。
教会の周りには多くの尖塔が立ち並び、西日で出来た尖塔の影が小さな教会を覆い、教会内を日没後の様に暗くしていた。
「居ない……という事は裏か」
ヂシュカは教会の裏に回ると、裏に作られた小さな畑で、白いものが混じった髭をたらした壮年の男が、黒い神父服を泥だらけにして農作業をしていた。
神父が育てているのは、現トリステイン国王のマクシミリアンによって、新世界からもたらされたジャガイモだ。
ゲルマニアも先の大寒波で多くの犠牲者を出したが、寒波の影響で麦が不作になり、パンが貴族以外に出回らなくなった状況に陥ったが、神父はジャガイモを救いの食べ物として目を付け、わざわざトリステインまで足を伸ばして手に入れて育てていた。
この教会の神は、昨今の聖職者では珍しい無私の人だった。
「フシネツ神父。こちらでしたか」
「やあ、ヂシュカ君。会合はどうでしたか?」
フシネツと呼ばれた神父は、農作業をしまま、手を止めずヂシュカに応対した。
「その事ですが……」
ヂシュカは「麦畑の馬蹄」亭でチェック貴族達が暴走する寸前だった事を説明した。
「……なるほど。ご苦労様でしたヂュシカ君。貴方のお陰で無用な血は流れずに済みました」
「ですが、ここ最近の『熱』は、私の手に負えなくなってきました」
ヂシュカは心配そうに言った。
「ヂュシカ君お願いがあります。もう少しの間でいい、彼らを抑えて置いて下さい。私に考えがあります」
「それはもう、言われるまでもありません。今暴発しては何もかも終わりです。して、何を為さるお積りですか?」
「今の状態で蜂起しても、瞬く間に鎮圧されてしまうでしょう。ならば、ロマリアの力を借りて、独立の大義名分を得ようと思います」
「ロマリアの……ですか? 失礼ですが神父は……」
「表向きはロマリアの敬虔な神父ですが、ご存知の通り新教徒です」
フシネツ神父は新教徒であった。
だが最初から新教徒だった訳ではない。フシネツ神父が新教徒に趣旨替えしたのはハルケギニア大寒波の時であった。
先の大寒波によってゲルマニアの都市部の食糧の備蓄が底を尽いた。
だが作物を作る農村部では辛うじて一冬越せる分の食料は確保できたが、一部のゲルマニア貴族は、その噂を聞きつけ、スラヴ系の農村部において食料の徴発が行われた。
ゲルマニア系の農村は徴発の被害にあわず、スラヴ系の農村を狙い撃ちにした為、スラヴ系の農村部では多くの餓死者を出した。しかも、この徴発行為は公表される事は無かった。
チェック人ながらも神父であるフシネスは、ゲルマニアのスラヴ人に対する仕打ちを見て、ロマリア連合皇国にこの事を報告したが、ゲルマニア貴族と癒着のある高位の聖職者によって握りつぶされてしまった。
後でその事を知ったフシネツ神父は、ロマリア教の現状に絶望し、チェック人の独立独歩と同時にロマリア教の改革を目指す為に新教徒に趣旨替えし、今に至るようになった。
フシネツ神父がジャガイモの栽培を始めたのも、チェック人を始めとしたスラヴ人達のために、少しでも慰めになるようにとの思いもあった。
ハルケギニアでのジャガイモの評判は、その不恰好な形と、ロマリア教保守派のネガティブキャンペーンのせいもあってすこぶる悪い。
マクシミリアンは新世界からもたらされたジャガイモを、水魔法と土魔法を使った品種改良によって生成した……という事にしてハルケギニアに紹介した。他の動植物も同様である。
幸い、新世界の存在はばれる事はなく、世間はトリステイン国王にして偉大なメイジであるマクシミリアンによって作られた食物。ジャガイモやショコラ、トウモロコシを受け入れた。
ジャガイモは当初、その不恰好な形は大いに嫌われ、誰も食べようとはしなかったが、現在のトリステイン王妃カトレアが率先して毒見して啓蒙する事で、平民達に迎え入れられたと思われた。
だがロマリアの旧弊な聖職者達は、教義の中で『パンは始祖ブリミルの身体』と教えている事から、ジャガイモといった新種の食物を嫌い、取り入れようとする者達を『破門』の脅しつきで妨害していた。
その甲斐あって、トリステイン以外の諸国ではジャガイモは悪魔の実と言われ嫌われている。
だがフシネツ神父はその脅しに屈せず、この教会の裏の僅かなスペースを使ってジャガイモを栽培していた。
ヂシュカはその行為に感銘を受け、何かにつけフシネツ神父の教会を窺うようになった。
「確かにロマリアも変わらなければなりません。ですが、プラーカは謂わばゲルマニアにおけるロマリア旧教の総本山です。簡単に自分達の看板を下ろすはずがありません。それどころかフシネツ神父の命を……」
ヂシュカは、フシネツ神父の安否を危ぶんだ。
フシネツ神父は、チェック貴族のカリスマ的存在でヂシュカ自身も、他のチェック貴族も尊敬していた。
だが、他のプラーカの聖職者にとっては目の上のたんこぶで、フシネツ神父を敵視する者も多い。
「私の事などどうでもよろしい。ところで、チェック人独立の為の資金が、外国からもたらされているのはヂシュカ君も感付いているでしょう。ですが、最後に必要なのは我らチェック人の覚悟なのです」
「確かに……急に金回りの良くなった途端に、声が大きくなった連中が増えたのは私自身気に入りません」
「ヂュシカ君も覚えておくと良い。資金を提供してきた者たちは、我らチェック人のささやかな願いなどどうでも良いのです。ただ私達が暴れる事でゲルマニアが不安定になれば良いと思っているのですよ」
「それは……」
ヂシュカは薄っすらとは感付いていたが、謎の資金提供は彼自身渡りに船だった為に、それほど真剣に考えなかった。
「私は安易に暴れて、私達のプラーカを故郷ボヘニアの地を戦火に巻き込む事を良しとしません」
「その為に、ロマリア聖庁の力を借りようというのですね? ですが今の保守派の腐敗した連中に、なにを言っても聞く耳持たないでしょう」
「そんな事はありません。実は一ヵ月後にロマリアの教皇聖下がプラーカを訪れるそうです。私は教皇聖下に直接お会いし、チェック人を始めとするスラヴ人全体の現状を訴える積りです」
農作業の手を止めると、フシネツ神父はヂシュカだけにこの計画を話した。
「教皇聖下に……ですか?」
「そうです。教皇聖下からお墨付きを頂ければ血を流さずに独立は成るでしょう」
「そう簡単に上手く行くでしょうか……」
ヂシュカは不安そうすると、フシネツ神父は『心配ないですよ』と逆に励ました。
「教皇聖下は賢明な御方です。その方のお墨付きが頂ければ、皇帝も無下には出来ません」
そう言うと、フシネツ神父はジャガイモ畑を見渡した。
「今のこの畑は種芋作りの為の畑ですが、やがてボヘニア全体の畑で、このジャガイモの子供達が採れる様になります。その時が来るまで、ヂシュカ君には血の気の多い人達を抑えるようお願いします」
そう言うとフシネツ神父は再び農作業に戻り、ヂシュカも農作業を手伝いを始めると一時間ほど経った。
フシネツ神父は畑の手入れを終えたのか、神父服に付いた土を払うと教会に戻ろうとして、ふと、立ち止まりヂシュカの方に向き直した。
「ああ、言い忘れるところでした」
「なんですか?」
「もしも私の企みが失敗して、処刑されそうになっても決して助けないで下さい」
「え!? 何故ですか!?」
「自分でも一滴の血を流さずに独立しようなんて、甘いとは思っています。ですので失敗したら、自分のわがままの始末は自分で付けます」
「神父様……」
「今は大切な時期です。私を救おうとして、大切な志士達を無駄死にさせるような事はしないで下さい」
言いたい事だけ言うと、フシネツ神父は教会に入っていった。
☆ ☆ ☆
一ヶ月が過ぎ、ロマリア教皇がプラーカに来る日が近づいてきた。
教皇来訪の目的は、老いたゲルマニア皇帝の見舞いと、皇帝の居城のプラーカ城内に建てられた聖ヴァツラフ大聖堂での大規模なミサだった。
この時ヂシュカは、独立強硬派を抑えながらフシネツ神父の作戦成功を願っていた。
ヂシュカはフシネツ神父がどの様に教皇に近づくか詳しい事を聞いていなかったが、ミサの時に何らかの形で教皇に接近すると予想はしていた。
だがミサ当日、フシネツ神父は教皇の前どころか、ミサにすら顔を出さなかった。
ヂシュカ達チェック貴族は、ゲルマニア貴族に属している為、大聖堂に入ることすら許されず、群集と共に大聖堂の庭の隅っこでミサに参加する事を強要された。
大聖堂の庭で、中の様子を窺っても、なんの騒ぎも起きず。結局フシネツ神父は現れずミサは滞り無く終わってしまった。
チェック人の独立とロマリア教改革に燃えていたフシネツ神父が、ミサに現れなかった事でヂシュカは状況の異常に気が付いた。
『もしかしたらフシネツ神父は日和見したのか……?』
チェック貴族達は、そう言い合い。ヂシュカに一喝された。
ミサから三日後。
教皇はスケジュールを消化しロマリアへの帰路へ着くと、プラーカ全体がホッと息をつくように気が抜けたような空気が漂っていた。
ヂシュカは消えたフシネツ神父の安否を確かめる為に、教会へ行こうと借家を出ると、同志のチェック貴族と借家の入り口付近で出くわした。
「大変だヂシュカ!」
「どうしたんだ? そんなに慌てて」
「とにかく大変なんだ! ゴホゴホ!」
同志のチェック貴族は急いで走ってきたのか、息を切らしていた。
「何かあったのか?」
この時ヂシュカの脳裏に嫌な予感が走った。
「フシネツ神父が捕まって火あぶりにされる! キャレル橋の方じゃ大変な事になってる!」
「何だって!?」
「お、おい!?」
ヂシュカはチェック貴族が呼び止めるのも聞かず、キャレル橋まで走り去った。
……
ヂシュカは走った。
大国ゲルマニアの帝都というだけあって、石畳の道路はよく整備されていたが、ヂシュカは走ることすら面倒になり、『フライ』の魔法で古い建物が立ち並ぶ街中を飛び掛けた。
プラーカの街を東から西へ両断するように流れるヴルダヴァ川。
そのヴルダヴァ川の両岸をつなぐ巨大な橋こそキャレル橋で、そのデザインは地球で言うゴシック様式に近い。
キャレル橋近くの広場では、多くの人だかりが出来ていて、広場に入れないように木製の柵で仕切られていた。
『フライ』で急いできたヂシュカは、キャレル橋周辺が封鎖されている事を知ると、衛兵にばれない様に着地し人ごみの中に紛れこんだ。
『~異端者ヤン・フシネツの焚刑(火あぶりの刑)を執り行う~』
と柵の前の立て札に簡潔に書かれていて、柵の先の広場ではフシネス神父が5メイル程の木製の柱に鎖でつながれていて、ロマリア教の異端審問官がフシネス神父が程よく焼けるように、薪と神父の著書を足元の置き、油をくべていた。
「どうなってるんだ?」
「ロマリアの異端審問官だ。とんでもない奴らが来た」
市民達は口々に異端審問官への畏怖を語り、事の成り行きを見守っていた。
フシネス神父のカリスマは、多くのチェック人の知るところで、独立した暁には神父にリーダーをやってもらおうという声が大変多かった。
ヂシュカ自身も、独立運動の首魁になって導いてほしいと説得したが、フシネス神父は、けっして首を縦に振らなかった。
……そんなフシネス神父が、チェック人にとってかけがえのない人が、異端の一言で処刑される。
(どうする、救出するか?)
一瞬、救出するか考えたが、すぐにそれを捨てた。
この状況でフシネス神父を救出するのは自殺行為だからだ。
どうしていいか判断できず、ヂシュカが手を拱いていると、異端審問官が壇上の上に立ち市民の面前に現れた。
「お集まりの皆様。ここに括りつけられている異端者は、不敬にも教皇聖下の恩前に無断で現れ、始祖ブリミルの忠実なる子羊である大司教を罵倒した罪で、この度浄化される事になった!」
異端審問官の言葉では、教皇の前に潜入する事には成功したが、直訴の甲斐なく捕えられた様だった。
(しかし罵倒とは、汚職の図星を突かれた腹いせに火あぶりにしようってのが、本音じゃないのか?)
ヂシュカは内心思ったが、実は大当たりでプラーカ大司教は要職である事を言い事に、汚職の限りを尽くしていた事をその場に居た教皇や枢機卿らに暴露した。
だがフシネス神父は誤算があった。
汚職をしていたのは大司教だけではなく、他の枢機卿までも汚職にからんでいて、多額の用途不明金がプラーカからロマリアへ送られていたのだ。
枢機卿らは教皇に知られる事を恐れ、またプラーカ大司教は意趣返しと度重なる警告を無視してジャガイモを栽培しているフシネス神父を口封じのために消す事で利害が一致し、裁判無しで処刑できる異端認定をする事で合意した。
哀れフシネス神父は捕えられると、いらない事を言われないように口を麻糸で縫い合わされ、今日まで冷たい地下牢に閉じ込められていた。
木の柱に括りつけられたフシネス神父を背に、異端審問官はフシネス神父への罪状を延べ、懐から杖を取り出すと火魔法を唱えて杖の先に火を灯した。
「始祖ブリミルよ、この異端者を御赦し下さい!」
異端審問官は、フシネス神父の周りにくべられた薪や書籍に杖の火をくべた。
『ああっ!』
市民達から悲鳴が上がる。
火は油まみれの薪や書籍は瞬く間に燃え広がって炎になり、炎は神父の姿を隠してしまった。
「良い人だったのに……」
「お可哀想に神父様」
ざわざわ……と、市民達に動揺が広がった。
「市民の皆さんも、間違った教えを吹聴する不届き者が居ましたら、お近くの教会に届け出て下さい!」
その間も異端審問官は自分達の正当性を声高らかに叫んだ。
燃え盛る炎を背に異端審問官の演説は続き、その無残な光景と見て耐えられなくなった市民が、一人二人とその場を去っていった。
そして、炎の中のフシネス神父は、一切悲鳴を上げず炎の中息絶えた。
フシネス神父が最後に何を思い息絶えたのか、それを知る者は誰も居ない。
燃え上がった炎は、濛々と黒煙を空に上がり、西に堕ちかかった太陽の光を遮った。
……
日は西に落ち、キャレル橋近くの広場の刑場の人は疎らになった。
異端審問官の姿は既に無く、十数人の教会関係者が刑場の後片付けをしていた。
その教会関係者は、灰になって原形を留めなくなったフシネス神父だったものをヴルダヴァ川に放り捨てた。
ヂシュカは、キャレル橋の見える酒場の二階に場所を移し、灰になったフシネス神父が川に捨てられる様を血涙を流しながら見届けた。
(よくも……よくも……これが人間のやる事か……!)
内心では、血を吐かんばかりの慟哭を上げていたヂシュカだったが、何処にスパイが居るか分からない為、平静を装って安ワインを呷っていた。
『フシネス神父の遺志を継ぐ』
フシネス神父の死で、否が応でもボヘニア独立を成し遂げなければ成らなくなった。
フシネス神父が望んだ平和的な独立の道ではなく、怒りに任せて血と暴力にまみれた独立の道へと進みたくて仕方がなくなっていた。
(そうだ……! 他の皆はどうしたのだ?)
先の火あぶりで、怒りの余り他のチェック貴族の姿が目に入る事は無かった。
ヂシュカは、腹の底から湧き出るマグマを御しきれないせいで、今の今まで血の気の多い同志達の事をすっかり忘れていたが、情熱は人一倍ある彼らが、フシネス神父の処刑を見ていて平静へいられるとは思えない。
(ひょっとして、何かとんでもない事をしでかすのでは……いや暴走は既に始まっているかもしれない)
ヂシュカの心配どおり、チェック貴族は今夜、歴史に残る大暴走をする。
そして、その暴走はヂシュカを始めとするチェック人だけではなく、全てのスラヴ人とゲルマニア人を、戦乱の渦に叩き込む序章だった。
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