水の国の王は転生者
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第八十五話 プラーカ窓外投擲事件
深夜、帝政ゲルマニアの帝都プラーカのプラーカ城は、昼間のフシネツ神父火刑の喧騒が嘘の様に静まりかえっていた。
双月は雲に隠れて、僅かなかがり火と魔法のランプの明かりが、薄っすらとプラーカ城を照らしている。
城内の衛兵達は、『いつもの夜だ』と、眠い眼を擦りながら警備に当たっていた。
だが、城下においては、フシネツ神父の火あぶりで、チェック貴族の怒りは頂点に達し、チェック貴族の押さえ役だったヤン・ヂシュカの予想を超えて、事態はとんでもない方向へ向かいつつあった。
プラーカ城の周りには水を張った堀が周囲を取り囲み、唯一の出入り口である城門は固く閉ざされ、何人も進入することは出来ない。
だがプラーカ城内には、チェック貴族数人が既に潜入していて、使用人として予め潜入させていたチェック人の男にゲルマニア皇帝の寝室まで道案内をさせていた。
「皇帝の寝所はこの先だな?」
「そのとおりです貴族様。ですが、親衛隊のゲルマニア貴族が、少なくとも20人は待機しています」
チェック人の使用人の後に続く彼らチェック貴族達は、皇帝コンラート6世の寝室まで後少しという所までたどり着いていた。
だが、当然というべきか皇帝の警備は厳重で、親衛隊の他にも戦闘用ガーゴイルが、猫の子一匹通す事も不可能な程だった。
「多いな」
「ああ、だが、殆どの親衛隊は詰め所で眠っているようだ。寝首をかけば難しいことじゃないな」
「おっさん。案内はここまででいいから、一刻も早く城から逃げ出す事だ。もうすぐここは戦場になるぞ」
「え? あ、はい、御武運を……」
案内のチェック人使用人が去ると、残ったチェック貴族達は不適に笑いあう。
フシネツ神父の死で、彼らの目は既に沸点を通り越し、完全にキレた目をしていた。
「さあ、往こう。ボヘニア独立の為に……」
「ボヘニア独立の為に……!」
彼らには、自分達の行動によって起こるであろう、後の事など範疇に無い。
腹の底から湧き出る、悪魔的なほど魅力な暴性に身を任せる。
そして、数人のチェック貴族達は、それぞれの持ち場に散って行った。
……
人々の寝静まった深夜、親衛隊の詰め所は地獄と化した。
詰め所のドアが開けられると、突如降り注いだ不可視の刃が、眠っていた親衛隊隊員を切り裂き、遅れて入ってきた鉄の騎士ゴーレムが、手に持ったメイスで死に底なったゲルマニア貴族を撲殺する。
戦闘用のガーゴイルは破壊され、親衛隊のゲルマニア貴族の殆どは、自分が襲撃された事すら気づかず死んだ。
惨劇の後、チェック貴族が二人、詰め所に入り、辺りを見渡した
「他愛の無い」
「寝首をかけば、こんなものだ……行くぞ、次は守衛部屋だ」
チェック貴族は去り、鮮血が散った詰め所には、生きている者は誰もいなかった。
親衛隊の詰め所で惨劇が起こっている頃、チェック貴族数人が皇帝の寝室に近づいていた。
「護衛はどの程度いる?」
「そうだな、ざっと見て二三人と言った所か」
「よし、手早く済ませよう」
そう言って、リーダー格のチェック貴族の男『ダーボル』は、手を軽く振ると隠れていた他のチェック貴族達が新鋭隊員に襲い掛かる。
「……なにっ」
「ぐえ」
彼らはこの時の為に襲撃の訓練をしてきたのか、貴族ながらもよく訓練された兵士の様に、手早く親衛隊員を駆逐した。
「排除したぞ」
「よし、ゆっくりと中に入れ」
一人のチェック貴族が、巨大な扉のドアノブに触れると、それを回し音立てないようにゆっくりと扉を開けた。
皇帝は寝室中央には巨大な天蓋付きのベッドがあり、そこには枯れ木の様な細い腕をしたゲルマニア皇帝兼ボヘニア国王コンラート6世が寝息を立てていた。
「のんきに寝てやがる……」
「どうする? どのように血祭りに上げるんだ?」
「そうだな……」
ダーボルは、数秒ほど考えるとニヤリを不敵な笑みを浮かべた。
「この寝室の窓から、皇帝を突き落とそう」
「いいね!」
「この老人にはお似合いだな」
「フシネツ神父の敵だ」
一人、また一人と寝室に入って行き、遂には皇帝のベッドを取り囲んだ。
コンラート6世はまだ眠っていて、自分がチェック貴族らに囲まれ、風前の灯であることに気づかない。
チェック貴族達は、ゲルマニアの最高権力者の命が、自分達の手の平の上にある事に言いようの無い興奮に覚えた
「杖は奪ったな?」
「ああ、枕元に置いてあった」
「よし、やるぞ。我らの怒りを思い知れ」
皇帝を囲っていたチェック貴族は一斉に襲い掛かる。
杖が無ければただの非力な老人でしかないコンラート6世を、数人掛かりで持ち上げると寝室の窓まで移動させた。
「ふ? フガ??」
この時、ようやく目を覚ましたコンラート6世は、事態が上手く飲み込めず、老いで濁った目を白黒させていた。
「目を覚ましたぞ」
「丁度良い。人生最後の風景だ」
チェック貴族達は止まらない。
寝室のガラス窓をエア・ハンマーで砕くと、持ち上げていたコンラート6世を窓から放り捨てた。
「ひゃ、ひゃあああぁぁぁぁ……」
皇帝の寝室はプラーカ城でも比較的高い場所にあり、悲鳴を上げて落下するコンラート6世の姿が夜の闇に消えていく。
やがて下の方で、『グチャ』という、なにか硬くて柔らかいものが潰れる音を、風メイジ数人が聞いた。
ハルケギニア二大大国の一つであるゲルマニア皇帝は、呆気なくこの世を去った。
主のいなくなった寝室を沈黙が支配する。
「……」
「……」
この沈黙をダーボルが破った。
「撤収する。だがその前にプラーカ城を放火し、敵の目を欺く。火メイジの皆は放火して回ってくれ」
「承知した」
火メイジのチェック貴族数人が、それぞれ散っていくと、予め用意しておいた火種に放火する。火は各所で燃え上がり、城内の各所で混乱が起こった。
寝室から出て、誰も居ない廊下を走るダーボル一派は、城のあちこちで火の手が上がった事を確認した。
「火が広がっているな」
「よし、撤収だ!」
「おう!」
チェック貴族達は、途中で詰め所襲撃の者たちと合流し、火事の混乱に乗じて撤退に成功した。
守衛や親衛隊を予め殺害しておいた為か、プラーカ城の火事は発見が遅れ、千年の歴史を持つ皇帝の居城は炎に包まれた。
☆ ☆ ☆
プラーカ城の火事は、一夜明けた朝方になっても鎮火の気配を見せなかった。
それどころか、風の乗って火の粉が堀を挟んだ他の貴族の屋敷の燃え移り、プラーカ市は大規模な火事が発生していた。
プラーカ城の奉公するゲルマニア貴族は、せめて自分の屋敷は守ろうと、消火活動をしながらも、財産の一部を安全な風上の場所へ移動させていた。
一方の市民達は、日が昇っても黒煙を上げるプラーカ城を不安そうな顔で見ていた。
ダーボルに率いられたチェック貴族の暴走は第二段階に入る。
即ち、プラーカに住まう、非ゲルマニア人全ての一斉蜂起だ。
皇帝殺害に参加したダーボル一派は、撤収後も殆ど一睡もせず、一斉蜂起の段取りを進める為、プラーカ各所に走った。
混乱が続くプラーカ市内の「麦畑の馬蹄」亭の一室を臨時の司令部にし、ダーボルは次々と入る蜂起の返答に朝食を取る暇も無かった。
「ふふふ、貧民街の連中は蜂起に賛成したか。よしよし」
ダーボルは、休む暇も無い感覚を大いに楽しんでいた。
「貧民街の連中に、武器を渡してやってくれ。場所はこの羊皮紙に書いてある」
そう言って、連絡員に武器の場所が書かれた羊皮紙を渡し、別の連絡員の報告を聞く。
ダーボルがプラーカ城から戻ってから、このサイクルを何度も繰り返していた。
そんな時、廊下が騒がしくなった。
「ふ、ヂシュカの奴、遅かったな」
ダーボルの言葉と同時に、粗末な木製のドアが蹴破られ、碧眼のヂシュカが入ってきた。
「城の火事はお前達の仕業か!」
開口一番、ダーボルに向かって吐くと、ヂシュカは掴みかかってきた。
「落ち着けヂシュカ。俺達はなにも、放火をするだけに城に潜入したわけじゃないぞ?」
「なに……? どういう意味だ」
ヂシュカは、ダーボルの胸倉から手を離した。
「ふふ、教えてやろうか。あの城の主人は、既にこの世の者では無いわ!」
「……な、なんだと!?」
ヂシュカは脳天から電撃を受けたような衝撃を受けた。
だが同時に、心の何処かで重苦しい暗雲が去り、晴れやかな青空が広がった。早い話がスカッとしたのだ。
「ヂシュカ。俺と手を組まないか?」
「手を組むだと?」
「そうだ。ボヘニア独立の為にも、お前の力が欲しい」
「……むう」
ヂシュカは考えた。
(止めようにも、既に事は起きてしまった。今こいつらを見限れば、決起は鎮圧され独立の芽は永遠に失われてしまうかもしれない)
暴走のとはいえ、もう動き出してしまったのだ。ならば、ヂシュカのやることは一つしかない。
「……分かった。協力については承知した。これからの、具体的な独立プランを聞かせて欲しい」
「独立プラン? まずはプラーカを解放し、その余勢を駆ってボヘニア一帯を解放して回る、そんな所か」
「それだけか?」
「それだけだ。我らの気勢にゲルマニア人どもは気圧され道を開けることだろう」
……いくらなんでも計画がずさん過ぎる。
ヂシュカは心の中で呟いた
「甘いぞダーボル。皇帝が死んだとなれば、次の皇帝を決めるために内乱が起こる」
「結構ではないか。我々はその隙に乗じて、ボヘニアの解放を行えば良い」
「そうはならない。何故ならば、皇帝を殺した実行犯である我々を倒さない限り、次期皇帝を名乗る事はできないからだ」
「それは……」
黙ったダーボルにヂシュカは更に追い討ちをかけた。
「つまりは、だ。次期皇帝を狙う有力諸侯は、我らの反乱を鎮圧する事、無政府化したプラーカを『解放』する事で、新しい皇帝を名乗る大義名分を得ることが出来る」
「……馬鹿な、ボヘニアは我々の土地だ。故郷だ」
「言いたい事は分かる。昨日のフシネツ神父の件で、ゲルマニア連中に一撃食らわしたかった所に今朝の火災だ。正直スカッとした。認めるよ。だが、お前らの後先考えないやり方に、ボヘニアは窮地に立たされた」
「……念のために聞くが、ヂシュカ、お前ならどうする?」
「そうだな……」
ヂシュカは数秒考えると、ダーボルに向けて口を開いた。
「プラーカを捨て、何処か別の場所で身を潜め時間を稼ぐ」
「なんだと!? プラーカを捨てるだと!? 血迷ったか!!」
ダーボルは声を張り上げた。だが、ヂシュカは居たって冷静だった。
「ハッキリ言ってしまえば、ボヘニア一地方だけで、ゲルマニアと真正面から戦争をするのは無謀だ。お前はさっきプラーカを解放と言ったが、早い話が占拠すると言っているような物。ゲルマニア側からしたら、敵はボヘニアのプラーカに立て篭もって居ると喧伝するようなものだ」
ヂシュカの案にダーボルも、『むう』と唸り少し考えを改める。
「つまりはこういう事かヂシュカ。ゲルマニア正規軍と真正面から戦えば負ける……だから、プラーカを捨て、どこかに潜み、非正規戦を繰り返えして、ゲルマニアの疲弊を誘うというのか?」
ヂシュカはダーボルの発言に、『ほう……』と心の中で唸った。まるっきり無能でも無いらしい。
「そうだ。時間が経てば、何時までも皇帝の座を空けておく訳には行かない。そうなれば、次の皇帝を選ぶ為に敵の足並みも乱れ、我らにチャンスが訪れるだろう。すぐにでもプラーカを脱出するんだ」
「し、しかし、プラーカの市民達には、蜂起の指令を出してしまった。今から中止の命令を出しても、昨日のフシテツ神父の火あぶりの件もあって、市民は殺気立ってる。止めようとしたって止まらないぞ?」
「それをどうにかするのがお前の役目だ。なにが何でも中止させて、被害を最小限にするんだ」
ヂシュカの強い口調に、ダーボルは押され始めた。
だが、名案が思いついたのか、したり顔になってヂシュカにその名案を話し始めた。
「ヂシュカ。いい事を思いついたんだが、プラーカ蜂起をあえて放置して、その隙に脱出すれば……」
ダーボルは最後までその名案を言う事ができなかった。ヂシュカの鉄拳が、それを遮ったからだ
「何をする!」
「それ以上言ったら殴る」
「もう殴っているだろうに……」
ダーボルの突込みを無視して、ヂシュカはダーボルに詰め寄った。
「いいかダーボル。フシネツ神父の遺志は、最小限の流血で独立をする事だった。それに、そんな事してみろ、プラーカ市民どころかチェック民族全てに見離されるぞ」
ヂシュカは、ここで初めてフシネツ神父の遺言をダーボルに話した。カリスマ的人物だったフシネツ神父の遺言を聞けば、少しはダーボルの頭が冷えると思ったからだ。
「最小限の流血で独立だなんて夢みたいな事を……」
だが、ダーボルには効果が無かった。
言ってみただけで、それほど効果を期待してなかったヂシュカは更に続けた。
「そうだ。結局は夢見たいな話だった。だからフシネツ神父は一人で逝かれたのだ。いいかダーボル、軍事の一切を私に任せろ。勝つ事は不可能だが負けないぐらいの事は出来る。そうすれば独立のチャンスが回ってくるかも知れない。だからお前はプラーカ蜂起を是が非にでも止めろ。いいか、いいな?」
「あ、ああ、分かった」
ヂシュカの有無を言わさぬ迫力に、ダーボルは首を縦に振り、慌てて部屋から出て行った。
午後になると、プラーカ周辺の貴族領から、応援の兵が駆けつけ、火事は一応の鎮火を見た。
プラーカ蜂起はダーボルの屈力で未然に防がれたが、秩序が戻ったプラーカではゲルマニア皇帝コンラート6世の遺体が発見されてしまった。
同時に皇帝を守る守衛や親衛隊の数人が遺体で見つかり、火事の日、プラーカ城に賊が侵入した事が明るみになった。
残された家臣達は、すぐさま捜査が開始したが、実行犯であるダーボルを始めとするチェック貴族とヂシュカはプラーカを脱出していて、余りの脱出の出際の良さに、その影を掴む事すら不可能だった。
かくして数週間後、ゲルマニア皇帝の死はハルケギニア全土に知れ渡り、その報を聞いた野心家達が動きを見せ始める。
ハルケギニア二大強国の一つ、帝政ゲルマニアの分裂の幕は開けられた。
後書き
ストックが切れたので更新はもう少し先になります。
ページ上へ戻る