水の国の王は転生者
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第八十二話 わるいおうさま
国王マクシミリアン19歳の春。
トリステイン王国とアルビオン王国との間で、とある協定が結ばれた。
世間では協定が結ばれたロサイス港から取って『ロサイス協定』などと呼ばれているが、早い話がアルビオンがアルビオン北部の領土、『オーグニー諸島』と呼ばれる浮島群を担保に、トリステインからお金と食糧援助を得るという協定だった。
ハルケギニア大寒波のダメージに喘ぐアルビオンは、この借金のお陰で損害から立ち直りを見せ始め、国民に安堵の表情が戻りだした。
新たな領土を得たトリステインは、早速オーグニー諸島の開発を開始し、新たな漁業拠点と『スカパー・フロー』と呼ばれる軍港の開発に着手した。
配備される艦艇は、帆走コルベット艦などの二線級以下の小型艦艇ばかりで、アルビオンへの配慮が窺われた。
だが配慮を見せても、腹の虫が収まらないのがアルビオンの貴族達だ。
大事な土地を売って多額の資金と食糧援助を得たものの、トリステイン憎しの声をとアルビオン王家のへの失望の声は、日に日に大きくなっていき、トリステイン諜報局が、とある貴族が不穏な集会を開いたという情報をキャッチした。
トリステンの裏を知る者、諜報局長のクーペが不穏な集会の情報を持って来た。
執務中だったマクシミリアンは、執務室全体に『サイレンス』をかけ、密談の準備を整えた。
「何かあったかクーペ?」
「まずは、これをご覧下さい」
マクシミリアンは、クーペからアルビオンでの不穏な集会の情報が書かれた紙を渡された。
「……ふむ」
「いかがいたしましょう」
「この事はアルビオンへ知らせずに、連中を泳がせておけ」
「よろしいのですか? アルビオン国内が不穏になれば、トリステインと新世界を結ぶ航路が危険に晒されますが」
「かまわない、その為のスカパー・フローだ。上手く泳がせながら、連中の暴走を利用してトリステインの利益へと持っていこう」
アルビオン大陸は、ハルケギニアと新世界との間にできた栓の様なものだ。
トリステイン船が大洋に出る際には、必ずアルビオン近海を通らねばならず。もしアルビオンとの間がギクシャクすれば、アルビオンは私掠船を組織して新世界からの富を妨害、略奪する可能性もあり、何かと気を使っていた。
この危険性について、とある会議で議題に出したところ、楽観的な家臣は、
『考え過ぎではございませんでしょうか?』
とマクシミリアンの懸念を笑って否定したが、マクシミリアンの心は晴れない。
『昨日今日までの友人が、明日には突如敵に回る事なんて、国際社会じゃそう珍しい事じゃない』
と考えていた所にアルビオン側から借金の提案があり、マクシミリアンは外務卿のペリゴールを遣わせ、オーグニー諸島を担保に多額の資金提供を誘いアルビオン側はこれに乗った。
そして現在アルビオン北部のオーグニー諸島を得た事により、北回り航路のシーレーン防衛に光明が差した。
「陛下も国際社会という化け物をずいぶんと心得るようになりました。このクーペ、大変うれしゅうございます」
「世辞はいいよ。僕はトリステインに必要な事をしたまでなんだ」
「して、アルビオンをどう料理なさるお積りで? 現国王のジェームズ1世陛下とウェールズ皇太子殿下、そしてモード大公の御三方を亡き者にすれば、アルビオンの王位継承権は陛下の物となりますが……」
そう言ってクーペは『お伺い』を立てた。
ちなみに新世界に居るハーフエルフのティファニアは、『候補に入れる必要は無い』と思い、王位継承者から除外してある。
「そこまでやる必要は無い。強くなりすぎればシーレーンを脅かす厄介な相手になるが、だからと言って弱すぎて同盟国として頼りないと困る。生かさず殺さず、常にトリステインが主導権を保ち続けるようにしよう」
「御意」
「他に報告はあるか?」
「帝政ゲルマニアに放った間者の事ですが、早くとも二三年後には、スラヴ人は爆発すると思われます」
「仕掛けは上々か。クーペ、暴発しないように、スラヴ人たちを調整と監視を怠るな」
「御意」
ゲルマニアの仕掛けとは、ゲルマニア国内のスラヴ人と呼ばれる非ゲルマニア民族に、民族主義を植え付け反乱を起こさせる計画だった。
マクシミリアンは、机にブランデーグラスを二つ置き、最近出回るようになったタルブ・ブランデーの栓を抜いた。
「クーペも飲るか?」
「私は結構でございます」
「そうか」
そう言ってマクシミリアンは自分の分のみをグラスに注いだ。
「仕事が残っておりますので失礼いたします」
「ん、ご苦労」
クーペは一礼すると執務室を出て行った。
「謀略、謀略、また謀略……悪い王様ここにあり、だな」
マクシミリアンは、ブランデーが満たされたグラスの先を覗き込むようにすると、フンと鼻で笑い、それを一気に呷った。
……
執務室を出たクーペは、空き部屋に入ると周囲に誰も居ない事を確認し、用意していたメイド服を取り出すと、今まで着ていた男性用の服を脱いだ。
中肉の男の姿だったクーペの身体は、見る見るうちに皮と骨だけになり、股の間には切り取ったのか、それとも最初から付いてなかったのか、シンボルが付いて無かった。
次にクーペが合掌する様に両手を擦り出すと、手の平にはピンク色をしたペースト状のものが付いていて、そのペーストを身体に塗りたぐると、骨と皮だけのクーペの身体に肉が付き出した。
石膏細工の様に身体にペーストを塗りこむと、ペーストは人の肉にそっくりに変化し、最終的にクーペは女性の身体に変化してしまった。
用意しておいたメイド服を着ると、最後の仕上げに自分の顔を粘土細工の様に変化させ、何処にでも居るような凡庸な女性の顔に変化させ、何食わぬ顔で空き部屋を出て行った。
これがクーペの『変化』だ。
マクシミリアンの推測では土魔法の一種とだけしか分からない、諜報局長ジョゼフ・ド・クーペの秘術だった。
(もう一押し……)
クーペは誰にも気付かれないように内心呟いた。
クーペは腹の底が読めない事から、何かと誤解されがちだが、マクシミリアンへの忠誠は本物だ。
(もう一押しで、陛下は『本物』になられる)
マクシミリアンがアルビオン王家を駆逐し、アルビオン王に君臨する決断をすれば、謂わば最後の一線を越えれば、マクシミリアンは大王としての階段のとしてのスタートラインに立てる。
クーペはそう思っていたし願ってもいた。
(そういう決断をされれば、このクーペ、持てる全ての力で、陛下の覇業をお助けいたします)
だが、マクシミリアンの覚醒を阻むものが居た。
王妃のカトレアだ。
(あの女が陛下に余計な事を吹き込んだお陰で、陛下の踏ん切りが付かないのだ……!)
外付けの良心回路ともいえるカトレアの存在に、クーペは歯噛みした。
(胎盤のみ捧げれば良いものを……)
凍て付いた憤懣を隠しながら、メイド服の女性姿のクーペは廊下を歩き去った。
☆ ☆ ☆
とある日、マクシミリアンは妻のカトレアと妹のアンリエッタ母のマリアンヌの国王一家で、トリスタニア市内のタリアリージュ・ロワイヤル座劇場にて演劇の鑑賞をした。
演劇の演目は『英雄王のロレーヌ戦役』で、英雄王フィリップ3世の活躍を描いた演劇だが、女性陣には余り評判はよろしくなかった。
「ふぁ……つまんないわ」
「みっともないわアンリエッタ」
などと、アンリエッタなどはおおっぴらに欠伸をして、マリアンヌにたしなめられたりもした。
来賓室は国王一家四人と護衛の魔法衛士数人が居た。廊下へと通じるドアの外には護衛の衛兵がガッチリ警備を固めていて、警備体制に万全の注意を払っていた。
「カトレアはどうだ? 楽しくないか?」
「マクシミリアンさまとご一緒でしたら、楽しくないなんてありませんわ」
(それって、オレが居なきゃつまらない、っていう風にとらえられるんじゃね?)
そう考えていると演劇はクライマックスに入っていた。
ピンクブロンドの髪の二枚目俳優が、敵役の大男と一騎打ちを演じていた。
「お、烈風カリンの一騎打ちだな」
「確かお母さまは男と偽って、フィリップ3世陛下に御使えしていたのですね」
一部の者しか烈風カリンが実は女だと知らない為、大抵の烈風カリン役は、売り出し中の二枚目俳優が演じる事になっているのが通例だった。
チラリとマリアンヌの方を見ると、何処か懐かしそうにしていた。
烈風カリンと大男の一騎打ちは、いよいよ佳境に入っていた。
『往くぞ! 我が杖に全てを賭けて!』
『うおおお! おのれ烈風カリン!』
烈風カリン役のイケメン俳優が、敵役の大男を倒すと、一部の観客席から黄色い声が上がった。
「モテモテだな、キミの母君は」
「お母様も昔はやんちゃだったんですね」
「今でもヤンチャだと思うがね」
マクシミリアンとカトレアが、笑い会っていると場内にアナウンスが流れた。
『ご来場の皆様、以上で第一幕は終了にございます。休憩時間を挟みまして、第二幕をお送りいたします』
『拡声』の魔法で劇場内に響いた声は、休憩時間を告げると幕が降り始めた。長い演劇の為、途中で休憩時間が挟まれるのだ。
「少し劇場内を散歩しようか、カトレアは来るかい?」
「はい、御供させていただきます」
「アンリエッタはどうする?」
「私はここでりんごジュースを飲んでいますので結構です」
「そうか、それでは皆、母上とアンリエッタをよろしく頼む」
「御意!」
護衛の魔法衛士達に声を掛け、マクシミリアンとカトレアは来賓室から出ると、廊下側に居たミシェルが近寄ってきた。
「陛下どちらへ?」
「休憩がてら散歩だ」
「ミシェルも着いて来る?」
「お二人だけにしておけませんから」
ミシェルも二人の邪魔にならないように着いてくる事になった。
廊下に出ると、他の来賓室に客達も休憩で廊下に出てきて、マクシミリアン達の姿を見ると驚いた顔をして頭を下げてきた。
「陛下!」
「国王陛下だ!」
「どうもどうも。ああ、畏まった礼はいいよ」
マクシミリアンは礼が不要である事を伝えると、そそくさと立ち去った。
10分ほど館内を散歩していると、脂ぎった商人風の男が畏まりながらマクシミリアンの側にやって来た。すかさす、ミシェルがマクシミリアン達の前に立つ。
「それ以上近づくな。畏れ多くも国王陛下の御前であるぞ」
ミシェルが凛とした声で商人風の男を制した。
「これは失礼いたしました。私の名はロトシルトと申します。国王陛下に一目お会いしたく、無礼を承知で参りました」
ロトシルトと名乗った男は、手もみしながらニコニコと笑顔をマクシミリアンらに向けた。
マクシミリアンはロトシルトのいやらしい顔に内心嫌悪感を覚えるも、この手の陳情は良くある事なので、それほど気にしないようにして何食わぬ顔で応対した。
「で、そのロトシルトが僕に何の用だい? 」
「その様な大それた事ではございません。陛下を面識を持ちたくこの様な無礼を働きました」
「そうか、僕も覚えておくよ」
「ありがとうございます。そろそろ再演ですので、私は失礼させていただきます」
「ああ」
少ないやり取りだけで、ロトシルトは一礼すると別の来賓室に去っていった。
……
数日後、ロトシルトという商人風の男の事が引っかかっていたマクシミリアンは、執務室にある男を呼び出した。
「失礼いたします」
「アルデベルテよく来てくれた」
マクシミリアン呼び出した男は、かつてアントワッペン市で権勢を誇っていた大商人のアルデベルテだった。
アルデベルテは、アントワッペンの反乱を引き起こした黒幕の一人だったが、その弁舌と商人界隈のコネクションを買われた為、普通なら死罪の所を三年の労役で赦された。
現在は、マクシミリアンの政策ブレーンの一人としてトリスタニアに居を構えていた。
「どうだ、トリスタニアには慣れたか?」
「はい、陛下のお陰でございます」
「ま、掛けたまえ」
そう言って、マクシミリアンはアルデベルテにソファに座るように促した。
「ありがとうございます。今回はどの様な用件で私を呼び出したのでございましょうか?」
「その事だがな……」
マクシミリアンは、アルデベルテに先日のタリアリージュ・ロワイヤル座劇場で出会ったロトシルトの事を話し始めた。
「ロトシルト……でございますか」
「商人に多くのコネを持っているキミなら、何か知っていると思ってな」
「そう……ですね」
アルデベルテは少し考え込んで、
「恐らくですが、ゲルマニアのフランクヴルト市で、銀行業を執り行っているロトシルト卿の事ではないでしょうか?」
「ゲルマニアの?」
「左様にございます。陛下はゲルマニアでは金銭で領地を買い取って、貴族の位を得る事ができるのはご存知でございましょうか?」
「ああ知っている。と、いう事はロトシルトは、ゲルマニアの貴族で間違いないのだな?」
「もしくはその縁者のいう可能性も有りますが……」
「うん、分かった、後で調べさせよう。個人的な事は以上だ。それで、今日呼び出したのは、ロトシルトのことだけでは無くてな……」
マクシミリアンは、アルデベルテの商人ネットワークの話題に入った。
そして、数十分後。
「失礼いたしました」
話を終えたアルデベルテが下がると、マクシミリアンは次にクーペを呼んだ。
「ロトシルトか、どういうつもりでオレの前に現れたのか、引っかかる部分もあるが……」
タルブ・ブランデーを満たしたブランデーグラスを転がしながらマクシミリアンは独り言を言った。
……暫くすると、ピール腹の中年男の姿をしたクーペがやって来た。
「失礼いたします」
「よく来たクーペ。相変わらず何にでも変身出来るのだな」
「ありがとうございます」
「今日呼んだのは、先日ロトシルトと名乗るゲルマニアの貴族に出会ってな。彼の事について調べて欲しい」
「ロトシルトですか。もしやこの様な顔ではございませんでしたか?」
そう言ってクーペは、粘土細工の様に自分の顔を捏ね回すと、マクシミリアンが知るロトシルトそっくりの顔に変化した。
「おお、そうだ、その顔だよ」
「その男でしたら既に調べは付いております」
「手際が良いな。かなりの有名人なのか?」
「御意。相手は仮想敵の帝政ゲルマニア。しかも戦争状態になれば真っ先に激突する、西の雄、フランケン大公の重鎮ですからね」
「フランケン大公……確か選帝侯だったな。話には聞いた事があるがどんな人物なのだろう」
「そうですね……陛下は『英雄王のロレーヌ戦役』という演劇をご覧になった事はございますか?」
マクシミリアンは先日見た。演劇の事を思い出した。
「この前に見たな」
「それでしたら話は早いです。その中で、かの烈風カリンと一騎打ちをした敵役を覚えておいででしょうか?」
「あの大男の……という事はあの大男がフランケン大公だと?」
「左様にございます。もっとも、演劇では烈風カリンの勝ちでしたが、実際は引き分けでした」
「監督、脚本の都合で勝利に変わったと?」
「左様にございます。史実では、鶏が鳴く時刻に一騎打ちを始め、カラスが鳴く頃に一騎打ちを終える。そのサイクルを三日間続けても決着がつかなかったそうにございます」
「二人とも精神切れを起こさなかったというのか……」
マクシミリアンは、魔力無限のチートを得て少々天狗になっていたが、この話を聞いて上には上がいる事を思い知らされた。
「話を戻しますが、ロトシルトはフランケン大公の下では財務卿の任に就いており、同時に銀行家としてのコネクションを生かし政商としてゲルマニア全土に影響力を持つ男です」
「なるほど、大物だな」
「御意」
「その大物がアポ無しとはいえ、僕に目通りのみ求めてきた……何か企んでいるのだろうか。それとも商売のみでトリステインに版図を広げる為だけに近づいて来たのか。その辺りを踏まえて、クーペはロトシルトがなにを企んでいるか探って欲しい」
「承知いたしました。早速行って参ります」
「いくらなんでも早すぎないか? それに局長自ら諜報活動をするのもなあ……」
「前線に出るのがお好きな陛下に諭されるのは心外でございます」
「う、ううむ。まあ、クーペ自ら活動した方が確実か」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
ロスシルトの顔をしたクーペは、ニッコリ笑って一礼すると執務室を出た。
「ゲルマニアで権勢を誇る男。向こうはオレを利用するつもりで近づいて来たのかも知れんが、逆にこっちが利用してやろう」
悪い笑みを浮かべ、マクシミリアンはタルブ・ブランデーを堪能した。
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