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水の国の王は転生者

作者:Dellas
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第八十一話 初等教育開始


 地下世界での戦闘の1ヵ月後、王都トリスタニアは増築計画に基づく大開発の真っ最中で、完了を迎えつつある北部開発から多くの人員が異動・動員されて、今までに無い活気に溢れていた。

 チクトンネ街の大衆酒場兼宿場「魅惑の妖精」亭は、彼ら労働者に酒と料理を振る舞い、今日も大いに繁盛していた。

「さあ、妖精さんたち! 団体さんのご入店よ~」

『いらっしゃいませ~!』

 「魅惑の妖精」亭の店長スカロンは、いつもの様に身体をくねくねさせながら、コンパニオンの少女達に檄を入れた。

 店内は8割が増築計画の作業員で、仕事帰りの作業員が頻繁に立ち寄る事から大商いが続いていた。

 そんな「魅惑の妖精」亭の喧騒とは違って、二階のとある一室では三人の子供が、明日開校する初等学校の入学の為の準備に追われていた。

「はぁ……どうしたって、わざわざ勉強しに、こんな準備をしなくちゃいけないのかしら」

 ため息を吐いたのはスカロンの一人娘で、「魅惑の妖精」亭の看板娘だったジェシカだ。

「ジェシカは良いでしょう。私達はわざわざタルブ村から引っ張り出されてきたのよ」

「あ、でも勉強って楽しみかも」

 ジェシカの愚痴に答えたのは、ジェシカの従姉妹のシエスタとその弟のジュリアンだ。

 国王マクシミリアンは、5歳から15歳までの児童労働の禁止と、初等教育の実施をトリステイン全国に触れ込み、トリスタニアやリュエージュといった直轄地の主要都市に所等学校と子供達を住まわせる寄宿舎を建て、都市部の子供や農村部から連れて来こられた子供達を放り込み徹底的に教育する計画が立てられた。

今まで、ハルケギニアにおいて『学校』といえば、ロマリアの神官を育成する『神学校』が常識だったが、マクシミリアンは平民にも読み書き程度の学力を付けさせ、筋の良いも平民を拾い上げる事で、更なる人材の発掘育成を目的とした初等学校制度を、マザリーニを始めとする神官出身の家臣達の反対を押し切って実施した。

 マザリーニは『時期尚早』と言っていたが、マクシミリアンはそんな事は十分に分かっていた。

 だが、改革・工業化を推し進めるトリステインでも、ガリア・ゲルマニアの二大大国と比べれば、その国力の差を縮めるのはいかんともしがたい。
 だからこそ、マクシミリアンは教育を推奨し、『人財』を蓄える事で二カ国との国力の差を縮める事にしたのだ。

 トリステインの教育改革の最大の障害は、やはりロマリアだろう。

 マクシミリアンはロマリアとの関係悪化を最小限にする為、トリスタニア大聖堂を改築したり、ロマリア本国へ頻繁に使者を送って、これでもかとおべっかを使い続けた。

 お陰で、ロマリアへの接待費が本年度のトリステインの総支出の10%を占め、計画段階だったトリステイン鉄道計画は延期を余儀なくされた。

 破門回避の為とはいえ、マクシミリアンのロマニアに対する怒りは凄まじく、今までの交渉の成果をちゃぶ台にひっくり返して、ロマリアを地図から消そうかと本気で思ったが、カトレアが何とかなだめる事でことなきを得た。


 ……話を戻そう。

 初等教育で習う内容は、読み書きと計算、最低限の礼儀作法と教養を教えるのが基本で、幼稚園と小学校が一つに纏まった教育機関で、地球の様な中学校や高等学校で習うような学習内容は入っていない。
 それ以上の内容を受けたければ、成績優秀で特待生になって奨学金を貰い大学に入るか、普通の平民では手が届かないような額の学費を払って大学に入るしかない。
 児童労働の禁止が新しく定められた為、16歳になるまで卒業できないシステムになっていて、就労期間は特に定まっていない。
 悪く言えば、どんなに成績が悪かろうと16歳になれば寄宿舎を放り出されるのだ。

「じどーろーどーの禁止だっけ? それのお陰で店で働けなくなっちゃったわ」

「私も貴族様のお屋敷へご奉公に行く予定だったわ」

「僕も父さんの手伝いをするはずだったんだけどな」

 愚痴りながらも、準備の手を休めなかった。なんだかんだで、三人は学校なるものが楽しみだったからだ。
 シエスタ達が、わざわざタルブ村から王都トリスタニアの学校に入る為に来たのは、

『ジェシカちゃんてば、最近良い人が来なくなって落ち込んでるみたいだから、シエスタちゃんに励まして貰いたかったのよ。ついでにガッコーに通う事が決まったから、ジュリアンきゅんも一緒にいらっしゃいな」

 くねくねとしながら言って、スカロンが二人を呼び寄せたからだ。

「ガッコーの場所って何処だっけ?」

 ジュリアンが、シエスタ達に初等学校の場所を聞いてきた。

「国王様が前に住んでらした所よ」

「あら、そこって知ってるわ!」

 ジェシカが応えると、シエスタは目をキラキラさせた。

「どうしたの姉さん?」

「あそこの大浴場って、一度入ってみたかったの!」

 シエスタが大浴場に思いを馳せた。

「あそこはやめといた方が良いわ」

 だが、トリスタニアっ子のジェシカは否定的な意見を出した。

「どうして?」

「あそこは今。成金連中の巣窟よ。見栄っ張りな成金ばかりだって聞いたわ」

「成金てなに?」

 ジュリアンが聞いてきた。

「成金ってのは……そうねえ、前の意地の悪い貴族みたいな連中の事よ」

「貴族みたいな? 姉さん、それなら行かないほうが、いいんじゃないかな?」

 ジュリアンがシエスタに振ると、

「そっか……残念だわ」

 と、シエスタは後ろ髪を引かれながらも、大浴場を諦めた。

 そんなシエスタにジェシカが、助け舟を出した。

「安い大衆浴場なら今度連れてって上げるわよ」

「本当?」

「なんなら今行こうよ」

「良いわね行きましょうよ」

「言っとくけどジュリアン。大衆浴場は男女に分かれてるから一緒に入れないわよ」

「そ、そんなんじゃないって!」

 三人が行った大衆浴場は、それなりに綺麗でシエスタ達は旅の垢を落とす事ができた。

 こうして、入寮前の最後の夜は更けていった。






                      ☆        ☆        ☆







 次の日、三人は新宮殿の敷地内に建てられた寄宿舎に入寮する事になった。

 新築の寄宿舎は男性寮と女性寮とで分かれていて、ジュリアンはシエスタとジェシカと別れて男性寮へと入っていこうとしていた。

「それじゃ姉さん達も、お元気で」

「別にコンジョー(今生)の別れじゃあるまいし」

「あはが、またね。姉さん、ジェシカ!」

 ジュリアンは手を振って二人に別れをつげた。

「私達も行こっか」

「そうね」

 二人は新築特有の良い匂いのする領内へ入っていった。
 その途中、食堂と思しき大きなホールに着いた。

「食堂は、男子寮と女子寮の中間にあるのね」

 食堂の壁には『時間厳守!』と書かれた張り紙がしてあったが、二人とも文字が読めなかった。

「なんて書いてあるのかしら?」

「う~ん。わかんない」

 シエスタとジェシカが張り紙を見てウンウン唸っていると、一人の女性がやって来て二人に声を掛けた。

「貴女たち何をしているのかしら?」

「あ、すみません、これなんて読むんですか?」

「ああこれ、『時間厳守』よ。定められた時間を過ぎると食事が出来なくなるの」

「寝坊したらご飯が食べられなくなるのって、私んちじゃ普通だよね」

「あの、ありがとうございました。私この学校に入学する事になったシエスタです。この子はジェシカ。よろしければお名前聞かせてくれませんか?」

 年齢的にお姉さんを演じなければならないシエスタは自己紹介を始めた。

「エレオノールよ。エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。初等学校で教師をする事になっています。ひょっとしたら貴女たちを受け持つ事になるかもしれないわね」

 エレオノールはそう言うと、何処かへ行ってしまった。

「わわ、貴族様よジェシカ!」

「貴族が平民相手に教師をするなんて、この国も変わったわね。私が子供のころは横暴な奴が多かったのに……」

「今も子供だと思うわよ?」

「……ま、それはさて置き、今じゃ貴族よりも成金連中が酷いけどね」

「そうなの?」

「そうよ、シエスタも気をつけなさいよ。うかうかしてると身請けさせられちゃうわよ」

「そ、そんな事ないでしょ。今の国王様はそんな事許さないと思うわ」

 二人はぺちゃくちゃ喋りながら女子寮の受付へ足を進めた。

 ……

 受付で部屋の鍵を受け取った二人は、掃除の行き届いた廊下を通って自分達が寝泊りする部屋の前にたどり着いた。

「ここが私達の部屋ね」

「でも、同じ部屋で助かったわ」

「そうね」

 鍵を差し込みドアを開けると、一メイルほどの窓が真正面にあり、左右に二段ベッドと小さなタンスが二つの簡素な内装だった。

「見て、ベッドの上に服が置いてあるわ」

 二段ベッドの上下の段には、初等学校で使う制服が置かれていた。

 マダム・ド・ブラン製の制服だったが、字が読めない二人はそれぞれの制服を手に取った。

「可愛い!」

「早速、来て見ましょう」

 二人はわくわくさせて制服に袖を通した。
 制服は冬服と夏服の二着があり、デザインは冬服が黒いセーラー服で、夏服が白と黒のポピュラーなセーラー服だった。

「この白いの、前に店に来た水兵が着てたわ」

「でも可愛いわね」

 シエスタは冬服をジェシカは夏服をそれぞれ着て、見せ合いっこをしていた。

 バレリーナの様にクルリと回ると、ひらひらと短めのスカートが舞い上がり、二人のドロワーズを晒す。

「これで毎日過ごさなきゃならないのかしら?」

「ベッドの上に貴族様が履きそうな下着があるけど……」

「私達が履いていいのかしら?」

「二人分置いてあるんだから履いて良いんでしょ。よっと……!」

 ジェシカはドロワーズを脱ぎだした。

「看板娘が聞いて呆れるわ」

 シエスタは呆れながらも自分のドロワーズに手をかけた。






                      ☆        ☆        ☆




 エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールは、今年で21歳になった。
 かつて家出をして、王太子時代のマクシミリアンの新世界へ探索に同行し、それなりの名声を得た。

 新世界でのちょっとした冒険はエレオノールを人間的に成長させ、癇癪をある程度コントロール出来るようになった。

 ……だがしかし、彼女は未だ独身だった。

「大丈夫よエレオノール。まだ21じゃないの、チャンスなんていくらでのあるわ」

 初等学校の教員用の寮の自室にて、エレオノールは鏡に映った自分の目を見ながらつぶやいた。

 名門、ラ・ヴァリエール公爵家の長女で、妹のカトレアはトリステイン王妃。
 外戚として将来を約束された、これ以上無い優良物件だったが、これまで10件以上の婚約の解消を先方から告げられていた。

 元婚約者曰く……

『見た目は良いのに、どうしてそんなに残念なのかい?』

『なんて残念なんだ君は……本当に残念だよ』

『どうして、お酒が入るとそんなに人が変わるんだ?』

『ごめん、もう無理だ!』

 元婚約者達は悲鳴を上げながらエレオノールの前から去っていった。

 新世界から帰ってきたエレオノールだったが、人間的に成長すると同時に致命的な悪癖も持って帰ってきてしまった。

 古人曰く。

『酒は飲んでも飲まれるな』

 そう、エレオノールに新たなアビリティ『酒乱』が付与されたのだ!

 最悪な事に、飲んだ次の日の事は何も覚えていなくて、婚約者側も名門ラ・ヴァリエールと親類の国王マクシミリアンの影が怖くて何も言えず。結果、一人また一人とエレオノールから去っていった。

 自分の悪癖に気付かないエレオノールは、今では家を出て初等学校の教師として自立の道を歩き始めた。

『良い人が見つかったら、すぐ家に戻ります』

 とラ・ヴァリエール夫妻を説得して何とか許可を得た。
 大した自立の道だこと……と何処からかツッコミが来そうだった。

「そうよ、大丈夫大丈夫。私の二十代は始まったばかりなのよ!」

 気を取り直して、エレオノールはと自分自身に檄を入れると、クイッと眼鏡を上げ、腰に手を当ててポーズを決めた。
 同僚の教師陣は皆貴族で、その中から言い人を見つければ良いし、王都トリスタニアでは頻繁にパーティーが執り行われる事から、それに顔も出せば出会いがあるかもしれない。

「ふふ……決まった」

 などとほざくと、綺麗な金髪を手でなびかせ部屋を出た。

 残念な美女、エレオノールの狩りは始まったばかりだ……







                      ☆        ☆        ☆






 初等学校の入学式は、入学生が百人程度の規模で執り行われた。

 トリステインの平民教育制度は今は実験段階で、各都市に設けられた全て初等学校の入学生を合わせても千人に満たないが、マクシミリアンは10年以内に全ての平民に教育を施す為の義務化を計画していた。
 入学生の割合は5歳から15歳の男女とバラバラで、学年ごとに習う内容が決まっている訳ではなく、教師と年長者で手分けして年少者を受け持つ様な、どちらかというと、昔の日本の寺子屋の様な形態をとっていた。

 これは教師の募集をした際に、読み書きが出来る貴族がみな高給が約束された他の仕事に行ってしまった為、教師の数が不足していた事からやむなくこういう措置をとった。

 マクシミリアンは悲観せず、

『十年二十年後は平民向けの職業として定着するかもしれない』

 と言って、むしろ新たな雇用の誕生を喜んだ。

 とはいえ、単純に『雇用』と言ってもその道は厳しい。
 何せ、人を教え導く職だ。『人間』が出来上がった人間でないと勤まる仕事ではない、言ってみれば『聖職』である、とマクシミリアンと思っていた。
 ろくでもない教師に当たって子供達を不幸にする可能性がある為、振るい掛けは慎重に進めなければならない。

 もっともエレオノールをはじめとした、初等学校の教師の面々が人間が出来ているかどうかは、疑問点が付くが……

 ともかくトリステイン王国における初等教育はこうしてスタートした。

 ……

 入学式を終えたシエスタ、ジェシカ、ジュリアンの三人は、割り当てられた教室に入った。
 百人の入学生を五つに割り、一クラス二十人前後で、三人とも同じクラスだった。

 教室内で真っ先に目に付いたのは、生徒三人ほど並んで座れる長椅子と長机が並べられていて、向かい合うように黒板があり、小さな講義室を思わせる教室だった。

 教室内で騒いでいる子供たちは皆年齢がバラバラで、口悪く言えば、動物園の猿の檻の中……という言葉がピッタリな状況だった。

 そんな中、担任のエレオノールが教室に入ってきた。

「さあ皆さん。席に着きなさい!」

 馬術用のムチを片手に、生徒達に席に着くよう命令するが……

『がやがや……』

『きゃいきゃい……』

 シエスタ達は席に着いたが、他の子供たちは席に着こうとせずお喋りをして騒いでいた。

「……」

 仏頂面のエレオノールが、ぺちぺちとムチで自分の手の平を数回叩くと、

「さっさと席に着きなさい!」

 ビシィ!

 と、エレオノールはムチで、前列の机を力一杯叩いた。

『ひい……!』

『あわわ……!』

 途端に静まる教室。
 子供たちは我先に近くの席に座り、大人しくなった。

「……始めまして。私はあなたを卒業まで受け持つヴァリエールです。ヴァリエール先生と呼びなさい」

「……」

 エレオノールの自己紹介は、生徒達の畏怖の目で迎えられた。

「これから、貴方達に基礎的な読み書きに計算、その他諸々を教えます」

『……ごくり』

 生徒のほぼ全員が生唾を飲み込んだ。

「特に貴方達には、社会での生活能力をみっちり学んで貰いますから覚悟しておきなさい」

『……』

「返事は!?」

『はい!』

 シエスタ達を含めた生徒達は、大きく返事をした。

「……何だかとんでもない所に来ちゃったわね」

 ジェシカが呟くと、シエスタもウンウンと首を振る。
 こうして、シエスタ達の初等学校での日々が始まった。
 
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