魔法使い×あさき☆彡
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第二十一章 それでも顔を上げて前へ進む
1
目が溶けるが先か、潰れるが先か、というほどの凄まじい爆発閃光であった。
だというのに揺れはごく微か、音もほとんど聞こえず、爆風はそよ風。
すべては直径数メートル、描かれた魔法陣の上でのみ、起きているのである。
原子陽子すらも粉砕され消滅しそうなほどの、凄まじい規模の大爆発、大獄炎が。
あまりにも静か過ぎて、
目の前のことであるのに、まるで映像を見ているかのようであった。
現実では、ないかのようであった。
「リーダー!」
「延子!」
「万う!」
でも、これは現実だ。
間違いのない、現実だ。
そう分かっているからこそ、みなは泣き、叫ぶのだ。
口々に、悲痛な絶叫を放つのだ。
爪が食い込み刺さるほどに、拳をぎゅっと握るのだ。
我孫子第二中の魔法使いたち、そして、カズミが。
第三中の治奈、祥子も、唖然呆然、ただ潤んだ瞳を震わせている。
目の前の大爆発に、そのもたらすであろう結果、訪れるであろう結末に対しての、己の無力さに、ただ、ぎゅうっと拳を握り締めている。
大獄炎も、やがて勢いを弱め、
すべてを溶かしそうな真っ白な光も、やがて消え、
魔法陣の上に、もうもうと立ち上っている煙が、ゆっくりと晴れていく。
魔法陣の包む空間の、外側を薄くこそいだのか、描かれた魔法陣は既に消えており、こそがれた分だけ床が磨き上げたかのように綺麗になっている。
その綺麗になった床に、人が倒れている。
泣き叫ぶ魔法使いたちの一縷の希望、それを無残に踏み砕く残酷な結末が、そこには待っていた。
倒れているのは、二人だけだったのである。
康永保江と、
昌房泰瑠、
この二人が、皮膚の半分が焦げて炭化した状態で倒れているのみ。
万延子の姿は、どこにも存在していなかった。
魔道着の、切れ端? ひらりひらりと舞い揺れながら、もともと薄水色だったであろう焦げた繊維が床へと落ちる。
床の上。棒状に、消し炭の粉末が敷かれた、その上に。
延子の、木刀……
「うあああああああ!」
「延子おお!」
第二中の魔法使いたちの慟哭が、さらに激しくなった。
膝を落とし、床を叩き、叫び、震えていた。
そんな中、涙をボロボロこぼしながらも、宝来暦は項垂れていた首を上げて、ぎろり睨み付けた。
倒れている、二人の魔法使いを。まるで、鬼の形相で。
「う……」
うつ伏せに倒れている昌房泰瑠の、微かな呻き声。
同時に、指がぴくりと動いていた。
横向きに倒れていた康永保江の身体が、ごろりと仰向けになった。
ぜいはあ息をしながら、ぷるぷる震えながら、左右の腕を小さく持ち上げた。
彼女は、目の前に運んだ自分の手を、ゆっくりグーパーさせながら、焦げてかさかさになった唇を動かした。
「まだ……死んでねえ」
「そりゃお互い残念っしたあ!」
ガツ!
宝来暦が、やけくそ気味に叫びながら、康永保江の半分焦げた頭を蹴飛ばした。
「がふ」
起き掛けた康永保江の身体が、また床に転がった。
見ながら、宝来暦はだんと激しく床を踏んだ。
「あたしたち、もう体力なんか残ってないんだ。まだ全然、回復なんかしてないんだ。……だから、一瞬で楽にしてやるとか器用なことは出来ないから、覚悟、決めておきな!」
そういうと宝来暦は、ふらついた足取りで剣を振り上げ、康永保江の背へと、叩き下ろした。
ぎゃう、
と天井貫く凄まじい悲鳴が上がった。
襲うは悲鳴以上の激痛であろう。
ほとんど素肌も同然の、なおかつ背中、なおかつ背骨へと、金属の塊が叩き付られたのだから。
拳を爪が食い込むほど握り締め、顔を歪めて呻く、康永保江の姿。
それに満足した、というわけではもちろんないのだろうが、見下ろす宝来暦の視線、その対象が、今度は昌房泰瑠へと向いた。
「お前はさあ、さっきさあ、ええっと、化皆に、こんなことしたっけえ!」
高く剣を振り上げると、自らの腕がへし折れても構わないというほどの激しい勢いで、振り下ろしていた。
肉が潰れる音。
骨の砕ける音。
不快で不気味なハーモニーが、静かな部屋の中に響いた。
昌房泰瑠の右腕が、胴体から離れて、床に転がった。
凄まじい絶叫が上がるが、宝来暦は顔色一つ変えず、左腕にも同様に剣を振り下ろした。
さらには、
右のももを付け根から。
一度では切断出来ずに、二回、三回、ぶちゅり、がつり。
喚き悲鳴は、まるで断末魔。そんな悲鳴に、まったく顔色を変化させることなく、単純作業的に今度は左のももを、ぶちゅり、がつり。
もともと血液が枯れていたためか、切断面からあまり血は出ていない。
しかし痛みは現実で、傷を押さえて堪えようにも、押さえる腕は既になく。昌房泰瑠は、顔を歪めること、喚くこと、残った胴体をのたうち回らせることで、身に起きている地獄をやわらげようとするしかなかった。
同情心の微塵もない冷たい表情で、宝来暦は見下ろしている。
「ええと、それでなんだっけえ? 『そんな豚みたいな姿で、失礼だろ!』だっけ? うん、確かに失礼だよねえ。お前のその姿がさあ。生き様がさあ。心がさあ! 魂がさああああ!」
恐怖に見開かれる昌房泰瑠の瞳に映るもの、それは、両手で逆さに握った剣をゆっくりと持ち上げる、宝来暦の姿であった。
「わああああああ!」
大きく口を開いて、震える悲鳴を上げる、その口の中へと、剣の切っ先が突き落とされた。
切っ先が口の中を突き刺し、首から突き抜け、突き抜けた先端が、カチリ床を叩いた。
恐怖に見開かれた瞳が、すっかり濁っていた。
光が消えていた。
絶命、していた。
その、死体の胸を踏み付けて、剣を引き抜いた宝来暦は、
「さて、と」
隣に転がっている、康永保江の頭を、強く蹴った。
「がふっ」
「うるさいよ!」
呻き声に腹を立てて、もう一度、頭を蹴った。
康永保江は、また蹴られるかも知れないこと構わず、必死に、首を振り、口を開いた。
焦げてかさかさの唇を動かして、
「お、お前たちのっ、勝ちだ。あたしの負けだ。悪かった」
必死に、かすれた言葉を発する。
「つうかよっ、雑魚ども二匹を殺したのはあたしじゃないだろお! もうかたきは討っただろ! ヨロズとかいう女も、自分で勝手に吹っ飛んだだけだあ! あたしがなんかしたのかおよおお!」
「はあ?」
宝来暦、目が点である。
呆れて動けないでいるのを、弁明の機会を与えられたと思ったか、黒スカートも燃え尽きて半裸も同然の魔法使いは、ちょっと待て待てといいながら、ふらりよろりと起き上がり、
「こいつだあ!」
四肢を切断され人豚状態で絶命している昌房泰瑠の頭を、身体を、蹴り始めたのである。
「こいつだ! こいつだ! こいつだ! こいつだ! こいつがお前らのかたきだあっ」
何度も何度も何度も何度も何度も何度も、蹴る。
もともと半分焼け焦げていたこともあり、蹴った首は、しまいにはもげて、ころころ転がり壁に当たった。
「スットラーイク。バーカ! 地獄へ行けえ!」
元黒スカートの魔法使いは、嬉々とした声を発しながら、自分の蹴った首へと近付いて、さらに、強く蹴った。
もともと脆くなっていたか、昌房泰瑠の頭は、くしゃりとあっけなく潰れた。潰れて、熟れたトマトのように壁にどろりと張り付いた。
はあはあ息を切らせながら、魔法使いたちへと向き直った康永保江。
数秒ほど黙って、肩を上下させていたが、再び、かさかさに焦げた唇を動かした。
「徳柳の場所も、教えるからさあ。さらった小娘のことも、教えるからさあ」
「フミ、フミはいまどうなっとる……」
史奈の話が出たことで、明木治奈ははっとした顔で話に食い付き、身を乗り出した。
が、次の瞬間、嘉納永子に、ゲンコツで頬を殴られていた。
治奈が呆然と頬を押さえているのを見ながら、嘉納永子はふんと鼻息、唾を吐き捨てそうな不快な顔を作った。
「てめえ、なんで治奈を殴るんだよ!」
仲間を殴られてカズミが激怒。嘉納永子へと食って掛かった。
「うるさい!」
「ああ?」
二人が火花を散らし、睨み合っていると、
「ごめん、昭刃さん、明木さん」
文前久子が間に入って、小さく頭を下げた。
「ごめんね。フミちゃんのことはまだ希望があるけど、いま確実に、わたしたちの仲間が三人、死んだんだ。だから……」
そう。
リヒトの魔法使いと戦って勝てば、明木史奈の生命は助ける。
そうリヒト所長の至垂徳柳にいわれていた。
そして、戦い、勝利した。
一番信用の出来ない男との、なおかつ口約束ではあるが、その言葉の通りなのであれば、史奈は助かることになる。
つまりは、希望はある。
だけど、そのために三人の魔法使いが、生命の花を散らすことになったのである。
そう考えれば、嘉納永子のイラつきも、もっともな感情というものであろう。
「ほうじゃな。こちらこそごめん」
治奈はそういうと、小さく頭を下げた。
「こっちこそ……」
嘉納永子は一転して弱々しい顔になってそういうと、ずっと鼻をすすった。
「んなことよりよお、どっちから聞きたいんだあ? 徳柳のことと、小娘のこと。他にも、知ってることなら、なんでも教えてやるぜえ」
康永保江がまた、焦げた唇を動かした。
その唇に、
剣の先端が触れていた。
文前久子の持つ、剣が。
「演技が下手、というか、演技しなきゃいけないことも、すっかり忘れているでしょう?」
「ああ?」
康永保江の表情が変わった。
作り笑顔から、警戒に唸る犬の表情へと。
それも一瞬、すぐにまた笑顔に戻るが、久子の剣の切っ先はそのまま真っ直ぐ、口に突きつけたままだ。
「外見の酷い状態を維持したまま、いま急ピッチで、皮の内側を治療しているんでしょう? 非詠唱魔法で。時間稼ぎをしたいのか、まあぺらぺらと、舌の回ること。でも、見た目の通りに酷い状態なら、そんな饒舌に喋れるはずがないよね」
「な、なにを……」
目を白黒させる康永保江であったが、突然、まなじり釣り上げると、
「回復すっまで人質になってもらうぜえ!」
大声を張り上げながら、久子へと飛び込んだ。
後ろへと回り込み、どこに隠し持っていたのか、右手のナイフを久子の首に押し当て……ようとした瞬間、振り向きざまの発勁を受けて、風に舞う木の葉の如く軽々と吹き飛ばされ、壁に背中を強打し、呻き、床に落ちた。
「あなた強いから、回復なんかされたら、わたしたち全員が殺される。いまので、あえて生かしておく価値もないクズと分かったことだし……」
剣をさげ、床を擦りながら、久子は、康永保江へと歩み寄る。
歩み寄りながら、剣をゆっくりと、振り上げる。
「ま、待って! 待って待って待って! いまの未遂だったんだからセエーーフ。だろ?」
「アウト」
「そ、そんなっ、あたしはまだ誰も殺してないじゃないかあああああああああ!」
「地獄で懺悔しな」
剣、落雷の如き鋭い一閃。
康永保江の顔面が、真っ二つに割れていた。
2
どう、と前のめりに倒れる康永保江の身体。
ばっくりと深く割れた顔から、血が流れ出し、床に海が広がっていく。
消失感、というのだろうか。
血塗られた剣を持つ、文前久子の顔に、浮かんでいるのは。
憐れむでもなく。
怒りも満足もなく。
ただ深い悲しみと、虚しさがあるのみ。
虚しさという風に吹かれて、ただ立ち尽くしている久子であるが、やがて、ぎこちない笑みを作ると、小さく口を動かした。
「かたき、討ったよ。リーダー。化皆。享子」
それだけいうと久子は、言葉を詰まらせてただ身体を震わせていた。
やがて、ボロリ大粒の涙をこぼすと、声を上げ、泣き始めた。
泣き続けた。
立ち尽くしたまま、いつまでも。
しんと静まり返っている部屋の中で、その悲しい泣き声だけが、微かに反響し続けていたが、第二中の仲間である嘉納永子と宝来暦が、触発されて我慢出来なくなり、大泣きを始めた。
カズミや治奈、祥子も、しんみりとした表情で下を向き、やり場のない悲しさを必死に堪えている。
それがどれだけ、続いた頃だろうか。
突然、
どおおおん、と爆弾でも爆発したのか、低い轟音に部屋が揺れた。
壁の一面が崩れると、人が楽々通れるほどの大きな穴が出来ていた。
先ほど、リヒトの白スカートの魔法使いに、アサキが透過魔法で引き込まれた、出入り口のない部屋。壁が崩れたことで、その部屋と繋がっていた。
大穴のすぐそばには、壁が崩れて瓦礫と化した以外に、なにか巨大なものが落ちている。
それは、人間の、拳?
切り落とされた腕?
だが……
それは桁外れの大きさであった。
その巨人の手の中には、白いスカートの魔法使いが、全身をがっしりと掴まれていた。
リヒト特務隊の、斉藤衡々菜、先ほどアサキをこの向こうの部屋へと連れ去った魔法使いである。
「アサキの……巨大パンチか?」
カズミが、乾いた唇を動かしてぼそり呟いた。
その言葉を合図にというわけではないのだろうが、巨大な手は突然、音もなく小さくなっていく。
白いスカートの魔法使いを、ごろり転がしながら、普通の少女の大きさに戻った腕は、ふわり浮かび上がると、壁の穴の奥向こう、暗がりの中へと消えた。
残された、白スカートの魔法使いは、うつ伏せに倒れたまま、ぴくりと手の指を動かした。
うう、
く、
呻き声を発した。
その様子を見ながら、宝来暦は、イラついたように舌打ちをした。
剣を握る手にぎゅっと力を込め、歩き出した。
スカートタイプの白魔道着、リヒト特務隊の斉藤衡々菜は、頭をぶるぶるっと震わせると、上半身を起こした。
手をつき、膝をがくがく震わせながら、立ち上がった。
部屋の奥に誰か、おそらくアサキがいるのであろう。
こちらにまったく気付いていないのか背を向けたまま、白い魔法使いは、奥の部屋にいる誰かに向けて、狂っているかのような凄まじい絶叫を発した。
「さいきょうのおおおおおお、魔法使いはあああああああ」
「うるさい」
宝来暦は、小さな声でそういいながら、剣を斜めに振り上げた。
切っ先に掛かった振り上げる遠心力が、白スカートの魔法使い斉藤衡々菜の後頭部を砕き、肉や神経をごそりえぐっていた。
意識を永久に失ったその身体は、力抜け、どうんと前のめりに倒れ小さく弾んだ。
砕かれた後頭部のばっくり空いた亀裂から、じくじく血が流れている。
それは周囲を、見る見るうち真っ赤に染めていった。
大穴の向こう、奥の部屋の暗がりから、微かな息遣い。
そして、ずるずると、なにかを引きずる音。
それが少しずつ、大きくなってくる。
暗闇の中から、人影が見えた。
それは、ズタボロになった血みどろの魔道着を着た、赤毛の少女であった。
3
現れたのは、赤毛の、赤い魔道着の、魔法使い。
令堂和咲であった。
「アサキ!」
「アサキちゃん!」
カズミと治奈が、嬉しそうに声を掛けた。
暗雲の中に、小さな光明を見付けた。
そんな、二人の笑顔であった。
わずかに唇を釣り上げ、笑みで応えるアサキ。
よく見るまでもなく、酷い有様である。
防具は砕かれ、魔道着はいたるところ裂かれている。
腹のこんもりとした傷痕の生々しさ。まだ血が乾いておらず、ぐちゃぐちゃだ。剣で深く貫かれるなどされ、応急処置を施したものだろう。
さらには、左腕だ。
肘から先が、なくなっているのだ。
自身の右手に掴まれているのが、それであろう。先ほど巨大化して白魔道着の全身を掴んでいたのが、それであろう。
その凄惨な様に、カズミたちの目が驚きに見開かれる。
狼狽もしないのは、自分たちも地獄を潜り抜けてきたからだろう。
仲間の死を見てきたからだろう。
カズミたち、
第二中の魔法使いたち、
彼女たち自身に降り掛かった惨劇、惨状がなかったならば、きっとアサキのその姿に飛び上がって、慌て、泣き喚いていたことだろう。
アサキの視線は、焦点が合っていなかった。
疲労か、怪我か、少し朦朧としているようである。
頭をふらつかせ、ぜいはあと息を切らせながら、アサキは、掴んでいる自らの左腕を、切断面に合わせる。
持っている方、右手が、ぼおっと薄青く輝いた。
魔法による治療である。
腕の接合治療を施しながら、アサキは、ふらふらとした足取りで歩く。
爪先が、なにかに触れ、視線を落とす。
足元に倒れているのは、白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜の死体であった。
アサキの朦朧とした顔が、わずか変化していた。
「生命まで奪わなくても……」
壮絶な生命の奪い合いをしていたはずの、相手の亡骸。
だというのに、生命の尊厳を尊重してしまう、哀れんでしまう、罪は憎んでも人を憎むことが出来ない。
それが、アサキという少女なのである。
もちろん、その考え方が万人に受け入れられるはずもない。
アサキは、胸ぐらを掴まれていた。
宝来暦に掴まれて、強く引き寄せられていた。
「ねえ、状況分かってる? よく見てものをいいなよ!」
「え……」
まだ半ば意識朦朧としていたアサキは、そういわれ、あらためて周囲を見回した。
ひっ、と息を飲んでいた。
これまでないほどの、驚きと、悲しみが顔に浮かんでいた。
ここは地獄なのか。
そんな光景に、アサキは、立ち尽くしていた。
青ざめた顔で、肩を震わせながら。
「これは……」
震える、アサキの唇。
震える瞳。その、瞳に映るものは少女たちの死体であった。
血の匂いに満ち満ちた空間に倒れている、死体であった。
焦げ破れ半裸に近いが、黒いスカートの魔道着、康永保江が、顔面をざっくり真っ二つに、叩き割られている。
それと、見たことのない魔法使い。
四肢を切断されており、口の中を剣で貫かれている。
真っ白髪なのは元からか、死の恐怖のためか。
アサキは知らないが、昌房泰瑠である。
そして、第二中の魔法使い、
弘中化皆が、真っ白髪の魔法使いと同様に四肢を切断されてこと切れている。
延元享子が、頭を叩き割られて血の海の中に倒れている。
「酷い……なんで、こんな……」
アサキはショックのあまり床に崩れ、項垂れた。
すぐに、すすり泣く声が漏れ始めた。
ボロボロと涙をこぼし、アサキは泣いていたのである。
「延子、さんは?」
顔を上げ、宝来暦へと尋ねる。
返答まで、一瞬だった。
平気だというわけではなく、単に問われる予想が出来ていたということだろう。
「死んだよ。超魔法を爆発させて、あとかたなく吹っ飛んだ」
「え……」
床に手をつき、頼りなげな顔を上げたままのアサキ。
その顔が、その表情が、硬直していた。
凍り付いていた。
宝来暦は続ける。
「明木さんの妹を助けるためにね。活動エリアが違うのに、隣だってだけで。リーダーも、化皆先輩も、享子ちゃんも、死んじゃったよ」
少し自虐気味にいうと、ずっと鼻をすすった。
「ごめん!」
治奈は、泣き出しそうな顔で、深く頭を下げた。
「うち一人でくるべきじゃった。うち一人で死ぬべきじゃった。巻き込んでしまって、申し訳ない……」
「それは違う!」
アサキの、立ち上がりながらの大声に、治奈はびくり肩を震わせた。
「わたしを、追い込むためなんだ。そのためにわたしの仲間の、家族が、人質に取られた! わたしが悪いんだ。リヒトには用心すべきだった。でも、まさかこんなことに……ここまでする人だなんて、わたし、知らなかったから……本当にごめ……」
今度はアサキが、深く頭を下げ謝ることになったのであるが、
「あたしこそ、ごめん!」
謝罪の連鎖。
宝来暦の声が、アサキの声を掻き消した。
「八つ当たりだよ。自分の器の小ささが嫌になる。……本当は、明木さんも令堂さんも関係ないんだ。あたしたちがここにいる理由は」
「え」
ぽかん、
アサキと治奈は口半開きで、頭を下げている宝来暦を見つめていた。
「……そういや、さっきあいつが死ぬ前に、なんかいってたな。どのみち、ここへ乗り込む気だった、って」
カズミのいうあいつとは、万延子のことである。
「え、それは……カズミちゃん、それはどういう、こと?」
「知らねえよ。生きてりゃ教えてくれるって話だったけど」
次の瞬間、
どっと脳内に、言葉が入り込んできた。
アサキ、治奈、カズミ、
祥子、暦、永子、
ここにいる全員の脳内に。
『ちょっとだけならバレずに、思念通話の同報送信が出来るだろうから。わたし得意だから。簡単に説明するね。たぶんどこかに、カメラやマイクがあって、普通に話すと聞かれちゃうから』
言葉が、意識が、全員の脳内、全員の意識へと、染み入っていた。
文前久子の言葉、意識が。
『間違いなく、聞かれているはず。わたしもさっき、あっちの部屋で戦っていた時、急に至垂所長の声が聞こえてきて、会話をしてたから』
割り込む思念は、アサキのものである。
『令堂さん、やっぱり凄いね。思念の同報送信なんて、専門の訓練を受けなきゃ出来ないものなのに。
ああ、話の続きね。
至垂がリヒトの所長になってからの暴走ぶりは凄まじく、目的のためには手段を選ばず。いつの間にか、メンシュヴェルトも半分以上が彼の手中に落ちている。
あれこれ理由をつけて自己を正当化しながらも、自分の野望のためだけに動いていることは明白。
仮に世界のためだとしても、だからって、なにをしてもいいわけじゃない。
と、そんな理由で、まだ懐柔されていない幹部が、秘密裏に集まって、立ち上がったんだ。
腐った芽を摘むために。
人間を絶望させ、ヴァイスタに変え、野望をかなえよう、などというクズを駆逐するために。
じわじわ裏で戦うのは分が悪い。
乗り込んで、一気に至垂を捕らえる。
そう作戦を立て、準備を進めている矢先、今回の、明木さんの妹を誘拐するという至垂の大暴走が起きた。
おそらく、超ヴァイスタのことで、なにか確証を得たんだ。
スギちゃんと話し合い、
予定を変更して、一足早くリーダーが、祥子さんを誘い第三中に合流。先に乗り込んでいて貰って、
少し遅れて、わたしたちが到着したというわけなんだ。
フミちゃんを救い出し、至垂徳柳を捕らえるために。
でも、救出作戦自体が、ちょっと違う方向になってしまったけど』
早々に潜入に気付かれて、特務隊のとの戦いになってしまったからだ。
『いつから、そんなこと……知っていたなら、教えてくれれば……』
思念でアサキが尋ね、責め、唇を噛んだ。
分かっていれば、覚悟も出来たし、
また、違う結果を導くことも、出来たかも知れないのに、と。
『ごめん。わたしたちも、スギちゃん、杉崎先生から聞いたばかりで。本来は、まだ末端の誰も知らないことなんだ。……そちらの樋口校長の件は、リヒトの秘密を探ろうとしていたからといわれているよね。おそらくその通りで、でも、極秘極秘であったからこそ、繋がりを辿られることなく、だから、彼一人だけが見せしめということで収まった。上層の極秘主義は、我々を守るためでもあるんだよ』
『そうなんですね……』
ひとまず、知りたいことを知ることが出来たから。
と、いうわけではないのだろうが、アサキはそう思念を飛ばすと、ふらりぐらり、身体をよろめかせて、床に倒れた。
気を失っていた。
4
亡骸の、特別葬が終わった。
四肢すべてを切断されていたり、あまりにも酷たらしい死に方であったため、遺体を保存して後日に通常葬儀を行うのは不可であろう。
という杉崎、須黒、第二中と第三中それぞれの後方指揮官の判断により、戦いのあったこの部屋にて、魔法により死体を焼却したのだ。
骨も粉と化し空気に溶けるほどの、高温高熱で。
我孫子市第二中魔法部、
弘中化皆。
延元享子。
リヒト特務隊、
斉藤衡々菜。
康永保江。
昌房泰瑠。
この、五人を。
なお、火葬対象は五人であるが、葬儀対象は六人である。
万延子が、自らの魔法によって跡形なく消し飛んでおり、亡骸が存在していないためだ。
第二中、第三中、生き残った魔法使いたちが、目を閉じて冥福を祈っていると、
ガザッ、
と、ノイズが部屋の空間内に響いた。
響いたその瞬間、そのノイズに男性の声が被さった。
「思念通話の同報送信で、なにを話していたんだね?」
空間配置スピーカーから聞こえる、リヒト所長、至垂徳柳の低くねっとりした声である。
「そんな特殊鍛錬が必要な能力、誰も持ってなんかいませんよ。我々が戦うべき相手はヴァイスタだけなんだから、リストフォンで通話すれば済む話でしょう」
にべない態度で言葉を返す、第二中サブリーダーの文前久子。
勿論、嘘である。
彼女こそが、ここでたったいままで、訓練された同報送信の能力を使い、アサキたちへと潜入作戦の経緯を話していたのだから。
はぐらかすと同時に、ヴァイスタと戦うための組織を私物化してやりたい放題の至垂に対してチクリと嫌味の針を刺したものであろう。
「知っていて、ということだろうけど……短時間だったから魔道波周数の座標変位を追えなくて、通信内容の解析が出来なかったんだ。でも、いまさら隠しても仕方ないことだろ、内容を教えてくれてもいいんじゃないかあ?」
ねっとりとした笑みを浮かべているのであろうと想像が容易な、ねっとりとした声。
「ですから、思念通話なんか誰もしてません。センサーが故障しているんじゃないですか? それよりも、襲いくる三匹の化け物は、束になってしっかり倒しましたけど」
束になろうと構わないからリヒトの魔法使いと戦って、倒せたならば明木史奈の生命を助ける。
口約束ではあるが、そのため彼女たちは、至垂の差し向けた特務隊と文字通りの死闘を演じることになったのである。
「分かってる。よもやよもやの逆転劇、楽しませて貰った。……ゆっくり治療してから、こっちへくるといいよ。通路へと出て、真っ直ぐ進めば、道案内がいるからね」
「あの、妹は、フミはっ」
どこを見て話せばいいのか、きょろきょろ戸惑い慌てた様子で、割り込み尋ねるのは治奈である。
どのみち仕掛ける潜入作戦であったと、経緯について文前久子から聞かされようとも、現実問題、自分の妹が人質に取られているわけで、救出が一番の優先事項なのは当たり前の話だ。
聞こえているのかいないのか、至垂はまったく応えず自分の言葉を続けるだけだったが。
「あまりにゆっくり過ぎても、いつわたしの気が変わるか分からないけどね。でもまあ、いまのところ全部計画通りだから、機嫌はいいんだ。それじゃ、待っているね」
ブヅッ、
通信が切れたか、微かなノイズ音。
「なあにが計画通りだか」
「負けちゃって悔しーっ、とか思ってるくせにさ」
嘉納永子と宝来暦が、苦笑を浮かべ、言葉で至垂を叩いている。
バカにしていて、まったく楽しくはなさそうであるが。
それはそうだ。
勝つには勝ったが、何人もの仲間が殺されたのだから。
史奈についての質問は、回答のないまま通信は切れてしまったが、間接的に無事とも取れるいい方であったためか、史奈の姉は、力抜けたように崩れて、床に尻をついた。
体育座りで膝に顔をうずめると、ふうっと安堵のため息を吐いた。
すねに腕を回し抱えているその手に、静かに誰かの手が伸びて、そっと優しく握った。
「大丈夫だよ、治奈ちゃん」
気を失って床に倒れていたはずの、アサキであった。
横になったまま、治奈の手を握っていたのである。
「ありがとう。……目覚めとったか」
「うん、いまの会話でね」
そういいながら、上半身を起こそうとするアサキであるが、
「あ、あれ……」
力を込めども、身体が起き上がらなかった。
「無茶せんで、まだ横になっとらんといけん」
「うん。ありがとう」
体力がまるで回復していないというだけなのか、張り詰めていた気力の糸がぷつり切れてしまったからなのか。
ままならぬ身体をもどかしく思いながらアサキは、天井を見上げたり、なんとか自由になる首を動かして、周囲を見回したりしていた。
「亡くなった、人たちは……」
ふと気になり、尋ねた。
「火葬にした。魔法で燃やして、もう簡易葬儀も済ませたけえね」
「そうか……」
ず、
アサキは天井を見上げたまま、鼻をすすった。
ぼろり、涙が頬を伝って、床に落ちた。
もう一回、鼻をすすった。
少し時間が経って、さらに少し身の自由が戻ったアサキは、身体を捻ってうつ伏せになった。
なんとか腰を浮かせて、膝を引き寄せて、カエルみたいなほとんど潰れた四つん這いの姿勢で、ずるりずるり、宝来暦へと這い寄った。
「どうしたの?」
びっくりしている宝来暦の、お腹の傷口へと、アサキは手を翳した。
翳した手が、ぼおっと薄青く輝いた。
治癒魔法を施しているのである。
「一番、酷い怪我をしてそうに見えたから」
そういうとアサキは、治療の手を翳しながらニコリ笑った。
「いいってば、令堂さん、自分がそれどこじゃないでしょお。酷い怪我してんのどっちだよお」
「じっとしてて!」
「……分かった」
いわれるまま、宝来暦は治療を受け入れた。
くっ、
急速治療による激痛に呻き声を上げるが、それきり、おとなしくなった。
「気力と体力は、食べたり眠ったりしないとならないけど、せめて苦痛が少しでもやわらげばと思って」
「ありがとう。優しいね、令堂さんは」
「そんなことないです」
「さっきはキツイこといっちゃって、ごめんね」
「いえ、わたしこそ無神経でした」
腹や腕、一通りの治療を施し終えたアサキは、またほとんど腹這い姿勢で移動を開始。
今度は、嘉納永子へと、ずるりずるり。
全身に酷い怪我を負っている永子の、首のあたりに手を翳し、ゆっくりと下腹部へ向けてズラしていく。
永子は、先ほどのアサキと宝来暦のやりとりを見ていたためか、すんなり治療を受け入れはしたものの、
「気持ちは嬉しいけど、大丈夫なの?」
ただ世話になるのも気恥ずかしいのか、照れをごまかすかの表情で尋ねた。
「わたし、魔力だけはいくらでも湧いてくるから。ならわたしが治療役になった方が、効率がいいじゃないですか」
そういうとアサキは、ふふっと笑った。
カエルみたいな、変な格好のままで。
「さて、みんな聞いて」
自分の声に注意を促すのは、文前久子である。
「令ちゃんのいう通り、気力と体力、つまり元気は魔法で回復出来るものじゃない。だからせめてもう少しだけ休んで、そうしたら、二つにグループ分けして、まだ元気な組から先に進もう。クタクタ組は、もうしばらく休んで、後から追う。なにが仕掛けられているか分からないから、別働隊という意味でも有効だろうし。というわけで、しばし休憩っ」
そういい切るとサブリーダー文前久子は、ばったりと後ろに倒れた。
恥じらいもへったくれもなく、スカートなのに足を組み。
両手も組んで枕にし、目を閉じた。
みなも状況を理解し、思い思いの休息に入った。
真似をして、ばたり倒れる者。
床に座ったまま、がくり項垂れている者。
カズミは、久子のように床へと倒れたが、すぐに上半身を起こし、
「ほらお前もっ」
「うわ」
アサキの首に腕を回すと、一緒にばったん。
せっかく、まだ四つん這いながらもカエルより少しだけ姿勢を高く出来るようになっていたのに、またぐしゃり潰れてしまった。
「フミちゃん助けに行く目的がある以上は、あたしら第三中の者は、どうであれ先発隊として行くしかないんだから。目を閉じるなどして、少しでも休めておけよ。もう一回、眠ったっていいんだからな。まあ、寝言であの下手クソな歌を歌いやがったら、思わずエルボーかましちゃうかも知れないけど、そこは覚悟しとけ」
涙ぐましい、カズミの軽口であった。
本当は全身を襲う疲労と激痛の辛さに、泣き叫びたいほどてあろうに。
「分かった」
そんな気持ちが分かるからこそ、アサキはいわれた通り、そっと目を閉じた。
ちょっとはしたないけれど、と思いながら、大きく手足を広げて、大の字になった。
そのまま目を閉じていると、
ごろん、ごろん、
「ありがとう、二人とも」
治奈が、横たわったまま転がってきた。
カズミにぶつかりストップすると、
「ほんま、ありがとうな」
もう一回、礼をいった。
史奈のために、ということだろう。
「なにをいってやがんだ、お前。文前のヒソヒソ話、聞いてなかったのかよ」
史奈の誘拐はことを急ぐきっかけであり、ここへはどのみち乗り込むつもりだった。至垂徳柳を捉えるために。先ほど思念通話で、久子はそういったのである。
つまりは治奈がそこまで自責の念にかられる必要はない、ということであるが、
「聞いておったけど……それでも、お礼をいいたいんじゃ。というか、さっきのカズミちゃんの言葉と矛盾しとるじゃろ!」
「どこがだよ」
大の字に寝っ転がって二人のやりとりを聞きながら、アサキは微笑を浮かべていた。
そうだ。
世界が、とか、幹部の懐柔が、とか、いくらいわれようとも、フミちゃんの救出に勝る優先事項はない。
わたしにとってはそうだし、きっとカズミちゃんだってそうだ。
分かっているからこそ治奈ちゃんはそれが嬉しくて、同時に申し訳ない気持ちになるんだ。
親友なんだし、遠慮なんかいらないというのに。
助かるから……助けるから、大丈夫だよ。
フミちゃんは、絶対に大丈夫だ。
さて、少し休憩をしたら、この部屋を出発だな。
あと少しだ。
頑張ろう。
クタクタで、どこまで動けるか、分からないけど。
なにがどうでも、フミちゃんだけは絶対に助けるぞ。
フミちゃんを救出したら、そこでとりあえず、わたしたちのすべきことは終わりだ。
メンシュヴェルトをリヒトから取り戻すべく、集めた魔法使いをここへ突入させるということだけど、わたしたちは手伝えない。
もう、そんな体力は残ってない。
幹部の人たちや、わたしたち以外の魔法使いに任せよう。
わたしは、戻ろう。
天王台に帰って、しばらく休もう。
身体を休めたら、また、わたしにとっての日常が始まる。
それは、学校に通うことであり、ヴァイスタから人々を守ること。
普通の人の、普通の女の子の日常とは、違うかも知れないけど。
でも、守り続けていれば、いつか科学も進歩して、そもそもヴァイスタがいないという世の中に、きっとなるだろう。
それはつまり、絶望する魔法使いがいない世界。
正香ちゃんのような、悲しい子のいない世界。
それでも、地球の上では争いや、悲劇は、なくならないのかも知れないけど。
でもそんなことは国の偉い人たちに任せて、まずわたしに出来ること、魔法使いとして、やれることをやっていこう。
小さな一歩の積み重ねだけど、なるべく一人でも、人々の笑顔を守れるように。
「さあ、そろそろ、行こうか」
文前久子が、ふらつきながら、立ち上がった。
5
かつん。かつん。かつん。
小さく、靴音が反響している。
文前久子、昭刃和美、令堂和咲、明木治奈、嘉嶋祥子、嘉納永子、宝来暦の七人が、歩いている。
その靴音だ。
彼女たちが履いているのは、スニーカーに似た、なおかつ底の軟らかな材質の靴。
そのため本来は、タイル床であっても音はあまり立たない。
ここの床が、防犯のため響きやすい構造になっているのだ。
みな、その靴音をあえて隠そうともしていないし、潜入直後と違い不可視の魔法を使っていないため、現在は、魔力を持たぬ者からも丸見えの状態である。
とうの以前に発見されており、指示された通りのところを通っているわけで、身を隠す必要がないのだ。
「とっととフミちゃんを取り戻して、シダレ野郎の顔を、別人かってくらいボッコボコのブ男にしてやる」
青い魔道着、カズミが、胸の前で両手を組み、指の関節を鳴らした。
「いや、そう上手はくいかないよお」
単に疲れた心身を自己鼓舞するだけの、カズミの言動であろうというのに、でもあえて文前久子は、楽観を戒める。
「なんでだよ!」
「考えてみて。仮に、約束通りフミちゃんを返してくれたとして、こっちはさらに……」
少し口籠った後、思念通話同報送信を飛ばして、
『さらに、至垂を捕まえようとしているわけで』
それだけ伝えると、また口頭音声に戻って、
「こうして伏せてはみたけど、もう筒抜けなのかな。まあいいや。……こっちにそういう目的がある以上、なんにも起こらないはずがない」
「だとしても、行くしかねえだろ」
「そうだよ。油断はするな、覚悟はしておけ、そういいたいだけ」
そんなやりとりを遮って、
「あ、あのっ」
治奈が、おずおずとした態度で、震える声を発する。
予期してた、とばかり、カズミがすぐその口を塞いだ。
手のひらで覆ったのではなく、唇を上下ぎゅっと摘んで、アヒルの口みたくして押さえ付けた。
「また謝ろうとしたら、スコーピオンデスロックかけて泣かすからな。もしくは、あたしとアサキでツープラトンのブレーンバスター……と見せ掛けて、アサキの背後に回り込んでバックドロップだ」
「なんでわたしが攻撃されなきゃならないのお?」
理不尽極まりないこといわれて、なんとも情けない顔になるアサキ。
みんなの笑いに、アサキ自身も微笑を浮かべる。
合わせて笑いながらも実は、胸の中は不安な気持ちでいっぱいだったが。
先ほどまでは、希望に満ちたことを思っていたし、語っていたくせに。
この通路を一歩、一歩、進むごとに、はっきりと高まる不安が、自分の中で可視化されて、暗雲がはっきりと見える。
目的地には、間違いなく近付いているわけで、だからそう感じてしまう、というだけなのかも知れないが。
でも、だとしたら、この胸騒ぎは本物、ということには、ならないか?
いや。
思わない。
変なことは、考えないことだ。
大丈夫。
大丈夫だ。
なにに不安であるのか漠然としているくせに、思わないとか大丈夫というのも変な話だけど。
でも、大丈夫だ。
前へ、進め。
赤毛の少女が、自分の不安心と戦っているところへ、
「おい、あれ」
みなに注意を向けるカズミの声。
通路の向こうに、人が立っている。
女性、女の子だ。
小学生か、中学生になったばかりか、と思って不思議ではない小さな女の子だ。
長い長い髪の毛は、おでこ全開で、すべて後ろへとまとめて一本に編んでおり、床までつきそうだ。
顔以外のすべてが、覆われている。
黄色の服、防具で覆われている。
スカートも黄色、タイツも靴も、ことごとくが黄色だ。
ここに、このような格好でいるこということは、魔法使いなのだろう。
「道案内が待ってる、っていわれたんだけど。お前のことか?」
幼女のような、見た目のせいだろうか。
警戒心をまるで感じていないような態度で、カズミは女の子へと足早に近寄っていく。
すると、女の子の方向からも、
「まあねえ。あたし、長戸寛花。皆さんどおもお、深夜なのにご苦労さあん。ま、深夜でご苦労はお互いだけどねーえ」
さかさか足を動かし、近寄ってくる。
「じゃあ案内して貰おうか」
「うん。地獄へね」
一体、いつ取り出したのであろうか。
時代劇の十手に似た奇妙な武器が、カズミの胸に、深々と突き刺さっていた。
6
釵、と呼ばれる、琉球古武術の武器である。
翼という鍔が鈎状に曲がっており、刀受けになる、全体として十手に似た形状。だが棒の部分が、突き刺せるほどに細く尖っている。
いままさに、その細く尖った部分が、カズミの胸に突き刺さっていたのである。
全身黄色の魔法使い長戸寛花が両手に持った二本のうちの、右手の一本が深々と。
「ぐっ」
カズミは苦痛に呻きながらも、退いて抜こうとするどころかむしろ前進した。
そうして距離を詰め、喉元めがけて水平にナイフを振るうのだが、反対に黄色いスカートの魔法使い長戸寛花の方が素早く退いていた。
ぶん、と切り付け損なったナイフは、いたずらに空気を焦がす。
退かれたため釵が胸から抜けて自由になったカズミは、苦痛を堪えながら、再び前へと飛び込んだ。もう片方のナイフを、黄色いスカートの魔法使いへと、叩き付けるように振り下ろした。
カチリ、
釵の翼の部分で、楽々と受け止められてしまう。
一撃で仕留められなかったことに、今度はカズミが床を蹴って後ろへ退いた。
「くそ、失敗した」
苦々しげな表情で、ナイフを構え直しながら幼女を睨み、舌打ちした。
「やるねえ、青い魔道着を着たお姉ちゃん。急所を外すようにわざと刺されて、こっちの動きを封じ込めての攻撃を仕掛けるとはね」
ふふっ、と楽しげに唇を歪めるのは、全身黄色の魔法使い長戸寛花である。
「どうせお前もまた、化け物なんだろ。だから一撃必殺を狙ったんだけど、やっぱそう簡単にはいかねえか」
負けじと、青い魔道着のお姉ちゃんも笑みを浮かべた。
「カズミちゃん! 無茶な戦い方しちゃ駄目だよ! い、いま治すからっ!」
アサキが声を裏返し、カズミの横に付いて、胸に自分の手を翳した。
ぼおっ、とアサキの手が薄青く、光り輝いた。
「無茶は駄目とか、どの口がいってんだあ? そもそも、こんなん別にたいした傷じゃねえよ」
「静かにして!」
赤毛の少女は声を荒らげつつ、翳した薄青く輝く手のひらを胸の傷にぴたりと押し当てた。
カズミの受けた傷は、右脇の皮膚と肉を貫いたのみで、骨には達していなかったようだ。アサキは、疲労に青ざめている硬い顔を、安堵した分だけちょっと表情をやわらげた。
「他人を構ったりして、そおんな余裕がああるのおおかなあぁ。赤毛のピンと跳ねたお姉ちゃん!」
全身黄色の魔法使い長戸寛花が、すっと滑りアサキへと下から潜り込むように肉迫した。
右手の釵が突き上げられたと見えた瞬間、左手に握られたもう一本の釵が、その残像を突き抜けていた。
少しでも油断をしていたら、尖った武器に顔面を貫かれて、アサキの生命はなかっただろう。
アサキは、一撃を手の甲で弾いていた。
弾きながら、前へと踏み込み、カズミ直伝の空手技である前蹴りから後ろ回し蹴りのコンビネーションを叩き込む。
いや、込めは、しなかった。
顎にヒットしたかに見えたのであるが、
「おっかなっ」
ぎりぎりのところで、全身黄色の魔法使い長戸寛花は、身を反らしかわしていたのだ。
「ごめんねカズミちゃん、治療途中なのに」
ふらつきながらもアサキは、胸の前で腕を交差し、空手の構えを取る。
全身黄色の魔法使いが、すぐ攻めてはこないと分かると、ぼそり呪文を唱えた。
疲労に意識が乱れそうな気がして、念のため有声詠唱で。
頭上の空間から、具現化した剣が落ちてくる。
ちらりとも見ずに、右腕を上げて柄を掴んだ。
剣を下ろすと、左手も添え両手で握り直す。
切っ先を、長戸寛花へと向けた。
アサキの呼吸が、荒くなっている。
肩で息をしている。
まだ体力が回復していないのに、また戦ってしまったからだ。
腕の力が、剣の重みにすら耐えられず、正眼に伸ばしていた切っ先が微かに震えて、数センチ、沈んだ。
ぎゅ、と強くまばたきすると、震える手に力を込め、また切っ先を持ち上げた。
そんなアサキの様子がおかしいのか、全身黄色の魔法使い長戸寛花は、にやり楽しげに唇を釣り上げた。
「魔法力は、あたしらに匹敵するくらいたっぷり。でもお、肝心の、制御する己の肉体が、そんなボロボロじゃあねえ」
ははっ、と笑う声に、カズミの怒鳴り声が重なった。
「アサキは一人でえ!」
身を低く突進しながら、青い魔道着の魔法使いカズミは、胸の前に交差させた両手のナイフを、縦へ、横へ、躊躇いのない、目に止まらない速さで振る、薙ぐ。黄色スカートの、幼い顔の魔法使いへと。
ひらりひらりバックステップで簡単に避けられてしまうが、カズミは、はなから分かっていたように突進の勢いいささかも落とさず、
「てめえみたいな化け物と、戦ってたんだ!」
左右のナイフを、交互に叩き下ろす。
落とし続ける。
細かなステップでかわされて、際どいのは釵で弾かれるが、構わずカズミは、打ち落とし続ける。
通じなくとも構わない、というか身体が勝手に動く。
動き続ける。
叫び続ける。
「だから仕方がねえだろうが! なのに、みんなの怪我まで治していて、休めてねえんだから!」
右、左、右、左、反撃の隙を与えまいというよりは、仲間をからかわれたことによる激高であろう。
腕がちぎれても構わない、そう思っているのではないかというくらいに、カズミの攻撃は矢継ぎ早、激しく、後先考えない無茶苦茶な動きで攻めに攻め続けた。
「頑張るねえ頑張るねえ。はははっ、頑張るねえ頑張るねえ。男みたいな喋り方する、青魔道着のお姉ちゃん。でもでもでーも、もーお飽きた、かなっ!」
全身黄色の魔法使い長戸寛花は、左手の釵だけで、二本のナイフを絡め取っていた。二本が交差する、一瞬を逃さずに。
と、ほとんど同時に、右手の釵を突き出した。
鋭い先端が、カズミの胸を突き刺し貫い……たかに見えたが、間一髪、ナイフを手放して、ごろり真横へ倒れ込んで、かわしていた。
たったいままで、カズミの立っていた空間から、
「りゃっ!」
治奈の持つ槍の先端が、鋭い叫びと共に突き出された。
反撃の一突きが、ついに黄色の魔法使いを刺し貫くかに見えたが、そうなるには要素様々足りなかった。
要は、黄色い魔法使い長戸寛花が、一枚以上も上手だったのである。
確かに意表は突かれたようであるが、ただそれだけだった。
黄色の魔法使いは、自ら後ろへ跳んで攻撃の勢いを相殺。胸の、突き刺さるはずの一点に、非詠唱魔法で防御膜を一点集中。
張った膜でまかない切れない残りの勢いは、魔道着の基本スペック範囲で楽々と吸収。
治奈の魂込めた一撃は、確かに急所へと命中したが、結果としては魔道着の上から軽く押したという、ただそれだけであった。
「やるねえやるねえ。怒ったふりでガムシャラに仕掛けておいて、それに慣らしてからの、さらに、あたしが攻撃する隙を狙っての、連係の一撃か。いや、バカの集まりと思ってたから、びっくりしちゃったあ」
ははははは、と無邪気に笑う全身黄色の魔法使い長戸寛花の顔に、態度に、声に、
カズミのまなじりが、釣り上がった。
歯を、ぎりり軋らせた。
「怒ったふりじゃねえよ。こっちは心底、怒ってんだよ!」
大切な生命を助けたくて、自分たちは戦っている。
なのに、こうして生命のやりとりを、この魔法使いは楽しそうに笑っている。
アサキは孤軍奮闘といって過言でないくらい、一人頑張っている。
なのに、この魔法使いは鼻で笑う。
直情タイプのカズミに、許せるはずがなかった。
だけど、許せないだけでは戦えない。
床に落ちた二本のナイフを素早く拾うと、両手に構えた。
あらためて、目の前の敵を睨み付ける。
睨みながら、視線を横へ走らせて、親友、治奈の顔を見た。
「治奈は先……」
「明木さんは、早く妹さんに会いに行きなよ。ねえ昭刃さん、明木さんと、まだ疲れてる令ちゃんだけでも、先に行かせようよ」
文前久子がカズミの横に立って、黄色の魔法使いへと向かい剣を構えた。
嘉納永子、宝来暦、嘉嶋祥子も、同じく肩を並べた。
それぞれが持つ武器が、幼い顔をした全身黄色の魔法使い長戸寛花へと向けて、鈍い光を放った。
「あたしがいおうとしてたんだよ! よし、治奈! アホ毛! 先に行けえっ!」
カズミは、黄色い魔法使いへと、ナイフを投げた。
通り道を作るために。
投げたと同時に、もう一本のナイフを振り上げて、黄色の魔法使い長戸寛花へと、床を蹴り飛び込んだ。
「ありがとう!」
黄色の魔法使いの脇を、素早く通り抜けようとする治奈とアサキであったが、
「通さないってばあ!
笑顔をまるで崩すことなく黄色の魔法使いは、飛んでくるナイフを振るう釵で治奈たちへと弾き飛ばした。
「徳柳に、道案内よろしくって頼まれているんだからあ」
地獄への、ということだろう。
彼女の勝手な解釈か、それともそれが至垂所長の考えなのかは分からないが。
「うおらあ!」
突っ込んでくるカズミ、が握っているナイフを黄色の魔法使いは楽々とかいくぐる。
かいくぐりカズミの胸を蹴って、その反動を利用して跳びながら、アサキと治奈へと両手の釵をそれぞれ振り下ろした。
アサキが、治奈を庇い前へ出て、剣のひらを使い釵を受ける。
だが、予想以上の勢いに押されて、庇った背後の治奈ともつれ合って、壁にぶつかった。
「だからあ、通さないっていってるのにさあ」
無邪気かつ自慢げな、長戸寛花の笑顔であったが、
「グロウ・ス・ハウンド!」
背後からの呪文絶叫に振り向くと、振り向いた瞬間、驚きに幼いまぶたが見開かれていた。
彼女が見たのは、まるでアドバルーンといった超巨大な拳を振り上げて飛び込んでくる青魔道着の魔法使い。
カズミである。
その巨大な拳が、黄色の魔法使い長戸寛花の全身を殴り付けていた。
そのまま壁へと叩き付け、叩き潰していた。
黄色の魔法使いに蹴り飛ばされたはずのカズミが、苦痛を堪えて壁を蹴り、魔法で自らの手を巨大化させて、アサキの代名詞たる巨大パンチを見舞ったのだ。
非詠唱のアサキと違って、技の名前を叫ぶことは出来なかったが。
「カズミ式巨大パンチ!」
いや、叫んだ。
後からしっかり。
膨れ上がった巨大な拳が、音もなく縮んで元のサイズに戻った。
拳にカズミがくっ付いているいびつな状態から、カズミに拳がくっ付いている状態へと。
壁が完全に砕けており、その中心に黄色の魔法使い長戸寛花がめり込んでいる。
「やったな、お前え……」
先ほどのまでの無邪気な笑顔はどこへやら。
壁に身体が埋め込まれたまま、怖ろしい顔でカズミを睨んでいる。
「どうだ、カズミ式の味はあ! ほおら、早く行けええええ!」
カズミはどうだといわんばかりに鼻を鳴らすと、アサキたち二人の背中を叩いた。
治奈とアサキは小さく頷きながら、脱兎のごときに飛び出した。
そうはさせない、と慌てて壁から抜け出した長戸寛花が、壁を蹴りながら二本の釵を突き出して、デタラメに振り回す。
アサキは頭を下げて、かわし、
治奈は横へ跳びのいて、なんとかぎりぎりかわし、
さらに追いすがる釵の、一本をアサキが手の甲で弾き、
なおも、もう一本の釵が追うが、
「くっ」
呻きながら黄色の魔法使いは、振り向きながらその釵で弾き上げた。
背後から忍び疾っていた、文前久子の剣を。
走るアサキと治奈は、既に彼女たちを遥か後方へと置いていた。
「みんな、絶対に死なないで!」
振り向かずに走りながら、アサキが叫んだ。
アサキの走り方は、左右筋肉のバランスが取れておらず、なんともぎこちないものだった。
「アサキちゃん、大丈夫?」
走りながら、治奈が、心配そうに声を掛ける。
「疲れてるだけ。大丈夫」
アサキは笑顔を作って、治奈へと見せた。
自然に表情筋が動いたものか、自分で顔を操作したものであるか、自分でも分からなかったが。
そうこうしているうちにも、背後からは怒鳴り声や打ち合う音が聞こえている。
「どけええ!」
黄色の魔法使いが、怒声を張り上げている。
先ほどまで幼い顔の通りの幼い声だったのが、これが地声なのかやたら大人びたドスの効いた声であった。
「おっと。通さねえよ。って今度はこっちの台詞だな」
カズミの声。
たぶん、からかうような笑みを浮かべているのだろう。
「一瞬で全員ぶっ殺してやらああああ!」
「やってみろよ!」
打ち合う中での、そんな言葉のやりとり。
振り向かずとも、なにが起きているのか分かる。
獲物を逃して大激怒の、全身黄色の魔法使い長戸寛花が、喚き散らしながら暴れており、みなで通すまいと防戦している。
そんな中、カズミが毒舌を吐いて、より激怒させ、黄色の魔法使いの意識をより自分たちへ引きつけようとしているのだ。
「大丈夫、じゃろか」
治奈の不安げな声。
「信じよう」
短く、アサキは返す。
確かにあの長戸寛花という魔法使い、小柄ながらとても強い。
少し手合わせしただけだけど、最初に戦った特務隊の魔法使いと比べ、優るとも劣るものではないだろう。
でも、信じるしかない。
みんなのことを。
カズミちゃんのことを。
さっきのカズミちゃん……
あそこでわざわざ詠唱掛かりっきりになってまで、わたしの真似をして巨大パンチなんかやっても、あまり意味はない。もっと効率のいい戦い方があるだろう。
きっと、お前に出来ることは自分にも出来るんだ。そう、いいたかったんだ。
きっと、だからこの場は安心して先へ進め。そう、いいたかったんだ。
ならば、任せるしかない。
信頼するしかない。
いやもとより信頼はしているけれど、みんなわたしより遥かに経験豊富な先輩なのだし。
でも、なんだろうか。
そうした思いとは別に、わだかまる、この気持ちは……
前に進めば進むほど、沸き上がる、この胸騒ぎは。
心臓を押さえたくなる、この衝動は。
なにが、待っている?
この先には、なにがある?
進む、この先に……
「どがいした? アサキちゃん」
また、隣を走る治奈が心配して声を掛ける。
「なんでもないよ」
また、アサキは作った笑顔を治奈へと向けた。
7
広い部屋だ。
とても広く、天井も非常に高い。
バスケットボールの試合が出来なくはない、という程度に広い部屋である。
といっても、試合をするには色々な物が有り過ぎるが。
床には、大小の机が乱雑に配置されており、合間合間に大小の五芒星魔法陣が描かれている。
描かれた魔法陣の間に机を置いている、といった見方も出来るだろうか。
机の上には、計器類や卓上コンピュータなどが置かれひしめき合っている。
画面に映っているのは、数字やグラフ、文字情報。
それが、目まぐるしく変化していく。
また、測定器のアナログ針も、一体なにを計測しているものなのか、絶えず小さく大きく振れている。
このように、視覚情報としては騒々しいが、それ以外はただ広いだけで、音もなく、しんと静まり返っている。
足を踏み入れた二人以外に、人の息吹をまるで感じない、無機質で、気味の悪い部屋であった。
「なんじゃろか。鳥肌立つくらいに、不気味な部屋じゃね」
「そうだね」
紫の魔道着と、赤の魔道着を着た少女たち。
明木治奈と、令堂和咲である。
カーペットの道が用意されているわけではないが、机の配置上、隣の部屋へ続く扉へと直線で突き抜けられるようになっており、二人はそこを歩いている。
きょろきょろ見回し歩きながら、アサキは薄ら寒そうな表情で唇を震わせた。
「早く助けてあげないとな」
不気味な部屋を見ているうちに、同じ建物の中で現在どのような扱いを受けているか分からない明木史奈を思ってしまい、焦る気持ちをぎゅっと拳を握り締めて紛らわした。
「ありがとう、アサキちゃん」
「いや、だからこれは、わたしのせいでもあるんだから」
「アサキちゃんは、なんにも悪くなんかないじゃろ。強い魔法力を持って生まれた、というだけ。……ま、そがいな話は後じゃ」
「そうだね」
二人は歩く。
歩きながら、きょろきょろ見回しながら、アサキは胸に呟いていた。
この部屋、なんとなく、いや、かなりはっきりと記憶にあるな。
そうか、ここは地上階の部屋だったんだ。
前にこの東京支部にきた時、幼少の頃のことや、この施設で実験体になっていた記憶を思い出したけど、すべて地下室だとばかりと思っていた。
他にどんな子が、ここで実験されていたのだろう。
もしかしたら、さっき戦った子たちも、そうなのかな。
だとしたらあの子たちも、この施設の所長である至垂徳柳の犠牲者ということになるのか。
「行こうか」
治奈の声に、我に返った。
いつの間にか、足を止めてしまっていたようだ。
「あ、あ、ごめん」
歩き出す。
すぐに部屋を抜けて、通路へと出た。
妙に幅も高さもある、大きな通路だ。
小さなトラックなど楽々と通れるほどの。
抜けてきた扉の反対側に、これまた大きな扉がある。
ずっと真っ直ぐ進めと指示されているから、おそらくこの扉を通れということだろう。
道案内と称して自分たちを襲わせたりしている至垂徳柳のことなので、どこまでが本当のことかは分からないが、言葉を信じるのならば。
いずれにせよ、行くしかない。
アサキは、治奈の顔を見て、
治奈はアサキの顔を見て、小さく頷き合った。
巨大な扉の横にタッチセンサーがあり、治奈は躊躇いがちに手を翳した。
しゅい、
大きく重そうな扉であるというのに、ほとんど音もなく一瞬で、左右に分かれて開いた。
視界が開けた瞬間、アサキは、吐き気を催していた。
気持ちが不快というのみならず、実際に嘔吐感が込み上げて、咄嗟に屈みながら口元を押さえていた。
治奈も、気持ち悪そうに口を押さえている。
そうなって不思議のない光景が、彼女たちの目の前にあったのである。
床から突き出た、巨大な無数の試験管。
液体の中に、浮かんでいるのは、
脳味噌であり、
臓器であり、
眼球、
手足、
口、
子宮、
外陰部、
耳、
髪の毛、
心臓、
骨、
舌、
乳房、
筋肉、
このようなものを目の当たりにしたならば、まともな神経の持ち主ならば誰でも吐き気を催すだろう。
それらから放たれているものかは分からないが、室内にはねっとりとした異臭が漂っている。
臓器のデパート。
それだけで充分に異様だというのに、壁に掛けられているトナカイの首や、書道のタペストリー、燭台、といった客人接待を思わせる調度品の数々。
百歩譲って必要な実験をしているだとしても、普通、誰がこんなところを接待の場に選ぶ?
アサキは、不快と憤りとで頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。
狂気すら感じられる、悪趣味極まりない部屋だ。
趣味でないなら、単なる非人道的。
いずれにせよ、批難されて仕方のない部屋である。
「酷いのう……」
治奈が、小さく唇を動かした。
声に出すつもりはなかったのかも知れないが、部屋があまりにも静かであるため、はっきり聞こえた。
「そうだね」
聞こえた手前、アサキは返した。
返しはしたけれども、正直、それどころではなかった。
込み上げる吐き気以上に、気持ちがムカムカして仕方なかったのである。
こんなことをしている、させている、至垂徳柳に対して。
なんの研究だか知らないけど。
酷過ぎるよ……
この脳だって、こうしているんだから、生きているのだろう。
五感がないのに意識だけはあるだなんて。あまりに残酷だ。
それとも、死んでいる?
誰かの死体?
それとも、無からここで作り出された、とか……
いずれにしても、許されるものじゃないだろう。
裁きを受けるべきものだろう。
もしもこの脳に意識があるものならば、なんとか助けてあげたい、せめて解放してあげたいけれど、でも、ごめん、それは後だ。
行かないと。
早く、すべてを終わらせないと。
少し歩調を速めるアサキであるが、突然、
どん、
と胸が大きく鼓動した。
ふらり、ぐらり、よろけて、苦しそうに胸を押さえた。
「どがいした? アサキちゃん」
「なんでも、ないよ。急ごう」
硬い笑みを、アサキは浮かべた。
なんでもなくは、なかった。
襲い掛かる不安心で、胸は一杯だった。
この部屋での記憶が蘇りそうになっていることが原因である。
最初は、ここも見たような気がするなという程度であったのだが、不意に胸が高鳴り、どっと不安が襲ってきたのだ。
思い出そうとすれば、この部屋での記憶をはっきりと思い出せるのかも知れない。
でも、そんな暇はないんだと自分にいい聞かせて、アサキは進み続ける。
いいわけである。
思い出さないのは、暇がないからではない。
思い出したくないだけだ。
実は、そう自分でも分かっていた。
分かっていたからこそ、ますます自分の心を偽って、アサキは目眩にふらふらしながらも、早足でこの部屋を抜けようとする。
「待って、アサキちゃん」
追い掛けて治奈が肩を並べた。
すぐに、この実験室だか接待部屋だかの反対端に着いて、今度はアサキがタッチセンサーに手を翳した。
左右開きの巨大な扉が、やはりほとんど音も立てず開いた。
至垂徳柳の姿が、そこにはあった。
開いた扉の向こう側、なんにもないがらんとした大きな部屋の中央に、スーツ姿で立っており、楽しげな顔でアサキたちを見ていた。
8
緩いウエーブのかかった長髪。
グレーのスーツを着ており、片手はズボンのポケット。
すらり背筋伸ばして斜めに立って、こちらを見ている。
ポケットの手は、なにか忍ばせているというよりは、キザなポーズであろうか。
「やあ」
至垂徳柳は、歯を見せ、さわやな笑顔を見せた。
拍子抜けするほどフレンドリーな態度であったが、そういう男であることなどとっくに分かっている。
だからアサキは警戒を微塵も解かず、むしろ強めて、非詠唱を使って探査魔法の呪文を唱えていた。
だだっ広い、なんにもない部屋。
それだけに、なにが仕掛けられているか、誰か潜んでいるか、分からないから。
探査魔法の結果を信じるならば、見た目の通りになにもなく、この三人の他には誰もいない、ようではあるが。
「やだなあ、疑っちゃって。罠とかそんなの、なんにもないって」
グレーのスーツ、至垂はパタパタ手首を返した。
「そがいなことより、フミはっ、約束通り、うちら戦いには勝ったじゃろ!」
条件をクリアし指定された場所にきたが、至垂がいるのみで史奈がいない。
姉である治奈が、息を詰まらせて食らい付かんとするのも、当然というものだろう。
だけどもリヒト所長の至垂徳柳は、共感には程遠い蝿がたかったほども感じていない顔で、まあまあ、となだめると、
「ところで令堂くん、いま通ってきた部屋や、この部屋のことなどを、覚えてはいないかい?」
まったく関係のない話を、始めたのである。
「いまいう必要のある話か!」
荒らげ裏返る、治奈の声。
アサキも、この態度には不快極まりない気持ちだった。
一人の生命、それを心配する者に対しての他人事。ふざけるな、と思う。
でも、史奈の生命を握っているのは、この男なのである。
仕方なく、治奈を手で制して、質問に答えた。
「覚えています。前に思い出した記憶の中に、ありました」
数ヶ月前のこと。
アサキはここ、リヒト東京支部を訪れている。
自身にカスタマイズされた、特注のクラフトを受け取るために。
クラフトは、慶賀応芽によって奪われおり、アサキは、本来アサキが着るべきであった超魔道着を着た応芽と、戦うことになったのであるが、
その最中、応芽とのやりとりの中で、幼少時の記憶を色々と思い出しているのだ。
この施設でまだ幼い自分が、様々な実験台にされていたこと。
実の親に虐待されていたと思っていたのは嘘の記憶で、日々の恐怖から逃れるため、自分自身に施した記憶操作魔法によるものであったこと。
ここの職員であった、令堂修一直美夫妻によって、ここから逃がされたこと。
視覚の記憶の中には、先ほどいた部屋もあった。
アサキは幼少の頃、間違いなくここにいたのである。
実験の、材料にされていたのである。
「もっと思い出したくなったら、またこい。確かあなたは、そういっていましたよね。……でも、いまはそんなこと、どうでもいい。それよりも、早くフミちゃんを返して下さい! そして、してしまったことを反省し、罰を受けて下さい。こんな非人道的なやり方で野望をかなえようだなんて、そんなこと、許されるものじゃない」
途中でアサキは、しまったと自分の迂闊を責めたが、でも、喋ったことを取り消せるはずはなかった。
責められ、そんなこと呼ばわりされた至垂徳柳が、傷付けられた自尊心に自暴自棄になったりしないか、と心配になったのだ。
杞憂だった。
グレースーツの男は、にやにやと笑みを浮かべ続けるのみだった。
「まあ実際、あれだよね、さっきいったその、思い出したことというのは、本当に思い出したくないことを隠すためだよね。狂わないための防衛本能、とかさ。わたしが事情を知ってるが故の、後付け推量だけどさ」
「いっていることの、意味が分かりません」
アサキは、ちょっと声を荒らげた。
意味が分からないのは本当だ。こんなぼかされた日本語でいわれたら、誰であれそうなるかも知れないが。
でも、その言葉にドキリ心臓が弾けそうになったのもまた本当だった。
アサキは、思う。
心臓を高鳴らせながら。
なんだろう。
わたし、なにを知っているんだ。
自分の中に、どんな記憶を眠らせている?
以前は、すべての記憶を思い出すことに、さしたる関心はなかった。
自分がいる、ということが現実で、
仲間がいる、ということが現実で、
義理ではあるが素敵な家族がいる、ということが現実で、
それ以上のものを、望む気が起きなかった。
あの時は、ウメちゃんとの戦いの最中だったこともあるし。
戦いが終わったら、ウメちゃんの死が悲しくて、自分のことなんかしばらくどうでもよくなっていたし。
でも、
なんなんだ、この気持ちは。
いざこうして、自分の中に存在する、なんだか分からないながらも記憶、感情、の片鱗に触れてみると、どきり、どくん、破裂しそうなほどに、心臓が高鳴る。
不快な気持ちが大きな塊になって、胸の内側から突き破り、飛び出そうなくらいに。
知りたい、というわけではない、はずだ。
過去の、記憶なんかどうでもいい。そう思っているはずだ。
ただ、どうであれ、どう思おうとも、思わずとも、真実は一つなわけであり、心が勝手に、不安や恐れを抱いて、胸を内から激しく叩く。
嫌だ、怖い、逃げたい、そう思う自分がいる。
ともすれば、消えたい、無くなりたい、に繋がりそうな、純然たる負の感情。
なんなのかも分からないくせに、確固たる感情だけはそこにあり。
違う、違う!
なにが違うのか分からないが、でも、否定するように、思いを振り払うように、激しく首を振ると、赤毛の少女は、グレースーツの男、至垂徳柳を睨んだ。
「アサキ……ちゃん」
様子がおかしいことに気付いたのか、治奈が心配そうに、アサキの顔を覗き込んだ。
治奈の妹のことで、ここで対峙することになった三人である。
だというのに、治奈が一人、すっかり蚊帳の外になっていた。
蚊帳の外を置いて、リヒト所長は苦しそうな赤毛の少女にのみ、笑い掛ける。
「うん、確かに、わたしはいったね。すべてを思い出したくなったら、またここへおいで、と。つまりは、知りたくなった、ということかな?」
わざとであろうか。
話す内容も、タイミングも、まるで噛み合っていない、この言葉の投げ掛けは。
「違います。わたしは、フミちゃんを、助けに……」
焦り、つっかえながら、アサキが口を開く。
こうして焦りや不安を引き出すことが目的、というのならば、やはりわざとなのだろう。至垂のこの態度は。
「どうでもいいよ、そんなこと。それよりさあ、まだ、思い出さないのかい? 本当の、記憶を」
なんでも吸着しそうなくらいの、粘液質な笑み。
ねたあっ、と音が聞こえてきそうなほどの。
「そんなことこそ、どうでもいい! い、いま大事なことは……」
声を荒らげるアサキに対し、グレースーツの男は、待っていましたとばかり、笑みの粘度をさらに強めた。
その粘度で絡めとるように、アサキの言葉を遮って、
「先ほど、きみらが見た部屋ね、わたし個人の実験室なんだけどね。描かれた魔法陣は、超魔法による攻撃力を疑似的に再現出来るんだ。耐性テストに使うんだけど、ほとんどが、耐えられずボロボロの消し炭になってしまうんだよなあ。あんな精魂込めて作ってやってるのに、人の苦労も知らないでなあ」
「な、なにを……いって……」
「試験管に入っている時からして、みんないつも恨めしそうに、ぎょろぎょろしてて。眼球だけなのに、恨めしくぎょろぎょろってのも、変な話ではあるけどさあ」
どんどんフランクな話し方になる至垂徳柳が、はははっ、と乾いた笑い声を立てるのと、
アサキの肩が、びくっと大きく震えるのは、同時だった。
「あ……ああ……」
ふらり、
力を失って、アサキの身体がよろける。
その顔からは、完全に血の気が引いていた。
両腕で、赤毛の頭を抱えた。
抱えた腕の中、頬が、口が、目元が、引きつっていた。
ぶるぶる、震える身体。
見開かれた目。
焦点の合っていない開いた瞳孔が、微かに震えている。
「アサキちゃん! アサキちゃん! どがいしたんじゃ!」
治奈が、必死に呼び掛ける。
だが、アサキの目には、心配する友人も、ニヤニヤ笑みを浮かべているリヒト所長の姿も、なんにも映ってはいなかった。
ただ、恐怖に震えているばかりであった。
ただ、衝撃に震えているばかりであった。
「わ、わたし……そ、そんな、そんな!」
また、後ろへよろけると、赤毛の頭を、さらにぎゅっと強く抱えた。
どっと押し寄せていたのである。
大量の記憶が……
怒涛の激流となって、
神経を食い破り、
頭蓋骨を砕いて、内から、外から……
悲鳴を上げていた。
建物が倒壊するのではないか、というくらいに、それは凄まじい悲鳴を張り上げていた。
この世の呪詛をすべて引き受けたかのような、断末魔にも似た絶叫であった。
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