魔法使い×あさき☆彡
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第二十章 万延子と文前久子
1
確かに、自分でいうだけはある。
自画自賛も納得の、とてつもない強さであった。
こちらは複数人おり、しかも一斉に挑んでいる。
なのに、それをものともしないばかりか、こちらを圧倒しているのだから。
康永保江、全身黒く、側面に青ラインの入った、スカートタイプの魔道着。
リヒトの、特務隊だ。
彼女は、息一つ乱さず、短剣を構えたまま立っている。
小馬鹿にした笑みを、口元に浮かべている。
対峙するカズミと万延子は、力なく肩を落として、はあはあ息を切らせている。
頭を支えるのも辛いのか、首が下がっている。
なんとか頑張って、足をよろめかせながら、睨んでいる。
目の前に、涼しい顔で立っている魔法使いを、険しい形相で。
背後から声。
「負け、られんわ。こがいなとこで……フミを、必ず……」
「そう、だね」
カズミたちに守られるように倒れていた、明木治奈と嘉嶋祥子が、床に両手を着いて、上体を起こした。
生まれたばかりの子鹿より頼りなく膝を震わせながら、立ち上がった。
二人は、延子とカズミの横に並んだ。
カズミは横目で、治奈たちが武器を構えたのを確認すると、自分も両手のナイフを構え直し、
「行くぜえ!」
叫び、
身を低く、
強く、床を蹴った。
その両翼、嘉嶋祥子が、そして万延子が、黒スカートの魔法使い康永保江へと、飛び込む、と見せて、高く跳んでいた。
ぶんっ、
後ろに隠れていた治奈の槍、穂先が風を突き抜けて、そして康永保江の胸を深々貫いていた。
と見えたのは、残像か。
黒い魔法使い、康永保江もまた、跳んでいたのである。
跳び、空中で、腰を回す。
祥子の身体へと、空中であるというのに様々な物理法則を無視して重たい蹴り放っていた。
ぐしゃり、音。
反動力を利用して方向転換、青の魔道着カズミへと迫りながら、剣を振り下ろした。
奇襲失敗どころか、迅速迅雷冷静的確な対応をされ、
く、
と呻き、焦りに頬を引つらせるカズミ。
なんとか反応し、左右の手に持ったナイフを交差させて、身を守るのが精一杯であったが、その精一杯すら実行出来なかった。
力押しで、ガードを弾き上げられていたのである。
そして無防備になったカズミの腹へと、黒い靴が、深くめり込んでいた。
黒スカートの魔法使い、康永保江の、回し蹴りが綺麗に決まったのである。
身は空中であるというのに、しっかり軸足を地に踏みしめ体重を乗せているかのような、どしり重たい蹴りが。
「がふ」
カズミの悲鳴と呼気が混ざった音。
たまらず飛ばされ、玉突きで延子ともども壁に激突して、床に落ちた。
また反動で舞い上がり、器用にトンボを切りつつ天井を蹴った康永保江は、
「頭突きい!」
一瞬のことにて、まだ槍を突き出したままの姿勢になっている治奈へと、楽しげな言葉の通りに頭突きかました。
ゴッ
と、鈍い音が響き、治奈の身体はぐらりよろける。
黒スカートの魔法使いは、着地と同時に右手の剣を一振り。
治奈は、頭突きに意識を持っていかれたかよろけているが、それでもなんとか横っ飛びで一撃をかわした。
と、そこへ、
「うわああああ!」
カズミの絶叫。
床を蹴り、黒スカートの魔法使い康永保江へと、両手のナイフを交差させながら、捨て身の一撃を打ち込もうと気迫満面身体を突っ込ませたのである。
だが、世は無情。
振り下ろしかけたその瞬間、またナイフを弾き上げられ、腹に拳を叩き込まれて、飛ばされ、壁に激しく身体を叩き付けられていた。
仲間を庇うよりこの隙に、と体勢立て直した治奈が、前へ進みながら、握り締めた槍の柄を勢いよく突き出した。
突き出した瞬間には、柄を掴まれ、止められていたが。
掴まれた瞬間には、ぐいと引き寄せられていたが。
咄嗟のことに身体が動かす、と、とよろけると、既に眼前には康永保江の喜悦の笑み。
「がふっ」
カウンター気味に、膝がめり込んでいた。
黒スカートの魔法使い、康永保江の膝が。
治奈の腹へと。
催す吐き気に前のめりになる治奈であるが、苦悶の表情のまま、かろうじて床を蹴って、自ら床に転がった。
その瞬間、
ぶん、
頭上を剣の軌跡が疾った。
吐き気を我慢して必死に避けたから助かった。そうでなかったら、ほぼ間違いなく、頭を叩き割られていただろう。
転がる勢いで、そのまま立ち上がるが、
康永保江の追撃はなかった。
先ほどの位置のまま、楽しそうでもあり、腹立たしそうでもある、なんともいえない表情で、剣を持ち仁王立ちになっている。
小さく、口を開いた。
「舐めてんのか? 全員まとめてこい、っていってんだろ。さっきから」
自殺願望でもなんでもない。
ただ、己の強さを証明したいというだけの言葉。
戦わなければ、受けて立たなければ、殺されるだけ。
こうして、あらためてまた四人で挑むカズミたちであるが、それは、
黒スカートの魔法使い康永保江の自信が、根拠に裏付けされたものであることを思い知らされるだけであった。
束になって仕掛けても、攻撃が、かすりもしないのだから。
反対に、一撃で床に沈ませられる。
康永保江は、四人を楽々と床に沈めるたびに、待つのである。
全員が意識を回復して、起き上がるのを。
そして、わざわざ一斉攻撃を仕掛けさせておいて、受けて立つのだ。
揃って攻撃といっても、怪我に疲労に、ぴたり息の合った連係は、もう難しく、そういう瞬間瞬間の意味においては、バラバラな攻撃をするしかない状態であったが。
それでも戦うしかない。
人質に取られた史奈を助けるために。
治奈が、踏み込みながら、槍を突き出した。
突き出した時には、その柄を掴まれていた。
ぐいと引き寄せられていた。
すぐ眼前に、康永保江の歪んだ笑みがあった。
「お前さあ、弱いふりしてんの? 本気を出せば一対一でも勝てる、とか思ってんの? 正義のヒロインを気取って、大ピンチから逆転ホームランでかっこよく勝とうってか? じゃーあ、やってみなあ」
どん、
黒スカートの魔法使いは、半ば怒った歪んだ笑みを浮かべながら、治奈の胸を突き飛ばした。
治奈は、小さく舌打ちしながら、左足を後ろに伸ばして踏みとどまると、そのまま左足を軸にして大きく踏み出しながら、槍を突き出した。
当然というべきか、その単純な攻撃は通用しなかったが。
すっ、と黒スカートの魔法使いは、横へ滑ってなんなくかわしていた。
矢継ぎ早の第二撃、袈裟がけに振り下ろされる槍の穂先、それも高く身を跳躍させてかわしていた。
空中で身動きままならぬはずのところへ、槍の柄を大きく回転させて、柄尻を使った、第三の撃。
これすらも、決まらなかった。
それどころか、空中の康永保江は、空気を蹴って足場にし、治奈の顔面へと蹴りを見舞ったのである。
「弱いふりはやめろ!」
相手が弱いことへの怒りと、自画自賛の笑みとが混じった、複雑な表情で怒鳴る。
「二百パーセント出しとるわ!」
ひしゃげる顔で、仰け反る身体を踏ん張って、相手の着地ざまを狙った治奈の一撃、それは短く持った槍の突きであった。
ぱしり、手の甲で簡単に弾かれるだけであるが、治奈は萎えない、退かない、むしろ顔を怒りで険しくさせ、
「フミの……妹の生命が、懸かっておるんじゃ!」
身体を回転させて、黒スカートの魔法使いの脇腹へ叩き付けようと柄尻を振る。
「当たるかよ」
屈む康永保江の頭上、槍柄は空を切る。
空を切ろうと、治奈は諦めない。
「うちかて生命を懸けとるわ!」
跳躍。
治奈の身体は高く、高く、空中に。
槍を持ったまま、器用に身体を捻りながら前転させて、天井を蹴った。
蹴った勢いを乗せた穂先を、黒スカートの魔法使いへと突き出した。
それすらもまた、簡単にかわされてしまうのだが、
「守る者のおらん奴が、偉そうなことをいうなあああああああ!」
着地と同時に、突きを放つ。
放つ。
かわされようとも。
弾かれようとも。
紫色の魔道着を着た魔法使いは、
構わず矢継ぎ早に、
目で追えないほどの、突きを、繰り出していく。
それを受けてもなお、黒スカートの魔法使いは余裕綽々の笑みを浮かべていたが、
穂先が髪の毛をかすめて、舌打ちし、
魔道着の肩をかすめて、睨み、
振り下ろした剣を槍に弾かれ、目が見開かれ、
いつしか、
「こ、こんな……」
数秒まで顔に自信が満ち満ちていた黒スカートの魔法使いは、すっかり防戦一方になっていた。
治奈の猛攻。
追い込むことに自信を付けたか気迫が勝ったか、ついに執拗な攻撃が黒スカートの魔法使いを捉えた。
突き、と見せての振り回した横殴りが、脇腹を打撃したのである。
黒スカートの魔法使い、康永保江は、苦悶と屈辱の表情を浮かべながら、壁へと叩き付けられていた。
とどめのひと突きを浴びせるべく床を蹴り飛び込む治奈であるが、気合満面がすっと不安に翳った。
吹き飛ばして壁へと叩き付けたはずなのに、そこに康永保江の姿が、なかったのである。
「ハルビン後ろ!」
万延子の叫び声が、治奈に注意を促した。
だがその声が聞こえた時には、既に治奈の顔面はひしゃげ、ひしゃげた顔が戻らぬうち、壁へと激しく打ち付けられていた。
背後から、横っ面に回し蹴りを受けたのである。
そこに立つのは黒スカートの魔法使い、康永保江。
治奈の気迫に追い詰められている。と見えたのは、演技であったということなのか。
彼女のその顔には、先ほどまで浮かんでいた焦燥感などは微塵もなかった。
人を嘲る笑みが浮かんでいるばかりだった。
「ぐぅ……」
意識なんとか保ちつつ、素早く槍を構えようとする治奈であるが、
「楽しかったあ?」
康永保江の声と同時に、その槍が跳ね上げられていた。
「さあこれから逆転だあ、って、わくわくしちゃったあ?」
「なにを!」
槍を跳ね上げられたその勢いを使って、治奈は柄尻で、黒い魔法使いの身体を打ちに掛かった……と見せて、腰を回して顔面へと蹴りを放っていた。
意表を突いた、治奈の攻撃。
まったく、通用はしなかったが。
通用しないどころか、蹴りの軸足にぱしりと足払いを受けて、尻もち付きそうな姿勢のまま低く浮かされていた。
と、その瞬間、下から蹴り上げられて、紫色の魔道着を纏った彼女の身体は、低く揺れる激しい音と共に天井に叩き付けられていた。
治奈の身体が、ひびの入った天井にめり込んでいた。
重力に引かれ、天井から剥がれて落ちた。
受け身も取らず、床を小さく跳ねた。
完全に意識をなくしているのか、その身体はぴくりとも動かなかった。
「気迫がありゃあ勝てるとでも思ったかあ? 世の中そんな甘くねえんだよバーカ。……さて、もう飽きてきたから……そろそろ、死ねよ」
黒スカートの魔法使い康永保江は、剣を軽やかに振って、空気の粒子で刃を研いだ。
倒れ意識を失っている紫色の魔道着、明木治奈の首へと、その刃を振り下ろした。
顔色一つ変えることなく。
むしろ、楽しげに。
すっぱり一撃のもと、離れ離れになるはずであった、治奈の頭と身体。
だが、断首の剣は、仕事を果たすその寸前、ガチリと受け止められていた。
横から入り込んだ剣先によって。
「リーダーと、第三中のみなさんは、少し休んでいてください」
薄黄色の上着と薄水色のスカートという色の魔道着を着た、ワンレンに髪を切り揃えた少女の姿。
我孫子市天王台第二中学校の三年生、魔法使いのサブリーダー文前久子であった。
2
「リーダーと、第三中のみなさんは、少し休んでいてください。しばらく、わたしが引き受けますから」
薄黄色薄水色の、スカートタイプの魔道着。
ワンレンに髪を切り揃えた、おっとり顔の少女、文前久子である。
彼女は視線を正面の敵、黒スカートの魔法使いへと据えたままそう口を動かすと、ゆっくり左手を上げた。
ぼおっ、と左手が薄青く光る。
右手に持つ剣のひらに当てると、根から先端へと、スライドさせていく。
エンチャントという作業で、魔法による武器の強化である。
効果は総じて、やや破壊力が増し、持った感じがやや軽くなる。
さて、突然現れて治奈のピンチを救った文前久子であるが、
助っ人は、彼女一人ではなかった。
同じく我孫子第二中の三年生、
弘中化皆、
嘉納永子。
さらに二年生、
延元享子、
宝来暦。
彼女たちも一緒であった。
文前久子が一人、黒スカートの魔法使いと向き合っているうちに、彼女たちは倒れている治奈の元へとさっと寄った。
「ハルビンちゃん、しっかり! いま治療するからね」
延元享子と宝来暦が、まだ意識朦朧然の治奈を、脇の下に腕を入れ壁の方へと引きずっていく。
「ははあ、こりゃあいいや。ブッ殺されてえ奴が、うじゃうじゃと集まってくれたってわけだ」
黒スカートの魔法使い、康永保江は、嬉しそうに唇を歪め、歯を剥き出した。
「助かったよ。任せた久子。シクヨロっ」
壁に背を預け腰を下ろしている、シフォンショートヘアーの少女、万延子の声。
剽軽なことばかりいっているいつもの軽い表情を作る余裕もなく、苦しそうに息をしながら、せめてもの軽い言葉を吐いた。
延子は、そっと腕を伸ばして、隣でやはりぐでっとしているカズミの、傷だらけの身体へと手のひらを翳した。
翳した手が、小声の詠唱と共に、ぼおっと青白く輝いた。
治療魔法の詠唱、その輝きである。
その治療魔法を受け、カズミの身体がびくりと震えた。
意識目覚めるや、はっとした顔、そしてなにをされているのか理解するや延子の顔を睨んだ。
「なんであたしなんだよ! まず自分を治せよバカ! 年寄りで、へたばってるくせに!」
荒らげたカズミの声に、苦しげながらもやわらかな声が、被さった。
「自分より他人を治してあげる方が癒やしのパワーが出るんだ、わたしの場合は。……だからキバちゃんは、わたしのこと治してよ」
「しょうがねえな」
舌打ちしつつもカズミは従って、自分の右手を第二中リーダーへと伸ばした。
青白く輝くカズミの手が、延子の傷だらけの身体に当てられた。
「あはあっ、キバちゃんのエネルギーがわたしの中に入ってくるう」
治療魔法を受けて、何故か恍惚とした表情でびくり震える延子。
急速治療は細胞組織に無茶を強いるため、耐え難い激痛が走っているはずなのだが。
「バカなこといってっと、魔力じゃなくて毒流し込むぞ」
「うん。キバちゃんのだったら、いい」
こんな時でもこんなやりとりをする二人である。
その横では意識を回復した治奈が、延元享子と宝来暦の二人から治療を受けて、その効果による激痛に顔をしかめている。
その近くに銀黒髪の祥子が腰を下ろし、自分自身の傷口へと手を当てている。
痛みを堪えながら、部屋の中央にいる二人の、その様子を、散らす火花を、見守っている。
部屋の中央では、それぞれ洋剣を構えた二人が、切っ先が触れるか否かというくらいの距離間で向き合っている。
小馬鹿にした笑みを浮かべている、黒スカートの魔道着を着ているのが、リヒト特務隊である康永保江だ。
対する文前久子は、薄黄色の上着に、薄水色のスカート。
油断なければ恐れてもいない、ただそこにあるという自然体の表情だ。
自然体、ではあるが、
受け身に回らず、先に動き出していた。
薄水色のスカートから伸びる細い足で、摺り足気味に、前へと身体を運んだ。と突然、予備動作もなく床を強く蹴り、振り上げた剣を、迷いなく振り下ろしたのである。
攻撃自体は、なんの変哲もないものであり、半跳躍からの振り下ろしは、剣のひらで楽々と受け止められていた。
それでも攻撃のつもり? という嘲笑の表情を浮かべ掛ける康永保江の顔であったが、浮かべ切る前に疑問や驚きといった色がどどっと多分に混ざり込んでいた。
ごくり、唾を飲んだ。
文前久子の身体が、押すでもなく、引くでもなく。
剣で剣を、押さえたまま。
ふにゃり肩の力を抜いて、揺れ動きながら半歩進み、
黒スカートの魔法使いへと、ぴたり密着していたのである。
面食らった様子で一歩引く康永保江であるが、久子の姿はどこにもない。
消えたのではない。
後ろだ。
ぴたり身体を密着させながら文前久子は、くるり身体を回転させて黒スカートの魔法使いの、背後へと回り込んでいたのである。
背中同士が触れ合った、その瞬間、
だんっ
床が、空気が、重たく弾け、揺れていた。
「貼山靠!」
文前久子が膝を軽く落とし、背中を使った体当たりを浴びせたのである。
貼山靠。
日本では鉄山靠として知られている、八極拳という中国拳法の技である。
地味な見た目と裏腹に衝撃は凄まじかったようで、黒スカートの魔法使いは、ととと、っとよろけた。
魔道着の上から、しかもほぼ密着状態から、背中を押されただけにも見えたというのに。
片足を前に出して、堪え踏みとどまった黒スカートの魔法使いは、くるり向き直ると、
「ちったあやるじゃん」
目を細めながら口元を歪めると、剣の柄を握り直した。
褒められた文前久子は、言葉も表情もなにも返さない。
無言のまま、また小さな跳躍で飛び込みながら、ふわりやわらかな手の振りで、剣を打ち下ろした。
跳ね上げようとする黒魔道着、康永保江の剣は、上弦の月を描いてただ空を切っただけだった。
力まずやわらかく持った久子の剣先が、するんふわんと剣をかわしたのである。
「くっ」
康永保江の、呻き声。
驚き、焦り、苛立ちの表情、
それが一瞬にして、苦痛にぐしゃり歪み潰れていた。
黒い魔道着が、肩から腹まで袈裟掛けに切り裂かれていたのである。
久子の剣によって。
大振りを誘って、確実に斬撃を打ち込む。
というのが彼女、久子の戦い方なのであろう。
青白く輝いていた久子の剣は、元の鋼色に戻ってしまっていた。
確実に当てるのであれば、と一気爆発型のエンチャントを掛けていたのだろう。
それでも致命的なダメージは与えられてはいないようであったが。
黒い魔道着の防御性能が優れているのか、着る者の魔法力が高いのかは、まあ、両方なのだろう。
だが、上手く翻弄して、しっかりとダメージを与えた、という腕前の見事に変わりはない。
「サブリーダーの方が、出来る女なんじゃねえのかあ?」
治療しながら二人の戦いを見ていたカズミが、第二中リーダーである万延子をからかった。
「いやあ面目ない。出来ない女で」
軽口を飛ばし合いながら、お互いの身体へと青白く輝く手を翳し、治療し合っている二人。
飛ばしている言葉こそ軽いが、二人とも表情は真剣だ。
急速治療の激痛が全身を襲っているはずであるし、いずれにせよこんな状況で楽しく笑えるはずがない。
ただ、話のダシに使われている当人、文前久子が、薄く笑っていた。
小さく、口元をほころばせていた。
「わたしの方が出来るだなんて、とんでもない。ここへ向かう途中にカメラ映像で見ていたから、対策と覚悟が出来ているだけです。……わたしの実力など、リーダーの足元にも及ばない」
最大級の謙遜をしながらも、視線は油断なく黒スカートの魔法使い、康永保江からそらさず、涼やかに見つめ続けている。
「ちったあやるじゃねえかよ。ワンレンの姉ちゃん。……もうこんなのいらねえや」
黒スカートの魔法使い、康永保江は、砕けた左肩と胸の防具を、それぞれもぎ取り投げ捨てた。
ゆっくり首を回し、すっきりした顔で、あらためて剣を構えた。
「さあやろうぜ!」
こうしてまた、二人の打ち合いが始まった。
だが、というべきか、
押しているのは変わらず、薄黄色と薄水色のスカート、文前久子であった。
豊富な引き出しを利用して、その後もトリッキーな攻撃を仕掛け続けけたのである。
虚を突く中に、稀に実を混ぜる。
というやり方のため、手数的にそれほどのダメージは与えられていない。
だがそのチクリチクリは、むしろ精神をイラつかせ、焦らせるに効果的だった。
効果的ではあったが、次の攻略フェイズへ進むことは出来なかった。
誤算が起きたのだ。
相性であるのか、久子の虚を突く能力が抜群なのか、なかなか順応が出来ないことを自覚認識した康永保江が、あっさり戦い方を切り替えたのである。
単純な、力押しに出たのである。
そして、攻撃を避けようともせず、あえて身体に受けながら、久子へと、袈裟掛けの一撃を浴びせることに成功したのである。
防御されることを前提とした次の手を放てずに、ひと振りを食らった久子。胸の防具は粉々に砕け、強化繊維であるはずの魔道着も、肩から腹まで切り裂かれて、ばっくり裂けた傷からはどろり血が流れていた。
後ろへよろけ、倒れそうになる。
なんとか足を後ろに出して踏みとどまると、追撃に備えて剣を斜めにし、予想通りにきた追撃から身を守った。
だけど、なんとか受け止めたというだけで、押し潰されそうなほどに頼りない。
これまでの、風に吹かれるがごとくな涼しい表情は、すっかり消えていた。
身体を切り裂かれた激痛に、顔がぐしゃり歪んでいる。
「ぐ……時間稼ぎには、なったかな」
ぜいはあ息を切らせながら、久子の吐息のような声が漏れる。
時間稼ぎ、
この言葉には、二つの意味が込められていたのだが、それは後の話だ。
現在、なにが起きたのか。
そう力なく呟き、ふらつきながらも身を守る久子へと、剣の先端が唸りを上げて落ちたのである。
ガードごと叩き潰してやろう、という猛烈な勢いで。
ガチリ、と火花散る激しい音。
そして、続くは静寂。
落とされた、黒スカートの魔法使いの剣は、文前久子の頭上。あと数センチというところで、微かに震えながら静止していた。
横から飛び込んだ、第二中の魔法使い弘中化皆が、寝かせた剣を突き入れて、受け止めたのだ。
その一振りだけではない。
弘中化皆の右側には、嘉納永子が大刀を下げ持ち、肩を並べている。
左側には、宝来暦が、三日月刀を左右の手に握って、同様に。さらには、
彼女たちの後ろには、やや柄の短い薙刀を構え突き出している、延元享子の姿があった。
それぞれ持つ武器の刀身が、青白い輝きを帯びている。
先ほど文前久子が、自分の武器にエンチャントを施していたが、それよりもさらに強く輝いている。
久子が一人で戦っていたため、エンチャントを施す時間を長く確保出来たということだろう。
「みんな、気を付けて。油断した瞬間に、あの世だからね」
守られて安心したか、久子は下がりながら、がくり肩を落とした。
床に膝を着いた。
ふう、と安堵のため息を吐くと、自分のざっくり裂けた胸へと、治療のために薄く輝く手を翳した。
「分かってる。ジックリエンチャントをしている間に、しっかり見ていたから」
弘中化皆は、ワンレンのサブリーダーへと力強く微笑むと、顔を上げた。
前を向きながら、表情を幾分か険しく変化させ、目の前に立つ黒スカートの魔法使い康永保江へと、両手に握った剣を構えた。
同じタイミングで、隣の嘉納永子が、腰をやや低く落とし、大刀を前に突き出し身構えた。
続いて宝来暦も。
左右の手にそれぞれ持つのは、三日月刀。
右を上段、左を下段、それぞれ刃を水平に寝かせ、円を描くように構える。
さらには延元享子が、薙刀の柄尻でとんと床を叩く。
水平に持ち、弘中化皆と嘉納永子の間から、魔法強化に青く輝く鋭い刀身を、突き出した。
「久子のいう通り、本当に気を付けてね。そいつ令ちゃんみたく非詠唱を使うから、隙を与えず、隙を見せずにね」
第二中リーダーの万延子が、四人へと心配そうな顔を向ける。
と、その顔が苦痛に歪む。
横にいるカズミから施されている急速治療の、副作用による激痛のためだ。
「だいじょおぶ。リーダーにお金を借りパクされたままじゃ、死ぬに死ねないよっ」
顔を敵へと向けたまま、弘中化皆は、にっと笑みを浮かべた。
3
「いつ借りたってんだい? わたしが」
万延子は、おでこに掛けた巨大メガネを摘みつつ、苦笑した。
少しだけ、ではあるが、場の緊張感が薄らぎつつあった。
もちろん、寸分の油断も出来ない相手と戦っている緊張感、危機的状況にあることに、違いはないが、明らかに場の雰囲気が変わっていた。
文前久子が、黒スカートの魔法使いを相手に、一人で良い勝負をしたことが大きいであろうか。
それが今度は四人。
しかも、手にする武器には、彼女らのいうジックリエンチャントが施されている。
より優位な戦いが、出来るのではないか。
少なくとも、それなりの疲弊やダメージを相手に与えることは出来るのではないか。
好自信、とでもいうべきか。
弘中化皆たち四人も、真顔で集中してはいるが、負けるはずはないという思いに満ちた表情も、浮かんでいる。
「散開!」
弘中化皆の合図に、嘉納永子たちがバラバラに散る。
三方から一人を、黒スカートの魔法使い、康永保江を取り囲んだ。
長柄の武器である延元享子だけが、一歩引いたところで構えている。
「雑魚どもが」
包囲されている康永保江は、まだ生々しい傷のままである自らの胸へと、青白く光る手を翳しながら、身体を半身に首を動かし横目で周囲、背後までを確認する。
ぎり、ぎり、と歯を軋らせながら。
その周囲を見回そうとするほんの一瞬の隙を逃さず、
「えやあっ!」
弘中化皆が、気合の雄叫びを張り上げ床を蹴り、間合いを一瞬で詰めながら剣を内から外へと払った。
一斉に、残る三人も動く。
こうして、戦いは次の局面へ。
助っ人である第二中の四人が、黒いスカートの魔法使い、康永保江を相手に戦いを開始したのである。
だが、期待の二文字は、一瞬にして落胆へと書き換わった。
それは、次のようにして。
まず、隙を突いて斜め後ろから、弘中化皆が振るった剣。
躊躇のない、目で追えないほどの早業であったにもかかわらず、黒い魔法使いは半歩移動し、首を軽く動かして、ミリ単位の無駄ない動きでかわしていた。
飛び込んだ弘中化皆へと、カウンターが襲う。
よけた康永保江の、持つ剣が、円弧を描いて顔面へ。
驚きを浮かべつつ反射的に剣を寝かせ、反撃を受け止める弘中化皆であるが、その瞬間、肉の潰れる音がして、彼女は、後ろへ跳ね飛ばされていた。
剣で避けるにかかりっきりになっていたため、無防備であった腹部に、前蹴りを受けたのである。
音を鼓膜に感じたか、風を肌に感じたか、後ろを振り向いた黒い魔法使いの、その頭上に、宝来暦の武器が空気を切り裂きながら落とされる。左右の手に握られた、それぞれの三日月刀が。
それを認識した康永保江の取った行動は、防御ではなかった。
ただ、にっ、と笑むだけであった。
あえて避けなかったとしか、考えられない。
既に防具を失っている、黒スカートの魔法使い、康永保江の両肩に、二本の三日月刀が、深くざっくりと切り込まれていた。
黒スカートの魔法使いは、刀に深く切られながらもさらに笑みを強くして、
反対に、見事攻撃を命中させた宝来暦の方は、驚きと焦りに目が見開かれている。
宝来暦、彼女は三日月刀を持った腕を動かし引き抜こうとするのだが、がっちりと咥えられて、まったく抜けないのである。
肉を切り骨を断つ音が、二回。
康永保江が持つ剣が、切り裂いたのである。
宝来暦の身体を、エックスの字に。
と、その瞬間には、もう次の獲物へと、床を蹴っていた。
肩の骨と肉に、三日月刀を咥えたまま。
遠目で薙刀を構えている、延元享子へと。
延元享子は、慌てながらも後退する。
攻撃のための空間を作り出そうとしたのであるが、黒スカートの魔法使い康永保江の踏み込む方が遥かに早かった。
薙刀の柄が、康永保江の手刀によって、へし折られていた。
驚き、呻く延元享子の顔が、手刀を返した手の甲に打たれて、ぐしゃりひしゃげていた。
そうなったと見えた瞬間には、身体は飛ばされて、壁に叩き付けられていた。
一瞬のことに混乱している嘉納永子へ、康永保江はガツンと頭突きを浴びせた。
右肩に刺さっている三日月刀を、左手で引き抜くと、嘉納永子の胸を切り裂いた。
悲鳴が上がりくるり回る身体の、背を、素早くもう一本抜いた三日月刀で切り裂いた。
薙刀が、床に落ちる。
どうと、嘉納永子は倒れた。
圧倒、である。
誰かどう見ようとも。
康永保江の。
結局、弘中化皆たちは、状況をより優位にするための、なにをすることも出来なかった。
四人がかりで意気揚々挑んだというのに。
先に戦ったカズミたちも四人がかりで勝てなかったが、色々と条件が違う。
化皆たちには、どう戦えば良いかは文前久子が示してくれたし、それぞれ手に持つ武器にはジックリエンチャント。そして相手にはざっくり深く切られた傷があり、また、肉体と精神には疲労の蓄積もあるだろう。
単に、文前久子の個人技が、群を抜いて優れていたということだろうか。
それとも四人を相手だからこそ、黒いスカートの魔法使い康永保江が手を抜けなかったということだろうか。
それとも康永保江が、彼女たちの持つ個性に順応し始めたということか。
どれであろうとも、起きた事実は一つだが。
四人がかりで挑んだ魔法使いが、一人の魔法使いに、一瞬にして打ちのめされたということである。
だが、
「まだ……まだだ!」
立ち上がる、弘中化皆。
そして、
「チャラ部ファイトオ!」
叫ぶ嘉納永子、延元享子、宝来暦。
みな腹や胸を切られて血を流し、頬は腫れ、鼻血なども出ており、実に酷い状態であったが、まったく諦めていなかった。
「まだまだもなにも、とっくに終わってんじゃねえの? とっくというか、最初っからさあ」
黒スカートの魔法使い康永保江は、二歩三歩進んで部屋の中央、ど真ん中に立った。
数人を相手に、壁を背にして戦うことも出来るはずであるが、そうせずに。
ぜいはあ息を切らせているが目はギラギラ輝いている四人の魔法使いに、康永保江は、あえて囲まれると、
「死にたかったら、かかってきな。ま、最終的には殺すけどね、ここにいる全員」
人差し指で、おいでおいでをした。
「うわああ!」
弘中化皆の気合い、絶叫。
こうしてまた戦いが始まった。
変わらず、戦力差は大人と子供であったが。
それでも、完全に舐められていようとも、四人の魔法使いは屈辱の中を戦うしかなかった。
しかし、攻めれば攻めるほど、
受ける反撃に、防具を砕かれ、
受ける反撃に、魔道着を切り裂かれ、
疲労とダメージを、いたずらに蓄積させていくばかりだった。
焦りのせいというよりは、完全に実力差であろう。
実力以外に理由を求めるならば、それはむしろ、康永保江の方にこそあるといえるだろうか。予想外のことばかりを仕掛けてくる文前久子が相手でなくなったことで、イライラさせられることなく本来の実力を発揮出来ているのだ。
「なんか……悔しいな、もう」
ぜいはあ息をしながら、唇をきゅっと噛む嘉納永子。
彼女たち四人は、使い古した雑巾のように、すっかりボロボロになっていた。
疲労や屈辱で、なんとも暗い、惨めな表情になっていた。
ジックリエンチャントの効果も、もうほとんど切れており、鈍く輝く武器を、なんとも重たそうに持っている。
それでも、黒スカートの魔法使いへと挑み、倒され、倒されるたび立ち上がり、刃を振るい続けた。
弘中化皆たち、四人は。
いや、四人では、なかった。
「だらし、ねえなあ、お前ら」
青い魔道着を着た、ポニーテールの少女。
カズミが、嘉納永子の横に立っていた。
まだふらふらとした足取りであり、疲労のまるで抜けていない様子、表情であるが、なんとか両手にナイフを持ち、構えて。
さらに、
「待たせたね」
薄水色のスカート。
シフォンショートの髪の毛。
おでこには、ふざけているとしか思えない、青白ストライプの巨大メガネ。
第二中リーダーである、万延子である。
彼女は得物の木刀を右手に持ち、宝来暦と弘中化皆の間に立った。
「ぼくたちも」
「もともと、うちらの戦いじゃけえね」
銀黒の髪の毛、銀黒の西洋甲冑風の魔道着、嘉嶋祥子。手に持つのは、柄の無い巨大な斧。
さらに紫色の魔道着、明木治奈が槍を持ち、それぞれ前へ出た。
「わたしも、なんとか……」
ワンレンにした髪の毛が特徴的な、サブリーダーの文前久子がふらふらしながらも立つ。
先に戦って負傷した魔法使いたちが、とりあえずの応急処置を終えて、一斉に戦線復帰したのである。
黒スカートの魔法使い、リヒト特務隊の康永保江を、メンシュヴェルトの魔法使い九人で取り囲んだのである。
「心強いけど、でも昭刃さんたち、まだ回復してないでしょ? 無茶だよ」
弘中化皆が、心配不安といった顔をカズミへと向けた。
「お前らだって、あっという間に、あたしらと同じくらいズタズタじゃねえかよ」
「まあ、そうなんだけどさ」
確かに、どっちがどっちといえないほど、どちらも酷い状態であった。
「よし、それじゃあ三人連係でいこう!」
第二中リーダー、万延子の声に、九人の身体がさっと動いた。
疲労や怪我のため、軽やかな足取りではなかったが。
カズミと、明木治奈、嘉嶋祥子。
文前久子、弘中化皆、宝来暦。
万延子、延元享子、嘉納永子。
三人密集が三組。
三組が三角形を作り、黒スカートの魔法使い、康永保江を取り囲んだ。
「ズルい気もするけど……でも相手は化け物だからな」
というカズミの言葉を、
「つうか、お前らが弱すぎなだけなんだけどな」
黒スカートの魔法使いは、掻き消すように大きく鼻で笑った。
こうして、第三幕とでもいうべき戦いが始まったのである。
4
このようにして、第三幕、とでもいうべき戦いが始まったのである。
戦い方は、三人密集。
それが三組、三方から、黒スカートの魔法使い康永保江へと、攻撃を仕掛けるのだ。
九人は、武器をそれぞれ手にしている。
相手は一人であり、持つ武器も剣の一本だけだ。
この圧倒的人数差に、今度こそ形勢は逆転かと思われた。
が、蓋を開いてみれば、なんということか。
康永保江は、余裕の笑みを浮かべ、攻撃をかわし続けたのである。
かと思えば、先ほど見せたように、わざと攻撃を受けつつの強引な相打ち狙いを見せてくる。
非詠唱で、隙あらば自らを治療出来るため、こうした荒っぽい戦いが出来るのだ。
こんな攻撃を見せられては、カズミたちの攻めに躊躇が生じるのも当然だろう。
第二中第三中合同軍に生じるその躊躇という隙を狙って、黒スカートの魔法使いは、剣をひと振りふた振りと浴びせ、または、剣と見せて拳や足を叩き込んでいく。
メンシュヴェルトの魔法使いたちは、人数圧倒的有利の中、ただ一人の魔法使いになすすべなく翻弄されていた。
「もう、わたしの戦い方は基準にしないで!」
密集の中で、文前久子が叫ぶ。
先ほど、久子が思いもよらぬ善戦を見せたが、もう康永保江は戦い方自体を変えている。
もしまた久子が一対一で戦ったならば、今度は一秒ともたずに切り殺されてしまうかも知れない。
だからもう、その時の戦い方は参考にはならない、ということだ。
いう必要もなく、みな分かっていることなのだろうが。
だが、なにがどうであれ、メンシュヴェルトの魔法使いたちはその後も圧倒され続けた。
九対一という、絶対的な数の優位にもかかわらず、どう擁護も出来ないくらい押されていた。
康永保江は基本、力押し戦法。
自身も攻撃を受けるには受けるのだが、隙あらば非詠唱で治癒してしまう。
カズミたち天王台の魔法使いは、三人一組の有利も、的の大きさという不利に変換されていた。
ダメージ関係なく、黒スカートの魔法使いが力まかせデタラメに剣を振り回してくるものだから、どこかしらに必ず攻撃が当たってしまうのだ。
「化皆、暦、享子、下がって治療! 済んだら、ジックリエンチャント」
「……分かった」
延子の指示に、弘中化皆たちは少し不満げながら頷き、陣形から離れた。
「キバちゃんとハルビンは……」
人数が減ったので、延子がまたあらたな指示を出す。
カズミと、治奈、
祥子と、久子、
万延子と、嘉納永子。
ペアで、やはり三組を作り、先ほどよりも狙われる的を小さくした状態で、三方から攻める。
攻めるといっても、六人が六人とも疲労困憊といった様子で、振るう武器にもどれほどの力が込められているのか。
反対に、康永保江からはほとんど疲労を感じない。
一対多数の、多数の方が戦うほどに不利になっていく。
魔力が膨大であろうとも、肉体の疲労は別であり、そういう意味では、黒スカートの魔法使いの方こそ先にバテてもおかしくないはずである。
しかし彼女はそもそも、すぐ治療出来るものだから防御に重きを置いておらず、しかも嬉々として攻撃をするため、疲労が少ないのだろう。
非詠唱と強大な魔法力を背景にしての、力押し肉弾戦だ。
もちろん、流した血の分は弱まっており、こればかりは食事と休息がなければ回復しないはずであるが。
だが……その、流した血の分、ということだろうか。
祥子文前ペアが、溜まる疲労の中、久々に良い連係を見せて、斧と剣とで康永保江を弾き、よろめかせた。
そこを、絶好の大逆転チャンスと見たか、カズミが連係を乱し治奈を置いて、一人飛び出し、詰めていた。
「危険じゃ!」
治奈が叫んだ時には、既にカズミは康永保江の懐へと飛び込んでいた。そして、低い姿勢から二本のナイフ……
「そうくると思ったよ。バーカ!」
の間を、前蹴りで突き破られて、胸に受け、飛ばされ、壁に背を打ち、頭を打ち、呻き声すら上げること出来ず、ずるずると床に落ちた。
「カズミちゃん!」
治奈の叫び声。
正確には、「ん」までいえていない。
連係乱れにより一人きりになったところ、構えた槍の穂先を避けながら瞬間的に入り込んできた康永保江に、剣の一撃、返す二撃を浴びたのである。
がくりよろけて、治奈は、膝を着いた。
紫色の魔道着は、胸、腹を切り裂かれて、どろりと血が流れている。
「死ね!」
康永保江が、嬉しそうに叫び、剣を振り上げる。
だが、切っ先の振り下ろされる先は、治奈ではなく、
くるり振り返って、
文前久子と、嘉嶋祥子。
二人は、胸をぶった切られて、血を噴いた。
治奈を救おうと黒スカートの魔法使いに背後から迫ったところ、察知されており返り討ちにあったのだ。
苦痛の悲鳴を上げるより先に、二人の身体は、飛ばされていた。
後ろ回し蹴りの、素早い二連続回転によって。
どう、どう、と治奈へと激しく衝突して、三人は意識を飛ばし掛け、ふらりぐらり、よろめいた。
「くそ、こんな化け物と、アサキはたった一人で戦ってんのかよ。すげえな」
まだ意識が混濁としている様子の、青い魔道着、カズミが、小さく唇を動かした。
消え入りそうな、小さい声ではあったが、
「あ?」
黒スカートの魔法使い、康永保江は聞き逃さなかった。
カズミへと、振り向いていた。
目を怒りに釣り上がらせ、床を蹴っていた。
青い魔道着へと、飛び込んでいた。
「アサキアサキって、うるせーーんだよ!」
蹴っていた。
飛び蹴りである。
不意に攻撃を受けたカズミだが、無意識に腕でガードする。
しかし、その行動に意味はなかった。
ガードなど無いも同然に突き破られて、腹へと、踵がめり込んでいたのである。
「『最強』は、ここにいるんだよお!」
黒スカートの魔法使いは、着地ざま、地を踏みしめながら、再び蹴った。
怒鳴り声を、張り上げながら。
カズミの、左腕を。
べきり、
なにかが、割れ砕ける音。
カズミの、二の腕が、曲がっていた。
もう一つ肘があるかのように、途中から、折れていたのである。
「ぐぅぁああああああああ!」
叫び、転がるカズミ。
激痛に意識覚醒し、覚醒意識に激痛を受けて、顔を歪め、腕を押さえ、床の上をばたんごろごろのたうち回っている。
その、折れている腕を、康永保江が踏んだ。
躊躇いなく体重を乗せた。
断末魔の声に似た、凄まじい悲鳴が上がった。
黒スカートの魔法使い、康永保江は、少しすっきり満足した顔で、くるり振り向いた。
残る魔法使いたちを見回しながら、
「お前ら全員をぶっ殺してから、そのアサキも殺してやるよ。まあ今頃、壁の向こうで、衡々菜がブッ殺してると思うけどな」
にやり、笑った。
笑った瞬間、目が、驚きに少しだけ見開かれていた。
「うああああああああっ!」
腕を折られたカズミが、激痛の中を立ち上がり、康永保江の背へと、右手に握ったナイフを突き立てていたのである。
ナイフは魔道着を突き抜け、深々と、根本まで刺さっていた。
だが、
康永保江は、ふんと鼻で笑うのみであった。
右足を軸に身体を回転させ、後ろ回し蹴りで、カズミの身体を吹き飛ばした。
カズミは壁に叩き付けられて、床に落ちた。
折れた腕を打ってしまったか、また激痛に凄まじい悲鳴を上げる。
うずくまり、もだえているカズミへと、康永保江は笑みを向けた。
「どこのオモチャ屋で買ったんだあ? そのお子ちゃまナイフ」
そして、
「かゆい」
康永保江はそういいながら、左腕を背中へと回して、青白く輝く手のひらを受けたばかりの傷口へと翳した。
ナイフによる傷が、一瞬にして治っていた。
「くそ」
ぶるぶる震える足で、カズミは立ち上がる。
目の前の、とんでもない敵を、睨み付けながら。
腕の折れた痛みに顔面をぐちゃぐちゃにしながら。
「ダメだ! キバちゃんは、おとなしく魔法で治していること! そんなんで頑張られても迷惑だよ!」
万延子は、嘉納永子と肩を並べて切り込んだ。
黒スカートの魔法使い、康永保江へと。
みながみな手負いであり、この時点、ある程度以上に戦えるのは、この二人しかいなかった。
みなにまた治療をさせるのであれば、こうして切り込みつつ、しかし防御優先で戦い続けるしかないだろう。
「化け物だろうと無敵じゃないんだ。非詠唱でそそくさ治療したって、根本のダメージや疲労は蓄積されているはず。そう信じて、とにかく粘るしかない!」
叫びながら延子は、輝く木刀を康永保江へと叩き付ける。
その攻撃はおとりであり、身を低く走り飛ぶ嘉納永子の大刀が、延子を警戒するが故に開いた脇腹を狙って、ぶうん唸りを上げて横一閃。
通じなかった。
康永保江は、慌てて引こうとするどころか逆に一歩踏み込むと、襲う横殴りの大刀を手の甲で簡単に叩いて弾いた。
さらに反対の腕で、万延子の顔へと肘打ちを叩き込んだ。
一瞬の早業に、つっ、と万延子の鼻から血が流れた。
いくら傷を治療しようともダメージも疲労も蓄積されているという、先ほどの延子の言葉。
そうであれば、それはむしろ彼女たち自身をこそ不利な状況へ追い込むものではないだろうか。
そう不安に思わせるほどに、黒スカートの魔法使いはぴんぴんと元気であり、向き合う延子と永子の二人こそが、ぜいはあ、呼吸すっかり乱れ、肩で大きく息をしていた。
その後も、この一方的な戦いは続けられた。
しかし、これほにど屈辱的な戦いが、他にあるだろうか。
頭数だけは九人もいるというのに、一人の魔法使いにまるで歯が立たず、一人、また一人と動けなくなり、なぶり殺しにされそうだというのだから。
康永保江も、多少の疲労はあるのだろう。
だが、戦うほどに差は開いていく。
結局、先ほど延子がみなに掛けた言葉は、もう少し頑張れという精神論でしかなかったのである。
悲劇的といっても過言でない、戦いの様相であるが、だが、少し先の未来を知る者からしたら言葉を訂正しただろう。
まだここまでは、この瞬間までは、悲劇の序章ですらなかったよ、と。
「ねえ、これ見てる? スギちゃん! なんなんよ、一人の魔法使いがザーヴェラーより強いってえ!」
壁際に立っている延元享子が、自らを治療しながらも、腕を立てリストフォンのカメラを康永保江へと向けている。戦う魔法使いたちへと、向けている。
スギちゃんとは、第二中で彼女たち魔法使いを取りまとめている杉崎先生のことである。
「早く対策考えてくんなきゃあ。でなきゃ回復したら、ソッコーみんなで逃げちゃうからねえ。花の十四、ここで生命を散らしちゃなんにもなら……」
じくっ!
弾力あるものと、硬いものとを、鋭利頑強な刃物で同時に切断したら、このような音がするであろうか。
そんな音に邪魔されて、延元享子の慌ただしい喋りが、止まっていた。
延元享子の身体が、ふらり、ぐらり。そして、
崩れ、倒れた。
全く受け身を取ることなく。
そのまま彼女の身体は、ぴくりとも動かなかった。
「享子、ちゃん?」
心配そうに、声を掛ける宝来暦。
その目が、驚きと恐怖に、大きく見開かれていた。
うつ伏せに倒れている延元享子の、首が、
深く、
骨まで、
切断されていたのである。
真っ赤な、噴水。
切断されたところから、勢いよく、血が斜めに噴いて飛んだのである。
「うわあああああああああ!」
血溜まりの床の上で、宝来暦が張り裂けんばかり口を開いた。
5
凍り付いていた。
部屋の空気が。
絶対零度にまで、凍っていた。
目の前で起きていることが、信じられずに。
見た通りと分かっていても、信じられずに。
みな、青ざめた表情のまま、薄く口を開いたまま、がちがちに凍ってしまっている。
「享子ちゃん、享子ちゃん!」
一人、宝来暦だけが、動いている、激しく泣きながら、友の名を呼び掛けている。
血の海の中に手を着いて。
その、着いた手の、すぐ先に、
うつ伏せに、魔法使いが倒れている。
我孫子第二中の魔法使い、延元享子である。
彼女は倒れたまま、ぴくりとも動かなかった。
さもあろう。
首の後ろが、ざっくり骨ごと、切り裂かれているのだから。
どろどろと黒い血が流れて、今なお床の海を広げているのだから。
どう都合よく考えようとも、生きているはずはなかった。
間近にいて最初に気付き声を掛けた宝来暦以外は、誰も、この現実に入ることが出来ていなかった。
ただ青ざめた顔で、身体をぶるぶると震わせているだけだった。
血の海の中に、大柄な女子が立っている。
それは、これまでここにはいなかった、あらたな魔法使いであった。
「保江ちゃん、少しはわたしにも、楽しませろよ」
ぼさぼさと爆発した、完全白髪の少女であった。
彼女の左手には細剣が握られており、その先端は、血に濡れている。
今ここでなにが起きたのか、何故、延元享子が首を切られて死んでいるのか、理由はもう、明らかであった。
「享子ちゃん、享子ちゃん!」
必死に呼び掛ける宝来暦の目には、すぐそばに立っているあらたな魔法使いの姿は、まったく入っていないようであるが。
その必死に呼び掛けは、生き返ってくれという願いであるか。
死んでなんかいない、そう信じ込みたいのか。
宝来暦は何度も、何度も、必死な、泣き出しそうな表情で、友の名を呼び掛け続けている。
他の魔法使いたちは現状認識が出来ずに、ただ青ざめた顔で震えているだけであったが、誰かが奇声を張り上げ空気を切り裂いたことで、一転、一気に騒然となっていた。
嘘だ、と叫ぶ者、
慟哭の声であったり、
ひざまずいて、床を叩き付ける者。
延元享子とあまり接点のなかったカズミも、目の前の光景にすっかり呆然として、口半開きで視線を震わせている。
そんな中で、
「お前なんかが出る幕じゃない! 邪魔すんなよ!」
「いやあ、お前ら二人が抜け駆けしたんじゃないかあ」
リヒトの魔法使い二人は、まるで平然とした態度で、言い争いをしていた。
敵だから、ではなく、そもそも最初から人間の生死についてなんとも思っていない。そんな神経など母の胎内に忘れている。そうとしか考えられない、二人の態度であった。
「だからあ、そんないわれ方をされる筋合いはないんだけどねえ」
背後から延元享子を殺した、ぼさぼさ白髪の魔法使いは、苦笑しながら、髪の毛を掻き上げた。
そして、カズミたちメンシュヴェルトの魔法使いたちへと向き直った。
「わたしの名前は、昌房泰瑠。いつの間にか始まっちゃってたこの遊びに、混ぜてもらいたくてきたんだけど、いいかなあ?」
「なにが遊びだあ!」
昌房泰瑠、と名乗った白髪の魔法使いの背後へと、弘中化皆が怒り満面、剣を振り上げ、飛び掛かっていた。
硬い物が砕かれ割れる音。
床に、なにかが落ちていた。
それは、人の、腕であった。
剣を掴り締めた、弘中化皆の腕であった。
次の瞬間、同じ音がして、また一本の腕が落ちた。
「うああああああっ!」
弘中化皆の、絶叫が響いた。
激痛、驚き、恐怖、屈辱、焦り、など合わさったグシャリと歪んだ顔。
左右の肩から先が、完全になくなっていた。
切断面からは、どくどくと、血が流れている。
白髪の魔法使い昌房泰瑠は、鼻歌交じりでも不思議のない楽しげな表情で、さらに細剣の刃を振るった。
弘中化皆の右ももと左もも、その上で腰が横にずれた。
人物を書いた紙を破いたかのように、弘中化皆の胴体がズルリずれて、重たい音を立て床へと落ちた。
落ちた胴体の上に、遅れて左右の足が倒れて重なった。
「ふむ」
自分の剣技の冴えにだか、切り刻んだ相手を満足げに見下ろす白髪の魔法使い、昌房泰瑠であったが、
「遊びとはいえ……」
微笑みながら、いや、その笑みが、不意に変化していた。
「人前で、そんな肉豚のような姿っ! 失礼だろおおおおお!」
自分でやっておきながら、その姿に怒りを爆発させたのである。
その姿に、剣を振り上げたのである。
四肢を切断されたまま床に崩れている弘中化皆の目が、かっと見開かれた。
それは、呪詛の言葉を吐こうとしたのか。
仲間への応援の言葉を吐こうとしたのか。
開いた口から呻き声が上がったその瞬間、その開いた口の中へと、突き出された細剣が刺さり、首の後ろへと突き抜けていた。
「よおし、これで二匹目っと」
真っ白髪の魔法使い昌房泰瑠の表情は、既ににこやかに戻っていた。
「やめろっていってるだろ! 勝手なことすんな! こいつらは、あたしの獲物なんだから。横取りすんな!」
黒スカートの魔法使い康永保江は、舌打ちしながら白髪頭の魔法使いの胸を乱暴に押した。
「だって焦れったくてえ。だいたいさあ、じわじわいたぶんのが、最強の証明になると思ってんの? 保江ちゃんはさあ」
片やイライラ、片や涼しげ。
ただ、涼しげといっても、当て付けの態度であろう。
よく見ずとも二人の間には、双方向の火花が飛び散っているからだ。
喧嘩中でも乗ずる隙などまるで感じさせない、自信に溢れた威圧のオーラを放つ二人の姿に、宝来暦はすっかり狼狽してしまっていた。
「ど、どうしようスギちゃんっ! 享子ちゃんも、化皆先輩も殺されちゃったよお! ああっあたしたちもっ、こ、ころっ……」
狼狽え、青ざめた顔で、リストフォンの向こうにいるはずのスギちゃん、我孫子第二中魔法使い部の顧問である杉崎真一先生へと、助けを求めていると、不意に、リストフォンからの映像が空間投影された。
眼鏡の若い教師、杉崎真一先生の、上半身映像である。
「覚悟はしていたはずだろう? それともきみらは、遊び気分でそこへ乗り込んだのか?」
辛そうに、悔しそうに、身体を、表情を震わせながらも、あえて突き放す杉崎先生の冷たい声、言葉であった。
「どういうこと?」
カズミが、骨折治療の激痛に耐えながら、尋ねた。
ぽっきり折れた左腕へと、青白く輝く手のひらを翳して治療してくれている、万延子へと。
延子は顔を軽く上げて、ちらりカズミを見た。
「あとがあったら詳しく話すけど、フミちゃん救出は、ことを急ぐきっかけ。どのみち、ここへは乗り込むつもりだったんだよ。……だから最悪、死も覚悟していたってこと」
だから仲間の死にも心は痛まない。というわけでは、なさそうだが。
表情こそ乱れていないが、目は涙に潤んでおり、いまにもこぼれそうであったからだ。
万延子も、
空間投影の杉崎先生も。
仲間の死を、必死に堪えている。
「あとがあったらっ、て……じゃあ、いまは聞かねえ」
聞いたらそれが、冥土の土産になっちまうからな。
絶対に勝利して、生き残って、その詳しい話とやらを、聞かせてもらおうじゃねえか。
と、そんなカズミの心理であろうか。
だが現在、どう楽観的に考えようとも、精神論で乗り越えられそうな状況ではなかった。
当たり前だ。
一人で九人を相手に圧倒出来る、人間の姿をした化け物が、二匹に増えてしまったのだから。
しかもこちらは二人が殺されて、残るは七人。
しかも全員、怪我が酷くまともに動ける状態にない。
控え目にいって、万に一つの勝ちもない絶体絶命の状況であった。
だけど、
第二中リーダー、万延子は、そのような中で、いや、そのような中であるからこそか、
微笑を、浮かべていた。
仲間の死に、赤く充血した目に涙をたっぷりと溜めながら。
「キバちゃん、ごめん、折れた骨はなんとか繋げたから、あとは自分で治して。それと、これ、預かっといてくんない?」
そういうと、おでこから巨大なメガネを外した。
彼女のトレードマークともいえる、白と水色の太いストライプが入ったオシャレメガネを。
「しくよろーっす」
と軽い調子でいいながら、カズミの膝の上へと置いた。
「え、ちょっと、お前、なにをする気だ……」
カズミの質問に延子は答えず、ゆっくり立ち上がって、
「キバちゃん、歌、上手なんだってね。じゃあ今度さあ、うちのみんなとカラオケにでも行こうよ。わたしたちもみんな、上手いよお」
ニコリと、かわいらしい笑みを浮かべたのである。
カズミは、そう微笑まれて、なんにも出来なかった。
それ以上、言葉を掛けることも。
毅然とした顔でリヒトの魔法使い二人へと歩いていく、彼女の背中を、震える瞳で見つめることしか、出来なかった。
6
ふらり、ふらり、
いきなり倒れて不思議のない、万延子のおぼつかない足取りである。
両手を上げて、ちょいタンマの意思を示しつつ、
ふらり、ふらり、
真っ白髪の魔法使い昌房泰瑠と、黒スカートの魔法使い康永保江、二人の間ちょうど真ん中に立つと、ふうっと一息。
視線を少し動かして、黒スカートの魔法使い康永保江の様子をちらり。
久子と戦ったことによる全身の傷は、見た目もう完全に癒えているようだ。
切り裂かれた魔道着こそどうしようもないが、そこから覗く肌は、綺麗であり、傷跡など痕跡もない。
リヒト特務隊の二人は、にやにや余裕の薄ら笑いを浮かべながら、疲れ切った延子のことを見ている。
死にぞこないがいまさらなにをあがくつもりであろうかと、嘲笑いながらもちょっと興味深げに。
延子は、ゆっくりと口を開いたのであるが、それは、リヒト二人の表情を、なんとも間抜けなものへと変化させる魔法の呪文であった。
「このままじゃあ、埒が明かないしさあ、こっちにしても、仲間がじわじわと、きみたちに殺されてしまうし。だから、代表戦ていうの? ……わたしが一人で、きみたち二人を相手にしてあげるよ」
延子は、そういったのである。
「は?」
抜けた表情で、すっかり固まってしまっている、黒スカートの魔法使い康永保江。口あんぐりのまま、閉じることを忘れてしまっていた。
それからどれだけ経過しただろう。
彼女と、白髪の魔法使い昌房泰瑠の二人は、示し合わせたかのタイミングで共に腹を抱えて大爆笑を始めた。
「なんだそりゃ、詭弁にもなってねえよ」
康永保江は、おかしみ堪えて涙を拭いながら、
「埒が明かないもなにも、こっちは最初っから、お前ら一人ずつ皆殺しにするっていってんだよ。この白髪女の邪魔で、進みが早くなったくらいなもので、あたしらはやることを……」
言葉遮って、白髪頭の魔法使い、昌房泰瑠が、やはり楽しそうに、お腹ひきつって苦しそうに、ひいひい、本当に苦しそうに、バカを見る目で延子を見ながら発言権をう奪っていう。
「一人で戦うのは、そりゃ勝手だけどね。まあ、もしもそれで勝てるなら、そりゃあ仲間の生命も助かって、そしたら埒が明くんじゃないの? じゃあ、じゃあ明かしてみればあ? 埒をさあ」
それだけいうと、二人はまた腹を抱えて大爆笑。
犬猿の仲と思われた二人だが、上回る面白さのためか仲良くハイテンション。上げた手を打ち合わせて、それどころかお互いの涙を拭い合って笑い続けている始末であった。
変化なきは延子の顔だ。
オシャレ巨大メガネを外したその顔は、涼やかで、どれだけ笑われようとも、まるで気にした風もない。
その涼やかな口元が、また、小さくはっきりと開いた。
「一つだけお願いがあるんだけど。戦いにあたっての、準備をさせてもらいたい」
「エンチャントか? 好きなだけやれよ。ハンデにもなりゃしねえけどな」
「では遠慮なく」
延子は、右手に握っていた木刀を、静かに落とした。
続いて自身も、突然ふにゃり力が抜けた様子で、両の膝を落とした。
好奇心と、僅かの不審が交じる表情の、二人を前に、
延子は、
「うぐっ」
込み上げ、堪えられず、泣き始めたのである。
ボロボロと、大粒の涙をこぼしながら。
延元享子、弘中化皆、死んだ二人の名を叫びながら。
大声で泣くという、いわゆる号泣をしながら、床に頭を擦りつけ続けたのである。
最初からこうしておけばよかった、意気地がなかったんだ、と死んだ二人に、謎めいた謝罪をしながら。
泣き続けたのである。
どれほど、そうしていたか。
やがて、ようやく涙が枯れたのか、ゆっくりと立ち上がる。
えっくいっく、としゃくり声を上げながら、
疲労か気持か膝をガクガク震わせながら。
「もういいのかあ」
康永保江が腕を組んで、からかいの声を掛ける。
「ちょ、ちょっと待って、まだ横隔膜がウイっく!」
延子ふらつきながら、しゃっくり。
応急処置をしたとはいえ、あれだけ大量の血を流したのであり、顔色は悪く、実際このようにふらついている。
だが、枯れるほど泣いたためか、どことなくすっきりとした顔になっていた。
頭を叩き付けるほどの大号泣であったため、目は完全に真っ赤であるが。
「もうちょいだけ待って」
いいながら延子は、我孫子第二中の魔道着の特徴である、ふわふわスカートに手を掛ける。
するり、足元へと落とすと、足を抜いた。
中に履いている、黒いショートパンツ姿になった。
さらに、ヒビの入ってボロボロになっている肩当てや胸当てを、自ら外して捨てた。
顔に浮かぶ表情と同様に、すっきりした外見になると、腰に両手を当て、左右に捻った。
「で、始めてもいいの?」
白髪頭の魔法使い、昌房泰瑠が尋ねる。
「あたしからだよな」
康永保江が、わくわくした顔を隠さず、一歩前へ出る。
単に戦える喜びということか。
弱いくせになんだか上からの気取ったやつを、ボコボコに出来る喜びか。
自分の最強を証明出来る喜びか。
だけど、そのわくわくは、
「いや、彼女はわたしたち二人を同時に相手したいらしいよ。というわけで」
肩を並べようとする白髪頭の魔法使いに、なんだか水を差されて、康永保江のテンション急転直下。
「ざけんな! 誰がお前なんかと一緒に戦うかよ。一人ずつだよ。だからお前の出番はねえ! とどめさす権利だけやる」
「いや、ならわたしが先でしょうよ。保江ちゃんは、こいつらずっと独り占めして楽しんでたんだからズルいよ」
「お前は、あたしの獲物を、許可なく二匹もブッ殺したじゃねえかよ! とどめだけでも満足しとけ! クソが」
「ええーーーーーっ」
まるで緊張感のない二人の会話、二人の声を、
「奥義! 八卦呼吸闘気法!」
万延子の、大きく張り上げているわけでもないのにはっきりとした、広い部屋に存在感が澄み渡る、覚悟とも呼べる声が、掻き消していた。
その声に、びくりと肩を震わせた文前久子が、
「やだ、リーダー、それだけはやめて!」
叫んだが、叫んだその時には、延子の立っていたところに延子はおらず、
康永保江と、昌房泰瑠、二人の顔面が、ぐしゃりと潰れていた。
巨人の一撃でも受けたか、体重などなきがごとく、二人とも後ろへ吹き飛ばされていた。
どうどうっ、と黒スカートの魔法使いが床へ落ち、白髪頭の魔法使いが落ち、そして、ちょっと離れたところに延子が音もなく着地した。
注意せねばまず追えないほどの、一瞬の早業であった。
延子はまず、康永保江の頬へと飛び蹴りを浴びせると、それを踏み台代わりに勢いを付けて、昌房泰瑠の鼻っ柱へと肘鉄を打ち込んだのである。
着地し、構える延子の、その全身が、ゆらゆら立ち上る金色の輝きに包まれていた。
「やだよお」
文前久子は、震える瞳で、親友のその姿を見つめ、泣きそうな顔で、唇を小さく震わせた。
7
康永保江と、昌房泰瑠は、床に這いつくばっている。
殴られたところを押さえながら、痛み、驚きに呻いている。
呆然、苦痛、驚愕、ごちゃ混ぜになった、二人の表情である。
「バカな」
舌打ちし、手を着き素早く起き上がろうとする黒いスカートの魔法使い、康永保江であるが、そこへ、弾丸を超える速度で、床を滑りながら、万延子が飛び込んでいた。
康永保江の、ガードしようする腕と腕の間に、延子の足が潜り込み、突き抜ける。
腹へと、踵が深く、めり込んでいた。
「げふっ!」
激痛に顔を歪める康永保江の、顔がさらに歪む。
顎を、延子の足が蹴り上げたのである。
延子、今度は後頭部へと、容赦のない回し蹴りだ。
黒いショートパンツから伸びる細く長い足が、ぶんと唸って、頭部へ蹴り、さらに踵落としによる追撃を見舞うと、蹴った反動で、元いたところへと跳んで戻って、床に置いてあった自分の木刀を拾った。
握り、構える。
「舐あめんなああ!」
白髪頭の魔法使い昌房泰瑠が、屈辱による怒りか激しい形相で延子へと飛び掛かった。
怒りに任せた、大袈裟な動きで。
反対に、延子の動作は小さかった。
ぎりぎりまで引きつけると、最小限の動きでかわし、短く持っておいた木刀の先端で、腹を突いたのだ。
強い力ではなかったが、カウンター気味に決まって、
「えぐっ」
腰を落とし、腹を押さえ、嘔吐感を堪える白髪頭の魔法使い、の顔面に、木刀が打ち付けられる。
右から、左から。
「くそお!」
気を持ち直した康永保江が起き上がると、持ち直しながらも沸騰し、これまた怒気満面に、なにやら喚きながら飛び掛かった。
延子は、魔力に輝く手刀を振るい、持っている自分の木刀を真っ二つにへし折った。
短くなった一本で、康永保江を横殴り、床に叩き落とし、頭部を踏み付け、
ほとんど同時に、
左手に持ったもう一本を、昌房泰瑠の胴体へと打ちに掛かった。
そうはさせぬと、白髪頭の魔法使いは、細剣を斜めに構え防御姿勢を取るが、その防御の上を遥かに通り越して、延子の長い足がぐんと伸びる。
ガツ、
と骨を打つ音。
木刀の攻撃をおとりにし、顎へのハイキックが決まったのである。
なにやら喚きながら、たたっとよろけ堪える昌房泰瑠の腹へと、延子は、今度こそ木刀の突きを浴びせると、すっと身を低くしながら、足払いで転ばせた。
後方へと跳躍して距離を取った延子は、ここで一息。まるで中国の京劇といった動作で、身を低く、片足を大きく前へ伸ばし、短い二本の木刀を構えた。
「強え……」
唖然とした顔で、戦いの様子を見ているカズミ。
ごくり、唾を飲み込んだ。
その隣にいる文前久子が、唖然より愕然とした表情で、震える唇を動かした。
「わたしとリーダーは幼馴染で、子供の頃はお互いの親の、仕事の関係で中国にいたんだけど、あれは、そこで習った拳法の、呼吸法なんだ。いわゆる爆発呼吸。絶対に戦いでは使うな、と師にいわれていたのだけど……」
唇だけでなく、声も、瞳も、震えていた。
いまにも泣き出しそうな、久子の表情であった。
「呼吸で勝てりゃあ世話ねえんだ!」
彼女らの会話を聞いていたようで、黒スカートの魔法使い康永保江がまなじり釣り上げ、剣を振り上げながら延子へと向かい床を蹴った。
延子は、冷静だった。
挟撃を食らわぬよう、自分から黒スカートへと迫ると、短い木刀を目にもとまらぬ速さで右、左、と浴びせる。
浴びせた瞬間には、背中側へと回り込んでおり、回りながらの後ろ蹴りで、白髪頭の魔法使い、昌房泰瑠の身体とぶつけ合わせたのである。
重たい衝撃にふらついている二人の身体へと、延子は、さらに木刀による連打を浴びせていく。
「木の刀なんて、そんなオモチャが効くかよ!」
強がり強気に笑む黒スカートの、康永保江の身体が、ぐらついていた。ととっと足を伸ばすが支えきれず、転び、床へと受け身も取らず無様に倒れた。
「バカな……なんだよこれ、力が、入らねえ……」
ぶるぶると身体を震わせて、なんとか踏ん張り起き上がろうとする。
信じられない。といった表情で。
「木だから、繊維に気を流しやすい。リーダーにとっては、木刀こそ最高の武器なんだ。令ちゃんみたいな非詠唱能力はないけど、リーダー、素早く呪文を唱えられるから、瞬時にエンチャントが出来る」
文前久子が、カズミを治療しながら、泣きそうな顔を正面、戦いの場へと向けている。
「そうなのか。しかしあいつ、いつもふざけているくせに、こんなに強かったのかよ」
というカズミの言葉終わり際と、久子の悲痛な声が重なった。
「だからそれは違うんだよっ。このままじゃ危険なんだ。リーダー、もうやめてえ!」
声を裏返らせ、叫ぶ久子であるが、
身構える延子の、放ち纏う金色のオーラには、いささかの変化も生じることはなかった。
ただ前を睨む、眼光の強さにも、微塵の変化もなかった。
ただ、一ついうならば。
延子の唇には、微笑が浮かんでいた。
必勝の決意であったのか。
心配する幼馴染への感謝であったのか。
「ブッ殺す!」
ふらつきながらも立ち上がった黒スカート、康永保江は、再び剣を握り、振り上げる。
延子の脳天を潰さんとばかり、叩き付けようとする。
それはただ、木刀で弾き上げられるだけだった。
ただ、大きな隙を作るのみだった。
延子は、木刀を手放しながら、空いた手のひらで、
「はいっ!」
発勁、康永保江の胸を打ったのである。
べきぼき、とあばらの何本目と何本目だかが折れる音。
打たれた身体は、マネキン人形を投げでもしたかの如く、軽々と後方へ飛ばされていた。
仲間(?)がやられている様を見ながら呆然と立ち尽くしている白髪頭の魔法使い昌房泰瑠へと、延子は、身を低くしながらすっと近寄る。
密着し、左右の手を腰に当てた。
ふっ、
延子が軽く息を吐くと、白髪頭の魔法使いの身体が、膝が、崩れた。倒れそうに、ぐらりぐらついた。
呼吸で気脈を整え、生じた爆発力を、手のひらから一気に放出したものである。
白髪の魔法使いは、驚愕の色を顔に浮かべながら、必死に、倒れまいと、踏ん張っている。
ふらふらだ。
意識はしっかりあるのに、身体のコントロールが出来ないのである。
落ちている木刀を拾った延子は、麻痺してなにも出来ずにいる白髪頭の魔法使い、昌房泰瑠の身体へと、縦に、横に、容赦なく、一撃、二撃、三撃、四撃。
このままでは殺される。という危機感や、生存本能のなせる技か、昌房泰瑠は、自分の歯を何本か、ぎゃりりがきりと噛み砕いて、呪縛を破った。
怒りや焦りであろうか、声にならない声を叫びながら、体当たりを仕掛けていた。
さすがリヒト特務隊のトップクラスといえる、気力と決断力ではあるが、それでなにがどうなるわけでもなく、
延子はその体当たりを楽々とかわし、
「貼山靠!」
かわしざま、背中を使っての体当たりをお返しして、弾き飛ばした。
と、そこへ、
「うあらあ!」
黒スカートの魔法使い康永保江が、雄叫び張り上げ剣を振り上げ、飛び込んでくる。
延子は、自分から踏み込んでタイミングをずらし、剣を持つ右腕の側面へと自分の腕を当てて攻撃を封じると、空いている左手で、再び、腹部へ発勁を打ち込んだ。
軽く手のひらを当てただけに見える、その動作のどこに、そこまでの破壊力が宿っているのか。
康永保江は、巨人に肉体を握り潰されでもしたかのような、低い悲鳴を上げると、前のめりに転びそうになった。
転び掛け、堪えようとする前に出すその足を、パシリ、延子の蹴りが払い、すくっていた。
すくわれ、軽く空中に跳ね上がった康永保江の身体を、延子はさらに蹴り上げる。
蹴り上げ高く舞い上がらせると、自分の胸のすぐ前にある黒タイツに包まれた足を、両手で掴んでいた。
掴み、そして、振り回す。
黒スカートの魔法使い、康永保江の身体を、ぶんぶん、ぶん、と、力強く、豪快に。
斜めに振って回して、ゴツリバキリ、床へと何度も頭を身体を叩き付け、
さらには、まだふらふらしている白髪頭の魔法使いへと、頭同士を叩き合わせ。
ごつんがつん、
ガチリベキリ、
凄まじい音が響く。
いつ頭蓋骨が砕けて脳漿飛び散るかも分からない、豪快かつ冷淡な攻撃である。
ヨローなどと冗談ばかりいっている普段の延子からは、とても信じられない鬼神のような姿が、そこにはあった。
二人は身をよじって、なんとか、命からがら延子から逃れた。
逃れたといっても、それはただ生存本能がなす無意識の反応であったのか。二人ともまだ、意識朦朧とふらついている。
だけど延子は、容赦ない。
追撃の手を緩めない。
二本の木刀を拾いながら、二人へと猛接近すると、
「化皆もっ、享子も、チャラすぎるけど、でも優しくて素敵な子だった!」
左右の手に握った短い木刀の鋭い振りが、それぞれ見事、二人の首へと入っていた。
いぎっ、
悲鳴を上げ、ふらり崩れそうになる二人であるが、
まだ、延子は追撃の手を緩めない。
「ちょっと落ち込んだ気持ちになった時に癒やしてくれる、最高の仲間だった!」
康永保江の鼻っ柱へと踏み込みながら肘鉄、
返す刀よろしく昌房泰瑠の脇腹へと回し蹴りを叩き込んだ。
まだ、延子は、追撃の手を緩めない。
「恥ずかしくない人生を、駆け抜けた!」
背へ突き抜けておかしくない、重たい一突きを、康永保江の腹へ、
左手の木刀を、昌房泰瑠の脇腹へ。ぐっと呻く、その顔面鼻っ柱を、ハイキックでぶち抜いた。
「引き換え、なんだきみたちは。……常識破りに強いけれども、そんなものがなんの自慢になるかあ!」
木刀中段に構えて延子、黒スカートの魔法使い康永保江へと床を蹴って距離を詰めた。
恐怖、であろうか。
康永保江は目を見開き、ひいっと情けない悲鳴を上げた。
だが、
緩まぬ追撃は、ここまでだった。
延子の動きが、足が、止まっていたのである。
康永保江へと怒りを叩き付けるはずであった木刀を、中段に構えたまま、ぶるぶると、身体を震わせている。
瞳、前への意思は感じるものの、ただ身体が進まない。
動かない。
意思のままに、動こうと、動かそうと、激しく震える、延子の身体。
不意に、頬が膨らんで、破裂した風船といった勢いで、口から大量の血を吐いた。
8
青ざめた顔。
すっかり頬が痩せこけている。
纏っていた金色オーラの輝きも、いつの間にかどこかへと消えていた。
「あ、あと、少し……だったのになあ」
万延子は、瞳を震わせながら、悔しそうにまぶたを細めた。
悔しそうに、唇を噛んだ。
訪れる死の恐怖に涙目になっていた黒スカートの魔法使い、康永保江。彼女の顔に一瞬、なにごとかという驚愕の表情が浮かんだが、すぐに現状を認識したようで笑みへと変わった。
笑いながら、ふらつく足で、口から血を吐いている万延子へと歩み寄る。
無限に続くかに思われた木刀の攻撃に、すっかり疲弊し、弱々しくはあったが、腕を上げ、剣を突き出した。力使い果たし、血を吐いている、忌々しいメンシュヴェルトの魔法使いへと。
延子は、上半身を捻りながら後退し、ぎりぎりなんとか突きを避ける。だが、自分のその動きに足をもつれさせて、転びそうになった。
「あと少しで? あたしらを倒せたはずなのに、ってか? そりゃ残念だった、な!」
笑みに、屈辱心なども混じっているだろうか。
そんなマイナス部分を、払拭しようということだろうか。
しらじらしいほどに、その笑みを強く濃くしながら、突き、払う。
まだ体力は回復していない。だが、それを遥かに超えて、メンシュヴェルトの魔法使いが勝手に弱体化している。
攻撃にまだ力が入らないとはいえ、黒スカートの魔法使いの、やりたい放題であった。
延子は、すっかり顔が青ざめている。
身体にも、力がまるで入っていない。
二本の木刀と気力とで剣を受け止めるものの、踏ん張る力もなく、ずるずると下がっていく。
「あと少し、の意味が違うよ、保江ちゃんは本当にバカなんだなあ」
白髪頭の魔法使い昌房泰瑠は、やはりまだ疲弊にふらつきながらも、にやにやした顔で、康永保江と万延子との間に立った。
右手の人差し指と中指を立てて揃えると、額に当てて目を閉じる。
床の上に、五芒星魔法陣が浮かび上がった。
紫色に輝く、直径五、六メートルはあろうかという五芒星魔法陣が。
「これは……」
振るう剣を休め、黒スカートの魔法使いは、驚いた顔で、床の模様を見ている。
「こいつ、バカな保江ちゃんなんかと違って、抜け目がないよ。呼吸法とやら一時的な爆発力で、一気にカタをつけるような戦い方の最中で、自分の動きを利用して要所要所にポイントを設置して、超魔法発動のための魔法陣を描いていたんだ。あとわずかで、完成されるところだった。……と、いうわけで、今度こそお、はいざんねーん」
白髪頭、昌房泰瑠は、青白く輝かせた自分の右腕、手刀を振り下ろした。
床に五芒星を描いている線が、一本、二本、分断されると、絵柄全体が、さらさらとした粉になって、空気に溶けて消えた。
青ざめた、痩せこけた顔でその様を見ていた延子は、ふう、と息を吐いた。
苦笑を浮かべたその顔を、白髪頭、昌房泰瑠へと向けた。
「きみこそ、その、バカな保江ちゃん、とやらと違って、抜け目、が、ない、ね。まさ、か見抜かれる、とは」
延子は、口からだらだら血を流しながらも、ははっと楽しげに笑った。
「誰がああバカだあ!」
まだ疲労がまるで回復していないはずなのに、激高のあまり、康永保江は、残る体力を絞り尽くすかの勢いで、出鱈目な剣を延子へと振り回した。
「きみの仲間が、いったんだよお」
「うるせえええ!」
ガチ、ガチ、ガチ、ガチ、
剣が木刀を叩く音。
木刀が剣を受ける音。
延子が、いまにも倒れそうな力のない様子ながらも、攻撃を上手に受け流しているため木刀が折れずに済んでいるが、それでもいつそうなっても不思議ではないほど一方的に、打ち込まれている。
さらには、
「加勢するよ、保江ちゃん。こいつ、死に掛けのくせして、なにを企んでいるか分からないからね」
白髪頭、昌房泰瑠が勝手に肩を並べた。
黒スカートの康永保江は、眉をしかめるのみで特になにもいわなかった。確かに確実に仕留めておく方がよい、という割り切りであろうか。
それほどに、先ほどは酷い目にあったし。いまのいまにしても、もし魔法陣が完成していたら、局面がどうなっていたか分からないのだから。
「リーダー、わたしもっ! せめて二対二でっ!」
文前久子が剣を握り締め、戦いの輪に入ろうと前へ出た。
「手を出すんじゃない! リーダーの命令だ!」
延子らしからぬ怒鳴り声に、険しい顔に、文前久子はびくり肩を震わせた。
次に、文前久子が見た顔。
それは、
いつも通りの、優しく笑っている、延子の顔であった。
優しく笑いながら、唇が小さく開かれた。
「子供の頃から、いつも、一緒だったね、久子。だから、意思通じ合うというか、お願い事なんて、したことなかったけど。……最初で、最後の、お願いだ。手を、出さないで。……大丈夫。わたしは、負けないから」
「バァアアアカァアアアなああああのおおおおおかあああああぁなああああああああ、おおおまああああええええええはああああさあああああああああああああ!」
愚弄嘲笑たっぷり詰め込んだ、康永保江の笑い、叫び。
「限界を超える技に、自分をぶっ壊して、死に掛けているくせに」
白髪頭、昌房泰瑠が、細剣を突き出した。
「その本人がよおおお、加勢を拒むってんだからよおおおお」
「まだ舐めてるってことだよねえ。じゃあ、綺麗に舐めてくれたお礼に、ぶっ殺してあげるねえ」
「もちろん、楽にゃあ地獄に落とさねえけどなあ」
リヒトの魔法使い二人は、交互に台詞をいい合いながら、武器を振り下ろす。払う。突く。
本能、天性の才か、幼い頃からの修行の賜物か、延子は、ずるずる引きながらも、寸前のところを弾き、受けて、攻撃を食い止め続けている。
だが、このような状況を、本能だけでどう打破出来るものでもなかった。
そしてついに、くるべき時が、きたのである。
延子の胸に、剣が突き刺さっていた。
昌房泰瑠に足を切られてしまい、苦痛に顔をしかめ、一瞬動きを止めてしまったところを狙われて、康永保江の突き出した剣に、対応が出来なかったのである。
剣は、胸を貫いていた。
背へと、完全に突き抜けていた。
ごぼり、
延子は大量の血を、口からを吐き出した。
もうほとんど体内に残っていないだろう、というくらいに、出血しているというのに。
ついに仕留めた! ほくそ笑む黒スカートの魔法使い康永保江であるが、すぐその目が不審に歪んだ。
延子もまた、にやり笑っていたのである。
ぶるぶる、震える身体で、延子は、視線を横、白髪の魔法使いへと動かすと、
「さすがは、昌房さん、メラニン色素がない分なのか、ほんと、抜け目が、ないなあ」
軽口いいながら、さらに、笑みを強めた。
昌房泰瑠は、その言葉にはっとしたように、目を見開いて、周囲を見回した。
さあっ、と血の気が引いていた。
床いっぱいに、五芒星魔法陣が広がっていたのである。
「あああああああ保江お前バカかーーーーっ!」
魔力の目をしっかりこらせば、魔法使いなら誰にでも見えただろう。
康永保江の背中から伸びている、ぼんやり輝いている糸が。
先ほど延子自身が描こうとしていた魔法陣の軌跡は、おとり、もしくはあわよくばのついで。
現在描かれている、これこそが、本来の狙いであった。
延子は、戦いながら相手の動きを誘導して、相手に、超魔法のための魔法陣を描かせていたのである。
「は、発動前に、術者を殺してしまえばあ!」
白髪頭の魔法使い昌房泰瑠は、慌てふためいた様子で細剣を握り締めると、万延子の胸を一突きした。
骨の砕ける音と同時に、細剣は背中へと突き抜けていた。
二人の魔法使いによる、二本の剣で、身を貫かれた延子であるが、
既に痛覚が麻痺しているのか、
ただ、浮かべた笑みを、より深めるだけだった。
そして、
「ありがとうね、自ら呪縛されてくれて」
口から、胸から、どくどくと血を流しながら、なんとものんびりした口調で、そういったのである。
「なにを……お前、なにをしたあ!」
細剣を引き抜こうとする、昌房泰瑠の顔色が変わっていた。
いや感情ベクトルとしては同じであるが、さらに驚愕の色が塗り重なっていた。
剣を引き抜こうとしても、引き抜けない。
それどころか、握っている柄から手を離すことが出来ないのである。
「そ、そうなんだよ、抜けねえんだ! くそっ!」
白髪頭と肩を並べ、康永保江も同じように、懸命に剣を引き抜こうとしている。
しかし引き抜けない。
柄から手を離すことも出来ない。
延子のいう通り、二人は呪縛されていた。
瀕死の魔法使い一人によって。
「なんかね……隣の部屋でもいま、令ちゃんがこんなふうに必死に、捨て身で頑張っている気がしてね。凡人のわたしじゃ、なおのこと、生命を張らなきゃあ、化け物退治なんか出来ないかなあ、って思ってね」
延子の、その目は、
前を見てはいるが、なにも見ていなかった。
映っていないのか、意識が遥か彼方へと飛んでいるのか。
でも、ただ一ついえること。
微塵の悔いもないのであろう、澄んだ、綺麗な瞳であった。
意識、わずか戻り、微笑みながら、わずか顔を傾けて、仲間たちへと視線を向けた。
「それじゃ、化皆たちの、とこに、行ってくるね。久子、あとは任せたよ。シクヨロー。みんな、も、今日までありが、と。それとキバちゃん、さっきのカラオケの話、ごめんね」
延子の足元、五芒星魔法陣の中心、そこから、薄紫の光が立ち上ぼった。
と見えた、次の瞬間には、五芒星の模様全体から、輝きがゆらゆら揺らめいた。
それは、粘度を持った濃密な輝きであった。
なおも助かろうと懸命にもがく、二人の身体を、その粘度を持った輝きは、完全に縛り付けていた。
その輝きは、さらには、まるで巨人の手のように大きく広がって、二人を掴み、ぎゅうっと握り潰し始めた。
「うおあああああ! こんなあああああ!」
「保江えええ、お前が間抜けだからだああああああ!」
巨人の輝く手の中で、ぐしゃりぐしゃりと潰れていく、二人の姿。
次に起きたのは、爆発であった。
超新星さながらの、すべてを真っ白に包む、大爆発が起きたのである。
五芒星魔法陣の、上にだけ。
地球を何個、吹き飛ばすのだろう、というほどの、大爆発が。
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