魔法使い×あさき☆彡
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第十五章 慶賀応芽
1
東京都上空。
リヒト関東支部の上空。
びょおびおょと鼓膜を殴り吹く強風を、身に受けながら、二人は対峙している。
金属が打ち合わされる音が鳴るが、それは響かず一瞬、びょおびょおと、強風が攫って消し去ってしまう。
周囲ただ風あるのみ、という自由な空間の中で、この風よりも遥かに激しい、二人の戦いが行われている。
空中であり、重力に身を支配されていたら当然、自由な空間になど成り得ない。彼女たちは、重力を逆に支配するどころか、さも完全に無視し、透明な足場にどっしり立っているかと見まごう、戦いを戦っていた。
慶賀応芽。
身を覆うのは、真紅の魔道着。
本来ならば、令堂和咲が着るはずだった物だ。
両手に握り操るは、ひと振りの剣。
対するは、青い魔道着の令堂和咲。
構えているのは、二本のナイフ。
武器も魔道着も、昭刃和美の一式だ。
自分のクラフトが、応芽に破壊され、変身出来ないため、彼女のものを借りているのだ。
空気、という足場に、大地の如くしっかりと両足で立ち、戦っている二人。
かと思えば突然、風に舞い上がって、幾多の残像を作りながら刃を打ち合わせ、新たな足場に立って、また刃を打ち合わせる。
一見すると、互角の戦いだ。
打ち、防ぎ、防ぎ、打つ。
ナイフと、剣の攻防は。
ただし、お互いの顔を見れば、そこには明確な違いがあった。
明確な優劣が、存在していた。
応芽の顔に浮かんでいるのは、喜悦にも似た笑み。
本心か、演技か、分からないが、自分に余裕ありと思っているのは間違いないことだろう。
対するアサキの顔に浮かぶのは、焦り、それと、とにかく食らいつこうという必死な表情。
さらに刃を交え続けるうち、状況に変化が訪れていた。
だんだんと、二人の作る表情の通りになってきていたのである。
この、戦況そのものが。
「令堂、どないした? 最初の威勢は? カッコ付けて啖呵を切ってた、あの態度は、どこへいったんやあ?」
ははっ、笑いながら、応芽は、アサキの胸を切り裂こうと、剣を真横に薙いだ。
爪先で空間を蹴って、退き逃れたアサキ。
視線を軽く落とし、胸の防具に付いた横スジを見ると、ふうと小さく安堵の息を吐いた。
だがそこへ、息つく暇を与えまいと、応芽が飛び込む。
かろうじて避けるアサキであるが、執拗に応芽の刃が追い掛ける。
これがいつまでも繰り返される。
アサキは、かわすだけで精一杯になっており、それはつまり応芽の攻撃ターンが延々と続くということだった。
圧倒。
力も、速度も、技の冴えも、慶賀応芽は、すべてにおいて、アサキを完全に圧倒していた。
先ほどまで互角に見えていたのは、単に力をセーブしていたのだろう。
楽しむためか、慎重を期すためか、そこまでは分からないが。
応芽が剣を軽々と振る都度、ぶん、ぶうん、と仕掛けでもしてあるのか、重々しい音が鳴る。
別に、仕掛けなどはない。単純に、振り回す勢い、激しさが、常識外れなのだ。
その都度、アサキの身体が、風圧により右に左に踊らされる。
ぐっと歯を食いしばるのみで、必死以外の表情など浮かべる余裕はなかった。
文字通りの防戦一方。
構えた二本のナイフも、なんとか攻撃を弾いて己の生命を守るという、その程度の役にしか立っていなかった。
このままじゃあ、時間の問題だ。
な、なんとか、しないと……
焦るアサキは、状況打開すべく、意表を突く攻撃に出た。
応芽の攻撃が、少し大振りになった隙を見逃さず、かわしざまに、後ろ回し蹴りを放ったのである。
以前にカズミから特訓を受けた、空手の技だ。
だがそれすら想定内であったか。
それとも、戦力の絶対差から、想定など必要もないということか。
応芽の左肘に、アサキの足先は、しっかりと受け止められていた。
にやり、と笑む応芽に、
く、と微かに呻くアサキ。
「効くかボケが!」
お返しに、とばかりに打ち出された、応芽の前蹴り。
アサキの方こそ意表を突かれて、避けることが出来なかった。
靴の底が、胸の装甲を蹴り砕く、ペキリという音と共に、後方へ吹っ飛ばされていた。
応芽は、空気を引き裂き、掻き分け、一瞬でアサキへと追い付くと、脆くなった胸部へと、今度は両手に持った剣を叩き下ろした。
「うあ!」
アサキの鋭い悲鳴は、風が攫い、風に溶けた消えた。
青いラインの入った胸の装甲が、完全に砕かれて、さらには魔道着の本体ともいえる強化繊維が切り裂かれ、層の一番内側にある白い布が覗いていた。
剣で上から叩かれたことと、苦痛激痛に浮力制御の魔術が解けてしまったことにより、アサキの身体は、重力という見えない手に掴まれ、ぐんと引っ張られ、落下を始めた。
意識を失い掛けて、赤毛の少女は、半分白目をむいた状態になっている。
地へと、真っ逆さまである。
「ダメ押しや!」
応芽は、潜水でもするのか、身体を丸めて、くるんと前転すると、空を蹴り、地へと急加速。
アサキの落下速度を遥かに超えて、一瞬にして追い付くと、再び前方一回転、意識朦朧無防備な赤毛の少女へと、風をも切り裂くかの如く速度で、振り下ろした踵を叩き付けていた。
ご、という、肉と骨を打つ不快な音がした、その瞬間には、もうそこにアサキはおらず。
遥か真下の地面が、間欠泉のごとく、どおんと吹き上がって、低い爆音と共にぐらぐらと揺れた。
もうもうと煙った視界が晴れると、地面が大きく、すり鉢状にえぐられていた。
中心に、横たわったアサキの身体がめり込んでおり、土をかぶった状態のまま、ぐったりとなっている。
空中の応芽が、腕を組みながら見下ろしていると、
ぶん
ダメージ限界に、アサキの変身が解除された。
魔道着が溶け消えて、中学の制服姿へと戻っていた。
「ウメ……ちゃん」
虚ろな視線を小さく泳がせ、はあはあと息を切らせながら、アサキが口を開いて力ない声を出した。
震える手を、ゆっくりと、上空へと差し出した。
そんなアサキを遥か眼下に、応芽は意地悪そうな笑みを浮かべている。
「魔道着がちゃうにしても、ここまでやと、つまらんもんやなあ。でも……容赦はせえへんで」
応芽へと、アサキの震える手が、指が、向けられる。
「う……あ」
呻き声しか出ない。
でも、心の中では、叫んでいた。
悲しんでいた。
そんな演技、しなくてもいいんだよ。
ウメちゃん。
あなたが、仲間思いで、根はとっても優しいこと、わたし、知っているよ。
ただ、必死なんだよね。
妹、雲音ちゃんを助けたくて、必死なんだよね。
孤独に耐えて、戦っている。
応芽の姿がそう見えて。
助けてあげたくて。
せめて、優しい言葉を掛けてあげたい。
救う言葉を掛けてあげたい。
朦朧とした意識の中で、そう考えるものの、でも、どんなに力を入れようとしても、呻きに似た声しか、その口からは出てこなかった。
ただ、アサキが喋れたとしても、応芽の行動は変わらなかっただろう。
アサキの思いは、しっかりと通じていたのである。
……だからこそ、応芽は激怒していたのである。
「なんや、その憐れむような目は!」
魔法浮遊をやめて、応芽の身体が落下を始めた。
真下にいるアサキへと。
握った剣を、上段で後ろへと、振りかぶりながら、
「これでええ、しまいやあああああああ!」
叫び、空気を蹴って、落下速度を倍加させた。
まっすぐ、アサキへと。ジェットを超えるけたたましい爆音を立て、落ちていく。
すり鉢状の中心で土に埋もれながら、ぐぅ、と呻き声を上げ、必死に身体を動かそうとするアサキであるが、受けたダメージがまるで回復しておらず、手足に寸分の力も入らない。
応芽の身体が、落ちてくる。
応芽の身体が、ぐんぐんと大きくなる。
応芽の身体が、アサキの視界を完全に塞いでいた。
ざん
空気を切り裂く音。
応芽の持つ剣が、振り下ろされたのである。
地球をも真っ二つにしそうな、全身全霊の激しい一撃が、身動き取れないアサキへと。
爆音、地響き、豪風と共に地が噴き上がった。
まるで爆弾、凄まじい威力であった。
ただの剣ひと振りであるというのに。
周囲すべてが、消し飛んでいた。
すり鉢が深く、大きく、広がっていた。
変身が解けて生身の身体に戻ったアサキに、耐えられるはずもない。
しかし、アサキは無傷だった。
剣の一撃が肉体を切り裂くことも、爆風に吹き飛ばされることもなく。
より深くえぐられた地の中心で、驚きに目を見開いている。何故、自分が無事なのか、と。
応芽の剣は、受け止められていたのである。
不気味な形状の、武器で。
それは、柄のない、巨大な斧であった。
それを持つのは、銀の黒の、魔道着を着た魔法使いであった。
魔道着と同様、左右で黒と白銀に分かれている、長い髪の毛。
百七十を優に超える、大柄な体格。
突然現れた魔法使いが、身動き出来ず絶体絶命のアサキの前に立ち、その不気味な斧で、応芽の剣を受け止めていたのである。
「嘉嶋……祥子」
応芽は、魔法使いの名前を呼ぶと、ぎりり歯を軋らせた。
2
応芽は、目の前に立つ大柄な魔法使いを睨みながら、ぎりっと歯を軋らせた。
「嘉嶋……祥子」
軋らせ方、歯が折れるくらいだったが、ふと我に戻ったか、目付きはそのままで、口元だけが笑みの形に釣り上がった。
ふん。
冷静になろうと、あえて鼻で笑ったのだろうか。
表情をすべてニュートラルに戻した応芽は、小さくため息を吐いた。
斧へと触れ合っていた刃を引くと、すっかりぼさぼさになった前髪を、かき上げた。
「ちゃんと、余興になるんやろな。令堂和咲に代わって、お前がやるんは別に構へんけど。ちゃんと、余興になるんやろな!」
だっ、応芽は力強く、地を蹴っていた。
幾多の、自らの残像を掻き分け、瞬時にして嘉嶋祥子へ迫ると、その頭上へと、微塵の躊躇すらもなく、剣を打ち下ろしていた。
ぎんっ
研がれた金属のぶつかり合う、鈍くもあり鋭くもある独特な音が上がった。
応芽が放った一撃を、大柄な魔法使いが、その身に相応しい巨大な斧で受け止めたのである。
押し合い競り合い、になるより前に、祥子が力任せに、斧を真横へ振った。
とっ、と小さく跳ね、応芽は地につま先を着く。
二人の距離が空いた、その瞬間には、祥子の方から詰めていた。
巨大で、柄がなく刃だけ、という奇妙な形状の斧。刃身には、拳大の穴が二つ空いており、その一つに指を掛けて軸とし、くるり回して応芽の頭部へと振り下ろした。
応芽は、剣を斜めに構えて、巨大斧を剣のひらで滑らせ、いなす。
同時に、右足で前蹴りを放っていた。
がきっ
祥子の、胸の装甲が蹴り砕かれていた。
後方へ吹っ飛ばされた祥子だが、とんと地に足を着くと、安堵のため息。さしたるダメージを受けた様子もなく、巨大斧を構え直した。
蹴り足インパクトの瞬間に、自らも後ろへ跳んで、威力を殺していたのである。
だが、戦力差は絶対。
そう思っているのか、応芽の顔にはなんの驚きも焦りもない。
にやにやと笑みを浮かべたまま、地を蹴り、離れた分を一瞬で詰めていた。
祥子は、刃身に空いた穴を軸に、くるり斧を横に回転させ、迎え撃つが、
応芽は、楽々と見切り、軽く跳躍してかわすと、水平になった巨大斧の刃身へと、両足で着地した。
ぶん。
応芽の足が、唸る。
巨大斧に乗ったまま、祥子へと蹴りを見舞ったのである。
モーションこそ小さいが、空気をも焦がす、凄まじい勢いの蹴りである。
とはいえ、祥子に受けねばならぬ義理もなく、身を後ろにそらせて、間一髪、かわしていた。
宙でトンボを切って着地した応芽は、すぐさま祥子へと身体を突っ込ませ、剣を振るう。
のらりくらり、祥子は持ち前の戦闘センスでかわし続ける。
だが、ただかわしているというだけ。
状況の優劣に、揺るぎはなかった。
応芽 ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫ 祥子。
やはり、魔道着の差が圧倒的なのであろう。
応芽も、手加減を自覚しているようで、どれだけ剣をかわされようとも、余裕の笑みを浮かべ続けている。
「さっきのは感謝しとるで、祥子。つい我を忘れて、令堂を消し炭にしてしまうとこやったからな。でもな、そこまででええわ、お前の役割は。……いま逃げ出すんなら、追わんよ」
「それはどうも」
祥子は淡々飄々とした態度で、巨大な斧をくるくる回転させて、これが返答だといわんばかりに、応芽へと振り下ろした。
特に意表を突いた攻撃でもなく、いとも簡単に受け止められていたが。
ぎり、ぎり
刃を合わせての、押し合いに入ったが、真紅の魔道着、応芽はさして力を込めているように見えないのに、少しずつ、祥子の大柄な身体を、後退させていく。
「さすがは、新ピカの魔道着だねえ」
祥子は、必死に踏ん張りながらも、のんびりとした口調で、唇を歪めた。
「なあに負けを認めず強がっとんのや。戦っとるんは、魔道着やないで。令堂専用を、しっかり使いこなしとるんは、この応芽様やで」
「それが?」
「やれんのか、自分に」
「はは。興味もないや」
「まあええわ。いつも上から目線で、ムカついとったけど、その減らず口も、今日で最後やからなあ!」
応芽は、力強く踏み込みながら、斜め下から大振りで、斧を跳ね上げた。
いなそうとする祥子だが、いなし切れず吹き飛ばされて、建物の壁に背中を強打。
重たい音がして、砕けた壁の中に、祥子の大きな身体がめり込んでいた。
すぐ抜け出し、地に足を着くと、
「いてて……」
痛みに顔をしかめながら、額の汗を拭い、そのまま銀黒の髪の毛を掻き上げた。
「なんやあ、へっぴりやなあ。こないだみたく、怪我で瀕死のあたしに切り掛かって、悦に入っとるのが、関の山や、な!」
な、で地を蹴った応芽は、滑り飛びながら、内側から剣を払った。
間一髪、斧で一撃を受け止める祥子。
だが、応芽は構わずそのまま、二撃、三撃、四撃、五撃。
勢い、苛烈になっていた。
応芽の、攻撃が。
祥子は、斧使いや立ち位置の妙で、なんとかかわし続ける。
かわし続けながらタイミングを計り、剣を屈んで頭上へやり過ごしながら、応芽の懐へと、潜り込んだ。
潜り込んだ瞬間、
ぶん
祥子の手のひらから、青白い光弾が生じ、応芽の顔へと唸りを上げる。
十センチにも満たない超至近距離からの攻撃であったというのに、応芽は、慌てることなく手の甲で払い除けていた。
と、払ったその瞬間に、応芽の顔が爆発した。
連続して、二発目が放たれていたのだ。
前弾に隠れるように、少しだけ小さな光弾が。
ぐうと、怒りに呻き、のけぞる応芽であるが、すぐさま姿勢を直した彼女の顔はもう、笑っていた。
「倍返しや!」
叫びながら剣を、くるくる回して真上へ放り投げると、祥子を真似して、手のひらから薄青いエネルギー弾を発射した。
右手から、左手から、連射、連射、雨あられである。
祥子は、巨大な斧のひらを盾にして、上半身を守る。が、すべてを防ぎ切ることは出来ず、時おり腕や足に当たって、ぐっ、と苦痛の呻きを漏らした。
それた光弾は、祥子の背後、建物の壁に当たり、子供が作った砂の城よりもろく、削られ、崩れていく。
まだ終わらない。
鼻歌でもうたっていそうな、楽しげな顔で、応芽は光弾を発射し続ける。
「倍どころか千倍やな」
「どうかな」
絶え間なく襲いくる攻撃を耐え続けながら、祥子は、薄い笑みを浮かべた。
まるで折れていない。という、それが事実なのか見せかけなのかは分からないが、いずれにせよ小癪な態度に、応芽は舌打ちすると、光弾を放つペースを上げた。
じりじりと、祥子の大きな身体が、後退する。
押され、よろけ、いつの間にか、壁に押し付けられていた。
と、雨あられの流星群が不意にやんだ。
それは単に、次の攻撃の始まりであった。
高く放り投げておいた剣を、受けた応芽が、地を蹴って、壁際の祥子へと、飛び込んだのである。
横薙の一閃、を身を低くしてぎりぎりかわす祥子であるが、その顎を、応芽が蹴り上げていた。
ガツ、
と嫌な音がするが、祥子は堪え、斜め上へと跳んで、蹴りの勢いを殺しつつ逃げた。
勢いを殺した、といっても、意識をなんとか保てるほどには、という程度だろう。
蹴られた激痛に、クールな顔が歪んでいる。
意識が飛ばないよう、わざと痛みを感じる蹴られ方をしたのかも知れないが。
応芽も、軽く膝を曲げて跳び、祥子を追う。
貫き串刺し磔に、という渾身の突きを放つが、コンマ数秒の差で避けられていた。
祥子は、壁を蹴って、なんとかその突きから逃がれたのであるが、応芽の攻撃は執拗だった。着地したと同時に、そこを狙って、頭上から剣を振りかぶって、落ちてきたのである。
落ちざま放たれる、上段の一撃を、祥子は、巨大斧で受け止めて、その勢いを借りて後ろへ跳んだ。
追い、迫る応芽の、剣が突き出される。
祥子は、跳ぶ方向を変えて逃れようと、つま先で地を蹴った。
と、その瞬間、
うくっ、という呻き声と共に、顔が苦痛に歪んでいた。
咄嗟に反対の足で、地を蹴ろうとするが、結局バランスを崩して転んでしまう。
「足い痛めたんかあ? ははっ、ざまあないで!」
応芽は、薄い笑みを浮かべながら祥子へ近寄ると、太ももを蹴飛ばした。
堪え、転がった斧を掴んで、起き上がろうとする祥子であるが、同じところを再び蹴られると、そのまま動けなくなってしまった。
「元チームメイトや。手足をぶったぎるくらいで、堪忍したるわ。せやから、もうあたしの前に、そのムカつく面あ見せんな。……まずは、腕や!」
祥子の腕へと、振りかぶった剣を、
打ち下ろした。
受け止められていた。
二本の、ナイフに。
目の前に立つアサキの、クロスさせた、二本のナイフに。
中学の、制服姿のアサキ。
先ほどの戦闘で、変身が解除された、生身の状態。
魔道着による魔力制御を一切受けていない、そんな、生身の状態。
だというのに、応芽のエンチャントされた剣を、受け止めていた。
かろうじて、ではあるが。
がくり、剣の重みに膝が崩れた。
崩れながら、なんとか堪え、はあはあ、辛そうに息を切らせながら、背後に横たわっている祥子へと、ちらり視線を向けた。
「さっき、助けて、貰った分は、返、す」
肩で大きく呼吸しながら、それだけいうと、応芽の方へと向き直った。
「期待、してるよ、令堂さん。そのた、めに、回復までの時間、稼ぎ、したんだ、から」
祥子の声。
アサキの背後で、まだ苦しそうに息を切らせながら、上体を起こすと、唇を小さく歪めて、薄い笑みを作った。
応芽はそんな二人を見て、ふんと鼻を鳴らした。
「また、選手交代か」
3
「戦いたく、なんか、ない、けど」
ぜいはあ、アサキは息を切らせている。
中学の制服姿。
二本のナイフで、なんとか応芽の剣の重みを支えている。
耐えきれず、膝がぶるぶる震えている。
「だったら、おとなしゅう腕の一本でも差し出せや!」
応芽の叫び声。
と同時に、アサキの身体に消失感。
ぐいぐいと刃同士を押し合っていたはずなのに、すっと抵抗がなくなって、前へよろけた。
ぶうん
いつ引いたのか、いつ振り上げたのか、応芽の剣が、真上から落ちてきた。
アサキは、両手のナイフで受け流そうとはせず、むしろ応芽へと身体を飛び込ませていた。
応芽の剣は空振るが、舌打ちしながら、握った柄尻を、飛び込んできたアサキの背へと、叩き落とした。
がふ、と呼気を吐きながら、アサキは構わず身体を突っ込ませ、応芽へと体当たり、壁に激突させて、そのまま壁へと押し付けた。
「それで、本当に、元の、ウメちゃん、に戻るん、だったらね」
それ以上の価値なんかないよ。
わたしの、腕なんて。
こんな戦い、ウメちゃんだってしたくないんだろうな。
辛くて、仕方ないんだろうな。
残忍なこといって、笑って、そうして自分を騙して。
ただ、妹、雲音ちゃんのために。
お姉ちゃんにここまで愛されて、雲音ちゃんは幸せだったんだな。
どんな子、だったんだろう。
写真でしか、見たことないけど。
きっと、素敵な子なんだろうな。
息切れ切れに、応芽の腰へと抱き付きながら、アサキは一瞬のうちにそのようなことを考えていた。
見上げるアサキと、見下ろす応芽の、目が合った。
目が合った瞬間、応芽が激高した。
「なんや、その見透かしたような顔は!」
怒鳴りながら、また、剣の柄尻をアサキの背中へと叩き落とした。
何度も。
何度も。
呻き、耐えるアサキであるが、いつまでも耐えられるものではない。
膝が崩れたところへ、膝蹴りを顔に受けた。
とと、と後ろへよろけたところ、締め付けから逃れた応芽の剣が、喉元掻っ切ろうと水平に走る。
半歩退いて、かろうじてかわし、間髪入れずにきた返す刃を、二本のナイフで受け流して、距離を取った。
はあ、はあ
赤毛の少女は、二本のナイフを持ったまま肩をだらり落として、息を切らせている。
応芽は不意に、ぷっと吹き出すと、肩をすくめながら、嘉嶋祥子へと小馬鹿にした顔を向けた。
「残念やったな。時間を稼いだもなにも、ぜーんぜん回復しとらんやないか」
「忘れたのかい? 彼女が、ザーヴェラーと戦った時のこと。体力じゃなく、魔力が無尽蔵に湧き上がる。だから特Aなんでしょ、彼女は」
「少女向けアニメの魔法やないんやで。動ける肉体あってこそやろ。もうボロッカスやないか」
二人の会話に、当人であるアサキが、
「でも、負けてないよ」
言葉を、割り込ませた。
「負けてない。わたしの、心は。……それは、心から、ウメちゃんを助けたいと、思っているからだ」
ぜいはあ、息を切らせながら。
苦しそうに、顔を歪ませながら。
「口ばかりやなあ。祥子が乗り移ったんとちゃうか?」
「口ばかりは、ウメちゃんだよ。だって、いってることと、思っていることが、まったく違うもん」
「せやから、見透かしたような態度はやめろ!」
地を蹴った応芽は、苛立ちを刃に乗せ、赤毛の少女へと振り下ろした。
赤毛の少女、アサキは、交差させたナイフで受け止めようとするのだが、威力予想以上で、ガード体勢のまま吹き飛ばされた。
壁に背中を強打、壁に亀裂が走った。
次の瞬間、その壁が爆発し、消し飛んでいた。
とどめを刺そうと応芽が身体を突っ込ませ、アサキが呻く間もなく横へ転がりかわし、脆くなった壁に剣が叩き付けられて、風圧と続く打撃とで、粉々に砕け散ったのである。
ごろり転がったアサキは、転がる勢いで立ち上がりながら、左手に装着しているカズミのリストフォンを頭上へとかざし、スイッチを押した。
なにも反応はなかった。
「まだダメか」
まだ、カズミの魔道着が修復されていないのだ。
嘆くアサキの頭上から、剣が振り下ろされる。
一本引いてかわすが、応芽は素早く踏み込んで、引かれた分を詰めると、右手の剣を真横へ払った。
胴を狙った一撃。
アサキは、引いかわすでも身を屈めるでもなく、瞬時に跳躍していた。
剣の上に乗って、それを足場に、応芽の頭を蹴ったのである。
目を覚ませ。
というメッセージだったのか、自分でも分からない。
無意識に、身体が動いていた。
頭を蹴られ、のけぞりながらも、瞬時に怒声を発しながら出鱈目に剣を振るう応芽であるが、その切っ先は空気をかき混ぜるだけだった。
アサキは、今度は空気を蹴って、十メートルほどの空中にいたのである。
「逃げんならハナから歯向うなあ!」
怒声上げ、強く地を蹴り、応芽が追う。
アサキはさらに空気を蹴って、さらに高く跳んだ。
制服のスカート姿であることなど、気にしている余裕もない。
そうだ。
ウメちゃんに勝たないと。
勝って、とりあえず戦力を奪って、その上で冷静になって貰わないと。でないと、今のウメちゃんじゃ話し合いも出来ない。
飛ぶのは、かなり魔力を消費する。
でも……
わたしの体力は限界だけど、でも、祥子さんがいっていた通り、わたしに無尽蔵の魔力があるのなら、魔力量の勝負にさえ持ち込めば、勝算がある。
だから。
だから。
飛べ、わたしの身体。
高く、高く。
アサキは空気を蹴って、さらに上へ、空へ、天へと飛ぶ。
どんどん、地上が小さくなっていく。
ものの数秒で、以前にザーヴェラーと戦った時と同じくらいの超高度に、アサキの身体は浮いていた。
アサキと、追い付いた応芽の、二人の身体が。
激しい強風に揺られながら。
遠近、高層ビルに囲まれた、都心の眺めの中。
眼下、すべてが豆粒や、子供の積み木に見える、眺めの中。
青い空の下。
向かい合っていた。
「前にさ……」
ぼそり、口を開くアサキであるが、ばりばり鼓膜を震わせる風に掻き消されてしまい、大きな声でいい直した。
「前に、カズミちゃんが、手賀沼の公園で、いってたよね。こんな眺めを、守るんだ、って。知っておいて欲しい、って。ここの、この眺めも、同じだ。この眺め、街、人たち、生き物、世界、わたしたちは……わたしたちが、守る」
まともに呼吸の出来ない息苦しさの中で、応芽の情、優しさに、訴え掛ける。
「は、どうでもええわ」
鼻で笑われただけだった。
「ウメちゃん!」
赤毛をばさばさなびかせながら、声を荒らげる。
荒らげたところで、応芽に届くのは、ほとんどが風の音だろうが。
「あたしはただ、神の力を借りたいだけや。……あわよくば、神の力そのものを、手に入れたいだけや」
「人間は神様にはなれない」
「なんなきゃ雲音を救えへんやろ! とゆうても、神がなんやのかは知らへんけどな。きっと、魔法以上の奇跡を起こせる力やろ」
「そんな力……」
「奇跡で雲音の魂を戻した後は、どうでもええわ。雲音をあんな目に遭わせた、こないな世界なんか、どうなろうと知るか!」
「雲音ちゃんだって、守ろうとした世界だよ! どうでもいいなんていっていたら、雲音ちゃんは喜ばないよ!」
「お前なんかに、なにが分かるんや! 会うたこともないやろ!」
「考えて! ウメちゃんのやろうとしていること、その先に、なにがある? その向こうに、誰がいる? みんな、笑顔なのかな。みんな、幸せなのかな」
「じゃかましい!」
「わたしは……」
「黙れ!」
「だ、誰が、どこに、どんな、思いで、生きるという、人はっ」
理屈が通じないどころが、がなりたてられ言葉を遮られ、それでもなにかいおうとして、アサキの言葉はすっかり支離滅裂になっていた。
「黙れゆうとんじゃ、ドアホが!」
応芽の、怒気を乗せた剣を、間一髪、眼前で、アサキは受け止めて防いでいた。
二本のナイフで。
落ち着いた、真顔で。
「ごめん、ウメちゃん。うまく喋れない。言葉で、思いを伝えられない。でも……」
ぐ。ナイフを押す。
そう。
言葉じゃない。
心。
気持ち。
きっと、伝わる。
わたしだって、自分が絶対に正しいなんて、そんなことは思ってない。
でも、ぶれない。
もしも、間違っていようとも、わたしは……
「わたしがウメちゃんを思う気持ちを、信じる!」
叫び。
ぎらり激しい、厳しい双眸。
応芽の剣を、気合いで弾き上げていた。
踏みしめる足場がなく、すうっと後ろへ流れる応芽へと、魔力で空気を蹴り、赤毛をなびかせて瞬時に詰め、身体を回転させながら、左右のナイフで切り付けた。
目の前の小癪な言動に舌打ちしながら、応芽は、避けつつ回り込み、
「もうくたばれや!」
反撃の刃を振り下ろす。
アサキは見切っていた。
がちり、二本のナイフで受け止めていた。
受け止めながら、一本を剣身に沿って滑らせて、手首を返して水平に走らせ、真紅の魔道着の、胴体を切り付けた。
カチ
応芽の着る真紅の魔道着、胸の装甲に、横一筋の亀裂が入っていた。
また舌打ちをしながら応芽が、前蹴りを放った。
腕で払いながらアサキは避けるが、読んでいたか、応芽は瞬間的に身体を回転させて、後ろ回し蹴りで赤毛に包まれた即頭部を狙った。
その攻撃も、アサキは肘を上げて受け切るが、
応芽は、アサキを蹴った勢いを利用して、身体を逆回転。今度は蹴りではなく、剣を振るった。
不意を突いた一撃が、風を切り、唸りを上げ、アサキを襲う。
しかしアサキは、冷静だった。
引かず、逆に詰めると、右膝を振り上げて、自分の肘と膝とで、応芽の腕、剣を持っている腕を、押し潰したのである。
がっ、
応芽は呻き、睨み、下がりながら、剣を左手に持ち変えた。
再びアサキが、距離を詰める。
切り付ける。
二本のナイフを、自分の手の如く使い。
応芽が引けば、アサキが押し。
切り付け続ける。
利き手が痺れて、剣を左手に持っているとはいえ、応芽は、完全に防戦一方へと追い込まれていた。
「な、なんでや。なんで最強の魔道着が、生身の、裸同然の令堂なんぞに、押される?、お、おかしいやろ!」
「負けないといったはずだ」
いったから負けないものでもない。
けれども、いまのウメちゃんには、絶対、負けちゃいけないんだ。
だから、わたしは……
「黙れ! 黙れ! 魔力量のみの三流! とっとと絶望して、超ヴァイスタになれえ!」
絶叫を放ちながら、応芽は、剣を両手に握り、身体を、腕を、ぶるぶる震わせながら、高く振り上げた。
「ウメちゃんっ!」
アサキは、ナイフを高く放り上げると、空気を蹴って、真紅の魔道着へと飛び込んでいた。
「目をっ、覚ませえええええええええ!」
怒声。
応芽の顔が、醜く、ぐしゃぐしゃに、ひしゃげていた。
頬に、アサキが、右拳を叩き込んだのである。
4
刃を振り、打ち合わせ、押し合い、弾き合い、唸り、歯を軋らせ、睨み合う。
令堂和咲と、慶賀応芽。
片方は、魔道着を着ておらず、生身のままであるが、繰り広げられているのは、完全に魔法使い同士の、いや、それを遥かに上回る次元の戦いであった。
「ハナから覚めとるわ! つうか、お前らと一緒におった時こそが、薄甘い夢を見とったんや!」
応芽が、拳を頬に叩き込まれたことで激高し、右腕の痛み痺れも忘れて盲滅法に洋剣を振り回していたが、すべての攻撃を冷静に対処されると、癇癪起こした子供みたいに声を裏返して怒鳴った。
目を、覚ましてくれなかった……
向き合うアサキは、少し悲しく虚しい気持ちになったが、すぐに首を小さく横に振り、応芽の言葉を否定する。
「薄くも甘くも、夢でもない。健気に掴み続けていた、現実だ」
制服のスカートが、掴まれ引っ張られているかのように、バタバタザバザバと音を立てて、強風になびいている。
「つべこべ、じゃかあしいわあ!」
応芽は、小癪なことばかりをいう赤毛へと詰め寄りながら、剣を突き出した。
アサキの胸が、貫かれていた。
柄まで、ずぶり、突き刺さっていた。
という残像か幻想に、瞬き、応芽は舌打ちする。
赤毛が、瞬間的に、背後へ回り込んだのだ。
「舐めんな!」
激高。くるり振り向きながら、剣を叩き下ろした。
アサキが、二本のナイフを横から叩き付け、太刀筋をそらしつつ、その勢いを利用して距離を取った。
ここは東京。
青い空の下。
高層ビルすらもすべて眼下の、地から遥かな上空で、二人は戦っている。
真紅の魔道着。
応芽の持つのは、洋剣。
中学校の制服姿。
アサキは、左右の手にそれぞれ、ナイフを持って。
空中。
上から、下から、横から後ろから、乱れ吹く、氷のように冷たい強風の中を。
まるで瞬間移動、残像消えぬうち、あちらこちらで武器をぶつけ合う。
時折、動きを止めては、睨みながら、ぜいはあ肩を上下させるが、呼吸の整わないうちに、どちらかが攻撃を仕掛け、また空中での打ち合いが始まる。
停止しては目から、動いては刃から、常に火花を散らしながら、彼女たちは戦い続けていた。
先ほどまでは、アサキが圧倒していた。
だがまた、応芽が押し返していた。
形成逆転というほどではなく、あくまで押しているのは、アサキであるが。
戦い始めの頃と比べて、の優越で考えれば、完全に立場逆転であった。
いまや応芽の方こそが、気迫でアサキに食らいついて、なんとか互角の勝負に持っていっている。
と、このような状況であるのだから。
妹のために、アサキを超ヴァイスタ化へ導く、という大きな目的がある。
自分は特殊な魔道着を着ており、相手は並どころかそもそも魔道着を着ていない。という、崩壊一歩手前ではあるが自尊心からの憤慨心がある。
応芽としては、状況不利になろうとも、絶対に負けられないと気迫燃やすのも当然だろう。
「くそっ、実はポンコツなんやないかあ? この魔道着!」
こうも押され続けていれば、真紅の魔道着への疑念も沸くだろう。
対するアサキがなにかしら魔道着を着ているならいざ知らず、単なる中学の制服姿とあっては。
「なら、もうやめようよ。そんな物があるから、戦わないといけないんだ」
向き合いながら、アサキは悲しげな顔を応芽へ向けた。
強力な魔道着と聞いて、ウメちゃんは、取り憑かれてしまった。
世界を守るための力は必要だけど、過ぎたる力なんか、持ってなんの意味があるのか。
「関係ないわ! そしたらいくらでも違う方法で、お前をヴァイスタにしてやるだけや!」
自分の着ている真紅の魔道着へと、恨めしそうな視線を向けていた応芽は、顔を上げると、小癪なことばかりをいっているアサキへ、ピシッと指を差した。
少しの沈黙の後、アサキは、眼光しっかり受け止めながら、口を開く。
「わたしは、ならないよ。この世界を、守り続けるから。守るべきこの世界がある限り、絶望はしないから。だから、ならないよ」
「ははっ、随分と饒舌になってきたやないか!」
作った笑みを浮かべて、応芽は体当たり、がちりぶつかると、また剣とナイフの押し合いが始まった。
押し合い、といっても、一方的に応芽がガツガツと、ガムシャラに当たっているだけであるが。
「やめよう。いまのウメちゃんは、わたしには勝てないよ」
「その姿でなにをゆうとんじゃ!」
応芽は、怒鳴りながら、弾き飛ばそうと、ぐうっと剣の柄を押し出した。
アサキは、軽くいなして、ぐるり背後へと回り込んだ。
同時に、どんと背を強く押して、少し距離を取った。
バカにするでもなく、真摯な、悲しげな表情を、応芽へと向ける。
「本当に、こんなことが、雲音ちゃんのためになるのかな?」
「そう思わなきゃあかんやろ! これが、あたしの人生なんや!」
突き出される、応芽の剣先。
アサキは二本のナイフで、剣と絡め取りつつ、横へ流し、攻撃をそらせながら、
「ウメちゃんは、ウメちゃんでしょう!」
怒鳴った。
「そうや。自分の人生をぶっ壊してでも、楽しげに笑いながら、お前を絶望に追い込もうとしとる、それが慶賀応芽様や! あたしは、こんな程度なんだよ!」
「いい加減にしないと……もう一度、殴る!」
「好きなだけ殴るとええわ! でもなあ、あたしは……お前なんかに、負けるわけにはいかへんのやああああ!」
この戦いが始まって、お互いに何度も声を荒らげたが、これは何度目の絶叫だろうか。
明らかに、先ほどまでのものとは異質だった。
気迫。
怨念。
情念。
執念。
悲哀。
必死。
悲痛。
焦燥。
憤怒。
それらの思いが混ざり合い、爆音じみた叫び声が、口から吹き出されていた。
彼女の妹、慶賀雲音。
おそらくすべては、そこに起因する感情なのだろう。
魔力を持つ者以外には、ただ叫んでいるだけに見えるだろう。
アサキには、気脈から発せられる感情の昂ぶり、噴き上がる魔力の光が、はっきりと見えていた。
応芽の魔法エネルギーが、上空を吹き荒れている強風と融合して、さながら八ツ又の龍といった具合に、ごうんごうんうねっていた。
「これは……」
アサキが、その眩しさに目を細めた、その瞬間である。
応芽が、爆発した。
体内のエネルギーを溜め込み切れず、すべて逆流して一気に吹き出したのだ。
轟音、豪炎と共に、アサキの身体は堪らず吹き飛ばされていた。
呻き声を上げながら、足元の空気を蹴ってブレーキを掛け、その場に踏みとどまると、はあはあ、息を切らせながら、細めた目を開いた。
真紅の魔道着、応芽が、空中に立ち尽くしている。
ごんごんと、眩しい光の粒子を噴き出しながら。
顔を落とし、不思議な、信じられないといった、表情で。
「いままで、自分にリミッターを掛けとったっちゅうことか。……負けられへん気持ちが、すべてぶっ飛ばしたちゅうことか……」
しばらく、自分の両手や、真紅の魔道着、ごんごん噴き出す魔力の粒子を眺めていた応芽であるが、やがて、嬉しそうに微笑んだ。
顔を、上げた。
「えろうたいしたもんやなあ、この魔道着は。……さっきは、思い切りコケにしてもうたけど。なんや、ええ気持ちや。……ええ気持ちや! 力が、身体ん中から、いくらでもみなぎってくるでえ!」
どん!
収まり切らない膨大なエネルギーが、また、噴き上がり、爆音を上げた。
応芽の背中、両肩。
真紅の魔道着から、ゆらゆら揺れる、巨大な炎。
微笑む彼女の表情とあいまって、それは、まるで悪魔の翼であった。
「行くでえ!」
嬉しそうに叫びながら、軽やかに宙を蹴った。
悪魔の翼を得た応芽は、自らの残像を砕きながら、超速でアサキへと突っ込んで、そのまま突き抜けていた。
「うあ!」
どう、と跳ね上がるアサキの身体を、今度は戻りつつの追撃が、再び跳ね上げた。
ブレーキを掛けた応芽は、腕を組んで、楽しげな顔。
激痛に顔を歪めているアサキを見ながら、ゆっくりと、口を開いた。
「圧倒的やなあ、この力。こら病み付きになるで。さあて、どうやって令堂和咲に絶望を与えたるかあ。どうやって超ヴァイスタに仕上げるかあ。……まあ、まずは手足を全部ぶったぎってからやな。それから、ゆうーっくりと考えることにするわ」
満足気な笑みを浮かべながら、応芽は、アサキを見つめている。
悪魔の翼に、身体をボロボロにされ、苦痛を堪えている、アサキを。
アサキは、痛みを押し殺しながら、嫌らしい視線を真っ向から受け止め、疑問の言葉を発した。
「ねえ、ウメちゃん……こうして、強くなって、どんどん壊れていっちゃうなら、それは、本当に、強さ、なのかな」
「うん、まあ本当の強さやないんやろな。つうか、お前の求めとるスポーツマンシップ選手宣誓みたいな強さなんて、どーでもええねん! あたしはただ、雲音を助けたいだけやゆうとるやろ。記憶力がないんか?」
「雲音ちゃんをどんなに大切に思っているか、それなりには、理解出来るつもりだよ」
「ほざけや。お前なんかに、分かるわけないやろ。義理の親どころか……」
新たな力を得た興奮に、ぺらぺら舌を動かしていた応芽であったが、自分のその言葉につっかかって、不意に口を閉ざした。
「どころか、なに?」
アサキが聞き逃さず、食い付いた。
「なんでもないわ」
「まだ思い出し切れていないんだけど、さっきのことで、わたしの記憶は嘘で包まれていることは分かった。ウメちゃんは、もっとたくさんのことを知っているんだよね。わたしが辛くなるような……でも、いうのを躊躇ってくれた。やっぱり、優しいんだよ。ウメちゃんは」
アサキは、警戒は怠らず、でも、少し表情を緩めた。
「アホ抜かせや! 全部を思い出させようとしたんやけど、お前がアホやから、中途半端だっただけやろ」
「でも、いまの無意識の行動は、やっぱり優しいウメちゃんだよ」
「はあ? 決め付けも、たいがいにしとけ。……そうや、お前を追い込む、ええことを思い付いたで。その義理の親を、ぶっ殺したったら、さすがに心が粉々になるやろなあ」
「そんな、心にもないことを、いわないで」
「百パーセント本音でゆうとるわ」
「信じない。でも、冗談でも、いっていいことと悪いことがあるよ。……血は繋がってないけど、わたしだって修一くんと直美さんのことを、本当の両親以上に大切に思っている。ウメちゃんが雲音ちゃんを思う気持ちに、負けてないよ」
「ああそうなん? ほな、強い方が勝って、お前は守りたい者を守り、あたしは手に入れたい力を手に入れる。分かりやすくてええね。ほな遠慮なく……ぶっ潰させて貰うで! 令堂和咲!」
どおおおん!
さらに巨大に、魔法力の粒子が作る翼が膨れ上がった。
体内に、真紅の魔道着に、おさまり切らない、応芽の力、魔法力が。 どるどると、噴き出している。
巨大な翼というだけでなく、うねうねと無数の、光の蛇が、身体を這い回り、包み込んでいる。
「お互い、もう飽きたやろ? しまいにしようや」
噴き出す莫大な魔力エネルギー。
自分自身から放出した、エネルギーの中心で、応芽は、右手の剣を強く握った。
「是非も、ないのか……」
アサキは、悲しい表情を浮かべると、きっと睨む目付きを応芽へ向け、二本のナイフを胸の前で構えた。
「ええヴァイスタに、なるとええよ」
にたり。
応芽が頬を、唇を、釣り上げた、その時であった。
どん!
真紅の魔道着が、爆発したのは。
大きくはないが、低く重たく空気を震わせる爆音。
魔道着は破れに破れ、胸や肩の装甲もすべて弾け飛んでいた。
あちこちの破れ目から、光の粒子と煙が混ざって、蒸気のごとく、噴き出している。
「ウメちゃん! 大丈夫?」
アサキが心配そうな顔で叫び、近寄ろうとする。
内部からの魔法力の爆発に、すっかり姿ボロボロになって、煙を噴き出している応芽へと。
意識朦朧とした表情の応芽。
がくん、と重力に引かれ、身体が落ちそうになるが、かっと目を見開くと、右手の剣を伸ばし、
「敵やで!」
近付こうとするアサキの鼻先へと、突き付け、牽制した。
「でも、でもっ、魔道着が……」
「まだまだ。これからや」
身体のあちこちを焦がしながら、ぎりり、錆びたブリキ人形のぎこちなさで、右手の剣を構えた。
はあはあ、息を切らせながら、強気な笑みを浮かべた。
誰が、想像出来ただろう。
次の瞬間に、彼女の身に起きたことを。
応芽のまぶたが、驚愕に、大きく見開かれていた。
向き合う、アサキの顔も同様であった。
「なんや……」
応芽は、ゆっくりと、首を、下に向けた。
剣が、突き出ていた。
自分の胸元から、血に濡れた、剣先が。
背後から突き刺され、そのまま貫かれたのだ。
血に染まった剣先が、引かれ、すうっと音もなく、応芽の中へと消えていく。
ごぶ、と、血が溢れて流れた。
応芽の、口から。
真紅の魔道着と、同じくらい赤い、血が。
瞳、身体を、ふるふると震わせながら、ゆっくりと、振り向いた。
再び、その目が見開かれていた。
先ほど以上の驚愕が、その青ざめた顔に浮かんでいた。
振り向くと目の前には、応芽と同じ顔をした、薄黄色の魔道着を着た、魔法使いが、無表情で、剣を片手に、空中に立っていたのである。
「なんで……雲音が、どうして……ここに……生きて……」
驚愕の次は、困惑であった。
何故、雲音がいるのか。
奇跡的に魂が蘇ったのだとして、何故、姉を殺そうとするのか。
何故……
「なんかの、間違いやろ。雲音が、そんなことするはずあらへん。あのな、お姉ちゃんな、頑張ったんやで。雲音と、また……雲音と」
ふっ
応芽の意識が、落ちた。
白目をむいて、がくり身体の力が抜けると、浮力を失い、遥か眼下、吸い込まれるかのように、落ちていった。
5
落ちている。
風を切り、地へと速度を上げながら。
慶賀応芽の、全身ボロボロになった肉体が。
焦げて破れたところ、切り裂かれたところ、魔道着のいたるところから、どろどろと瘴気を吹き出しながら。
意識なく、引力に身を委ねて、落ちている。
冷たく激しい風の中に、令堂和咲の叫び声。
「いま行く!」
真っ逆さま、天を蹴り、蹴り、蹴り、追い掛ける。
仲間、大切な友達を。
学校の制服姿で、必死に、追い掛け、追い付き、追い越した。
すぐさま、くるり身体を前転させて、天地に対し体勢を正常に直すと、風を切って落下してくる応芽の身体を、両手で受け止めた。
ぶづっ
「うぁっ!」
降下しながら受け止めたものの、速度を相殺し切れなかった。
ぐうん、と下に持っていかれるのを、堪えようとした瞬間、腕が引きちぎられそうになり、思わず悲鳴を上げた。
赤毛をばさばさなびかせながら、激痛に顔を醜く歪て、ぎりぎりと歯軋りをしながらも、応芽の身体は手放さない。
手放せるはずがない。
眼下に、地上がどんどん大きくなる。
懸命に落下速度を落とそうとするが、そうするほど腕を、全身を、激痛が突き抜ける。
アサキは、複数の呪文を、同時に唱えることが出来る。だが現在、そのすべての魔力を、空中制御系にのみ集中させている。
だから、応芽を抱きかかえるのは、自分の体力のみだ。
落とすまい、と必死に抱きかかえ、抱き締めるが、これまでずっと生身のままで戦わされており、過剰酷使に、もう肉体は限界だった。
限界だったが、
「絶対に、離さないっ!」
疲労に意識が朦朧としながらも、腕に力を込め続け、心の中で呪文を唱え続けた。
どうっ!
重く激しい衝撃が、身体と意識を、吹き飛ばし掛けた。
地面に落ちて、背を思い切り打ち付けたのだ。
透明な巨人の手にもぎ取られ、応芽の身体は、アサキから引き剥がされて、宙に浮いた。
再び地に落ち、小さくバウンドした。
応芽の身体からは、変わらずしゅうしゅうと、黒い光の霧が体内から噴き出している。
変身が解除されて、私服姿に戻っていた。
ボロボロになった、真紅の魔道着から。
完全に意識を失っているのか、浅く胸を上下させているのみで、それ以上まるで動く様子がない。
墜落時のクッションになったアサキは、激痛を堪えながら、頭を振って、朦朧とした意識を吹き飛ばすと、素早く上体を起こした。
はあはあ、息を切らせながら、
「ウメちゃん、しっかり!」
両手で地を引っ掻いて、応芽へと這い寄った。
両膝を地に着いて、前のめり、身体を覆いかぶせ、横たわる応芽へと手を翳した。
翳した両手が、ぼおっと青白く光る。
「い、いま治すからっ」
苦しそうな顔で、必死に治癒のエネルギーを送る。
呼吸の整わない状態で、如何ほどの効果があるのか。
でも、でも、待ってなどいられない。
早く、少しでも、治さないと。
ウメちゃん。
ウメちゃん!
心の中で、泣きそうな声を出しながら。
手を翳し続ける。
応芽の身体あちらこちら、特に剣で貫かれた胸から大量に、しゅうしゅうと黒紫の煙が上がっている。
体内に溜め込めなくなった膨大な魔力が、様々な負の感情と融合し、焼け焦げて吹き出しているのだ。
地面に、小さな影。
気付いたアサキは、治療の手を翳しながら、そっと顔を上げた。
十メートルほどの高さに、魔道着姿の少女が、ゆらゆらと浮いている。
応芽とまるで同じ顔をした、魔法使いが、なんの表情を浮かべることもなく。ただ空気の流れに揺れている。
同じ、顔。
雲音、ちゃん?
でも、何故、ウメちゃんを刺した。
謎の魔法使いを睨み掛けるアサキであるが、恨みの感情では治癒の効果が半減する。もどかしい気持ちだったが、視線を落とし、応芽の治療に専念する。
だけど、これはどうしたことか。
邪念を払い、すべての魔力を治療のために集中させているというのに、応芽の胸に大きく開いた傷口が、まったく小さくならない。
いつまでも、しゅうしゅうと黒紫の煙を吹き上げているだけだ。
「アサキ!」
カズミの声だ。
変身の解けた中学校の制服姿で、息せき切って走ってくる。
銀黒大柄、嘉嶋祥子も一緒だ。
「な、なにが、どうなってんだよ! ウメは……つうか、なんなんだよ、あれは!」
空に浮いている魔法使いを、カズミは指さした。
この状況に対し、すっかり混乱しているようである。
それも当然だろう。
カズミの立場からすれば。
戦いを見上げていたら、遥か上空からアサキたちが墜落。
急いで駆け付けてみれば、応芽は半死半生。
死闘を演じていたアサキが、懸命に治療を施している。
ここまでならば、まだ分からなくもないだろうが、
応芽の身体からは、得体の知れない煙が噴き出して、
さらには、空中に浮いている、謎の魔法使い。
しかもそれは、応芽と同じ顔をしている。
ともなれば。
「アサキ! なあ、なにが起きてんのか、教えてくれよ!」
カズミの怒鳴り声。
アサキは、顔を上げた。
泣きそうな顔、いや、泣いている。
涙を、ボロボロとこぼして。
そんな、弱々しい泣き顔を、アサキはカズミへと向けた。
「傷が……ウメちゃんの傷が、塞がらないんだ」
横たわっている応芽。
その胸に、青く輝くアサキの両手が、翳されている。
胸の傷口からは、しゅうしゅうと音を立てて、黒紫の煙が噴き出している。
カズミは、応芽を睨む目付きで見下ろしながら、拳をぎゅっと握ると、
「あたしの魔力も使え」
中腰になり、開いた手のひらを、アサキの肩に置いた。
「こいつにゃ、聞きたいことがある。償ってもらわなきゃならないことがある。まだ、思い切りひっぱたいてもいないし……死んで欲しく、ないんだよ!」
肩へ手を置いたまま、悔しそうに顔を歪めて、踵を地に踏み落とした。
「あき……ば……か?」
弱々しく、かすれた声に、カズミ、アサキ、祥子の三人は、視線を落とした。
応芽の顔を見た。
「ウメ……」
「昭刃、の声やな。目が、見えないんや。……ザマア、ないやろ? あかんこと、したからなあ。令堂と戦うやなんて。ははっ、自業自得や」
「喋らないで!」
手を翳しながら、アサキが泣き顔を険しくさせて、声を荒らげた。
また、やわらかく、弱々しい表情に戻ると、
「分かっているよ。仕方のないことだったんだろうな、って」
「令堂……あたしホンマ、あかんことした、から、せやから、雲音が、いてもたってもおられず、叱りに、きて、くれた。魂、滅んで、なんか、おらんかった」
視点の定まっていない目を薄く開けて、見えないけど空中に浮かんでいるはずの、魔法使いを見上げながら、応芽は微笑んだ。
「安心して、死ねるわ。行き先は、地獄かも、知れへんけど、まあええわ」
ごぼ
微笑む応芽の口から、大量の血が溢れた。
頬を伝って、地を真っ赤に染めた。
「ダメだよ、そんなこといっちゃ! 治すから、わたし必ず治すから! だ、だからっ!」
ぼろぼろ、ぼろぼろ、涙をこぼしながら、アサキは、胸に手を翳し続ける。
噴き上がる黒紫の煙が、アサキの手を避け、指の間をすり抜けて、立ち上り続けている。
しゅうしゅう、しゅうしゅう、煙が上る。アサキの思いを、あざ笑うかのように。
それでもアサキは、信じ続け、念じ続けることしか出来なかった。
と、その時である。
足音が、新たな人物の登場を告げたのは。
「慶賀応芽を泳がせておいたら、こんなことになるとはね。世の中、生きていれば面白いことが起こるものだ」
グレーのスーツを着た、大柄な男性。
リヒト所長、至垂徳柳であった。
数人の部下と一緒だ。
その声に、応芽は、ぐったりしたまま首を横に向け、視点定まらぬ目をグレースーツの男へと向け、にんまりとした笑みを浮かべた。
「せやろ。雲音は、死んでなんかおらんかった。魂、砕けてなんか、おらんかった。超ヴァイスタなんか作らんでも、慶賀家は、銀河最強なんや! 分かったか、変な名前のクソ所長が!」
この言葉を喋るだけで、どれほど体力を消耗したのか。
応芽は腕を広げ、大の字になって、瀕死の犬のように、はひいはひいと呼吸荒く、胸を膨らませた。
でも、その顔は、とても満足げであった。
しばらく、その様子を見下ろしていた、リヒト所長であったが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「あの……いいかな、ただ疑問に感じたので尋ねる、というだけなのだけど。本当に、あれが自分の妹だと、慶賀雲音だと思っているのかい?」
グレースーツの男は、小さく首を上げて、空にゆらゆら揺れている魔法使いを、見上げた。
アサキたちも、つられて、見上げる。
応芽と瓜二つの顔の、少女を。
すっかりボサボサの汚れた髪になっている応芽と違い、整髪料でおでこにピッタリ撫で付けている、綺麗な髪の毛。
その顔には、なんの表情も浮かんではいない。
薄黄色の魔道着に、身を包んでいる。
応芽と同じ顔だが、着ている魔道着は違う。そして、応芽本人はここにいる。
と、なれば普通に考えて、話に聞いていた双子の妹、雲音、ということになるのだろうが……
しかし、それを否定しているとも捉えられる、至垂徳柳の言葉。
「なにを……ゆうとんのや」
はあはあ、息を切らせながら、
しゅうしゅう、胸から煙を吹き上げながら、応芽が鼻で笑った。
至垂徳柳の、次の言葉は早かった。
それを受けた、応芽の表情が変わるのも。
「無自覚無責任、不感、欺瞞、きみのそれは演技なのかな? と、聞いている」
「え……」
ぴくり、と、応芽の身体が震えていた。
身動き取れず、横たわったままで。
数秒前と、完全に表情が一変していた。
菩薩の境地、というほどではないにしても、このまま死んでも構わないというやすらかな表情が一変して、不安、猜疑、畏怖、怒り、慚愧、これでもかとばかり負の感情が混ぜ込まれた顔になっていた。
「まさか。まさか、そんな!」
視力を失っている目を、かっと見開くと、この世を未来永劫呪うかのような、凄まじい雄叫びを張り上げた。
息も絶え絶えの、どこにそんな力が残っているのか。
じゅわあああっ
その叫びに呼応して、胸から立ち上っていた黒紫の煙が、勢いよく、間欠泉の勢いで噴き上がった。
どろどろと、狂気の粘度を帯びた、ドス黒い煙が。
応芽は、声にならない声を、叫び続けていた。
6
地に横たわったまま、ぶるぶると、身体を震わせている。
体内の血液を、すべて失ったかのような、青ざめた、白い顔で。
慶賀応芽は、輝きを失った、濁り乾いた目を見開いて、身体を震わせている。
信じたくないという思い、ああやっぱりという諦めの気持ち。
そんな、二つの気持ちが交錯しているように、アサキには、思えていた。
じゅわじゅわと噴き出す瘴気に、肌が焼け焦げそうになるが、それでもアサキは、横たわる応芽の身体に手を翳し、治療を続けていた。
だって、それしか今の自分に出来ることがないから。
考えるのは後。
治療が先決だ。
と、胸に唱えた瞬間、その胸が、どきりと跳ね上がっていた。
応芽の、濁った両目から、どろり、血が黒い涙になって、両の耳を伝って地を濡らしたのである。
「ウメちゃん!」
不安げに応芽の顔を覗き込んだアサキは、続いて、軽く顔を上げ、この状況をもたらす言葉を吐いた至垂徳柳を、上目遣いに睨み付けた。
アサキのすぐ後ろに立っているカズミも、やはり同じように思ったか、彼を睨んでいる。
その隣にいる銀黒の少女、祥子は、前方を見つめているだけで顔からは感情が読めない。ただ、ざりざりと踵を地に擦りつけている仕草が、すべてを語っていたが。
彼女たちから放たれる負の視線を、むしろ心地よさげに受けながら、至垂徳柳は、一歩前に出る。
地に横たわり震えている慶賀応芽を、ほぼ垂直に見下ろした。
「推測を話そう。とはいえ、状況やこれまでの調査から考えて、ほぼ間違いないこととは思うがね」
もったい付けた前置きをし、少し間を空けると、彼はまた口を開いた。
「慶賀応芽、きみは、妹である慶賀雲音のヴァイスタ化を阻止するために魂を砕いた。だが、それは間違いで、魂は砕けてなどいなかった。自分に乗り移って、常に共にあった」
ここで言葉を切る。
応芽は、苦しそうな表情、焦点の定まらぬどころか濁りに濁った目で、自分の足元に立っているリヒト所長を、睨み付ける目付きで、見上げている。
声は出ずとも状況は理解しているようだね。とでもいいたげに、至垂徳柳は唇の端を釣り上げる。
「そう、思い込んでいた。何故? それは、無意識の中で、罪悪感から逃れるため。魂を消滅させ、輪廻の対象から永久に外してしまったことの。そして、様々な都合のよい行ないを、すべて妹のせいにするために」
「二重人格だとでもいうのか? そんな様子はなかったぜ」
カズミが横槍を入れる。
「それとは違うね。魂の生存を無意識に信じる思いが、心理に多大な影響を与えた、というだけ」
その通りならば、その通りなのだろう。
そう思えばこそ、妹を蘇らせるために、応芽は苦悩苦闘していたのだから。
「偉そうによ。で、ウメの生真面目さというか、お人好しの気持ちで、今度はアサキへの罪悪感が膨らんだ。無意識下で信じている、妹の魂が現れて、悪いお姉ちゃんをお仕置きした、ってことか?」
「そうだね。今度は、令堂さんを滅ぼさねばならない、ということから逃げたんだ。心の弱さが、そうせねばならぬことに耐えられず、自分で幻影を作り出して、自分を殺したんだ」
「ウメちゃんは弱くない!」
アサキは、声を荒らげて、至垂徳柳へときつい目を向けた。
そよ風ほどのことも起こらなかったが。
グレーのスーツ、至垂徳柳はなんともない顔で、また口を開く。
「令堂和咲、きみも色々と知ってしまっただろうし……他の者たちにしても、必要なら記憶も記録も、いくらでも塗り潰せるから、気にせずこのまま、話を続けてしまうけど……」
ちらり、アサキたちを見る。
不安、恐れ、怒り、などがない混ぜになった、少なくとも好意など微塵もない、そんなアサキとカズミの視線、表情。
むしろ心地よさげに受け止めながら、
「わたしは、完全な『新しい世界』、つまり『絶対世界』へ行くことに対して、なんでもしようとする人間だ。でもそれは、この世の理を解明し、しいてはヴァイスタなど存在しない世界を作ることにも繋がる。悪いことでは、決してないはずだ」
「こうなることが分かっていて、家族のために苦悩していた女の子を笑って見ていた人が、なにをいって……」
アサキの侮蔑の視線、言葉。
すぐグレースーツに掻き消されてしまう。
「だからあ、いまいった通りなんだってば。大義では、わたしのしていることが正しいの。小義を気にしていたら、そりゃあ色々とあるさ。歴史上の、世の中を変えた戦だって、それで死んでいった者たちはたくさんいるんだ。それでもカエサルは偉人だろう? ナポレオンは偉人だろう?」
言葉を遮って、自分の価値観に酔っている至垂徳柳へと、アサキはただ侮蔑の視線を向け続けた。
「メンシュヴェルトに、慶賀応芽を送り込んだのは、良質の魔法使いを素体に真のヴァイスタを造り出すため。特Aの令堂和咲と、その他クラスAの魔法使いをね」
「超ヴァイスタに関する情報を集めつつ、あわよくばあたしたち、特にアサキを超ヴァイスタにしてしまえ。ってことか」
カズミは、拳を握りながら、ぎちぎちっと歯を軋らせた。
リヒト所長は、返事をする代わりに、小さく唇を釣り上げた。
「でも慶賀応芽は、令堂和咲たちに触れているうち、好きになってしまった。彼女らと一緒にいることが、心地よくなってしまったんだ」
「こんな、甘ちゃんたち、だ、誰が、嫌いに、なれるんや」
震える、応芽の声。
アサキの治癒魔法もむなしく、胸からどろどろと煙を吐き出している。
視点定まらぬ、そもそも濁りきって、まるで見えていないであろう目。
リヒト所長への恨みというよりは、アサキたちとの思い出に浸っているのだろうか、とてもやわらかな顔になっていた。
「その甘ちゃん以上に甘い、必要時にすら冷酷になれないクズには、狙った魔法使いをヴァイスタにしようなど出来るはずはなかった。最初から、分かっていたことだがね。だからこそ、特使として選んだんだ」
ふっ、とリヒト所長は鼻で笑った。
「甘いことが……冷たくなれないことが、どうしてクズなんだ」
アサキの、低く押し殺した声。
彼女にしては珍しい、凄みのある、少し乱暴な言葉遣いであった。
それだけ、頭にきていたのである。
「だってそうだろう。知っていて就いた任務であり、自分の家族の生命が懸かった問題でもある。だというのに、与えられたことをまっとうできないどころか、しようともしない」
「だからって……だからって、そんないい方をしなくても!」
「アサキ、どっちがクズか問答してたって仕方ねえよ」
カズミが話に割って入った。
「一つ、教えて欲しいんだけど……あたしたちの仲間、大鳥正香がヴァイスタになったのは……平家成葉が、はらわた食われて殺されることになったのは……」
カズミは視線を落とし、ぜいはあ息を切らせている瀕死の応芽を見た。
「わたしが直に見たわけじゃないけど、本人の報告や、クラフトに記録された活動レポートによると、慶賀応芽は、必死に阻止しようとしていたらしいね。大好きな仲間である、大鳥正香のヴァイスタ化を」
至垂徳柳の言葉に、手で口を抑えて、がくり膝が崩れそうになるカズミであったが、感情の乱れをどうにか堪えると、
「でも、さっきはこいつ……超ヴァイスタにするために、アサキを魔道着を奪っていたよな」
「でも、無意識にブレーキを掛けたママゴトみたいな戦い方で、生身の令堂和咲に負けただろう?」
「そんなの、アサキが桁外れに強かっただけじゃねえかよ」
「昭刃和美、信じたいのだね。慶賀応芽のことを」
「え、ちが……ああ、そうだよ! 悪いか!」
「信じていいよ。慶賀応芽は、きみたちの、信頼のおける仲間だ。わたしにとっては、抱く願望の大きさに対して、能力どころか信念すらも中途半端な、蔑むべき存在だけどね」
「そんないい方をしないで!」
アサキが激高し、声を裏返し怒鳴っていた。
いわれた当人は、不謹慎を恐縮するどころか、むしろ心地よさげな笑みを浮かべていたが。
「こうした状況になることは、想定の範囲というより、すべてにおいて予想の通りだった。慶賀応芽ごときには、令堂和咲たちを超ヴァイスタにすることなど、最初から不可能だった。でも、そんなことはそもそも不要だった。だって今回の実験計画は、慶賀応芽自身を絶望に追い込んで、ヴァイスタ化させることだったのだからね」
リヒト所長は、言葉を切ると、楽しげな顔で視線を動かして、魔法使いたちの表情を確認した。
「酷い……」
アサキは、震える声でいうと、地面を殴り付けた。
「く……雲、音は……」
応芽が、地に横たわりながら、手を上げ、伸ばした。
空中にゆらゆら揺れている、慶賀雲音の、幻影へと向けて。
目が見えないどころか、既に意識も朦朧としているようである。
夢と現実が、ごっちゃになっているかも知れない。
「存在するはずがないだろう。きみが魂を消滅させたんだから。都合のよいことが起こるのは、むしろ魔法ではないよ」
夢の中にまで踏み入り、微かな希望を打ち砕こうとする、至垂徳柳の残酷な言葉であった。
「ああ、うあっ……」
応芽の胸の傷口から噴出する、黒紫の煙、その勢いが激しくなった。
まるで、高圧掛けられた蒸気である。
「雲音……」
視点の定まらない応芽の目から、また、どろりどろり黒い涙が流れて、こぼれ落ちた。
「もちろん、令堂和咲が超ヴァイスタになるのが理想だし、最終的にそうであるべきだ。だけど、まだ我々には、意図的なヴァイスタ化の実績がない。道は一歩一歩コツコツ。まずは慶賀応芽からってわけだな」
「てめえ、自分がなにをいっているのか、分かってんのか」
カズミが、だんと強く地面を踏み付けた。
「わたしほど、発言に気を付けている者はいないよ。……さて、この後どうなる、か。慶賀応芽の無意識が信じていた、妹の魂の生存、それが完全に絶望へと変わったわけだが。どのようなヴァイスタが誕生するのかな。……もしも失敗作だったならば、すぐに昇天させる。念のため、魔法使いをもう何人か呼んでおけ」
グレーのスーツ、リヒト所長は、数人の部下へと命令した。
「そうは、させない」
アサキが立ち上がっていた。
リヒト所長、至垂徳柳を、睨み付けていた
「ウメちゃんを……人間を、なんだと思っているんだ」
7
「人間の世であるからこその仕組みがあり、すべきことがあるのだよ。果たせるか、果たせぬか、果たそうともせぬか、ただ、それだけのこと」
笑うでも、怒るでもなく、理の当然といった様子で、淀みなく舌を動かすグレースーツの男、至垂徳柳。
その饒舌に勝てなかろうとも、なにか一言は浴びせてやろう、と思うアサキであるが、実際に口を開いたのは、彼女の足元で息絶え絶え横たわっている、慶賀応芽であった。
「ただ、お、泳がせ、とった、だけ、のくせに、偉そ、うに」
かすれた声で、言葉ぶつ切りに。
一言発するたび激痛が襲うのか、顔がぐちゃぐちゃである。
至垂徳柳は、応芽のその言葉に、恥じらうどころか満足げな笑みを浮かべた。
「気持ちのいいくらい、思っていた通りに泳いでくれたね。メンシュヴェルトの持つ、異空やヴァイスタのデータを盗もうとしたのは、意外だったけど」
先ほど、戦っている最中に、応芽がアサキに話していたことだ。
嘉嶋祥子に阻止されたものの、結局、樋口校長はデータを見せてくれた、と。
「その件が起きたことで、色々とシナリオを思い付いてね。そこからはまた、びっくりするくらい、こちらの考えている通りにことが進んだよ。慶賀雲音を救うためには、やはり超ヴァイスタを作る以外にないのだ、と思わせるために、リヒト側の持っている情報を教えてあげて、そこからは、一本道の筋書きだ」
グレーのスーツのしわを直して、ひと呼吸すると、また言葉を続ける。
「メンシュヴェルトでやらかしたことの、お咎めがないどころか欲しい情報まで貰えて、違和感を覚えたよね? この研究施設に、簡単に侵入出来るなんて、おかしいと思っていたよね? 最新の魔道着を簡単に奪えるなんて、おかしいと思ったよね? 思っていても、妹のためやらないわけにはいかなかったんだよね?」
嬉しそうに喋る、所長。
絶望を操作していることを、あえて主張して、応芽の心をより追い込もうとしているのだろう。
そう思ったからこその、次の、応芽の言葉なのだろう。
「あたし、なんかを、ヴァイスタ、にしても、しゃあ、ないで。多少、ひねくれとるだけの、地味な、のが、一匹、生まれるだけや」
「謙遜。きみも超ヴァイスタの素質はあるんだよ」
所長、至垂徳柳は、腕を組みながら苦笑を顔に浮かべた。
「Cクラス、やろ、あたしは」
「ああ、きみには教えてなかったんだった。劣等感の中で、どう育つか、成績を操作していたからね。きみ、特とまではいわずとも、Aには余裕で入れる魔法力を持っているよ。令堂和咲専用の魔道着を、少しの間とはいえ、使いこなしたのがその証拠。通常は、着た瞬間に魔力を吸い尽くされて、全身を疲労と激痛が襲って動けなくなるよ。特Aに近いAだ」
「ははっ、それは、嬉しいなあ。もう、どうでも、ええけどな」
「ここで戦いになることも、令堂和咲がお得意の甘っちょろい戯れ言を吐いて、きみの罪悪感を揺り動かすことも、予想通りだったよ。特Aの令堂和咲が超ヴァイスタになっていたなら、それが一番だったが、高望みだからね。まずはきみでいい。もう、未練もないだろう? もしも絶対世界に行けたところで、滅んだ魂は蘇らないんだから。そのためだけに生きてきたきみにとっては、絶望、だよねえ」
にやり、リヒト所長はいやらしく唇を釣り上げた。
あらためて、雲音は決して蘇らないことを、応芽の心に叩き付けているのであろう。
絶対世界へと繋がる扉を開く、その足掛かりとなる、一歩を踏み出すために。
だが、
予期せぬことが起きた、ということか、
ぴくりと、引きつっていた。
至垂徳柳の、頬が。
「絶望、なんか……せえへんよ」
笑顔を浮かべて、立ち上がろうとしているのである。
応芽が。
胸から、しゅうしゅうと黒色の煙を噴き出しながら、苦痛に顔をぐしゃぐしゃにしながらも、幸せそうに、笑みを浮かべて。
「ウメちゃん。無理しないで!」
アサキが悲痛な顔で、肩を押さえ付けた。
応芽の、ミイラよりやつれきったガリガリの身体の、どこに力が残っているのか。応芽は、制すアサキの腕を、むしろ掴んで支えにしながら、全身をぶるぶる震わせながら、立ち上がっていた。
「あたし、絶望なんか、せえへんよ」
その目は、すっかり濁っているばかりか、乾いてヒビすら入っている。
もう、いかなる光も感じてはいないだろう。
だけと、その目は、真っ直ぐと、リヒト所長、至垂徳柳へと、燦然とした意思を向けていた。
「へえ」
受けた所長は、澄ました表情で、また唇を釣り上げて見せる。
だが、少し引きつった、ぎこちのない笑みであった。
「雲音、を助け、る方法、必ず、ある、と信じ、とるから。せやから、あたし、絶望なん、て、しない」
濁りきった目を、正面へと向けて、はあはあ、肩を大きく上下させている。
「せやろ。……だって、あたしがヴァイスタに、なったら、雲音を、抱き締め、られへんや、ないか。お帰りな、さいって、いえへんやないか。二人で、過去を笑えない、やないか。未来、を、笑えないや、ないか。……でも、残念、やな、未来も、なに、も、あたしの、この、生命は、もう、おしまいみたいや」
苦笑を浮かべた。
がくりと崩れて、地に両膝を着いた。
「ウメちゃん!」
慌て自分も屈み、介抱しようとするアサキであるが、びくり肩が震え、その目が驚きに見開かれた。
体内でなにが爆発したのか、応芽の胸から、これまでないくらい濁った、粘度のある、黒紫の煙が、噴出したのだ。
「があああああ!」
応芽の悲鳴。
顔が苦悶に満ちて、ぐちゃぐちゃである。
果たして、どれだけの激痛に襲われているのか。
ずっと、尽きぬ瘴気を吹き出し続けていた胸の傷であるが、どろどろ溶け広がって、ぽっかりと大きな穴が空いていた。
背中の、向こうが見えていた。
アサキが頭を抱えて、金切り声の悲鳴を張り上げた。
胸の傷だけではない。
指の先端も、肉が溶けて、骨が見えていた。
その骨すらも、液状化が始まって、ぐちゅぐちゅとゼリー状になっていた。
「状況的に『絶望しかない』こと、理解していないはずがない。本来なら、ヴァイスタ化しているはずだが。それを魂で抗おうとすると、このようになるのか。これはこれで、面白い」
グレースーツの男、至垂徳柳が腕を組んで、楽しげに状況を見守っている。
計算通りにいかなかった苛立ちよりも、新たな事実を知ることが出来た興奮が勝るのか、とても嬉しそうな表情で。
「令堂……」
応芽の、身体全体が、じくじくと、着ている物までが溶かされて、ただの、粘液の塊になりつつあった。
そんな状態で、アサキへと顔を向け、アサキを呼んだ。
ただ顔を向けたというだけで、もうその目は、いかなる光も感じてはいないのだろうが。
「楽し、かった。一生、忘れ、へんよ。まあ、その一生も、もう、しまいや、ねんけど、な」
「そんなこと、いわないでよ! お願いだから! ダメだよ。死んじゃ、ダメだよ! 治すから、わたしが治すからっ! だ、だからっ、ウメちゃんっ!」
ぼろぼろ涙をこぼしながら、青白く輝く魔法の手を、応芽のあちらこちらへと翳すアサキであるが、その必死な思いが、いかなる奇跡を起こすことも、なかった。
応芽の肉体は、どろどろと、溶け続けていった。
「昭刃、おるんやろ? 堪忍、な。大鳥と、平家が、死んだ、のは、あたしのせいや。守ろうとは、思ったんよ。だって、大切、な、大好きな、仲間やもん。せやけど、力が、足りへんかった。堪忍な」
「お、お前、なにしょいこんでんだよ。なんで、話してくれなかったんだよ。な、なか、仲間とかさっ、いっといてよ、一人でしょいこんでんじゃねえよ!」
いつ泣き出してもおかしくない顔で、カズミは、怒鳴り声を張り上げた。
拳を握り、踵を踏み降ろした。
「堪忍な」
もう痛みも感じないのか、どろどろと皮膚が半分溶けた顔で、応芽は、優しく微笑んだ。
「祥子。こいつらのこと、任すわ」
少し首を傾げて、嘉嶋祥子へと、ぐちゃぐちゃになった顔を向けた。
いつも薄笑いを浮かべている祥子であるが、いま彼女は真顔、表情を押し殺して、微かに身体を震わせている。
「リヒトの任務と相対しないところでならば。わたくしのところでは、ウメの親友として接することを、約束するよ」
リヒト所長もおり、それが精一杯の友情の表現だったのだろう。
「それで……ええわ」
小さく頷くと、また、アサキの方へと向き直る。
「とこ、ろで、令堂、自転車に、乗れない、って、ホンマか?」
不意打ちの質問に、ぼろぼろ涙をこぼしながらも、面食らった顔で、アサキは、黙って頷いた。
応芽の目が見えていないことを思い出して、
「ほ、本当。恥ずかしいけどね」
慌てて、声を付け足した。
「そん、くらい、乗れるよう、なっとけや」
「練習する。……乗れるようになる」
笑った。
大粒の、混じりけのない涙を輝きこぼしながら、アサキは、優しく笑った。
「令、いや……アサキ」
「……なあに。ウメちゃん。……わたしのこと、名前で呼んでくれたね」
「恥ずかしいけどな」
「嬉しいよ。それで、なあに?」
「ああ、覚えとったらで、ええから、なんかの、ついで、でも、ええから。雲音、妹、を……。あたしは、笑って、待って、いるから……」
「うん」
頷いた。
ぼろぼろ涙をこぼしながら、優しい笑みを浮かべながら、アサキは、こくこくと、小さく首を振った。
「……あたしは、希望、を捨てて、いない。絶望なんか、せえへん。……ああ、そうや、これ、は、お前、のや、アサキ」
ぜいはあ息を切らせながら、応芽は、弱々しい動作で、左腕に着けている真っ赤なリストフォンを取り外し、アサキへと差し出した。
両手をそっと差し出して、アサキは、それを包み込み、受け取った。
「ほんの、数ヶ月、付き合い、やったけど、楽し、かった、なあ。……あたしは、天王台、第三中学校、魔法使い、慶賀、応芽や。心は……心、は、いつも、みんなと……」
どろどろと、
醜く焼けただれ、溶けながらも、
美しく、笑う、
彼女の姿、
は、もう、そこにはなかった。
存在の痕跡を残すものは、なにも。
アサキは、両腕で空気を抱いていた。
消失感に、ふわり前のめりになると、あらためて、起きた現実を認識した。
認識したからといって、冷静に受け止められるわけではなかった。
受け止められるはずがなかった。
「う……くっ」
微かな呻き声を発し、身体をぶるぶるっと震わせると、
「うああああああああああああ!」
天を見上げ、口が張り裂けんばかりの絶叫を放っていた。
これまでに見せたことのない、心の底、魂が震える、叫びを。
8
絶叫を絶叫でかき砕く、喉の奥がいまにも裏返って飛び出しそうな、叫び声、激情、慟哭。
「いやだああああああああああ! ウメちゃん、ウメちゃんっ! ウメちゃん! うああああああああああああ!」
嘆き、怒り。
悲しみ、やり場のない辛さの、衝動に震える魂。
その震えだけで、地が砕かれて裂けそうなほどの。
激しい感情の爆発と裏腹に、その手に力はなく、すがるように地を叩き続けている。
泣いているのは、アサキだけではない。
「ふざけんなよ、くそお……畜生……畜生!」
カズミである。
立ったまま、感情を押し殺そうと、でも堪え切れず、涙をぼろぼろとこぼしていた。
こぼすまいと思ったのか、上を向くものの、流れ出る量があまりに多く、まるで意味をなしていなかった。
その後ろには、嘉嶋祥子が、黙って下を向いている。
思うところの違いから、この一年は相対していたとはいえ、応芽とは幼馴染の親友であり、リヒトでの戦友である。
もしもこの場に誰もいなかったら、泣き崩れていたかも知れない。
表情こそ冷静であるが、しきりに靴の底で地を引っ掻いている。泣き崩れないまでも、激しく動揺していることに間違いはないだろう。
悲しみに暮れる三人の様子を、腕を組んで、面白そうに見つめているのは、リヒト所長、至垂徳柳である。
横には、黒スーツを着た側近の部下が二人、護衛の意味もあるのだろう、肩をぴたり寄せて立っている。
後ろには、白衣の技術者、そしておそらくリヒト所属の、魔法使いたちが数人ずつ。
白衣の技術者たちが、それぞれに、提げていた黒いバッグから、小型の機械を取り出した。
泣きじゃくるアサキのすぐ目の前、応芽の身体が溶けて消滅した地面へと、コードを引っ張って伸ばした、センサー棒の先端を当てた。
至垂徳柳が呼んだ、技術者たちである。
応芽とアサキが争った結果、なにかが起こることは間違いなく、なんであれ生じた事象のデータを、測定するために。
なお、魔法使いは、先ほど至垂徳柳がいっていた通り、戦闘要員だ。
応芽の魔法力や怨念絶望が足りず、通常のヴァイスタにしかならなかった時に、すぐさま倒し、昇天させるために、呼ばれた者たちだ。
着々と計測作業が進む中、まだ地を叩き泣き続けているアサキであったが、感情涸れたわけではないものの、瞬発力が尽きて、号泣から嗚咽へと変わっていた。
「ウメ……ちゃん」
死者への、何度目の呼び掛けだろうか。
じゃっ
砂を潰す音に、アサキはびっくりし、目を見開いた。
すぐ手元の土、硬い地面に、短剣が、斜めに突き刺さっていた。
顔を上げると、至垂徳柳と目が合った。
至垂の、薄く歪んた口元が動いて、小さいけれど、はっきりした言葉を呟く。
「受け入れるか、拒絶するか、物理的にか、精神か。自己表現に正解はないよね」
小さいけれど、はっきりした、
小さいけれど、侮蔑に満ちた、
嘲り、虚栄心、欺瞞に満ちた、
思わせぶりな話し方。
とどのつまり、絶望の仕方についてということだろう。
親友を失った、アサキへの。
この短剣で自害するもよし、世を呪うもよし。
ここで狂い、ヴァイスタ化するもよし。さらに負を、内に貯め込むもよし。
挑発しているのだ。
心を揺り動かそうとしているのだ。
ここでなにがどうなろうとも、至垂徳柳にとって損は微塵もない。
なにかきっかけさえ与えれば、どうであれ、今か、いつか、面白いことにはなるだろう。
そんな、愉悦のための種まきを、しているのだ。
なにが、楽しいんだ?
アサキは、リヒト所長へと侮蔑の視線を向けていた。
何故そんな、自分を正しいと思っていられる?
そもそも、この状況下で笑っていられる、その神経をこそ、疑う。
侮蔑の視線を向けたまま、手元の短剣の柄を掴むと、乱暴に引き抜いていた。
次の瞬間、壁に、短剣が突き刺さった。
壁際に立っている、リヒト所長の、顔をかすめて、
硬いタイルを、ものともせず砕いて、深々と、突き立っていた。
ゆっくりと、アサキは立ち上がると、あらためて迷いのない強い眼光を、リヒト所長、至垂徳柳へと向けて、静かに口を開いた。
「わたしたちは、絶望はしない」
真っ赤に泣き腫らした目で、睨み付けた。
薄笑いを浮かべている、リヒト所長を。
「本当に、そういい切れるのかな?」
思い見透かす冗談ぽい表情で、深々と壁に刺さっている短剣を、二本指でつまんだだけの軽い持ち方で楽々と引き抜くと、いやらしい流し目をアサキへと向けた。
アサキは、どっしり地に立ったまま、また、口を開く。
「素敵な思い出を、たっぷりもらった。みんなが必死に頑張ってきた。そんな思い出の生まれた、世界を守るためなら、絶望なんて……するはずがない!」
少し言葉がまとまらなかったけど、でもこれが、迷うことのないアサキの本心だった。
リヒト所長には、どうでもいいことのようだが。
「きみはまた、ここへくるよ。自分を知るために。真の絶望をするために」
ふん、と鼻で笑うと、そういったのである。
「もう知っています。思い出しましたから。わたしが幼い頃、この施設で実験台にされていたこと」
応芽に教えられ、そこから雪崩式に記憶が戻ったのだ。
「そうか」
それも予期の範囲ということか、特に驚くこともなく、唇を僅か釣り上げた。
「もっと、思い出したら、または、もっと、思い出したくなったら、また、ここへきなさい」
「なにをされていたとか、そんなことまで思い出せなくていいです。……それよりも、ウメ……慶賀さんの、葬儀は行われるんですよね」
「そうだね。謀反のような事を、起こした者ではあるけれ……」
「あなたがそう仕向けたんでしょう!」
「知って乗ったは彼女の方だ。でも当然、葬儀は行うよ。殉職したリヒトの魔法使いとしてね」
「分かりました」
アサキは小さく頷いた。
気持ちのいいものではない。
だけど、仕方がない。
メンシュヴェルトやリヒト、ギルドメンバーが不慮の死を遂げた場合、肉体の損傷度合いによっては、死亡届を出して通常の葬儀を執り行えることもある。
だが、あまりに奇怪な死であったり、異空での死であった場合には、行方不明で片付けられることになる。
今回は、肉体の消滅であるため、後者に位置づけられる。
つまり、社会に隠れてということにはなるが、彼女の葬儀を行えるのは、リヒトだけなのである。
この所長は大嫌いだけど、でもここで働く者がみな悪者というわけではないだろう。
応芽と仲のよかった者だっているだろう。
だから、葬儀はしっかりとやっておくべきだと思ったのだ。
「日取りが決まったら、教えて下さい」
「約束しよう」
だからといって、感謝する気もない。
吐き捨てるように、冷ややかな表情で、小さく頭を下げた。
応芽のためにも強くあらねば、と思うからこその、アサキのその淡々とした態度であったが、でもそれもさして続かなかった。
「令堂さん! 昭刃さん!」
須黒美里先生が、息せき切って、走ってきた。
「これは、どういうこと……み、慶賀さんは……」
「先生っ! ウメちゃんが、ウメちゃんが……」
「ちょ、令堂さん?」
アサキは、須黒先生へと抱きつき、強く抱きしめると、また泣き始めたのである。
もう涙の枯れるまで泣いたと思っていたのに。
身体のどこに貯まっていたのか。
まるで、世界中の雨雲を集めたかのよう。
アサキの、涙。
心の中に降る雨は。
キラキラと輝く、親友を思う宝石の輝きは。
いつまでも、やむことを知らなかった。
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