魔法使い×あさき☆彡
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第十三章 思い出したくない!
1
炎のごとき輝きを放つ、鮮やかな赤に、慶賀応芽は全身を包まれている。
纏うのは、真紅の魔道着。
令堂和咲のために特別開発されたクラフトを、奪い取ったものである。
右手には剣の柄を握り、その切っ先を軽く床に付けている。
向き合っているのは、本来その魔道着を着るべきだったアサキである。
中学の制服姿だ。
奪われたため、ではない。
もともと真紅の魔道着には興味ない。
着慣れた魔道着へと変身しようとしたところ、応芽にクラフトを破壊されたのである。
アサキは、困惑していた。
応芽がなにを考えているのか、まったく理解が出来ないのだ。
どうして、なんのために、こんなことをするのか。
いつもは、髪の毛を横に流して、おでこを出している応芽であるが、現在だらりと前髪が下がっており、目が隠れてよく見えない。
きっと、おかしみを必死にこらえている、そんな目をしているのだろう。
何故ならば、口元に、まさにそんな感じの笑みが浮かんでいるからだ。
おそらく感情を隠すための、しらじらしい笑みが。
応芽は、ゆっくりと口を開き、ぼそり、言葉を発した。
「殺しはせえへんよ。でもまあ、手足を全部ぶったぎられるくらいは、覚悟しといてな」
あえてであろうか、その爽やかな口調は。
強く歪めた、口元は。
「ウメちゃん……」
対峙しながら、アサキは、震えた声を出した。
自分に危害を加えてこようとしていることを、恐怖したわけではない。
むしろ、応芽のその狂気が、応芽自身の内面へと向かうことが、恐怖であり、また、寂しくて、悲しくて、その気持ちが声の震えとなっていたのである。
応芽は、アサキの気持ちに気付いていないのか、それとも知って満足を深めたか、そのまま言葉を続ける。
「でもな、安心してええよ。腕の一本や二本なんて、ほら、ヴァイスタになれば、すぐ生えるやろからなあ。そいで、役割を果たしてもろた後は、ご褒美に、苦しませずすぐ楽にしてやるわ」
おかしそうに、ふふっと笑い声を出した。
「昇天したら、そのまま大鳥の待っとるとこにでも飛んでいけばええ。大鳥も喜ぶやろ。まあ、そんな世界が、もしもあればやけどな」
「ふざけて正香ちゃんの話をするのはやめて!」
アサキは、声を裏返らせ、怒鳴っていた。
怒っていた。
だが……
きっと演技だ。
本当のウメちゃんは、優しいんだ。
こんなこと、いうはずがない。
と、そう信じているからだろうか。
すぐに力のない表情になり、俯きがちに視線を落とすと、表情と同様に力のない声で言葉を続ける。
「正香ちゃんのことも救いたい、って、ウメちゃん、そういっていたくせに……」
「せやから、状況が変わったからゆうとるやろ。なんべんもいわすなや。脳味噌がアホなんか」
応芽は、ふふんと鼻で笑った。
「なにが……なにが、どう変わったというの?」
アサキは、ぼそり小さな声で尋ねる。
なにがどうであろうとも、正香ちゃんの尊厳を傷付けていいことにはならないけど。
でも、抱えていることがあるのなら、それを知りたい。
もちろん、ウメちゃんだって、本心からそんなことをいったわけじゃない。そんなことは分かっている。
いえないというのなら、なんでもいいから、こうして言葉を引っ張り出すしかない。
「あたしはもともとな、お前らの誰かを超ヴァイスタにしてやるつもりで、潜り込むため転校の話を受けたんや。妹を救うためにな」
「え……」
驚きつつも、あまりショックではなかった。
ここでこうして向き合っているうち、無意識に色々なことを想定していたのだろう。
聞きたくなかった言葉であることには、違いはなかったが。
「でもな……誰も死なせることなく、雲音のことも助けてやる、方法を見つけてやる、と、そう思うようにもなっていった。お前らとバカなことしとるうちに、仲間として、かけがえのないものになっていたからな。って、これは前に話したはずやな」
「聞いた」
アサキは小さく頷いた。
超ヴァイスタ云々は初耳だけど、「お前らがどうなろうとも、かなえたい夢がある」とは聞かされていたことだ。
「そのために、メンシュヴェルトの情報も得ようとしたって」
「せやな。それは祥子に邪魔されて、失敗したんやけどな」
嘉嶋祥子、リヒトの魔法使いである。
銀黒の髪、銀黒魔道着の、少女だ。
「でも何故なんかな、理由は分からへんのやけど、その後あっさりと樋口のおっちゃんが見せてくれたんや。祥子を人払いして、あたしにだけな。なにを知ったか、知りたいか?」
数秒の後、アサキは頷いた。
正直、あまり興味はない。メンシュヴェルトやリヒトの極秘情報など。
でも、自分と応芽とのやりとりは、ここで自分が頷かないと進まないと思ったから。
「臨床結果からの魔法係数、ヴァイスタやザーヴェラーが出現する時の、結界に対する波動曲線。その他の研究データ、そこからくる考察などの記録。……あたしも幹部の娘で、小学生の頃から組織におったから、それを理解する最低限度の知識はあった。そして知ったんや。やはり、新世界に行くしか雲音を助けられない。超ヴァイスタを作るしか、そこへ行く術はないと」
「そんな話、信じられないよ」
自分から知りたいといっておいて、否定した。
係数云々が分からないのは当然だが、どうであれその、導き出された結論が理解出来るものではない。
そもそも、新しい世界や超ヴァイスタなどという、見たことのないものどころか、既に何度も戦っている通常のヴァイスタのことすらも、いまだ現実感をもって受け入れられていないところがあるくらいなのだから。
親友を一人、いや二人、失っているのにも関わらず。
だからこそなのかも知れないが。
「否定すんのは勝手や。けど、ほんならその根拠を……」
真紅の魔道着が、本来の持ち主であるアサキへと、一歩踏み出し近付いた。
「出してみ!」
語気を強めながら、応芽はさらに一歩踏み込み、同時に、握る剣をぶんと真横へ振るっていた。
反射的に身をよじりながら、半歩退いたアサキの、制服の胸元を、切っ先がかすめた。
そのままの流れで、返す剣を振りかぶった応芽は、瞬時に柄を両手に持ち変えて、スイカ割りの要領で叩き下ろしていた。
先ほどの発言通り、アサキの腕を一刀両断にして不思議のない、鋼も砕けよといわんばかりの、躊躇のない激しい振りであった。
受け止めていた。
アサキは、その攻撃を。
丸腰、クラフトを破壊されて、魔道着も武器も呼び出せない、いわば生身の状態であるというのに。
アサキの両手に、なにか輝く物体が握られている。
いや、物体ではなく、光の粒子であった。
黄金色に輝く、光の剣。
なかば無意識にも似た咄嗟の判断で、非詠唱魔法でエネルギー体の剣を作り出して、応芽の攻撃を受け止めたのである。
「根拠なんか、ないよ」
アサキは、じりじりと押し返す。
応芽の剣を、輝きを濃縮させた、光の剣で。
「否定が、出来なきゃあ、ウメちゃんを救っちゃいけないの?」
「なにをわけの分からへんことを! 寝ぼけとるんか!」
救うという言葉に、見下されたと感じたのか、応芽は険しい表情で怒鳴りながら、剣を再び打ち下ろした。
アサキは、両手にしっかり握った光の剣を、斜め下からすくい上げて、応芽の攻撃を弾くと、とっと小さく跳躍して、後ろへと距離を取った。
眩い輝きを放っていた光の剣の、その輝きが鈍くなって、手の中から消滅したかと思うと、がくり、アサキは肩を落とし、よろめいた。
片足を前に出して自身を支えると、顔を上げて、きっと睨む視線を応芽へと向けた。
「武器がないから代用品ってわけか? 発想にちょっとだけ驚いたけど、たいしたもんでもないし、いまので大きく魔力を消耗したようやな」
はあはあ肩を上下させているアサキを見ながら、応芽は楽しげな笑みを浮かべた。
そう、応芽のいうとおり、魔法で作った光の剣など単なる代用品だ。
生産と維持に魔力を消費してしまう。
通常の武器を魔力強化させた方が、よほど効率的。だから魔法使いたちはみな、物理的な武器を持ち、それに魔力を込めて戦うのだ。
クラフトが壊されて、魔道着のみならず武器も呼び出せない状況であり、是非もないことではあるが。
「でもまあ褒めてやるで、令堂和咲。クラフトなしで、よくそこまで魔力を制御出来とる。ほなこっちも、遠慮なくいくでえ!」
喜悦に満ちた声と共に、応芽が剣を構えてアサキへと飛び込んだ。
応芽の、猛攻が始まった。
2
振り上げ、振り下ろし、払い、突き、薙ぎ、叩く。
剣の切っ先が残像を作り、何本にも見える。
中学校の制服姿、つまりは生身の身体で、ましてや素手で、このような攻撃を避け続けられるはずもない。だからアサキは、魔力消耗のことなどなりふり構わず、また光の剣を作り出して、必死にその攻撃を受け続けていた。
生身の身体で、ここまで持ちこたえることが出来ているのは、潜在魔力もさることなれど、最近ずっと剣道の特訓に打ち込んでいた、その賜物であろう。
すっかり疲労しているくせに尽きぬ魔力、驚異的な粘りに、応芽は段々とイライラが蓄積されているようで、剣を振るい続けながら苦々しげに舌打ちをした。
応芽がイラつこうが、舌打ちしようが、誰がどう見ても劣勢なのはアサキの方であるが。
手にしている光の剣は、見た目は華やかだが所詮は代替品であり、形状維持にすら魔力を消耗してしまう。
であるというのに、加えて、クラフトや魔道着がないため、体内の魔力伝導効率は悪い。
さらには、魔道着はすなわち魔術処理を施された防具であり、それを着ていない。魔術処理された武器による攻撃など、かすめられただけでも致命的だ。
対して応芽は、初めてでまだ慣れていないとはいえ、強力な魔道着を着ている。
大人と子供である。
アサキは完全に、防戦一方に追い込まれていた。
それが膠着状態にあるのは、ただアサキの必死さにあり、応芽が手を抜いているわけでは、決してないのだろう。
本人がいっていた通り、殺すつもりまではないのかも知れない。
だけど、四肢を切り落とすに躊躇いのないくらいには、いや、殺すつもりはなくとも死んだら死んだで構わない、という程度には、応芽は本気なのだろう。その表情から、打ち込む力加減から。
そんな攻撃をアサキは、ほぼ生身で、受け続けているのである。当然、いつまでも耐えられるものではなかった。
「うあ!」
鋭い悲鳴。
制服が裂けて、右の二の腕から、鮮血が上がっていた。
受け損ない、かわし損ない、剣の切っ先にごそっと肉をえぐられたのである。
激痛に顔を歪めながらもアサキは、バックステップで距離を取った。
魔法による応急処置のため、手のひらを傷口へと当てた。
だがそこへ、応芽が一気に詰める。
「治療なんかさせへんよ!」
ぶん、とアサキの頭上で風が唸る。
素早く身を屈めたすぐ上の空間を、応芽の剣が水平に通過した。
遠心力で自身が引っ張られてもおかしくない、大振りな攻撃であったにもかかわらず、その刹那には、戻された切っ先が、アサキの顔へと突き出されていた。
アサキは、横へ跳んで、ごろり転がりかわしていた。
油断しなかったからというよりは、単なる無意識、本能と反射で。
転がる勢いで立ち上がろうとするが、その瞬間を狙って、刃がさあっと空気を切り裂き落ちてくる。
また瞬間的に、輝きを集積、光の剣を作り出し、受け流しながら、今度こそ立ち上がった。
二人は剣を打ち合わせると、そのまま鍔迫り合いもつれ込んだ。
「ウメちゃんが、こんなに、剣が使えるなんて、思わなかった……」
アサキは、苦痛に顔を歪め、肩で大きく呼吸をしながら、荒い息にかすれた声で言葉を乗せた。
「リヒトのチームでは、後方支援で槍を使うとったが、練習では剣は基本やからな。……あたしが令堂に負けとるのは、潜在魔力だけやで。槍でも剣でも、体術でも負けへんよ」
「だけ、ではないでしょう。この世界を救いたい、ヴァイスタからみんなを守りたい、そういった気持ちの量で、わたしに勝ってみせてよ」
「わけの分からへんことを」
「……この世界を、なくそうとしなくても……新しい世界へ行かなくても、雲音ちゃんを助けられる方法は、あるんじゃないの?」
「ない」
応芽は即答した。
「いや、この世界がなくなるかは分からへんけど、新しい世界へ行かなければ、砕けた雲音の魂は救えない」
「魂が、砕けた?」
寝たきりであることは知っていたが、そのような話であったとは。
そうか……
だからウメちゃんは、神の力を手に入れたかったのか。
新しい世界へ、行きたかったのか。
でも、
でも……
だからって……
「新しい世界に行く方法はな、リヒトが散々に調べとるんや。あたしみたいな特使は、情報をある程度は詳しく教えられるから、ある程度は知っとった。天三中の校長室で、データを見よう考えたのは、ただ念押しをしたかっただけでな。そのデータを見たことで……」
応芽は言葉を切ると、顔を険しく変化させ、ぎりぎりと歯を軋らせながら、言葉を続けた。
「思いは、確信に変わった。やはり導き手がおらんと、滅ぶ。絶対世界へは、行かれへん。……超ヴァイスタを作り上げるしか、雲音を助ける方法が、ないんや!」
応芽は声を荒らげながら、剣を振り上げ、打ち下ろした。
まるで取り憑かれたように、何度も、何度も。
変身も出来ず生身で耐えている、赤毛の少女へと。
赤毛の少女、アサキは、ざっくり深く切られた腕の治療も出来ないまま、光の剣を握り締めて、応芽の狂気を受け続けた。
受ける度に、辛さが伝わってくる。
受ける度に、必死さが、泣きたい気持ちが、伝わってくる。
それほどまでに、助けたいんだ。
妹さん、雲音ちゃんのことを。
でも、
でも……それをいうならわたしだって、ここで負けるわけにはいかない。
そうだ。
ウメちゃんの、この悲しい気持ちを救うためにも。
いつかみんなで、笑うためにも。
絶対に……
「負けられないんだ!」
光の剣で、応芽の攻撃を跳ね上げていた。
「負けとるやろ!」
荒々しく言葉を被せながら、応芽は、アサキの持つ光の剣へ、自分の剣を叩き付けて、叩き落とそうとする。
そうなること、アサキは狙っていた。
剣を引いて攻撃を流しつつ、くるり身体を一回転。
ふんわりいなされて、応芽はバランスを崩し、がくりよろける。
と、その応芽の腹へと、アサキは、さっと突き出した左の手のひら当てた。
その小さな手が、カッと青白い輝きを放ったかに見えたその瞬間には、真紅の魔道着を着た応芽の身体は、体重などなきがごとく、後ろへと飛ばされていた。
完全に不意を突かれた応芽は、衝撃に身体が動かす、受け身を取ることすら出来ずに、背中と頭を壁へと強打した。
壁が砕けて、身体の半分がめり込んでいた。
ずるり、壁から剥がれた真紅の魔道着、応芽の身体が落ちる。
着地をすると同時に、ふらふらっとよろめいたが、すぐに正面を見据えて、姿勢を正す。
打撃を受けたお腹へと、ゆっくりと自分の手を持って行き、軽くさすった。
さすりながら、アサキへと視線を向けると、なんとも楽しげな笑みを浮かべた。
「驚いたわ。まさか、魔道着もなしにここまでやれるとは。……こんな嬉しいことないで、こんな嬉しいことは」
歩を踏み、ゆっくりとアサキへと近寄る応芽。
顔に浮かんだ、その楽しげな笑みが、
「つまりは、超ヴァイスタの器やと、証明しとるわけやからなあ」
さらに濃いものになっていた。
「わたしは、そんなのじゃない」
一瞬にしてその言葉を、その笑みを、アサキは突っぱねた。
そうだ。
ただ、必死なだけだ。
魔道着なしで頑張れるのは。
それ以上でも以下でもない。
ただ、みんなを助けたいだけなんだ。
みんなで、笑っていたいだけなんだ。
だから……
3
おかしみを多分に含んだ顔で、慶賀応芽は、ふん、とため息に似た小さな息を吐いた。
「ネタバラシするとなあ、この魔道着を着とうなったんは、ことのついでや。仕上がっとるらしいっ、て聞いて、そっちの件も面白そうやな、ってな」
「え?」
アサキの口が、微かに開く。
それは、どういうこと……
ついで、って、その魔道着を手に入れる以外に、なにが……
超ヴァイスタを作る、ということと、関係あること?
「あたしが、こないな辛気臭いとこへきた目的はただ一つ。今日ここにくるはずやと聞いた、令堂和咲と会う。ただ、それだけや」
「わたしと……」
どうして?
何故、わたしなんかと。
わたしと会うため?
それとも、ここでわたしと会うため?
この場所には、なにかが、あるの?
だって、わたしに用があるだけなら、いつも我孫子にいるんだから。
考え込んでいるアサキの顔を見て、満足げな笑みを浮かべながら、応芽は問う。
「あのな、令堂。覚えてへんか? この建物、この研究所を」
「え……」
なんだ、その、質問は。
覚えているもなにもないだろう。自分は幼い頃から、各地を転々としており、関東などは茨城北部しか知らなかったのだから。
初めて住むことになった首都圏近郊が、現在住んでいる千葉県我孫子市であるが、そこから東京へ行くなど今日が初めてだ。
引っ越しや修学旅行で通過した以外で、東京都の地を踏んだことも。
つまり、このような場所への記憶など、あるはずがない。
そのようなこと、知ってか知らずか、応芽は構わず言葉を続ける。
「そもそも、疑問に思わへんかったの? リヒト所長である至垂が、何故ああまで令堂をここへ連れてきたかったのか」
「それは……」
確かに、疑問に思ったことはある。
考えて分かるはずもないから、深く考えないようにしていたけれど。
リヒトとメンシュヴェルト、競い合う関係であれ目的は同じ、そんな正義感や美学からの行動と思うようにしていた。
カズミちゃんは最初から、至垂所長のことを胡散臭いと疑っていて、だからここへ一緒に付いてきたわけだけど。
わたしは、あまり人を疑いたくもないし、だからなんにも考えていなかった。
後ろめたさを人に押し付けてしまうわけで、ずるい立場かも知れないけど。
「あたしは、リヒトを裏切る格好になってしもたけど、これに関しては目的一緒やからな。……今のこの騒動に、誰も駆け付けへんちゅうことは、きっとどっかで見とるんやろな。……ま、分かってこっちも泳がされとるんや」
「なにを、いっているの、ウメちゃん……」
「生体実験室やったら、地下にあるで」
「だ、だからっ、なにをいっているのか分からないよ。さっきから、思わせぶりなことばかりいって」
……でも、はぐらかすいい方でからかってはいるけど、いおうとしていることは同じなのか。
この場所に記憶がないかを、わたしに尋ねているということは。
だったら……
アサキは、そっと目を閉じていた。
いまのいままで剣をぶつけ合っていた応芽が、すぐ目の前で、まだ剣を握っているというのに、まるで気にすることなく目を閉じていた。
目を閉じ、そして、
非詠唱、脳内で呪文を唱えた。
4
この研究所の、造りのすべて、眺めのすべてが、意識の中に入っていた。
意識が完全に、無機物の集合体であるはずのこの建物と、同調していた。
先ほども、応芽を探すために、この魔法を唱えている。二度目であるため、慣れもあって、より深くまで同調していた。
意識という視界、そのピントを、応芽のいっていた通りに、ここの地下室へと合わせた。
合わせたその瞬間、ひっ、とアサキは鋭く息を飲んでいた。
心の中で飲んだ息なのか、本当に喉で飲んだものなのか、自分でも分からなかったが。
白衣を着た、男女研究員たちの姿。
大小、床から生え突き出ている、巨大な試験管内の液体に、臓器や、脳、それ以外にも、得体の知れない生々しい物体が、浮かんでいる。
脳には、四方八方から伸びる無数のコードが、直接当てられている。
そこは、というべきか、ここは、というべきか、確かに応芽のいっていた通り、生体実験室みたいだ。
隣の部屋へと意識のピントを移動させると、今度は、研究員と、何名かの子供たちの姿がはっきり見える。
子供たちは、みな一様に、センサー類を頭に取り付けられており、げっそりやつれた、つまらなそうな表情。ぽそりぽそり呪文を唱えていたり、研究員とESPカード実験などをやっている。
ああ……
意識の中で漏れる息。
アサキの、記憶の浮上は早かった。
わたし、ここにいたことがあるんだ。
この研究所に。
でも、どうして。
どうしてわたしが、ここに……
何故かは分からなかった。
が、それとは別の、また違う記憶が、ある種の連鎖ではあろうか、引き出されていた。
どどっ、と流れ込む、イメージの記憶。
だが、言葉にすると簡潔。
「本当の両親に虐待されていた、という記憶」、それは、まったくの出鱈目であった、ということである。
思い込みであったのか、なんなのか。
真実は、この地下部屋で日々人体実験をされていたという、苦痛の記憶であった。
記憶の浮上が連鎖して、さらに思い出していた。
そうだ……
わたしは……自分で自分に、魔法をかけたんだ。
苦痛から逃れるために。
日中はずっとここで、肉体と精神をいじめられて、夜は狭く暗い部屋で一人きり。
そんな日々が永劫に続くんじゃないかと考えた自分は、狂いそうなほどの辛さ怖さから逃れるために、魔法で、自分の記憶を操作したんだ。
でも、それじゃあ、わたしの本当の親は、誰なの?
実は、修一くんと直美さんが本当の……
いや、年齢が合わないし、
それに、だとしたらどうして直美さんたちも、わたしが本当の親に虐待されていたなんていっていた?
分からない。
なにがなんなのか。
まだ戻ってない記憶があるの?
でも、こんな辛いこと思い出したくないよ……
知りたくなんかない!
5
視界が戻っていた。
意識視点から、自分の瞳が捉えている物理的視点へと。
すぐ目の前には、慶賀応芽が立っている。先ほどまでと変わらぬ、真紅の魔道着を着て、右手には洋剣を下げて。
「おったやろ? 自分。ここに」
応芽の言葉に、アサキは頷いた。
「わけが分からないよ。……なにがなんなのか」
泣き出しそうな、困り果てた、アサキの顔。
「なんや、自分が何者かまではよう思い出されへんかったんか? 残念。……そら不安やろなあ。あたしも聞いた時は、飛び上がったわ」
「それは、どういうこと? ウメちゃんが、わたしのなにを知っているというの?」
「知りたい? 自分の過去を」
「分からないよ」
偽りない気持ちだ。
何故この場所の記憶が自分にあるのか、ここで実験などされていたのか、知りたいとも思うが、それ以上のことを聞きたくない、知りたくない、これまで通りでいたいんだ、そう思う自分も間違いなく存在している。
ここまでことが進行し、ここまでのことを思い出してしまった以上、これまで通りでいたいと思うことは、もう不可能なのかも知れないが。
「まあ、ショックで自殺なんかされたら超ヴァイスタになれへんからなあ。覚悟が出来たんなら、いつでも聞いてな。……ほな、とりあえずは、さっきの続きをしよか。こっちも覚悟が出来たんなら、いつでも再開しよかあ」
応芽は、いやらしい笑みを浮かべると、右腕を上げ、剣の切っ先をアサキの顔へと向けた。
と、その瞬間であった。
どおん、と爆音が上がったのは。
上がった爆音の中から、
「覚悟すんのは、てめえの方だあああああああああああ!」
怒号。
絶叫。
青い魔道着を着た、昭刃和美が、分厚く閉ざされた扉を突き破り、吹き飛ばしながら、室内へと飛び込んで、その勢いのまま、応芽の顔面を右手で殴り付けていた。
6
さすがに不意を突かれたか、無防備な状態で、カズミの鉄拳を顔面に受けた、真紅の魔道着姿の慶賀応芽は、吹き飛ばされて壁に身体を打ち付けた。
足をよろけさせ、壁を背で擦りながら、床へと倒れた。
「デタラメ抜かして、アサキのバカな頭を、混乱させようとしてんじゃねえぞ!」
だんっ、カズミが拳を強く握りながら、激しく床を踏み付けると、配線のため薄いタイル状の床板が、べぎりと割れ砕けてしまった。
壁に吹き飛ばされた応芽は、ゆっくり立ち上がると、なにごともない表情で自分の頬をさすりながら、カズミを一瞥した。
「なんや、雑魚か」
薄い笑みを浮かべた。
「てめえごときに雑魚呼ばわりされる筋合いは、ねえんだよ! ……やっぱり裏切り者だったな。つうか、自分の組織までも敵に回して、なにを考えてやがんだ」
「わたしをね、超ヴァイスタにして、新しい世界に行く……って」
アサキが、腕を押さえて、剣で切られた痛みに顔を歪めながら説明をした。
「はあ? なんだそりゃあ。くっだらねえ!」
カズミは、再び踵で床を踏み抜くと、小さな声で呪文の詠唱を始める。
頭上から二本のナイフが落ちて、左右それぞれの手の中に収まった。
ぎゅ、と柄を握り締め、前方に立つ応芽を睨み付けると、ちらり後ろへと視線をそらし、怒った顔のまま口を歪める。
「アサキ、てめえも勝手なことしてんじゃねえぞ。須黒先生が気付いたからよかったものの」
「ごめん。誰にも迷惑を掛けたくなかったから」
アサキは本心から謝った。
迷惑を掛けたくなかったのは本当だが、確かに、だからといって勝手な行動をしてよいものではない。
「みずくせえんだよお前は。あとでぶん殴ってやるから、その怪我しっかり治療しとけ」
カズミは、前へと向き直る。
向き直ったその視界に入ったのは、応芽のいやらしい笑みであった。
「あとで、がもしもあったならな」
かちゃり、かちゃり、
剣の切っ先を杖にして床を突きながら、慶賀応芽が、ゆっくりとカズミへと近寄っていく。
カズミは、お手玉の要領で左右のナイフを交差させ、持ち換えると、
「あとがないのは、お前だよ。この関西女」
応芽を睨みながら、唇の両端を釣り上げた。
戦いは予告もなく、どちらからということなく、まるで示し合わせていたかのように、始まった。
二人、それぞれが相手へと飛び込みながら、己の手にする得物を相手へと振るい、叩き付けたのである。
ナイフと剣、金属と金属がぶつかり合い、軋る音、火花は爆ぜる。
後ろへと距離を取った瞬間には、二人、もう距離を詰めて打ち付け合っていた。
唸り、斜め上へと疾る剣を、身を低くして紙一枚布一枚のぎりぎりでかわしたカズミは、その瞬間に応芽の懐へと飛び込んで、左手のナイフを内から外へと払って、胸を、真紅の魔道着を切り裂いていた。
いや、裂けては、いなかった。攻撃は確実に当たっていたが、かちんと音がするのみで跳ね返されていた。
「きかへんわボケ!」
どおん、と建物を震わす低い爆音。
応芽の左の拳が、カズミの顔面を捉え、文字通り爆撃の破壊力で吹き飛ばしたのである。
応芽には、アサキの持つ非詠唱能力はない。
通常詠唱している様子もなかった。
つまり、拳の破壊力を増す術式は施されていないはず。
それがこの結果。
この真紅の魔道着が、魔力を効率的に体内循環させているためであろう。魔法使いとしての基礎値が格段に向上し、肉体能力にまで及んでいるのだ。
ひとたまりもなく飛ばされたカズミの身体は、飛ばされたほぼその瞬間には、ぐしゃり壁へと叩き付けられていた。
魔道着の防御性能がなければ、文字通り潰れ、肉塊と化していたかも知れない。
「くそったれ! 油断した!」
頭をふらふらさせながらも、しっかり足を着き、左右のナイフを構え直そうとするカズミであるが、
「ブリッツシュラーク、ゼプテクション!」
顔を上げ、前を向いた瞬間、視界に飛び込んできたのは、
早口で呪文詠唱しながら、ぐんと迫る、応芽の姿だった。
応芽は剣を投げ捨て、今度こそは魔法強化された青白く光る拳で、カズミを殴り付けていた。
殴られ、背後の壁に再び身体を打ち付けられたカズミは、ぐうっ、と呻き声を発し、痛みと衝撃とに顔をぐしゃぐしゃに歪めた。
「しまいや!」
唸る応芽の拳が、カズミの腹部へとめり込んだ。
爆発した。
ぐぅ……
カズミの目が、襲う苦痛に見開かれていた。
そのまま崩折れ、どさり音を立てて倒れたかと思うと、着ていた青い魔道着が、ふわり空気に溶けて消えた。
変身前である、我孫子第三中学校の制服姿に戻っていた。
「畜生……」
変身が解除されたことに焦り、舌打ちしながら、再び立ち上がろうと、床に両手を置くカズミであるが、その首へと、ぶん、と唸りを上げて、斜め上から、剣の刃が振り下ろされていた。
ぴたり、
と、静止していた。
剣の切っ先が、
カズミの喉元に、
薄皮に触れる触れないというくらいの僅かな距離に、突き付けられていた。
カズミは、くっと呻き声を出すと、応芽を見上げ、睨んだ。
「殺さへんよ」
応芽の、喜悦に満ちた声が、しんとした部屋に響いた。
7
「殺さへんよ」
しんと静まり返った空間に、響くのは、応芽の楽しそうな声。
「自分、令堂ほどやないけど、おもろいヴァイスタになるかも知れへんからな。せやから、さっき令堂にも同じことゆうたんやけど、手足ぶった切るくらいで堪忍したるわ。まずは、どこからがええの?」
剣の切っ先が、カズミの喉元からすーっと、肩、腕、皮膚すれすれをかすめ移動していく。
カズミは、くっと呼気に似た呻きを発しながら、左腕のリストフォンを庇うように、右手のひらで覆い押さえた。
「そないなもん、守ってどうなるん? ひょっとして、変身すれば今度こそは勝てると思っとる? 今のあたし相手に、そんなんガラクタやで。たったいま味あわされたばかりの現実を、覚えてへんの?」
「覚えてる。だからだよ」
カズミは、可笑しみ隠すかのように、微かに唇を釣り上げると、
「アサキ、お前が使え!」
いつの間に外していたのか、自分のリストフォンを、思い切り投げた。
反対側の壁際で腕を治療していた、アサキへと向かって。
アサキは小さく頷くと、受け取ろうと前へ走り出した。
「小賢しい真似!」
応芽は、振り返ると走り出し、そして跳んだ。
落下地点へ先回りするかの一直線で、両手に構えた剣を、斜めに振り下ろした。
カズミの投げたリストフォンを、破壊するつもりであったのだろう。アサキのものを、そうしたように。
だが、コンマ数秒わずかに早くアサキが飛び込んで、空中のリストフォンを受け止めていた。
受け止めた瞬間、頭を低くして応芽の剣をかわしていた。
応芽のわきを、ダイビングで抜け、ごろごろ床を前転。立ち上がりながら、手に掴んだ物を素早く左腕に装着すると、頭上へとかざした。
「変身!」
アサキの身体が、クラフトから発せられる眩い輝きに包まれた。
逆光による、真っ黒なシルエットの中、
衣服が、綿毛が弾けるかのごとく、すべて溶け消えていた。
漂う細い銀糸が寄り集まって、布状になり、赤毛の少女の身体を覆う。
つま先から布が裂けて、ぺりぺりめくれながら黒い裏地が、太ももまで裏返ると、めくれた先端部分は、腰帯のようにしゅるり巻き付いた。
黒いスパッツ姿、という下半身の見た目形状である。
頭上に浮かんでいた巨大な塊が、弾けてバラバラになると、身体の周囲を回りながら、すね、前腕、胸へと防具として装着されていく。
続いて頭上から、袖無しコートとでも呼ぶべき形状の、硬そうな服が、ふわりと落ちてくる。
上半身をしなやかに前へと傾けながら、腕を背中側に翼のように跳ね上げる。落ちてきた服がするりするりと、まるで生き物のごとくなめらかに、袖に腕が通されていく。
前傾姿勢から戻りながら、腕を下ろしたアサキは、ゆっくりと目を開いた。
ぶん、ぶうん、と空気を焦がしそうなほどの勢いで後ろ回し蹴りを連続で放ち、魔道着を身体に馴染ませると、だんっ、と激しく地面を踏み鳴らし、拳を力強くぎゅっと握った。
「魔法使いアサキ!」
そこに立つのは、二本のナイフを持ち、青い魔道着を着た、赤毛髪の少女の姿であった。
8
なんの躊躇いも感じさせずに振り下ろされる、応芽の剣を、アサキは、手にした二本のナイフを交差させ、眼前で受け止めていた。
受け止めつつ、身体を後ろへと反らし、右足を高く上げ応芽の顎へと蹴りを放った。
応芽は、素早く身を引いて、その攻撃をかわすのだが、
しかし、引かれた分だけアサキが詰めていた。
ボクシングでいうアッパーカットのように、下からナイフを突き上げたかと思うと、続いて足を高く振り上げ、踵を応芽の肩へと落とす。
紙一重、後退してかわした応芽へと、アサキは攻撃を休めない。
片足を軸に身体を回転させ、左右のナイフで空気を切り裂きながら、真紅の魔道着へと飛び込んだ。
カズミがよく使う、ヴァイスタの身を何度となくズタボロに切り刻んできた、魔法と体術を複合させた技である。
だが、カズミがナイフを持って戦うところを、何度も見てる応芽である。真横へ跳んで、その攻撃を簡単にかわした。
アサキはすぐさま反転し、床を蹴り、着地の瞬間を狙って、ナイフで切り付けるが、応芽は舌打ちしながらも、見切り、剣で受け止めた。
「通じるか!」
唇釣り上げる応芽の、顔に訝しげな表情が浮かんだ。
アサキが不意に、軽く身を屈めながら、応芽へと背を向けたのである。
ぶん、
なにかが、唸る音。
アサキの足。
後ろ回し蹴りであった。
爆音。
床ががたがた激しく震動した。
応芽がかろうじてかわした、アサキの回し蹴りが、研究室の機材を一つ、大破したのである。
爆音の震動が収まるより前に、応芽が動く、反撃に出る。
跳躍しアサキへと迫り、脳天を目掛けて、両手に握った剣を振り下ろした。
青い魔道着、アサキは、右手のナイフでなんとか受け止めると、そのまま身体を捻って、舞踊のようにくるくる背後へと回り込み、左手に持ったナイフを、応芽の首、喉元へ押し当てた。
小型武器であることを生かした、体術といってもいいカズミ仕込みの攻撃戦法であったが、応芽には通用しなかった。肌に押し当てたつもりのナイフは、剣によって、しっかりと遮られていたのである。
ぐぐっ、と剣で隙間こじ開け、ナイフを押し返しながら、応芽は、余裕の表情を見せた。
「さっきは魔道着なしでも、ええ勝負してたもんやから、変身さえすれば楽勝と思ってたんやろ。残念やな。こっちも、この魔道着が馴染んできとるんや」
「関係、ない!」
アサキは、全身に力を込め、両手に握ったナイフで、ゆっくりと応芽の剣を、身体を、押していく。
「いま生きているみんなで、笑うんだ。そのためには、元のウメちゃんに……口は悪いけど、でもとっても優しい……正香ちゃんのために泣いていた、元の、ウメちゃんに……」
「元の元のって、やかましいなあ! あたしは、なんも変わってへんて! 都合よくキャラを作られるのも、いい加減うっとおしいわ!」
まなじり釣り上げ、応芽が怒鳴った。
その怒り、怒鳴り声を受け止めるアサキの表情は、強くもあるが、弱くもあり、そして、優しかった。
「通じ、ないよ」
そんな、嘘は。
だって、打ち合う刃を通して、伝わってくるもん。
ウメちゃんの、悲しみが。
優しさが。
伝わって、くるんだもん。
なにをどう考えているのか、そこまでは分からないけど。
でも、間違いはない。
ウメちゃんが全然変わってなんかいないことに、間違いはない。
だからというべきか、それにというべきか、ウメちゃんは、わたしを本当に絶望させようだなどとは、思っていないはずだ。絶対に。
だって、そうじゃないか。
わたしの性格をよく知る、ウメちゃんだ。
ここでわたしを倒すという、ただそれだけで、
ここでわたしが倒されるという、ただそれだけで、それでわたしの心が、絶望するはずなんかないだろう。
でも、さっきウメちゃんがいおうとしていたこと……
気に掛かる。
わたしの知らないわたしの過去を、もしもわたしが知ったならば、わたしは絶望する?
そう考えているような、ウメちゃんの口ぶりだったけれど。
なにを知っているというのだろう。
一体、なにを、ウメちゃんは……
でも……
いまは関係ない。
いや、いまでなくとも関係ない。
わたしは……
「わたしは、わたしだああああああっ!」
令堂和咲!
わたしの名だ!
それ以外の、何者でもない!
非詠唱魔法によるエンチャントで、青白く輝かせた二本のナイフを、アサキは振り上げ、応芽へと身体を踊り込ませながら、乱暴に叩き落としていた。
9
剣とナイフ、金属と金属がぶつかり合った。
ただ、それだけ。
であるというのに、閃光、低い爆音、爆発、膨れ噴き上がるエネルギーが、天井をぶち抜いて、吹き飛んで、文字通りにぽっかり巨大な穴が空いていた。
吹き抜けになった巨大な穴からは、うっすらと雲のかかった、青い空が見えている。
真紅の魔道着、慶賀応芽は、自分たちの力のぶつかり合いで突然に出現した青空を、唖然とした顔で見上げていたが、やがて、楽しげに口元を歪めた。
「面白い……魔道着の性能を試してみるか。……ウェルデフリゲンビスヅェ」
楽しげな表情のまま、ぼそり小さく呪文を唱えると、ふわりと、まるで巨人に身体を摘まれたかのように、ふわり宙に浮いていた。
「ステージを変えるで、令堂!」
大穴を抜けて舞い上がり、応芽の身体は空へ、完全に建物の外へと飛び出していた。
建物の中、室内床の上、青い魔道着を着たアサキは、小さく頷いて、
逃げない。
ウメちゃんを、元に戻すんだ。
そう胸に誓いながら、自身も呪文を唱えた。
応芽と違い、非詠唱で。
ふわり。アサキの青い魔道着も、宙に浮いていた。
応芽の後を追い、天井の巨大な穴を抜けて、外へと、青空の下へと飛び出した。
「負けんじゃねえぞアサキ!」
声にアサキが、空から建物を見下ろすと、屋上にぽっかり空いている大きな穴の下に、中学制服姿の昭刃和美が立って、こちらを見上げ、腕を振り上げている。
もちろんだよ。
アサキは、胸の中でそういいながら、小さく頷いた。
勝てるかどうか、そんなことは分からない。分かるはずがない。
だけど、負けるわけにはいかないんだ。
絶対に、負けられないんだ。
おかしくなってしまっているウメちゃんを、必ず元に戻すんだ。
真紅の魔道着と、青と白銀の魔道着、応芽と、アサキが、研究所の上空で、風にゆらゆらと身を揺らされながら向き合っている。
二人とも、過去の空中戦、つまりザーヴェラーと戦ったあの時とは、飛び方がまるで異なっている。
飛翔原理が。
あの頃は、
遥か上空へとジャンプしてからのゆっくり降下で、姿勢や位置を制御するために、飛翔魔法を使った応芽に対し、
アサキは、足元に作り出した魔法陣を蹴って、その反発で空を駆けた。
ところが現在、二人とも、水中に漂う魚のごとく自然に浮かんでいる。
応芽は、強力な魔道着によって魔法力制御効率が格段に向上した結果であり、
アサキは、自身の魔法力が格段に成長したためである。
「聞きたいことがあるんだ。ウメちゃんが転校してくるちょっと前に、異空に、ファームアッパーが落ちていたことがあったんだ。あれ、ウメちゃんが置いたんだよね」
上空に、そよそよと吹く風。
アサキが、風に質問の言葉を乗せた。
応芽は、その風にただ揺られているだけだ。
すっかり伸びた前髪を、さわさわとなびかせているだけだ。
アサキは、構わず続ける。
「魔法で、わたしが、ヴァイスタから逃げられるようにもしてくれた」
まだ新米中の新米だった頃、アサキは一人、複数のヴァイスタに囲まれて、絶体絶命のピンチに陥ったことがあった。
逃げる先にファームアッパーが落ちており、それを使い魔道着をパワーアップさせ、また、飛んできた巨大な光の球にも助けられて、難を逃れることが出来た。
その時のことを、いっているのである。
風に揺られている応芽であるが、しばらくして、
「……見てられへんかったからな。お前らが、あまりにも弱すぎて」
ようやく、苦笑しながらも言葉を発した。
「ウメちゃん……」
「勘違いすんな。超ヴァイスタになってもらうためにも、強くなってほしかっただけや」
「でも、でも、それから考えが変わったっていってた。誰にも迷惑をかけずに夢をかなえる方法を、探すんだって……」
「昭刃がガタガタうるさかったから、そういっといただけや!」
怒鳴っていた。
「あいつ、単純なようで疑り深いんか、通じへんかったけどな。……それだけやないで。何度もゆうとる通り、色々と状況も変わった」
「変わっていないものもある!」
「噛み合わへん奴と、議論にもならんくだらん雑談を続けるつもりはないで」
「ウメちゃん!」
「馴れ馴れしく呼ぶな、令堂和咲! ……あたしは、雲音を必ず、必ず、助けるんや! そのためには、お前の命も、あたしの命も……どうでもええ」
「どうでもいい命なんて」
「黙れ!」
応芽の叫びが、風を突き破った。
突き破り飛び出した応芽は、怒声とともに、アサキの身体へと、自分の身体ごと、両手に握った剣を剣を力いっぱいに叩き付けていた。
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