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魔法使い×あさき☆彡

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第十二章 真紅の魔道着


     1
 剣と剣がぶつかり合う、鈍く激しい音が響いている。

 二人の魔法使い(マギマイスター)が、戦っている。
 水色を基調とした魔道着と、赤を基調とした魔道着の、二人が。

 お互い、とんと後ろへ跳ねて距離を取るが、次の瞬間には床を蹴って、また身体を密着させ、剣をぶつけ合っていた。

 赤い魔道着を着た、赤毛髪の、幼い顔立ちをした少女、(りよう)(どう)()(さき)である。
 体験訓練、かつ戦力データを取るために、リヒトの魔法使いと試合をしているところだ。

 膠着状態にも見えるこの戦いであるが、実は既に、勝負はついていた。

 飛び掛かろうとする水色の魔法使いが、なにやら異変を感じて、顔を煙らせた瞬間、その喉元にアサキの剣の切っ先が、ぴたりと当てられていた。

 非詠唱魔法を使って、練り上げた気を空間のいたるところに固定させたアサキは、仕掛けたポイントの一つに相手が踏み入って、わずか動きが悪くなったところを、迷いなく詰め寄り、難なく仕留めたのだ。

「参りました」

 水色の魔法使いは、苦笑を浮かべつつ剣を下げ、次いで頭を下げた。

「おっしゃ、二戦二勝!」

 試合を壁際で見ていた青い魔道着の魔法使い、(あき)()(かず)()が、嬉しそうに右腕を突き上げた。
 先にカズミが、別の魔法使いと戦っており、勝利しているのだ。

「わたしはただ、運がよかっただけだよ」

 どこまでも謙遜するアサキであるが、カズミが勝利のハイタッチを求めたため、仕方なく照れながら応じた。

「お疲れ様でした。それじゃあ、外しますね」

 下にはジーンズなど、ラフに白衣を着こなしている眼鏡の男性が、二人、アサキの前と後ろに立って、身体に取り付けてある小型の計測器を、慣れた手付きで外していく。

「本当に、手も足も出ませんでした」

 水色の魔法使いが、また頭を下げつつ手を出して、アサキへと握手を求めてきた。

 恥ずかしく照れくさかったが、このような態度を取られて無下にも出来ず、アサキも手を伸ばして応じた。

「こちらこそ、よい経験になりました」
「さすが、ザーヴェラーを一人で倒しただけあって、とても強かったです」

 彼女はそういうと微笑んだ。

「いや、それは、そんな……」

 初めて会った人に褒められて、返答に困ってしまう。

 しかし、ザーヴェラーを倒したとか、ここでも出るのか、その話。
 やめて欲しい。
 あれは本当に、ただ運がよかっただけなのだから。

 あの時から自分も、少しくらいは成長しているだろうけど。
 でも、元々が酷かっただけで。
 それまでのみんなの頑張りと、運とで、なんとか倒せただけなんだから。

「昭刃さん、令堂さん、さっきのデータなんですけど、ちょっと見てみます?」

 白衣の男性に掛けられた言葉に、

「見たい!」

 カズミが、ぐっと身を乗り出した。

「分かりました」

 と、男性がパネルを操作すると、壁面に備え付けられている大型モニターの映像が、切り替わった。
 赤、青、緑の円グラフや棒グラフ、表枠にはびっしりと詰まった数値が表示された。

「和美って書いてあっから、これがあたしか。で、こっからなにが分かんの?」
「まず、昭刃さんは典型的なパワー型であることが分かります。成長曲線がじわじわとしか上がっていないのは、元々能力が高く、最初からかなり完成に近かったからですね」
「ふーん。嬉しいような残念なような、だな。……えっ、さっき戦ったデータだけで、どうして成長が分かんの? つうか、日付んところ、去年のまで書かれてるんだけど」

 確かに画面を見れば、一ヶ月ごと去年の分までの数値が、細かく表示されている。

「今回試した測定システムは、より細分化した計測が可能な試作型というだけであって、もともと、かなり以前から、魔道着には様々な値を、サーバーにフィードバックする機能が、搭載されているんですよ。そうして集めたデータを参考に、魔道着や武器のソフトやハードを開発するんです」
「知らなかった。……で、こいつのは?」

 ぽん、と赤毛少女の肩を叩く。
 ぴん、ともう一方の手で赤毛のアホ毛を摘んで、引っ張り上げた。

「はい。令堂さんの測定値は、これです」
「うおっ」

 画面が切り替わったその瞬間に、カズミはもう、驚いて大きな呻き声を上げていた。

 魔法使いとして活動を開始した、半年前からの値が表示されているのだが、折れ線グラフや棒グラフがうなぎ上り、いや鯉の滝登りといった凄まじい上昇を見せているのだ。

「気持ち悪いな、お前。すぐ泣くくせしやがって」

 カズミは、ちょっと引いたような、じとーっとした視線でアサキを見つめている。

「多分、なったばかりだから伸び率が高いだけじゃないかな。最初が酷すぎたというだけで」

 謙遜しながらも、ちょっと憮然とした表情のアサキである。
 せっかくの努力の証を、気持ち悪いなどと一刀両断されたら、そうもなるだろう。

「えーっ! なんだよお、パワー以外は、ちょこちょことあたしを抜かしてんじゃんか。はあああ、ムカつくなあ。すぐ泣くくせに」
「いちいち、すぐ泣くっていわないでよ! ……実戦の場なら、カズミちゃんの方がずっと強いよ。わたし、まだまだ経験もないし」
「まあ確かに、いざ戦いになりゃあ絶対に負けねえけどな」

 ふふんと笑うカズミ。

「わたしだって負けないように頑張るもん」
「じゃあ負けたら犬のウンコ食えよな」
「えー、な、なんでそうなるの! じゃ、じゃあ、じゃあ、わたしが勝ったら、カズミちゃんが食べてよね」
「ということは、その勝負受けるってこと?」
「受けないよ!」

 二人がなんだか久し振りに、このようなくだらない会話をしていると、不意に透明ドアがしゅいと音を立てて開き、部屋の中に()(ぐろ)()(さと)先生が入ってきた。

「お待たせ。入館手続きはすぐ終わったんだけど、久々だから挨拶周りに時間が掛かっちゃって。……あれ、吉岡さん、この画面、なんか最新装置での計測結果のようですけど、見せて頂いて問題ないんですか?」
「ああ、構いませんよ。どうせ来年のうちには完備されるものですし。それにフィードバックシステムは、メンシュヴェルトさんが六割開発して九割メンテしてるものですから。我々の方が、肩を小さくして、ここで管理運用のノウハウを、学ばせて頂いているくらいで」
「そうなんですね。それにしても……」

 須黒先生は、眼鏡のフレームをつまみながら、まじまじと画面を見ていたが、アサキの方を向くと真顔でぼそり、

「令堂さん、なんだか気持ちの悪い成長曲線ね」
「先生までそんなこというんですかあ?」

 アサキは、情けなさ恥ずかしさに、なんだか泣きそうな顔になってしまっている。
 でも、アサキは健気な女の子、泣いちゃうとさっきのカズミの言葉を否定出来なくなってしまうので、ぐっと心に飲み込んだ。

「なんであれ、成長しているのならいいことじゃないですか」
「そうね。ごめんね」

 須黒先生は、笑いながら謝った。

 ここは、東京都中央区にある、リヒトの東京支部だ。
 アサキ、カズミ、須黒先生の三人で訪れているのである。

 名目は、施設見学および研修だ。

 招待を受けたのがアサキであることから、最初はアサキ本人と、引率者として須黒先生の二人だけ、のはずだったのだが、カズミが是非にと同行を申し出たのである。
 ここの所長が、以前より妙にアサキに目を掛けていることを、不審に思ったカズミが、自ら番犬の役割を買って出たのだ。

 カズミ参加の許可を得るのに特に揉めることはなかった。
 見学歓迎、それがリヒトの方針だからだ。

 自主的に見学をしたがる者などは、ほぼ皆無らしいが。
 一介の魔法使いは、少ない私生活も大切にしたいであろうし、わざわざ訪れて見学したところでなにがどうなるわけでもないのからだ。

 そもそもメンシュヴェルトは、リヒトの存在を積極的に下層メンバーつまり魔法使いたちに知らせることもしないため、なおさらであろう。

「令堂さん、もう一回測定してもいいですか? ちょっとだけ。すぐ済むので」

 白衣をラフに着た、先ほど須黒先生から吉岡さんと呼ばれていた眼鏡の男性が、早足で近付いてきた。

「分かりました」

 た、までいいおえたか否かのうちに、もう彼は、アサキの身体に器具を取り付け始めている。

「じゃ、これを見てくださーい」

 吉岡さんは、B5サイズくらいの白いカードが何枚か重なっているうちの、一番上をアサキへと見せた。

 なにやら、幾何学模様が描かれている。
 すがすがしいような、
 まがまがしいような、
 見る者に完全に印象を委ねる、不思議な絵柄だ。

 数秒ほど同じカードをかざすと、入れ替えて、次の絵柄を見せる。
 さらに次を見せる。
 さらに次。

 こんなものをただ見せられて、なにがなんだかよく分からないが、アサキはいわれた通り、真面目に見つめている。

 吉岡さんは、彼女に一通りのカードを見せ終えると、

「ありがとうございました」

 礼をいいながら、取り付けたばかりの器具をもう外し始めている。

「それで、なにが測定出来るのさ。つうかアサキだけかよ」

 カズミが興味深げに、ちょっとだけ不満そうに尋ねる。

「非詠唱魔法に関わるところの脳波測定ですから。一通りの計測は済んだけど、これもやっとこうかなと思いまして。……非詠唱の使い手なんて、話には聞くけど誰も会ったことないし。だから、せっかくの機会に、なるべく色々なデータを集めたいんですよ」

 吉岡さんの言葉。
 アサキがここに来た目的の一つが、これである。

 アサキの魔法力は波長が独特で、なおかつ非詠唱の使い手であるため、研究棟の職員たちから分析研究したいと希望が上がっており、どうせならば能力に合わせてカスタマイズした魔道着を作ろう、という話になっているらしい。

 ここへ訪れる前に、基本的なデータは提供してあり、少し足りない分を本日、現場で測定するという話であったはずだが、既にして、少しどころか随分と色々なことをこの現場ではさせらてしまっている。

 そんな気持ちや肉体の疲れからか、アサキは小さなため息を吐いた。

 カズミは、そのため息をどう解釈したのか、

「強くなれるんだからさあ。よかったじゃねえかよ」

 軽く肩を叩いた。

「複雑な気持ちだな」

 アサキは、ぽそりと小さな声を出すと、唇をきゅっと結んだ。

 魔道着をパワーアップする目的はなにかというと、当然、ヴァイスタをより確実安全に倒すためだ。
 何故、倒さなければならないのかというと、世界を守るため、人類を守るためだ。

 でも、そのヴァイスタも、元は人間なのだ。
 だからといって、そこを躊躇していたら世界は滅びてしまう。

 どうすべきかは分かっている。
 まず、生まれてしまったヴァイスタは、倒すしかないということ。
 その上で、新しいヴァイスタが生まれないような世界を築いていくしかない。
 人間が絶望することなく生きていける、明るい世界を。

 自分たち魔法使いに出来ることは、ヴァイスタを倒すというところまでだ。

 分かっては、いるのだ。
 なにをすべきかは。
 ならば単純に、強くなれることを喜べばよいのだ。
 ヴァイスタやザーヴェラーを、より確実に倒せる力を得ることを、喜べばよいのだ。
 分かっては、いる。

 でも、そこをそう思えないところが、まあ、アサキなのであろう。
 心の強さへの憧れはあるが、物理的な強さにあまり興味はない。

 だから、ここへもあまりきたくはなかった。
 魔道着のパワーアップにも、あまり興味はない。

 それでもここへこようという気になったのは、()(だれ)所長がしつこく誘うからでもなく、魔道着のためと校長が頼むからでもない。

 (みち)()(おう)()が、ある日を境に学校にこなくなってしまった。
 それが理由だ。

 学校だけではない。
 自宅アパートのドアにも、常に鍵が掛かっており、いつ行っても中に気配をまったく感じない。

 ただならぬ事態が発生して、リヒトに戻ったのかも知れない。

 もしそうならば、いるとしても東京ではなく関西本部だろうが、ここでもなにか分かるかも知れない、と思ったのだ。
 最低でも、無事でいることさえ分かればいい、と思ったのだ。

 招かれて置きながら、通話で尋ねるだけも失礼と思い、こうして訪ねたわけであるが、しかし、応芽の行方は分からなかった。
 ここにきてすぐ、所長に挨拶をした際に尋ねたのだが、彼女がどこにいるのかは、誰も知らないとのことであった。

 ウメちゃん、本当に、どこへ行ってしまったのだろう。

 取り付けられた計器を外されながら、アサキは胸の中に、不安の言葉を呟いていた。
 白衣の男性、吉岡さんを見下ろしながら。

 この男の人も、リヒトなんだよな。
 本当に、誰も知らないのかな。ウメちゃんのこと。
 リヒトって、小さい組織だって話だけど。なにかあれば、噂でもなんでも、すぐ全体に知れ渡ったりしないのかな。

 ウメちゃん、どこに……

「どうかしましたか?」

 吉岡さんが、外した計器をまとめながら、アサキの顔を見上げていた。

「あ、いえ、なんでもないです。すみません。……あれ、そういえば魔道着って、メンシュヴェルトが開発したものなんですよね?」

 ぼーっと見えてしまっていたのを、ごまかそうと、思い付きで質問をした。

「発明、開発と、最初の頃の製造はそうですね。その後は、共同開発です。そもそも、実用化された時点で、まだリヒトは存在してませんでしたしね。とはいえ、たまたま現在の開発部の計測担当が、ボクらリヒトの二人なだけで、基本は、メンシュヴェルトさんが開発六割、メンテ九割ですよ」
「ああ、さっき仰ってましたね。すみません」

 もうやめよう。
 興味ないのに話を振って、吉岡さんに失礼なことをしてしまった。

 それよりも、さっきのカズミちゃんとの会話、楽しかったな。
 勝負に負けたら、犬のなんとかを食べるとか食べないとか、久し振りに、くだらないバカバカしいやりとりをしたよ。
 カズミちゃんも、まだ立ち直れていないんだろうけど、自分のため以上に、わたしたちのために、意識して、ああいう面を見せてくれているんだろうな。

 また、無理せずとも、自然に、あんなくだらないことで笑い合えるような、そんな関係に戻りたいな。
 カズミちゃん、治奈ちゃん、そしてウメちゃんと。
 ついでに、須黒先生や樋口校長とも。
 難しいかも知れないけれど、信じないと。
 未来を。
 わたしたちを。
 そして、前へ進まないと。

 せっかく、そう胸に呟いていたというのに、直後、後ろへ戻りたくなるような出来事が起きた。
 しゅい、と微かな音と共にドアが開いて、部屋に一人の、大柄な女性が入ってきたのである。

 とても大柄な女性であった。
 百七十五センチはあるだろうか。
 身長以上に特徴的なのが、髪の毛である。
 肩まで伸びている髪の毛は、地毛なのか、いじっているのか、左右真ん中を境に、黒と銀とはっきり分かれたツートン。
 単なる白髪かも知れないが、背筋まっすぐの堂々たる容姿のため、美しい銀髪にしか見えない。

 アサキは、驚きのあまり、目を見開き、口をぽかんと開けてしまっていた。

 間違いなかった。
 以前に異空内で、応芽と戦っていた、あの女性に。

 瀕死の状態を応急手当しただけの、放っておいても倒れそうな応芽と、何故だか分からないけど、殺し合いにしか見えない真剣な戦いをしていた。
 それを見つけた自分が、応芽の助太刀に入ったことで、なんとか退散をさせた。
 あの時の魔法使いに、間違いなかった。

「ああ、なんだい、さっそく試作型で戦闘値の計測をしていたのかい?」

 彼女は、誰にともなくいうと、ちらりアサキの顔を見ながら、

「ぼくも、是非ともお願いしたいね。そこにいる……令堂和咲さんとの、戦いのデータをさ」

 銀黒ツートンヘアの女性は、両腕を頭上で交差させ、にっと笑みを浮かべた。
 リストフォン側面のスイッチを押して、クラフトを発動させると、

「変身!」

 室内が一瞬、強烈な輝きに包まれた。

 網膜に、まだ様々な残像が焼き付いて、白くぼやけた中に、魔道着を着た彼女が立っていた。

 髪の毛と同様、銀と黒とが均等に配色されている魔道着。
 腰には垂れがあり、中世西洋の甲冑を思わせる。
 足は、肌の露出がいっさいなく、黒い繊維に覆われている。

 あの時、アサキが見た魔道着と、まったく同じものであった。

「ぼくは、()(しま)(しよう)()。……あ、あ、ぼくっていってるけど、君たちと同じ女の子だからね。ぼく身体がこんなに大きくて、声も低いから、勘違いしないで欲しいので、念の為にいっておくけれど」

 そういうと彼女、嘉嶋祥子は、屈託なく笑った。

     2
 なんだろうか、この気味の悪い武器は。

 アサキは驚き不安になりつつも、冷静にかわし、冷静に観察をしていた。

 目の前にいる、銀と黒の魔法使い、()(しま)(しよう)()が右手に持っているのは、柄の無い、刃だけの巨大な斧である。

 最初は、壊れているのをそのまま使っているのかと思っていたが、どうやら、これが完成形のようだ。

 刃と反対側、峰の近くに拳大の穴が二つ空いている。
 そこを持ち手として、縦横斜めに振り回したかと思えば、その穴を軸にくるり回転させたりして、まったく先の読めない攻撃を、銀黒の魔法使いは繰り出し続け、アサキはそれをかわし続けていた。

 冷静に観察、といっても、現在のところこの攻防に観察は役立ってはおらず、ただ防ぐだけで精一杯だった。
 アサキの手にする剣の方が、間合いが広いから、生かしてなるべく空振りを誘うようにしているが、その空振りすらも、それが次の攻撃に繋がっており、攻め込む隙がまるでない。

 たまに受け流せずに、ガチンとまともに受け止めてしまうと、剣を握った指や腕を伝って、身体全体を削られているような衝撃に襲われる。

「二度目だよね。キミとこうして戦うのは」

 刃を競り合わせながら、お互いの顔が接近したタイミングで、嘉嶋祥子は、さらに首を伸ばして、アサキの耳元へと囁いた。

 彼女のいう通りだ。
 以前にも、刃を交えたことがある。

 だから、この不気味な形状の斧を見るのも初めてではない。
 とはいえ、前回は、しっかりとやり合ったわけではない。
 なにもせずとも倒れそうな疲労困憊気味の応芽に、自分が加勢をしたのであるが、加勢した途端に、嘉嶋祥子はとっとと立ち去ってしまったからである。

 まともに向き合うと、この巨大な戦斧は、こうも不気味で恐ろしい武器であるのか。
 それとも、この嘉嶋祥子という魔法使いが特別ということなのか。

 おそらく、どちらもなのだろう。

 以前に、三節棍という、折れ曲がる棍棒を持つ魔法使いと戦ったことがあるが、恐ろしさその比ではなかった。
 武器も、魔法使い本人も。

 現在、データ計測中の練習試合という建前ではあるが、油断などしていたら、大怪我を負わされても不思議はない。

 この銀黒の魔法使いが、なにを目論んで自分へ接近してきたか、それがまったく分からないのだから、警戒するに越したことはない。

 至近距離で刃を押し合いながら、顔を近寄せていた銀黒の魔法使いは、悪戯な表情で、次の言葉を囁いた。

「ぼくとウメが戦ったことも、ここでいうかい? どうせウメのことだから、口外しないよういわれてるんだろう? ただの喧嘩やねん、とかなんとかさあ」

 その通りである。
 ここで嘘を吐いても意味はないと思い、アサキは小さく頷いた。

 どう見ても、あれは殺し合いだった。でも、ただの喧嘩だから黙っていてくれ、などといわれ、信じるしかなかったのだ。

 なお、嘉嶋祥子と慶賀応芽の、そのような諍いについて、アサキが知っているのはその一回だけである。
 つい先日にもまた、第三中の校長室で、二人は殴り合いをしているわけだが、そのことについては知らない。

「キミさ、ザーヴェラーをたった一人で倒したという話じゃないか」

 斧を振るい、打ち合いながら、銀黒の魔法使い、祥子は楽しげな口調で質問をする。

 反対に、アサキが少しムッとした顔になった。

 また出るのか、その話。
 もういい加減にして欲しいんだけど。

 一体、この女性は、なにを考えているのだろうか。
 と、鍔迫り合いの中、ちらり祥子の顔へと視線を向けるが、涼やかにも小バカにしたようにも見える薄い笑みを浮かべてるのみで、結局、なにを考えているのか、まったく分からなかった。

「それが、どうかしましたか」

 だから、あえてその言葉に少しだけ乗った。
 気持ちのよいものではなかったけれど。

 これまで、褒められると迷惑に思いながらも照れた反応をしてしまっていたのに、なぜこの女性に対して自分は、こんな敵対的な態度、言葉を吐いてしまうのだろう。

 謎めかした態度のせい?
 ウメちゃんの知り合いのくせに、スタンスを明らかにせず、からかうようにこちらへ接してくるところ?
 わたしが以前、二人が戦っていたのを見たから?

 どれも正解な気がする。

「そうか。ザーヴェラーとの戦いの後だったから、ウメはあんな死にそうに弱っていたんだったね」
「お腹が裂けて、出血も酷かったのを、治療したばかりでしたから。……どうして、あなたたち二人は戦っていたんですか? どうして、あなたは、そんな状態のウメちゃんを攻撃していたんですか?」

 ことと次第によっては……などと、物騒なことを考えたわけではない。
 鍔迫り合いに押し負けて、後ろにちょっとよろけてしまい、距離が開いたので、なんとなく尋ねてみただけである。

 望む回答どころか、なんの回答も得られなかったが。
 質問などなかったかのように、嘉嶋祥子は、自分の言葉を続けたのである。

「そんな、束になっても勝てるかどうかの強敵であるザーヴェラーを、キミはたった一人で倒してしまった。今年からなんだよね、魔導着を着たのは。……さっきのグラフを見ても、気持ちが悪いくらいにぐんぐん実力が向上しているね」

 嘉嶋祥子は、ふふんと鼻で笑った。

「頑張って、成長して、それがいけませんか」

 肉体的な強さなど、さして求めてもいないくせに、なにをいっているのだろう、わたしは。

 と、自分の言葉に矛盾を感じなくもなかったが、それはそれこれはこれだ。
 このような態度を取られたら、誰だってムキになるに決まっている。

 また、お互いに飛び込み、打ち合いが再開された。

「いやいや、全然。結構じゃないかな」

 またもや、嘉嶋祥子の、人を小馬鹿にした仕草と表情。

 剣と斧による二人の打ち合いが、だんだんと過熱していた。
 まともに攻撃を受けたら、手足が吹っ飛んでもおかしくないくらいに、激しいものになっていた。

 理由のほとんどは、アサキにあった。
 アサキが一人でムキになり、感情を武器に乗せて叩き付けているのだ。

 踏み込み、振り上げ、振り下ろし、受け、弾く、アサキの動作ことごとくが荒々しいものになっているのだ。
 銀黒の魔法使い、彼女の取る態度言動に、なんだか存在をバカにされているような気がして。
 自分だけなら別に気にもしないが、ウメちゃんのことまでバカにされている気がして。

 だがそれは、
 この、嘉嶋祥子という女性の態度への苛立ちは、
 もしかしたら、すべて、思い違いによるものだったのかも知れない。

 ムキになり過ぎるあまり、頭が真っ白になった瞬間、そのタイミングを待っていたかのように突然、どどっとイメージが流れ込んできたのである。
 意識が、アサキの脳内に。

 最初は漠然とした、感情の方向性、のようなものだった。ごっちゃごっちゃで、方向もなにもないのだが。
 続いては、感覚。五感のどれにも例えようがなく、その感覚をどう捉えていいのか混乱しているうち、今度は映像に近いものが脳に流れてきた。

 校長室。
 見慣れた、天王台第三中学校の風景。

 でも、映像ではない。
 五感のどれにも当てはまらない、感覚のない感覚。

 その感覚の示すものが、次々と矢のように頭に突き刺さる。

 言葉にするなら、データ。
 言葉にするなら、異空。
 言葉にするなら、ヴァイスタ。
 言葉にするなら、ザーヴェラー。
 言葉にするなら、リヒト。
 そして、メンシュヴェルト。
 (みち)()(おう)()
 彼女とまったく同じ顔をした少女。
 妹。
 (みち)()(くも)()
 大阪。
 病院。
 闇。
 闇。
 魂。
 砕。
 滅。
 魔法。
 魔術。
 呪い。
 宇宙。
 銀河。
 神。
 悪魔。

「いま、読んだよね?」
「え?」

 アサキは、はっとした表情で、目を見開き、そしてしばしばと瞬いた。

 眼前で、嘉嶋祥子が優しく微笑んでいる。
 柄のない不気味な斧を、右手にだらり下げながら。

 今のは……
 わたしに、見せてきた?
 わたしに、送ってきた?
 なにかの、魔法?
 読んだ、といっていたということは、この人の思念?
 どうして、こんなものをわたしに送る……

 見えたとも、聞いたとも、触れたとも違う、純然なる思考と呼ぶべきか、それともなにかしらの感覚であったのか。
 とにかく強烈に感じたのは……

 慶賀応芽への思い。

 彼女を、助けてあげてほしい。
 と、いってるような気がした。

 どういうこと?
 この人は、ウメちゃんの敵、ではないの?

 アサキは、目の前で刃を競り合わせている嘉嶋祥子の顔に、ちらり、あらためて視線を向けた。
 小馬鹿にしているとしか思えない笑みを、ずっと浮かべている祥子であるが、視線に気が付くと、ことさらに笑みを深めて、そして、

「うわあ、負けたあ!」

 叫びながら、痛そうな悔しそうなのヤラレタ顔で、後ろへと吹っ飛んだのである。

     3
 千葉県。
 我孫子市立天王台第三中学校の、校長室である。

 校長室としてごく一般的な、渋い調度品に囲まれた、落ち着いた、一言でいうと茶色っぽい部屋。
 場の空気は、まったく落ち着いてなどはいなかった。
 とりたてて、荒れているというわけでもなかったが。

 現在、この狭い室内には、二人。
 一番奥の自席、肘掛け椅子に座っている()(ぐち)(だい)(すけ)校長と、机の前に立つ女子制服、(あきら)()(はる)()だ。

「本当に、知りませんか」

 治奈が尋ねる。
 小さな声だが、部屋が狭く廊下も静かなので、よく通る。

「ごめん。知らない」

 校長は即答する。

 二人が何故、このような場で向き合っているのか。
 もちろん、理由はある。
 相応の、と呼べる理由であるかは、分からないが。

 だから、治奈の声は、ぼそりと自信なさげに小さかったのである。

 先ほど、東京にあるリヒト支部を訪れているアサキから、治奈へと連絡があったのだ。
 この校長室で、なにかが起きたらしいと。

 以前、異空で(みち)()(おう)()が襲われていたことがあり、今回の情報を教えてくれたのは、その魔法使いであるため、信用出来るものであるかは分からないが。

 その魔法使いに襲われたことや戦ったことを、内緒にしていたのは申し訳ないが、とアサキが謝りながらも治奈に説明をしたことによると、どうやら応芽が裏で色々と動いていたのは、すべて妹のためとのこと。
 妹のためになにかをしていた。もしくは、しようとしたらしい。

 情報を教えてもらったといっても、口頭でもチャットでもなく、その魔法使いが一方的に思念を送ってきただけであるが、その思念の中には、この校長室で応芽が誰かと殴り合っているイメージのものもあった。
 おそらくは、その魔法使いが応芽とやり合った、その記憶だろう。

 アサキからの連絡で、手短に話を聞いた治奈は、現在行方不明である応芽と繋がるなにかが得られないかと思い、この校長室を訪れたのである。
 しかしながら校長は、ここまでにおいて、知らないの一点張りであったが。
 ここで、なにかがあったことも。
 応芽の居場所についても。

 ヴァイスタと戦うという点において、校長は単純に味方だと思うが、このような話になると、そうもいかないのか。
 治奈は、正攻法で迫ろうとしたことを後悔していた。

 しかし、なにがあったのだろうか。
 この部屋で。
 それとも、アサキから聞いたその話が間違っているのか。その魔法使いが、あえて惑わす思念を送っただけであるとか。
 正しいとして、ではここでなにがあったのか。

 こんな場所で、魔法陣も結界もヴァイスタもなにもないし、応芽がここでなにかをしたというよりは、ここでなにかを知ったという方が可能性が高いだろうか。

 メンシュヴェルトのメンバーとしては、特にここは特別な部屋ではない。単なる、一中学校長の校長室だ。
 ならば、ガジェットを使ってメンシュヴェルトのサーバーへアクセスして、なんらかの情報を得た、ということだろうか。
 それならば、話は簡単だ。

 何故それが応芽の妹のためになるのか、それは分かるはずもないが。

「ウメちゃんは、メンシュヴェルトの情報を知ってどうするつもりだったんじゃろか」

 レベルの低い鎌を掛けてみた。
 まったくの予想外であったが、反応があった。

「……正確にはね、知らないというよりは、いえないんだよね。すべてを知っているわけではないとはいえ、その少しのことすらもいえないんだよね。組織間で揉め事が起きておかしくないような、そんな類のことばかりだから」

 あまり役には立たない、反応の言葉であったが。

「揉め事って……。ほいじゃあ一つだけ、(オルト)ヴァイスタって聞いたことありますか? 向こうでアサキちゃんが聞きよった言葉らしいんじゃけど」
「いえないね」
「またそれですか」

 治奈は小さなため息を吐いた。

 ヴァイスタと戦うのは、うちらじゃというのに……

「だって、その存在を当然と信じて研究を続けているのはリヒトだから。……それとね、私的にひとこと想像をいうなら、(りよう)(どう)さんがリヒト支部を訪れるこの機会を、ウメちゃんは狙うかも知れないね」
「……何故です?」

 アサキちゃんを狙ってなにをする?
 それが、ウメちゃんが妹のために取る行動と、どう繋がる?

「いえない。そもそも、まったくの想像だし」
「分かりました。ありがとうございました。ほいじゃ、わたしはこれで失礼します」

 いえないいえない、って、いえない仮面か。

 治奈は、また小さなため息を吐くと、軽く頭を下げて、校長室を出た。

 授業の時間中であるため、しんと静まり返っている廊下を、少し歩くと、給食用のエレベーター室に隠れるように半身を入れて、リストフォンで東京にいるアサキへと連絡した。

 まずは、こちらの引き出し方が直球だったため、ろくに聞き出せなかったことを謝った。
 校長の話からすると、応芽は無事。
 ただ、気になることが一つ。
 彼女の動きに注意した方がよい。と、校長はいっていた。

 などのことを手早く伝えると通話を切り、教室へと戻った。

     4
 中学校の女子制服姿で、(りよう)(どう)()(さき)は、通路を歩いている。

 リヒト東京支部の、開発棟通路を。
 トイレに行く、と嘘をついて、一人で。

 なにかが起こるのか分からないけれど、なにかが起きた時に巻き込みたくないから。
 ()(くろ)先生や、カズミちゃんを。

 だから、一人で歩いている。

 歩きながら、左腕に着けているリストフォンの電源を落とした。
 クラフト、という魔法力制御装置としての機能を切るためだ。

 念の為にリストフォンを腕から外し、制服上着のポケットに入れた。

 通路内にある休憩用スペースに、人が誰もいないことを確認すると、そこで足を止めた。

 ぐんぐんと実力を伸ばしている。と、先ほど色々な人からいわれたことを思い出していた。
 成長曲線が大きかろうとも、もともとの能力が貧弱だったともいえるわけで、とりたててどうということはない。
 でも、それなりに成長したことに違いはないだろう。

 ならば、やれるかも知れない。
 クラフトの制御にいっさい頼らない魔法を。

 魔力を効率的に引き出すためのクラフトであるが、おそらくは、装着者の行動情報が筒抜けだろうから。

 これからとる行動そのものが悪いこととは思わないけど、組織がなにを考えているか分からないから。
 誰をどう巻き込むことになるかも分からないから。

 一人ならば最悪、魔法の練習をしていたとでもいえばいい。
 どうなるかはともかく。

 すうっ、と静かに息を吸いながら、そっと目を閉じる。

 ルクツォーク、オフターゼン……

 呪文を、頭の中でイメージする。

 非詠唱魔法だ。
 音でも文字でも絵でもない、概念的感覚とでもいえばいいのか、漠然と脳裏に浮かぶ。

 次の瞬間、アサキは浮いていた。
 身体ではなく、意識が。
 ふわり浮遊した感覚になったかと思うと、意識が溶けて広がって、まるで自分がこの休憩室それ自体になっているような気持ちになっていた。

 俯瞰でも主観でもない、なにも視えてはいないはずなのに、感覚がそのまま映像として認識されているという、言葉では説明しようのない、不思議な感覚。

 その感覚の中で、その意識の視界の前に、目を閉じたまま立っている赤毛の少女がいる。
 中学校の、制服姿。

 これはわたしだ。
 そう認識していた。

 意識をどうにかこうにか操作して、意識の視線が認識する幅を広げてみると、
 このフロア全体が、自分自身、
 自分自身が、このフロア全体になっていた。

 気持ちが悪い。
 いたるところに自分がいて、いたるところを同時に見て、感じている。そうした物理的な、無数の視界触感が、矛盾なく一つの意識のもと一つに統合されていて。
 気持ちが悪い。

 でも、

 出来る……
 クラフトの制御がなくても。
 「この空間」という生き物になった感覚で、わたしは「この空間」を自分の身体であるかのように感じている。

 いくつかの部屋があり、たくさんの人たちがいる。
 ここの職員たちだけでなく、カズミちゃんと須黒先生もいるのが分かる。

 カズミちゃんが、なにか須黒先生に向かって喋っている。
 意識の幅を広げすぎたせいか、自分の能力程度では感覚の鮮明さが損なわれてしまっていて、カズミちゃんがなんていっているのかまでは分からない。
 遅いなあ、とかわたしのことを心配しているのかも知れない。

 通信が繋がらないことに気付かれる前に、やろうとしていることを終わらせないといけないな。

 意識を、一つ上の階へとスライドさせる。
 少し焦ってしまっているためか、感覚がさらにぼやけているが、なんとか、フロア全体を同時に感じることは出来ている。

 このフロアにも、人はたくさんいるが、でも、この中にもいないようだ。
 ならば、とさらに上の階へと移動し、意識の視界を……

 見付けた。

 感じる。
 まだ意識のピントを、このフロアには合わせきっていないのに。
 ぼやけた感覚の中で、彼女の存在を、確かに感じる。

 無事であったことに、アサキの意識はほっと安堵した。
 次に、不安になった。

 こんなところで、なにをしているのか。
 そもそも、リヒトの所長は知らないといっていたのに、それがどうしてここにいるのか。

 ぞくり。アサキは、自分の意識の中で、身が総毛立つのを感じていた。

 気付かれた?

 か、どうかは分からないけれど、彼女が、ニヤリと笑みを浮かべたような、そんな気がしたのだ。
 こちらの、意識へと向けて。

 とにかく、彼女が無事なこと、ここにいることが分かった。
 戻ろう。

 ふう、とアサキは小さく息を吐いた。

 目の前にあるのは、白い壁。
 下へ視線を落とすと、制服のスカートから伸びた足。
 靴を履いて、床の上に立っている。

 周囲を見回す。
 先ほど入り込んだ、通路内の休憩スペースだ。

 制服の中に入っている、自分の身体。
 裾から伸びた、腕、手、指。

 アサキは、自分の手を引き寄せながら握りしめると、感覚を確かめるようにグーパーさせた。

 毅然とした表情の、顔を上げると、今度は先ほどとは異なる呪文を脳内詠唱しながら、通路を歩き出す。

 前方向から、ここの職員と思われるグレーの事務服姿の男性が歩いてくる。

 近付き、すれ違う。
 アサキに気が付いていないのか、まったく視線を動かすこともなく。

 振り返って、そのままなにごともなく歩き続けている男性職員の、背中を見る。

 成功、しているのかな?
 唱えている魔法が。
 クラフトなしで使った魔法が。
 成功しているのならば、自分の姿が周囲の者に、見えてはいるが認識はされていない、と、そんな状態になっているはずだ。
 成功、した気がする。

 その後、何人かとすれ違った。

 男性職員は、まったく自分に気付く様子はなかった。

 女性職員は、半分ほどがなにかを感じたようで、すれ違いざまこちらを振り向いた。
 でもそれは想定内だ。
 男性よりも格段に潜在魔力が高いはずだし、元魔法使いの者もいるのだろう。なんとなくの気配は感じるのだ。
 実際には、気配どころかはっきり見えているはずなのに、でも認識していない。気のせい、で済ませて通り過ぎてしまう。
 アサキの魔法力が、遥かに上回っているためだ。

 認識がされないという魔法効果を利用して、ゲートやエレベーターのセキュリティロックを、職員の背中に付いていく単純さでやり過ごしたアサキは、目標階である二つ上のフロアへと難なく辿り着いた。

 通路の壁に、大型ディスプレイによる案内図があり、これから向かおうとしている場所が、第二研究室という名称であることを知る。
 ここから南へ向け、真っ直ぐ進み、折れて二部屋目だ。

 もうすぐ、会える。
 彼女は、この先に、いる。
 でも……
 正直、あまり嬉しくない。

 何故? と、自問するまでもなく、当然のことか。
 無事と分かった時は嬉しかったけど、どうしてここにいるのかを考えれば、よい想像が出来るはずがない。

 とはいえ、最悪な事態になるなどとも、想像はしていなかった。

 だからこそ、第二研究室に辿り着いたアサキは、予想外のことに驚いて、目を見開いていた。
 ぐ、っと呻き声を発し、知らず両の拳を強く握っていた。

 具体的な目的や予測を持ってここへきたわけでもないのに、遅かった、と後悔していた。

 アサキは、まだ室内には入っておらず、通路側に立っている。
 第二研究室のドアが、左右完全に開いており、通路側から部屋の中が見回せる状況だ。

 まず視界に飛び込んできた映像、それは、十人ほどの男女が床に倒れている、という光景であった。

 倒れているのは、ここの職員がほとんどだろうか。
 数人、魔道着を着た少女もいる。

 機器類のファンが回る微かな音、音源その程度の静けさの中で、倒れている人々の間に、誰かが立っている。

 赤と黒の魔道着。
 前髪がだらり下がって額が隠れているが、見間違えるはずもない。

 (みち)()(おう)()である。

 彼女はこちらを、
 アサキの顔を見て、
 薄い笑みを浮かべていた唇を、さらに少し釣り上げた。

     5
 リヒト東京支部、開発棟第二研究室。

 全面カーペットの床に、十人ほどの男女が倒れている。

 白衣を着ている者は、ここの研究員であろう。
 三人、魔道着を着た少女もいる。

 みな、気を失っていたり痛みに呻いていたり、いずれにしてもまともに動ける状態ではないようだ。

 例外は、二人。
 倒れている男女の間に立っている(みち)()(おう)()と、いまここへきたばかりの(りよう)(どう)()(さき)である。

 応芽の髪型が以前と変わっていることに、アサキは気付いた。
 前髪を横に流すようにして、おでこを出していたのが、現在は、前髪がばっさりと前に垂れて、顔を半分覆っている。髪型というよりは、単に整えていないだけ、という方が正しい表現だろうか。

 そんな、垂れた前髪の奥で、赤黒の魔法使い、慶賀応芽は、にやにやと笑みを浮かべている。

 おかしいから、というよりは、自分の気持ちを隠そうと、ごまかしているだけ。
 アサキには、そう思えた。
 それだけ彼女の作る笑みが、なんだか作り物めいたものに見えたのである。

「久し振りやな、令堂。……どないした、クラフトなんか外して」

 アサキの左腕にリストフォンがないことに、すぐに気付かれていた。

 制服の右ポケットの中に入れてある。
 組織に知られることなく魔法を使うため、外しておいたのだ。

 応芽を探すために。
 ここにいるはずの彼女とこっそりと会って、身になにが起きているのかを聞いて、話し合うために。

 それがまさか、こんなことになっているとは。

「ウメちゃん。あ、あの……わたしは……」

 なんて、声を掛ければよいのだろう。
 行方不明だった彼女が無事でいたことは、素直に嬉しいけど。
 でも、でも、この状況は……
 なんで、人が倒れているの?
 誰が、こんなことを。
 もしかしてウメちゃんが……

 アサキはあらためて、応芽の周囲に倒れている人たちへと、視線を向けた。
 困りきった、表情で。

「ああ、そうか、これを受け取りにきたんやな?」

 応芽は、右手に持っている小さな物を持ち上げた。

 リストフォンだ。
 アサキたちが使っている、最近主流の強化樹脂製と違い、金属ボディで、赤い塗装を基調に、銀や黒の装飾が混じっている。

 ここでこのように、手にし見せていることから、まず間違いなくクラフト内蔵であろう。

「それは? クラフト?」

 アサキは尋ねる。

「なんや、知っててきたんちゃうの?」
「わたしはただ、ウメちゃんがこの施設にいるかも知れないと聞いて」

 心配だったから……
 会いたかったから……
 仲間だから……
 なにか悩みを抱えているのなら、話を聞きたかったから……
 少しでも、気持ちを楽にしてあげたかったから……

「はあ、せやから意識飛ばして確認しとったんやな。あたしも、人探しに魂飛ばしを使うことあるけど、この建物自体に意識を同調させようとするなんて発想にびっくりしとったわ」

 やっぱり、気付いていたんだ。
 あの笑みは、そういうことだったんだ。

「令堂用のな、新型クラフトなんやて、これ。非詠唱とか、強力な潜在魔法力とか、令堂の力を引き出すにはソフトだけでは限界っちゅうことで、ハードレベルでカスタマイズした代物って話や。普通の魔法使いは、量産の汎用型やから、ほんま羨ましい話や。これ付ければ自分、魔法使いとしてめっちゃ強うなるで」

 ああ、これが、それなのか。

 この東京支部を訪れた、理由の一つだ。
 クラフトのパワーアップ、つまり魔道着や武器のパワーアップをすることが。

 さっき最後のデータを計測したばかりなのに、もう完成していたんだ。
 でも、今はそれより……

「そんなことより、ウメちゃん、ここでなにをしているの? この人たちはどうして倒れているの?」
「そんなこと、って道具で強うなることに自分ほんま興味ないんやなあ。……あたしとは逆やねんな。……せやから、ここで寝とるこいつらにな、このクラフトを渡せゆうたんや。強くなりたいモンが使うのが道理やろ、って」
「え……」

 アサキは倒れている人たちを見た。
 見てどうなるわけでなく、単に、やり場を求めて。

 まさか……

「少し時間をくれとかゆうて、足止めしといて、魔法使い呼んで捕まえさせようとしてきたからな、ムカつくから、魔法使いごとまとめてのしたった。……心配せんでええよ、殺しておらんし、傷も付けてないはずや。こいつらが、カスみたく弱かったから、手加減も楽だったわ」

 自慢げというわけでもなく、自虐というわけでもなく、応芽は起きたこと当然に語りふふんと鼻で笑った。

 アサキの身体を、ぞわりぞくりと、嫌な気持ちが沸き上がり、突き抜けていた。
 全身という全身に、鳥肌が立っていた。

 そうもなる。

 だって……
 強くなりたいからって、こんな……

「こんなことが、ウメちゃんの……妹さんの、ためになることなの?」

 先ほどから、アサキの言葉を気持ち軽い笑みで受け流していた応芽であったが、妹、という言葉が出たためであろうか、

「ああ?」

 険しい顔になり、頬がぴくりと引き攣っていた。

 反射的に目をそらしてしまうアサキであったが、すぐ気まずそうな顔を毅然とした表情へと変え、向き直った。

 双子の妹のこと、詳しく知っているわけではない。
 つい先ほどまでは、いるということしか知らなかった。

 下のフロアで、()(しま)(しよう)()と手合わせした時になだれ込んできたイメージ、それによって、おそらく祥子の主観ではあろうが、様々なことを知ったのである。

 妹、(みち)()(くも)()が、大阪の病院でずっと入院していること。
 ずっと、意識のない状態であること。
 応芽が、妹を助けようと無茶をしていること。

 そんな、家族の生命生活に関わる秘密を知ってしまったという後ろ暗さに、先ほどのアサキは、つい目をそらしてしまったのだ。

 でも、違う。
 違う。
 ここでしっかりと、向き合わなきゃあダメだ。

 という思いを胸に、アサキはゆっくりと口を開く。

「全部、妹さんのためなの? ここで、こんなことをしているのも。祥子さんと戦っていたのも。メンシュヴェルトの持つ情報を、探ろうとしていたのも」
「なんや……おっちゃんが暴露したんか?」

 おっちゃん、樋口校長のことである。

「違う。祥子さんが、教えてくれたんだ。もしかしたら、わたしが勝手に覗き見てしまっただけかも知れないけど、でもたぶん向こうから。強い思い、意思、願いを、受け取ったんだ」

 銀黒の髪の毛、同じく銀黒の魔道着を着た、嘉嶋祥子というリヒトの魔法使い。彼女に対して、アサキは最初、完全に疑いの目を向けていた。
 当然だろう。
 以前に異空で、瀕死状態の応芽へと武器を向けていたし、自分も少し戦った。
 先ほどだって、アサキに対し、小馬鹿にした薄笑いを浮かべながら、なにやら含みのあることばかりいっていた。

 だけど、それはきっと、リヒトに気付かれることなく自分の気持ちを、わたしへと伝えるためだったのだろう。
 そして、伝えてきたんだ。
 彼女、祥子さんは、かつて仲間であったウメちゃんを救いたい、助けたい、そう考えていることを。
 無茶なことしないよう阻止するため。と、それでこの間も、武器を向けてウメちゃんを攻撃していたけど、ふりをしただけで、殺すつもりなどなかったのだ。

 ウメちゃんを助けたい。
 それは、わたしだって同じ気持ちだ。

 そんな思いを込めた、強い表情を、応芽へと向けた。

 視線を受けた応芽は、つまらなさそうに鼻を鳴らすと、また笑みを作り直した。

「あたしは、新しい世界に行かなならんからな。どこかのアホを、(オルト)ヴァイスタにしてな」

 そのいやらしい笑みに、アサキの顔がぞっと青ざめた。

 どこかのアホ、というのが自分、アサキを指していることは分かる。
 そうではなく、つまり、狂気を向けられる対象が自分だからということでなく、ただ単に、応芽のその自暴自棄な笑みが怖くて、心配で、悲しくて、ショックで、青ざめた顔になっていたのである。

「ウメちゃん、いってることおかしいよ。……絶望はさせないって、いってたじゃない。泣いているわたしを、ぎゅっと抱き締めながら、そういってくれたじゃない。あれは絶対に、ウメちゃんの心からの言葉だ」

 その言葉を、吹き飛ばすかのように、応芽の笑い声が響いた。
 大笑。
 お腹を痛そうに押さえながら、もう片方の手の先で、滲む涙を拭った。

「なんや、おもろいなあ、そんなあたしに好かれとる自信あったん? ほんま、どいつもこいつも、めでたい連中やねんな。……深い絶望へ導くため、甘い態度を取ってただけに決まってるやろ。あん時かて、腹ん中で笑うてたわ」
「違う! ウメちゃんはそんな女の子じゃない!」
「違ないわ! あたしの心のことやろ、他人に分かるかボケ!」
「……でも、でも、そうなると世界は終わるんじゃないの?」

 応芽の目論見通り、アサキが超ヴァイスタになって、中央の扉に辿り着いたとしたら。

「終わる。すべてが消滅して、真っ白も真っ黒ものうなる。それが新しい世界(ヌーヴエルバーグ)やからな」
「なら、どうして……」

 招こうというのか。
 そのような終末を迎えないために、みんなで頑張っていたのではないのか。

「ただしな、終わるのは、導き手がいない場合や」
「意味が分からない。……だいたい、どうしてそんなことが分かるの?」
「リヒト科学班の解析、統計分析や歴史研究、様々な臨床実験、方程式で導き出されたこと。……中央にあるとかゆう扉に、ヴァイスタが触れると、世界が滅ぶといわれとるやろ? でもな、少し違うんや」

 滅ぶということは何度も聞かされている。
 それを阻止するために、魔法使いたちはヴァイスタと戦っているのだ。
 でも、少し違うって……

「どう、違うの?」
「滅ぶのは、扉の行き先が歪んでいるためなんや。因果律が狂いに狂いまくって、埒が明かへん状態になって、もうこの世界は駄目やってことでリセットしてしまうわけやな」
「リセットって、誰がそんな……」

 ビデオゲームじゃないんだ。
 そんなふざけた話があるのか。

「なんらかの意思や(ことわり)があるんやろ。でもな、扉を開ける正しいカギさえあれば、しかるべきところへ導かれるんや。無数のヴァイスタの『救われたい』という思いが溶け混ざって、川の流れになって正しい場所へと運んでくれるんや。正しい導き手さえおればな」
(オルト)ヴァイスタ……」

 口を半開きにしてしまっていたのか、ごそり口を開くと、唇がひっついてしまっていて、ちょっと痛かった。
 ごくり、つばを飲み込み、唇を軽く舐めた。

「その通りや。ヴァイスタは中央の扉を目指すわけやけど、ある程度以上は躊躇ってしまって進まないって知っとるか?」
「え……」

 ある程度以上は進まない?
 ヴァイスタは、
 扉へと、向かわない?

「せやから、本当は戦わなくとも世界は安全なんやて」
「それ……本当なの?」
「ここ数年で、分かってきたことらしいで。あたしも、こないだ初めて知ったわ」
「正香ちゃんや成葉ちゃんたちが、必死に戦ってきたのも、意味がなかったってこと?」
「まあそうすっぱりいうんなら、そういうことやな。令堂も、あたしも、含めてな」
「酷いよ、それ……」

 アサキはぶるっと身体を震わせると、拳を握り、だんと床を強く踏んだ。

「あたしにいわれても困るわ。でもな、ヴァイスタは人間を襲うんやから、戦う意味はあるやろ。世界は滅ばへんというだけや」
「ああ……」

 そうか。
 確かにヴァイスタは人間を襲う。
 わたしも、襲われたことがある。
 襲われている女の子を助けたこともある。

 でも、なんだか納得いかない。
 だって、そうじゃないか。
 世界を守るために、滅びを阻止するために、あんなに必死になってみんなで戦ったのに。
 ザーヴェラーとだって、死ぬような思いをしてまで戦ったのに。

 誰だって、痛いのなんて嫌だよ。
 怖いのなんて嫌だよ。
 戦いたくなんかないよ。
 死にたくなんかないよ。
 でも、みんなのいるこの世界がなくなってしまうのは、もっと嫌だ。

 だから、あんなに頑張ったのに。
 だから、ウメちゃんだって大怪我してまで、ザーヴェラーと戦ったんじゃないのか。

「単なる雑魚ヴァイスタには、扉に触れて通り抜けようとする勇気などあらへん。行きたい知りたい救われたい、そんな思いっちゅうか本能だけや。せやから、導き手が必要なんや」

 さも当然のように語っているけれど、
 どこまで、本当のことをいっているのだろう。
 ウメちゃん自身、どこまで本当のことだと思っているのだろう。
 誰が、なんのために調べたこと?
 世界や、人間を守るため?
 それとも……

「五芒星の結界が、ヴァイスタの侵入から守っている、というのはどうなの?」

 扉を守る結界を、ヴァイスタが壊そうとする。
 結界を守る結界を、ヴァイスタが壊そうとする。
 だから古来より、結界ごとに魔法使いたちを置いて、守ってきたのではないのか。
 それが、ヴァイスタは扉に向かいませんでは、意味が分からない。

「ヴァイスタのために結界を張るようになった、っちゅうのは本当やねんけどな、現在では目的が違うんや」
「目的が、違う……。どういうこと」
「知りたいなら教えたるけど。たぶん、胸糞悪い気持ちになるで」

 応芽の言葉に、アサキは少し躊躇を見せるが、でも、ここでそれを聞かなかったら、ここへきた意味がない。
 だから、こくりと頷いた。

「囲うためや」

 応芽は、すぐに話し始めた。
 少しだけ間を置くと、きょとんとしているアサキの顔を見ながら、話を続ける。

「囲って、人間を襲わせたり、魔法使いと戦わせ、そいつらを絶望させて、新たなヴァイスタ、より強力なヴァイスタを増やすのが目的や。せやから、ヴァイスタはおおむね、結界の中にばかり生まれるんや」
「そんなのおかしい! そんなバカな話ってないよ!」

 アサキはまた、だんと床を踏み鳴らしていた。
 カーペットであるため、衝撃のかなりが吸収されてしまっていたが、普段が温厚であるため、腹立たしさは充分過ぎるほどに表現されていた。

「なんのために、わたしたちは戦ってきたの? それと、やっぱりいってることおかしいよ。だって結界って、以前からあったものでしょう? メンシュヴェルトしか組織(ギルド)がなかった頃から、あったものでしょう?」

 現在は、リヒトも協力しているのかも知れないが、結界を張ることを考えたのはメンシュヴェルトであり、囲って人類を襲わせるなど、するはずがない。
 リヒトならやりかねない、と思えるほどリヒトを知っているわけでもないが。

 質問の意図を察したか、応芽はにっと笑うと、

「アホな頭でよお気付いた。つまりな、やっとることメンシュヴェルトもリヒトも同じっちゅうことや」

 言葉が出なかった。
 赤毛の少女は、ただ唇を噛み締めて、汗ばんだ拳を握ることしか出来なかった。

 なんなんだ、それは……

 メンシュヴェルトに属する魔法使いたちが、自分の生命を懸けて世界を守っているのに、メンシュヴェルト自体が世界の破壊を担おうとしている。

 意味が分からない。
 そんなことをする、意味が分からない。
 だから、そんなことをするだなんて、信じられない。
 信じられる、はずがない。

 ぶるぶる震えているアサキの姿に、応芽は笑みを強め、口を開く。

「信じられへんのも分かるけど、おんなじなんや。リヒトほど強引ではないにせよ、真の新しい世界への行き方を探すという意味ではな」

 また出た、その言葉。
 真の新しい世界。
 なんになるの?
 この世界を破壊してまで、そんなところに行って、なんになるの?

「せやから、扉を守るために結界は必要ないことが分かった後も、あいつらは結界を解除せえへんかった。積極的に人類を危機に陥れることこそしないものの、ヴァイスタから積極的に守ろうともせえへんかった。魔法の素質、つまりヴァイスタになる素質を持つ者に魔道着を着させ、ヴァイスタと戦わせた。リヒトも、メンシュヴェルトも……」
「嘘だ」
「ほんまや。……そのせいで……世界を守ろうと必死に戦っていた、(くも)()が……雲音が!」

 応芽は声を荒らげ、ぎりり歯を軋らせた。

 雲音とは、応芽の妹の名前である。

 その、妹の名に、より感情高まって、欠けそうなほどさらに歯を軋らせるが、必死に自制しようとしているのか、ふーっと息を吐くと、作り上げた硬い笑みで、表情を上書きした。
 笑みのまま一呼吸、二呼吸置いて、その笑みが自制のセメントにより固まったことを確認すると、また口を開いた。

「とにかく、どっちの組織も目指すゴールは同じなんや。(オルト)ヴァイスタを作ることで目的を達成しようとしているのが、リヒトというだけで。……そのために意見が合わずに、分裂した組織なんやもん。存在の確証もないのに、そこまで非人道的なことは出来ない、と主張するメンシュヴェルトとな」

 そう説明されても、だからといってアサキの気持ちに微塵の安堵すら、もたらされることはなかったが。

 語る内容が真実ならば、という前提ではあるが、振り返るに色々と符合する点はある。
 それだけでも、アサキの心に安堵どころか、どんよりとした陰を落とすに充分であった。

 応芽の話は、まだ終わっていない。

「でもな、リヒトのやることは、ことごとく失敗やった」
「失敗?」

 アサキは、首を僅かに傾げる。

「ヴァイスタ化させるべく狙っていた魔法使いが、蓋を開けて見れば、ことごとくカスみたいなポテンシャルで、雑魚ヴァイスタにしかならへんかったんや」
「そんないい方はやめなよ! みんな、世界を守るために戦ったんだ! それに、なにがヴァイスタ化させるだ! そんな資格は誰にもない!」
「なあに熱くなっとんや。個人の生き死にとか、ちっちゃな話はどうでもいいんや」
「寝たきりの妹さんを助けたいんでしょ? それだって個人の生き死にのことだよ」
「ああ?」

 瞬間的に、応芽の顔が変化していた。
 闇の濃度が増した、とでもいおうか。

「ヴァイスタになるくらいしか能のない、あいつらと、雲音が同じやと?」
「同じだよ。……どっちもかけがえのない大切な生命だ。上も下もない」
「綺麗なことばかりいっとって、気持ちええか? わたしはこんな純粋です、見てんか、ってアピールが出来て嬉しいんか? そう思って見ると、まあ偽善者みたいなツラしとるわ」

 応芽の顔に浮かぶ、からかうような笑み。

「自分を純粋だとか善人だなんて、思ったことはない。でも、絶対に踏みにじってはいけないものがある。それにわたしは怒っているんだ」

 睨むほどではないが、少し怒った顔を応芽へと向けた。

 応芽には、アサキの主張などは、どうでもいいようであるが。

「抜かしとけ。……とにかく、リヒトの超ヴァイスタ計画は、失敗続きでな。まあ、超ヴァイスタなんて誰も見たことなくて、仕方ないことではあるけどな。……次にリヒトのしたことが、適正値の高い者を探して魔法力を育てること」

 ひと呼吸置くと、応芽は続ける。

「……令堂に聞くけどな、自分、第三中に転校してきたんは、偶然や思っとる? 校長である()(ぐち)のおっちゃんが、奪い合いを嫌って、魔法使いを育成するために自分に目を付けた。と、ただそれだけやと思っとる?」
「それ……どういう……」
「まあ、半分は偶然やな。もともと第三中には、魔力的な適正値がそこそこ高いくせに、性格上の問題、つまりキモの据わっていない生ぬるい奴らが揃っていたんや。(あきら)()(あき)()(へい)()(おお)(とり)

 なにをいっているのか。
 と、ぽかんと口を半開きにしているアサキ。

 応芽は続ける。

「あたしの父親はリヒトの幹部で、樋口のおっちゃんとも友人やって知っとるやろ。せやからあたしがな、校長であるおっちゃんに、ポテンシャルがごっつ高い者がおると推薦したんや」
「え、それじゃ、それでわたしが、第三中に……」
「魔力が異常に高く、バカで、強大な力を持つことに無自覚で、悲しいくらいに優しい。世の中を信じている分、世の中が綺麗やと思っている分、絶望した時の闇の深さがあ……」
「ウメちゃん、い、一体なにをいってるのか……」
「さぞかし見ものやろなあ!」

 大爆笑。
 応芽は突然、腹を抱えて大笑いを始めていた。
 なにがそこまでに可笑しいのか。
 というほどの、大笑いを。

 狂わないために狂っているかのような。
 理性常識を、声に乗せてすべて吐き出してしまおうとしているかのような。

 その、理解し難い態度や表情、声、震える空気に、アサキの背筋にぞくり悪寒が走っていた。

 誰か、助けを呼ばないと。
 ウメちゃんが闇に取り込まれてしまう前に、なんとかしないと。
 助けないと。ウメちゃんを。

 じり、と後ずさるアサキ。
 背中に回した手が、ドアへと触れる。

 え?

 驚き、振り向いた。
 たった今まで開いていたはずのスライドドアが、閉まっていた。
 自動的に閉じたのだとしても、こうして室内側のすぐそばに立ったのだから、開くはずなのに。

「逃がすと思うとるの? せっかくわざわざきてくれた、(オルト)ヴァイスタを」

 背後からのいやらしい声を背に受けて、アサキはぶるり全身を震わせた。
 床のカーペットを踏む小さな足音に、再度振り向くと、応芽が、発した声の通りの、あざ笑う表情を浮かべて、アサキを見つめていた。

「絶望、するとええよ」

 変身を解除して、西洋甲冑風の赤黒魔道着から私服姿へと戻った応芽は、左腕のリストフォンを外して、床に叩き付けた。

 もともと右手に持っていた、先ほども見せた真っ赤なリストフォン、アサキのために作製されたというクラフトを、ゆっくりと、左腕に取り付けた。

「変身」

 応芽の全身が、眩しく光り輝いた。

     6
 眩い輝きの中に、少女のシルエットが浮かんでいる。

 (みち)()(おう)()の身体を覆っていた、すべての衣類が、引きちぎられた綿菓子のごとく四散し、一瞬にして裸になっていた。
 その、シルエットである。

 炎と揺れる赤い光が、細い糸状により合わさり、さらに絡み合った布状が、身体へと張り付いて、包んでいく。

 首から下のすべてが、絹よりも柔らかそうな、真っ赤な衣に覆われていた。

 つま先の部分が横に裂け、足の爪が見えたかと思うと、先端からするすると裏返りながらめくれ上がって、すね、膝、太ももの下半分までがあらわになった。
 見た目としては、真紅のスパッツである。
 めくれた裏地は、腰に巻き付きいて溶着されて、余った裾は正面できゅるり自然に結ばれた。

 頭上に、鈍く光る真っ赤な金属の塊が浮かんでいる。
 プレスされた鉄スクラップとしか見えない、単なる塊であったが、突然、複数のパーツに細かくばらけて、額、側頭部、肩、前腕、手の甲、胸、腰、すね、足の甲、身体の各部位に防具として装着されていく。

 上半身を前に傾けながら、両腕を、背中側へと持ち上げる。
 ふわり落ちてくる、袖のないコートに両腕を通すと、上半身を起こす。
 笑みを浮かべながら、力強く右腕を突き上げて、くるくる回りながら宙から落ちてくる巨大な剣の柄を、掴み、振り下ろした。

「変身、完了や」

 そこに立つのは、真紅の魔道着を着た慶賀応芽であった。

 真紅の防具には、細い白銀の装飾が施されている。
 見る者が見たならば、その装飾が魔法文字であることが分かるであろう。その文字を形作るラインの中にも、さらに細かな魔法文字が彫られていることが分かるであろう。

 本来、アサキが着るべきであった魔道着である。

 アサキは、その光景を前に、呆然とした表情で立ち尽くしていた。
 何故呆然であるかというと、まるで理解が出来なかったからである。
 状況が、というよりも、応芽の気持ちが。

 彼女が一体、なにを考えているのか。

 アサキ用に作られたクラフトを、応芽が手に入れ、魔道着を着た。これ自体は別に、アサキにとってはどうでもいい。
 自分は、強力な魔道着になど興味ない。
 必要な人が勝手に使えばいい。

 ただし、魔道着は戦いのための道具だ。
 それを手に入れたくて手に入れたということは、つまり、応芽は……

「ええ着心地やで」

 恍惚然の、くすぐったい表情を浮かべながら、応芽はぼそり口を開いた。

「ウメちゃん……」

 アサキの、半ば混乱した、半ば悲しそうな顔。

 その反応に満足したのか、応芽は、嬉しそうな表情をさらに深めたた。

「はあ、違和感ないわあ。この魔道着、まったく違和感あらへんわ」

 剣を握り締めながら、視線を落とし腰を回し、自分の身体のあちこちを嬉しそうに見ている。

「あたし、魔法力自体は並やけど、器用さには自信あるからな。それでか分からへんけどな。この魔道着、ほんましっくりくるわ」

 ザーヴェラーも一撃で倒せそう。
 そんな、自信に満ちた応芽の表情であった。

 首や肩を軽く回して、服を馴染ませると、剣を握りしめた右腕をすっと持ち上げた。
 剣の切っ先と、嘲笑する視線を、アサキへと向けた。

「ほな、試させてもらおかな。この魔道着の性能とやらを」

 腕を少し下げ、剣を両手に持ち、構えた。

 立ち尽くし、呆然と見つめているだけのアサキであったが、くっと息を吐くと、

「戦いたくない……」

 呼気のような、小さな声を発していた。
 顔を上げ、応芽の顔を見る。

「でも……」

 睨み付けるわけではないが、強くしっかりとした表情で、応芽の視線を受け止めた。

「戦いたくないから……戦わなければいけない」

 アサキは、制服のポケットに手を入れて、リストフォンを取り出すと、左腕に着けた。

「なんやの? 戦えば勝てるみたいな、その上から目線は。どこからくるん? 泣き虫ヘタレが、立派になったもんやな」
「勝たなきゃいけない。勝たなきゃウメちゃんを救えない」
「はあ? 救うとか救われないとか、アホちゃうか? あたしを……あたしたちをほんま救いたいと思っとるなら、とっとと絶望して(オルト)ヴァイスタになることやな。戦わなくとも済むで」
「駄目だよ。そうなっても、きっとウメちゃんは救われないよ。魂が、闇に落ちてしまうだけだよ」
「あたしはそれで構へんゆうとるんや。それを願っとるんや!」

 予想せぬアサキの反応に、調子を崩したか、応芽は腹立たしそうに吐き捨て、舌打ちした。

「駄目だよ、それじゃ」
「黙れ!」
「みんなが幸せになる道を探すんだ。だから……だから、わたしはっ!」

 アサキは、両腕を頭上で交差させた。
 制服姿の全身が、意思、魔法力に、光り輝いた。
 ゆっくりと両腕を下ろしながら、リストフォン側面にあるボタンを押した。

 と、次の瞬間、アサキの顔が苦痛に歪んでいた。
 自分の左腕を見て、驚きに目を見開いた。

 着けていたはずのリストフォンが、なくなっていたのだ。

 それは、少し離れた床に落ちて、転がっていた。
 表面のパネルは砕け散って、中の回路がショートして、ぱちぱち火花を散らしている。

 く、と呼気を漏らしながら、アサキは応芽を見る。
 右手に持っている剣。おそらくそれが、リストフォンを破壊したのだろう。

「負ける気せえへんってゆうたけどな、だからって堂々と勝負するとでも思っとったん?」

 自らの卑劣を自慢げに語ると、ゆっくりと、言葉を続けた。

「絶望すると、ええよ」 
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