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魔法使い×あさき☆彡

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第九章 再び合宿へ


     1
 煎餅を片手に、(りよう)(どう)()(さき)が、

「ええっ、また合宿うう?」

 なんとも素っ頓狂な声を上げた。

「うん。今度はの、学校でやるんじゃて」

 (あきら)()(はる)()は、そういいながら手を伸ばし、自分もお盆の煎餅を一枚摘んだ。

「ウメにゃんが加入したことだし、あらためてチーム作りを、ってことかにゃあ? ああくそ、やられたあ! ボンバーユニットなのに攻撃弱い!」

 (へい)()(なる)()が、リストフォンのゲームに夢中になりながらも、合間に言葉を返した。

「あんな輪を乱す性格が、合宿くらいでマトモになるわけねえのにな。あいつだけ、寺に修行に出せばいいんだよ。頭ツルッパゲにしてさあ」

 ははっ、と(あき)()(かず)()の乾いた笑い。

「そうやって、人の中身を決め付けるのは、よくありませんよ」
「はーい」

 (おお)(とり)(せい)()に注意されて、カズミはつまらなそうに煎餅を齧った。

「そうだよおカズにゃん、いっくら事実その通りだからってさあ」

 負けてゲームを終えた成葉が、天井くらいの高さにまで放り投げた二粒のピーナッツを、器用に口で受けた。

「……おう、このボケカスども、他人の家に強引に上がり込んでおいて、なにを好き勝手なこと抜かしとるんや」

 ふすまのところに立っている(みち)()(おう)()が、青ざめた顔で全身をぷるぷる震わせ、必死に爆発を堪えている。

 ここは、彼女が一人暮らしをしているアパートだ。

 1DK。
 一人で住むには適当な広さなのだろうが、さすがに六人もいると窮屈なものである。

「お菓子自前だし、性格クソ悪いボッチ女のとこに、わざわざ遊びにきてやってんだから、好き勝手抜かすくらい別にいいじゃねえかよ。あ、間違った、別にええやんかあ」
「せやから、関西を下に見る態度やめろ! 殴るでほんまに」

 ぐぐっと握った拳を、カズミへと突き出した。
 心の中では、既にボコボコ殴り始めているのかも知れない。

「関西だけを下に見ているわけではなあい。上に、遥か上に、万物のテッペン頂点に、このカズミ様が存在しているのだあ! 天井点眼えっとあとなんだ、マイケル・ジャクソンッ!」

 テーブルの前であぐらをかいたまま、カズミは、どどーんと右腕を天井へと突き上げた。

「天上天下唯我独尊も知らんアホのくせに、恥ずかしげもなく自分に様なんぞ付けとんやないで。おのれごときが様ならな、ほならこっちは応芽様様、いや応芽様様様や!」
「ならばこっちは、カズミ様様様様だ!」
「オウメ様様様様様や!」
「カズミ様様様様様様や! って、関西が伝染っちゃったじゃんかよ!」
「知るかボケが! 帰れえ!」

 だすっ、と応芽は激しく足を踏み鳴らした。カズミのアパートと違って、この程度で床は抜けないようである。

「ったく、狭い部屋ででっけえ声を出すなよ、もお」

 カズミは、割り箸を片手に、カップ麺の汁をずずっとすすった。

「お前もや! アホなこと叫んでたやろ! つうかカップ麺勝手に作って食うなああああ! ……うああ、残り少ない備蓄があ……」
「あ、ごめんね。そんな貴重だったのか。いや、煎餅だけじゃ腹が減ってさあ。代わりにこれやっから、なにかの足しにしてくれ」

 カズミは、カップ麺と箸をテーブルに置くと、バッグがさごそ小さな紙切れを取り出して、応芽へと差し出した。

「なんや、金や商品券なら倍はないと割に合わ……お前の写真やないか!」
「カズミちゃんブロマイドだよ。いつか価値が跳ね上がるぞお。よっ、わらしべ長者!」
「いらんわあ!」

 怒気満面、写真を突き返した。
 はあはあはあはあ、すっかり息荒くなっている応芽。の、背後で楽しそうな声、

「うわあっ、小学生のウメちゃんかわいーーっ」
「ほんとだあ。でもウメにゃん、今と変わらず目がきついし、見た目はかわいいけど、性格はこの頃から悪そうだにゃあ」

 アサキと成葉が、なんか本を見ながら楽しんでいたのである。

「写真を勝手に見るなああああああああああああああああああ!」

 応芽、狭い部屋を俊足超速ダッシュ全開、学習机の前で楽しそうにしているアサキと成葉から、アルバムブックを奪い取った。
 また取られぬよう、両手で頭上に持ったまま、息を切らせながら二人を睨み付けた。

「あ、ご、ごめん。置いてあったからあ」

 両手をひらひら、笑ってごまかすアサキ。

 と、応芽の頭上に持ち上げられたアルバムから、ひらりはらりと一枚の写真が、机の上に落ちた。

 小学高学年か、中学一年生か、とにかく現在とさほど変わらなくはあるが、少しあどけない顔の、応芽の写真だ。
 仲間たちと、楽しそうに笑っている。
 カメラ慣れをしていないためか、少し硬いが、邪気のない笑顔である。

「あ、あれ……」

 アサキの目が、疑問と驚きとに少しだけ見開かれた。
 片隅に、応芽と同じような、いや、そっくりな顔をしている女の子が写っていることに気付いたのだ。

 気が付かれたことに、気が付いたのか、

「双子の、妹や……」

 応芽は、あまり語りたくないといった空気を、ぼそり小さな声に乗せた。

     2
 居間のソファに横になりながら、お腹の上に、二匹の猫を乗せている。

 人差し指でアゴの下を撫でてやると、ごろごろ喉を鳴らしているのが分かる。

 喧嘩しているわけではないのだが、中学生女子のお腹の上に、二匹では狭いようで、時折ずるんと落ちそうになる。
 まだ柔らかな爪を立てて、必死に這い登ってくるのだが、ちょっとだけ痛いけど、でもちょっと気持ちいい。

 公園で拾い、飼ってくれそうな人を探していたのだが、結局、いつまでも貰い手が現れず、(りよう)(どう)家で飼うことになったものだ。
 毛の黒いのがヘイゾー、白いのがバイミャンである。

「それでね、学校でね、合宿をやるって話になっちゃってさあ」

 人差し指の腹に受ける、ネコ喉ごろごろ感を楽しみながら、(りよう)(どう)()(さき)は、キッチンにいる義母、(すぐ)()へと今日のことを報告している。

「ふーん。(はる)()ちゃんとか、あの女子プロレスラーの子とかと一緒に?」

 直美は、まな板に包丁とんとん大根を切っている。
 現在、夕飯の味噌汁を作っているところだ。

「うん」
「あれえ、そもそもアサキちゃんたち部活なんか入ってたっけ? こないだのは、ただの福島旅行だよね。……あ、そういや駅でどの子だか、合宿とかいってた気もするな」
「え……ああ、あのっ、いや、その」

 アサキは、予期せぬことをいわれて狼狽、猫の頭の長い毛をくしゅくしゅと掻き回し始めた。
 平静を取り繕おうと、強張りながらも笑みを浮かべつつ、でも頭の中ではすっかり困ってしまって頭を抱えている。

 ああああ、なにかそれっぽい理由を考えとくべきだったあ!
 直美さん、勘が鋭いんだからなあ。
 というよりも、わたしが直美さんに対していつも考えなしにものをいっちゃうだけか。
 それはともかく、なんていおう。
 この場をどうごまかそう。
 あ、そ、そうだっ。

「こ、こないだのはっ、旅行。ここ今回は、お、お泊り勉強会、みたいな。ほら、わたしたちみんな成績悪いからあ。()(くろ)先生が教えてくださるんだって。……さあて、そろそろヘイゾーとバイミャンにご飯をやるかあ」

 ソファから立ち上がったアサキは、スエットのお腹に二匹が爪を立てぶら下がっている状態のまま、食器棚のところまでいき、ウェットフードを準備し始める。
 しかし……

「えー、アサキちゃん成績悪くないじゃん。結構勉強してるでしょお」

 義母様、追撃の手を緩めるつもりは毛頭ないようである。
 おそらくは本人にそういうつもりはなく、ただ普通に会話をしているというだけなのだろうが、結果的に。

「あ、ええと、その、学校のみんなが優秀だから相対的にわたしがバカっていうか……」
「そうなの? でも、あの(せい)()ちゃんっていう優等生そうな子なんか、学年首位ってオーラを放っていたけどなあ。あの子も実はよくないの?」
「う、うん。そうなのだ」

 と頷いた瞬間、激しい後悔に襲われた。

 頭がいいから先生と一緒にわたしたちの勉強を見てくれるんだよお、とかいっとけば済む話だったのに。
 だというのに、無駄に彼女のこと貶めてしまった。
 でも、でも、これ以上墓穴を掘りたくないから訂正はしないでおこう。
 もうこの話は終わりっ。

「へーっ、彼女勉強出来そうなのになあ」

 だだ、だからもう正香ちゃんの成績の話はやめてえええ!

「ははは。実はわたしより酷いんだあ」

 ごめん、正香ちゃん……
 本当にごめん。
 あなたは、発するオーラだけでなく、現実文句なしの学年主席です。

     3
「楽しみだ。

 と、私の日記には珍しく、気持ちの描写から入ってしまった。
 何が楽しみかというと、また、魔法使いとしての強化合宿をすることになったのだ。

 ウメちゃんがスタンドプレーに走る傾向にあるので、そこを改善したいということ。
 間違いなく向上している私の魔法力に対して、直接指導をしてより洗練させたいということ。
 この二点を改善向上させることにより、我々天王台第三中学の魔法使いは集団としてさらに強力になる。という考えで、須黒先生から話を持ち掛けられたのだ。

 以前の合宿は、ただ遠いというだけで観光旅行のような気分になってしまう面もあったが、今回は近場でみっちり鍛錬をするというだけに過ぎない。
 それのどこが楽しみか、ということだが、
 普段と違う変わった環境に身を置くことによって、私の知らないどんな私が見られるのか。ということだ。

 須黒先生は、ハードなトレーニングになるといっていたけど、
 お前について来られるか、とカズミちゃんにはからかわれたけど、
 でも、私だって成長しているんだ。
 しっかりとついていって、そして、まだ見ぬ新しい私への扉を開けるんだ。
 頑張るぞ。

 そうそう、合宿の話とは変わるけど、記しておきたいことがある。

 今日、ウメちゃんが一人暮らしをしている部屋へ、初めて遊びに行ったのだ。
 物があまりないせいもあるけど、とても綺麗に片付けられた部屋だった。
 同じ女子として見習わないとな、と思った。

 遊びに行こうと言い出したのは、カズミちゃんだ。
 ウメちゃんをからかうだけならまだしも、備蓄品のカップラーメンまで勝手に作って食べちゃって、今日もいつも通り悪逆非道の限りを尽くしていたけど……
 たぶんあれが、カズミちゃんなりの不器用な思いやりの表現方法なんだろうな。一人っきりで誰も友達が来ないんじゃ、寂しいのじゃないかと。喧嘩相手もいないんじゃ、寂しいのじゃないかと。
 実際ウメちゃん、息を荒くして激怒しつつも、表情がイキイキとしていたものな。

 その部屋で、ウメちゃんの子供の頃の写真を見た。
 正確には、勝手に見て怒られた。

 現在と変わらず目付きは悪いけれど、現在と変わらずとってもかわいい顔だった。
 その写真には、ウメちゃんとそっくりな顔の女の子が写っていて、双子の妹だって。
 妹ということ以外、話したがらなかったんだけど。
 いや、同じ顔をしているから、妹だと教えてくれただけで、何も言いたくない様子だった。

 妹さんと、何かあったのかな。
 以前、治奈ちゃんに史奈ちゃんという妹がいることを知ったウメちゃんが、やたらと嫌味を言ったり絡んでいたことがあったんだけど、それも関係あるのかな。
 仲が悪くて喧嘩しているとか、それくらいならまだいいけど。
 悪いこと、悲しいことじゃ、なければいいけど。

 ああ、そうだ、
 その写真について、もう一つ気になったことがあるんだ。

 ザーヴェラーとの戦いの後に、ウメちゃんが、祥子と呼ばれていた魔法使いと戦っていたこと、以前日記に書いたけど、
 その子が、一緒に写っていたのだ。

 私服姿の写真だから、その頃にもう魔法使いだったのかは分からないけど。

 祥子という子は、ぶすっとした表情なのだけど、前列に立つウメちゃんは、端に写っている妹と一緒にそれはもう楽しそうに笑っていて。
 だから、全体としては楽しい、和気あいあいとした写真なのだろう。

 後に二人が、武器を交えるような間柄になるだなんて、あの写真を見て誰が信じられるだろう。
 ……誰なんだろう。
 あの、祥子という人は。
 過去にウメちゃんと何があったのだろう。

 話が横に横にスライドしていくようで、日記がまるでまとまらないのだけど、気になったことといえば、もう一つあるんだ。
 ウメちゃんの話はもうおしまいで、今度は正香ちゃんのことだ。

 なんだか上の空になっていることが多い、などと様子がおかしいこと、以前も日記に書いたことがある。
 あれからも注意して見ているのだけど、やっぱり、時々おかしいのだ。
 塞ぎ込んでいるような、イライラしているような、悲しいような。
 普段はまったくそんな素振りはないのだけど、時折見せるそうした表情が、なんだか切なくて。
 私の思い過ごしかも知れないけど、でも、たぶん思い過ごしではないのだろう。

 それとなく、本人に聞いてみた方がいいのかな。悩んでいるなら聞くよ、って。
 余計なお世話かな。

 十代の女子が当然に持つ普通の悩みなら、別にいいんだけど。
 まあその可能性も充分にあるだろう。
 だって、こんなボケボケしている私にだって、色々な悩みがあるくらいなんだから。
 もうしばらく、様子を見るしかないか。

 さて。
 もう遅い。寝よう。

 明日は、いい合宿になりますように。」

     4
 天王台第三中学校の体育館は、閑散としながらも一角だけは人が密集しており、なんともいいがたい妙な熱気に包まれていた。

「シゲ、四番も見ろって!」
「分かってるよ!」
「シュン、せめてコースに立てよ!」
「出来るならやってんだよ!」

 男子たちの、悲痛ともいえる叫び声が反響している。

 コートの中で、バスケットボールを右手で小気味よく弾ませているのは、体操服姿の(りよう)(どう)()(さき)である。
 男子を一人を背負っている状態だが、今の声掛けに押された男子がもう一人、アサキの正面から向かっていく。

 アサキは、軽く首と視線を動かして、背後の状況を確認すると、一気に仕掛けていた。

 だん、
 前方へと大きくついた瞬間、自身も跳ねるように加速して、あっという間にボールに追い付くと、向かってくる相手の脇をするり抜けていた。

(りよう)(どう)、こっちや!」

 横目に、手を高く上げながらサイドを駆け上がる、(おう)()の姿が見える。
 アサキは、ポイントガードを抜きに掛かる素振りを見せた瞬間、真横へボールを投げていた。

 かなり強目のパスであったが、応芽はしっかり両手にキャッチすると、すぐさまドリブルに入り、向き合う男子をかわしざまゴールへバンウドパスを出した。

 だがゴールに味方はおらず。

 いや、後方から走り込んだアサキが拾っていた。
 両手でしっかり持ちながら、小さくジャンプすると、右手で軽くボールを放り投げた。

 ボールはリング内周をぐるぐる回り、内側に吸い込まれ、ネットを小さく揺らした。

 得点である。

「ナイシューや令堂! よお決めたで!」
「ウメちゃんのパスが最高だったよ」

 二人は、高く上げた手をパンと打ち合わせた。

「くそお」
「またこの二人の連係からかあ」
「分かっちゃいるのになあ」

 男子たちが、肩を落として悔しがっている。

 彼ら彼女らが現在ここでなにをしているのかといえば、もちろんバスケットボールである。

 アサキたちの相手は、この中学の男子バスケットボール部員。
 男子部員が五人に対して、アサキたちは四人。この条件で試合を行っているのである。

 人数に差があるだけでなく、性別の違いもあるというのに、得点がほぼ互角であるばかりか、見る者を驚かせる圧巻のプレーはむしろアサキたち女性チームの方にこそ生じていた。

 特に素晴らしいのがアサキと応芽の二人で、実際、得点の大半が、彼女たちの連係から生まれていた。

 試合開始前は自信なさげであったアサキだが、いざ始まってみれば誰よりも生き生きとしており、攻撃に守備に走り回って、獅子奮迅の大活躍である。

「どこまで伸びるんだよ、あいつは」

 壁際で腕組みしながら、その活躍を唖然憮然のない混ぜになった複雑な表情で見つめているのは、(あき)()(かず)()。突き指したっ!といって、開始早々にピッチを出て、それからずっと見学組を決め込んでいる。

 そのため彼女たちは、本来は二つあるはずの交代枠を、一つだけで順繰り回している状態なのである。
 今も、「ローテーションもへったくれもなく、すぐ出番くるから疲れるけえね」と不満をいいながら治奈が、正香に代わって入ったところだ。

「カズミさん、その言葉は魔法使い(マギマイスター)としての能力をいっていますか?」

 ピッチから出た正香が、周囲に聞かれないよう、こそっとした小さな声で、カズミへと尋ねる。先ほどの、「どこまで伸びるんだよ」に対しての質問だろう。

「コートでのこの躍動も、魔法力と精神力向上の賜物ですからね。もともとの競技経験に加え、読みが鋭くなって、そこから気持ちの好循環が生まれているという状態。……凄いですよね、アサキさんは」

 正香は目を細めてふふっと笑った。
 カズミは、顔を正面に向けたまま、横目でちらり正香を見ると、

「別にあたし、あいつのことこれっぽっちも褒めてなんかいないんだけど。つうかあいつ、バスケ以外のスポーツてんでダメじゃん。跳び箱すらろくに跳べないじゃん。逆上がりも出来ねえじゃん。あいつ、自転車も乗れないんだぜ。魔法力が向上してるからって今の理屈なら、他だってやれるはずだろ」
「そこはきっと、自信がないんですよ。気持ちの乗れる時と乗れない時の、波が激しいんですね。……でも自信を持てるところから、どんどん自信をつけて、着実に基礎値が上がっている。……こうしてどんどんアサキさんが成長していくのも、かわいい後輩をずっと叱咤して育ててきたカズミさんとしては、ちょっと寂しくもありますね」
「うん。まあね……って、バカいってんじゃねえよ! もっともーっと、あと五億倍成長しなきゃあ使い物になんねえよ、あんな泣き虫のヘタレ女」

 カズミは踵で床を蹴ると、ぷいっと横を向いて腕を組み直した。
 しかし、だすだすとボールの弾む重たい音についつい引き寄せられて、また視線を落として、試合の様子を見てしまう。
 試合というより、アサキのプレーを。

 現在は、治奈が男子部員の背中から回り込むようにボールを拾い、そのままドリブルでキープしているところだ。

「治奈ちゃん!」

 アサキが飛び出しながら叫ぶと、治奈が反応して素早くパスを出した。
 男子二人の間を風のように抜けたアサキは、ボールを受けた瞬間にドリブルに入っていた。
 すっと一人をかわし、さらにもう一人を抜きに掛かる、と見せて治奈へと戻した。

 アサキに男子たちの意識が集中していることを察した治奈は、すぐさま反対側の応芽へとパスを出す。

 応芽は、そのままドリブルでゴールへと近付いてシュートを放った。
 両手でしっかり丁寧に狙ったシュートであったが、打つ瞬間男子に背中を押されたためか、力みすぎ、放物線を描いたボールはそのままゴールを越えてしまった。

 だが、読んでいたのか可能性の一つとして想定していたのか、そこへ反対側から駆け込んだアサキが、高く高くジャンプしながら、空中でそのボールを手のひらで押し上げた。

 ボールは、リングを潜り抜けて落ちた。

「やった、同点や!」

 ハイタッチをする応芽とアサキ。二人の肩を、笑いながら治奈が叩いた。

 ふう。
 壁に寄り掛かって試合を見ていたカズミは、ため息というのか何息というのか、頭を掻くと口元を歪めて笑みを浮かべた。

「どこまで、伸びるのかなあ。あのナキムシクソヘタレは。……跳び箱に衝突して泣いてたくせに、なんなんだ」

 と、ここで須黒先生の吹く長い笛の音が鳴った。

「はい、練習試合はこれで終了です。男子部員のみんな、ありがとうございましたあ!」

 ぱんぱんと手を叩く音が響くと、それが合図であったかのように男子たちは、床にへたり込んだり、倒れたり、

「なんなん、先生、なんなん、こいつらさあ! バスケ部でもないくせにさあ!」

 と、食って掛かったり。

 バスケ部員ではない、しかも女子の、しかも自分たちより選手数が一人少なく、交代枠も一つしかない、そんな相手に、圧勝どころか同点という結果を考えれば、落ち込むのも当然というものだろう。

 最初の方こそ男子は手を抜いていたとはいえ、何点か決められてからは段々とガムシャラになり、最後の方は体格差に物をいわせたかなり乱暴なプレーまでしてしまったというのに、女子たちはするりするりと華麗な連係で抜け出して得点を重ねていくのだから、恥の上塗りもいいところである。

「令堂、令堂、お前すげえんだな、男子相手なのに大活躍じゃん。一番目立ってたよ!」

 アサキへと声を掛ける男子は、同じクラスの(むら)()(さかえ)だ。
 惨敗の悔しさこそあれど、それとは別にアサキのプレーにすっかり感動感服しているようである。

「そ、そんなことないよお」

 褒められたから、というよりも、思いがけず男子に話し掛けられたことで、アサキはちょっと顔を赤らめて、手を振り照れ笑いをした。

「なにいいいっ? 恋する村田くんのために頑張ったのよ、だってえ? ほんとか、アサキい!」

 カズミがからかった、早速。

「だだっ、誰もそんなこといってないでしょおおお!」
「勝負には勝ったけど、小さな胸をスリーポイントでズキュンと撃ち抜かれたってええ?」
「だからあ……からかうのやめてよお! それに、同点だったよお!」

 さらに顔を赤く赤く、赤毛の髪より赤く染めてしまうアサキなのであった。

     5
 男子バスケ部員が全員帰ると、校内に()(ぐろ)先生やアサキらメンシュベルト関係者の他は、誰一人いなくなった。

 普段は狭いと感じる校内も、さすがに七人だけだと、とんでもなく広く、静かである。
 平日のざわめきとは打って変わって、離れた場所で蹴る小石の音まではっきり聞えそうなほど静まり返っている。
 建物の外も、中も。

 そのような雰囲気の、校内で、アサキたちはこれから昼食である。
 天王台第三中学校は、公立中で食堂がないため、北校舎四階の家庭科室に集まって、各々持参した弁当を食べるのだ。

「今日は一般生徒も教師も、入れないようにしてあるからとはいえ、ほんと寂しくなるくらい静かねえ。採点で残っているような気分になるわね」

 窓際の席に座っている()(ぐろ)()(さと)先生が、遠く眼下にキラキラ輝いている手賀沼を眺めながら、しみじみ呟いた。
 この直後に、自分自身の行動というか奇行というかで、迷惑なくらい騒々しくなることなど、なにも知らずに。
 きっかけは、(へい)()(なる)()が無邪気な顔でのほほんと発した、余計な一言。

(さき)(むら)センセもここにいれば、須黒にゃんも寂しくなかったのにねーっ」

 (さき)(むら)(りゆう)(いち)、二十五歳。顔立ちが整っているというただそれだけで女子生徒に人気の、そして女性教師からもきっと人気であろうだってイケメンだもんと生徒らに囁かれている、男性教師である。

「ああ? なんだ(へい)()え、ウラアアアアアッ!」

 須黒先生の荒々しい雄叫びが、家庭科室の空気をバリバリ震わせた。
 平家成葉の身体が、軽く椅子から引き剥がされたかと思うと、ぶうんと唸りを上げて小柄な身体が小さな弧こを描き、背中側から、首が床に叩き付けられていた。

 バックドロップ。
 いわゆるプロレス技である。
 鉄人ルー・テーズが使用したことで、一躍有名になった技だ。

 瞬間的に沸点に達した須黒先生が、立ち上がるや否や、成葉の背後に回り込み、怒りに我を忘れつつもなんだかんだ高度な技で、床へと叩き付けたのだ。

「あぎゃああああああああ!」

 悲鳴絶叫、成葉は激痛に顔を歪めて、どったんばったん地を這うウナギそっくりに身をくねらせ、のたうち回っている。

「あ、ご、ごめん、身体が勝手に。平家さん、ほんとごめんね。ちょっぴりやりすぎちゃったっ」

 須黒先生は両手を合わせ、えへっ、と可愛らしい笑顔で謝った。

「いえいえ、ナルハの方が迂闊だったにゃん」

 あーいえばこーなる、と分かってたはずなのにということだろうか。

「ひーん、首が痛いよお」

 成葉は顔をしかめて、後頭部や首の後ろを、すりすりさすりながら、ゆっくりと起き上がった。

 そんな様子を見て、指差して容赦なく笑っているのはカズミである。

「バカだなあ、ナル坊は。先生この粗暴な性格で、婚期を逃し続けているのにさあ」
(あき)()あああああああああああああああっ!」
「うわっ!」

 須黒先生は、カズミへと猛烈な勢いで迫ると、正面から胸ぐらを掴んで、恐ろしい腕力で強引に椅子から立ち上がらせた。
 正面から、身を屈めて腰の辺りへと抱き着いて、

「こうやって持ち上げて、と、よいしょっ、パワーーーーーーーーッ! ボム!」

 ぐわっと勢いよく持ち上げると、そのまま床に背中を叩き付けた。

 パワーボム。
 いわゆるプロレス技である。
 鉄人ルー・テーズが使用していたリバース・スラムを洗練させたもので、日本のプロレスラーである天龍源一郎によって広められた。
 ダメージを与えるだけでなく、そのままフォールに持っていくことも可能な技である。

 どごおーーーーーん!

 硬い木の床だというのに、現場周辺、地震のごとくにぐらぐら揺れた。

「ぎゃああああああああっ!」

 カズミの絶叫が、静かな校舎内に響き渡った。

「あ、ご、ごめんね昭刃さん、あれ、おかしいな、身体が勝手にい」

 またも両手を合わせて、えへっ。

「いやいや、すっげえ冷静に技を掛けてたよお! もうやだあ、この先生」

 因果応報という言葉を、誰かカズミに教えてやる者はいないものか。

「なんのことかしらあ、ほほほお。それより早く食事にするわよ! 午後からも色々あるんだから、だらけてる暇はないの!」
「はああ? どの口がいってんだあ」

 カズミは腰を押さえながら、よろよろと起き上がった。

 いつもアサキに好き放題プロレス技を掛けていじめているが、先生の前ではたじたじなのである。
 まあ、ほとんどの場合はカズミの自業自得なのだが。口は災の元、口は災の元。南無。

「先生、色々って、このあとの予定は?」

 治奈が、昼食の用意をしながら尋ねる。

「ええと、まずは瞑想でしょ。次は座学で、『魔法力を効率よく伝導させるには』。その後は、ゲストを招いての、集団戦の訓練」
「えっ、ゲスト? はて、誰じゃろかのう」

 治奈は、かわいらしく小首を傾げた。

「教えたらつまんないでしょお」
「といいよるからには、知っとる人か。……はあ、さしずめ第二中ってとこじゃろ」

 あの、チェケヨロの(よろず)(のぶ)()がいるところである。

「だ、だから先読みをするな! た、たぶんそこではない、かも知れないけど、ひょっとして、でも、もしもたまたまそこだったりしたら、つまんないでしょお!」
「須黒にゃん、答えいっちゃってるよお」

 声出して笑う成葉。

「いってません! というか先生にまで『にゃん』を付けるのやめてよ! さっきからさあ。そもそも、どうして名字に? ミサにゃんならいざ知らず、スグロニャンとか妖怪じゃないんだから」

 細かいところに噛み付くスグロニャン。いやミサにゃん。

 などと、わいわいやっている中、カズミがぎりりと歯を軋らせた。

「第二中……」

 前髪で影になったちょっと暗い表情で、ぼそり口を開くと、ダンッと強くテーブルを叩いた。

「ああ、恨みあるもんねえ。カズにゃんは」(前章ラスト参照のこと)

 成葉は直球でからかうと、その時のことを思い出したか、指を差してわははは大笑いを始めた。

「あははははは。どんな食い物であろうともーーっ!」
「アホかあああああああ! つうか、そんなネチネチ、いつまでも古いこと覚えてねえよ。さあ、んなことよりもメシだあ、食うぞおおおっ!」

 カズミは座りながら屈んで、足元のバッグに手を入れがさごそ、なにやら大きな塊を取り出した。
 ラップフィルムに包まれた、メロンほどもある超巨大なおにぎりが二つだ。

「おー、ワイルドおおお! さすがあ!」

 成葉は腰を浮かせて、テーブルの上を這うように巨大おにぎりへと顔を寄せ、まじまじ覗き込んだ。

「学習机の本棚の上に、ちょこんと置くタイプの、地球儀かと思ったあ」

 アサキも同じようにして、好奇に満ちた顔を寄せた。

 性格幼い組の二人が、顔を並べて、まじまじ見つめているのを見て、カズミはちょっと恥ずかしそうに、

「我が家は食えりゃいい主義で、どう頑張ったって恥ずかしくないまともな弁当なんか作れやしないから、じゃあ開き直って、こんなんでいいやって思ってさ。その代わり、具は、肉野菜炒めを細かくしたのがぎっちり入ってんだ」
「へえ、それなら健康的だねえ。わたしのは、ど ん な か な?」

 アサキも、足元のバッグから、ピンクのランチクロスに包まれた弁当箱を取り出すと、テーブルの上に置いた。

 と、突然カズミが悪戯っぽい表情になり、立ち上がって、アサキの背後に回り込んだ。
 腕を回して、二つの超巨大おにぎり同士を、アサキの胸の前でむぎゅーっと押し当てた。

「おっぱいっ!」
「ひゃゃああああ、やめてえカズミちゃん!」

 不意打ちのお下品ネタに、アサキは顔を赤らめ悲鳴を上げた。

「わたしリョウドウアサキ、天王台に住んでるちょっとおバカな中学二年生。アホ毛以上の悩みがあるの。せめてこれくらいの胸にはなりたいなあ」

 カズミはかわいらしい声色を作りながら、二つのおにぎり同士をさらに押し当てた。

「お、思ってないよ! 勝手に人の心の声を作らないでえ! おおっ怒るよお!」

 顔を赤らめながら、声を荒らげるアサキ。
 胸の前でむぎゅむぎゅやられているのが、なんとも情けない姿であるが。

「本当にい? 思ってなあい?」

 カズミがおにぎりむぎゅむぎゅしながら、吐息交じりのちょっといやらしい声で問う。

「本当!」
「でも今よりちょっとくらいは、大きくなりたいとか思ってんだろお?」
「そ、それは……」

 真っ赤な顔でうつむいているアサキであったが、やがて恥ずかしそうに顔を落とし、自分の前髪に表情隠しながらこくり小さく頷いた。

「はいはい、食べ物で遊ばない! 殴るわよ、いい加減にしないと」

 須黒先生がちょっと怒った顔で、ぱんぱんと手を打ち鳴らした。

「先生は人並みにサイズがあるから、アサキの切ない気持ちが分からないんですよ!」
「わたしの話はもういいよおおおお!」

 アサキは、目に涙を溜めて、震える情けない声を張り上げた。
 あとちょっと続いていたら、多分本当に泣き出していただろう。

「なあ、明木……昭刃っていつからこんな下品なことしとるん?」

 応芽が、ちらりカズミへと、蔑みの視線を向けながら、治奈へ問う。

「さてのう。いつからじゃろ。幼稚園の頃には、おにぎりが二つあると必ずやっとったなあ」
「筋金入りか! ……ああ、自分ら、その頃からの仲やねんな」
「ほうじゃね。ただうちは幼稚園の時だけここで、基本は広島じゃったけどね」
「そうそう、だから小五で治奈がこっち転校して再会した時はびっくりしたなあ」

 カズミが、いつの間にか会話に参加している。
 今度は自分の胸の前で、おにぎりむぎゅむぎゅさせながら。
 応芽のいう通り、確かに筋金入りのようだ。

「さて、うちの弁当じゃ。慌てて作ったけえ、スカスカで崩れとらんとええが」

 そういいながら、治奈も自分の弁当の包みを広げ、蓋を上げた。

 小さなステンレスの弁当箱の中に、ご飯、八宝菜、タコさんウインナー、ひじき、パイナップルとリンゴ、などが少しずつ入っている。

 崩れていないのを確認すると、治奈はほっと息を吐いた。

「へえ、明木さん、栄養バランスのよさそうなお弁当ね」

 ちらり中を見た須黒先生が、感心したふうに頷いた。

「本当だな。あたしてっきり、焼きそばの上に小麦粉薄く焼いたの乗っけて上にソースかけたのを持って来るのかと思ってた」

 などとからかうのは、もちろんカズミである。

「それはお好み焼きじゃろ! 普段はあまり食わんけえね。店の手伝い中に、つまみ食いはするけど」
「アサキのもさあ、弁当箱はかわいらしい感じだよな。(すぐ)()さん作ったんだろ? 早く開けて見せてよ」

 カズミが、ぴたり密着しながらアサキを急かす。
 自分の弁当が、巨大とはいえおにぎりだけでは、すぐに食べ終わってしまうから、自分の食べ始めを遅くしたいのであろう。

「さっきの件、全然解決してませんから、親しげに身体を寄せてくるのやめてもらえますかあ?」

 つーんとした態度のアサキ、の襟首がガッと荒々しく掴まれていた。

「なんだとこのクソ女あああ!」
「ぎゃあああああああ、ぐびじめるのやめでえええええええ! ごめんわだじがばるがっだああああああ!」

 ぎりぎりと容赦なく締め上げられて、みるみる青ざめるアサキの顔。
 土気色になった、息の根が止まる直前に、ようやく解放され、しばらくの間、涙目でげほごほむせ続けていた。

「で、でばあ、ばだじもぼ弁当おーぶん」

 ざらざらした、なんだかとんでもない声で、アサキは弁当箱を開いた。
 いや、開こうとしたところでストップがかかった。

「アサキ、アサキッ、そ、そのしゃがれた声のうちに、こんにちはモリシンイチですっていってみてくれっ!」

 目をキラキラわくわく、しょーもないことを頼むカズミ。

「やあだよ。よくそんな昔の歌手を知ってるね。それより、前にもカズミちゃんに、似たようなこといわれた気がするよお」

 ごほ、とむせる懐メロ好きのアサキさん。

 その両手の中にある弁当箱を、今度は治奈が身体を寄せて、覗き込んだ。

「ああ、カズミちゃんのいう通り、ほんとにかわいらしいお弁当箱じゃね」

 治奈に褒められて、まだ少し土気色を残していたアサキの顔色は、一瞬にして健康ほんのり桜色へと回復して、

「とてつもなく早起きの苦手な(すぐ)()さんが、頑張って早起きして、気合を入れて作ってくれたんだあ。……どんなお弁当なのかなあ。楽しみだあ」

 にんまり笑顔で蓋を開けた。
 期待して顔を寄せ中を覗き込むと、一面ご飯の大海原、の上に細く切った海苔で、「根性!」「ドリョク!」。

 がくーーーっ。
 笑みを硬直させたまま、思わず前のめりに、顔から弁当に突っ込みそうになるアサキであった。

「シュールやねんな」

 どこがシュールなのかは分からないが、(おう)()がさりげなく突っ込みを入れた。

「うーん。勉強のための合宿、っていってしまったからかなあ。あっ、あっ、でもっ、見てっ、見てっ、ほらっ、敷かれたご飯は薄くなってて、下にはお肉とか色々詰められてるよ。おおお、凝ってるなあ」
「令堂さん、いただきますの前に箸でほじらないの!」
「はいっ! 気を付けます!」

 先生にマナーの悪さを指摘されて、アサキは真顔になり肩を縮めた。
 でもすぐに、じわーっと顔が変化して、笑みが浮かんでしまう。
 凝ってる凝ってないというよりも、このような物を義母が自分のために、苦手な早起きを頑張って作ってくれたことが嬉しくて。

「あら、大鳥さんは、とっても上品な感じのお弁当ね」

 という先生の声に、みんなの視線が正香の木製弁当箱に集中する。
 俵状になっているゴマ塩をまぶしたご飯、筑前煮、梅干し、玉子焼き、質素ながら手の混んでいること一目瞭然、なおかつ栄養バランスもよさそうな弁当だ。

「ナルハさんはコンビニ弁当なのだーーーーっ!」

 突っ込まれる前に自分から、ということか成葉は取り出した物をテーブルに置きながら、やけくそ気味な大声を張り上げた。
 サラダ、唐揚げ弁当、牛丼、はーいお茶のペットボトル。
 を、コンビニエンスストアのレジ袋から取り出した。

「あたしは時間がなくて、たいしたもんは作れへんかったんやけどな」

 応芽は、言葉とは裏腹の、どうぞ見てくれ絶対見ろといわんばかりの、自信ありげな澄まし顔で、半透明の蓋を開けた。

 ご飯。半分はゴマ塩、半分はノリ。
 インゲンの肉巻き。
 筑前煮。
 タコさんウィンナー。
 ウサちゃんリンゴ。

「あらあ(みち)()さん、レイアウトも栄養バランスもセンスがちょおっと惜しいわねえ」

 にこにこ笑顔で覗き込むの須黒先生、おそらく邪気悪意はまったくないのであろう。
 しかしこの言葉は、応芽のプライドを引き裂くに、充分過ぎるものであった。

 はっ、と目を見開いた応芽は、全身をぷるぷるさせながら、邪気ない先生の顔を見つめていたが、やがて、ぷるぷるしたまま手を伸ばして、カチコチの笑みを浮かべながら、ぷるぷる震える手で弁当の蓋を閉じた。

「あれ、慶賀さん、どうかした?」

 にこにこ笑顔のまま先生は、ちょっと首を傾げた。

「な……なんでも……」

 応芽の目に、じわりと涙が浮かんでいた。
 ずっと鼻をすすった。

「うわあーーーーっ!」

 席を立つや否、ドアへと向かってまっしぐら。
 ずだーんと激しく転倒するが、すぐに起き上がると、身体の痛みと心の痛みに泣き叫びながら、家庭科室を出て、どこかへ走っていってしまった。

「うっわあ、ウメちゃん、かわいそうにのお」

 空いたドアを見ながら、同情の渋い顔を作る治奈。

「え、え、先生なんか悪いこといった?」

 須黒先生は、さっぱり意味が分かってないようで、不思議そうな顔でうろたえている。

 そんな先生を、前髪に隠れた上目遣いで、おずおずと見ているアサキ。
 先ほどカズミがいっていた、先生が婚期を逃し続けているという話、なんとなく納得してしまうのだった。

     6
 さて、再び場所は体育館である。

 がらんと静かな館内の片隅に、白シャツと青いショートパンツという体操服姿のアサキたちと、紺色ジャージを来た()(ぐろ)()(さと)先生が立っている。

 これから、ゲストを招き加えて、大人数にした上で、集団戦闘の訓練を実施するのだ。

 みな、ちょっと楽しそうに、ぼそぼそ小声で会話している中、(あき)()(かず)()だけが例外で、イライラ顔を隠しもせず、腕を組んで指をトントン、踵で床をしきりに蹴り付けている。

 須黒先生は、ちらり後ろの出入り口を確認し、えへっ、という感じにそこにいるであろう人たちに愛想笑いしながら小さく頷くと、アサキたちへと向き直った。

「それではお待たせしました。本日の特別ゲストは、なんとなんとメンシュヴェルトの(とう)(かつ)本部長のお…………じゃなくてやっぱり天王台第二中の魔法使いの子たちでしたあ。(あきら)()さん、お見ごと大正解っ! ではどうぞ、入って下さあい」

 駆け足やっつけ気味にごまかすかのような、須黒先生のこの態度。
 ゲスト誰だかお楽しみ、などといい放っておいて、最初からバレバレだったものだから、なんとも気まずいのであろう。

「どーもー」
「しくろよーッス」
「ハーイ」

 他校の制服であるセーラー服姿の、なんだか揃いも揃ってチャラチャラした感じの女子たちが、出入り口から館内へと入ってきた。

 服装は、別段だらしなく着崩しているわけでもなく、髪も染めておらず、黒髪だというのに、口調や仕草だけで充分過ぎるほどに伝わるこのチャラチャラ感はどうだ。

 (よろず)(のぶ)()を筆頭とする、天王台第二中学校の魔法使い(マギマイスター)たちである。

 待っている間ずっと、ストレス抱えた凶悪犯のようなムスッとした顔をしていたカズミであったが、その万延子の顔を見た瞬間に忍耐限界、激高し、吠えた。

「うおおおおおお!」

 どどーん、とオーラみたいなものがチリチリうねる背景の中でサイキッカーが能力発動させるシーンのように、髪の毛をぶうわーっバサバサーっと逆立たせ、吠えながら床を蹴っていた。
 風を超える速さが作り出す残像の先頭で、カズミは、万延子を蹴り飛ばし、空中で、さらに膝に乗り上げながら腰をぶんと回して、さらなる絶叫そしてパワーを解き放つ。

「シャイニングイナズマ!」

 グガッ!
 空中で、万延子の顎にレッグラリアットがクリティカルヒット。
 予期せぬ暴風にどうしてたまろうか、万延子の身体はあっけなく吹っ飛ばされて壁に背中を打ち付けた。

 シャイニングイナズマ。
 いわゆるプロレス技である。
 シャイニング式、つまり片膝立ちの相手を踏み台にしてのレッグラリアットだ。それを空中でやってしまうところから、カズミ式と呼ぶ方がふさわしいかも知れないが。

「おいっつう!」

 奇妙な悲鳴を上げつつ、壁に打ち付けられた、チャラチャラ団のリーダーは、悲鳴こそ剽軽だが結構ダメージを受けたようで、そのままずるずると床に崩れた。

 と、その上に、すかさず飛び掛かったカズミがまたがっていた。マウントポジション、格闘において絶対優位な状態である。

「びっくり箱の恨みいいいいい、わあすれえてええねえぞおおおおおお!」

 ぎゅぎゅぎゅーっと容赦なく、ぎりぎりーっと容赦なく、両手で万延子の首を締め上げる。もげそうなくらいに力を込めて。
 命懸けの仕事を代わってあげて死にかけたのに、貰ったお土産がパンチ飛び出すびっくり箱で、すっかり食べ物と思って意表突かれてパンチ食らって、倒れて頭を打って気絶した、積年の恨み、晴らすは今!

「が、やめろお! がのあとっ、ぢゃんとしたお菓子を買って持っていったじゃないがあ!」
「記憶にねええええええええええ!」

 ぎりぎりぎりぎりーっ!
 と、ここでいったん首締めを解除したカズミは、()(とう)(けい)()というかなり昔に活躍したプロレスラーのポーズを真似してイヤーッと叫び、そしてまた首締め作業を再開だ。

 余談であるが、あらためて貰った、そのちゃんとしたお菓子は、カズミが一人で食べてしまった。
 ひったくるように受け取るや否や、硬い紙箱をばりばりびりびり歯で食い破って、訳の分からないことを大声で怒鳴り叫びながら、チョコ菓子を一人で、全部。

 そんな記憶が、あるのかないのか分からないが、とにかくカズミはぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅーっとマウントポジションで、万延子の首を締め続けている。

「いい加減にしろお、チャラくても怒るぞお」

 自分でチャラいとかなんとかいってる万延子。
 本当に怒っているのかは分からないが、だんっ、と足と腹筋の力とで、自分にまたがっているカズミの身体を、大きく跳ね上げていた。
 そのまま彼女は、スカートの中が丸見えになるのも気にせずぐいんと腰を勢いよく上げて、オーパーヘッドキックみたいな動きで、伸ばした両足の先端を、カズミの首に絡めた。

「で、でめえ、やり返すなあああ!」

 怒気満面雄叫び張り上げるカズミであるが、首に絡められた万延子の足に上体を引っ張られて、のけぞらされて、後頭部を床にゴッチン!

「んがっ! ……いって畜生! 離せてめえ!」
「いやあ、離したらそのまま殺される気がするからあ」
「当たり前だろ! 気がするじゃなくて確実に訪れる未来だよ!」

 本来優位なマウントポジションなのに、強引な足技で床に押さえ付けられて、形勢完全不利のカズミ、必死にもがいて抜け出そうとするが、足の締め付けが強烈でままならない。

 いくところまでいかねば、両者の死闘は終わらないのでは、と思われたが、ここで助け舟というかとにかくストップが入った。

「二人とも、もう仲直りは出来たのかしら?」

 床に絡み合ってどたばた争う二人のそばに、須黒先生が立って(他校の生徒がいるためであろうが)かわいらしく首を傾げたのである。

 万延子は、その言葉にすっかり戦意喪失、「えーーーーっ?」と不満げな声を上げると、首締め解除して立ち上がり、スカートの乱れを直し汚れを払いながら、須黒先生へと不満げな顔を寄せた。

「仲直りもなにも、そもそも自分とこの教え子が、他校の生徒にプロレス技を仕掛けておいて、掛ける言葉がそれですかあ?」

 チャラ子だって納得いかないものはいかないんだぞお、といった表情の彼女であるが、いいたいこと全然伝わっていないようで、

「えっ、だってお互いに仕掛け合っていたから……なんだ、てっきり友情を確かめ合っているのかと思ってたあ」

 ほほほっ、と須黒先生は上品さとかわいらしさを混ぜた、ちょっと演技めいた感じに笑った。

 足で散々に首を締められて、げほごほやっていたカズミであるが、万延子が理不尽さに唇を尖らせているのに気が付くと、身体を寄せ肩を当てながら、耳元に口を近付けてぼそり。

「おい、ヨロズ、なにをいっても徒労に終わるぞ。こいつは、あたし以上のプロレス好きでな、ドロップキックは呼吸、ジャーマンは挨拶、シャイニングイナズマは口喧嘩でパイルドライ……」
「こいつって誰のことかなあ?」

 カズミの身体が、背後から手足をねじ込まれて、がっちりと押さえられていた。
 風のごとき速度で回り込んだ、須黒先生によって。

 須黒先生は、カズミの足に自分の足を絡めると、さらに腕の下に自分の腕を通し、首に巻き付け、背筋をぴいんと伸ばすことにより締め上げた。

「あだだだだだだだだっ!」

 カズミの悲鳴。
 顔が醜く引きつっている。
 先生が、絡めた手足で胴体を締め上げたのである。

 コブラツイスト。
 いわゆるプロレス技である。
 和名、アバラ折。
 日本では、遥か遥か昔の偉大なプロレスラーであるアントニオ猪木が、フィニッシュホールドとして使い、一気に有名になった技である。
 その進化形である(まんじ)がために座を譲った感もあるが、そのネーミングから令和時代でもインパクトのある技だ。

「いてててて、ギブ、ギブッ! 腰っ、腰があ。アバラもっ、砕け折れるう! 先生ごめんほんとごめんっ!」
「いまさら遅いっ!」

 身体や腕を揺らしながら、須黒先生はさらにぎちぎちと、カズミを締め上げていく。
 蛇が、捉えた小動物を仕留めに掛かるように、ゆっくりと、確実に。

「ぐはあああああ! 折れるう! 死ぬう!」
「骨の一本や二本じゃ死なない!」
「おおおおお!」

 わざわざ隣の中学まできて、こんな場面を見せられて、第二中の生徒たちが、すっかり引いてしまっている。
 顔に、げんなりタテスジが入りまくりだ。

「あ、あの、お取り込み中のところ失礼しますが……」

 ドン引きげんなりの第二中の女子たちの中から、一人が前に出た。

 見れば女子ではなく男子、いや男性であった。
 紺色スーツを着て、黒縁眼鏡を掛けた、なんだかひょろっと貧弱そうな外見の。

 第二中の生徒たちと一緒に、最初からいたはずだが、あまりの影の薄さに、誰も気が付かなかったのだろう。

「ああスギちゃんいたんだあ」

 などと、自分のところの生徒にもいわれてるし。

「あ、あ、どうもすみません、(すぎ)(さき)先生、ですよね。お久しぶりで……ちょっと昭刃さん、いつまでも絡み付いてないでよ!」

 獲物をばらばらにする寸前だったコブラは、もぞもぞ慌てた仕草で手足を引き抜いて技を解除すると、獲物を突き飛ばして、かわいらしく照れ笑いをした。

「お恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。わたくしは、第三中の魔法使いを見ている須黒です。今日はわざわざお越しいただいて、ありがとうございます。どうか、よろしくお願い致します」

 軽く頭を下げると、治奈たちへと向き直る。

「では、明木さんたちに、あらためて紹介します。こちらは天王台第二中学校所属の魔法使いのみなさんと、教師でありメンシュヴェルトの一員である(すぎ)(さき)(しん)(いち)先生です。では先生、一言ご挨拶をお願い出来ますか?」
「分かりました」

 須黒先生に促されて、弱々しそうな男性教師は、フレーム摘んで眼鏡の位置を調整すると、おもむろに口を開いた。

「どうも、天二中の魔法使いをマネジメントしている、杉崎といいます。普段学校では英語担当、それと魔法史研究部の顧問も務めています」
「魔法史、研究部?」

 明木治奈が、不思議そうな顔で首を傾げた。

「彼女たちが所属している部活のことです。ほら、対ヴァイスタのためには、普通の部活道に所属することってどうしても無理で、帰宅部にならざるを得ないですよね?」
「はい。うちらも実際帰宅部ですし」

 治奈が応える。

「普通そうですよね。でも帰宅部がいつもつるんでいるのって、他の生徒からは印象が悪く目立ってしまう。だから我が校では前々から、魔法史研究部という名で正式な部活にしてしまっているんです。建て前上の活動意義としては、魔女たちの華やかな歴史や暗黒の歴史を知り、時代時代の庶民の感覚を知り、現在の生活に生かす、ということで。ちょっと強引ではありますが」

 そういうと、黒縁眼鏡の男性教師は、恥ずかしそうに笑った。

「ああっ、それはよいアイディアですね」

 ぽん、と須黒先生が手を叩いた。

「うちも、増えたらやろうかしら。現在は人数が少ないから、みんなが帰宅部でも特に文句は出てないですけど」
「はは。うちも部活と称しても、実際のところは単なる帰宅部なんですけどね」

 帰宅部でーっす、などと後ろで第二中の女子たちが、チャラチャラふざけている。

「まあ、魔法使いは自宅待機にパトロール、ヴァイスタ出たら戦うけえね。もし毎日部活が出来る余裕があるくらいなら、そもそも普通の部活でもええじゃろね」

 治奈が腕を組んで頷いた。

「そうですね。だからほんと建て前上ってだけで。でも、せっかく所属している部活だし、暇を作っては魔法史の講義や研究をやりたいのだけど、困ったことに彼女たち、声を掛けても面倒臭がって、さっさと帰ってしまうんですよね。……でも、ヴァイスタと戦う時には、獅子奮迅の大活躍をしてくれるので、いいんですけどね。普段はだらけているけど、やる時はやる、頼もしい子たちなんで」
「ヴァイスタといわず、こないだザーヴェラーが出た時に、チャラチャラしながらやることやってくれればよかったんですけどねー。まーどーせ何人か死人出たでしょうけどねー」

 カズミがどこからどう見ても不貞腐れた態度で、ごろんごろんと床に転がっている。

「交換休はお互い様なんだから、男のくせにいつまでもぐじぐじいってんじゃない!」
「ぶぎゃ」

 須黒先生の踵に、脇腹を踏まれたカズミは、潰された子豚みたいな悲鳴を上げた。
 脇腹を押さえ、よろよろ立ち上がりながら、

「いってええ……つうか先生、いまなんか聞き捨てならないこといいませんでしたかあ?」
「いってません」
「えーっ」

 憮然とした表情のカズミを無視して、須黒先生は、その他大勢の方を向いた。

「では、お互い簡単な自己紹介を済ませてから、異空に入りましょうか。わざわざきていただいて、時間を無駄に出来ませんからね」

 雄叫び張り上げ、教え子にコブラツイストを掛ける時間は、あったわけだが。

「ねえねえ、(あき)()ちゃん……なんかオタクんとこの、とんでもない先生だね」

 ぼそっ、と万延子がカズミへと耳打ちした。

「とんでもない先生過ぎるよ。上品ぶってるけど、すぐキレんだから。あたしも、乱暴とか横暴とかいわれるけど、あれにくらべれば、いかに自分がおとなしいか思い知らされる。いっそ交換しようぜ」
「えーっ、嫌だよお。せっかく、うちは緩くて楽なんだからあ」
「ちぇ。お前らはむしろ、将来のためにも厳しくしてもらった方がいいぞお。つうか、なに馴れ馴れしく話し掛けてんだよ! ぶっ飛ばすぞてめえ!」
「昭刃! 人が話してるんだ! そこの青ラインでシャトルラン往復で三十回! ヨロズも一緒に!」

 ピシャドーン、須黒先生の雷が落ちた。

「えーーっ!」
「わたしもお?」
「さっさとやる!」
「はーい」

 ため息吐くと、渋々シャトルランを始める二人であるが、肩がぶつかったことでまたもや揉め始めて、またもや須黒先生の雷が落ちるのだった。
 
     7
「一年生のお、(もと)(むら)(ろく)()っでええっす。そんなわけでーえ、よっろしくお願いしゃあああっす!」

 なにがそんなわけなのかはともかく、髪の毛が細くふんわりしている女子生徒が、元気な笑顔で、そんなわけで軽く頭を下げた。

「うーん、ロクは態度が硬いなあ」

 苦笑浮かべてぼやくのは、(よろず)(のぶ)()だ。

 受ける印象はそれぞれということか。
 おんなじような人間ばかりが周囲に集まっていれば、当然というべきなのか。
 そもそも一体、なんのためのダメ出しなのかが、意味不明であるが。

「硬くねえやい。充分存分にチャれえやい。お前らの、普段の生活態度が、しっかり滲み出てるよ」

 腕を組みながら、げんなり顔でツッコミの言葉を入れるのは、(あき)()(かず)()である。
 
「いやいや、なにをおっしゃる昭刃ちゃん。普段も今も、彼女はものすごおく真面目なんだよお」
「第二中の魔法使いに、真面目な奴なんか一人もいねえだろ! あれで真面目だってんなら、あたしらなんか超優等生だよ。こいつ以外はさあ」

 そういいながらカズミは、(へい)()(なる)()の小さな背中をばんばん叩いた。

「ナルハ別にチャラくないよっ!」

 ぷううっ、成葉の頬がまるでフグみたいに膨らんだ。

「前から不思議だったけど、なにが入ってんだよ、そのほっぺ」

 膨らんだほっぺたを、カズミが興味深々な表情浮かべ、指でつっついた。ぱあん!とはならなかったが。

「あのお、挨拶を続けていいかなあ? まあ、続けるといっても、これでみんな終了だけど。二名がヴァイスタに備えて留守番待機しているから、全員じゃあないけど、これが天王台第二中学校の魔法使いだよ。シクヨローっス」

 万延子は、ラッパーみたいな指使いにしたチェケラッチョな手をひゅひゅっと左右に振った。

「お前さ、そのシクヨロってのやめろよ。いつもいつも。舐めてんのかあ。売るなら買うぞ」

 カズミがぎろりん睨みながら、胸の前で組んだ両手の指を、ばきばき鳴らした。

「えー、じゃあなんていえばいいのさ?」

 どこまでもとぼけたような、万延子の態度である。

「あっ、リーダー、そんなことよりもお、まだリーダーだけ挨拶してないよお」

 サブリーダーである(ぶん)(ぜん)(ひさ)()が、万延子以上にのんびりした口調で指摘をした。

「えー、そうだっけえ?」
「そおですよお」
「別にいらねえよ! こいつの挨拶なんて聞きたくもねえや。虫唾が走らあ」

 不快満面に言葉を吐き捨てるカズミ。
 ここが路上ならば、容赦なくツバを吐き捨てていたかも知れない。

 先日の、びっくり箱の件のみならず、先ほども両足で首をぐいぐい締められ意識遠のくという屈辱を味あわされたし、そういう態度になるのも仕方がないのだろう。

「それでえはあ最後にい、我らが天二中のお、魔法使いリーダーの挨拶でええす」

 腰を落として片膝を着いた文前久子が、両手をひらひらひらひら振った。

「そのリーダーとかいうの、そろそろやめようよお。わたし、率いるとかあ、そういう柄じゃないよ。……ええと、じゃあなにをいおうかなあ……まあ細々したことはどうでもいいか。(よろず)でえす。三年生でえす。シクヨローっス」

 また、フレミングの法則みたいな手をひゅいっと振った。

「さ、三年生っ?」

 びっくり仰天、アサキがアホ毛をぴいんと跳ね上げながら、肩をびくびくびくーっと激しく震わせた。

「カズミちゃん! さ、三年生に、あんな態度をとってたのお? ふぁああああっ、たた、大変な失礼を致しましたあ! カズミちゃん、いや(あき)()に代わって失礼を謝りますう!!」

 万延子へと、何度も何度も深く頭を下げているアサキ。

 ここにいる魔法使いの中で、ただ一人、アサキだけが普通の部に所属した経験がある。
 以前の学校であるが、バスケットボールの強豪校ということもあり、先輩後輩の関係は絶対であるという感覚が、骨まで染み付いているのだ。

「いやあ、失礼だなんてそんな。(りよう)(どう)、ちゃん? いい子だねえ、キミは」

 万延子は、ははっと笑いながら、上げた手のひらを、苦しゅうない的にふるふると振った。

「はあ? くっだらね! 学年なんざ気にするこたねえんだよ、こいつたあ学校が違うんだから!」

 カズミは、腕を組んだまま、万延子を睨み付けた。
 少し顔を上げて、見下ろす感じに。
 実際の身長は、万延子の方が高いため、あくまで表情の作り方というだけであるが。

「じゃあ、そっちに転校してあげようか?」

 万延子は、悪戯な表情を作って、ふふっと笑った。

「くんじゃねえよバカ! バーカ!」

 拳を振り上げ、殴る仕草。

「カズミちゃん! だから、上級生にそういう態度は駄目でしょお!」
「うるせえな! だったらアサキが、びっくり箱のパンチを顔面に食らえばよかったじゃねえかよ!」
「えーーーーっ」

 無茶をいわれて、弱った顔のアサキである。

「ほらそこ! 昭刃さん、令堂さん、ふざけてるんじゃない!」

 ぴしゃりどどーん、また()(ぐろ)先生の雷が落ちた。

「わたしは、ふざけてないんですが……」

 確かに、ただ上級生への態度を注意しただけだ。

「あ、ごめんね。……それじゃあ、みんな挨拶も終えたことだし、異空に入りましょうか」

 須黒先生は、スーツの外ポケットから、化粧道具のコンパクトに似た、円形の物を取り出した。
 主流であるリストフォン型ではないが、これもクラフト、つまり魔力制御装置なのである。

「あれえ、先生も異空に行けるんですかあ?」

 アサキが、ちょっと驚いた感じの笑顔で尋ねた。

「行くだけなら、ね。戦えないから、変身はしないけど」
「そうなんだあ」
「魔力が弱いくせに、つい戦いたくなってしまわないように、変身機能のないタイプのクラフトを持っているのよ。といっても、ほとんど使う機会もないけどね」
「へえ。……でも先生が魔道着に変身した姿、一度でいいから見てみたかったなあ。かわいらしくて、かっこいいんだろうなあ」

 ぽわわわわ、と脳内に思い浮かべてみるアサキ。
 かわいらしくかっこよく、ではあるものの、どうしてもムキムキの女子レスラー姿が浮かんでしまう。普段が普段、是非もなし。

「あらあ、でもお世辞いっても成績は上がらないわよお」

 といいつつ、まんざらでもなさそうな先生の笑顔だ。
 女子レスラーを想像されているとはつゆ知らず。

「えーっ、べ、べ、別にそんなつもりでいったんじゃないですよう!」

 えへへえ、変な想像してしまったことを、そんな笑い声でごまかしながら、アサキはぱたぱた手を振った。

 そんな彼女らのすぐ横では、第二中学校の(すぎ)(さき)(しん)(いち)先生が、

「それでは、行ってきて下さい。たまには真面目に、実力を鍛えて下さいね。あとで、レポートも書いてもらいますから」
「はあい」
「ういっす」
「行ってきまあす」

 自分の生徒たち一人一人と、ハイタッチをかわしている。

「ああっ、なるほどなあ」

 なんのためのやりとり? そんな表情で見ていた治奈が、はっとした表情で、ぽんと手を打った。

「男の人は魔力が弱いけえ、ほじゃから異空へは行けんので、お見送りということか」
「そうね。絶対に行かれない、ってわけじゃないけど、強引なことしても事故が起こりやすくなるだけだから」

 という須黒先生の説明に、治奈は黙って頷いた。

 ついでに講釈を、と先生は続ける。

「女性なら、空間接点強度が薄いところを見付けさえすれば、クラフトがなくとも行き来が出来なくもないけれどね。……でもまあ、それも、若くて魔力があれば、ですけどお」

 最後の方は、自虐なのかなんなのか。

 その説明を聞いていたアサキが、なんだか大袈裟に感心しちゃった表情で、隣のカズミへ、

「へえええっ、カズミちゃん聞いたあ? 女性のパワーって、凄いんだねえええ。神秘だねえ。女性って、羨ましいねええ」

 からかうように顔を近寄せた瞬間、伸びた片手に首をがっと掴まれていた。

「そうですなあ、胸が洗濯板より平らな令堂アサキさん」

 ぎりぎりぎりぎり、静かな言葉と裏腹に、アサキの首に万力のごとく掛かる圧力の凄まじさよ。

「ぎゃーーーーーーー、ごめんなさああああああああい! ぐ、ぐるじ、やあべでええええ!」

 アサキの顔が、見る見るうちに、土気色になっていく。
 果たしてあと何秒で、骨の砕ける音が聞こえてくるのだろうか。

「こんなもんで勘弁してやっか」

 カズミは舌打ちすると、アサキの首から手を離し、バッチイもん触ったとばかりジャージのズボンで手を拭った。

「ありがどおおおお」

 床に崩れたアサキは、両手を付いて、頚椎複雑骨折による病院送りをまぬがれたことに、泣きながら感謝し頭を下げた。

 ……しかし、カズミの扱い方を学ばないアサキである。

「あなたたち、ほんとバカなことばかりやってないで。……さ、そろそろ行きましょうか。整列っ!」

 須黒先生の声に、第三中学校が一列、第二中学校が二列の、三列縦隊が作られた。

 喉を押さえてげほごほしながら、アサキもその中に加わった。
 あまりにげほごほげほごほうるさいので、カズミにブン殴られている。ああ理不尽、世の無常。

「準備!」

 号令の声に、全員、リストフォンを着けている左腕を立てた。
 全員といっても、アサキを抜かした全員だ。

 アサキも、周囲をきょろきょろしながら、少し遅れて真似して左腕を立てた。

「そっか、正式というのか、こういう合同なんかの、ちゃんとした練習をする時には、こうやって異空へ行くんだ。なるほど」

 アサキは、ばつの悪さを心の中だけでもごまかそうと、声に出さず口だけ動かした。

「それでは、行ってきます!」

 須黒先生が、コンパクト型のリストフォンを握りしめながら、杉崎先生へと軽く頭を下げた。
 前を向き直り、一歩、前へ。

 残る女子生徒たちも、全員、一歩、前へ。

 第三中学校の体育館は、杉崎先生一人を残して、誰もいなくなった。

     8
魔法使い(マギマイスター)(あき)()!」

魔法使い(マギマイスター)(きよう)()!」

 (はる)()たち第三中学校に続いて、第二中学校の魔法使いも全員変身完了である。

「みんな短いスカートじゃのう。……激しく、動けるんじゃろか」

 横一列に立つ第二中の魔法使いたちを見ながら、(あきら)()(はる)()が、腕を組み小首を傾げ、難しい顔をしている。

 そう、治奈のいう通り、第二中の魔法使いたちは、みな、魔道着がふわふわしたスカート型なのである。
 裾にはフリルもあり、まるでステッキやバトンが似合う、戦わない系の、もしくは愛のパワーを飛ばして戦う非接触戦闘系の、古いアニメの魔法少女だ。

 治奈の呟きが聞こえたようで、二年生の一人である(ほう)(らい)(こよみ)が、

「大丈夫大丈夫、中はショートパンツだよ」

 自分のスカートの裾を両手で掴むと、微塵の躊躇いもなく、幼女のオシッコみたく胸までめくり上げた。

「見せんでええわあああああ! 少しは恥じらえ!」

 治奈は、顔を真っ赤にして怒鳴った。

「えー、意味が分かんなーい。中はショートパンツだって、いってるのにい」
「ほじゃけど、ほじゃけど、外はスカートじゃろ!
「だから、中はショートパンツだって! ノーパンだったら、ちょっとは分かるけどさあ」
「ほいでちょっとだけか!」

 もうええわ。と、諦めた顔で治奈は、ぷいと横を向いた。
 横を向いたら、(へい)()(なる)()と目が合った。

「ハルにゃんは、例えハニワでも、めくられたら恥ずかしいと思う性格なんだあ」

 ハニワとは、女子中高生が、制服スカートの中にジャージズボンを履く、冬場に見るあれである。

「それが普通じゃろ」
「ナルハはねえ、ズボンはいてたら平気だけどなあ」
「はいはい、そうなんでございますねえ」

 ははは、と乾いた声で笑っていると、横からカズミが参戦だ。

「ナル坊はチビっ子幼稚園児で、裾の位置があまりに低いから、誰もめくる奴なんかいないから、憧れがあるんだよ。いや嫉妬かな」
「そんなことないよお! いや確かに実際、めくられたことはないけどお、でもチビっ子だからじゃないよお!」
「いえ、チビっ子だからでーす」
「そだことなあい!」

 風船やお餅みたいに、成葉のほっぺが、ぷくーーーーっと膨らんだ、瞬間をカズミが二本の人差し指でつついて潰した。

「わはは、風船爆弾大爆発う!」

 二本の指を差して大笑いだ。

「いい加減にしとかんと! 成葉ちゃんよりも、カズミちゃんの方が、よっぽど子供じゃけえね」

 と、注意し本人へと愚痴をこぼす治奈であるが、しかし、

「第二中ってさあ、よく見ると靴とスカートの色が学年で統一されてんだな。なんか上履きみてえだな」

 人のいうこと全然聞いてないカズミである。

「おっ、昭刃ちゃん、よく上履きと同じ色だと分かったねえ。おしゃれかつ合理的でしょ」

 腰に手を当て、得意げに微笑むのは、(よろず)(のぶ)()である。

「はああ、ほんとに上履き色なのかー」

 ずるーっ、治奈とカズミは脱力して、お互いの身体にもたれかかった。

 まあ確かに、十人を超える大所帯では、合理的といえば合理的かも知れないが。

 上着は、治奈たち第三中と同様、個々好きずきに選んでいるようであるが、靴とスカートの色が、三年生は水色で、二年生は赤、一年生は白、と統一されている。
 これが、学校での上履きと同じ色なのだとのこと。

「まあ別にいいけどさ。でも、合理的はまあそうだろうけど、どこがおしゃれだと思ってんのかね」
「ほじゃけど、自信持っていわれると、つい納得してしまうのう」

 などと、カズミと治奈が、こそこそぼそぼそ話していると、その隣で、

「はああああああっ、よかったあああああああ」

 アサキが、口から安堵の蒸気を、ぷしゅうーーーーっと吐き出しながら、身体をくにゃくにゃと左右に揺らしている。

「なにがだよ。変な踊りして、妙な声を出しやがって。ピンセットで鼻毛抜くぞ」
「いやあ、これまでヴァイスタと戦ってきたのって、もしかしたら全部ウソのドッキリで、誰かに担がれているだけなのかなあとか思ってたからあ。第二中の人たちと、異空に入ったり変身したりして、安心したあ」

 もちろんヴァイスタのいない世界なら喜ばしいが、それはそれとして置いといて。

「お前さあ、こないだはドッキリでザーヴェラーに殺され掛けたのかよ。つうか、以前にもまったくおんなじこといってなかったかあ?」
「だってえ、他の子が変身したり、一緒に異空に入ったりとかは初めてだからあ」
「令堂のボケは、スケールがでかすぎて、どう突っ込んでええのか分からへんわ」

 (みち)()(おう)()が、力のない笑顔で、アサキの脇腹を肘で軽く突いた。

 と、そんな応芽へと、

「あ、ちょっとそこのキミ」

 第二中魔法使いのリーダーである万延子が、呼び止め、前に立った。
 シフォンショートの髪の毛を掻き上げながら、笑顔を向けた。

「えっと、(みち)()さん、だっけ? じゃあ、じゃあ、ミッチーって呼んでもいいかな?」
「嫌や」

 応芽、即答である。

「うーん」

 万延子は、唐突に真顔になって、腕を組んでなにやら考え込みはじめた。別のあだ名を考えているのか、それとも他のなんなのか。

「な、なんや?」

 そんな態度を不気味に感じたか、応芽は、訝しげな表情を浮かべつつ、一歩引いた。

 が、万延子は、その分だけ一歩詰めると、不意にしゃがんだ。

「ふむ。やっぱりここがおしゃれじゃないなあ。……切っちゃえ」

 名案、とばかりの顔で、腰のナイフを手に取ると、応芽の太ももへと近付けて、魔道着の黒タイツを切ろうと摘んで引っ張った。

「なにすんやあ自分!」

 怒鳴った。
 かなり激しく。

「あ、ダメ? いやあ、ミッチーが、もっとかわいくなるかなって思ってえ」

 はははっ、とまったく悪気のない笑顔だ。

「そもそも、いまのその露出のない格好じゃ、ムサ苦しくて、むしろ素っ裸でいるよりも、恥ずかしいと思わない?」
「おのれの異様な価値感だけやろ! あたしは、小学生の頃から訓練受けて、見習い生ながらも変身しとるんや! お前らタコどもとは、年季が違うんや! 初めてン時から、もう何年も、ずーーっとこの格好なんや! 誇り持っとるんや! 覚えとけ! つうかミッチーって呼ぶな!」

 ミッチーは、顔を真っ赤にして怒鳴った。
 あまり激しくまくしたてたので、すっかり息を切らせて、肩を大きく上下させている。

「ほら、慶賀さんうるさいよ! 輪になってって、さっきからいってるでしょ!」

 須黒先生が、イラついた声で手を叩いた。

「何故あたしだけ怒られる……」

 タイツ切られそうになったり、ミッチーと呼ばれたり、全裸の方がマシとかセンスをバカにされたり、好き勝手されているのこっちなのに。と、納得いかない表情で、握った拳をぷるぷる震わせている応芽。
 はあ、と短くも大きなため息を吐くと、ふらふら歩いて、指示通り輪に加わった。

 第二中と第三中、魔法使い全員で一重ぐるりの、大きな輪である。
 準備運動の前段階として、立ったままの瞑想を行うのだ。

「はい、ゆうーっくりと吸ってえーーーーえ……吐くーーーーーっ」

 須黒先生の声に従って、魔法使いたちは目を閉じ、お腹に手を当て、息を吸って、息を吐く。

「しっかり気を練って、体内中をゆっくり循環させる。循環させながら、少しずつ気を練り上げる。イメージはそれぞれ頭の中に思い浮かべていいけど、この基本は守ること。集中してね集中」

 いわれずとも、顔を見ればみなしっかり集中出来ているようだ。
 一人を除いては。

 ボガン!
 これは、カズミが治奈の背後に回り込んで、カンチョーしようとして、先生にゲンコツ食らった音である。

 その音に誰も気付かないくらい、みな集中している。
 殴られた当人以外は。

「つーっ、いてえ……」
「昭刃さん、いい加減にしないと、そろそろ本気で殴るからね」
「えーっ。充分に本気で殴ってたと思いますう」
「え、なあに? わたしの本気を見たいって?」
「ほ、本気で殴られてましたあ! もうしません!」
「ったくもう。……はい、じゃあ次! ペアになって、気弾ラリーを往復二十回。コントロール重視でね。受ける相手が動いちゃったら、ゼロからやり直し。第三中の六人は、必ず第二中の子と組んで。では、始めてくださいっ!」

 魔法使いたちは、いわれた通りにペアを作り、体育館の床に引かれた球技用の青ラインを挟んで、分かれる。

 ペアの片方が、両手の間に練った気を溜めると、薄青い球状のエネルギー体が生じて、頭上に浮かぶ。
 みな次々と、バレーボールのスパイクのように叩いて、相方へ向けて飛ばした。

 バジ、
 バジッ、
 と、いたるところで、プラズマ弾ける放電と青い気弾とが飛び交う。

「いっくよお!」

 という声と共に、それはアサキにも飛んできた。
 飛んできたのは分かったけれど、突然のことに、なにをどうしていいのか分からず、

「わ、わっ」

 焦り慌てているうちに、

 じゅあっ ぷちぷちっ

「あっつーーーーーーっ!」

 気弾が頭に直撃して、髪の毛の焦げる匂いが立ち上った。

「うわっ、ごめんねえ令堂さん、大丈夫う?」

 サブリーダーの、(ぶん)(ぜん)(ひさ)()が、真顔だけど、どこかのんびりした口調で謝った。

「あ、だ、大丈夫です。ちょっと熱かっただけで。すみません」
「いえ、こっちもいきなりで、ほんとごめんねえ。噂に聞いてた自慢のアホ毛が、焦げてなくなっちゃったねえ」
「あの、自慢したいわけじゃなくて、どうしてもピンと跳ねてしまうだけなんですがあ」

 触ってみると確かに、みんなからアホ毛と呼ばれている、頭頂から伸びているピーンと跳ねた毛がなくなっている。

「おーっ、アホ毛がなくなって怪我の功名じゃん」

 隣で見ていたカズミが、面白そうにからかった。

「いやあ」

 からかわれていると知りつつも、まあいいや、と笑顔でなおも、アホ毛のあったあたりをなでていると、

 ぴんっ、

 毛が起き上がって、新たなアホ毛が生じていた。

 結局出来ちゃうのかあ、とがっくり項垂れるアサキを、カズミがわははは指さして大笑いだ。

「酷いよお、カズミちゃん。……でも、魔法の応用で、こんなことも出来るんだね」
「アホ毛の処理のことか?」
「違うよ! 気弾のことだよ」

 なんで魔法で髪の毛を切らなきゃいけないんだ。

「気弾? 応用技術に違いないけど、初歩の初歩だろ。初歩すぎるから、あたしたちだけの時は、基本やらねえ練習なんだけどな」
「えーーっ! 初歩すぎるって……ビーム兵器みたいなものでしょお。なんとかレーザー砲、みたいな。これを鍛えて、みんなで離れたところからヴァイスタを攻撃すればいいんじゃないのお?」
「無理だよ」
「どうして?」

 拳より剣、剣より鉄砲、鉄砲よりミサイルではないのか?

 と、素朴な疑問符を顔にぺたぺた貼り付けていると、今度は文前久子から、答えが返った。

「あのねえ、令堂さん、気弾じゃ弱すぎるから、ヴァイスタは倒せないんだよ」
「そうなんですか?」

 わたしの髪の毛は、一瞬にして焦げてなくなりましたけど。

「破壊が出来ても、すぐに回復されちゃうし、そもそも気弾に、破壊の魔法力は、ほとんど込めることが出来ない。込めても、到達までに減衰するし。だから結局、接近して、破壊の魔力を帯びた武器で、直接ダメージを与えないとならないんだ」
「そうか。都合よくはいかないんだなあ」
「うん。気を操ったり、魔力の狙いを定めるトレーニングとしては最適だけどねえ」
「あれ、でもこないだザーヴェラーと戦った時、気弾みたいのバカバカ撃たれましたけど。あれ、一発一発がすっごい威力でしたよ」

 まだ、あの時の迫力、恐怖は忘れていない。

()(せん)(かい)のことだね」
「マセンカイ?」
「魔法使いの気弾と、理屈はまったく同じらしいけど。でも向こうは邪念怨念の塊だから、生み出す破壊エネルギーが半端じゃないんだな」
「はあ」
「それでも、そのまま撃てばあっという間に減衰しちゃうんだけど、あれは自分の身体の一部をちぎって、破壊エネルギーの膜で被って飛ばしているんだよ。だから減衰がない。わたしたちには無理でしょ? 身体をちぎって飛ばすなんて。そこが、あいつらとわたしたちの違い」
「確かに、無理ですね」

 でも、工夫でなんとか出来ないものかな。
 魔閃塊とかいう、あんな凄い攻撃を、魔法使いが放つための方法、技術が。
 わたしの非詠唱能力で、なにか出来ないだろうか。

 まあいいや。
 それは後。
 いまはコツコツ、実力を積み上げないと。

「じゃあ今度は令堂さんから、やってみる?」
「はい!」

 アサキは力強く、ぎゅっと拳を握った。

 そうだ。応用云々などは、後の話だ。
 まずは、カズミちゃんのいってた初歩の初歩程度は、簡単にこなせないことには、非詠唱もなにもないのだから。

 アサキは、なにかを大切に包み込むような手付きで、両手を胸の高さにまで上げ、念じると、先ほど瞑想した時の要領で、体内で魔力を回した。
 意識を、手のひらに集中させると、手と手の間に、ぼーっと薄青い光の球が浮かび上がった。

「初めてだけど、ここまでは、よし、と。後は、これを、こうして、と……」

 せっかく作った初めての気弾を、消してしまうことがないように、丁寧にゆっくりと、身体を後ろへと軽く捻って、

「えいっ!」

 前を向きながら、素早く両手を突き出した。

 そうして打ち出された、記念すべき初気弾……は、ロケット花火みたいにうねりうねり不安定な軌道で、明後日の方向に飛んでいき、

 どおおん
 体育館壇上の、上の壁に大穴を空けてしまったのであった。

 ひゅう・っ
 風が吹いていないのに吹いている。
 自分のしでかしたことに、目が点になっているアサキの、胸の中に。

「よ、よ、弱いとかいってえ、凄い破壊力じゃん!」
「だからあ、魔法的な力は弱いから、ヴァイスタには通じねえんだよ! アホかっ、なに壁を破壊してんだよ。まあこっち異空側だから、壊しても現界位相で勝手に戻るとは思うけどさあ」

 それはそれ、これはこれ、アサキの不器用さに呆れ顔のカズミである。

「ドンマイドンマイ、カズミちゃん! 初めてにしちゃあ上等! みんな失敗して強くなるんだあ! カズミちゃんファイトお!」

 横で見ていた、第二中の(ひろ)(なか)()(みな)が、アサキへと向かって励ましの言葉を投げた。名前間違ってるが。

「カズミはあたし! こいつはアサキだ!」

 ぽかっ。
 叫びつつ、カズミはアサキの頭にゲンコツを落とした。

「いたっ! なんでわたしを殴るのお!」
「そこにお前の頭があるからだ」
「理不尽だ!」

 でもまあ、
 失敗したわたしが悪いのだから仕方ない。
 こういう練習があるのなら、最初から教えておいて欲しかったけど。

 しかし、見事に失敗してしまったな。
 初歩の初歩をしっかりやらないと非詠唱もなにもない、などとかっこつけたこといっといて、初歩の初歩すらまともに出来ないんだから。自分の不器用さが嫌になるよ。

 でも、気弾って、なんか楽しいな。
 両手の中に、しゅるるる、って静電気みたいな、さわさわしたのが出来るのも気持ちよかった。
 今度、一人で練習してみよっと。
 でもとりあえず、ここでもう一回だ。そうだよ、わたしが失敗したままじゃ、文前さんの練習にもならないものな。

「というわけで、今度こそお!」

 と、また手を胸の前に持っていったところで、

「はい、じゃあ一人ずつズレて相手を変えて!」

 須黒先生の指示の声が飛んだ。

「ああ、全然やれなかったあ。すみません、文前さん。わたしがグズで、迷惑掛けちゃった」
「いいよ気にしないで」

 文前久子、手のひらひらひら。

 いわれた通りに一人ずれ、次のアサキの相手は、先ほどドンマイドンマイいってくれた、二年生の(ひろ)(なか)()(みな)である。

「よろしくお願いします弘中さん!」
「よろしくう。よし、いくぞおアサキちゃん! いち、にいの、それっ!」

 弘中化皆が、作った気弾を投げた。

「はい!」

 アサキは、右腕に持ったテニスのラケットを振るイメージで、打ち返していた。

 打ち返すと同時に、思っていた。
 なんて返しやすいんだろう、と。

 隣でさっきのを見て、わたしが初心者なことを分かって、それで加減してくれているのかな。
 優しいんだな。第二中の人たちは。
 カズミちゃんはやたら嫌っているけど。
 まあ、カズミちゃんの男の子みたいな性格を考えたら無理もないのかな。
 ふふ、

 胸の中で笑いながら、気付けば気弾を正確に打ち返し打ち返し、しっかりとしたラリーになっていた。

 今度はアサキが気弾を作り放つが、少しコントロールが乱れたのを弘中化皆はしっかり受け止め返してくれた。

 見ていた須黒先生が、

「いい感じだわね、令堂さん」

 笑みを浮かべ褒めるが、ラリーに夢中になっているアサキの耳にはまったく届いていないようである。


 さて、少しカメラを移動させて。
 アサキから何列か離れた場所では、(よろず)(のぶ)()と明木治奈が気弾を飛ばしあっている。
 お互いしばらく無言であったが、やがて万延子が退屈そうな顔でおもむろに口を開いた。

「ねえハルビン、あのさあ」
「なあに? あ、いや、誰のことじゃハルビンって!」
「じゃあ、ハルナさん。ハルナちゃん。違うな、アキラギちゃん。アキビンちゃん。よし、これで。アキビンちゃん、ほんとにあの子、一人でザーヴェラーを倒したの?」

 気弾ラリーの中、万延子はちらりアサキへと視線を向ける。

 誰かアキビンじゃ、とでもいいたげに顔をしかめる治奈であるが、キリがないと思ったか突っ込まず。

「信じ難いじゃろ? でも本当じゃけえね」

 言葉とともに、気弾を返した。

「ふーん。非詠唱能力を持ってるってのも?」
「本当じゃ」

 バジッ、バジッ、と放電しているような音と共に、言葉と気弾がいったりきたり。

「ビビリってのもお?」
「合宿で怪談やって大泣きしとったわ」
「ギャグが古いってのもお? アジャパーとか、お呼びでないとかハラヒロハレとか」
「本当。というかなんで知っとる」

 狭い活動範囲だから、範囲内で武勇伝が知れ渡るのなら分かるが、ハラヒロハレとか記憶にございませんとかガチョーンとか、一体誰がわざわざ噂するんだ。

「服のセンスはいい方?」
「どうじゃろね。義理のお母さんが選んだのを着とるらしいけど、まあ普通かのう」
「なーんだ。うちにスカウトしようと狙ってたんだけど、オシャレじゃないんならいいやあ」
「なんのスカウトじゃ!」

 思わず声を荒らげてしまう治奈。
 振り返ってみて身のまるでない会話を、たっぷりとしてしまったことに、とてつもない脱力感、肩がっくり。

「伊達と酔狂で魔法使いやっとるという噂はほんとじゃった」

 ぶつぶつ呟く治奈であった。

     9
「はい、では気弾ラリーは終了! 次は、フォーメーション練習!」

 ()(ぐろ)先生が、手を叩いて叫んだ。

 魔法使いたちは、バジバジッと放電に似た音を発して青白く光っている気弾を受け止めると、自分の両手の中でエネルギーを吸い取って消滅させていく。

 一人、アサキだけは、それが出来ないどころか、そもそも受け止めそこなってしまって、またまた体育館の壁を破壊してしまうのだった。

「あたしよか、お前の方がよっぽどクラッシャーだな」

 カズミが声を出して笑った。

「好きでやってるわけじゃ……。初めてのことなんだから、しょうがないじゃないかあ。ああっ、でもっ、見てっ、さっきのが直ってる!」

 最初に破壊してしまった時計の横の壁、大穴を開けてしまったはずだが、それがすっかり塞がって元通りになっている。

「ああ、(げん)(かい)()(そう)だな」
「さっきもいってたけど、なあにそれ?」
「教えてなかったっけ。あのな」

 アサキに問われ、カズミは簡単に説明をした。

 異空は、半分魂の世界。
 ほぼ物質界である現界を、怨念の絵の具でコピーしたような世界であり、あくまでオリジナルは現界だ。
 そのため、例え異空の中で破壊活動を行ったとしても、しばらくするとあらたに現界からコピーされて復元される。
 これが、現界位相と呼ばれる現象である。

「へえ、面白いなあ」

 なお、ヴァイスタが異空内で物質的な破壊活動を行わない理由としては、いま説明したような理由により破壊に意味がないからという説と、怨念に満ちた完成された世界である異空を破壊する必要などない、もしくは自分の巣であるから、という三つの説が有力らしい。

 異空には獲物たる少女がいないのだから当然かも知れないが、現界で魔法使いと戦闘した場合と比較して、確率は明らかに違いがあるとのことだ。

「じゃあ、第二中は二年生と一年生から選んだ六人と、それと第三中の六人。で、三人組を作って、まずは、それでやりましょう」

 須黒先生の指示に従って、(なる)()(せい)()(はる)()、それと第二中の(あま)()(あき)()(あま)()(やす)()(もと)(むら)(ろく)()が、床の白ラインを挟んで、向き合った。

 遅れて、アサキ、(おう)()、カズミ、と、第二中の(まさ)()(とく)()()(のう)(えい)()(のぶ)(もと)(きよう)()が向き合う。

 これからなにをするのかというと、お互いをヴァイスタと見立てての模擬戦である。

 三人組同士が横に並び、同じように並んだ相手と向かい合い、お互いに相手をヴァイスタと見なして戦うのだ。

 三人組の、真ん中がヴァイスタの胴体と頭、一歩下がって左右に立つ者が手足である。

「はじめ!」

 須黒先生が開始を合図するのと、ほとんど同時に、

「散開!」

 カズミが声を張り上げた。

 しかし……
 ささっと散開しようとしたはいいが、カズミが、真ん中の応芽にどんと当たってしまい、押された応芽が、アサキを突き飛ばして転ばせてしまい、その足が応芽に絡まって、とごちゃごちゃ身動きが取れなくなってしまっているところへと、容赦なく第二中の三人組が襲い掛かった。

「ちょ、ちょっとタンマ!」

 右腕が転んで欠けているヴァイスタへと、カズミのタンマも虚しく、第二中学校ヴァイスタの左右の触手が振り下ろされたのである。

「はい、昇天。うちらの勝ちい」

 喜ぶ第二中の(のぶ)(もと)(きよう)()
 彼女たちにとっては、自分たちは編隊を組んだ魔法使いで、カズミたちこそがヴァイスタなのである。

「くそ、くやしいいいい! もう、アサキがボケっとしてっからだよ! 散開っていったら基本は横方向だろ! 動けよ!」

 まだ倒れているアサキを、カズミはイライラつま先でつついた。

「だ、だから横に動こうとしたら、そっちからも押してくるからぶつかったんじゃないか!」

 起き上がりながら、アサキも不満顔だ。

「頭脳が空っぽなのか! そっちの横だと散開じゃなくて密集だろ。味方である、治奈たち三人組と、ぶつかるだろ! 外側に行くんだよ!」
「ああ、そうだね」

 ようやく気が付いたようで、アサキはぽんと自分の手のひらを叩いた。

「ったくお前はよお」
「ごめんねカズミちゃん。でもさ、治奈ちゃんたち勝ったみたいだから、まだ同点だよ」

 アサキたちの視線に気付いた成葉と治奈が、にっと笑みながら二人でブイサインを返した。

「いや、でもこっちは納得いかねえ……」

 カズミは自分の拳をぎゅっと握って、悔しさ堪えている。

「ほらあ、昭刃さん! すぐそうやって勝ち負けにこだわる! そういう訓練じゃないんだからね」
「はあい」

 先生に注意され、ちぇ、と小さく吐き出した。

「じゃあ、メンバー交代。第三中は少ないからそのままで。第二中は、今度は三年と二年からの六人で。それと、混ぜましょう。(ひろ)(なか)()(みな)さん、(ほう)(らい)(こよみ)さん、(へい)()さん、とで一組。(りよう)(どう)さん、(あきら)()さん、()(のう)さんでしょ。それと、(みち)()さん、(あき)()さん、(よろず)さん。それと……」
「なんでこいつとなんだよ!」

 カズミが、(よろず)(のぶ)()を指差し声を荒らげるが、その声は、

「文句いうな!」

 ピシャッドーン!と、体育館が揺れるほどのカミナリに掻き消された。
 ふん、とカズミは鼻を鳴らしながら乱暴に床を踏むと、不貞腐れた顔で、渋々と隊列についた。

 応芽とカズミと万延子の三人組。
 応芽と、カズミと延子、の、三人組。
 となれば必然的に、真ん中が応芽で、両脇がカズミと万延子である。

 カズミは少し身を乗り出して、飛び掛かる寸前の犬のように唸りながら、バチバチ火花を散らして、応芽の向こうにいる万延子を睨み付けているが、受けている方はどこ吹く風で、平然としたものだ。
 その平然が、ますます火花を助長する悪循環。

「ぐおおおお」

 火花ばちばちメラメラである。

「あー、左側くそあっちいわあ」

 応芽が、左の頬を袖で拭って、手のひら振ってぱたぱた扇いでいる。

「よろしくねえ、ミッチー」

 万延子が、応芽を見つめながら猫なで声でニコリ微笑んだ。

「せやから、ミッチーいうなハゲ!」

 猫なで声にぞわっとして、一歩身を引いたら今度は背中が熱さにじゅわっ。
 左に炎、右に氷の、明日風邪ひきそうな応芽である。

「準備出来た? そろそろやるわよ!」

 須黒先生の指示の声。

 今度の模擬戦は、お互いをヴァイスタと見なすのではなく、役割をしっかり決める。カズミたちはヴァイスタ役で、アサキたちは魔法使い役だ。

 二組、六人が向かい合う、
 一体のヴァイスタであるカズミ、応芽、万延子と、
 魔法使いの三人編隊である治奈、アサキ、嘉納永子。

「アサキ、こっちの右腕を狙え右腕。ぶった斬れ。または巨大パンチで床に叩き付けて潰せ。お礼に、心身身軽スッキリのこっちが、お前らをぶっ倒すから」

 カズミが、物騒かつ自分勝手なことをいっている。いつものことではあるが。

 なお右腕とは、万延子のことである。
 対する魔法使い側の、マッチアップするであろう左翼にいるのがアサキなので、こうして頼んでいるわけだ。

「右腕だぞ右腕。分かるか? そっちじゃなくて、こっちにとっての右だぞ。間違えるなよ。背中向けた状態から、ぐるーっと回ってみると、ほら、左手に見えて実は右手だろ」
「わたし、そこまでバカじゃないよお」

 脳味噌ボロクソいわれたと思ったか、アサキがちょっと泣きそうな顔になっている。

 などとやっている間に、準備も整って、

「はじめ!」

 須黒先生の、スタートの合図。
 と同時に、

「うおおおお! 大将の首は、どこでござるううう!」

 雄叫び張り上げて、カズミという名のヴァイスタ左腕が走り出した。
 紐で繋がっているわけではないが、設定上、他の二人もカズミの勢いにぐいぐいっと引っ張られざるを得ず、

 アサキたちクソへっぽこ泣き虫ヘタレ魔法使いどもへ、攻撃だあ! カズミは、そういわんばかりの勢いで前進突撃、猪突猛進!

「と見せ掛けてっ」

 ヴァイスタの左腕(カズミ)は、真横にいる自分の胴体部分つまり慶賀応芽へ、ガツンと思い切り体当たりを食らわせた。

「うわっ」

 不意に味方である自分の左腕に突き飛ばされた応芽は、ぐらついて反対側の右腕、万延子を激しく押してしまう。
 先ほど、へっぽこ泣き虫ヘタレが、身を持って教えてくれた、味方に玉突き大作戦である。

 しかし、
 応芽の突き飛ばされる先に、どかんと押されたと思われた万延子の姿は、なかった。

 読んでいたのか野生の勘か、カズミから応芽、とくる玉突きを、紙一重でかわしていたのである。
 かわしただけではなく、万延子は、おっととっとよろける応芽の腰と足を持ってかかえ上げると、勢いを借りてその身体をぶーんと振り回し、

 ガチッ!

「あたあっ!」

 カズミの側頭部へと、必殺おウメキックを食らわせたのである。

「ミッチー、か弱いわたしを庇ってくれてありがとう」

 万延子は、応芽の身体を床に下ろすと、乙女の祈りみたくぎゅっと両手を組んだ。

「誰も庇っとらへんわ! あたしの身体を勝手に使うな!」
「そうだよ。味方の身体を使って攻撃するなんて、最低な性格だな、お前!」

 カズミが痛そうに頭を押さえながら、残る手で万延子を指さし悪行を責めたてた。

「どの口がいっとるんやあ!」

 怒鳴る応芽。
 万延子にも腹立つが、カズミのこの台詞に突っ込まないわけにもいかずといったところか。
 いずれにせよ、カズミには全然聞こえていないようだが。

「くっそお、ひと泡ふかせられなくて面白くねえなあ」

 カズミは、万延子を睨みながら、ぶつぶつぶつぶつ。

 と、いきなり左腕のリストフォンが、ぶーーーーーーーっと振動した。

「ほらあ、なんも出来ねえうちから、もう三十分タイマー鳴っちゃったじゃんかよお」
「なんもっちゅうか、まったく私怨を果たせてないってだけやろ。どうでもええけど、あたしに迷惑掛けるな!」

 という応芽の突っ込みに、周囲から笑いが起きた。

 しかし、彼女たちの笑みはすぐに、緊迫した表情へと塗り替わっていた。

 ぶーーーーーーー
 ぶーーーーーーー

 振動しているのは、カズミのリストフォンだけではなかったのである。

「アホか昭刃! なにがタイマーや!」

 応芽は、左腕を上げて、自分のリストフォンを確認する。

 黒い画面に、緊急警報を表す赤い文字が表示されている。

 emergency(エマージエンシー)
 近くに、ヴァイスタが出現したことを、知らせる警告であった。

     10
 しゅんっ、と空気を突き刺し伸びる、白くぬるぬるした触手の鋭い一撃を、剣で跳ね上げると、

「えやあっ!」

 返す刃を、引きつつ叩き付け、残る一本を切り落としていた。

 両手に掴んだ剣を下げて、一息をつくアサキの足元で、落とされたヴァイスタの粘液にまみれた白い腕が、一瞬で干からびて砂になり、風に溶けて消えた。

 ヴァイスタ本体の左腕断面からは、白い粘液がぬるりだらりと垂れて、それが腕の形状を取り固まりつつある。
 切断されたばかりだというのに、もう目に見えて再生が進んでいるのだ。

「残念! ぶった切ったと同時に、さらに一歩踏み込めてたら完璧だったのになあ」

 そういいながら、アサキの肩をぽんと叩くのは、(あま)()(あき)()、第二中の二年生である。
 そのすぐ隣には、彼女の妹である(あま)()(やす)()がいる。
 二人とも、スカートタイプの魔道着。第二中は、それで統一しているのだ。
 

 現在、ヴァイスタと交戦中なのであるが、どうせならばという()(ぐろ)先生の提案により、先ほどフォーメーション練習していた時と同様に三人組をそれぞれ作っているのだ。

「ったく、なんなんだよこのご都合主義は!」

 アサキ同様に、第二中の魔法使い二人と組んでいるカズミが、左右の手に持ったナイフでヴァイスタの触手を弾き切り裂きながら、イライラをぶちまけている。

「ご都合って、なにがあ?」

 カズミと組んでいる一人、第二中のサブリーダー(ぶん)(ぜん)(ひさ)()が、のんびりした声で尋ねた。

「だから、この数がだよ!」

 ヴァイスタの数だ。

 確かに多すぎではあるだろう。
 通常は二体か三体、多くても五、六体。

 それがなんと……二十体もいるのだから。

「うちらにとっちゃ、都合の反対じゃけえね。ちっとも楽にならん」

 別の組に混じって戦っている(はる)()も、カズミの言葉を受けてついついぼやき節だ。

 まあ、愚痴が出るのも仕方ないだろう。
 せっかく今回は、助っ人が大勢いるというのに、なのにそれでも、怪物の方が、遥かに多いのだから。
 本来は第二中はいなかった、とを考えると幸運ともいえるわけだが、悪い方に考えてしまうのが人間というものである。

「そんじゃあ、強化訓練に招いて下さった第三中の方々のためにも、少し楽にしてやっかあ。保子、やるぞお!」

 第二中の天野明子は、人差し指で鼻の頭を掻くと、にやりと笑った。

「オーライだ、明子お姉ちゃん!」
「遅れるなあ」

 姉の天野明子は、緊張感のまるでない楽しげ顔で、一体のヴァイスタへとダッシュ。風を突き抜けて襲いくる二本の触手を、ジグザグに駆け抜けながらかわすと、大きく跳んでいた。
 頭上でトンボを切ったところを、また触手が狙うが、明子は、予期していたとしか思えない動きを見せた。空中でそれを蹴って、さらに高く高く舞ったのである。

 と、同時に地上では、妹の天野保子が、身を低くしながら飛び込んでいた。
 左足を軸に、身体を回転させながら足を高く蹴り上げると、ヴァイスタの腹から胸にかけてが、斜めに深々と切り裂かれていた。

 足先に仕込んである、ナイフの威力だ。

 だが致命傷は受けていない。
 ヴァイスタは、標的を空中にいる姉から地面の妹へと変更し、無言のままゆっくり腕を振り上げた。

 そのヴァイスタへと、さっと目にも止まらぬ速さで影が落ちた。

 明子である。
 両手それぞれに握ったナイフを、白くぬるぬるした身体へと突き立てて、落下の勢いを利用して背中側を肩から膝裏まで深々と引き裂いていた。

 それきり、ヴァイスタはぴくりとも動かなくなった。

「凄い……」

 姉妹の流れる無駄なき連係技に、アサキが呆気にとられていると、ぽんと背中を叩かれた。

「ほおら、昇天昇天」

 笑いながらそういうのは、姉の明子である。

「あ、は、はい、了解ですっ」

 同学年に敬語である必要もないのかも知れないが、最初はあまりのチャラっぽさからの衝撃に押されて、そして現在は戦闘の迫力に押されて、第二中学校の魔法使いに対してずっと敬語のアサキである。

「イヒベルク……」

 失敗出来ない、と声に出しての通常詠唱で、ヴァイスタを確実に昇天させると、あらためて天野姉妹へと向き直った。

「明子さん、保子さん、見事な連係ですね。さすが、噂に聞いていた通りだ」

 天野姉妹は、第二中のエースなのである。

 家庭の事情で、二人が関東を離れなければならない用事が出来た際に、戦力減も甚だしいから、ならばいっそ全員で休暇を取ってしまおう。
 などと、そんなこともあったくらいだ。

 おかげで、第三中学校がザーヴェラーと死闘を繰り広げることになったり、カズミがビックリ箱からアッパーカットを食らって地面に頭を強打して悶絶することになったり、したのであるが。

「いやいやいやあ、令堂ちゃんもお、なかなかナイスだよう」

 妹の保子が、芸人のギャグだか、ナイスナイス連呼しながら二つの拳を小さく何度もカタカタカタカタ突き出している。

「そうね。戦いの序盤で見せていた、でっかい魔法障壁も凄かったよなあ。……こないだザーヴェラー倒した、そのこともさ、こっちですっごい噂になってたんだよ。とんでもねえ新人が現れたあって」
「いやいやいやいや、まぐれです! スミマセンまぐれですっ!」

 手をぱたぱた振って後ずさりしながら、明子の言葉を、必死に否定謙遜するアサキ。アホ毛もふりふり揺れて、なんだか変なダンスを踊っているようにしか見えない。

「まぐれじゃないって。もひとつ噂になってる非詠唱能力で、アクションの先手を踏めたことや、そりゃ運もかなりあったかも知れないけどさ。でも間違いなく実力だし、鍛えればもっともっとよくなるよ」
「そうだあ! カズミちゃんファイトおっ! ファイトおっ!」

 保子は、腰を小さく落としながら、自らの両手を逆手でぎゅっと握ってきた。

 第二中のエース姉妹から、手放しで褒められたアサキは、

「頑張ります」

 と、ちょっと俯き加減に顔を赤らめた。

「それと、わたしアサキです……」
「あーー、ごめんちゃい、ちゃいっ、あらためてためてアサキちゃんファイトおおお! おーーっ!」

 と、保子が自分の叫び声にハイになって、自分で腕を突き上げて応じた瞬間、

 どんっ!
 第二中の(もと)(むら)(ろく)()が、すっ飛んできて、真横から激突、二人はもつれ合い倒れた。

「あ、あ、ごめんね保子ちゃんっ! にょろにょろよけて跳んだら、ぶつかっちゃったあ」
「気にしない気にしな……うわっ、やばあああーーーっ!」

 緊張感に欠ける保子の叫びであるが、反して絶体絶命の状況だ。

 倒れている二人へと、ヴァイスタが、上半身覆いかぶさるようにしながら二つの拳を振り下ろしたのである。

 巨大な豪腕に、拳に、二人はぶちゅりと潰されゲームオーバー。

 ……とは、ならなかった。
 咄嗟に飛び込んだアサキが、瞬時にして作り上げた巨大な魔法障壁を頭上にかかげて、二人を庇い、訪れていたはずの悲劇を阻止したのである。

 それだけではない。
 ヴァイスタの体勢バランスが崩れて、隙ありと判断するやアサキは、自分の作り出した巨大な魔法障壁を、まるでぺらぺらの紙を丸めるかのごとく、いや本当に丸めてバット持ちすると、うわああああっと叫びながら、ぶうん、全力で振ったのである。

 風が唸りを上げ、そして、ヴァイスタの首から上が完全になくなっていた。

「大丈夫ですか、二人ともっ」

 はあはあ息を切らせながら、二人へ向き直るアサキ

「……き、規格外のことやるね、アサキちゃんって」

 天野保子が、すっかり飲まれた唖然とした顔で、小さく拍手をした。

「さあっすが、ザーヴェラーを一人で倒した子だ。凄いもん見たあ」

 元村禄夢は楽しげな顔でそういうと、ぴょんぴょん跳ねて自分の持ち場へと戻っていった。

 まだ、はあはあ息を切らせているアサキ。
 二人の態度の余裕っぷりから考えて、おそらく、この助けは不要だったのだろう。

 そうかどうかなんて聞かなきゃ分かんないし、助けようとしたことに後悔はないけれど、余計な体力を使っちゃったなあ。

「だろ? そいつバカでドジでヘタレでアホ毛で音痴で泣き虫でオシッコ漏らしたことあるけど、魔力の器だけは、信じられないくらいにでっけえから、たまにとんでもねえ真似すっぞ」

 カズミが戦いの最中、天野保子の方を見て、アサキの規格外についての説明をした。

「え、そなの? アサキちゃん」
「はあ……魔力が、とか器が、とかよく分からないんですけど、セオリー通りにスマートに戦いたいとは思っているんですが、経験がまだまだなので、すぐ我流になっちゃうんです」

 アサキは鼻の頭を掻いて、照れたように笑った。

(りよう)ちゃん! 令ちゃん! さっきの技、面白かったあ! 魔法陣丸めてハリセンアタックみたいな!」

 元村禄夢が去ったら、今度は(よろず)(のぶ)()が、自分のフォーメーションを乱して、楽しげ興奮気味なワクワク顔で、さかさかさかっとアサキへと近寄ってきた。

「普段着がオシャレなら、絶対うちにスカウトするのになあ」
「まだゆうとるけえね」

 遠くで見ている治奈が、その言葉を聞いて呆れ顔でぼそっ。

「リーダー! 他校の子がオシャレとかダサいとかどうでもいいからあ、早くこっち戻って下さいよお!」

 万延子と同じ組で戦っている、一年生の(まさ)()(とく)()が、口元ムッと歪めてぱたぱた手招きしている。

「いやあ、ごめんごめん」

 おどけた笑顔で、頭を掻きながら戻っていく万延子であるが、その、人をバカにしたようにも見えるほんわかした笑顔が、一瞬にして険しい表情になっていた。

 彼女らがにょろにょろと呼ぶ、触手状の白く長い腕、それが不意に万延子を襲ったのである。
 笑いながら一人小走りしている彼女の姿を見て、チャンスと思ったのか、一体が群れから抜け出たのだ。

 だが、その攻撃は通じなかった。
 歩みを止めた万延子が、立てた右腕を横に振るって、伸びる触手へと手の甲を叩き付けて防いだのだ。
 返す刀ならぬ、返す拳で腹部を強く打撃すると、反対の手に握っている木刀を、両手に持って上段に振り上げる。

「やおっ!」

 独特な気合の叫びを発しながら、魔力で青く輝く木刀を、拳ダメージにまだ動きの止まっているヴァイスタへと、打ち下ろしていた。

「イヒベルデベシュテレン」

 致命傷を与えたか確認するまでもなく、即、そっと伸ばした手のひらをヴァイスタの腹部に当て、昇天魔法の呪文詠唱を始めた。

 白い怪物が、金色に光るさらさらの粉になり、風に消えると、第二中のリーダーは、また捉えどころのない笑顔へと戻って、正江徳江たちの元へと歩き出した。

「一匹、出てきてくれたから倒しちゃったあ」

 飄々とした態度で戻るその背中を見ながら、アサキはごくり唾を飲み、低く呟いていた。

「こっちも、凄いや……」

 天野姉妹は抜群の連係で敵を倒すが、万延子は個人としての戦闘能力が格段に高い。
 あんな紙一重で見切るようなやり方、経験や自身の能力への信頼がなければ、とても出来るものではない。

 鍛えれば、ああいう戦い方が出来るのかな。
 それとも、わたしには無理なのだろうか。

 でも、関係ないか。
 いまはまだ。
 わたしに出来ることをやるだけだ。

 ぎゅ、とアサキは拳を握った。

 さて、まだ十数体と残っているヴァイスタであるが、この後、この戦闘はあっという間に収束することになる。

 きっかけとなる状況の変化を伝えたのは、

「なんか向こうの様子が変ですね」

 第二中学校サブリーダー、(ぶん)(ぜん)(ひさ)()ののんびりした声であった。

 なにが変?
 などと考える余裕は、アサキにはなかった。
 いや、他の誰にも。

 このままでは、釣り出されて各個撃破の的になるだけ、という分の悪さを本能で認識したのか、ヴァイスタの、集団としての動きに変化が見られた。
 輪になって、周囲から一斉に包囲を狭め、襲ってきたのである。

「うええーーっ!」

 さすがに驚きを隠せない様子の万延子であったが、一歩後ずさったところで同じように驚き身を引いたカズミと背中がぶつかって、

「こりゃ失敬」

 と、笑顔を作り直すと、

「みんな落ち着いて! 密集して円陣作るんだ!」

 叫んだ。

 百戦錬磨の万延子ですら、少し慌ててしまったくらいである。
 他の者たちも、顔にこそはっきり出てはいないが、やはり狼狽が感じられた。
 ヴァイスタがこのような連係に出たことなど、話に聞いたこともなく、仕方ないというものではあろろうが。

 第二中、第三中の魔法使いは、万延子の指示に従おうとするが、横に乱れ広がりすぎている者たちの戻りが間に合いそうもない。
 つい数秒前まで、それが正しいポジショニングだったのだから、乱れというのは酷かも知れないが。

 いずれにせよ、ヴァイスタに侵入されてしまったら密集も円陣もない。万延子は舌打ちすると、一人で局面打開をしようと思ったか、得物である木刀をを両手にぎゅっと握り腰を落とした。
 だが、同時に、

「ここはわたしがあ!」

 万延子とともに中央に立っていたアサキが、大きな声で叫んだ。
 片膝を着いて屈むと、青く輝く右手の手のひらを、地に押し当てていた。

 天空から、映写機で投影されているかのように、アサキの手に、青い魔法陣の輝きが重なっていた。
 お皿程度の大きさであったその魔法陣は、一瞬にして大きく広がった。敵味方含め、ここにいる全員を楽々囲めて遥かに余る、直径三十メートルは優に超えるであろう、とてつもない大きさへと。

 その常識外れな規模の魔法陣に、魔法使いたちはただ驚いただけであったが、ヴァイスタはバジッと感電した音と共に動けなくなっていた。

 この規格外の魔法陣に、どれほどの魔力を消費したのか……

「ぐ」

 呻き声を上げると、アサキの身体は、そのまま横へ傾いて、地に崩れた。

 そのすぐ横に立つ万延子は、ごくり唾を飲むと、周囲をざっと見回した。
 ヴァイスタたちが動けなくなっていることを、あらためて認識すると、

(りよう)ちゃん、ナイスアシストお!」

 木刀を構えながら、一体へと飛び掛かっていた。

 リーダーのその行動を見た、第二中の魔法使いたちが、
 続いて、カズミたち第三中の魔法使いたちが、
 それぞれの武器を手に、動けないヴァイスタへと切り掛かった。

 致命傷を与えなければ倒せないヴァイスタであるが、動かないのであれば造作もない。
 全てのヴァイスタに致命傷を与えて昇天をさせるまで、それから十秒も掛からなかった。

 異空の、空。
 青空の補色である、オレンジ色の空。
 足元、石灰みたいな色の、地面。
 先ほどまでうごめいていた、無数の白い巨人、その姿はどこにもなく、立つのは十六人の少女たち。

 完全に気を失って倒れているアサキを中心に、みなそれぞれの得物をだらりと下げて、ぜいはあと肩で大きく呼吸している。

「単なる強化合宿が、思いもしねえ実戦演習になっちまった」

 はあはあ、苦しそうに息を切らせながら、カズミが疲れ切った表情で呟いた。

     11
「えー、アサにゃんホントに覚えてないのお?」
「うん。ごめんね」

 (りよう)(どう)()(さき)は、包丁を使う手を休めると、ちょっとだけ申し訳なさそうに笑みを浮かべた。

「別に謝ることじゃないんだけどさあ。おかげでナルハたちも助かったんだしさあ」

 なんの話をしているのかというと、先ほど異空で、ヴァイスタの群れが一斉に襲って来た時のことだ。

 アサキが、幾つかの補助魔法がブレンドされた巨大な魔法陣を作り上げて、一時的にヴァイスタの動きを止めた。
 そのチャンスを、他の魔法使いたちは逃さずに一人一殺、大量のヴァイスタを一挙殲滅。

 と、そのようなことがあったのだが、アサキは魔力を使い果たして気を失ってしまい、まったく覚えていないというのだ。

 (よろず)(のぶ)()が、群れから飛び出た一体のヴァイスタを、たった一人であっという間に倒してしまい、凄いなあと驚いていたら、続いて(ぶん)(ぜん)(ひさ)()の訝しむような声が異変を訴えて、

 と、記憶はそこで飛んでいる。

 目を開けたらもうヴァイスタの姿はどこにもなく、そこは現界で、中学校の体育館で、()(ぐろ)先生を含む第二中第三中のみんなに心配そうに囲まれていた。

「わたしビビリだから、多分ヴァイスタがどどーって迫ってくるのが怖くて、わけが分からなくなって、分からないまま全力で魔法を使っちゃったんだろうな」

 アサキはそう自己分析しながら、包丁トントンを再開した。

 なお、強化合宿のゲストである第二中学校の魔法使いたちは、アサキが目覚めたことに安心するとみな帰っていった。

 訓練途中にヴァイスタが出現したり、色々と中途半端になってしまったため、先生同士の話し合いにより、このまま両校合同合宿も検討されたのだが、第二中の女生徒たちは、やりたいことが色々あるから、と辞退。それに、自分の守るべき持ち場を、いつまでも離れているわけにもいかないから、と。

 そんなわけこんなわけで、現在、ガランとして広くなった学校内に残っているのは、第三中の魔法使いたちと須黒美里先生の七人だけである。

 包丁トントンなにをしているのかというと、学校の家庭科室で夕飯を作っているところである。

 アサキ、(なる)()(はる)()はカレーとご飯を担当で、
 (せい)()(おう)()、須黒先生はその他サイドメニューだ。

「でも今日は残念じゃったね。特訓のウォーミングアップも終わって、いざ本番よってところで本物のヴァイスタが出てしまってなあ」

 特に愚痴をこぼしているようでも、さりとて楽しげでもなく、淡々と、(あきら)()(はる)()がフライパンをガツンガツン振って、ニンニクを炒めている。

「でも、こっちたまたまラッキー大人数だったから助かったよお」

 隣で成葉が、ジャガイモの皮を剥いている。
 皮剥き器でなく包丁で、するするさりさりと、器用なものである。
 身長足らず、流しの上に腕を伸ばす姿勢は、非常に苦しそうであるが。

「そうだわね。助かったというだけでなく、色々と学ぶところもあったんじゃない?」

 さらに隣では、須黒先生がサラダ用のトマトをカットしている。

「わたしは戦えないから安全圏にいて、あまりよく見ることは出来なかったけど、第二中の子たち凄かったでしょ? それにほら、また(りよう)(どう)さんの、なんかとてつもないところとか、見ること出来たんでしょう?」
「ほうですね。あれは凄かったのう」

 治奈が、思い浮かべて視線を天井に向けた。
 超巨大魔法陣とか。
 魔法陣を丸めてバットにして、ヴァイスタをぶん殴ったりとか。

「とと、とてつもないだなんて、とんでもない! わた、わたしなんか、まだまだですよう」

 アサキは人参を切る手を休め、照れ笑いを先生の方へ向けながら、包丁を持っていない方の手をぱたぱた振った。

「こんなとこにまな板があああああああっ!」

 (あき)()(かず)()が、いきなり背後から両手を回して、アサキの胸をぎゅーっと掴んだ。

「わああああああああああああああああ!」

 びっくりして、身体をぴいんと硬直させたまま、マンドラゴラさながらの凄まじい絶叫を放つアサキ。

「す、すげえ声……」

 耳がキーンとなっているのか、くしゃっとした顔で頭を押さえているカズミへと、アサキはくるり振り返ると、涙目になった顔を掴み掛からんばかりの勢いで寄せた。

「カズミちゃん! 刃物を使っている時に、変なことしないでよおおおおお! 怪我したらどうすんのお! スパッと切れちゃうよ! 出てきたカレーに指が入ってたらどうすんの! ゴクドーじゃないんだから!」
「ご、ごめん。……もうしません」

 マシンガンのような攻撃を受けて、カズミもすっかりたじたじである。

「分かればよろしい。……それと、まな板より、す、少しはあるんだからね」
「それ、なんて返せばいいんだ……」
「いいよ、なんとなくいってみただけ。……カズミちゃん、やることないの?」
「お前らが、食後の皿洗い担当に決めたんだろが」
「ああ……」

 そうだった。
 料理させるのはナントカに刃物で危ないし、まともな料理が出来上がるかもバクチだし。などという理由で。

「どうでもええんやけどな、こっちの邪魔はすんなよ。はっ倒すで」

 (みち)()(おう)()が別テーブルで、とんとんとんとんリズミカルにキャベツ切りをしている。

「よし、ならば邪魔をしよう」

 ついー、っと何故か知らぬがムーンウォークで応芽のところへと向かうお邪魔隊いやお邪魔人。

「だから、くんなや! 暇なら床でもベロで舐めて掃除しとけ!」

 半分げんなり顔の半分怒り顔で、声荒らげる応芽であるが、

 カズミ全然聞いておらず、楽しげに覗き込んだ。

「おい関西人、キャベツ切ってるからって無意識にお好み焼きにすんなよお。たこ焼きとかさあ」
「せんわ! つうか大阪はたこ焼きにキャベツ入れへん!」
「あ、そうなんだ。間違った、そがいなっとんじゃのう、あ、これじゃ治奈か、そうなんやあ。……ごっちゃになっちゃうよな、極道みたいな喋り方をする奴が二人もいるとさあ」
「まったくちゃうやろ! つうか喋り方の真似せんでええ!」
「ま、マネー千円とは?」
「地方の言葉に食い付くより、日本語の根本からやり直せ! もうええわ」

「はいっ、ありがとうございましたー」

 応芽とカズミの二人は、声を合わせながら、誰にともなく頭を下げた。

「昭刃さん、漫才やってないでいいから、そろそろお皿とか器の準備をして貰える?」
「お、やっと仕事だ。ブ・ラジャー!」

 カズミ、真顔でピシッと先生へ敬礼だ。

「はい。昭刃さんは、今度のテスト全教科マイナス十点、と」
「取り消すっ! 『ブ』は取り消す!」
「どっちにしても、先生にラジャーとか失礼でしょお。いいから、マイナスにはしないから、ほら、早くお皿」
「ありがとうございますううう」

 ふかーく頭を下げながら、ムーンウォークでついーーっと後ろへ。

「その気持ち悪い歩き方やめなさい!」
「アイアイサー! じゃなくてラジャ、じゃなくて、分かりましたあ!」

 ウイーン、といいながら、ロボット的な動きで腰を持ち上げて、気を付けピシッ、の姿勢になったカズミであるが、

「ん?」

 お皿より先に、テーブルに置かれているしゃもじに目がいき、目がいった瞬間にはもう掴み取っていた。

「♪ はじめて手を取り合って歩く渚 ♪」

 しゃもじを掴んじゃったらもう当然これでしょ、とばかりマイク代わりにして歌い始めるのだった。

「♪ 果てなく広がる星空の…… ♪」

 マイク両手に握り締めて、普段のガラの悪い態度はどこへやら、可愛らしい声で歌うカズミ。

 後ろを通ろうとしているアサキが、冗談ぽくマイクいやしゃもじに顔を寄せて歌声を足した。

「♪ はてなあくひろがるしぞらのおおお ♪」

 アサキ本人は、綺麗なハーモニーのつもりのようであるが、主旋からズレまくりで無茶苦茶である。

「ぐおおお、殺人音波あああああああ!」

 至近距離で直撃を受けてしまったカズミが、苦悶の表情で頭を抱えながら、がくり膝を着いた。

「さ、さ、さっきのお返しだよおだ」

 まさか、しっかりまともに歌えているつもりだったのだろうか……
 令堂和咲、十三歳、顔を赤らめながら、ごまかすようにそういって、足早に立ち去るのだった。

     12
 湯気が、もうもうと立ち上っている。

 ここは、運動部部室棟の端にある、シャワー室の中だ。

 (はる)()たち第三中の魔法使いたちが、今日の特訓や戦闘の汗を流しているのである。

 シャワー室は、ドラマ漫画でよく見るような、一人ひとり仕切られて胴体の部分だけを隠す作りである。

 使用しているのは、出入口から近い順に、アサキ、(せい)()(はる)()(おう)()(なる)()

 カズミの姿がないのは、廊下の窓ガラスをふざけて割ってしまい、()(ぐろ)先生に怒られているためである。

「なあ(りよう)(どう)、あの相手を動けなくする魔法陣、今後の戦いでかなり有効なんとちゃうか?」

 一番端にいるアサキの耳に、隣の隣の隣から、湯気に乗って応芽の声が届いてきた。

「ごめん、ウメちゃん、それどうやったのか、まったく覚えていないんだ」

 アサキは謝った。
 大勢のヴァイスタに一斉攻撃を受けて、自分の魔法でみなが難を逃れたらしいのだが、気が動転していたのか本当に覚えていないのだ。
 体力を使い果たして気絶してしまい、そんなことがあったらしいと後から聞いた程度である。

「でもさ、そういう能力がアサにゃんにあるってことは分かったじゃん。ナルハたちは全然ビリビリッと痺れたりしなかったから、あれヴァイスタだけを攻撃出来るってことだよね」
「ほじゃろな。まず戦闘前にあたり構わずぶっ放しておけば、その後がぐっと有利になるけえね」
「いや、でも、どうすればいいか全然分かんないんだよお」
「今度、練習をしましょう。もちろんわたくしたちも付き合いますから」

 と、みなでアサキの能力についての会話をしていると、

「あーー、サムライサムライ♪」

 キイッ、とシャワールームのドアが開き、身体にバスタオルを巻いたカズミが入ってきた。
 先生の説教は、終わったようである。

「お姉ちゃんっ、素っ裸でなにやってんのお?」

 早速というべきか、一番近くでシャワーを浴びているアサキへと近付いて、扉越しに覗き込んだ。
 あまり高さがない仕切りなので、ぴったり近付けば丸見えなのである。
 だから普通は、あまり近付かないものなのだが。

「ぎゃーーーーっ、変態オヤジ!」

 アサキはびくり身体を震わせながら、小さな胸を両手で隠した。

「ほんとお前おっぱいちっちゃいな。というか、ほとんどないじゃん」
「酷いよお……」

 泣きそうになっているアサキのことなどまるで気にせず、わははは豪快に笑いながら、カズミは隣を覗き込んだ。

「正香ちゃん、おほおん意外にいい身体をしておりますなあ」
「はあ。どうも……」

 自信があるのかやりすごす秘訣なのか、まったく動じない正香に、カズミの興味と視線は隣に移動。

「次はあ、治奈か。ううーーーん普通」

 つまんなそうに、ぼそっ。

「普通で悪いか!」
「あちちちち! うわもうタオル濡れたあ!」

 治奈から、顔面その他ばしゃばしゃと、シャワーのお湯を食らったのである。

「くそ、撤退。隣! 隠れナイスバディの姫は、どこかにいないのでしょうかあ」

 びしょびしょになってしまったバスタオルを外して、自分も全裸になると、さらに隣、応芽の入っている空間を覗き込む。
 覗き込んだ瞬間、なんともげんなりとした顔になっていた。

「うわあ、嫌なもん見ちゃった」

 はあああ、ため息。

「あっち行け、このボケが!」
「うるせえ金返せ、払ってないけど。……消去法的に、次は成葉か。じゃあ見る必要もねえか。でもいちおう念の為っ! ………………見なきゃよかった」
「カズにゃんのバーーーカ!」

 コツン。
 はあがっくし、とため息を吐いているカズミの頭に、石鹸が投げ付けられた。

 カズミは顔を上げ、バスタオルを握り締めた全裸のまま、

「さあて、我孫子市立天王台第三中学校おっぱいコンテストの採点結果が出ましたあ。だららららららららららららら」

 素っ裸のまま、ゆっくり歩きながら、ドラムロールを口ずさむ。

「ジャン!

 では一気に発表しまあす。

 まずはいきなり、グランプリである『素晴らしい』を獲得したのはあ、

 大鳥正香あああっ!

 いやーっ、実にナイスなナイスなおっぱいでしたあ。
 おめでとうございまあす!

 えー、それとあと、正直もうどうでもいいんだけど、いちおうその他の賞も発表しましょうか。

 『まあ普通』、に輝いたのはあ、つうか輝いてねえのは、

 明木いっ治奈あ!

 続いて、

 『もうちょい頑張れ』

 ウメ。

 『生きる価値なし』

 平家成葉、令堂和咲。

 以上っ!
 天王台第三中学から生チチもとい生中継でお届けしま……」

 ボガン!
 ズガン!
 バキッ!
 ベヒッ!
 ザガッ!
 ガスッ!
 ドズッ!

「以上じゃない! いつもいつも下らないことばかりやってないで、あなたも早く浴びちゃいなさい! ご飯抜きにするわよ!」

 須黒先生に容赦微塵もなくブン殴られて、素っ裸のままぶっ倒れるカズミであった。

     13
 ここは、校舎二階にある宿直室。

 裸のこたつテーブルを囲んで、第三中学校の魔法使いたちが、数学の勉強をしている。

 魔法戦闘力を鍛えるための強化合宿とはいえ、中学生の身分である以上は、一般教科の勉強も日々欠かせないのである。

 四人用サイズ正方形のこたつに、(あき)()(かず)()(みち)()(おう)()(おお)(とり)(せい)()(あきら)()(はる)()、が正面に、斜めから(りよう)(どう)()(さき)(へい)()(なる)()が割り込んでいる格好だ。
 成葉が割り込みあぶれ組なのは、身体が小さく本人も苦に思わないからだが、アサキは単なる力関係による上下格差である。
 杭が出ようものなら、すかさずカズミハンマーが振り下ろされるので、自らおとなしくしているのだ。

 それぞれテーブルに置いたリストフォンで、問題プリントを空間投影させているのだが、それらがこたつの上に広がっていることも手伝って、見た目なんとも窮屈な光景である。

「ほら、ここでさっきの数字をそのまま代入すれば、簡単に方程式の答えが出るでしょ」

 アサキは、応芽とカズミの間で肩を縮めながら、カズミのリストフォン映像をペンで差した。

「ああ、そっかそっか。全然気付かなかったよ。あたし算数苦手でさ」
「数学な、数学」

 応芽が小さな声で小さな突っ込みを入れるが、カズミは気付かず電子ペンかりかり、空間上の用紙映像へと数式を書き込んでいる。

 専用の電子ペンを使用することで、なにもないはずの空間に反発と摩擦が生じて、このように、紙に書くのに近い感覚での筆記が出来るようになるのだ。

 かりかり、かりかり、
 ふと気になったか無意識か、カズミはちらっと視線を動かして、アサキの顔を見る。

 アサキはなんだか嬉しそうに、にんまりとした笑みを浮かべている。
 自分が役に立っていると感じての充足感か、はたまた、その自分の教えによりなんとあのカズミが数学問題を解いているという、支配感にも似た満足感つまりは優越感か。

 かりかり、かり……
 カズミは静かにペンを置くと、

「調子に乗ってんじゃねえぞお!」

 不意に叫びながら両手を伸ばして、アサキの首を掴んでいた。

「上から目線は気持ちいいかあああああっ!」
「な、なんでえええええ? がふ、ぐるじ、ぐびいじべだいでええええええやぁめでええええええ」

 涙目で必死に抗うが、がっちり食い込んだ手は簡単には振りほどけず、見る見るうち顔が土気色に変化していく。
 じんわり暖かな気持ちから、地獄の一丁目へ急転直下のアサキであった。

「あらためて思うんやけど、自分ほんま思考回路が無茶苦茶やな」

 応芽が、あざけりさげすみ純度百パーセントな表情で、横暴凶悪なポニーテールの怪物を見つめている。

「ああそーお? ありがとーん」
「褒めとらへんわ! ほんまキングオブアホやなあ」
「なんで女がキングなんだよ!」

 カズミは、アサキの首から手を離すと同時に、テーブルをどんと叩いた。

「そっちには食い付くんか!」
「当たり前だろ! かわいい女子にキングとか!」

 怒鳴るカズミ、

 の隣で、げほげほぐほげほ、げほごほぐほ、アサキが涙目でむせまくっている。

「うるせえよ!」
「だ、誰のぜいでええ……」

 げほごほしながらアサキは、前髪ばさり恨み念法みたいな顔でカズミを睨んでいる。

「アサキのバカが邪魔すっから、なんの話か忘れちゃったよ。っと、そうだ、キングじゃねえぞ、取り消せよ!」
「え、じ、自分、ひょっとして女やったん? はあ、驚いたあ、初耳やわあ。いや、これまでずうっと勘違いしとってごめんなあ、ミスターアキバ」

 応芽は、カズミの頭をまるで犬みたくしゃかしゃか撫でた。

「やめろ! なんかオタクみてーじゃんかよ、ミスター秋葉ってさ。つうかミスターじゃねえだろ、さっきからあ、絶世の美女に向かってよお」

 応芽はプッと吹き出すと、撫でてた手を離し、カズミの顔をまじまじと見て、お腹を押さえて苦しそうに、

「絶世の美女お? 鏡がないんか、お前の家には」
「うるせーな! お前こそさあ、近隣近所にミスターたこ焼きとかミスターイヤミとかいわれてんじゃねえの? クソ性格悪い関西人だし」
「呼ばれたことないわい」
「それじゃあ、これまでどんなあだ名を付けられたことあるのか、教えてくださあい」
「い、いう必要ないわ!」
「ふふふ、当ててやろうかあ。たぶん間違いない、ずばり、『お笑い』!」
「関西バカにすんなあ! てか周囲が全員関西やのに、そんなわけないやろ!」
「ならば、『通天閣』『でんでんタウン』『ナンデヤネン』『アホチャイマンネン』」

 指を折り折り、適当な言葉を並べていく。

「せやからあ……。自分、ほんま脳の構造がアホなんちゃうか?」
「やっぱり最初に戻ってえ、『お笑い』!」
「分かった分った。『もうええわっ、はいーーっありがとっございましたああああ。ウメちゃんとアホカズミでしたーっ。まったらっいっしゅう!』……締めたったで。これで満足やろ?」
「うん、でもいつものウメの方がもっとアホっぽいかなあ」
「いつももなにも、アホな真似なんぞ人生で一度もやったことないわ!」
「それはお前の……いへへへへ、なりふんらあ!」

 カズミの間抜け声に間抜け顔。応芽が口の両端に人差し指を突っ込んで、思い切り左右に広げたのである。

「あだ名の話から、こんな低レベルのバトルをしてる女子中学生、うち生まれて初めて見たけえね」

 治奈が、顔の肉の引っ張り合いをしている二人へと、薄ら寒そうな目を向けている。
 顔中に、青い縦スジがビシビシだ。

 カズミは、見られていることに気が付くと、恥ずかしそうにというよりは、もう飽きたという感じに、ぶんと顔を振って、口に突っ込まれた指を強引に引っこ抜いて外して、

「そういやあさ、治奈のあだ名ってなんだっけ? 小学生の時の。スカートからパンツはみ出てた頃のさ。ミスターお好み焼きだっけ? ミスターオコノミックアニマルだっけ? ミスターゲームスキーだっけ? ミスター……」

 引いた青スジや、あざけりの視線に腹を立てたか、今度は治奈をいじり出すのだった。

「いい加減ミスターから離れんか! そもそもスカートからパンツはみ出してた頃なんかないわ! ……うちは、そんな変な名前なんかじゃのうて、ええと確か、なんじゃったっけ……」

 と、天井を見上げて顎を人差し指で掻いている治奈の顔が、急に真っ赤になった。

「な、な、なんとも呼ばれとらんかったけえね」

 手をぱたぱた、慌て出す。

「いやいやあ、思い出したぞ! 確か『カープ』だあ!」
「いうなあああ!」
「顔の色で実演してみせなくてもいいのに」
「広島じゃからカープとか、そがいな変な名前で呼ばれてたなんて、恥ずかしさに赤くもなるけえね。嫌なこと、思い出させてくれたの。……ほうじゃ、うちらは成葉ちゃんたちとは小学校が違うたから、知らんのじゃけど、やっぱりあだ名なんかで呼ばれとったの?」

 恥ずかしさを紛らわすため、周囲を巻き込むつもりか、カープは成葉たちへと話を振った。

 成葉も振られた以上は腕を組んで、うーんと真面目に考えながら、

「ナルハが、自分をわたしっていわず、ナルハって呼んでいるせいか、みんなもナルハだったかなあ。ナルちゃん、ナルスケ、ナル坊、頭を取ってルハちゃんとかいう子もいたけど。……そういやそこからの流れで、ルパンと呼ぶ男子がいたりしたっけなあ」
「ル、ルパン? 怪盗のルパン? 片眼鏡の」

 アサキが楽しそうな不思議そうな面白そうな顔で、テーブルに肘を付いたままくいくい身を乗り出した。

「うん。ナルハ、ルハ、ルハン、ルパン」
「ああ、なるほどね。そういう連想か」
「そのルパンと、いつも一緒にいたため、その流れでわたくしは、ゴエモンと呼ばれていました」

 という正香の言葉に、アサキはぶっと吹き出してしまう。

「イメージまったく違あう! って、なんだそっちのルパンか。……しかし、成葉ちゃんはまだ許せるけど、正香ちゃんがゴエモンって……」
「どうしてナルハは許せるのか分かんない!」

 ぷううっ、成葉は頬を膨らませた。

「成葉さんの呼び方は、すぐにナルハちゃんに戻りましたけど、わたくしだけ小学校を卒業するまでゴエちゃんでしたね」

 懐かしむような笑みを、正香は浮かべた。

「そっか、だから成葉ちゃんはいつもゴエちゃんって呼んでいるのか。ゴエちゃんなら、まあ……」

 アサキは、鼻の頭を掻きながら天井を見上げた。

「かわいらしく、思えなくもないしなあ」
「ま、そうだなあ」

 カズミも、腕を組んで同じように天井を見上げていたが、首の角度をウイーンと戻して、アサキの方を向くと、わくわく興味津々の顔になって尋ねた。

「アサ坊、お前はどんなあだ名を付けられたことがあんの?」
「ワクチン」

 アサキの即答を受けて、ズガダーンとこたつテーブルに激しく顔面を打ち付けるカズミ、治奈、成葉、応芽の四人。正香もちょっと危なかった。

「あいたあ」
「鼻打ったあ!」
「ワクチンって……」
「なんやねん、それ!」
「いやあ、予防接種前によくその病気にかかることが多かったから」

 えへへ、と笑いながら、こりこり後ろ頭を掻くアサキ。

「じゃあ、日本脳炎も接種前にかかったのかよ! ……ああそっか、かかったからこうなのかあ」

 わははは笑いながら、ぽんとカズミは自分の手のひらを打った。

「やあんもお、からかわないでよお!」

 アサキは笑いながら、カズミの肩をぽかぽか殴った。
 やり返されないように、赤子が撫でる以下の、力の入れ方であるが。

「しっかし、勉強がはかどらねえなあ。そうだよ、アサキが偉そうに方程式とか語るから、そっから脱線したんだよな」
「えーっ、だって勉強会なんだから、分かるところ教え合うのがフツーでしょお。それをカズミちゃんが上から目線とか自分勝手に怒って、そっから脱線したんだよお。ぐいぐい首を締めてくるしさあ」
「記憶にないんですけどお。いいがかりはやめてもらえますかあ」
「もう、都合のいい記憶だなあ」

 唇を尖らせるアサキであったが、なんだかこの話の流れがおかしくなって、ぷっと吹き出してしまう。

「なにがおかしいんだよ? さ、続きをやっか。それじゃあアサキ、さっきの方程式とやらで、ここの答えを教えてくれよ。あ、あとここの答えも教えて」
「解き方でしょ、教えるのは! 答え教えたら意味がないよお」
「なんかもう、飽きちゃってさ」

 ふぁ、と噛み殺すことなく大きなアクビをするカズミ。

「まだ数問しか解いてないくせにさあ」

 成葉が、小さな突っ込みを入れた。

「うーん。ラジオでもあればなあ」

 カズミは身を後ろに傾け、床に両手をついて支えながら、きょろきょろ宿直室内を見回した。

「あ、それならリストフォンでも聞けるんじゃない? えっとお……」

 アサキが、テーブルに置いてある自分のリストフォンを手に取って、画面タッチでアプリケーション探しを始める。

「確か勉強系の作業中は、そがいなアプリは起動せんよ。仮に聞けたとしても、勉強がはかどらんじゃろ?」
「かも知れないけどお、でもさあ、よく深夜放送聞きながら勉強を頑張るシーンってあるじゃない?」
「そうそう。んでさ、恋人が投稿したハガキが読まれたりしてさあ」

 むふふっ、と笑うカズミ。

「ドラマとか漫画の世界だけじゃろ」
「現実もそうかもよ。はーい、DJカズミーだあ。ではここで一通、お便りを紹介するぜー。我孫子市天王台、ペンネーム『女子好き好き女子』さんからだ」
「なんちゅうペンネームじゃ」

 げんなりした顔で、ボソリ突っ込む治奈。

「どうすれば、お好み焼き屋が繁盛するのでしょう? やっぱり『あっちゃん』という名前が悪いんでしょうか」
「うちの家の話か! 失礼な、そこそこ繁盛しとるわ! 知りもせ……」
「えー、次のお便りはあ」
「全然聞いとらん……」
「我孫子市天王台、ペンネーム『元祖プロレス大好き女性教師』さんからだあ。えーなになに、毎日ぴちぴちの女子中学生に囲まれて悔しいです! わたしだって太古の昔は若かったんだからああああ!」
「ああ?」

 ドスのきいた低い声を背に受けて、びくり肩を震わせたカズミ。顔が、さあああっと青ざめていく。
 そおっと振り向くと、そこにいるのはやはりというべきか、須黒先生であった。

「太古の昔は若いだあ?」

 極道映画のような低い声に、カズミは床に手を付きぐるりと身体を回転させると、頭を床に擦り付けた。

「す、すみませんでしたあ! つい、つい調子に乗ってしまい」

 平身低頭土下座している教え子の情けない姿に、須黒先生はため息を吐きつつ苦笑した。

「ちゃんと勉強してなきゃ駄目でしょ。……そりゃあ、どんな人だって昔は若いわよ。でもね、自慢じゃないけど先生、現役時代はかなりかわいかったんだからね」

 その面影を見せようとしているのか、やわらかく微笑んでいると、発言にアサキが食い付いた。

「へええ、先生の魔道着姿、見てみたかったなあ」
「えーっ。は、恥ずかしいけど、ほんと恥ずかしいけど、ちょっとだけ見てみるう?」

 食い付いたアサキの態度に、先生が食い付き返した。

 須黒先生がリストフォンを操作し、空間投影されたのは、薄桃色の、和洋混ぜたような、ひらひらの多い感じの魔道着を着て、微笑んでいる女子の立ち姿。
 力強く、ぐっと右拳を握っているが、身体付きはスリムで、その顔は幼く、天使のようにかわいらしい。

「おーーーーっ!」
「初めて見たあ!」
「かわいーーっ!」
「無修正? ね、これ無修正?」
「カズミちゃんっ、ま、紛らわしいいい方すんな!」

 嬉し恥ずかしといった笑顔でざわついている、現役女子生徒たち。

「せ、先生っ、これいつ頃の?」
「中一、かな。十二歳」
「へーえ」

 アサキは、自分のアホ毛にくるくる指を巻き付けながら、先生の少女時代の写真に顔を近付けた。

 治奈は反対に顔を遠ざけて、写真全体を堪能している。

「確かに強そうで、かわいらしいのう。あ、あれっ、ほじゃけど、魔法使いや異空の写真は、撮ったり残したりしちゃ駄目なんじゃろ?」
「バレなきゃいいの、バレなきゃ」

 笑顔でぱたぱた手首を返す、二年三組須黒先生。

「教師の言葉かよお。しかもまあ、三十年もこんな写真を寝かせとくなんてなあ」

 カズミが、現在の先生と投影画像の先生とを見比べながらうーむと唸っている。

「三はいらない! 十年前!」

 正確には、十五年前だ。

「でも、でも……ほんとかわいいなあ」

 アサキが嬉しそうに恥ずかしそうに笑いながら、まだ飽きもせず、幼い魔法使いの写真を見ている。

「まあ、いろんな画像編集技術がありますからなあ」

 聞こえないように、ぼそりと呟くカズミであったが、

「なんにも加工してないわよ! どの関節技がいいか、選ばせてあげましょうかあ?」
「すんませんでしたあ!」

 先生の地獄耳よ。
 カズミはびょーんと飛び跳ね、着地と同時に床へ両手をついて、下げた頭を擦り付けた。

 アサキは、そんなやりとりも目に入らないくらい、幸せそうに微笑みながら、いつまでも写真を見続けている。

「令堂さん、そんな一人でいつまでもまじまじ見続けないでよ。もう、消すわよ」
「はい。……先生、こんなかわいらしいのに、無茶苦茶強かったんでしょ? 凄いな……。ありがとうございます。目指す目標が出来ました」

 礼の言葉。
 本心から、アサキは思っていた。

 単にかわいらしくなりたいという意味ではなく、強く見えずとも強いという、中身の強さに憧れを抱いたのである。
 殴る蹴るの強さよりも、そこからの自信、どちらかといえばそういった精神的な強さのことであるが。

「あらあ、おだててもテストのおまけはないわよ」

 ふふっ、と笑う須黒先生。

「おまけがなくてもいいからあ、あたしの勉強も見てくれー。ちっとも分かんねーんだ」
「昭刃さんは、出来ないというより毎日コツコツやんないからでしょ。どおれ、どこが分からないの?」

 カズミのリストフォンからの、投影画面に描画されている数学の問題を、須黒先生が、自前の電子ペンをポケットから取り出しながら、覗き込んだ。

 数学を教え教わる二人のやりとりを見ながら、アサキは思っていた。
 胸に言葉を唱えていた。

 先生も過去に魔法使いで、
 ヴァイスタと戦って、
 世界を守って、
 守られた世界に生まれている、わたしたちがいて、
 先生は、先生になっていて、
 わたしたちを、こうして教えてくれて、
 わたしたちも、こうして魔法使いになって……
 そしていつかは……

 すべて、繋がっているんだ。
 もちろん、ヴァイスタが生まれるというのは繋げてはいけない、いつか断ち切らねばならない連鎖だけど。

 でも、ヴァイスタなんかいなくとも、人間はいつもどこかで戦争をしている。
 自分たちのために争っている。

 わたしたちが、世界を守り続けていれば、
 いつかは、人間たち同士も、仲良くなれるのかな。

 守った世界に繋がっていくのが、そこに入り込むのが、笑顔ならば、
 笑顔の連鎖ならば、
 どんなに素敵なことだろう。

 いつかは訪れるのだろうか。
 そんな世界が。

     14
 (へい)()(なる)()が、ちょこりんと正座しながら、じーっと正面を見ている。
 むー、と考え込んでいる渋い顔になり、首を傾げたり、唇を尖らせたり。

 そんな成葉と向き合って、無言で表情を観察している治奈たちであったが、不意に口を開いて、次々と言葉を発していく。

「『ジャガイモ切ったの誰だっけえ』」
「『また汗かいちゃった、シャワー浴びていいのかな』」
「『明日は牛丼を食べたい』」
「『乳の小さい奴は生きる資格なし』」

「みーんな外れえっ!」

 成葉は首をぶるぶるぶるっと横に振り、胸の前で大きなバツを作った。

 まだ応芽が答えていないので、必然的みなの視線が彼女に集中するのだが、

 応芽は片目でちらりみなの方を見ると、

「くっだらね」

 答える気はないようで、そっぽ向いて頬杖をついた。

 応芽が答えなかったため、これで一次解答タイム終了である。

「アサにゃんさあ、こんな時に夕食のカレーのことなんか思い出すわけないじゃん。ハルにゃんのはちょっと近い、でも違う! ゴエにゃん、だからいま夕食後だってば。お腹いっぱいの時って普通は、明日の食事のことなんか考えないでしょ。カズにゃん! それナルハじゃなくてカズにゃんの台詞でしょ!」

 解答に、一つひとつダメ出しをする成葉。

 この宿直室で、彼女たちがなにをしているのかというと、「いまなにを考えているか当て」ゲームである。

「治奈ちゃんの、『シャワー浴びていいのかな』が近いのか。うーむ」

 アサキが腕を組んで、難しい顔を作っている。

「いや、『汗かいちゃった』の方かも知んねえぞ。分かった!『なんでナルハだけ蚊に食われるのお?』」
「そのヒントだけで正解されると、なんかすっごくナルハに失礼な気がして腹立つんだけどお、でもカズにゃん正解っ!」

 成葉がぴっと親指サムアップ。

「しゃーーーー!」

 カズミは、昔のプロレスラーであるアントニオ某の顔真似をしながら右腕を突き上げた。

「でもほんと、どうして成葉ちゃんだけなんだろうね」

 なにげない疑問を口に出すアサキである。

「汗とか息が独特なんだろ」
「だからあ、カズにゃん! なんかそれナルハがくっさいみたいじゃないかあ! せめて天使の吐息とかいってくれなきゃあ」
「せめてもなにも、それ最上級じゃんかよ。天使とかさあ」
「いいじゃん。蚊もメロメロになる息なんだよ」

 そういいながら輪っかを忘れた天使は、人差し指でぽりぽりと、赤く腫れた腕を掻いた。
 腕を二箇所と、ショートパンツの中側の内ももを一箇所、刺されたのである。みんなで近い距離にいたというのに、何故か彼女だけが、避雷針のごとくに。

「しっかし自分ら、暇さえありゃ下らんことばかりしとるな。ほんま鬱陶しいわ。暑くなるやろ」

 応芽が、頬杖ついてリストフォンでWEBサーフィンをしながら、聞こえるか聞こえないかのぼそぼそ声で文句をいっている。

 まだ仲間に入りきれていないのか、応芽はこうして、集団行動に対して乗る時と乗らない時の落差が非常に激しいのである。
 先日の、ザーヴェラー戦直前に公園で遊んでいた時などは、みんなが引くくらいに弾けていたのだが。

「いいよ別に、お前だけ参加しなくても。ただなんとなくやってるだけなんだしさ」

 カズミは、そっぽ向いている応芽の横顔に向けて、べーっと舌を出すと、

「よし、次はお前だ」

 と、アサキの背中を叩いた。

「分かった」

 アサキは何故だか、お奉行様みたいにずずずいと膝で上座へ移動すると、成葉に代わってあぐらかいて座り、真顔をみなへと向けた。
 と、その瞬間、ぶっと吹いた。
 吹いた瞬間、自分の唾でゲホゴホむせた。

「な、なんだよ。そんなおかしい答えなのか?」
「あ、ご、ごめん、カズミちゃん、いまのなし。表情をニュートラルに戻そうとしてたら、それがなんか自分でおかしくなって笑っちゃったんだ」
「アサキの顔は、あたしもたまに笑いたくなっちゃうからな。アホ毛とかも。そうかあ、自分でもおかしな顔だと、思ってはいたのか」
「ほらほら、そこの人、余計なことはいわない。……ではっ、あらためましてえ」

 アサキは再び真顔になった。
 少しだけ上を向いて、なにか考えているような。
 まあ、なにを考えてるか当てゲームだから、考えるのは当然だが。

 唐突に、はっと驚いた顔になったが、それは一瞬で、またすぐに口をきゅっと閉じ、また、考え込んでいる表情へと戻った。

「以上。さあ、わたしはなにを考えていたので、しょーうか?」

 アサキが問うと、ピンときたのか、ヤケクソむりくりか、みな次々と口を開き答えていく。

「『わたしのだけシューにクリームが入ってなーい!』」
「『酷いやああカズミぢゃあん、ばだぐびがいだいよおおお!』」
「『あれ先生はどこ行きました?』」
「『うわ、どうしようっ、間違って男湯に入っちゃったああ。どうしよ……うわ、みつか……あ……ああ……ばれなかった、みたい。……よかったというか、なんというか……なんだか、なんだか……なんだかっ! 悔っしいいいいいいいい!』」

 なんであろうか、最後のは。

「ハルナちゃん、ぶぶー外れえ。あれ確か、カズミちゃんが中身だけ食べちゃってたんだっけ? ナルハちゃん、いや確かにまだ首は痛いんだけど、すっかり慣れっこで考えてなかったあ。正香ちゃんも残念、外れだあ。……カズミちゃん、わたしと成葉ちゃんだけを、すぐそういう話の方向に持ってくのやめてよ! すぐ胸がないのをからかうんだもん! 男湯なんか一度も入ったことないよ! カズミちゃんと一緒にするな! ……では、正解者なしにつき、続きを、再開」

 アサキはもう一回、驚いた顔を作ると、口をぽかんと半開きにして、首や視線を左右に動かした。

「分かった、あれやろ、昼に異空で天二中と……」

 みなのやりとりを横目で見ていた応芽が、思い当たるところがあったようで、楽しげな顔で人差し指を立てながら、アサキへと身を乗り出した。

 が、
 しかし、それを邪魔するように、

「えーーー、ウメさん今なんかいいましたあああ? またアホクサですかああああ? クッダラネですかああああああ?」

 カズミが、窓がガタガタ振動するくらいの、けたたましい大声を張り上げた。

「な、なんもいっとらへんわ!」

 応芽は、テーブルを殴り付けると、立ち上がって、カズミの顔をきっと睨み付けた。

「下らんことばかりやっとる無能どもには、付き合ってられへんわ! どけやくそボケえ!」

 わざわざカズミを押しのけるようにして荒々しく床踏み鳴らして前を通ると、宿直室のドアを乱暴に開けて廊下へと出た。
 ばたん乱暴に閉めると、ぱたぱたぱたぱた走り去る足音。
 だんだん、小さくなっていく。

「うわあーーーん!」

 遠く離れるまで堪えきれなかったのか、泣き声が聞こえてきた。

「かっわいそお」

 治奈が、唖然とした表情で、閉まったドアを見つめている。

「ウメちゃん、涙目だったよお。というか大声で泣いてたよお。カズミちゃん、いまのはちょっと酷いよお」
「最初から参加したそうに、うずうずしてたよ。カズにゃん、ひょっとして気付かなかったのお?」
「相変わらず、人情の機微が分からない人ですよね、カズミさんて」

 みんなからボロクソボロクソボロクソボロクソいわれて、

「だ、だって、だって、あいつがっ先に茶化すからあ……」

 すっかりタジタジのカズミである。

 舌打ちし、小さくため息を吐くと、前髪を掻き上げながらゆっくりと口を開いた。

「……しょうがねえな、あとでマックスコーヒーでも奢ってやるかあ」
「あれ甘いだけだよー」

 千葉でやたら見る練乳入りの缶コーヒーだ。
 アサキも以前、眠くて死にそうな時に、カズミから奢って貰ったことがあるのだ。

「昼間の弁当の件といい、あいつも相当に面倒くせえ奴だよな」
「そこがかわいいんじゃん。わたしは大好きだよ、ウメちゃんのこと」

 アサキは幸せそうに、ニコリ微笑んだ。

「お前、ほんとにいい奴な。……仕方ねえなあ、ちょっと探してくらあ」
「あ、ならわたしも行くよ」
「面白そうだからナルハもーっ!」

 と、宿直室のドアを開けて出ていこうとするカズミたち三人に、治奈が声を掛ける。

「行くのはええけど、お化けを連れ帰らんようになー」
「治奈ちゃん!」青ざめた顔で、右足を軸にぐりんと回転して振り返ったアサキ、「こないだの合宿でも、そういうこといったよね! 想像しちゃうから、やめてよおおお!」
「あ、ごめんね。夜の学校は怖いからの」

 ははっ、と笑う治奈。

「だから、やめてってばあああ。夜の学校怖いとか、わざわざいわないでよおお!」
「うるせえなアホ、さっさと行くぞ!」

 しびれを切らしたカズミが、アサキの腕をぐいと引っ張った。

 こうしてアサキ、カズミ、成葉の三人は、第三中学校内(みち)()(おう)()探しの旅へと出発することになったのである。

 それがどれだけ恐ろしいことを招く行為であったか。
 この時、まだ誰も知らなかった。

     15
「うーん。いないねえ、ウメにゃん」
「心配だな。どこにいるんだろう。ウメちゃーん! どこお? ……自暴自棄になってないといいけどなあ」
「おーい! クソ関西毒舌女ーっ! 隠れネクラあ! タコ焼き屋あ!」
「そだこといってえ、聞こえたウメにゃんが、化けて現れたらどうすんのさあ!」
「死んでる前提かよ!」

 などと話しながら、暗い暗い校舎の廊下を、リストフォンのライトで照らしながら歩いている女子たち。

 (りよう)(どう)()(さき)(あき)()(かず)()(へい)()(なる)()の三人である。

 学校を使っての強化合宿中、あとはこのまま宿直室で寝るだけだったので、みな寝巻き代わりのティーシャツと短パンといった格好だ。

 彼女たちは、何故にこのような暗い夜の廊下を歩いているのか。
 お喋りの輪に入ろうとして、カズミから痛烈な拒絶を受けた(みち)()(おう)()が、泣き喚きながら、宿直室を飛び出してどこかへ消えてしまったので、その行方を探しているところだ。

「しかし、古い感じの建物だよねえ、ここ」

 あらためて気が付いたように、周囲を見回しながらアサキは、古さと暗さとに怖くなったのか、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「ああ、アサキ聞いてないのか? 天三中の第一校舎って昔な……」
「ちょ、ま、待って、カズミちゃん、ひょっとして怖い話じゃないよね?」

 ちょっと青ざめた顔で、危機回避の先回りをするアサキ。

「そんなんじゃないって。単なる学校の歴史の話だから」
「よかったあ」

 ほっと胸を撫で下ろす。

「歴史とか成り立ちとかね、そういう話は大好きだよ、わたし。日本史は苦手だけど。それで、この第一校舎が昔なんだったの?」
「ここはな、もともと病院だったんだ」
「え、そうなのっ? 成葉ちゃん本当?」

 カズミを挟んで反対側を歩いている、成葉の顔を見る。情報真偽を確かめるため。

 成葉は、ちらり横目で、アサキを見ながら、

「らしいよん。ナルハたちが生まれるずーっと前だから、詳しくは知らないけれどね。だから建物自体は、第一中の校舎よりも遥かに古いんだ、ここ。第二校舎と体育館は、ここが中学になってからだから、新しいけど」
「そっか。ここって古くさいだけでなく、なんかちょっと他と雰囲気が違うと思ってたけど、そういうことだったんだ」

 すっきりした顔で、アサキは微笑んだ。

「でな、病院だった時代にさ、いつだったかは知らんけど、生まれてすぐに死んじゃった赤ちゃんがいたらしいんだよ」
「そ、それ、歴史の話い?」

 上擦った声を出すアサキに構わず、カズミは言葉を続ける。

「時代が時代だから、珍しい話じゃあないんだろうけど、とにかくそういうことがあったんだ。……でな、それからしばらく経った頃、ベージュの布にくるまれて、廊下を這い這いする小さな物体、そんなのが病院の中で目撃されるようになったらしいんだ」
「それただの怖い話じゃん!」
「くだらん、と目撃情報をバカにしていた、ある医師が、廊下を一人で歩いていると……そう、出会っちまったんだ」
「や、やめて! 聞きたくないっ!」

 声を裏返らせ叫ぶアサキ。

「医師は呻きつつ、直感した。もしも捕まったら、自分はそのまま地獄へと引きずり込まれることだろう、と。しかし、逃げようにも身体が金縛りにあったように動かない」
「やめてよお! お願いだからあ!」
「しゃかしゃかしゃかしゃか、そいつが近づいて来る、さながら遊星からの物体! 気付けば、がっと肩を掴まれていた」
「え、え、やだっ」
「医師の目の前に、クシャクシャの紫色で幼い顔が、ムンクみたく口を開きながら甲高い声で『殺したのはお前かああああああああああ!!!』」
「あああああああああああああああああ!」

 絶叫に絶叫が重なっていた。

 ふらふら、ふら、ぺたん、

 アサキは、床にお尻をついた。
 壁に背を寄り掛からせながら、ぴくり、ぴくり、と頬を痙攣させている。

 半ば放心状態のアサキを前に、カズミと成葉が二人して、指をさしてわははは大爆笑だ。

 うつろな視線のまま、深い深いところへ意識を沈めて現実逃避していたアサキであったが、そのやまない憎たらしい笑い声に呼び起こされ意識を浮上させると、ぶるぶるっと顔を振った。

「やっぱり怖い話じゃないかあ! 酷いよお、もおお! 成葉ちゃんまでえ! で、でもさ、それっ、本当なのお? そのお医者さん、地獄に引きずり込まれちゃったのお?」
「一人でいた医者が、本当に地獄に引っ張られたんなら、誰がそれを伝えたんだよ? 『わたしはそう直感した』、とか誰が話したんだ?」
「あ……」

 壁に背を預けたまま、また呆けた表情になった。

「やはあ、カズにゃんの嘘話に引っ掛かったー」

 成葉が飛び跳ね、はしゃいでいる。

「引っ掛かったー」
「引っ掛かったー」

 カズミと成葉が肩を組んで、声を揃えて喜んでいる。

「う、嘘なのお?」
「あったりまえだろ。まあ古い病院だったから、そりゃ色々なことはあったんだろうけどさ。怪談とか、そういうのは聞いたことないよ」
「でも、でも、怖かったあ。……しばらく一人でトイレに行けないよお」
「ったくお前は。ザーヴェラーを一人で倒したくせしやがって、そういうとこも成長しろよ」
「ト、ト、トイレに行けるとか行けないで、人の成長を計るのやめてもらえますかあ」

 アサキはなんとも情けない震える声を上げながら、床に両の手のひらを置いて、立ち上がろうとする。が……

 ん?
 ん?
 あれっ……

「ここっ、腰が抜けて立てないよお」

 なんとも情けない声どころか、完全に泣き声になってしまっていた。

「世話のやけるやっちゃな。ほら掴まれ」

 カズミが、手を引っ張って起きるのを手伝ってやる。

「せ、世話もなにもっ、カズミちゃんが怖い話をするのがいけないんでしょお!」

 ぐしゃぐしゃの、鼻水まみれの、みっともないぶっさいくな泣き顔をカズミへとぐぐっと寄せた。

「分かったから寄るなあ! 真緑のぶっとい鼻水を両穴から垂らしてる、そのふざけた顔でこっちを見んじゃねえよ! ブン殴りたくなるけど、殴ったらバッチイだろ。これでかめよ、ほら」
「あ、ありがと」

 カズミの差し出したポケットテッシュを、一枚引き抜くと、ずぶずびびいっと勢いよくかんだ。

「うええ、はみ出て、手にくっついちゃったあああ」
「知らねえよ! 一枚で足りるかなとか、二枚重ねようとか、自分で判断しろよ! この鼻水女! 絶対あたしのそばに寄んなよ! 鼻水女! 半径二メートル、エンガチョーっだ! 青っ鼻の、鼻水女!」
「そこまでいわなくても……」

 ボロクソいわれて、ちょっと傷ついて下を向くアサキ。

 バッチイと思ったからかどうかは分からないが、いきなり成葉が廊下を折れた。

「ナルハ、あっちの物理室を見てみるねえ。なんかさあ、意外とそおゆうとこに、ウメにゃんいたりしそうな気がするからさあ」

 物理室。
 折れてすぐの、突き当りにある教室である。

「分かった。んじゃあ、あたしと鼻水女は、図工室とか視聴覚室とか見てみるから。階段のあたりで合流な」
「うおっけいいい」

 こうして、成葉が抜けた。

 となればまあ、当たり前のように飛び出すのが、

「成葉、短い人生だったな。単独行動を取った愚か者から殺されていくのが、ホラーのお約束だからな」

 カズミの余計な物騒一言弾である。

「やめてよおおお! 暗い学校の廊下でそういうこというと、怖いでしょお! 呼び込んじゃうでしょお! それに成葉ちゃんに悪いよ、そんな縁起でもないこといってさあ」
「はいはい。優等生か、お前は」
「そんなんじゃないけど」
「視聴覚室にもウメがいなかったら、もう三人で分担しようぜ。お前、校舎の外を見てこいよ」
「やや、やだよう。今なら一人きりでいる成葉ちゃんが、ホラー約束の避雷針だけど、わたしが一人になったら、どうせ絶対わたしに諸々がくるじゃないかあ!」
「お前の台詞の方が、よっぽど成葉にひでえよ! 優等生とかいって損した」
「怖いんだよおおおお。夜の学校なんてさあああ。ねえ、成葉ちゃんと合流したら、ずーっと三人で回ろうよお。一人になるのやだよお」
「別にいいけど、それよかその極度のビビリを直さないと、残りの人生辛くないか?」
「我慢して生きていくことの方がよっぽど辛い」

 きっぱり。

「はいはい。ずっとビビッて生きてろ」

 それきり二人は無言になって、ゆっくり歩き続ける。

 生き様を見下されているようで、ちょっと肩身を狭くしていたアサキであったが、トイレの前に差し掛かったところで、

「ね、トイレ行こっトイレ。ほら、わたし手を洗いたいし」

 汚れたままだし。
 それに、結構もよおしてもいるし。

 と、背に腹変えられぬ状態であること思い出し、カズミを誘った。

「そういやお前、ずっと手に鼻水ついたままだったな」
「えへへえ、恥ずかしい。それに、暗い廊下にすっかり怯えてるわたしを見て、カズミちゃんどうせまた戻ったら怪談やろうと思ってるんだろうからさ。だったら、今のうちに済ませときたい」
「分かった。ここで待っててやっから、行ってこいよ」

 しっしっ、と犬を追い払うかような手付き。

「えーーーーっ! 一緒に入ってくれないのお?」

 いまにも泣き出しそうなアサキの顔である。

「あたしが、『そういう目的』で怪談やろうってんなら、なんでお前の怖さをやらわげる手伝いをしなきゃならねんだよ」
「うー、確かにいってることの辻褄は合っている」
「いいから、とっとと入って、溺れ死ぬくらいのおしっこジョボジョボ出してこいよ。別に、いきなり灯りを消したりとか悪戯はしねえからさあ」
「そ、そ、そういうこというと、急に灯りが消えないか不安になるじゃないかああ!」
「だから、やらねえっていってんだろ! あんまりイライラさせっと、そろそろほんとに全裸にひん剥いて、真空地獄車で廊下をゴトゴト端から端まで転がすぞ! で、動画撮って売るぞ!」
「分かったよ。一人で入ればいいんでしょおおだ」
「済んだらちゃんと流すんだぞ」
「うん」
「ハンカチ持ってるか?」
「うん。だから、絶対にここで待っててよね」
「ああ」
「……それじゃあ、行ってくるね」

 女子トイレのドアを開けて、灯りをつけたアサキは、振り返って、カズミのことを見つめている。
 じーっと、なにかを訴えるような目つきで。
 じーっと。

「しつこいなあ、お前はもう! すがるような視線を向けてんじゃねえよ」
「だ、だって……」

 怖いのは嫌なんだよ。
 それって当たり前の感情じゃないんですかあ?

 そんなこと思いながら、泣き出しそうな顔でカズミを見つめる。

 しかし、修羅カズミにはまるで通じず。

「自慢のヘタクソな歌でもずっと歌ってればいいだろ!」

 アサキの小さな胸を、どんと強く突き飛ばしたカズミは、そのまま廊下側からノブを引いて、ドアを閉めてしまった。

「うぎゃああああああやめてええええええ開けてええええええええ! 狭いよ怖いよおおおおおおおおおお!」
「うるせええええええ! 便所ガンガン響くんだよ! とっとと用を済ませてこいよお!」
「やああだあああああ、怖くてそれどころじゃなあああい! だああすうけえてええええええ!」

 ガチャガチャガチャガチャ、中からドアを叩き引っ張るアサキであるが、外からカズミが怪力でノブを押さえているため、施錠されているかのごとくぴくりともしない。

「やだよおおお! 怖いよおおお! やああああだああああああ!」

 しばらくの間、必死にノブをガチャガチャ喚き続けていたが、諦めの境地というか、やがて少しだけ落ち着くと、ふーっと深呼吸をした。

 このままでも、おしっこを漏らしてしまいそうだし、よく考えると電灯のスイッチはこちら側なので、悪戯で消されてしまうこともないわけで、と諦め開き直って、カズミのいう通りに用を済ませることにした。怖いけど。

 上履きから、スリッパに履き替えて、タイル床をそおーっと歩く。

「どうか気付かれませんように、と」

 魔神とか花子さんとか、このトイレに古来より眠るなにかを目覚めさせてしまわぬように、そーっと。
 そーっと。
 まあ、もしもいるのなら、さっきの凄まじい狼狽ぶりに、とっくに目覚めているだろうが。

「ねーっ、カズミちゃん、そこにいるよねーっ」

 しんと静かな夜のトイレが怖くて、こそこそっとした声で、廊下にいるであろうカズミへと呼び掛ける。

「カズミちゃーん。おいーっ」

 反応がないので、ちょっとだけ声を大きくしてみたが、やはり反応なし。

「そこにいるんだよね。カズミちゃん。わたしをからかっているだけだよね」

 ききっ、きっと、そうに、違い、ない、とと、というわけでっ、りょ、令堂和咲は進みますっ。
 よし、まずは手洗いだ。
 いつまでも汚いままじゃ、カズミちゃんにまた鼻水女とかエンガチョとかいわれちゃうからなあ。
 ところでエンガチョってなに? どうでもいいけど。

 心の中で、ぶつくさ余計なことをいうことで恐怖心と戦いながら、洗面台へとそーっと歩を進める。

 そーっと。
 そーっと。
 静かに。

 と、その時である。
 横目に、なにかが動くのを感じたアサキは、

「ひいっ!」

 と、肩を震わせ飛び上がっていた。

 鏡である。
 鏡に映った自分を横目に見て、びっくりしてしまったのだ。

 壁へと飛び退いた瞬間に、それに気付いたアサキであるが、安堵するより先にもう一度びっくりが待っていた。

 ガチャガチャン、
 ギチャァーーーーン!

 タイル張りの室内に、ガラクタまとめて放り投げたような音が反響したのである。

「うわあああああああああああああ!」

 先ほどよりも、遥かに大きな悲鳴を上げていた。
 まさに絶叫、大絶叫、阿鼻叫喚である。

 バケツに清掃用具が突っ込まれ、壁に立て掛けられており、それをアサキが倒してしまったのだ。

「なんだああああああ、モップを倒した音かあああああ」

 胸を押さえながら、ふーーーーーっとようやく安堵のため息を吐くことが出来た。
 ドキドキドキドキ。
 すっかり涙目だ。

「アサにゃん! アサにゃん! なんかあったのお? どこお?」

 ぱたぱた走る音と、自分を呼ぶ成葉の声。

 カズミの迷惑な怒鳴り声はスルーでも、いまのアサキの悲鳴はさすがに楽天家の成葉とはいえ不安になったのだろう。

「トイレだよお!」

 安心させようと、アサキは叫んだ。
 だけど、その言葉によって、アサキ自身が不安になることになったのである。

「分かったあ。じゃあ前で待ってて……え、あれ、カズにゃんはあ? 一緒にトイレの中にいるのお?」

 え?
 どくん、とアサキの胸が不安に高鳴った。

 どういうこと?
 カズミちゃんがいないって……
 前で待っていると、いっていたのに。

「限界、近いんだけど……」

 膀胱の、貯水量の。

 でも、まだ少しは耐えられる。
 ちょっと外の様子を見てみよう。
 カズミちゃんいないとか、怖くて用も足せないから。

 と、ドアへと歩き出した瞬間、
 廊下から、悲鳴が聞こえてきた。

 成葉の声だ。

 先ほどの、ぱたぱた廊下を走る足音も、聞こえなくなっていた。

 しん、とした空気が、アサキの身体に、ねっとりとまとわりついていた。

「成葉……ちゃん?」

 ぼそりと小さい声だから、というだけかも知れないが、返事はない。

「カズミちゃん、そこにいないの? 待ってるっていってくれたでしょーっ!」

 やや声を荒らげて、廊下にいるはずのカズミへと話し掛けるが、やはり返事はない。

「成葉ちゃん、カズミちゃああああん! やあああああ、なんかいってよおおおお! 怖いよーーーーーーーっ!」

 トイレを出て確認しようと、スリッパぺたぺた足早にドアヘ向かうと、上履きに履き替えるのも後回しにしてノブを掴んで引いた。

 ドアが開き、開いた視界に飛び込んだのは……

 ささっ、と横切る、黒い人影であった。

「ああ、あ……」

 後ずさりしながら、そんな声を漏らしたかと思うと、それは突然、悲鳴に変わっていた。

 凄まじい、校舎中に轟かんばかりの、アサキの悲鳴が、絶叫が、夜の冷えきった空気を震わせたのである。

     16
 (あき)()(かず)()が、モップを両手に持って、薄暗い校舎の廊下をワックス掛けしている。
 嫌々やっているのが一キロ先からでも分かりそうな、わたし不満そうでしょ気だるそうでしょといった、ダレにダレた態度で。

「くそ、飽きてきたなあ。……だいたいなんだって、こんなことしなきゃいけねえんだよ。……あああぁっ、あっなたの心に飛んで行ければあ♪」

 飽きや不満を、演歌を歌って紛らわそうとするカズミであったが、なんの効果もなく、結局すぐに忍耐が限界を迎えたようで、

「テクマヨテクマヨッシャランラーーー!」

 魔女っ子モグタンの呪文を叫びながら、モップの柄を真ん中で持って、ワックス飛び散るのも構わずくるくるぶんぶん振り回し、

「アチョーーーッ!」

 怪鳥のような雄叫びを上げた。

 ガッ、ゴッ!

「うお、やばっ!」

 消化器に柄尻を当てて、倒してしまったのだ。

 破裂したり噴き出したりしなかったことに、安堵のため息を吐いていると、背中から、

「カズミちゃん」

 不意に声を受けて、びくっと肩を震わせた。
 そっと振り向くと、声の主はTシャツにショートパンツ姿の(あきら)()(はる)()であった。

「なーんだ、治奈かよ」
「こがいなとこで、なにしとるん?」

 治奈は前髪をいじりながら、不思議そうな顔で問い掛けた。

「いや、モップ掛けだけど……」
「何故? ウメちゃんは見付かったん? というか、あれ、アサキちゃんたちは? ウメちゃん探しに行って、なんで廊下にワックスなんか掛けとるんよ。カズミちゃん一人だけで。意味が分からんけえね」
「いやあ、はははっ、これには聞くも涙、語るも涙なお話がありましてえ」
「はあ」

 笑っとるじゃろが。
 と小声でぼそり。

「途中まではさ、三人で真面目にウメを探してたのな。でさ、トイレに行くとか、アサキがいうからさあ。ほら、やっぱりそうなったら、姿を隠して怖がらせてやろうと普通は思うじゃん?」
「思わん」
「そんなわけで、多目的室の隅っこに隠れようとしたら、書道具をぶち落として床を墨で汚しちゃってさあ」
「どこにおっても、やらかすのう。しかし何故、そがいなことがきっかけで、そこから離れておるこの廊下を、掃除することになるんよ?」

 治奈は訝しげな表情で、小首を傾げた。

「誰かがやったことにすればいいやと思って、こっそり立ち去ろうとしたら、須黒センセに見付かっちゃってさ。ゲンコツ食らってさ。二発もだぜ」
「たったそれだけで済んで、運がよかったの」
「いやいや、慌ててささっと簡単に掃除して、そんじゃサイナラって去ろうとしたら、てめえ反省してねえなって、シャイニングウィザードも食らってさ。『今のもう一回受けるかあ、廊下のワックス掛けをやるかあ、先生優しいから選ばせてやんよお』って顔を寄せて、凄んでくっからさあ」
「で、モップを持っておると」

 脱力のあまり、Tシャツの肩が片方、ずり落ちそうになっている治奈へ、カズミはこっくん頷いた。

「確かこのフロアさあ、須黒センセの手違いで期末の大掃除ん時にワックスやってねえんだよ。だから、どうでもいいことで因縁つけてさ、こうしてやらせてるんだよ多分きっと絶対。ほんと、かわいいてめんとこの生徒をなんだと思ってんだよなあ。んな性格だから、結婚出来ねえどころか彼氏も出来ねえんだよ」
「なんかいった?」

 その声を背に受けて、びっくーーーーーん、とカズミの肩が飛びそうなほどに震えた。

 噂をすればなんとやら、()(ぐろ)()(さと)先生の登場である。

 カズミは錆びたブリキ人形みたいに、ギリギリキリキリ振り返ると、強張った笑顔を先生へと向けた。

「い、いや、なんにもお。さっき見せて貰った先生の魔道着の写真を、治奈と羨ましがってたんすよお。あれチョーゼツかわいかったなあ、って。ブロマイドとか写真集あったら、買うよなあって」
「無駄口を叩いてないでいいから。廊下、まだ半分も終わってないじゃない!」
「はい! これからターボエンジンを始動させるところであります!」
「しっかりね」

 さらりそうというと須黒先生は、視線を隣の治奈へと移動させ、微笑みながら、

「ああ、明木さん、いいところにいた。シーツを宿直室に運ぶの手伝って欲しいんだけど、いいかしら?」
「シーツ?」
「寝るのに使うでしょ」
「ああ、分かりました。……ほじゃけど、罰じゃゆうのなら、カズミちゃんにやらせた方がええんじゃ」
「おい!」

 カズミは、狛犬のような、いまにも噛み付きそうな、ぐじゃっとした顔を、治奈へと近付けた。

「じゃけえ、交換条件で掃除を許して貰った方がええじゃろ」
「ああなるほど」

 カズミは、治奈の耳打ちにぽんと手を打った。が、校舎が静かなため、はっきりと聞こえてしまっていたようで、

「だめよ、昭刃さんにシーツなんか扱わせたら、絶対に汚しちゃう」
「がくーっ」

 袈裟掛けの一太刀に、カズミはずるり前のめりになった。

「集団食中毒になるとかいって、夕食の料理担当をいの一番の真っ先に除外されるし、みなさんの中のあたし像って、どーんななーんすかねーっ」
「まあまあ。適材適所ゆう言葉があるじゃろ。きっとカズミちゃんにしか出来ないこともある」

 夜間の廊下ワックス掛けとか。

「ほいじゃカズミちゃん、うち先生の手伝いせにゃいけんから行くね。ワックス掛け、頑張ってね」
「他人事だと思いやがって……」
「手を抜いたら分かるんだからね! 分かった? それじゃ、あとでチェックにくるから、しっかりね。よろしく」
「はあい」

 治奈と須黒先生は、揃って手を振りながら、階段のところを折れて、姿を消した。

 一人残ったカズミは、モップを持ったまま、ぽつんと立っていたが、しばらくすると舌打ちしてダンと踵を踏み鳴らした。

「ふんだ。くそ、薄情な奴らめ。……手を抜いたら分かるんだからねっ!」

 特に意味はないが、先生の真似をしてみる。

「あまり似てねえな」

 あまりどころか、まったく似てない。
 声かすれてるし。

「屁をこいたら分かるんだからねっ!」

 似てる似てない以前に、そもそも先生そんなこといってないが。

「手を抜いたら、グレートカブキの毒霧だからねっ! 手を抜いたら、一瞬で日本人ファンの記憶から消えたパトリオットの、フルネルソンバスターなんだからねっ! ブルーザーブロディの鎖で、首を締めるんだからねっ! ブロディといえば、移民の歌なんだからねっ! あぁあっあーーあーっ♪ ……それからそれから、ええと、ダニースパイビーの……」

 しょーもないことをいい続けながら、モップしゃかしゃか廊下を擦るカズミ。
 しかし、そんな言葉ごときで掃除が楽しくなるはずもなく、むしろあっという間に面倒さマックス、忍耐大限界、モップを投げ捨ててしまう。

「あとで、アサキのバカにも手伝わせよっと。そうだよ、あいつを怖がらせてあげようと隠れていたせいで、こうなっちゃったんだからな。いい迷惑だよ、あのアホ毛」

 無茶苦茶な思考回路である。

「つうか、おしっこに何分かかってんだよ、あいつは。……ま、まさか、じゃない方もしようとしてて、予期せぬ量で便器を詰まらせて悪戦苦闘してんじゃねえのか?」

 わははははははははははははは。
 想像するとおかしくなって、意味もなく自分のお腹をばんばん叩いて笑ってしまう。
 わははははははははははははは。

「バカでえい、アサキい。便器を詰まらせてやんのおお!」

 わははははははは。
 わははははははは。
 ははははは。
 はは。
 ……はあ……

「なんか……」

 一人でバカなこといって喜んでんのが、虚しくなってきた。

 虚しく、そして、寂しい。

 シーツを取りに行ったきりの、治奈のオカチメンコと、行かず後家の二人も、いればムカつくけど、いないと寂しいもんだよなあ。

 と、とかなんとか考えていたらっ、こ、こんな暗い校舎内に、こうして一人でいることが、急速に不安になってきたあああああ!

「アサキーーーーーーーっ!
 赤毛のクソ女ーーーーーーっ!
 赤毛でアホ毛でベチャパイの鼻水女あ!
 おおーーい!
 それと、成葉あーーーーーっ!
 生きてたら返事しろおーーーーっ!
 あたしはここだぞーーーーっ!
 ここだそーーっ!
 だぞーーっ
 だぞーーっ」

 ヤッホー叫んだあとみたいに、耳に手を当ててみるが、返るは静寂ばかり。

「反応なしかよ。……しかし、こうした気持ちになってから、あらためて思うと、夜の学校って案外怖いもんだな。アサキがビビるのも、ちょっと分かるわ」

 さっきあいつがトイレから「カズミちゃんいるーっ?」て必死に叫んでたけど、無視してくすくす笑ってて、悪いことしちゃったな。

 まあ、アサキのことなんか別にどーでもいいや。

 しっかし治奈たちも遅えなあ。
 たかがシーツを取りに行くのに、なあに難儀してんだか。

 成葉もさあ、階段で合流なんだから、とっくに会ってておかしくないだろ。

 はっ、

 まさか……

 ひょっとして、アサキの発案とかなんとかで、みんなしてあたしのことを怖がらせようとしているとか……

 ぶるっと身体を震わせると、カズミは、手をぎゅうっと強く握った。

「怖くない。怖くない。……誰か隠れてんのかあ! あたしを怖がらせようってんなら無駄だぞお! いいやもう、掃除なんかやーめた! ぜーーーんぶ、あとで、アサキのバカにやらせよおっと。あたしは宿直室に戻るぞお!」

 不安な気持ちになっているのを、自分でも認めたくなくて、声を荒らげモップを放り投げ、くるり踵を返したその時である、

 声が、聞こえてきた。

 遠くから。

 遠いから大きくないけれど、それは、断末魔の、といっても過言ではない、腹の底から恐怖を絞り出すかのような、絶叫であった。

 びくん、と痙攣しながら、背筋を立て顔を起こしたカズミは、目を見開いたまま、ぶるぶるっと首を振った。

「な、なんだ? い、今の声……アサキ?」

 間違いない。
 あのアホ声は、アサキのアホ声だ。
 あいつに、なんかあったのか……

 暗い校舎内は、またしんとした状態に戻っている。
 その静寂に耐えられなくなって、カズミは再び叫んだ。

「アサキーーっ! どうかしたのかあ? コケたのかあ? 便器にパンツ流しちゃったかあ? 女子しかいねえから、下半身素っ裸でも大丈夫だぞーっ!」

 アサキを心配しているとも、自分が怖がっているとも、思われたくなくて、冗談ぽくいってみるが、いずれにしても、どこから誰からの返事もなかった。

 だが、返事ではないが、
 またもや、凄まじい絶叫が聞こえてきた。
 しかも、今度はなんだか、とても、近くからだ。

 カズミの絶叫の、残響に重なって、ぐごおおおおおっ、と巨大な石を布でくるんで擦ったかのような音、そして同様な、床からの振動。

 カズミの全身に、鳥肌が立っていた。

 なにかが、こっちへと向かってくるのである。
 床を滑り、疾り、
 こちらへと、
 なにかが……

 ぶわあああああああああああんんん!

 ベージュの布にくるまれた、岩のように大きな物が、廊下の向こう、暗闇にうっすら浮かび上がったかと思うと、滑りながら、一瞬にしてカズミの眼前へと迫っていた。

 布にくるまれた、なんだかもぞっとした塊が、這い、近寄ってくる。

 カズミの脳裏に、先ほどアサキに話した、病院のウソ話が、よぎっていた。そして、無意識に大きな口を開け、声を張り上げていた。

「うわああああああああ! でで出たああああああああ! ゆ、幽霊っ、赤ちゃんの幽霊だあああああああ!」

 布を被った、小さな岩といった感じの塊は、そのままついーーーっと滑ってきて、カズミは、両足をすくわれて転んでしまった。

「あいてっ!」
「あいたっ!」

 布の中からも、くぐもった声で悲鳴が上がるが、カズミはまったく気付いていない。絡み付いた布に恐怖して、それどころではないのだ。

「うわあ、ま、迷わず成仏してくださあい! 赤ちゃん様あ! 地獄に連れてかないでえええ!」
「え、えっ、ど、どこおっ、ささ、さ、さっき話してたっ、赤ちゃんのっ……なななにも見えないよお! 怖いよお! 怖いよおおおお!」
「はあ?」

 シーツの中から聞こえてくる、アサキの情けない声に、一瞬で冷静になったカズミであるが、冷静になると、色々と腹が立ってきた。
 心の、別のバロメーターが、ぐいいいいんと急上昇していく。

 床に絡み合ったまま、力任せにシーツを剥ぎ取ると、やはり中身はアサキであった。

 幽霊といわれて驚き怯えているアサキの胸倉を、がっと掴んだカズミは、鬼のごとく激怒した表情を眼前へぐおっと近付けて、怒鳴っていた。

「地獄へ引きずり込むぞてめえ!」
「ああああああああああああ! やあめえてえええええええ! やあああだああああああああ!」

 狂乱し切ったアサキの叫びが、夜の廊下を隅々にまで反響した。

「令堂さん! どうかしたの?」
「アサキちゃん!」

 遠くから、()(ぐろ)先生と(はる)()の声が聞こえた。

 そんなこんな、少し時間が経って少しだけ怒りの収まったカズミは、床に絡み合っているアサキの顔を睨み付けながら、舌打ちすると、胸ぐらから手を離して、

「バカアサキ、こんなとこでシーツなんか被ってなにを遊んで……ん?」

 下半身に違和感を覚えたカズミは、暗い中、視線を落とす。
 下半身、というより、倒れて床に触れている部分が、なにやら、とても熱く、なんだか、濡れているような……

 え、ええっ?

「うわあああああ! アサキイイイイイ! てめえ、なにしてやがんだああああああああ!」

 カズミは、校舎の窓ガラスを全部割りそうなくらいの大声を叫びながら、絡まっているアサキを突き飛ばし、立ち上がっていた。

 カズミ、というよりもその足元にいるアサキを中心として、床にじょわああああああああああっと熱い海が広がっていく。

「だ、だって、だって、こ、こわ、怖かったんだ、もん! 幽霊とか、とかっ、い、いうからあ! 怖かったんだもん!」

 怖さのためなのか、失禁の恥ずかしさのためなのか、アサキはシーツにくるまったまま、天井を見上げて、うわああああああん、と大口開いて、泣き声を張り上げた。

     17
 マタンゴ、というとても古い映画をご存知だろうか。
 おそらくご存知ないであろうが、検索すればすぐに出る。

 キノコの怪物であり、その昔には、殴られボコボコに膨れ上がった様子などをマタンゴのようななどと表現されていたこともあった、知る人は知る存在、名称である。

 なんと今、そのマタンゴが、天王台第三中学校の宿直室に出現していた。
 そして怒られて、正座をさせられていた。

「すんませんでしたあ!」

 (あき)()(かず)()である。
 畳に手を付いて、泣きじゃくっている(りよう)(どう)()(さき)へと向け、ボッコボッコのマタンゴ状態になっている頭を深く下げた。

「あ、あやま、あやま、ないで、えぐっ、わわ、わたしわたしがっ、ひとっひとっ一人でっ、ト、ト、トイレっ、行けっ行けな、ひぐっ、かったのが、わ、悪いだからっ、うくっ」

 アサキは、つっかえつっかえでそういいながら、大粒の涙をボロボロボロボロこぼしている。

 寝巻き代わりのショートパンツを、失禁で濡らしてしまったため、ジャージのズボンを履いている。
 巻き添えを食らった、カズミ共々。

 下着も、お風呂後に駄目にしてしまったため、二人揃って元々お風呂前に履いていたのを急遽洗って、ドライヤーで乾かして、生乾きのまま履いている状態だ。

 土下座姿勢から、ちょっと頭を上げるカズミであるが、経緯について色々と思うところがあるのか憮然としたように唇を尖らせていると、

「反省が足りてないっ!」

 ゴガッ!

 ()(ぐろ)先生に、ブン殴られた。

「いてっ! 先生コブのとこさらに殴ったあ!」
「いいからちゃんと謝る!」
「……ごめん、アサキ」

 シーツを被ったアサキに驚かされ、すっ転ばされ、あまつさえオシッコをかけられ、と散々な目にあっているカズミであるが、確かに発端は自分であるため、憮然とするのが関の山で、心底怒ることも出来ないのであろう。

 さて、先ほどの幽霊騒動であるが、ここで顛末を説明しておこう。




 きっかけは、仲間外れにされた(おう)()が、泣き喚きながら宿直室を飛び出したこと。

 みんながカズミの非道を責めたため、カズミと成葉、アサキの三人で連れ戻すため探しに行くこととなった。

 その後の流れで、成葉が別行動で物理室を見ることになり、アサキとカズミは二人きりに。

 廊下を歩くカズミとアサキの二人。
 丁度、トイレの前を通ったところで、アサキが尿意を覚える。
 先に鼻水で手を汚してしまったこともあり、トイレに行くことになった。

 しかし、直前にカズミが怖い話でおどかしていたこともあって、アサキは一人でトイレに入れない。
 自分が怖がらせたのが原因なのに、嫌だ嫌だと入るのを渋るアサキにカズミはイラついて、突き飛ばして強引に押し込めてしまう。

 と、ここでカズミとアサキも、扉の内と外、とバラバラになったわけである。

 廊下で待っているカズミであったが、「そうだ隠れてアサキのバカを怖がらせよう!」と、まあ彼女の性格を考えれば当然の成り行きと呼べる行動に出たのであるが、多目的室にこそっと隠れようとしたところ、つい書道具を落として床を墨で汚してしまった。

 「いいやアサキがやったことにしよーっと」、などと独り言発しながら多目的室を出ようとしたところ、たまたま須黒先生に見られてしまっており、頭をブン殴られるわ、シャイニングウィザード食らうわ、挙げ句の果てに廊下のワックス掛けまでやらされることになってしまう。完全完璧に、自業自得ではあるが。

 しばらくして、きちんと掃除をしているか様子を見に戻ってきた須黒先生は、(あきら)()(はる)()と一緒にシーツを取りに階段へ消え、カズミは一人残って文句ぶつぶつワックス掛けを続ける。



 さて、今度はアサキの視点から語ろう。



 トイレの洗面台で、鏡に映る赤毛の少女に驚いて叫んでしまうなど、相変わらずヘタレなことをしていると、物理室を出たばかりの成葉がその叫び声に気が付いて、大声で呼び掛けてきた。

 その言葉によって、扉の外で待っているはずのカズミが、いないことを知ったアサキは、怖くなってしまった。
 とにかく成葉とだけでも合流しようと、トイレ済ますのは後回しにしてドアを開けた。

 開けたすぐのところに、成葉が立っていたのであるが、まだ物理室の辺りにいるのかとアサキは思い込んでいたため、謎の人影にびっくりして、つい大声で悲鳴を上げた。

 この悲鳴が、離れたところでワックス掛けをしているカズミが最初に聞いた絶叫である。

 「ナルハだよお」「お、お、おどかさないでくださあああい」と、そんなやりとりしつつも、とにかく合流したアサキと成葉。

 先ほどカズミが話していた赤ちゃんの幽霊話のせいで、暗い廊下が怖くて怖くて仕方ないアサキであるが、逃げたい気持ちをぐっとこらえ、成葉の手をぎゅっと握りながら、カズミと元々の目的である応芽の姿を探して歩く。

 と、そこでアサキにとって、とんでもないことが起きた。

 ゴキブリを見てしまったのである。

 嫌いな物ほどなんとやら、の理屈で、なんとなく目を向けた給湯室の薄暗がりの中に。

 アサキ、大爆発である。
 学校が崩れるのではないかというくらいの、凄まじい声を張り上げると、ぎゅっと握っていた成葉の手を離して、一人で狂ったように廊下を大爆走。
 これが、カズミの聞いた二回目の絶叫である。

 悲鳴を上げながら廊下を走るアサキ。
 運の悪いことに、シーツを運んで反対側の階段から治奈たちが降りてきており、この瞬間しかない、という絶妙タイミングで行き交わって衝突してしまう。

 アサキの身体にシーツが巻き付いて、
 足を取られて転んでしまい、
 なにが起きたのかも分からず、ただでさえ暗い視界が突然真っ暗になって、
 そんな恐怖状態のまま、ワックスのたっぷり塗られた廊下をついーっと巨大なカーリングストーンになって、滑る。
 滑る。
 滑って、

 そして、
 なにがなんだか分からぬままに、カズミと衝突して転ばせてしまったのである。

 シーツのせいでなんにも見えていないアサキ。カズミと手足が絡まってしまい、暗闇と混乱で自分に起きている状況が理解出来ず、恐怖と不安に完全にパニックを起こし掛けていたところ、「赤ちゃんの幽霊が出たあ!」というカズミの叫びを聞いて、脳がますます大混乱。

 なにが自分にぶつかってきたのか状況を先に理解したカズミが、むかっ腹を立ててアサキのシーツを剥ぎ取って、顔を近付けて怒鳴る。

「地獄へ引きずり込むぞてめえ!」

 まだ全然状況を理解していないアサキは、ただでさえパニック状態にあるというのにさらなる追い打ちを受けて、

 元々限界破裂に近かった膀胱が耐えきれずに、起きることが起きてしまったというわけである。

 以上。




 そして現在。
 宿直室。

「ごめん。わたしが弱いから、いけないんだ。……みんなに迷惑かけちゃった」

 ようやく落ち着いたアサキは、ふーっと息を吐くと、がくり項垂れたまま謝った。

 どんよりと沈み込んだ、暗い表情である。
 まあ人前でオシッコ漏らして大泣きした直後なので、これで明るくあっけらかんとしている方が異常だが。

「全部、カズにゃんが悪いんだからあ。タイル廊下だったから綺麗に拭けたんでしょ? そんなくらいで落ち込まない落ち込まない」

 成葉が明るく笑いながら、ぱたぱた手首を返す。
 漏らしたオシッコの、始末の話である。

「違うんだ。あ、いや、完全に違うわけじゃないけど……中二にもなって二回も、って、みっともなくて情けなくなるよ。でもね、そのことだけじゃなくてね、根本の、性格のことなんだ。わたし、こんなんでいいのかなって」

 ビビリでヘタレなところ。

 さっきはつい、我慢して生きる方がつらい、などとカズミちゃんにはいってしまったけど。

「アサキちゃんは、強くなっとるよ」

 治奈が庇う。

「そうかな」

 みんな簡単に褒めるけど、それってただ戦いへの慣れというだけであって、本当の自分が強くなった、とはいえないのでは。

 と、アサキは思う。

 自分は別に、剣や魔法で戦う能力とか、そういうのはどうでもいいんだ。
 ただ、強くなりたいんだ。
 肉体よりも、心が。

「アサキさんは、とにかく優しいですけれど、それも強さだと、わたくしは思いますよ」

 正香が気持ちを感じ取ってフォローを入れてくれたが、だがアサキの曇った表情は変わらない。

「優しくなんかないよ、わたしは。ただ気が小さいだけで」
「そういうの含めて素敵だって正香がいってんだから、素直に受けとけよ」

 カズミがもどかしそうにテーブルを叩く。頭はまだマタンゴのようにボコボコだが。

「ほうじゃ、せっかくの合宿、記念写真でもっ!」

 治奈は唐突に、明るい口調ではしゃぎ出し、リストフォンを左腕から外してこたつテーブルの上に置いた。

「よし、じゃあ撮ろうぜ! 頭ボコボコだけど、いいや!」
「もう寝る格好ですよ!」
「気にしにゃあい! ナルハは、アサにゃんのとーなりっ!」
「ズルいぞナル坊、あたしも!」

 みな、アサキを中心に、ささっと集まり密着し、カメラであるリストフォンへと笑顔を向けた。

「みんな揃っておるから楽しいなあ。アサキちゃんに正香ちゃんにウメちゃんに……って、お、おらんっ! わあああああっ、ウメちゃん行方知れずのままじゃ!」
「ああ、そういやウメのバカを探してたんだっけかあ」
「ナルハ、すっかり忘れてたあ」

 はっはっはっ、と肩を組んで楽しげに笑っている成葉とカズミであったが、段々とカズミの顔が険しくなっていく。

「つうかさあ……思い出すと腹が立って来たんだけど!」
「なにがあ? カズにゃん」
「だってよ、あのバカが輪を乱すようなこといって、ちょこっと反撃食らった程度で、泣き叫んで逃げたりしなければ、このイベント自体が発生しなくて、あたし須黒先生に殴られなくて済んだんだぜ」

 まあ別のなにかで殴られていただろうが。

「ああくそ、イライラするーっ!」

 ガシーーッとアサキの首を両手で掴んだ。

「ぢょ、なんでわだじの首をじめるのおお」
「ああ、ごめん。締めやすそうなのが目の前にあったから」

 げほごほむせるアサキの背中を、カズミが笑いながら叩いていると、ドアの向こう、廊下遠くから荒っぽい足音が聞こえて来た。
 カツカツ、ズンズン、
 足音がどんどん大きくなってくる。
 そして、

 ガチャ、どばあん!

 足音と同様、荒々しい音と共に、ドアが開いた。

「……自分ら! こんな薄情モンとは思わへんかったわ!」

 入ってくるなり怒気を吐き散らしているのは、慶賀応芽であった。

 まさか数時間もの間、ずっと外に身を潜めていたのか、服や髪の毛が枯れ草まみれである。
 ほっぺたも、土で汚れている。
 さらには、涙目である。目が真っ赤である。かなり泣いたのだろう。

「駐車場裏の木んとこに隠れとったのに、だあれも探しにもきいへんのやからなあ。のけ者にされた可愛そうなクラスメイトが、飛び出したっちゅのになあああ」
「黙れ関西弁! こっちはそれどこじゃなかったんだよ!」
「あいたっ! なんでわたしを殴るのお!」

 カズミが怒気満面立ち上がる際に、つい目の前の、殴りやすそうな赤毛の女子を殴ってしまったのである。

「そうだよお、ナルハたち大変だったんだからあ」

 成葉は別に大変ではなかったが。

「ワックス掛けやら、お化け騒動やら、アサキが漏らしちゃうわで、てめえのことなんか構っている暇、これっぽっちもなか……」
「カズミちゃあん、それえいわないでよおおおおおお」

 せっかく泣き止んだアサキであったが、カズミの言葉でぶり返し、また天井を見上げて涙ボロボロ泣き出してしまうのだった。

     18
「盛りだくさんな一日だった。
 実際に起きたことのボリュームとしても、私の心の動きの変化としても。

 私はいま、学校の宿直室に敷いた布団の中で、腹ばいになってこの日記を書いている。
 ちょっとお行儀悪いけど、誰も見ていないし。
 周りには、治奈ちゃんたちもいるけれど、みんなもう眠っているからだ。

 今日は何があったのかというと、昨日書いた通り、私にとって二回目の、魔法使い強化合宿があったのだ。
 前回は福島県の山奥まで行ったのだけど、今回はここ、天王台第三中学校を使っての一泊二日で。

 男子とのバスケットボール対決から始まって(スポーツは、魔力がしっかり身に浸透して心身の感覚が研ぎ澄まされているか、を計るのに良いんだって)、早めの昼食を食べた後、先生の講義、そして第二中の魔法使いたちを招いての合同訓練。

 魔力気弾によるキャッチボール、などという訓練をやった。
 私、人間からそんなエネルギーの塊を作り出せて、なおかつ投げられるだなんて、初めて知った。
 じゃあそれで戦えば安全じゃない? と思ったのだけど、魔法的な破壊力が弱いからヴァイスタとの戦闘には役に立たないらしい。
 残念。

 魔力をコントロールする練習としては良いけど、とにかくそんな理由から私たち第三中では普段の練習には取り入れていないのだそうだ。
 だから、私も知らなかったのだ。

 私の特技である非詠唱能力との組み合わせで、なにか応用技が出来ないものだろうか、と思った。
 まあ、私はまだまだ基礎力を高めていかなければならない実力であり、応用などおこがましいのかも知れないけど。

 ウォーミングアップである気弾キャッチボールが終わると、今度はフォーメーション練習。
 地上戦の基本となる、三人組戦術を叩き込む訓練だ。
 カズミちゃんってば、以前にびっくり箱パンチにのされて以来、(ヨロズ)さんって三年生をやたら目の敵にしていて、味方側にいようとも露骨に邪魔したりして、どうなることかと心配してしまったよ。
 どうかなる前にそれどころじゃない事態が発生して、訓練が実戦になってしまったのだけど。

 近くにヴァイスタが出現したことによって。

 第二中と第三中、そこに集まっていた全員で戦うことになった。
 二十体という、かつてないとんでもない数のヴァイスタが出て、どうなることかドキドキだったけど、私たち側も今日は人数が多かったから、ある程度は力押しで対応出来た。

 第二中の子たち、軽いノリで冗談ばかりいっているんだけど、いざ戦闘になったら、本当に凄かった。
 子、とかいったら失礼か。三年生もいるんだからな。

 まず驚いたのが、天野明子(あきこ)さん保子(やすこ)さんという双子の姉妹。
 私と同じ二年生なんだけど、個人技や身の軽さもさることながら、姉妹の連係がとにかく抜群。
 現在の第二中の中で、一番多くのヴァイスタを倒しているいわゆるエースの二人だと聞いていたのだけど、それも納得の実力だっだ。

 次に凄いと思ったのが、(ヨロズ)さん。
 先ほども話に出た、第二中魔法使いのリーダーだ。カズミちゃんに、むちゃくちゃ恨まれている人だ。

 最近のヴァイスタは群れで出ることが多いだけでなく、簡単な陣形を組むこともあるため、まずはどう単体を釣り出すか、という考え方が戦う上での基本らしいんだけど、その、ヴァイスタが一体だけになった一瞬を狙って、見るも簡単に個人技だけで倒してしまったのだから、万さん。

 普段、おどけたようなことばかりいっている人なのに。
 いつも微笑を浮かべていて動ぜず、しかし戦えば烈火のごとく。
 ああいう人が、強い人なのかな。
 ちょっと、憧れる。
 シマシマの大きな眼鏡を額にしていたり、シクヨローとか挨拶したり、そこにはあんまり憧れないけど。

 二校の合同練習のはずが、ヴァイスタとの共同戦線になってしまって、そのまま本日のカリキュラムは終了。

 第二中の魔法使いたちはみな帰宅して、残った私たちは夕食作り。
 カレーをメインとした夕食を作ったのだけど、まあカズミちゃんのうるさいこと邪魔なこと迷惑なこと鬱陶しいこと。
 すぐ私の胸が小さいことをからかってくるし。
 お風呂でもそうだよ。覗き込んでくるし、からかってくるし、また私、泣かされちゃったよ。
 ほんと迷惑考えず自分勝手なんだからな。
 暇さえあれば歌うし。
 私の歌にはケチつけるし。殺人音波とか馬鹿にしてくるし。そんな下手かな、私。

 その後は、勉強会だ。
 ここでもカズミちゃんが、ラジオの司会者の真似したりして暴走してて、あまり進まなかったな。
 楽しかったけど。

 その後、『いま何を考えているかゲーム』をして遊んでいたら、カズミちゃんに思い切り除け者にされたウメちゃんが、泣いて飛び出してしまうというハプニング。
 ほんとにどこか行っちゃうもんだから、私とカズミちゃんと成葉ちゃんの三人で探すことになった。

 色々あって私たちもバラバラになっちゃって。
 給湯室のゴキブリに私がパニック起こして、治奈ちゃんが運んでいたシーツを被ったまま転んで、滑ってカズミちゃんに」




 滑ってカズミちゃんに……
 カズミちゃんに……
 ここから、どう書けばいいのだろうか。

「書けない」

 布団の中で腹ばいになりながら、アサキは、うーんと小さく唸った。

「書けっこないよお。またおしっこ漏らしちゃったなんてさあ。一生残るからな、日記は。……脚色しちゃうか。いや、スミベタ検閲じゃないけど、余計なこと書かず飛ばしちゃおう。ええっと……」

 (おう)()捜索エピソードをまとめる文面を考えようとするのだが、考えども上手くまとまらず。

 布団にうつ伏せになったまま、ふと首を動かし周囲の様子を見てみる。

 虫の呼吸すら聞こえそうなほど静まり返った部屋の中、自分以外はみんな眠っている。

「以前の合宿の時も……」

 わたしだけこうして、いつまでも起きてたけど、修行が足りてないのかな。
 疲れていないから、眠くならないのかな。
 それとも、今日はヴァイスタとの戦いで気を失って、寝ちゃっていたからかな。
 まあいいや、そんなこと。

「それにしても……相変わらずだな、みんなの寝相」

 アサキは、ふふっと笑った。

 この前の合宿の時とまったく同じだな。

 正香ちゃんはスフィンクスみたく上を向いてぴーんと真っ直ぐで王族貴族みたいだし。

 治奈ちゃんも、かわいらしいし。

 あ、さ、さっきの、間違ったっ、正香ちゃん、スフィンクスじゃなくてツタンカーメンみたいに真っ直ぐ、だ。慣れない表現するもんじゃないな。

 成葉ちゃん、今日はおとなしいな。今日は夢の中で牛丼を食べていないのかな。
 この前は、牛丼大盛りなのだーとかけたたましい寝言をいっていたよな。

 カズミちゃん……
 あのさ、
 少しは直そうよ。
 イビキとか、布団はいで大股開きとか。
 女の子なんだからさあ。

「むにゅう、オッパーイルドライバーーーッ!」

 寝言でまでプロレス技を叫ばなくていいからさあ。
 というか、さらりとエッチなネタを混ぜ込んでこなくていいからさあ。

 ああ、そうだ。
 ウメちゃん。
 ウメちゃん。
 彼女と一緒に寝泊まりするのはこれが初めてだけど、どんな寝顔なんだろう。いや別に変な趣味とかでなく。
 ウメちゃん顔はキツイけど、でも抜群にかわいいからな、寝ている顔はどんななんだろう。

 ふと気になったアサキは、腕立て姿勢でぐっと布団を持ち上げ顔を持ち上げ首をくりん、部屋の一番端で寝ている応芽の寝顔へと視線を向けた。
 その瞬間、胸が漫画のように高鳴っていた。誇張でなくドッキンと。

「か、かわいい……」

 遠目からではあるが、常夜灯にうっすら照らされている応芽の寝顔がなんともかわいらしく、無意識に声に出ていた。

 もっと近くで見てみたいと思ったアサキは、四つん這いでこそーっと移動を開始する。
 枕合わせになっている、狭い隙間を。
 カズミと治奈の間を、起こさないようにこそーっ……

「ブーメランテリオス!」

 どむっ!

「はう!」

 四つん這いの真下から、寝ぼけたカズミのパンチが、唸りを上げて腹部にめり込んでいた。
 内蔵を吐き出すような呻き声を上げると、アサキはその場でごろり倒れて悶絶した。

 ぐうううううっ、
 うーーっ、
 うーー、

 と、地獄の苦しみにしばらく呻き続けるアサキ。

 やがて上体を起こして再び四つん這いになり、ふらふらぜいぜい、目的地である応芽の寝ている布団まで辿り着いた。

 そのまま、がさごそ一緒の布団に潜り込み、応芽を押しのけるようにしながら、暗い天井を見上げてふうっとため息。

「あ、あれ、わたし、なんでこんなことしてんだ。あ、そうだったっ」

 ウメちゃんの寝顔を間近で拝見しにきたのだ。おんなじ布団に潜り込んでどうする。
 まあいいや、ここからでも。

 と、首をくりんと動かすと、眼前に応芽の横顔ドアップ。
 なにか夢でも見ているのか、口を小さくむにゅむにゅ動かしている。

「ドアップもかわいいな」

 なんとなく、そっと頭を撫でてみる。
 起きる様子はまったくない。

 同性なのに、ドキドキしちゃうよ。
 やっぱり普段のギャップもあるのかなあ。
 ナンヤワレー、ケツカルネン、とかいわないもんな、寝てるから。モウエーワーとか。
 でも、そんなこと考えてると反対に、関西弁を喋ってるとこもなんかいいよなって思えるな。
 うん。確かに、チャームポイントではあるよな。もちろん関西圏外では、だけど。

「わたしには……なにもないよなあ」

 いや、喋り方の魅力ということでなく、人間としていいなと思えるような要素が。

 ウメちゃんの、はっきりものをいうところ、
 正香ちゃんの、優しく上品なところ、
 治奈ちゃんの、飄々としたところ、
 成葉ちゃんの、気にしないところ、
 カズミちゃんの、我が道を行く的なところ。

 そういったかっこよさのようなものが、わたしには欠片もない。
 なにもないだけならまだいいんだ。
 マイナスが、ありすぎる。

 おっかなびっくりなところとか。
 すぐ泣いちゃうところとか。
 人見知りで、必要な主張すら出来ず、陰でうじうじしているしな。この学校では、すぐ治奈ちゃんたちと仲良くなれたからよかったけど、根本の性格はなにも変わっていないはず。

 日々の生活を頑張っていれば、いつかは直るのだろうか。
 そんなわたしに、わたしはいつか会えるのだろうか。
 絶対に会いに行くぞー。とか、強く思えればいいんだけど。自分を信じられればいいんだけど。

 魔法使いとして強くなることに、あまり興味はないけれど、でも、魔法使いとして強くなることで人間としても強くなれるのなら、もっと頑張っちゃうんだけどな。特訓を。

 ……でもまあ、今日は久し振りにみんなとまるまる一日一緒にいて、楽しかったな。
 強くなれたかどうかは別として。
 本当に楽しかったな。

 ああ、でも……
 正香ちゃんのこと……

 たまに様子がおかしいってこと、あれからも注意して見てきたけど、一日一緒にいて分かった。

 やっぱり、胸になにかを抱えている。

 幼い頃からの親友である成葉ちゃんにすら話していないのなら、わたしなんかがおいそれと聞けないことなんだろうけど。

 なんだろう。
 なにを抱え、秘密にしているのだろう。

 秘密といえば、以前ウメちゃんが異空で戦っていた、あの身体の大きな、柄のない斧を持った魔法使い。
 あの子、なんだったんだろうな。
 魔法使い同士で戦い合うだなんて。
 今日の合宿でカズミちゃんと(よろず)さんが、見てて辟易するくらいやり合ってたけど……でもそれは単なる小競り合いで。そんなレベルの喧嘩ならいいんだけど……

 いや、ウメちゃんたちのあれは、明らかに殺し合いだった。
 どちらかが先に死ぬ前に、戦いが終わったというだけで。

 余計な人間であるわたしがきたことで、あの場は収まる格好にはなったけど。
 わたしがたまたまウメちゃんを探さなかったら、どうなっていたのだろう。

「ウメちゃん……」

 一緒の布団に寝ている(アサキが勝手に入り込んだだけだが)応芽の頬を、人差し指で軽くつついた。
 指先に、暖かい温度が伝わって来た。
 その心地よい弾力と温度を感じながら、あらためて胸に呟いていた。

 ウメちゃんも、一体なにを秘密にしているのだろう。

 信じるけど。
 絶対に悪いことなんかじゃないと。
 お腹の肉をごそっと吹き飛ばされながらも、必死にザーヴェラーと戦っていた、世界を守ろうとした、ウメちゃんを信じるけど……
 でもだからこそ、なにかを抱えているのなら話して欲しいなあ。


 などと考えているうちに眠くなって、応芽と同じ布団の中で、応芽の頬に人差し指を当てたまま、他のみんなに遅れに遅れてようやくアサキも夢の中に落ちた。

 色々とあった日であるためかは分からないが、あんまりよい夢ではなかった。
 雨の中、傘もささずに一人ぽつんとしているような夢であっただろうか。

 だが、この時アサキはまだ知らなかったのである。

 現実に勝る悪夢はない。

 という真実を。 
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