ユア・ブラッド・マイン 〜空と結晶と緋色の鎖〜
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第7話『鉄脈術』
「あ、や、ああああああああああぁぁぁぁぁ!!」
一番最初に限界を迎えたのは、やはりというか菜穂ちゃんだった。 夜の虎徹山に布を裂くような悲鳴が響く。
それを合図にしたかのように均衡は崩れ、事態が急激に動き出した。
シューシューと、空気の抜けるような君の悪い音を立てながら、目の前の怪物が腕と一体化したかぎ爪のような刃を振り上げる。
「shyaaaaaaaaaaaaa!!」
「菜穂ちゃんッ」
考えるより先に体が動いていた。 恐怖で動けない菜穂ちゃんと迫る凶刃の間にこの身を滑り込ませる。
「(あ、これ、ダメなやつだ……)」
一ヶ月くらい前のことだったか、実践演習の授業を初めて受けた友達から『ヤバいときは世界がスローに見える』と聞いた時はそんなことがあるものかと笑ったのを覚えている。
それがまさか、こんな形で本当だったと実感することになるとは。
やけにゆっくりとした視界の中で、いろいろなことを考える。
「(あぁ……)」
心に浮かぶ、大きな未練。 いつもどこか気だるげで、それでいて瞳の奥に鋭い光を抱えた私の好きな人。
「(告白くらいしとけばよかったかも…………先輩)」
今更こんなことを思っても、もう何も出来ることはない。 ただ眼を閉じて、その瞬間を待つ。
風を切る音が鳴り、刃が振り下ろされる。
その、ほんの一瞬前。
「製錬開始、きらりひらめき輝いて」
「製錬許可、ゆらりゆらめき踊りましょう」
切迫した状況においてはある意味では悠長とも取れるような声が響く。
それは、此の世と彼の世を結びつける祝詞。 あるいは、見える世界に見えざる歪みを現出させる呪詛。
「製鉄《千変万華の舞踏会》!!」
突然、身体を浮遊感が襲う。 と、思ったら今度は代わりに何か柔らかいものに包まれる。いつまでたっても、体が切り裂かれることはない。
恐る恐る目を開くと、私たちはいつの間にか武蔵野先生に抱きしめられていた。
「もう大丈夫ですよ」
「せ、先生……?」
「立奈さん。 長谷川さんを守ろうとした勇気は素晴らしいものです。 けど、自分のことももっと大切にしてあげてくださいね?」
何が起こったかわからず、戸惑う私に武蔵野先生の優しい声が届く。 いつもと変わらないその声に、思わず体から力が抜けていく。
菜穂ちゃんはどうなったのかと思い隣を見てみると、ぐったりとした様子で武蔵野先生に寄りかかっていた。
「先生、菜穂ちゃんは……」
「心配ありません。 気を失っているだけです。 ちょっといろいろありすぎたみたいですね。 立奈さんは大丈夫ですか?」
「多分、一応……」
「では立石君、天野さん。 私は長谷川さんを見ているので立奈さんと燕ちゃんをお願いします」
「了解。 お願いされました」
立石先輩の手を借りて立ち上がる。 深呼吸をして人心地がつくと、今度は何が起こったのかという疑問が湧いてきた。
私たちのいた場所は先生たちから離れていたし、とてもじゃないけどあの状況から助けられるとは思えない。
「あの、一体何が……?」
「《鉄脈術》ですよ。 立奈さん、見るのは初めてですか?」
ほら、と指差された方に視線を向ける。
そこではさっきまで私たちが怪物に襲われた場所で柳葉先生が戦っていた。 その光景を見てようやく気付く。 私たちの立っていた場所と柳葉先生の立っていた場所が入れ替わっているんだ。
「無茶苦茶ですよね。 先生は瞬間移動してますし、三年の先輩にはちょっとした流星群を降らせる人もいるんですよ」
そんなことを言っている間にも、柳葉先生は死角から死角へと、まるで踊っているかのように跳びまわる。 あまりにも現実離れした光景に言葉が出てこない。
そんな私を見て立石先輩は、まるで異常事態なんて起こっていないかのような普段通りの微笑みを浮かべる。
「けど、それが製鉄師になるってことなんですよね」
「えっ?」
「もし、立奈さんが製鉄師を目指すなら今から見ることは全部覚えててくださいね。 “歪み”を生まれ持ってしまったために世界の枠から外れるということの意味を」
私に向かって言っているのだろうか。 まるで独り言のように気楽な口調で立石先輩は言葉を紡ぐ。
その意味が分からずただ呆然としている私を置いて、立石先輩は飛鳥さんの手を引き柳葉先生の方へと歩き出す。
「ほら、飛鳥行くよ。 そろそろ先生だけじゃ厳しそうだし」
「う、うん。 あれはお化けじゃない、あれはお化けじゃない……燃えるよ、勇気!」
「製錬開始、僕が振るい、僕が守る」
「製錬許可、私が作り、私が壊す」
製鉄師によって、唄が紡がれる。
唄は光となり飛鳥さんへと潜り込み、その身に宿す歪みを影として現世に映し出す。
その影とは、豪華な装丁の一冊の本。
「繋ぎ紡ぐ絆……鍛鉄《Smart LINKs》」
ひとりでに頁が捲られる本はやがて一枚の絵を描き出す。 そこに描かれていたのは、神話に語られる伝説の剣。
本から取り出した剣を構え、立石先輩は勇烈に踊りかかる。
「助太刀……ってやつですね。 使いますか?」
「む、素手だと厳しいと思っていたところだ。 ありがたく借りるとしよう」
盾と刀と、立石先輩は次から次へと本から武器を取り出し、飛鳥さんや柳葉先生に手渡していく。
これが立石先輩と飛鳥さんの《鉄脈術》。 柳葉先生のとは全く違う能力を持つようだ。
「とはいえ、芳しくないですね」
「あぁ。 どうやら二匹だけではなかったらしい」
立石先輩が加わり、武器も手にしたというのに柳葉先生たちは防戦一方といった戦いを繰り広げる。 その理由は単純で、手数が足りなすぎるのだ。
屍の怪物はいつの間にか数を増やし、最初の倍以上になっている。
流石にもう腰を抜かしたりはしないが、あまりにも絶望的な状況に一度は忘れていた恐怖がぶり返してきた。
「あ、飛鳥さん……」
「た、多分大丈夫。 さっきのは流石にあいつらにも聞こえてるはずだし……」
さっきの? あいつら? 頭が混乱して飛鳥さんの言っていることがわからない。
柳葉先生や立石先輩も積極的に撃破して状況を打破するのではなく、時間を稼いで何かを待っているようだ。
では何を待っているのか。 少し考えればわかることだろう。
今ここにおらず、菜穂ちゃんの悲鳴を聞けば駆けつける、もう一組の製鉄師。
「焼き尽くせえええええええぇぇぇぇ!!!」
突如、天から怒号と共に光が降り注ぐ。 突然のことに反応できなかった怪物たちは次々と光に焼かれて消えていく。
「ヒーロー登場。 お待たせしちゃった?」
光に遅れて降り立ったのは、ヘラヘラと笑う輝橋先輩。 ただ、その背中には見慣れない一対の翼が生えていた。
「いや、いいタイミングだ。 玲人はどうしてる?」
「遅れてくると思いますよ。 上からチラッと見たんですけど道の方にはこいつらいなかったんで危険はないかなと」
柳葉先生と話している間にも輝橋先輩の翼からは光の本流が溢れ、次々と現れる怪物を消し去っていく。
相性がいい、とでもいうのか。 数秒前までの苦戦していた様子はすっかり消えている。 柳葉先生たちはこうなることを予想して無理に突破しようとせずに待っていたみたいだ。
「よし、私と輝橋で殿を務める。 立石が中心となって道を開いて玲人と合流、いずもまで戻って待機だ」
「俺たちはいつまで足止めすれば?」
「私と立石の距離が十分離れればこの剣が消える。 そのタイミングで私たちも離脱するぞ」
「うっす、了解」
柳葉先生の指揮の下、三人の製鉄師が臨戦態勢となる。
「飛鳥、長谷川さんをお願い」
「おっけー。 唯ちゃんも大丈夫? おんぶしよっか?」
「だ、大丈夫です……」
菜穂ちゃんをお姫様抱っこした飛鳥さんが背中を向けてくるが丁重にお断りした。
全員の準備が完了したのを確認した柳葉先生は一つ頷き、宣言する。
「さて、作戦開始!」
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