ソードアート・オンライン 八葉の煌き
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「代わり」の意味
試し切りを終えてセルムブルグの家に帰った俺はその晩は何かに取り付かれたかのようにベッドに吸い込まれていって、ぐっすりと半ば無理やり眠った。隣のアスナの家から漂ってくるS級食材「ラグーラビットの肉」の香りが気になったわけではない。断じてない。朝起きると大量の唾液と思しき液体が枕を濡らしていたなんてことは無い。絶対無い。……にしてもいい香りだったな。あれ一体どんな料理だったんだろう。焼いただろうか、それともシチューだろうか……
「って何を考えているんだ俺は。」
イカンイカン、俺は他人よりは隣人兼攻略の相方のお陰で遥かに良い物を食べている筈なのに激レアのS級食材に目が眩んでしまっている…ってそうじゃなくて。
「煩悩退散、煩悩退散…」
そう呟きながら一応ちゃんと着ていたらしい寝巻きから血盟騎士団の制服に着替える。アスナのそれが白を基調としているのに対して俺のは団長であるヒースクリフと同じく真紅、つまりまっかっかなのである。デザインは嫌いじゃないのだがやたら目立つので任務のとき意外は余り着ないのだがこの制服を着るとなにやら気合が入るのも事実。
「さーて!今日も攻略ガンバロー!」
気分を変える為に元気良くそう叫んだ。
当然俺のレベルなら行く先は74層…つまりは最前線だ。行く前に公害もいい所と言える肉の臭いを漂わせた隣人を訪ねた。
「およ?いないな、アイツ。どうしたんだろ?」
留守だった。うーんと首を捻ったがまあいいかと思い直し74層に足を運んだ。
その疑問は直ぐに氷解した。
「ふざけるな!!貴様のような雑魚プレイヤーにアスナ様の護衛が務まるかぁ!!」
そう言って怒鳴り散らしている男が目を引く場面だったが、俺はむしろ怒鳴り散らされている相手の方に目が行った。黒いコートに身を包んだ、あどけなさが残る顔立ちの剣士。彼は対照的に静かな口調で口を開いた。
「あんたよりはマトモに務まるよ。」
俺は長い息を吐いた。見回すとアスナが気難しい顔をしているのが目に入った。
……大方アスナがアイツとパーティ組むって言ってクラディールを怒らせたな。
どうやらクラディールはアイツ…キリトに決闘を申し込んだらしい。止めときゃいいのにと言うのが俺の本音だ。クラディールでは100回やってもキリトには勝てないだろうに。
さて、ここからが問題だ。アスナはどうやらこの決闘を止める気は無いらしい。とすれば俺は本来なら立場上仲裁すべきだ。クラディールが仮に俺の事を副団長として認めていなかったとしてもここは公衆の面前。俺の顔を立ててくれるだろう。
だが俺個人の見解で言えば…少しばかりクラディールはここで叩きのめされてお灸を据えられた方が良いような気がする。それに何より俺はとある事情からあのキリトと言う奴に興味がある。その戦いっぷりを見ておくのも悪くないような気がした。
なにやら周りでは賭け事も始まっているようだ。無論勝敗が見える俺は乗ってキリトに賭けられるだけ賭けた。500コル。2.5倍だから1250コルのリターンがある。単純計算で750コル、結構美味しい儲けだ。
「さてさて…お手並み拝見としますか。」
なぜか売られていたポップコーンモドキを口に放りながら俺は観戦する事にした。
その勝負はキリト君の圧勝だった。武器破壊…血盟騎士団と言う最強クラスのプレイヤーが集うギルドの副団長である私でさえ滅多に見たことのない光景…その決闘が終わってから戦っていた二人も含めて暫くは誰も口を開かなかった。
ただ一人を除いては。
「武器破壊なんて味な真似をするじゃん。」
思わず私はその声に振り向いた。聞く前からわかった。このゲームのその前…それどころかもう10年以上前から、聞きなれた声。
「アリオス!?いつから…」
前なら決して似合うとは私は言わなかっただろう、一際目を引く真紅のローブに身を包んだ日本人にはあまりいないから誰もが染めたと疑った蒼髪の大太刀を背負った少年が腕を組んで此方を見ていた。
アリオスはにこやかな顔で手を叩いた。
「うん、中々お目にかかれない光景だ。流石だねキリト。」
キリト君はアリオスとは対照的に苦い顔をしていた。手の内を人前で見せたくなかったのかな?
「お前までこんな所で何をしてるんだよ?」
「攻略に決まってるだろ?それにしても派手にやったねえ、武器だけじゃなくて心もへし折られたかな?」
最後の部分は未だ信じられないと言った様子で折られた大剣を見つめているクラディールに向けていた。
「あ…アリオス……様。なぜ…ここに?」
「キリトに言ったのが聞こえなかったのかいクラディール、攻略だって言ってたろう?
にしても随分激しく負けたね。」
「…………………」
「良い負けっぷりじゃないか。体力は全く削られていないのに、誰がどう見てもこれはお前の負けだ。」
そう言った後一瞬こっちをみてウィンクした。顔が良いのもあって中々決まってる。
「…任せても良いってことかしら?」
俺に遠慮せずに二人っきりでの状況を楽しんで来い…そこまでの意図があったのかは流石にわからないけどそう好意的に解釈して私は軽く頭を下げた。
視界の端にアスナがキリトの手を引いて走っていくのが見えた。俺の心が通じたみたいだ。嬉しいやら複雑なのやら。
「アリオス様!私は……」
おっと、今はこっちに集中しなきゃいけないか。我ながら貧乏くじを引いたと思うよ。
「うんうんわかるよ、キリトにむかついたんだろ?」
そう言ってやるとクラディールの顔は反射的にパッと輝いた……安い人間だな。
「あいつソロの癖にやたら強いからな…けどそれが私闘を許す理由にはならないよ。」
さっきの顔に一瞬で戻った。こうして見るとコイツの人となりが良くわかる。例えるならこいつは狐だ。血盟騎士団と言う虎の威を借る狐、身も蓋も無い言い方になるがバカな奴だ。血盟騎士団が借りられるままの安いギルドの訳が無いだろうに。
「しっしかし…あの男は…」
尚も虎に救いを求めようとするコイツに俺は鉄槌を下す事にした。
「言い訳は聞きたくないよ……………ねえクラディール?」
「は、はい?」
「お前クビ。」
まるで世間話でもする口調で俺は言った。
対してクラディールは核兵器でも落されたのかの様な顔になった。
「な…なんだと…」
ほら見ろ、やっぱり狐だ。口調って言う化けの皮が剥がれ始めた。
「言っとくけどアスナの護衛だけな?血盟騎士団には籍を残してやる。
本部に戻って次の命令があるまで待機してろ。」
俺のほんの一掬いの慰めも届かないようで俺になのかそれともキリトにか…いずれにせよ呪いの言葉であろう何かを口の中で呟きながら奴は懐から転移結晶を取り出した。
「転移…グランザム……」
かすれた声で呟いて…消える間際まで俺を憎悪に満ちた目で睨みつけていた。
「チッ…なにか言ったらその場で血盟騎士団から叩きだしてやろうと思ってたのに。」
思ったよりは自制心もあるらしい。腐っても攻略組に入れるだけの事はある、か。
…だがいずれにしてもあの男の性格上何かリアクションを起こしてくるだろう。それはキリトにか、それとも俺にか。結局の所クラディールが退団するのに充分な理由はきっとつけられる。あの手の男は自分が傷つく事を認められない。
アイツと同じで。
「……ッ、出てくんなよ…!」
俺はソイツのことが大嫌いだった。想像しただけで吐き気がするほどに。
ソイツをぶん殴るまでは死ねない…この世界には食われてやれない。
俺は自分でもぞっとするような冷たい口調でソイツの名前を吐き捨てた。
「須郷…!」
俺がアスナ…いや、結城明日奈の「代わり」を自称し始めたのは小学校三年生の時だった。
俺…木戸琢磨はやんちゃ坊主だった。成績が良いのに物を言わせて学校から家に帰ってもそのまま家にいれずカバンを投げ捨てて近くの子供と交わって泥んこになって遊ぶ。明日奈には良く擦り傷だらけの俺を笑われた。
そんなアウトドアな俺だがインドアな趣味でゲームにだけは心を奪われた…いや、冒険に心を奪われたと言った方が正解か?シューティングやパズルには目も呉れなかった。雨が降った日はひたすらにRPGのみをやり漁った。広い意味では近くに秘密基地を造りに行くのも、RPGで勇者となって魔王を倒しに行くのも「現実の近所」と「画面の中の世界」と言う違いはあれど冒険に他ならない。そう言えば読書が嫌いな俺が読んでいた数少ない本はすべてファンタジーだった気がする。
そして俺は子供の頃から冒険心に負けない位運命と言うのを信じていた。ことさら恋愛においては伴侶と言う言葉を知らないまでも「この世界のどこかに俺のためだけのお姫様がいるんだ!」と言うそれはそれは恥ずかしいことを公言していたらしい。
そんなやんちゃ坊主でロマンチストな俺といかにも箱入りのお嬢様だった当事の明日奈が仲良くなれたのは付き合いが他より長かったのと家が隣だったからに他ならない。それほど密接な関係ではなかった。精々教科書を貸し合ったりするだけの仲だった。
だが、小学三年生の夏休み。俺はあの男と出会ってしまった。須郷伸之。
俺にとってこの男の第一印象は…自分に反吐が出ると思うが人の良い好青年、そんな言い方はその当時習ったばかりで、ああ、こんな奴が好青年なのかと思った。俺が須郷と初めて会ったのは結城家の前だった。
「やあ、君が木戸琢磨君か。初めまして、僕は須郷伸之と言う。」
やんちゃ坊主だったが躾はされていた俺は
「初めまして須郷さん、木戸琢磨といいます。」
あの男に…営業用とは言え笑いかけた。信じられない、もしタイムマシンができたらこの瞬間に戻って子供の自分に囁いてやろう。「この男は最低な人なんだよ」と。
その後少しばかり話した…もうその事は覚えていない。思い出したくも無い。
その後俺は明日奈に用事が…夏休みの宿題を見せてもらおうと思っていたのでその足で上がった。
お邪魔しますも言わないで部屋に入って俺が見たのは…
「どうしたんだよ!?」
泣いている明日奈だった。
「オイ、どうした。友達と喧嘩でもしたのか?」
泣いたまま、何も口にしなかった。ただ首を振った。
宿題を見せてもらおうという考えは吹っ飛んでその前に思わず正座した。
「泣くなよ…ほら、ハンカチ。」
「……ありがとう…」
それも涙の中からやっと声を絞り出した…そんな感じで、人が泣いているのを見るのが大嫌いだった当事の俺は
「泣くなよ!何があったのか、俺に言え!」
思わず明日奈を怒鳴りつけていた。それが逆効果だと知っている訳もないガキだった。
その時俺は始めて恐怖と言う感情を目にした。俺から後ずさったアイツの顔にあったのは恐怖。お化けが怖いって言うのとはまるで違う顔だった。
「やめて…来ないで…」
俺は口をしばらくパクパクさせた後「ゴメン」と謝ったらしい。
それから俺は性に合わない我慢をした。明日奈を怖がらせたのだから、その罰だと思って待った。
一時間だったか、二時間だったか、或いは三分だったかも知れない。俺にとっては永遠に近い長い時間待った後明日奈はポツリと呟いた。
「すごうさんが…」
聞いて直ぐには須郷と変換できなかった。
「私に、喚き散らして…顔を近づけて…」
人の悪意になんか触れたことのない…触れるべきですらないこの少女に須郷が何をしたのか…その当事はわからなかった。だが俺にとってはそれの意味する事などどうでも良かった。唯一つ、友達の女の子を泣かせた。それで謝らない。それだけで俺にとって須郷は許されるべきではない悪だった。あながち間違ってはいないその感情のままに俺は明日奈の家から全力で飛び出して日が暮れるまで須郷を探した。
足が他人より速くても子供が車に追いつける訳がなかった。
「おや、昨日ぶりだね木戸君。」
何の因果か、俺はその翌日もう一度須郷と会った。
「お前、明日奈に何したんだよ!?」
「おや、人聞きが悪いな、僕は何もしてないよ。」
「嘘をつくな!俺知ってるんだぞ!明日奈、泣いてたじゃん!」
その時奴が俺に初めて本性を表した。
「五月蝿いガキだなあ君。」
辺りを見渡して、その後俺を蹴飛ばした。
「君が何を知ってるって言うんだ、んん?」
子供の俺に大人の蹴りが耐えられる筈もなかった。
「調子に乗るなよ。クソ餓鬼。僕は君みたいな奴が大嫌いだ。」
体の節々に至るまでズタズタに蹴られ殴られ、死ぬかと思った俺はそれでもずっと意識を保っていた。
「琢磨!?」
「あ…すな…?」
その時にはもう既に須郷は去っていた。
「誰にやられたの…?」
須郷だ、と言う事は簡単だった。だけどそれは負けず嫌いな俺にはどうしても口にしてはならない事だと思ったらしく結局今に至るまで誰にも…明日奈にさえ俺が誰にやられたのかを教えなかった。明日奈が、俺にあの日自分が半ば強姦まがいの事をされたのだと言えなかった様に。
ただ俺はこの時悔しかったけど泣かなかった。だからガキの俺でもこれはわかったんだろう。
泣かされた明日奈はもっと酷いことをされた筈なのに、俺を気遣ってくれた。
明日奈は運命のお姫様なんかでなかった。俺もきっと明日奈の王子様なんかではないだろう。
でも俺がこの娘を守ろうと思うのには充分すぎる理由だった。
・・・明日奈、俺が怖いか?・・・
・・・琢磨が?ううん怖くなんかないよ・・・
・・・そっか、じゃあ俺を「代わり」にしろよ・・・
・・・代わり?・・・
・・・俺の事好きな訳じゃあないだろうけど、アイツよりはマシだろ・・・
・・・うん、わかった。わかったよ琢磨・・・
「お前には期待してるよ、キリト。」
是非とも俺の「代わり」をお役御免にしてくれ。
…ただしお前が本物ならな。
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