ある晴れた日に
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637部分:桜の枝を揺さぶってその十五
桜の枝を揺さぶってその十五
正道は部屋の端にギターを置いた。そのうえでテーブルの上に皿やスプーンを置いていく。彼の分だけでなく母親の分も置くのであった。
「だから揚げてるのよ」
「それでか」
「そうよ。それでカレーはね」
「ああ」
「思いきり辛口にしたから」
そうしたというのである。
「それでいいわよね」
「辛口か」
「お父さんそれが好きだからね」
「じゃあ今日のカレーは」
「そうよ、お父さんが好きだからよ」
「親父カツも好きだったな」
彼はここでのことも思い出した。彼の父はカツレツもカレーも好きなのである。
「それでか」
「たまにはお父さんの好きなものも作らないとね」
そのまだ美しさに満ちた顔で語る母であった。
「そうでしょ?ルーにはお野菜も一杯入れたからね」
「野菜もか」
「ほら、お父さんって人参も玉葱も大好きじゃない」
これもだというのである。
「それもたっぷり入れたから」
「ジャガイモは?」
「入れたわよ」
それもだという。
「ただしね」
「ただし?」
「ジャガイモはポテトサラダにしたから」
「ポテトサラダか」
「お父さんそれも好きだからね」
ここでまた父のことが出たのである。
「だからそれにしたのよ」
「今日は親父の為の料理なんだな」
「悪い?」
カツを一枚油から出しながら彼に問う。
「それで」
「別に悪くはないが」
「じゃあいいじゃない」
素っ気無く息子に返す母だった。
「あんたもポテトサラダ嫌いじゃないわよね」
「好きだ」
それは好きだというのである。
「ただ」
「ただ?」
「最近親父の為の料理を作ることが多いんだな」
彼が言うのはこのことだった。
「またどうしてなんだ」
「そうかしら」
しかしそれを言われてもこうあっさりと返す彼女だった。
「私は別に」
「昨日は鶏のオーブン焼きに野菜スープだったな」
「そうだったわよね」
「五日前はトムヤンクンに生春巻きだった」
タイ料理とベトナム料理である。
「一週間前は鯛の刺身にほうれん草のおひたしに豆腐の味噌汁」
「栄養にも気を使ってるのよ」
「全部親父の好きなものだ」
それだとまた指摘した。
「どうしたんだ」
「だからあれよ」
「あれ?」
「お父さんが喜ぶからよ」
「それが理由なのか」
「そうよ」
何の言い訳も不要なまでに単刀直入な言葉であった。
「それでなのよ」
「そうなのか。それでか」
「気が向いたらあんたが好きなものも作ってあげるわよ」
「いや、そこまでしてくれなくても」
「いいっていうの?」
「俺は大抵のものが食べられる」
こう言うのである。
「だからいい」
「あら、素っ気無いわね」
「それで親父はもうすぐか」
「もう帰ってるわよ」
ここでこんな返事が返って来た。
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