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ある晴れた日に

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609部分:アヴェ=マリアその九


アヴェ=マリアその九

「音橋君」
「はい」
「今の曲は何かしら」
「アヴェ=マリアです」
 その曲だというのだ。
「教会の歌です」
「あのパイプオルガンで奏でられる曲ね」
「そうです。ただ」
「ただ?」
「中南米系の教会じゃギターで演奏されますから」
 彼はそのことを知っているのだった。それでだというのだ。
「ですから今こうして」
「ギターで歌ってくれたのね」
「駄目だったですか?」
「いいえ」
 周りは緑の木々が生い茂っている。砂場には子供達やその親達がいて明るい笑顔を見せている。そうしてその上に眩しい太陽の光がまだあった。
 しかし未晴は、だった。やはり反応を見せない。太陽の下にあっても表情は変わらない。無表情なままで車椅子に座っていた。
「有り難う」
「そうですか」
「未晴の為に」
 娘にかわって礼を述べた形になった。
「本当に」
「じゃあもう一曲」
「歌ってくれるのね」
「はい、それじゃあまた」
 ギターに再び手をかける。そうして歌おうとする。だがここで晴美がまた言ってきた。
「それでだけれど」
「ええ、それで」
「こうして外に出してくれているのね」
 また未晴のことを話す彼女だった。そのことをだった。
「これも音橋君が頼んでくれたのね」
「そうです。こいつもあの中でばかりだとやっぱり」
「そうね。幾ら今何も感じなかっても」
 それがいいか悪いかはもう考えるまでもなかった。常に暗い部屋の中にいるよりはだ。外にいる方が遥かにいいのが当然であった。
「やっぱり外の方が。時々でも出て」
「お医者さんはかなり反対しました」
 そうだったというのだ。
「それでも。俺は」
「言い続けたのね」
「こいつの為にいいと思いまして」
 だからだというのだ。見れば少し離れた場所に医師と看護士がいる。彼等が付き添いであるのはもう言うまでもなかった。
「それで、でした」
「未晴もきっと見てるわ」
「こいつもですか」
「ええ。そして感じてるわ」
 何も言わず何の反応も見せなくなっている娘をここでまた見る。まるで人形の様に車椅子に座ってそれで沈黙していたのである。
「絶対にね」
「だと思いますから」
「未晴、絶対によ」
 今度は娘に声をかける。その声も表情も切実極まるものだった。
「また見てね。皆を」
「見れます。ですから」
「ですから?」
「俺考えてることがあります」 
 彼もまた未晴を見ていた。そうしながら語った言葉だ。
 
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