ユア・ブラッド・マイン─焔の騎士は焦土に佇む─
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第四話 夢と日常の狭間
前書き
前回入学式からスタートさせるような終わりかただったのにまだ入学式は始まりません
それが夢だと一瞬で気がついた。視界にいつも佇んでいるアイツがいない。至近距離じゃないと表情も分からないくらいに目がチカチカするほど明るく、燃え盛る焔もない。だが、その代わり──
──ああ、見たくない。無力だったあの時。いや、無力なのは今も変わらない。忘れられない、忘れない、誘拐された、あの最悪の、小学三年生の夏の日の夢だ。
暗い、灯りが何もない部屋で少女が泣いている。怖いよ、痛いよ、助けてよ、そう泣きじゃくる少女に隣にいる少年はただ苦々しい顔で彼女を抱きしめて、頭を撫でていた。
不定期に、しかし高頻度でやってくる黒ずくめの男が煩いと怒る。だが、冴空は泣き止まず男が腕を振り上げる。
冴空を守ろうとして覆い被さった俺は何度も何度も暴力を振るわれ、血を流し、吐き出し、そこまでしてやっとそれが止んだ。
冴空は必死に声をかけ、俺の血を止めようとしているが俺はただ自身と奴等への憎悪による涙を流していた。
──ああ、泣かないでほしい。そんな悲しそうな顔は似合わない。最も似合う、可愛い笑顔でいてほしい。だが、客観的に映し出された夢は今の俺の思いを無視して、ただ再生を続ける。
あるところでそれは止まった。暗転、そしてまた二人が映し出される。今度はあの忌々しい食事風景だ。あの時は一日に二食、しかも栄養もくそもない飯とは名前ばかりのモノを出され、それを貪っていた。
だが男たちは気紛れに、憂さ晴らしに、罰と称して俺たちからそれさえも取り上げられた。
奴等はこれら全てを『反抗の意思を削るため』だとほざいていた。俺も冴空も奴等の思い通りには行かず、心も折れなかったが。
床に投げ捨てるように出された『食事』を取り、なるべく冴空に綺麗なところを食べてほしかった俺は必死になって汚れを払う。
本当はあんなものを食べたくなかった。それでも生きるために俺たち二人は喰った。
再度暗転、そして再生。
次に映し出されたのは────
なんだ、これは。俺は──知らない。知らない、記憶が再生されている。
焦燥しきった奴等が俺と冴空を引き離して刃物を突きつける。必死に抵抗するが子どもと大人、抗えるはずがない。
冴空が泣き出す、それに対して男が拳を振り上げ──殴る。それを見ていた俺の知らない幼き日の俺は、積もりに積もった負の感情を爆発させたような表情になった。
噛みつく。思い切り噛みつかれたことにより男は『俺』から手を離して血が滲む手をもう片方で抑える。その際、ナイフが男の手から零れ落ちた。
『俺』は男のことは気にも留めない様子でそのナイフを拾い、男たちに向かって吼える。
その様子はまるで狂犬、だが瞳には確固たる意志が灯っているのが分かる。
──ああ、そうだよな。赦せないよな。守りたいよな。どうしようもない、行き場の無い感情をぶつけたいよな。
栄養失調寸前だったはずの『俺』は獣のように走り、男たちに立ち向かう。殴ろうとする拳を、蹴ろうとする足を、捕まえようとする腕を、全てギリギリで避け、ナイフで斬りつけ、削ぐ、削ぐ──殺ごうとする。
──いつの間にか、いままでその光景を見下ろしていた神様気分の俺は『俺』の景色を見ていた。
観測する。燃え盛る焔と────いない。ずっと俺の視界にいたアイツがいない。と、驚いたのも束の間、焔の騎士鎧に身を包んだアイツが駆け抜ける。
──これも知らない。アイツが何か行動を起こすなんて、有り得ない。いつも俺の視界にいるだけの存在だったはずなのに。
俺の意思に関係なく『俺』はその後を追う。アイツが携えた剣で男の脹ら脛を斬る──当然、斬れるなんてことはない。しかし、『俺』がその動きを完璧に模倣して全く同じ動きで脹ら脛を斬る。技量はともかくどこにそんな力があったのか、いとも容易く『俺』は男を斬りつけていた。
だが、そんなムソウも長くは続かない。アイツが掻き消えて『俺』は捕まってしまった。
殴られる、殴られる。鈍い音が間近で響き『俺』は耐えきれずに苦痛の声を吐き出す。男達の怒声、殴打の音、自身の声──なによりも小さく、しかしなによりも耳に、脳に、『俺』に響く泣き声が泣き声が耳に届いた。
もうやめてくださいと、俺を殴らな いでくださいと、俺が死んじゃうと、どんな雑音よりもか細い冴空の泣く声が『俺』をまた突き動かした。
弾かれる。視点が戻り、俺はまた何物にも邪魔されていないその景色を眺める。冴空の声を聞いた『俺』の眼は──哀しみと怒りに満ちていた。
咆哮、そして殴ってきた男の手を『俺』は掴む。非力なはずの子供の手はいつの間にか、見慣れた、焔のような印象を受ける紅蓮の騎士鎧のソレとなっていた。
周囲にあったモノが蠢き『俺』の身体に纏わりつく。
数秒も経てば『俺』の身体は見慣れたアイツのモノになり、全身に紅蓮の騎士鎧を装着していた。周囲にあった魔鉄をイメージ力で自分の『理想』の姿に変えたのだろう。
──馬鹿馬鹿しい、そんな事ができる訳がない。馬鹿馬鹿しい、俺の『歪む世界』はそんな大層なモノなんかじゃない。馬鹿馬鹿しい、俺のイメージ力なんてたかが知れている。
ああこれは夢だ、過去の記憶の再生かと思っていたがただの瞞しだ。力の無かった俺が見せた──あの時になりたかったモノだ。あの過去を変えたいと、冴空の涙を見たくなかったと、そう俺は心の底でずっと願ってきたのだろう。それがきっと、夢になり俺に見せているんだ。
そこからは、ただの制圧劇だった。攻撃を受けても『俺』は止まらない。仰け反りもしない。的確に一撃をかまして戦闘不能にする。
残るは冴空を抱えている一人。ソイツは冴空にナイフを突きつけようとするが、それよりも早く、速く、『俺』は跳躍して男の顔を思い切り殴った。
たった一撃、それだけで男は倒れて気絶する。なんて御都合展開、理想通りの、終わりだ。
ノイズが走る。ジジ、ジジッ、と。
視界がブレる。場面はそのままだ。
だが、分かる。『戻った』のだと。
冴空が泣いている。元の姿に戻った『俺』は冴空の頭を撫でながら口を開く。冴空に笑ってほしくて、冴空の笑顔が見たくて────一言、冴空に向けて呟いた。
この時、俺は────冴空にどんな言葉をかけた?
おも、い、だせ、な、い。
わ、から、な、い。
俺は、なんて、言ったんだっけ──?
────意識が覚醒する。
氷絃は目覚め、自分の視界に映る世界を視認する。彼が観測したのはいつも通り、何て事ない『歪む世界』だった。
「……っそが。下らない夢を見せやがって……」
頭を掻き、ついさっきまで見ていた、鮮明に残っている夢に悪態をつく。
──出会って随分経った頃に誘拐されたあの日。あの時、俺が強ければどれだけ冴空の苦手を作らずに済んだのだろうか。
監禁されていた期間は数日、そのたった数日は冴空に深い傷を与え、変化した。
灯りが不確かな暗い場所や密室では過呼吸になり、誰かが暴力を振るうところを見れば怯え、俺が傷つく事に対しても臆病になった。
飯も取られるかもしれない、食えなくなるかもしれないという思考が植え付けられてあるだけ、それこそ普通の何倍も食べるようになり、そして吐き出すということがあった。今でこそ、その植え付けられた思考はある程度軽くなって吐くまでには至らないが、それでも大量に食べる癖は抜けていない。尤も、身体がその食事量に適応してきた辺りで治ってきたからある種の『大食い』で済んでいる。
──そうなってしまったのは隣にいても何も守ることができなかった俺のせいだ。
──後悔しても仕方がないと思った。何も悪くないと、ありがとうと冴空に礼を言われた。お前はよくやったと親に褒められ、慰められた。
──それでも、それでも俺は冴空の笑顔を、幸せを、日常を、心を、身体を、あの時守ることができなかった。
──そして俺は病院のベッドで誓いを立てた。
『冴空を守る。もう、あんな事が起きないように俺がアイツの全てを守れるようになる。傷つくのは俺だけで充分だ』
──もう、冴空が泣かなくていいように。
──もう、冴空が辛い思いをしなくていいように。
──もう、冴空が怯えなくていいように。
────そうして俺の『理想』は作られた。
──それが俺の生きる全てだった。それは全て冴空の為だと思っていた。それは間違っているなんて微塵も思っていなかった。
「……でも、本当の意味で冴空の事を考えてなかったんだよな……」
──だがそれは、確かに、愚かで、綻びだらけで、傲慢で、自己満足で、過ちだと、やっと気づくことができた。
「大切な者とは共に歩め。か……」
──まだ迷いはある。過去の俺を否定したくないという思いもある。だから、少しずつ、考えよう。
「……てか今何時だ……十一時かよ。部屋出るのも面倒だ、カップ麺にするか」
昨夜、夜遅くまでその事について考えていたせいか何時もより大分寝過ごした氷絃はため息をついてベッドから降りる。
洗顔を済ませ、常備してあるカップ麺の山から適当に選んだ『オイラの紅塩ソバ』と『ヘイヤングソース焼きそば大盛』の二つにお湯を入れ、待つ。
一分も経てば『オイラの塩ソバ』を湯切り、それを終えたら今度は『ヘイヤングソース焼きそば』の湯切りだ。ソースとふりかけをかければ二つとも完成だ。
「さて、いただきますと」
昼飯も兼ねているためそこそこ量のある焼きそばをズッズッ、と氷絃はかなり早いペースで食べ始める。
中等部時代の最初の方はこれを毎日送ってきた彼だったが、ある日それを知った冴空が「ダメです! 身体に悪いです! これからは私が氷絃くんのお昼ご飯を作ります!」と言って、それを翌日から実行してからカップ麺を食べるのは休日の昼飯と夜食のみとなっていた。
十分もしないうちに二つの容器をからにした氷絃はそれらをゴミ袋に突っ込む。
「……さて、コイツを片付けるか……めんどくせぇ……」
氷絃が手に取ったのは春期休暇の課題として出された現代文のワーク。四回分に加えて現代文のみ赤点の渇れには追加として難易度が低めのワーク一冊が残っている。
彼は現代文が大の苦手である。漢字や語彙等の記憶力を頼りとするモノは得意だが、圧倒的に文章を読むのが不得手なのだ。
「いや、高等部だと補習の時間も増えるからな……苦手を克服しなきゃ冴空と一緒にいられる時間も減る」
そして一頁目を開けた氷絃は────
「……無理だ、眠い……頭に入ってこない……」
数秒でダウンした。そしてコックリコックリと舟を漕ぎ始めたところで扉が勢いよく開いた。
「おっはー!」
そう元気よく入ってきたのはボサボサの茶髪に作業着の男子生徒。人懐っこい笑顔がよく似合う少年だ。
「……天治か。帰れ」
「おいおい俺は客だぞ? 茶の一つくらい出してくれよぉ」
「アポなしで勝手にやってきた奴は客じゃない」
「冷たいのぉ……アグニでヒートなのに、氷属性かよ」
少年は矢摩 天冶。ドヴェルグを志す『魔鉄加工科』に所属している生徒だ。羽矢や隆太と同じ、中等部からの友人だ。
「寮の一階に自販機がある。そこでコーヒー緑茶微糖でも買ってろ」
「おこづかいちょーだい」
「拳骨ならくれてやるぞ」
「バイオレンスゥ……」
「それで用件はなんだ?」
「暇潰し」
「帰れ」
ワークを投擲した氷絃だったが、それはパシッと天馬にキャッチされてパラパラと捲り始めた。
「……見事に漢字と慣用句以外まっさらだな」
「冴空がどうした?」
「ピンポイントに反応するな。真っ白って意味だわ、課題は終わらせなきゃだめだぞぉ?」
「いまやっていた所だ」
「知ってる。てかさ苦手だったら答え貰ってるんだから写すなり、バッテン付けて処理しちまえば?」
「そんなズルをしたらいつまで経っても成長できない」
「真面目だなぁ」
「それに、冴空がちゃんとやってるんだ。俺だけが楽するのはダメだろ?」
「なんでもかんでも珠充に関連付けるお前の頭はどうなってんだよ」
やれやれと呆れた声色で言った天治はワークを氷絃に投げ返して本棚の方へと視線を移す。そこには漫画や美容院にあるようなヘアカタログがズラリと並んでいる。
「珍しいな、氷絃がちゃんと本を整理してるなんて。前の部屋なんてそこら辺に散乱してたよな?」
「初日に冴空がやってくれたんだよ」
「なるほどな、珠充が整頓した本をお前がぶちまける事なんてねぇわけだ」
「まだ移動してから時間が経っていないのもあるがな」
天治は話題が終わるとまた適当な話題を出して雑談を続ける。氷絃は一応聞いて適当に返事はするものの意識は基本的に目の前の課題に行っている。先程とは違って寝そうな雰囲気は一切無い。
「って、そうだそうだ。氷絃よ、ちょっと最近きな臭い話を耳にしたんだがよぉ」
「きな臭いのきなってなんだ?」
「きな粉だろ。じゃなくて真面目な話だ。未契約魔女が最近この京都限定で失踪してるって話」
「つまり冴空に関係があるな。続けてくれ」
「おう一気に眼がガチになったな。つっても俺が知ってるのは未契約魔女が三月から半月に一人のペースでOICCを残して失踪してるって話だけだ」
OICCはその名の通りOI能力者及び魔女体質者に着用が義務付けられた身分を証明するモノだ。着脱はある程度簡単にできるものの基本的には着けていなければならない、外出中に外すようなことはあまり無いモノだ。
「それだけか?」
「おう。つまり、これからもちゃんと珠充を送迎してやれよ。それかさっさと契約しちまえ。そうすりゃ心配はゼロだぜ?」
「そうか。ありがとな」
「いいってことよ、その代わり模擬戦で使う魔鉄器はどうか俺のを……な?」
「考えとく」
「お前の『考えとく』は『了解』だからな。んじゃな、課題頑張れよ」
そうして天治は氷絃の部屋を後にした。
氷絃は冴空に明日から必ず自分が迎えに行く旨のメッセージを送り、少し量の減った課題に取り組み始めた。
因みに、終わったのは午前二時だった模様。
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