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fate/vacant zero

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いつかの面影




「ああ……! ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」


 ルイズの部屋を訪れてきたアンリエッタ王女は、感極まった表情を浮かべ、膝をついたルイズに抱きついた。



「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」


 ルイズは、相変わらず膝を着いてかしこまった顔のままだ。

 ……いや、ちょっと口元と眉が下りてるかも。



「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい!
 あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」


 硬く緊張しているルイズと、そんなルイズにぺっとりと張り付いている王女を見比べながら、才人は目を点にしていた。


 お姫さまがルイズと友だちだって?

 こんなおしとやかそうな子とルイズが?



 …………想像できねえんだけど。



「やめて!
 ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をして寄ってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ!

 ああ、もうわたくしには心を許せるお友達はいないのかしら。
 昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまでそんな態度を取られたら、わたくし絶望で死んでしまいそうよ!」


「姫殿下……」


 ルイズが、困った面持ちで顔を挙げる。

 な、なんってか、大げさな人だなこの姫さま。



「幼い頃、宮廷の中庭で一緒になって蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

「……ええ。お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ボルト様に叱られました」


 ルイズが、はにかんで答えた。

 あれ、意外に活発な幼少の砌みぎり?



「そうよ! そうよルイズ!
 ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみあいになったこともあるわ!
 ああ、ケンカになると、いつもわたくしが負かされたわね。
 あなたに髪の毛を掴まれて、よく泣いたものよ」

「いえ、姫さまが勝利をお収めになったことも、一度ならずございました」


 ルイズが心外だと眉を顰め、かつ懐かしそうに口元に笑みを浮かべて言う。


 ……ぇーと。



「思い出したわ! わたくしたちがほら、アミアンの包囲戦と呼んでいるあの一戦よ!」

「姫さまの寝室で、ドレスを奪い合ったときですね」


 なんじゃそりゃ、と才人はツッコミを入れたい衝動に駆られた。

 どうもこのおしとやかに見えたお姫さまは、前髪で目が隠れた悪友を彷彿ほうふつとさせてくれるお転婆てんば娘らしい。



「そうよ、『宮廷ごっこ』の最中、どっちがお姫さま役をやるかで揉めて取っ組み合いになったわね!
 わたくしの一発がうまい具合にルイズ・フランソワーズ、あなたのおなかに決まって」

「姫さまの御前でわたし、気絶いたしました」


 二人が顔を見合わせて、あははと笑った。

 ああ、なんかそれと似たような光景を知ってる気がするなぁ、俺。



「その調子よ、ルイズ。
 ああいやだ、懐かしくて、わたくし、涙が出てしまうわ」

「でも、感激です。姫さまがそんな昔のことを覚えてくださってるなんて……。
 わたしのことなど、とっくにお忘れになったかと思ってました」


 王女は深いため息をつくと、ベッドに腰掛けた。


  ――『懐かしい』、と思ってしまったのが間違いだったんだろうか。



「忘れるわけないじゃない。あの頃は毎日が楽しかったわ。なんにも悩みなんかなくって」

「姫さま?」


 アンリエッタの深い憂いを含んだ声に、心配になったルイズは沈んだ笑みを浮かべたその顔を覗きこんだ。


  前髪で目を隠したやつだの、触覚アンテナの金髪だの。

  そんな悪友どもと馬鹿をやって過ごした去年の記憶が、向こう・・・での楽しかった思い出が、とりとめもなく脳に溢れた。

  なんだかこのままこの部屋に居残っていると、うっかり泣きだしてしまいそうなほど胸が痛くなり、俺は――。



「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね、ルイズ・フランソワーズ」


「なにをおっしゃいます。あなたは、お姫さまでしょう?」

「王国に生まれた姫なんて、籠に飼われた鳥も同然。
 飼い主の機嫌一つで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」


 アンリエッタは、窓の外を眺めて、寂しそうに呟く。



「結婚するのよ。わたくし」

「……おめでとうございます」


 その声の調子があまりにも悲しそうで、ルイズはわずかに沈んだ声で言った。


 アンリエッタがルイズに振り向き、手を取ろうとして……、ドアを開いて廊下へと消える少年の後ろ姿を見て、固まった。



「あら……、ごめんなさいね。お邪魔だったかしら」


 パタリ、と静かな音がしてドアが閉まった。



「お邪魔? どうして?」

「だって、いま出て行った彼、あなたの恋人なのでしょう?
 いやだわ、わたくしったら。つい懐かしさにかまけて、とんだ粗相をしてしまったみたいね」


 しばしの間、質問の意味がわからずに固まったルイズは、アンリエッタの台詞を噛み砕き、理解し、秒の間もおかずに勢いよく首を横に振った。



「姫さま、アレはただの使い魔です! 恋人だなんて、冗談じゃ……



 出てった?」



 反論しかけたルイズはぱちくりと瞬いて、ドアを見つめた。

 才人が部屋から出て行ったことに気付かなかったらしい。

 しばらくドアを見つめてから、がっくりと肩を落とした。


 なんだってあの使い魔はこう勝手に動き回るのかしらね、とルイズはため息をついた。









Fate/vacant Zero

第十二章 いつかの面影







 さて。

 才人は、久しぶりの親友なら水入らずで話すのが一番だろ、と誰にとも無く言い聞かせ、ルイズの部屋を辞していた。



 実際のところは、溢れそうになった涙をルイズに見られるのが非常にシャクだからである。

 自分でそれを認めるのもシャクなため、先ほどの建前を自己暗示したらしい。


 こういう負けず嫌いもここまで来れば立派と言うべきなのかどうか。



 とにかく本能的にルイズの部屋を抜け出した才人であったが、この学院における彼の行動範囲はまだそれほど広くはない。

 その足は、自然と持ち主が一人になれそうな場所――寮塔の屋上へと向かっていた。


 理由は簡単、頬に走った線を見られるのも、微妙に歪んでる顔を見られるのも、なんとなく嫌だったからだ。

 そしてこれまでに行ったことがあり、かつ彼がこの学院で確実に一人になれると断言できそうな場所は、屋上だけだった。



 そう、この時間なら確実に。



「友だち……か。あいつら、元気にしてんのかな」


 屋上へと続く階段を昇る途中、胸に引っかかっていた一言を呟き、悪友どもの姿を思い描く。

 あまり鮮明なイメージは出来なかったものの、それでも胸がズキリと痛んだ。


 単なる悪友を思い出すだけでこのありさまである。

 もしこれで恋人が向こうの世界に居たりしたらどうなってたんだろうな、と思いはしたが、才人に恋人などいないので想像は想像にしかならなかった。


 ぞっとしない話じゃあるよなと思考を〆て、屋上を目指してひたすら昇る。



 この階段を使うのは、確かこれで三回目だっただろうか。

 少しは慣れたとはいえ、この距離だけは何とかして欲しかった。

 今日は階段を吹き降りる風もなんだか強くて、がんがん体力が削れていく。


 えっちらおっちら時間を掛けて階段を昇り、屋上へ続くドアが見える踊り場に辿り着き、



 そこで違和感を目にした。





「開いてる……?」


 何故だかそのドアは、内側――つまりこちらへと開け放たれていた。

 道理でいつもより階段の風が強かったわけだ。



 って問題はそこじゃないか。


 誰か先に来た奴でもいるんだろうか?

 好奇心に駆られ、そっと扉の陰から外を覗き見る。


 そこで俺は、思わず言葉を失ってしまうほど、一枚の絵画のようなその風景に見惚れた。



 遠く地平線近くに浮かぶ、青と赤の細い月。

 よく晴れた、暗く眩い空。

 こっちには電灯も何も無いから、星も全天が天の川といわんばかりにちかちか瞬またたきまくっている。


 そして、その幻想的な夜空に溶け込むように、ランタン片手に佇んでいる小柄な影が一つ。

 マントの下に制服らしきブラウスとスカートを着て、下縁の眼鏡を掛けたその横顔は――



「タバサ?」


 す、と全体的に小振りな体をこちらへと振り向かせた影は、紛れもなくタバサだ。

 光源がランタンだけだから髪や瞳の色はさっぱり分からないが、整った顔立ちや見慣れつつある短い髪、控えめな背丈はどう見てもタバサでしかなかった。


 声に出してしまっていたのか、こっちに気付いたタバサはてくてくと歩いてきて、俺の目の前で立ち止まった。

 どうでもいいが、顔の下辺りでランタン持つのはやめた方がいいぞ。驚かれるから。



「どうしてここに?」


 いつもより少しばかり感情の感じられる、笛の音みたいな涼やかな声が耳朶を打つ。

 いや、そりゃ俺の台詞なんだが。


 ……まあ、レディーファーストってことにしとくか。



「ああ、その、なんだ。……今日の昼、お姫さまが学院に来たの覚えてるか?」


 タバサがこくりと頷く。まあ、当たり前か。



「なんかそのお姫さま、ルイズの幼馴染みたいでさ。
 急に部屋を訪ねてきたもんだから、ちょっと気を利かせて出てきたんだよ」

「……そう」


 なんだかよくわからない間が一瞬空いたが、ともかくタバサは納得した、ような気がする。

 下から照らすランタンしか灯りはないから、もともと無表情気味なタバサでは声色で判断するしかない。


 ま、納得したっていうんなら、今度は俺の質問する番だろう。



「そういうタバサは、こんなとこで何やってたんだ?」


 こんな夜中に、ランプ一つだけ持って。何も持ってない俺が言えた義理じゃねえけど。

 そう尋ねられたタバサは少し考えるようにしてから、短く口を開いた。



「お祈り」


 お祈りか。

 また斜め上に予想外なかわいらしい答えがあったもんだ。



「お祈りって、何を?」


 と、気付いた時には止める間もなく、好奇心が口を動かしていた。

 こう言っちゃなんだが、タバサが祈る必要があるようなことってそう思い浮かばないんだが。



「母さまの健康祈願」



 なぬ。



「具合、悪いのか?」

「少し」


 好奇心が、先走ったことを少しばかり反省した。

 人に不幸を語らせるのは、あまり気持ちのいいことではないわけで。



「……早く、快よくなるといいな」



 そんなことぐらいしか言えない俺が少し恨めしかったが、タバサがこくりと頷いてくれたのは幸いだったと思う。


 顔を上げたタバサとの間に、なんとも言えない微妙な空気が流れる。

 ヘタなことを言うとまた地雷を踏んでしまいそうで、動くに動けないわけで。



 硬直を続ける俺たちだったが、そんな空気はタバサの何気ない一言で破られた。



「あなたは、どこから来たの?」


 なんとも唐突な話題ではある。

 あるが、タバサなりにさっきの気まずさをなんとかしようとした結果だろうからそこは気にしない。


 ちゃんと空気も砕けてくれたしな。



 で、この質問の場合はまあ普通に考えれば哲学的な意味じゃなく、どこの生まれかってことだろう。

 幸いにもそれはもう散々に訊きかれ慣れたことだったので、才人はさらっと答えることができた。



「魔法が無くて、代わりに科学って力のある、ずっと遠い国だよ」

「カガク?」


 それって何? と首を傾げるタバサ。

 前にルイズに同じことを聞かれた時は答えに窮きゅうしたが、今は丁度いい答え方を思いついている。



「こないだの『破壊の杖』みたいなものを作り出す力だよ。武器から日用品までな」


 タバサは、そう、と言いたそうな顔になってなにやら頷いている。

 どうやら、納得してくれうまくごまかせたらしい。


 やれやれ、と胸を撫で下ろしかけたところで、思わぬ方向から追撃が入った。



「貴族がいないというのは、本当?」


「え、あ、ああ。とっくに旧時代の遺物になっちまってるよ。少なくとも、俺の国はな」



 ちょっとどもっちまったけど、まあボロは出なかった……と、信じたい。

 実際、貴族の実態なんて現代日本人にわかる筈もねえし、こっち来るまではどういう生活してたのか想像したこともなかったわけだ。


 食事のマナーが意外にテキトーだったのにはガチ驚いたぜ。いや、上品に食べてる奴も中にはちゃんといたけど。



 しかし、なんだってそんなことを訊くんだ?

 タバサの微かな声が鼓膜を揺らしたのは、ちょうどそう言おうと口を開いたときだった。



「少し、羨ましい」


 そう聞こえた気がするのは、俺の聞き違いか、はたまた勘違いか。

 ちょっとばかり現実逃避に入りかけたが、少なくともいま目に映っている、少し眦まなじりと眉を落としたタバサの表情を見る限りでは、俺の耳がおかしくなったわけではなさそうだ。



「それって……」


 どういうことだ、とは続けることは出来なかった。

 言葉の途中でタバサは立ち上がり、「なんでもない」と呟いて、ドアをくぐってしまったから。



「おやすみなさい」


 すれ違いざまに、そう言い残して。





 俺はそれからしばらくの間、そのまま呆然と立ち尽くしていた……らしい。


 くしゃみをして正気にもどった頃には、蒼い月が既に地平の山に半分ほど沈んでしまっていた。

 体なんてめっきり冷え切っちまっている。

 これ以上冷やすと本格的に風邪を引いちまいそうだ。


 ブルリと身を震わせた俺は、ルイズの部屋へと早々に戻ることにした。



 一歩を下がってドアを閉めるまでの一瞬、隙間から見えた眩い夜空と朱い三日月が、なんだか寂しげに映った。











 さっきの言葉はどういうことだろうか。それに、あの表情は……。


 才人は部屋へと戻る道すがら、そればかりが気になっていた。



 タバサのあんな寂しげな声を聞いたのは、これが初めてだった。

 無論、眩しいものをみるような表情も。


 正直言って、当分は瞼の裏から消えそうになかった。



 まあ、俺の感想はどうでもいい。

 タバサの台詞の前後を追ってみると、俺の居た場所に貴族がいないことが羨ましい、というような意味合いになるわけなんだけど。


 これって、いったいどういうことだ?


 タバサは、貴族が嫌いなんだろうか?

 ……なんとなく思い当たる節はあるけど、そんな単純な理由だったら魔法学院こんなところにゃ居ないか。



 じゃあ、貴族になんかされたことがあるとか?

 ……これまたなんとなく予想がつくけど、それだってそのバカ個人を嫌えば充分だろう。貴族全体を嫌になるようなことにはならねえか。



 というか、なんかニュアンスが違う気がする。


 本当に貴族が嫌いなんだかどうかすら憶測だし、そもそも俺はタバサのことはよく知らない。

 俺が知ってるのは、何度も命を助けてくれた恩人ってことと、あと、根が優しい奴だってことぐらいか。


 ……そういう奴が、誰か個人のことでそのグループ全体を恨んだりするとは思えねえんだけど。

 だったら、羨ましいっていうのはいったい……、あれ?



 今、なんか頭ん中で引っかかったよ「ぶぐはッ!?」



 才人は、考え事に夢中になるあまり、うっかりルイズの部屋の前を通り過ぎていたらしい。


 で、そのまま歩き続けて、廊下の端の窓の角っこに顔から突っ込んだ、と。

 真性のドジっこ天性のヌケっぷりを遺憾なく発揮している才人であった。


 打ち付けた顔をさすり、後ろ、ルイズの部屋のドアの方を振り向いた。

 なんか見覚えのある、ルイズの部屋のドアに耳を張り付けた金髪の男子と目が合った。



 ……。


 ……。



 ……ってギーシュじゃねえか!



 ここであったが百年目ェッ!




「つかなにやってんだテメェはぁあああッ!?」

「ちょ、ちょっと待ちたまげぼはァッ!?」


 全力で拳を握り締め、ちょっと光ったルーンの力で無拍子に加速して、思いっきり地面を両足で踏み切って、なんか喚わめいてる不審な変態の顔面に、全体重を乗せたドロップキックを突き刺した。



 慣性を無視して頭から地面に倒れこんだ変態ギーシュの襟首を掴む。

 なんだなんだと廊下に出てきた貴族の方々へ“オキニナサラズ”とにっこり手を振ってお帰り願う。


 そして変態バカ一名様を引き摺って、ルイズの部屋のドアを開ける。



「おーいルイズ。あ、お姫さまも。
 なんか馬鹿が一人、部屋のドアに張り付いて立ち聞きしてやがりましたけど。
 どうしますよこいつ」


 唖然として出迎えてくれたルイズとお姫さまに、事情の報告をしておく。

 なんかルイズがこっちに杖向けてる辺り、警戒されまくってたみたいだ。


 いきなり蹴りや夜中に叫んだのはまずったか、と思ったとき、馬鹿が首を振って立ち上がった。



「あいたた……、い、いきなりなにをするか貴様――――ッ!」


 躊躇ためらい無く腹にヤクザキックをぶちこみ、くの字に体を折らせる。

 ありったけの恨みを込めて。



「やかましいわ覗き魔! テメエに腕折られたの忘れてねえんだよ、こちとらァッ!」


 そのまま倒れたギーシュを蹴り回す背後、ルイズとお姫さまの話し声が聞こえてきた。

「……どうします? 姫さま」

「そうね……、今の話を聞かれたのは、まずいわね……」

 何を話してたんだ、と才人が意識を逸らした隙を突いて、ギーシュが立ち上がった。



「姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けくださいますよう」

「へ?」



 お前は寝てろと蹴倒そうと片足を上げた状態で、才人が固まった。

 ちょっと待て、困難な任務ってなんだ?



「グラモン? あなたは、あのグラモン元帥の……」

「息子でございます、姫殿下」


 ギーシュが恭うやうやしく一礼をするのを横目に見ながら、才人は先ほどの問題発言について考えている。

 その、ってことはつまり、お姫さまがルイズに話したのも困難な任務とやらのことだろう。



「あなたも、わたくしの力になってくれるというの?」

「任務の一員に加えてくださるなら、これはもう、望外の幸せに存じます」


 熱っぽいギーシュの口調に、アンリエッタが頬を緩めた。



 "も"。


 "も"か。


 なら、ルイズはその任務を受けたってことだよな。



「ありがとう。お父さまも立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようですね。
 ではお願いしますわ。この不幸な姫をお助けください、ギーシュさん」


「はいっ!
 ……姫殿下が、ぼくの名前を呼んでくださった! 姫殿下が!
 トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこのぼくに微笑んでくださった!」


 感動のあまり失神したギーシュや冷や汗を流すお姫さまは一時放置して、才人はルイズにいやすぎる確信を確認してみた。



「なあ、ルイズ」

「なによ」


「どこへ何しに行くのかもしらねえんだが、やっぱ俺も行かなきゃダメか?」


「あんたはわたしの使い魔よね」

「そうですね」



「わたしが行くってのに、あんたが来ないでどうすんのよ。
 剣買ってあげたんだから、そんぐらいしなさいよね」

「ですよねー……」


 はあ、と諦めの溜め息をついて、事情の説明を求めることにする。

 流石になんも知らないままで任務に就けとかは無理だ。


 ちったあ事情を教えてくれと言ってはみたんだが、丁重に断られた。



 曰く、


「あんたが話の途中で勝手に出てったんじゃない。
 なんでわざわざわたしがあんたなんかの為に説明してやんなきゃなんないのよ。
 第一、あんたの仕事がわたしの護衛以外にあると思う?」


 だそうな。

 そりゃ確かにそうなんだけど、なんか納得いかないのはなんでだろうか。


 もう一度諦めの溜め息をつく俺を尻目に、ルイズは真剣な声でお姫さまに告げる。



「それでは明朝、アルビオンに向かって出発するといたします」


「よろしく頼みます。
 過日の情報によればウェールズ皇太子は、ニューカッスル周辺に陣を構えていると聞き及びます」

「承りました。
 以前、姉たちとアルビオンを旅したことがございますゆえ、地理には明るいかと存じます」


「旅は危険に満ちています。
 アルビオンの貴族たちは、あなたがたの目的を知れば、ありとあらゆる手段を用いて妨害しようとするでしょう」



 ……なんか色々よく分からない単語が出てきたな。


 アルビオン、ってのは多分行き先の名前だろう。

 お姫さまの表現からすると、国か?


 その国のウェールズっていう……、コウタイシって皇太子? 王子さまか。……に、会いに行くのが目的と。


 ニューカッスルはなんだろうな。

 城か街か、それともなんかの地名か。


 ジンを構えて、ってのは更によくわからないんだが。

 ジンってなんだ?



 そうこう考えている内に、お姫さまは机に座り、ルイズの羽ペンと羊皮紙を使ってさらさらと手紙をしたためていた。

 すすすっと滑らかに筆を進めていたお姫さまだったが、紙の最後の方に手がかかった辺りで、ぴたりと動きを止めた。



 そのまま何秒か待っても、動かない。

 訝いぶかしんだルイズが声を掛ける。



「姫さま? どうなさいました?」


「な、なんでもありません」


 そう言って首を振るお姫さまの顔は、どう見ても大丈夫そうには見えない悲しげなもので、それでいて妙に赤かった。


 それからまた何秒か考え込むように宙を眺めていたお姫さまだったが、不意に一頷きしてなにやら一行ほど書き加えた。

 ぼそぼそと何事か呟いていたようにも見えたが、俺の耳では何を呟いたかまでは分からなかった。


 お姫さまの隣に立っているルイズは何か聞こえたのか、沈痛といってよさそうな目でお姫さまを見つめている。


 己で書いた密書を検あらため問題が無いことを確認したお姫さまが、くるりとそれを巻いて杖を軽く振った。

 蝋ろうが一雫……むしろ一塊ほど密書の継ぎ目に貼りつき、そこにお姫さまの手で紋章っぽい跡の判子が押された。


 花押かおうだっけ?


 ともかくそうして完璧に包装された密書が、ルイズに手渡される。



「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」


 それからお姫さまは右手薬指から指輪を外して、それもルイズに手渡した。

 中心にはめられた一際目を引く大振りの青い石は、サファイアだろうか?



「母から頂いた『水のルビー』です。危険に赴くあなたがたへの、せめてものお守りです。
 お金が心配になったら、売り払って旅の資金に充ててください」


 ありゃ、ルビーだったのか。

 ルビーって赤いのだけじゃなかったんだな。


 ルイズは、深々と頭を下げている。



「この任務にはトリステインの未来が掛かっています。
 母の指輪が、アルビオンに吹く猛き風からあなたがたをお守りくださいますように」


 お姫さまはそう言って、俺のほうを……、え?


 何故か、お姫さまが俺の方を見つめている。

 タバサとはまた違う、穏やかで柔らかな、南の海の淡い水色の瞳が色濃く光っている。

 気まずく少し逸らした目に映る栗色の髪は、肩の上でさらりと泳いでいた。

 思わず引き込まれそうなほどに美しい。



 っていうか、なんで俺は見つめられているのかと問いたい。

 あの、と声を出そうとした出鼻を、明るいその声に挫くじかれた。



「頼もしい使い魔さん」

「へ? あ、俺?」


 頼もしい、と形容されたのは、実のところこれが始めてである。


 いや、キュルケに言われたことが……、無かったなぁ、そういえば。

 まあそんなわけで、俺はちょっと嬉しくなった。



 ルイズが冷たい視線でこっちを見つめてる気がするが気にしたら負けだ。

 気にしなかったところで、何かに勝てるわけでもないけどな。


 そうこう脱線した思考を展開していたら、お姫さまが左手を差し出してきた。



「わたくしの大事なおともだちを、これからもよろしくお願いしますわね」


 だそうですが。

 この左手は一体なんでしょうかお姫さま。


 握手、にしては掌が地面に向けられているし。

 ……あれ、なんかこういうシーンをなんかの漫画で見たような気がするんだが。

 なんのボディランゲージでしたっけか。


 教えてってか助けてご主人、とルイズの方に顔を向けたら、目がひん剥かれててびびった。


 その顔は怖いぞ、いくらなんでも。



「いけません、姫さま! そんな、使い魔にお手を許すなんて!」


 そうルイズが叫ぶ。

 お手を許す。

 そういや、そんな呼び方されてた気がするなぁ。

 相変わらずどうやるんだったか思い出せねえけど。



「いいのですよ。この方はわたくしのために働いてくださるのですから。
 忠誠には、報いるところがなければなりません」

「はぁ……」


 ……まあ、要するに人間扱いしてくれている、ってことでいいのかこれ?

 ああ、そう言われてみればなんだか女王と騎士の会話シーンで似たようなことやってたな。


 思い出したことは思い出したんだが……、本当にこれであってんのかね。

 人間扱いしてくれてる人に間違った礼は返したくねえし……、しゃあねえか。



「なあルイズ」

「あによ」



「それで俺は、この手をいったいどうすりゃいいんだ?」



 いやそこで、は? と固まられても困るんだが。

 だから俺はそういうのわからねえんだってば。



「ああ、そういえばあんた平民なんだっけ……。――そうよね、平民なのよね!」


 二回言うな。


 っていうか、なんか昨夜ゆうべから色々とオカシくないかこいつ。

 具体的にはテンションとか、正気とか。


 しきりに頷くルイズをやや呆れ気味に眺めてたら、ようやくいつものように得意げに指を立てて、ルイズが喋りだした。

 ……ルイズはこうでないと落ち着かない、なんてのは妄言だろうか?



「それじゃ、まずその手を片手で取りなさいな、犬」


 だれが犬か。


 是非とも反論したいところだったが、流石にこれ以上お姫さまを待たせちまうのも失礼だ。

 礼を済ませた後でたっぷりと反論してやろう、と思いながら。


 なんとなく礼してる間に忘れそうだけど心底どうでもいい。

 手がやわっこくて気持ちいい。タバサの手もあったかくて柔らかかったけど、それともまた違った柔らかさだ。


 タバサのはしなやかで、お姫さまのは純粋に柔らかい。

 てーか、ほよほよしてr



「なにニヤケてんのよこの犬は。ほれ次、さっさと跪ひざまずく」


 だから犬って言うな。


 なんか機嫌の悪いルイズに頭を押さえつけられて、強引に足を崩された。

 両足の膝がついちまってんだが、いいのかこれ。



「いいワケないでしょうが犬。片足はちゃんと立てなさい」


 お前がやったんだろうが!

 いや、平常心平常心。


 い、犬なんかじゃないんだからね!


 ――平常心だ。壊れんな才人おれ。

 片足だけを立てなおして、正面にある手の甲を見つめる。


 なにやら、変わった手袋だ。

 中指だけで引っ掛けていて、指は完全に剥きだしになっている。



 で、ここに俺はどうすりゃいいんだ?

 いや、ここまで来たらもう後はだいたいわかるんだけどな。


 念のためだ、念のため。

 所詮は漫画の知識だし。



「はい、それじゃその手にキスしなさい」


 漫画の知識でよかったらしい。


 言われたとおり、その手にキスをする。

 微妙に外して中指の一番長いとこにしちまったが、まあいいだろ。



「よろしい。あとは、後ろへ下がるように立ち上がって、終わりよ」


 そうか。

 意外とやってみたら楽しいもんだな、こういう作法って。


 そう思いながら立ち上がって。



 素肌にキスされたのが恥ずかしかったのか、妙に顔を赤くしたお姫さまと。

 そのお姫さまを見てまた冷たくなった視線で俺を見つめているルイズの姿が、非常に印象的でした。



 
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