fate/vacant zero
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駆け抜ける街道
白み始めた空と朝靄もやの中、才人は学院から借りた馬に鞍くらをつけていた。
背中にデルフリンガーを背負しょっているので、ルーン発動してない状態だと結構負担はかかっているのだが、そこは一応才人も男であるからして、けして顔には出さない。
意地ともいう。
ちなみに何故腰に差さないかと言うと、デルフリンガーが長すぎて一々地面にがつごつと当たってしまうのだ。
奇くしくも、以前に武器屋の親父から言われたとおりの形になったわけである。
傍ではルイズとギーシュが、同じように馬に鞍をつけている。
ギーシュはいつも通りのフリルシャツとズボン姿。
ルイズもいつもの制服姿だったが、前回王都トリスタニアまで遠乗りした時とは違って乗馬用のブーツを履いていた。
アルビオンとやらまでは、ここからどれぐらいかかるんだろうか?
俺は乗馬はこれが二回目で、かつ前回の距離ですら腰をイカレさした実績がある。
いったい今度はどこまで乗っていなければいけないのか、正直聞きたくもなければ考えたくもない。
聞いたところで何かが変わるわけでもないのだし、聞かないほうが絶望しないだけマシだろう。多分。
はぁ、と雰囲気を暗くしながら出発の準備を整えていると、ギーシュが困ったように言った。
「お願いがあるんだが……」
「なんだよ?」
鞍に荷物を括くくりつけながら、ギーシュを半眼で見やる。
昨夜さんざ蹴たぐってやったから多少は気が晴れたとはいえ、それでも親しくしてやるつもりにはなれない。
礼には礼を、挑発には挑発を、傷には傷を、っていうことだ。
右手砕かれた分があれで返せたとは思わない。
元々俺がぶん殴ったのが原因なんじゃ、なんて反論はもちろん受け付けない。
「ぼくの使い魔を連れて行きたいんだ」
「好きに連れてきゃいいじゃねえか。
……って、お前にも使い魔いたのか?」
「いるさ。当たり前だろ?」
そりゃそうか。
しかし、こいつの使い魔ってどんなヤツなんだろ。
こいつは気に食わんが、こいつの使い魔には興味がある。
「それで、そいつはどこにいるんだ?」
「ここにいるよ」
どれ、と辺りを見回してみるが、それらしき生き物は何も見当たらない。
「いないじゃないの」
隣で同じようにきょろきょろと首を回していたルイズが、乗馬鞭を片手に澄まして言った。
ギーシュはにやりと笑い、足で地面をとんとんと叩く。
するとギーシュの正面の地面がもこもこと盛り上がり、青色でトゲトゲしたなんかでっかいのが、土を跳ね飛ばして顔を出した。
すさっ! と膝をついたギーシュが、すかさずその生き物を抱きしめた。
「ヴェルダンデ! ああ! ぼくの可愛いヴェルダンデ!」
「なにそれ?」
その生き物は頭から尻尾の先まで、短い四肢に至るまでが綺麗に黄土色だった。
腹側は。
腹側の色がそんな感じなので、背中側、ハリネズミみたいに細く長く尖とがった青色の体毛が実に目立っている。
「なにそれ、などと言ってもらっては困る。大いに困る。
ぼくの可愛い使い魔、ヴェルダンデだ」
「あんたの使い魔って、モールベアだったの?」
モールベア?
「まあ平たく言えば、でっかいモグラよ」
へえ、これがモグラか。
そういえば実物を見たのってこれが始めてだな。
モグラってこういう格好してるんだな。
なんか熊みたいにデカいけど。面白い、かもしれん。
「そうだ。ああヴェルダンデ、きみはいつ見ても可愛いね。困ってしまうね。
蚯蚓ワームはたくさん摂れたかい?」
ふんふんと嬉しそうに、もーるべあ?が鼻をひくつかせている。
「そうか、そりゃよかった!」
ギーシュはそんなモールベアにご満悦のようだ。頬ずりしている。
なんというかその姿を見ていると、正直なんでこんなのを恨んでいたのかと、バカバカしくなってくる。
「お前、実は言うほどモテねえだろ」
そんな風に負け惜しみみたいな台詞が飛び出してしまうくらいには。
なんだかなぁ、ともやもやを抱えていると、ルイズが困ったようにギーシュに言った。
「そんなの、連れて行けないわよ。わたしたち、馬で行くのよ?」
「大丈夫さ。結構、地面を掘って進むのって速いんだよ?
なあ、ヴェルダンデ」
モールベアがうんうんと頷いている。
「そういうことじゃなくって……、あのね。
わたしたち、これからアルビオンに行くのよ?
地面を掘って進む生き物を連れて行くなんて、無理に決まってるじゃないの」
ルイズがそういうと、ギーシュは大げさにのけぞった。
擬音で言うなら、「がーん」だろう。
……こいつも見てておもしれえな、リアクション。ギトー先生系か。
好奇の目でそのまま見ていたら、膝を着いてorzな体勢になった。
まさかリアルで見れるとはおもわな……、あ、アンテナのヤツが何度かやってたの見たことあったな。
「お別れなんて、辛い、辛すぎるよ……、ヴェルダンデ……」
モールベアが、ぽむぽむとギーシュの肩を短い手で叩いている。
……どっちが主人なんだか。
とそのとき、不意にモールベアが鼻をひくつかせた。
くるりとルイズに向き直り、くんかくんかとにじり寄って行く。
なんだなんだ?
「な、なによこのモグラ」
じりじりと距離を詰めるモールベア。
「主人に似て女好きなんかな」
「まさか。ヴェルダンデは女の子だよ?」
いつの間にか復活していたギーシュが真横から独り言にツッコミを入れてきた。
やっぱ芸人体質だろ、お前。
「ちょ、ちょっと! こら、どこ触ってるのよ!」
ギーシュに気を取られていたら、いつのまにかモールベアはルイズを押し倒して体を鼻でつつきまわしていた。
ルイズはスカートを乱し、派手にパンツをさらけだしてのたうちまわっている。
うむ。
「モグラと戯たわむれる美少女ってのは、なんとも官能的だな」
「その通りだな」
眼福眼福、と俺はギーシュと頷きあった。
妙なシンパシーが生まれた気がする。
どんな世界でも、エロネタはオトコノコ共通の話題だということか。
なるほど!
「バカなこといってないで助けなさいよ! ってきゃあ!?」
モールベアはルイズの右手に目当ての物を見つけたのか、そこに鼻を摺り寄せていく。
「この、無礼なモグラね! 姫さまに頂いた指輪に鼻をくっつけないで!」
それを聞いたギーシュが、一頷きした。
「なるほど、指輪か。ヴェルダンデは宝石が大好きだからね」
「イヤなモグラだな」
「イヤとか言わないでくれたまえ。
ヴェルダンデは貴重な鉱石や宝石を僕のために見つけてきてくれるんだ。
『土』系統のメイジのぼくにとって、この上ないほど素敵な協力者なのさ」
なるほどねぇ、と頷いていたら。
唐突に、モールベアが吹っ飛んだ。
それに伴って、辺りに拡がる朝靄もやが、何かに揺らされていくのを、才人は肌で感じ取った。
Fate/vacant Zero
第十三章 駆け抜ける街道
「誰だッ!」
ギーシュが激昂してそうわめくと、朝靄もやの向こうから、羽帽子をかぶった長身の貴族が一人、こちらへ向かって歩いてきた。
昨日の昼のなんとなくイヤな思い出と一緒に、それが誰だったかを思い出す。
こいつは、確か……。
「貴様、ぼくのヴェルダンデになにをするんだ!」
と、そこでギーシュがさっと薔薇の造花、杖を掲げた。
否いや、掲げようとした。
それより一瞬早く杖を引き抜いた羽帽子の貴族が、見えない何かで造花を弾き飛ばし、模造の花びらを宙に散らした。
今のは……、『風』、か?
さっと慣れた手つきで杖を腰に納めると、そいつは口を開いた。
「僕は敵じゃない」
と。
今の行動のどの辺りが敵じゃないのかと胡散臭そうに見ていたら、苦笑しながら言葉を続けられた。
……なんかむかつくのはなんでだ?
「姫殿下より、きみたちに同行することを命じられてね。
どうも姫殿下は、きみたちだけではやはり心許無こころもとないらしい。
かといってお忍びの任務に一部隊つけるわけにもいかぬ。そこで僕が指名されたというワケだ」
長身の貴族は帽子を取ると、優雅に一礼しやがった。
「女王陛下の魔法衛士隊、獅鷲グリフォン隊隊長のワルドだ」
ソレを聞いた、隣で憤慨していたギーシュが、相手が悪いと悟ったのか意気消沈して項垂うなだれた。
ワルドはそんなギーシュの様子を見て、謝ってきた。
「すまない。婚約者がモールベアに襲われているのを、見てみぬ振りはできなくてね」
なるほど、そりゃ仕方ないか。
そう納得しかけて、思考がフリーズした。
いま、こいつは、なんといった?
コンヤクシャ?
「ワルドさま……」
立ち上がったルイズが、震える声で言った。
婚約者?
「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」
僕の、と来たか!
つまり婚約者ってフィアンセ!?
って当たり前だ落ち着け俺! 壊れんなゴメンムリ言った俺。
そうして俺が壊れている内に、ワルドは人懐っこい笑みを浮かべてルイズを抱え上げていた。
ルイズは頬を染め、大人しくワルドに抱きかかえられている。
「お久しぶりでございます」
「相変わらず軽いなきみは! まるで羽のようだね!」
「……お恥ずかしいですわ」
いかん、なんか砂糖吐きそうだ。
あめぇ。
なんだこの空気。
なに、あのルイズの目。
すげえ潤んでる。なにあれ。
ざーっ、と砂糖を吐く真似というかフリをしていたら、ワルドがルイズを地面に降ろして、気まずげにこっちを振り向いた。
今さら帽子を目深にかぶりなおしてもおせえ。
「彼らを、紹介してくれないか?」
「あ、あの……、ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のサイトです」
ルイズは俺たちを交互に指差して言った。
ギーシュが深々と頭を下げるのを横目に見ながら、俺も軽く頭を下げる。
「きみがルイズの使い魔かい? まさか、人とは思わなかったな」
ワルドが、気さくにこっちへ近寄ってきた。
……ていうか、そういえばなんで俺はこんなにムカついてるんだ?
ルイズが誰の婚約者だったって、俺に関係なんかねぇだろうに。
はて、と首を捻っていると、ワルドが声をかけてきた。
「僕の婚約者がお世話になっているね」
「はぁ、そりゃどうも」
なんとなく、上から下まで眺め回してみる。
なんというか、一言感想を言うなら、こいつはかっこいい。
ギーシュとは違う意味で、ああ、こいつかっこいい。
フェロモンとでもいうか、落ち着いた感じというかアレだ、風格が離れていても漂ってくる。
鋭い目は鷹たかの様に光って、形のいい口ひげは男らしさを強調している。
何より、体つきが非常に逞たくましい。
魔法使いはギーシュみたくひょろひょろなヤツばかりかと思っていたが、そういうワケではないようだ。
正直、こいつとケンカしたら二秒ぐらいで捻ヒネられる自信がある。
んな自信いらねえけどさ。
勝てねえ、と本能で悟ってため息をついたら、ワルドはにっこりと笑ってぽんぽんと肩を叩いてきた。
「どうした? もしかして、アルビオンに行くのが怖いのかい?
なあに、何も怖いことなんかあるもんか!
君はあの『土塊』を捕まえたんだろう?
その勇気があれば、なんだって出来るさ!」
あっはっは、と豪傑的に笑うワルドに、なんだか悔しくなってしまった。
いかん、こいついいヤツだ。
これだけ勝てそうなところが何も見つからないと、どうも気分が萎なえてしまう。
ストレートに言うなら、自信無くすなぁ、ってことだ。
溜め息が止まらない。
ルイズはこいつと結婚するのか。
うん、似合いなんじゃねえかなぁ。
ははは。はぁ。
そのルイズの方を見てみれば、ワルドが現れてからというもの、ずっとそわそわしどおしだった。
はぁ、と顔を馬の方に向ける。
隣から、ぴーっ、と音がした。
ワルドの口笛のようだ。
それに合わせて、馬の向こう、朝靄もやの中から、鳥の頭と翼に、羽毛の生えた上半身、白い猫っぽい下半身という、キメラみたいな獣が現れた。
どうやら、こいつがさっき言ってた獅鷲グリフォンらしい。
すっげえな。
しかし、好奇心は刺激されたのに、いつもほどの元気が出てこないのはどういうことだろうね。
はぁ。
ワルドは、呼び寄せたそいつにひらりと跨ると、ルイズに手招きした。
「おいで、ルイズ」
ルイズはちょっと躊躇ためらうようにして、俯うつむいた。
なんか激しく恋する少女に見えてGJグッジョブだ。
GJだが、何故にこう腹が立つのか。
ていうかおいでってなんだ。
キザか。コイツもキザなのか。
貴族はこんなんばっかりか。
はぁぁ、と今までで一番長い溜め息を吐いて、黙ったまま自分の馬に跨った。
ギーシュも、自分の馬に跨ったのが見えた。
モールベアも丸まって、穴を掘る体勢になって……る、のかあれは?
青い針玉にしか見えないんだが。アルマジロかこやつ。
ルイズはしばらくもじもじしていたが、ワルドに抱きかかえられて、獅鷲グリフォンに跨った。
そのまま、獅鷲グリフォンが駆け出した。
ギーシュが感動した面持ちでそれに続く。
モールベアもその場で回り始め、地面へと潜っていった。
土を派手にばら撒きながら。
それらを見やりながら、俺もこの憂鬱な旅路を逝くべく、肩を落として後に続いた。
靄もやがかった空を見ながら、ぼんやりと考える。
アルビオンとやらは、いったいどんぐらい離れてんだかね、と。
アンリエッタは、そんな彼らを学院長室の窓から見つめていた。
瞼まぶたを下ろし、手を胸の前に組んで祈る。
「彼女たちに、加護をお与えください。始祖ブリミルよ……」
そんな彼女を、鼻毛を抜きながら見ている老人が一人。
アンリエッタはその老人、オスマン老に向き直って尋ねる。
「見送らないのですか? オールド・オスマン」
「ほっほ、姫、見てのとおり、この老いぼれは鼻毛を抜いておりますでな」
だめだこれは、と首を振るアンリエッタ。
そのとき、扉がどんどんと強く叩かれた。
「入りなさい」
オスマン老がそう呟くと、慌てた様子のミスタ・コルベールが部屋に飛び込んできた。
「いいいい、一大事ですぞ! オールド・オスマン!」
「きみはいつでも一大事ではないか。どうもきみはあわてんぼでいかん」
「そりゃ一大事の時しかここに来てないからです!
ってそうじゃありません! 城からの急報です!
チェルノボーグの牢獄から、フーケが脱獄したと!」
「なにげにひどいこと言うのう、君……」
オスマン老が口ひげを弄りながら唸るが、コルベールはそれを無視した。
話が進まないからだ。
「門番の話によれば、さる貴族を名乗る怪しい人物に『風』の魔法で気絶させられたそうです!
魔法衛士隊が王女のお供で出払っている隙に、脱獄の手引きをした者がおるのですぞ!
城下に裏切り者がおるのです!
これが一大事でなくてなんだというのですか!」
アンリエッタの顔が、気の毒なくらい蒼白になった。
「わかったわかった。その件については、後で聞こうではないか」
オスマン老はそう言うと、コルベールに手を振って退室を促した。
ばたりとドアが音を立ててコルベールが退室すると、アンリエッタは机に手をつき、溜め息をついた。
「城下に、裏切り者が?
……間違いありません。アルビオン貴族の暗躍ですわ!」
「そうかもしれませんな。あいだっ!」
オスマン老は、どうやら鼻毛を抜き損ねたらしい。
そんな様子を、アンリエッタは呆れ顔で見つめた。
「トリステインの未来がかかっているのですよ。なぜ、そのような余裕の態度を……」
「なに、既に杖は振られているのです。我々には待つことしか出来ない。
そんな時は、慌てれば慌てるだけ部下は不安になる。違いますかな?」
「確かに、そうですが……」
どこか不満顔のアンリエッタに、オスマン老は続けた。
「それに彼ならば、道中どんな困難があろうとも、必ずやり遂げてくれますでな」
「彼、とは? あのグラモン家の子弟が? それとも、ワルド子爵が?」
そのどちらでもないと、オスマン老が首を横に振る。
「ならば、あのルイズの使い魔の少年が?
まさか! 彼は、ただの平民ではありませんか!」
そういうアンリエッタに、にやり、とオスマン老は悪戯小僧のように笑ってみせた。
「姫は始祖ブリミルの伝説をご存知かな?」
「通り一遍のことなら知っていますが……」
「ではその使い魔の件くだりはご存知か?」
「始祖ブリミルの用いた、最強の使い魔たちのことですか?
――まさか、彼がそうであると?」
そこまで喋って、ようやくオスマン老は自分がマズイところまで喋ってしまったことに気付いた。
アンリエッタが信用できないわけではないが、王室のものに『ガンダールヴ』の再誕を話すのはまだ早すぎる、と。
「おほん。
とにかく彼は、かの使い魔なみに使えると、そういうことです。
ただ、彼は異世界より訪れた少年でして」
「イセカイ、ですか?」
アンリエッタは、唐突に飛んだ話題についてこれていないようだ。
今の内にたたみかけて誤魔化そう、とオスマン老は目論んだ。
「そうですじゃ。
この世界ハルケギニアではない、どこか。
そこからやってきた彼には、何かをやり遂げることが出来る、不思議な……、そう、魅力とでもいうようなものがあると、この老いぼれは信じておりますでな。
余裕の態度も、そのお蔭によるものが大きいのですじゃ」
「そのような世界があるのですか……」
うまく誤魔化せた、と内心で額の汗を拭いているオスマン老をよそに、アンリエッタは己の左手を見つめた。
その少年の唇の感触が、まだそこに残っている。
アンリエッタは片手でその指をなぞり目を瞑ると、一転して顔を綻ほころばせた。
「ならば祈りましょう。異世界から、吹く風に」
さて、魔法学院を出発してかれこれ六時間が経つ。
この間、ワルドは獅鷲グリフォンを疾駆させっぱなしだった。
才人たちは二回ほど、途中の駅で馬を交換したのだが、ワルドの獅鷲グリフォンは疲れの片鱗すら見せずに走り続けている。
なんというか、乗り手に似て素晴らしくタフなヤツだった。
「ちょっと、ペースが速いんじゃない?」
抱かれるような格好でワルドの前で跨っているルイズが、後ろを振り向きながら言った。
雑談を交わすうち、ルイズの喋り方は過去むかしのような丁寧なものから、現在いまの口調へと変わっていた。
まあ、主にワルドがそうしてくれと頼んだせいではある。
「ギーシュもサイトも、へばっちゃってるわ」
そう言われて、ワルドは後ろを向いた。
二人は、首に倒れこむような格好で馬にしがみついている。
確かに、今度は馬より先に、二人が参ってしまいそうだった。
「ラ・ロシェールまで、出来れば止まらずに抜けたいんだが……」
「無茶よ。普通は馬で二日かかる距離なのよ?」
「へばったら、置いていけばいい」
「そういうわけにはいかないわよ」
ワルドが、少し怪訝けげんな顔になった。
「どうして?」
「どうして、って……」
今度はルイズが、少し困った顔になった。
「だって、仲間じゃない。それに、使い魔を置いていくなんて貴族メイジのすることじゃないわ」
「やけにあの二人の肩を持つね。どちらかがきみの恋人かい?」
ワルドは、笑いながら言った。
ルイズの眉が、一気に吊り上がり、顔が赤く染まる。
多分、怒りで。
「まさか! 恋人なんかじゃないわよ!」
「そうか、それはよかった。婚約者に恋人がいる、なんて聞いたらショックで死んでしまうからね」
笑いながら言うワルドに、なんだかルイズは恥ずかしくなってしまった。
照れ隠しが、半ば反射的に口から出てしまう。
「お、親が決めたことじゃない」
「おや? ルイズ! 僕の小さなルイズ! きみは僕のことが嫌いになったのかい?」
昔と同じ、夢で見たように、おどけた口調でワルドがそう言った。
「もう、小さくないもん。失礼ね」
ルイズは頬を膨らませた。
ちょっと口の端が笑っているように歪ゆがんでいる辺り、たぶん楽しんでいるんだろう。
「僕にとっては、まだまだ小さな女の子だよ」
ルイズは、ここまでの道中で、先日の夢を思い出していた。
生まれ故郷、ラ・ヴァリエールの屋敷の中庭。
忘れ去られた池の、小さな小船……。
ワルドは、幼い頃そこで拗すねていると、いつも迎えにきてくれていた。
親が決めた縁談、幼い日の約束、婚約者。
あの頃は、その意味がよくわからなかった。
ただ、憧れの人とずっと一緒に居られることだと教えてもらって、なんとなく嬉しかったことは覚えてる。
今は、その意味もよくわかってる。
結婚、するのだ。
「嫌なわけ、ないじゃない」
少し照れたように、ルイズは言った。
「よかった。じゃあ、僕は好きかい?」
ワルドは手綱を握った手で、ルイズの肩を抱いた。
「僕は、ずっときみのことを忘れたことはなかったよ。
覚えているかい? 僕の父が、ランスの会戦で戦死して……」
ルイズは、こくんと頷いた。それを受けたワルドが、思い出すようにしてゆっくりと語りだす。
「母もとうに死んでいたから、爵位と領地を相続して。それからすぐに、僕は街へ出た。
立派な貴族になりたくてね。陛下は戦死した父のことをよく覚えていてくれたんだ。
だからすぐに魔法衛士隊にも入隊できた。
……当然ながら、初めは見習いからでね。ずいぶん苦労したよ」
「ワルドの領地には、ほとんど帰ってこなかったものね」
ルイズは、懐かしむように目を閉じた。
……あの頃、ワルドが来なくなってしばらくの間は、ずいぶん塞いでいたように思う。
誰もあまり庇ってはくれなくなって、必死に勉強して……。
「軍務が忙しくてね。おかげで、未だに屋敷と領地は執事のジャン爺に任せっぱなしさ。
僕は一生懸命奉公して、出世してきたよ。なにせ、家を出るときに決めたからね」
「なにを?」
「立派な貴族になって、きみを迎えにいくってね」
そう言って笑うワルドに、少し動揺した。
「ねえ、ワルド。あなた、モテるでしょう?
なにも、わたしみたいなちっぽけな婚約者なんか相手にしなくたって……」
正直、ワルドのことは過日に夢を見るまで忘れていたのだ。
ルイズにとってのワルドは、現実の婚約者というよりも、遠い想い出の憧あこがれの人だった。
自分と結婚していらぬ風評をつけてしまうよりは、もっといい人を探して、幸せになって欲しい。
高みへと足掻くワルドを、わたしでは支えてあげられないのだと、そうルイズは思っていた。
己の才能の無さが、そんな想いに拍車をかけていた。
だから、婚約だってとうに反故ほごになったと思っていたのだ。
戯たわむれに二人の父が交わした、宛てのない約束だと、そのぐらいにしか思っていなかった。
十年前以来、ワルドにはほとんど会うことも無かったから、その記憶も遠く離れてしまっていた。
昨日ワルドを見かけたときにルイズが激しく動揺したのは、そのためだった。
想い出が突然、実体になって現れてしまい、どうしていいかわからなくなったのである。
「この旅は、いい機会だ。一緒に旅を続けていれば、またあの懐かしい気持ちになるさ」
ワルドは落ち着いた声でそう言ったが……、自分は、本当にワルドのことが、好きなのだろうか?
勿論、想い出の中では嫌いではなく、確かに憧れだった。
好き、であったとも思う。それは間違いがない。
でも、今は?
突然現れて、いきなり婚約者だの結婚だのと言われても、どうすればいいのかなんてわからない。
ルイズは、離れていた時間が、とても大きなものであるように感じていた。
「もう四半日以上、走りっぱなしだ。
どうなってるんだ。魔法衛士隊の連中は化け物か?」
ぐったりと馬に体を預けていると、隣を逝くギーシュが声を掛けてきた。
同じように、馬の首にぐったりと上半身を預けている。
「知らん。俺に聞くな」
返事をするのももはやかったるい。
おまけになんでか知らんが、ワルドがルイズに妙に密着しているのが、やけに気に障った。
あ、肩抱きやがった。
蓄瘴ちくしょう、二人して平気な顔していちゃつきよってからに。
こちとら腰どころか全身痛くて敵わねえってのに。
せめて見えねえ様にやりやがれってんだ。
ぶす、っと顔をギーシュの方に逸らすと、ニヤニヤした顔が目に映った。
「く、くく。もしかして、きみ……、妬いてるのかい?」
「あん? そりゃ、どーいう意味だよ?」
「そのままの意味に決まってるだろう? もしかして図星かい?」
ニヤニヤがいっそう濃くなった。
「黙ってろ、鬱陶うっとうしい」
「く、くくく。ご主人様に、叶わぬ恋でも抱いたのかい?
いやはや! 悪いことはいわないよ。身分の違う恋は不幸の元だぞ?
しかし、君も哀れだな!」
「ちげえよ。なんだってあんな性格最悪なヤツを。俺が好きなのはな……」
……ん?
俺が好きなのは……その後、なんて繋ぐんだ?
はて? と体を預けたまま首を傾げていると、いつの間にか前を向いたギーシュが驚いた声をあげた。
「あ、キスしてる」
なぬ!?
ばっ、と前を向いた。
目を凝らしてみたが、二人はキスなんぞしていない。
ぷーっくすくすくすと声がしたのでそちらを見ると、ギーシュが笑いをこらえていた。
軋む上半身を無理やり起こし、馬を少し加速させてやった。
慌てた様子でついてきたギーシュを見やり、ざまぁ、と思いながら再び馬の背に倒れこんだ。
馬を幾度となく替えて飛ばしてきたお蔭で、なんとか日が変わる前にはラ・ロシェールの入り口に着いた。
と、ワルドは告げたんだが。
左を見ても、右を見ても、前を見ても、どっからどうみてもここは山道だ。
港町、っていうからには海が近くないと変なんじゃねえかと思うんだが。
この山の向こうが海、なんだろうか?
そう思ってしばらくの間、険しい岩山を縫うように進んでたんだが。
遠く道の向こう、崖に挟まれるように佇む、岩から削りだしたみたいな街の灯りを見る限り、それは無さそうだった。
「なんで港町なのに山なんだよ?」
「きみは、アルビオンを知らないのか?」
独り言のつもりだったんだが、間髪入れずにギーシュが呆れた声で返事してきた。
なんか、この道中ですっかり馴染んじまったなぁ、このやりとり。
「知らねえよ」
「まさか!」
ギーシュは一笑にふしたが、笑い事じゃないんだよな。
「ここの常識を、俺の常識と思ってもらっちゃ困るぞ」
そう言った時だった。
突然、崖の上からこっちに目掛けて、火の点いた松明たいまつが何本も投げ込まれた。
地面からの灯りに、俺たちの姿が照らし出される。
って冷静に見てる場合じゃねえ!
「なんだ!?」
乗っていた馬がいきなり前足を高々と振り上げ、その拍子に体が地面へと投げ出される。
ギーシュも放り出されたらしく、隣に落ちてきた。
その音に紛れて、ひゅひゅっという風を切るような音が聞こえた。
「奇襲だ!」
ギーシュが喚いたとたん、カッと軽い音を響かせて矢が爪先から4センチぐらい離れたところに一本突き刺さったのが見えた。
早速かよ! とデルフを掴むが、引き抜く前に第二陣が飛んできた。
無数の矢が、こちらに向かって飛んでくる。
デルフで捌ききれるかどうかはわからねえが、やるしかない!
そう思い、デルフを引き抜き……、風が動き、正面の空気が歪み、小さな旋つむじ風が現れた。
ソレはこちらへと飛んできた矢を巻き込むと、ことごとく明後日の方向へと弾き飛ばしていく。
後ろを見やれば、獅鷲グリフォンに跨ったワルドが杖を掲げている。
今の竜巻モドキは、こいつの魔法らしい。
「大丈夫か!」
ワルドの声が、こちらに飛んできた。
「だ、大丈夫です……」
助けられた、という情けなさが膨らんでいき、劣等感をさらに煽ってくれた。
そのせいか、体がくたくたになっていることを少し思い出させられた。
デルフを掴んでいるから、ちっとは疲労も軽減されてるんだけどな。
「相棒、寂しかったぜ……。鞘に入れっぱなしはひでぇや」
当のデルフは、なんかそんな風にぼやいてるけどな。
「そんなに言うなら、鞘取っ払っちまうか?」
「そうしてくれ、是非」
そんな風に相槌を入れてやりながら崖の方を見つめたが、第三陣がいくら待っても飛んでこない。
「夜盗か山賊の類たぐいか?」
「もしかしたら、アルビオンの貴族の仕業かも……」
「だが貴族なら、弓は使わんだろう」
ワルドとルイズのそんな推測に満ちた会話や獅鷲グリフォンの唸り声に紛れて、なんだか聞き覚えのある音が聞こえた気がした。
こう、ばっさばっさと。
段々その音が大きくなってきて、思わずルイズやワルドと顔を見合わせた。
なんか、ごく最近聞いた気がする音だ。でっかい羽音。
それにかき消されるように聞こえる濁だみ声の群れは、崖の上から響いてきていて。
なんだあれは、とか聞こえたような気がする。
ひゅひゅひゅひゅ、と矢の風切り音も聞こえる。
こちらには飛んできていないので、狙いは多分羽音の主だろう。
音が止んですぐ、今度は崖の上に竜巻みたいなものが見えた。
あと、空を舞う男たちも。
「おや、『風』の魔法じゃないか」
そうワルドが呟く。
『風』の魔法を使って、ばっさばっさと音を立てるような生き物を連れてる"味方"。
そんな奴、俺は一人しか知らない。
がらんごろんと弓を持った男たちが崖から転がり落ちるのも、体を打ちつけた呻うめき声も気に留めず、それを為した心強い味方の登場を、空を見上げて待つ。
やがて、松明たいまつに照らされながら現れた見慣れた幻獣に、ルイズが驚きの声をあげた。
「シルフィード!?」
予想通りというべきか。ばさばさと地面に降りたドラゴンから、赤い髪の……、ってか、キュルケがぴょんと飛び降りて髪をかきあげた。
俺はそっちをスルーして、ドラゴンの方に近づく。
「やっぱお前だったのか、タバサ……、って。なんだその格好?」
ドラゴンの上には、何故だかナイトキャップに貫頭衣を被った、どう見てもパジャマ姿のタバサが居た。
流石に月が出てないと本は読めないらしく、持っていない。
そんなタバサは、無言のままキュルケを指差した。
ああ、寝起きを叩き起こされて着の身着のまま連れ出されたのね……。
つくづく思うんだが、本当に友だちなのか、お前らは。
なんか、見てる限り良いように使われてるようにしか思えないんだが。
……なんか無茶苦茶言ってるなぁ、キュルケ。思わず苦笑してしまう。
まあ、確かに感謝はしないといけないよな。主にタバサに。
「ありがとな、また助けに来てくれて。
……なんかお前には、いつも助けられてばっかだなぁ」
かなり男としての自信が、がらがらと。
ワルドとの相乗効果で面白いくらい崩れていってるのがわかる。
「気にしなくていい。それにわたしも、少し興味はあった」
いや、そういう問題でもねえんだけどな。俺のプライドの問題なんだし。
「まあ、なんか困ったことがあったらいつでも言ってくれよ。
手伝いに行くからさ」
なでなで。
「別に、いい」
なでなで。
「そういうなって。俺の一個借りってことにしといてくれ」
なでなで。
そう言ったらなんだかピクリとして、目を見開いて固まってしまった。
なでなで。
そんな様子を見て、再確認した。
やっぱこいつ、挙動が一回一回やたら可愛い。
なでなで。
なでなで。
少しの間の後、硬直から復帰したタバサが、ぽつりと呟いた。
「……わかった」
うん、よかった。これで断られたらどうしようかと思ったぞ。
なでなで。
「お待たせ」
「お待たせ、じゃないわよッ! いったい何しに来たのよ!」
ルイズが獅鷲グリフォンから飛び降りて、キュルケに怒鳴った。
「助けにきてあげたんじゃないの。
朝方、起き抜けに窓から外を見てたらあんたたちが馬に乗って出かけようとしてたもんだから、急いでタバサを叩き起こして後をつけたのよ」
キュルケは風竜の上のタバサの方を親指で指した。
ルイズはキュルケの方をガン見していたので、意味は無いが。
「ツェルプストー。あのねぇ、これはお忍びなのよ?」
「お忍び? だったらそう言いなさいよ。言ってくれなきゃわかんないじゃない。
とにかく、感謝しなさいよね。あなたたちを襲った連中を捕まえたんだから」
キュルケは倒れた男たちを指差した。怪我をして動けない男たちは口々に罵声を浴びせかけてきている。いつのまにかギーシュがそいつらに近づいて尋問を始めていたりもした。
ルイズは腕を組むと、キュルケを睨みつけた。
「勘違いしないで。あなたを助けに来たわけじゃないの。ねえ?」
そう言ってキュルケはしなを作り、獅鷲グリフォンに跨るワルドへにじり寄った。
「おひげが素敵ね。あなた、情熱はご存知?」
ワルドはちらっとキュルケを見て、左手で押しやった。
「あらん?」
「助けは嬉しいが、これ以上近づかないでくれたまえ」
「なんで? どうして? あたしが好きって言ってるのに!」
取り付く島のないワルドの態度に、キュルケは混乱した。
キュルケは今まで、男にこんな冷たい態度を取られたことはなかった。
どんな男も自分に言い寄られれば、動揺の色ぐらいは見せたものである。
しかし、ワルドにはそれがない。自分の理解を超えたワルドを、キュルケはあんぐりと口をあけて見つめた。
「婚約者が誤解するといけないのでね」
そう言ってルイズを見つめるワルド。ルイズはそれを受けて、湯気が出そうなほど顔が熱くなる。
「なあに? あんたの婚約者だったの?」
キュルケがつまらなそうに言うと、ルイズの代わりにワルドが頷いた。
ルイズが困ったようにもじもじし始めたのは無視し、キュルケはワルドを見つめた。
遠目では分からなかったが、目が冷たい。なんだか氷のようだ。
キュルケは鼻を鳴らした。なにこいつ。つまんない、と思った。
それから才人を見ようとして、目が点になった。
「ねえ……、サイト?」
なでなで。
キュルケが、震える声で話しかけてきた。
なでなで。
「ん? どした?」
なでなで。
「あなた、いったいいつの間にタバサとそんなに仲良くなったの?」
なでなで。
「へ?」
なでなで。
「いや、へ?って……、違うって言うんなら、その右手はいったいなに?」
なでなで。
困惑と嫉妬を織り交ぜたような声でキュルケが続けた。
なでなで。
右手?
なでなで。
なんのこっちゃ、と右手に視線をやって、自分で硬直した。
なんか、タバサの頭の上に乗っかって、左右に揺れてるんですけど。
そういえば、さっき、途中から頭ん中で変な擬音が響いてたなぁ。
なでなで、とか。これか、原因。あははは。
――あははは、ぢゃねぇだろォオッ!!?
「す、すまんタバサ! なんか手が勝手に!」
秒未満で素立ち状態から土下座に持ち込んで平謝りする。
この挙動の速さ、使い魔生活の効果は伊達じゃねえな。なんも嬉しかねえが。
ルイズが激発しなかったのが不思議だったが、なんとなく理由はわかった。
多分、ワルドが止めてるんだろう。
ワルドの存在が、かもしれんけど。
「……別に、いい」
そう返事したタバサにより、またちょっと空気が固まったのは言うまでもない。
まあ、嬉しかったのは嬉しかったし、ありがたかったのもありがたかったんだけど。
どうすっかなぁ、と悩み見た道の向こう。
ラ・ロシェールの街の灯りが、どうしようもなく眩しく見えた。
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