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彼願白書

作者:熾火 燐
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逆さ磔の悪魔
  カリキュレイト・ラース

「ほう、では……なぜこれを私に返した?」

壬生森は改めて指環と加賀を見比べる。
加賀はかつて、この指環を持つ自身こそが蒼征、ひいてはニライカナイの旗艦であるとしてきた。
その指環に執着しなくなった今の加賀の変節が、それこそ壬生森には不可解だ。
壬生森の言葉に、加賀は傅く。

「それがなくとも、貴方は必要な時に私を使う。それがようやっとわかったから。貴方の切り札として強引に手の内に押し入ろうとしなくても、今の私を今の貴方は躊躇いなく使うと。ならばその指環も急いて求める必要もない。こうして指環を返したことこそ、貴方への信頼と忠誠の証、と。そう、受け取ってほしいわ。」

指環がなくとも、側にいる。
その意味くらいはわからなくもない。
ただ、壬生森には不可解だった。
今更になって、この変節の理由は?
その理由は結局わからないのだ。

「……そうか。」

ただ、これ以上はつついても薮蛇にしかならないだろう。
そう判断して、壬生森は指環を内ポケットにしまう。

『ブリッジより艦内!ブルネイの灯火を視認!』

「さて、そろそろ龍驤も戻ってくるかな。」

「あれ、そういえばもう日も落ちたのに龍驤はどこに?」

「陰陽師らしいことをしてもらっている。直に戻るさ。」

甲板に行こう、と言った壬生森の言葉で、司令室にいた全員が腰を上げた。
この詐欺師は今度は何をしたのだろうか。





「ほな、護衛空母『ガンビア・ベイ』は確かに受領したで。うちのボスに何か言伝ては?」

「お見事、と伝えてくれたまえ。それと、トラックの件はこれで無しだ。」

「トラックのモン達も報われへんなぁ。うちのボスとあんさんの裏取引の材料にされてオシマイなんて。」

米巡洋艦『レイクエリー』の艦上、後部甲板のヘリポートで龍驤は白髪混じりの初老の男に手を差し出す。
その背後には骨に黒い皮だけ張り付けたような、飛竜のミイラのような式神が金髪の少女を足で掴んで羽ばたこうとしている。

「今回のネームレベル撃破は君達のボスからの要望だ。そして、ガンビア・ベイの調達もな。その見返りにトラックの件を握り潰すというのなら、安いものだと上が判断したまで。」

ロングは握手に応じなかった。
忌々しいと言わんやという態度に龍驤も苦笑する。

「まぁ、なんでもええけど背中から撃とうと考えるのはやめたほうがええで?ウチを仕留める前にアンタらが海の藻屑になるほうが速いよって。」

式神が大きく羽ばたくと、足で掴まれていた少女の叫びを引き摺るように飛び立つ。
風に乗ったのか、その姿はみるみる内に小さくなっていく。

「ほな、ウチもこれでおさらばや。ま、二度と会わんことをお互いに祈っとこうや?」

黒いヒトガタを一枚、風に舞わせると先に飛び立ったのと同じようなミイラの竜が空から降りてきて、龍驤はその背中に飛び乗る。

「あぁ、二度と会わないのを願うよ。」

ロングの言葉を聞いたあと、龍驤を載せた竜が羽ばたく。
龍驤の姿を見送ったあと、淡々とロングが命じる。

「対空戦闘用意。」





「あー、やっぱ撃ってきたかぁ。撃たなきゃもう少し長く生きられただろうになぁ。」

彼女を乗せた翼竜がレイクエリーからある程度遠くまで飛んだところで、龍驤は白いヒトガタを風に舞わせたあとに、巻物を広げる。

「ほな、命令通りにやるとしよか。恨むんならウチの化け狐の尻尾を踏んだ自分を恨みや?」

そう言って、龍驤が伸ばした右手。
そこに虚空から飛び出してきた縦に長く太い大巻物が収まる。

「さぁて、二十年ほど設計図や資料を集めに集めて再現させ続けた名機、珍機、失敗作から革命機!グラマンからメッサーシュミット、ヴィッカーズに中島までなぁんでもあるで?どの翼を仰ぎ見たいんや!?」

投げ打つように広げた巻物に描かれているのは様々な航空機の横から見た姿とその名前。
その巻物は龍驤の周りを二巡りしてもなお広がり終わらず、龍驤の指に合わせてくるくると舞う。

「己の我慢の無さを耳に聞き、懺悔する時間くらいはやるよって。」

白いヒトガタが化けた大きな爆撃機が爆発四散したところで、龍驤は巻物のある一行を指でなぞる。

「懐かしのジェリコのラッパや。とくと聴き!」







「やったか?」

「いいや、まだだ。再度捕捉次第、データリンク。完了次第、M3次弾発射。」

「敵影捕捉!M3セル8から10までスタンバイ!」

「データリンク完了まで40Sec!」

『なんだ……?上から変な音がするぞ?レーダーは何か、捉えてないのか?』

『待て……やられた!アンノウン直上に感!高度2000、急降下中!』

唐突だった。
直上になってようやく敵機捕捉など、本来ならば有り得ない事態。
如何に低空から侵入し、レーダーの目を掻い潜ろうとも、海面からホップアップしたならば観測員が見つけ出すはずだ。
それが、直上に突然現れた。

『ダメだ!敵機は既にダイブしている!間に合わない!』

「相手はレシプロだ!間に合わせろ!ファランクス、撃ち方始め!」

『敵弾、来る!』

ガァアアアーンッ!
そう、何かが突き破ったような音が艦内に響いた。
一瞬の沈黙。
そして、もはや人の耳では捉えきれない音の奔流。
爆発、爆風、破断、破砕、火流、浸水、傾斜。
各所からの報告があったかもしれない。
ただ、それすらも巻き込み、飲み込み、どうやって外に脱出出来ようものか。
何かがぶち破ったらしい隔壁の隙間から何とか這々の体で波間に逃げ出した先には、ボートすら出す間もなく、何人かが水面に浮いていた。
その大半は甲板やブリッジから外に投げ出されて助かったようだ。
助かった、と言えるかは怪しいが。

「ビィーンッ、って変な音がしたんだ!クソッ!ダンケルクかよ、ここは!」

「チクショウ!ジェリコのラッパなんて曾祖父さんの頃の遺物だぞ!なんでこんなとこに今更になって飛んできやがった!」

怪我人も多い。
太平洋のど真ん中、深海の連中もそこら辺にうようよいる。
間の悪いことにこの辺りで嵐も発生しそうな時期だ。
救助が来るとは、考えにくい。
どうやら、我々は既に狐の尾を踏んでいたらしい。
我々のもとに送られてきたのは、ガンビアベイ受領という任務を達成出来る者だと思っていたが、そうではなかった。
あの赤い外套の少女は、かつての力はもう持ち合わせていないロートルと聞いていた。
実際はそんなものではなく、我々を一人で殲滅出来る、そういう怪物だったのだ。
護衛に配置していた艦娘も、上空からサイレンが鳴り響く中、次々に一人ずつ爆散していく。
これほど一方的な戦い、いや、これはただの虐殺だ。
こんなものを見たことは、かつてない。
我々の内、一人として生かして帰すつもりがないのだ。
誰も指揮を執る者がいない艦娘達は、ひたすら狼狽えながら回避行動と散発的な対空砲火を放つばかり。
艦娘達が対空砲を撃とうとする度に足が止まり、拙い対空砲火をすり抜けたスツーカが逆さ落としに爆弾を投げ落として悠々と去っていく。

『この程度では話にもならない』

と、現実を突き付けられているような感覚。

『“深海の世紀”はこの程度では土俵にすら上がれない』

と、まざまざと見せ付けられている惨状。

ハママツでの、彼との別れ際の言葉を今更思い返す。

『そもそも、普通に“ネームレベル”と戦うことすら、アンタ達には難しいだろう。ましてや単なる撃破じゃなくてサンプル確保まで欲張るとは……私達がアイツ等をただ狩り殺すだけでもどれだけの細い橋を渡っているか、アンタ達はわかってない。』

これほどの圧倒的な戦力を有しておきながら、そこまで言わしめたと言うのか。

『“リバースド・ナイン”撃破の妨害になると判断したら即座に沈める。アンタ達はただ、尻拭いの代金だけ差し出せ。』

あの言葉は、我々への侮りから出たものだと思っていた。
実際はこうだ。
我々の手は“リバースド・ナイン”どころか、“深海の世紀”の艦娘一人にすら届いていなかった。

また一度、ジェリコのラッパが鳴る。
クソ、あと何度この音を聞けばいい?




「そろそろ日が落ちる。救助は困難だろう。あぁ、そうだ。『母艦不明の深海機による空襲』でレイクエリーは大破したため救難信号を出したものの、ほどなく追撃により爆散轟沈したものと思われる。該当海域は波高く、また夜間の捜索という悪条件もあり、要救助者は確認できなかった。これで通してくれ。」

壬生森が何処かに電話をしている。
わざわざイリジウムを持ち出している辺り、どうやら相手とのコンタクトは非公式なものらしい。

「わかった。最新のコンバットシステムについてはLMLIに話を回しておく。なに?費用はこっち持ちだと?買える機会があるだけ貴重なシロモノだ。予算案に補正を加えるからそれでやりくりしろ。」

イリジウムの通話を切り、壬生森は空を見上げる。
壬生森はやや不機嫌そうだが、壬生森の電話の向こう側は基本的に不機嫌どころか憤慨させられているのだ。
自分が不機嫌にさせられるくらい、たまにはあるだろう。

「どこを使ったのか知りませんが、口封じさせましたね?」

「あまり、好き好んでやりたいことではないのだけどね。彼等があくまでも、こちらに敵対するというのならば、仕方のないことだ。」

「して、その答えはあれですか。」

「うん、どうやら龍驤はオーダーをキッチリこなしたらしい。」

ばさん、ばさん、と猛禽の羽ばたきにも似たような音と共に空から降りてきた骸の竜は、脚に掴んでいた金髪の少女を甲板に放ると、また踵を返して飛び去っていく。

「う、うぇぇぇぇ……」

甲板に転がされた少女はうつ伏せのまま気持ち悪そうに呻く。
まぁ、アレが快適な空路だったとは思い難いが、一番安全で最速な手段だったのは確かなのだ。
それについては割り切ってもらおう。

「あー、君、君。水が、必要かね?」

青ざめた顔のまま起き上がってきた少女の前にミネラルウォーターのペットボトルを差し出すと、小さく礼を言ってからおずおずと受け取り、慌てて飲んではむせて、熊野が背中を擦っている。

「sorry、貴方が私のadmiral……ですか?」

「いや、私は壬生森。君の提督のところに君を届ける役目を担っている者だ。」

「ミブ……モリ……?ふぁあああっ!う、撃たないで!いやぁああああっ!」

一瞬考え込んだあと、金髪の少女は尻餅をついたままとは思えない速さで後退りしていく。

「提督、何をやらかしたんですの?」

「さぁ?何をやらかしたことになってるんだろうね?」

壬生森ははて?とすっとぼけるのを尻目に熊野がすたすたと近付いて、右手を差し出す。

「彼の何を聞かされたかは知りませんが、彼は見ての通り、駆逐艦娘の蹴りひとつで病室送りになりそうなひ弱なおじさんですわ。」

「おじさんはやめなさい。」

「貴女のお名前を確認したいの。カサブランカ級19番艦、ガンビア・ベイでいいのかしら?」

「い、Yes……Gambier Bay。」

「私は熊野。仲間という訳ではないけど、断じて敵ではないわ。信じてもらえないかしら?」 
 

 
後書き
あれ?これもしかして方向音痴の邂逅じゃね……?いや、この熊野はちゃんと永田町まで来てたし…… 
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