彼願白書
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逆さ磔の悪魔
ニア・ミス
「トラックナンバー2378!170°高度200更に接近!」
「トラックナンバー2378、主砲、撃ちぃ方ぁ始めぇ!」
「発砲!」
ドンッ、とCICにも砲声が響く。
深海機は艦娘の手でなくとも護衛艦で迎撃自体は出来るのだが、問題はその数だ。
「SPYー1探知、37°!新たな目標群、フタジュウフタ機!」
多すぎる。
壬生森がつまらなそうな顔から、僅かに怒りの籠った目をし始めたのが、熊野にもわかった。
今こそ、進言すべきだろうか。
「提督、このフタジュウフタ機のあとにまだ敵から攻撃隊が送り込まれた場合、この護衛艦隊の迎撃能力は飽和限界を迎えますわ。」
「そうだな。そうなる前に、ブルネイの艦娘が奴を叩くのを願いたいね。」
「……提督、これ以上は戦力の死蔵でしてよ。敵の位置はおおよそわかっているのです!今、今こそ私達を送り込むべきですわ!」
「そうして、ブルネイの艦娘達を空振りにさせるか、我々が無駄に分断させられるか、どちらにしても一手を無駄に打つか。」
「詰めの一撃は、大事でしてよ?」
「詰めの一撃になる、とするならば……な。」
壬生森はかちりとハンズフリーに指を添える。
「加賀、聞こえるな?……司令室だ。私も今からそこに行く。」
加賀?
なぜ、ここで彼女を、司令室に呼び出した?
壬生森はハンズフリーから指を離して、またモニターを睨む。
「熊野、正直に言おう……直感だ。今、君達をここでみのぶから離すのはよくない。直感で、そう思った。それだけだよ。失望したかね?」
壬生森は冗談めかして、そう言い切った。
あぁ、きっと彼には、私の見えないものが見えたのだ。
なら、言うことなどひとつしかあるまい。
「……いえ、私が信じる提督はここにおられますわ。戻りましたら、お茶を淹れましょう。戦いはまだ序盤、そうですわね?」
壬生森はぽかんとしたような顔をする。
どうやら彼も、この答えは想定外だったらしい。
初めて、彼を出し抜いたような気がする。
その上で、彼はくすりと笑って頼んできた。
「……そうだね。私が戻るまで、ここを頼む。」
「……待ちなさいよ。」
司令室への通路。
加賀はそこをつかつかと歩いていた。
彼からの呼び出し、その理由までは聞いてない。
しかし、もしかしたら?
そう思いながら、歩いていた。
そこに、叢雲が加賀を呼び止めた。
壁に背を預けて、腕を組んで、まるでここを通る加賀を待っていたかのように。
「何かしら?作戦中よ。手短にしてちょうだい。」
叢雲は、むすりとした表情で呟く。
口端に忌々しさすら滲ませて。
「……おめでとう、くらいは言ってやろうと思ったのよ。アイツがアンタを呼んだ理由が、なんとなくわかったから。」
「あら、私のそうだったらいい、という……予測、願望の成就は、貴女の御墨付というわけね。」
「わかってるの?アイツ、アンタを完全に駒にするつもりよ?アンタがどう想ってるのか、それさえ計算済みの悪辣さで。」
「で、それの何が問題かしら?そんなことは、とうにわかっていることよ。」
涼しい顔で、叢雲の言葉を流して、加賀は歩き出す。
叢雲と擦れ違った時の加賀の表情に、叢雲は心当たりがあった。
その横顔を見てしまったら、もはや何も言えない。
だって、あの顔は。
言ってやりたいことはいくらでもある。
だが、言ったところでどうにかなるような、そんな余地など彼女にはないことがわからないほど、叢雲は愚鈍ではなかった。
むしろ、もはや無意味とわかりきってしまうからこそ、叢雲は歯痒くてたまらない。
だからこそ、叢雲は加賀を嫌っているのだ。
叢雲は、加賀のいなくなった通路で、壁を一殴りして、吐き出すようにごちる。
「なに、赤城みたいな顔してんのよ……」
「提督、ただいま参りました。」
加賀は司令室の扉を開け、奥の席で待っていた壬生森の前に立つ。
自分の推察を、奇しくも叢雲が支持してくれた。
ある意味、これ以上に頼もしいものはない。
ともすれば必要以上に自分に否定的な彼女の肯定だ。
そして、目の前にいる彼の一番の理解者と言ってもいい。
そんな彼女が、おそらくそうだろう、と思っているのだ。
壬生森は椅子から立ち上がる。
自分とほとんど変わらない目線で、彼の目を前から見る。
「さて加賀、君に預けるものがある。」
「物次第ではそのまま受け取ります。それでもよろしければ。」
「ネコババは、遠慮願うよ。」
加賀の言葉に、僅かに苦笑いしたあと、壬生森は内ポケットをゴソゴソと探る。
そこにあるものが何かを、加賀は知っている。
そして、やはり「それ」が出てきた。
緋色の珠の付いた、古い指輪。
加賀が欲しいと願っていたものが、そこにある。
いや、欲しいと願っていたのは加賀だけじゃない。
叢雲も、熊野も、おそらく欲しがっていたものだ。
もらう理由は、もはや関係ない。
もらわない理由など、毛ほどもない。
「加賀、今回の相手は、これを君に渡さねばならない相手だと思う。だから、こうして渡すんだけど……不純な動機だね、まったく。」
「 ……彼女の言葉を借りるなら、『何が悪いのですか?貴方は私という絶対的な最大戦力を手に入れ、私は貴方を想っているという確証を得られる。失うものもない。こんなにも素晴らしいことなのに。』と。」
加賀は左手を壬生森に差し出しながら、今度は彼女自身の言葉を口にする。
「私も、つまるところは同じです。どのような形であれ、私が貴方の特別であるならそれでいい、と。例え、貴方から向けられる感情が憐憫だけだったとしても、私は……私達は、それでいいの。」
まったく、と壬生森は呆れたように言いながら、彼女の差し出した左手の薬指には填めず、手の内に握らせる。
それでもドクンッ、と加賀は自分の心臓の高鳴りを感じた。
「必要な時が来たら使いなさい。古い上にずっと稼動してなかったものだ。不調が起きた場合はすぐに解除するように。」
彼の心配など、まったく、不要だ。
加賀は、昂っている自分が、恐ろしいほどしっくり来ていた。
まだ、もらっただけなのに、こんなにも
「……あまりにも久しぶりの感覚で、気分が高揚しますね。ですが、あとひとつ、足りないものがあります。」
「なんだ?」
答えを聞くより早く、加賀は壬生森の唇を捉える。
まるで初な乙女のような、軽いキス。
壬生森が身動きする間もなく、加賀は離れる。
「タバコ、少し控えたほうがいいと思うわ。では、行くわね。」
「ん、あぁ……行って、こい。」
加賀は壬生森の言葉に、微笑みだけ返して、つかつかと司令室から出ていく。
そして、バタンと扉が閉まったあと、壬生森は椅子に身を投げ出す。
似たような顔で、本当に……
早く、CICに戻るべきだろう。
しかし、今は少しでも休みたいと思う。
壬生森は、とにかく疲れた。
今はまだ、動きたくない。
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