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遊戯王GX~鉄砲水の四方山話~

作者:久本誠一
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ターン92 鉄砲水と遊戯の王

 
前書き
なんというか、ここまで来たんですね。私も、清明も。

前回のあらすじ:試合に勝って、勝負に負けて。 

 
「本日は、我々卒業生のために盛大な卒業式を行っていただいたこと、心よりお礼申し上げます。時が経つのは早いもので……」

 凛とした明日香の声が、講堂に響き渡る。さっきまでおいおいと男泣きに泣いていたクロノス先生と剣山が頭を冷やすためにつまみ出された今、全校生徒が静かにその声に耳を澄ませていた。
 ……いや、違うか。ただ1人、ただ1人だけ、この場にいない人がいる。僕が誰よりも助けたかった、誰よりも勝ちたかった、彼女はもういない。今年の卒業生は、3年前の入学生より1人少ない。たとえ僕だけでもそのことは決して忘れない、忘れられるわけがない。

「……このデュエルアカデミアで、多くの友人達、先生達と出会い、デュエルを通して、数多くのことを学んできました。時には戦い、励まし合い……」

 明日香の卒業生代表答辞はまだ続く。実際こういった役どころに関しては、彼女はまさに適任だろう。それにしても、あの入学式がもう3年前か。

「たとえこれから別々の道を歩いていこうと、遠い場所で暮らしていこうと、私達は仲間です」

 答辞もいよいよ佳境に入る。周りに耳を傾ければかすかに鼻をすする音や、涙をぬぐっているのであろう布音が聞こえてきた。まったく皆単純というか、涙もろいというか。

『随分スレたことを言うようになったものだな。無理に幼くなる必要はないが、もう少し年相応な態度になってもいいんだぞ?』

 チャクチャルさんの入れてくる茶々にも、いつものようなそれを面白がっている響きが無い。あの日、あの現との死闘以来、僕の何かが決定的に変わってしまったことに、誰よりも敏感に気付いているのだろう。卒業、か。もちろん、それに対しての感慨が無いわけじゃない。だけど、少なくともまだしばらくの間は、僕の涙は枯れたままだろう。

「ありがとう、みんな……ありがとう……デュエルアカデミア。そして……さようなら」

 明日香の演説が終わる。結局、涙は一滴もこぼれなかった。周りと共に拍手しながら、そんな自分を苦々しくも思う。現を失ってから数日、あの時流し続けた涙が止まったその瞬間から、ずっとこうだ。
 まるで自分の心の一部が、死んでしまったかのように。感情の動きが明らかに鈍くなり、少し気を抜くと無意識のうちにため息ばかりがこぼれ出る。先日何気なく鏡を覗いてみたら、随分ひどい顔をしていた。表情にも覇気がないのはもちろん、特に目だ。あれは冷めた目、というよりも台所で見慣れた死んだ魚の目に近い。その変化を自覚しつつもだからどうしようという気が湧いてこないあたり、かなり重症なんだろう。

「それでは、これで卒業式を終わります。卒業生の皆さんは今夜行われる卒業パーティーまでは完全に自由時間となりますので、ぜひ悔いを残さないよう皆さんが巣立つこのデュエルアカデミアに、そして後輩たちに別れを告げてきてください」

 鮫島校長のその言葉を最後に、この島で過ごす最後の自由時間が訪れる。自由といっても、どこで時間を潰そうかな。レッド寮の自室も、もう荷物はまとめて本土行きの船に乗せてしまったため、今更戻ったところで本当に何もない。となると、まあ、あの場所しかないか。正直なところ、今はあそこにもあまり近寄りたくはないけれど。

「はぁー……」

 また、だ。我ながらやる気のないため息をこぼし、重い足を半ば引きずるように、それでもいつもの場所を目指し歩き出す。
 ……後ろから万丈目たちがこちらを見て、心配そうな視線を向けていることにも気づいていた。ただ僕の方がそれに背を向け、気づいていないふりをしただけだ。悪いね、こんな日にまで心配かけて。でもちょっと、僕はもう駄目みたいだ。
 誰もいない階段を上り、がらんとした廊下を渡り、明かりのついたある部屋に。目をつぶっていても来ることができる、僕にとってはレッド寮と同じほどに馴染んだ場所だ。

「終わったよー」
「お疲れ様でした、先輩……と呼ぶのも、もう厳密には違うのでしょうが」
「そのへんはご自由にどーぞ」

 扉を開けると、光がパッと目に飛び込んできた。食べ物が少しでもおいしく見えるようにと、かつての僕が本気でパンフレットとにらめっこして決めた色と明るさだ。だけどあの熱気も、今の僕にはもうないだろう。一番入口に近い椅子に無造作に腰を下ろすと、店番をしていた葵ちゃんが何も言わずに湯気の出る紅茶のカップを2つ持ってきた。それを机にそっと置き、僕の対面に当然のような顔で腰かける。

「……自慢じゃないけど、財布は空だよ?」
「最後までさもしい先輩ですね。私からの卒業祝いです、おごりますから大人しく飲んでください」
「ありがと」

 僕はストレート派だけど、葵ちゃんは紅茶を飲むときにその余裕があれば必ず輪切りのレモンを乗せる。今回もその例に漏れず、彼女のカップには薄いレモンが浮かんでいた。それをストローで突っつきながら、ポツリと彼女が呟く。

「……先輩」
「なーに?」

 ストローなんて使うのは勿体ないので、封を切らず脇にのけてカップに直接口をつけて一口。ふむ、悪くない。茶葉の量、湯の温度、どれも及第点だろう。洋菓子はともかく紅茶に関してはほぼノータッチだったから、僕がいつも淹れるのをひたすら見て覚えたのか。そういえば彼女がここに入って来た当初、とりあえずお祝い代わりに1杯淹れてあげた時は目を丸くして飲んでたっけ。
 そんな昔の記憶を思い出しながら顔を上げると、さすがにこの数日でめっきり薄くなった僕の感情も動かされた。こちらをまっすぐ見つめていたのは、これまでに見たこともない彼女の顔……いまにも怒りだしそうな、それでいて今にも泣きだしそうな不安に包まれた表情の葵ちゃんが、そこにはいた。身を乗り出してこちらを覗き込む彼女の目は、この至近距離でとはいえこちらから見てもわかる程度に潤みかかっている。

「どうして、私達には何も言ってくれないんです?ダークネスとの戦いが終わったあの日、先輩にいったい何があったんですか!?私達は勝ったんですよ!なのに先輩だけずっとそんな顔ばかりして、今にもこの場で倒れて死んじゃいそうな……!いったい何を見て、何があったらそんな風になっちゃうんですか!?」

 最初のうちこそまだ抑えた口調だったもののすぐにヒートアップしていく、ずっと堪えていたのであろう、およそ普段の葵ちゃんからは想像もつかないほどに突然な感情の爆発。その迫力に気圧されて黙り込んでいると、ますますその目を潤ませてこちらの肩に片手を置き、消え入りそうな声で畳み掛ける。

「先輩の様子を見ていたら、苦しまないでくださいなんて言えません……だからせめて、誰かに教えてください。どうしてあんなに頑張った先輩が、たった1人で苦しむ必要があるんですか。せめて、私たちにもそれを背負わせてくださいよ……」

 こんな葵ちゃんは、僕も初めて見る。多分彼女は、本気で僕のことを心配してくれているんだろう。だけど今の僕には、こんな彼女の言動1つ1つが何よりも突き刺さる。もう、河風夢想は……あるいは河風現は、どこにもいないんだと嫌でも思い知ることになるからだ。
 理屈も理由もわかりはしないが、あの戦いが終わった時にはすでに、現、という人間の存在は世界中から消えていた。この僕、それに僕と一緒にいたチャクチャルさんたち精霊を除き誰も、彼女のことは覚えていない。まるで、そんな人間など最初からどこにもいなかったかのように。それに気づいた瞬間から半狂乱になってアカデミア中を駆けずりまわり、調べられる限りのあらゆる資料をあたった結果、例の事故の記事が見つかった時にはまるで足元の地面が崩れ落ちたかのような絶望感がしたものだ。曰く、その交通事故の結果として僕の母親と河風一家は全滅。唯一の生き残りが遊野家の車に乗っていた赤ん坊の男の子……つまり、僕だ。初めから、現はあの事故で死んでいたことになっていた。世界の歴史が、明らかに僕の知るものから変わっていた。
 なら、こんなこと言えるわけがない。初めからいなかったことになっている人間を救えなかったから、なんて話に、一体何の意味がある?確かに僕たちはダークネスに勝った。奴を未来の果てに飛ばすことで、今の危機は去った。その喜びにいないはずの人間、誰も知らない記憶の話で水を差す必要はない。この苦しみは、結局彼女を救えなかった僕に対しての罰だ。だからゆっくりと首を振り、苦笑する。多分、恐ろしく空虚な笑みしか浮かばなかったろう。

「……なんでもないよ、なんでも」

 そんな僕の態度は、当然のことながら彼女の感情を逆なでするだけに終わったらしい。肩にかけたままの手がぎゅっと拳を握り、その腕に力がこもり……辛うじてその腕を振り抜くことをやめ、代わりに涙と共にきっとこちらを睨みつける。

「先輩の……馬鹿っ!」

 感情のままに吐き捨てたような捨て台詞と共に店を飛び出し、これでもかとばかりに力を込めて閉められた扉が目の前で派手な音を立てる。馬鹿、か。ごもっともだ。

『ごもっともついでに、私からも苦言を呈しておこう。マスターのアホ』
「わーお、ストレートな」
『ああ、これはすまなかった。あまりオブラートに包むと、その頭では理解できないのではないかと思ってな』

 チャクチャルさんの言葉にも、いつにもまして棘がある。そうさせたのも、僕のせいだ。頭ではわかるけれど、だからどうしようという気はまるで湧いてこない。

『あまりこういった話は、私も好きではないのだが。マスターがいつまでもそうやって腑抜けていて、それを彼女は喜ぶと思うのか?』
「もう現は喜べないし、悲しむこともできないよ。んでもって、そうさせたのは全部僕さ」
『……だろうな。ならもう勝手にしてくれ、私が本気でやると説得ではなく洗脳になりかねないから自重するぞ。どうせ時間は無限にある、マスターが自力で乗り越えるまで気長に見させてもらうとするさ』

 ため息交じりに、頭の中に響く声が退いていく。だが今回はいつもの呼んだらすぐ来るであろう距離感とは違い、もはや声すら届かないほど遠くに行ってしまうかのような感覚がした。怒らせちゃったかな。
 そして、そんなつかの間の孤独も長くは続かなかった。先ほど葵ちゃんが勢いよく飛び出て行った扉が再びゆっくりと開き、確かに見覚えのある……しかしまさかまた直接見ることになるとは夢にも思わなかった顔が見えたのだ。

「お久しぶりです、清明ボーイ。卒業おめでとうございマース」
「ペガサスさん……?」

 片目を常に長髪で隠す、どれだけ時事に疎い人間でもその顔と名前を知らない人はいないであろう世界で最も知名度の高い男の1人。I2(インダストリアル・イリュージョン)社の総帥、ペガサス・J・クロフォード。

「Oh、どうしたんですか?確かにデュエルアカデミアのスポンサーは海馬コーポレーションですが、私はデュエルモンスターズの生みの親。その学校で卒業式が行われるとあれば、当然顔を出す権利はあるはずデース。それに実を言いますと、清明ボーイ。あなたに渡した白紙のカード、あなたに託した身としてはあの行く末が気になっていましてね。丁度今夜の卒業パーティーにサプライズゲストとして呼ばれていたので、ついでに顔を出させていただきました」

 白紙のカード。1枚は壊獣に、もう1枚は次元を越えてやってきた魔法カード……RUM(ランクアップマジック)七皇の剣(ザ・セブンス・ワン)に。あの力を手に入れた時は、必ず勝てると思った。だけど、その結果がこれだ。もう2度と戻らない彼女と、無様に生き残った負け犬。カードは応えてくれたのに、肝心な僕のプレイングがそのすべてを台無しにした。
 複雑な思いが胸をよぎり、若干の間が開く。ペガサスさんの表情が訝しげなものになってきたところで、ようやく我に返った。

「この子たちは、確かに応えてくれましたよ。そして多分……ペガサスさんには、これを見る資格があると思います」

 シンクロモンスターやエクシーズモンスターをユーノもチャクチャルさんも頑なに僕に隠していたのには、きっとそれなりの理由があるはずだ。壊獣はともかくこの七皇の剣をペガサスさんに見せるという行為は、もしかしたらその思いを裏切ることになるのかもしれない。だけど元はといえばペガサスさんから貰ったカードを独断で当人に見せないというのもおかしな話だし、それに何よりも今の僕の精神状態では、もうそんなことはどうでもいいとしか感じなかった。いくら強力な力を秘めたカードでもこんなゴミみたいなプレイングしかできないようなヘボの手に残しておくぐらいなら、いっそ元の持ち主に返す方がずっと有意義だろう。デュエルにかける情熱もあの日以来燃え尽きてしまったし、返せと言うならもうそれでいいや。
 もうやる気はないが、それでも捨てたりしまい込んだりする踏ん切りもつかず一応身に着けておいたデッキから壊獣一式と七皇の剣を引っ張り出し、それを手渡す。何かを察したような顔でそれを受け取ったペガサスさんが、これまで見たことが無いほど真剣な目でそのテキストに目を通していく。

「なるほど……どうやら、私の見立ては正しかったようデース。この未知なるカードは、おそらく私が持っていていいものではありません。とはいえ感謝します、私にまだ見ぬデュエルモンスターズの一端を見せてくれて。デュエルモンスターズの創始者として、心からお礼を言わせてください」
「……どうも」

 本来なら嬉しいはずの賞賛の言葉も、まるで心に響かない。行儀が悪いとは思いつつも、返されたカードをぼんやりとうつむいて見つめる僕を見かねたのか、さっきまで葵ちゃんの座っていた椅子に腰かけたペガサスさんが、昔を思い出すかのように明後日の方向に視線を向けつつ語りだす。

「清明ボーイ、今のあなたのような目をした人間を、私は1人知っていマース。それは他ならぬ、かつての私自身……かつて誰よりも愛した恋人を病で失い、ただ真っ白な心のカンバスを見つめる事しかできなかった私デース」
「え……」

 恋人を失った。僕の記憶が正しければ、この人にそんな過去があったなんて話は聞いたことが無い。わずかに顔を上げると、ペガサスさんの片目と視線が合った。

「あなたに何があったのかは、あなたも聞かれたくはないでしょう。ですが私には、今のあなたの思いは痛いほどわかりマース。しかし理解できるがゆえに厳しいことを言わせてもらいますが、あなたはそれを乗り越えなければなりません。思い出を忘れるのではなく、自らの一部として受け入れるのデス。私はそれを引きずり続ける苦しみを、よく知っていますから……」

 ここで言葉を切り、髪に隠れた左目のあるであろう部分にそっと手を当て、残った右目も閉じて物思いにふけるペガサスさん。その間に僕はといえば、今の話をずっと考えていた。忘れるのではなく、受け入れる……でも、そんなことができるわけがない。僕にとってあのデュエルは、間違いなく全てだった。その上で、僕はその勝負に負けたのだ。それは、何度後悔してもしきれない。
 再び目を開いたペガサスさんが立ち上がり、失礼しマース、と断りを入れて懐から携帯電話を取り出す。おもむろに番号を打ち込み、どこかに電話をかけだした。

「ハーイ、私デース。申し訳ありませんが、少しこちらに来ていただけますか?場所は……ええ、その通りデース。では、よろしくお願いしますネ」

 それだけ言って通話を切り、携帯をしまい直したペガサスさんが再びこちらに向き直る。

「とはいえ、いくら口で説明したところでとてもすぐに立ち直れるものではないでしょう。むしろ他人の言葉など、あなたの今抱えている空虚の前には何の役にも立ちはしない……そこで勝手ながら清明ボーイ、あなたにはこれからここに呼んだ人とデュエルをしていただきマース」
「え?えっと……え?」
「これからここに来る彼もまた、ある意味では私たちと同じ苦しみを知る者……しかし私とは違い、彼は自らの手でその関係に終止符を打ちました。その決意を抱くまでに一体どれほどの覚悟が必要だったのか、私には想像もつきません。ですがそんな彼と対することで、きっと見つかる何かがあるはずデース。ああ、噂をすれば彼がやってきましたね」

 それは僕にも聞こえていた。こちらに近づいてくる控えめな足音が、ちょうど店の前で止まったからだ。そして、ノックの音が小さく響く。

「どうぞお入りください……遊戯ボーイ」
「こんにちは。君が遊野清明君、だね?話は聞いているよ」
「えっと……は、はじめまして……」

 扉を開いて現れたのは、僕らにとっては生ける伝説にして童実野町の誇り。デュエルキングの称号をほしいままにする、最強無欠のデュエリスト。武藤遊戯が、そこにいた。

「そんなに緊張しなくてもいいよ。同じデュエリストどうし、もっと気楽にやろう。それに、コピーカードとはいえあのラーの翼神竜を倒したデュエリストには、僕も1度会ってみたいと思っていたんだ……だけど、今は本調子じゃないみたいだね」

 立ち上がることも忘れ座ったまま半ば呆然と挨拶した僕に屈託のない笑顔で笑いかける遊戯さんに、ペガサスさんがすまなさそうに声をかける。

「申し訳ありません、遊戯ボーイ。予定には無かった話ですが、見ての通り1度火の消えてしまった彼のマインドを再び取り戻す、その手伝いをあなたにはしていただきたいのデース」
「なるほどね、ペガサス。なぜ僕を呼んだのか、何となくわかった気がするよ。それにいくらサプライズゲストだからって、夜までヘリの中にいるのも退屈だったしね。じゃあ、清明君。僕とのデュエル、受けてくれるかい?」
「僕は……」

 デュエルキングと直接戦える機会なんて、人生で何度あるかわかったものじゃない。それはわかっているけれど、どうしても踏ん切りがつかなかった。デュエルの力をもってしても何もなしえなかった僕に、今更カードを通じて何かを学ぶことができるのだろうか。この人と、戦う資格などあるのだろうか。デッキに目をやり、またその場でうつむく。

「もしユーにどうしてもその気が起きないというのなら、私もそこまで無理強いをする気はありません。ですがそれでも断る前に、もう1度だけ考えていただきたいのデース。本当に、それでよろしいのですか?」

 諭すような言葉に、また顔を上げる。理屈ではなく直感で、これが僕に与えられた最後のチャンスなのだと察した。ここでもう1度立ち上がるか、勝負に背を向けて心の折れた負け犬のままでいるか。この差しのべられた手を払いのけることは簡単だけど、その代償は計り知れないほどに大きいだろう。
 だけど、それでも。全身を覆って離さない、気怠い疲労が上回る。このまま、敗者のままでいたい。もう2度と目を覚まさず、ぬるま湯な世界の中で自分の傷をみじめったらしく舐めまわしながら無為に時間が経つのをただ眺めていたい。
 だが、その欲求に身を任せることもまた、僕には許されなかった。まるで誰かに支えられるかのように、誰かが肩を貸してくれているかのように、体が勝手にぎこちなく、そしてゆっくりと立ち上がる。今のは、一体?

『わかっているだろうが、私たちではないぞ』

 真っ先に思い当たった原因に先手を打った形で否定され、ぼんやりと周りを見回す。当然のことながら、遊戯さんとペガサスさんの他には誰もいない……いや、今ほんの1瞬だけ、視界の隅で青い長髪が揺れたように見えたのは気のせいだったのだろうか。その箇所を注視しても、やはりそこには誰もいない。気配すらない。
 だけど、それでも僕はこう思うことにした。とっくに成仏した彼女が、わざわざ腑抜けた僕の尻をけ飛ばしに来てくれたんだと。ああまったく、僕がすべてにやる気をなくしたきっかけとなった当の本人まで、そうやって背中を押してくるとはね。結局、どこにも逃げ場はないってことか。ならこの勝負、僕のために受ける気力はなくっても、彼女のために受けてみせよう。

「……遊戯さん。よろしく、お願いします」
「うん、よろしく。じゃあ、カットを頼むよ」

 そう言って差し出されたデュエルキングのデッキを受け取り、僕も自分のデッキを渡す。デッキをシャッフルしながらも、こうして触っているだけでも感じる圧倒的なパワーに威圧されそうになる。やがて返ってきたデッキをデュエルディスクに戻すと、僕も手にしていたそれを本来の持ち主の手に渡す。1歩下がってデュエルを見守るペガサスさんの射抜くような鋭い視線を感じながら、5枚の手札を引く。ああ、この感触もあの時以来だ。それを楽しむ気分にはなれないけれど、それでも彼女がそう望むなら、今だけでも前を向いていよう。

「「デュエル!」」

「僕の先攻!モンスターをセットして、さらにカードを2枚セット。さあ、かかっておいで!」

 遊戯さんの立ち上がりは、モンスターと伏せカード……これだけでは、何とも言いようがない。伏せカードも気になるけれど、わざわざセット状態で場に出したところを見るとあのモンスターはリバースモンスターだろうか。それとも遊戯さんを代表する壁モンスターの1体、マシュマロンという線もあるか。なら、わざわざ正面から攻撃して効果を使わせることはないか。

「僕のターン。そのセットモンスターをリリースして遊戯さん、そちらのフィールドに粘糸壊獣クモグスを攻撃表示で特殊召喚します。そして相手フィールドの壊獣に反応して、手札から怪粉壊獣ガダーラを特殊召喚」

 粘糸壊獣クモグス 攻2400
 怪粉壊獣ガダーラ 攻2700

 早速揃った2体の壊獣で、いきなり布陣を突き崩す。だけどこれだけじゃ終われない、まだ僕には召喚権が残っている。

「さらに、ツーヘッド・シャークを召喚。先に言っておきますが、このカードは2回攻撃の能力を持っています」
「僕のモンスターを除去したうえで自分も大型モンスターをコスト無しで特殊召喚……なるほど、なかなかやるね」
「お褒めいただきまして。このままバトルフェイズに……」
「いいや、このターンは通さないよ。トラップ発動、重力解除!表側表示のモンスター全ての表示形式は入れ替えられる!」
「躱された……」

 怪粉壊獣ガダーラ 攻2700→守1600
 ツーヘッド・シャーク 攻1200→守1600
 粘糸壊獣クモグス 攻2400→守2500

 攻撃表示だった3体のモンスターが一斉に守備体勢を強要され、せっかくのバトルフェイズも攻撃可能なモンスターが存在しないまま流れてしまう。全ての攻撃が通ればいきなり遊戯さんのライフを半分以上削ることもできたけれど、さすがにそれは調子が良すぎたか。そしてまずいことに、ガダーラの守備力はクモグスの攻撃力どころか並みの下級アタッカーすら下回り、ツーヘッド・シャークと同じ数値の1600。とはいえ、僕の手に防御札はない。

「なら、ターンエンドです」
「エンドフェイズにトラップ発動、リミット・リバース!この効果により僕の墓地から、攻撃力1000以下のモンスター1体を攻撃表示で特殊召喚できる。甦れ、マシュマカロン!」

 伏せてあったもう1枚のカードが発動され、ショッキングピンクの巨大なマカロン型モンスターがクモグスの隣に並ぶ。このターンの攻防はまだほんの挨拶みたいなもの、ここからが本番だろう。

 マシュマカロン 攻200

 清明 LP4000 手札:3
モンスター:怪粉壊獣ガダーラ(守)
      ツーヘッド・シャーク(守)
魔法・罠:なし
 遊戯 LP4000 手札:2
モンスター:粘糸壊獣クモグス(守)
      マシュマカロン(攻・リミット)
魔法・罠:リミット・リバース(マシュマカロン)

「僕のターン、ドロー!」

 ここで引いたカードを見た遊戯さんが、なぜか後ろのペガサスさんの方をちらりと見る。ペガサスさんも何が言いたいのか察したらしく、すぐに重々しく頷いて見せた。意思疎通が成り立つ中で1人話に取り残される僕に、遊戯さんが向き直る。

「ごめんごめん。ただ、本当にこのカードを使っていいのか少し確認したくてね」
「確認?」

 これは遊戯さんと僕のデュエルなのに、ペガサスさんの意見がなぜ必要になるのだろう。余計に訳が分からなくなる中で、遊戯さんが動いた。

「僕はこのマシュマカロンを守備表示に変更し、この瞬間リミット・リバースのさらなる効果を発動。蘇生モンスターが守備表示になった時、このカードと蘇生モンスターをまとめて破壊する!」

 マシュマカロン 攻200→守200

 せっかく呼び出されたマシュマカロンが、守備表示になった瞬間に自壊する。だがその別れた欠片がもぞもぞと動き出し、まったく同じ2体のマシュマカロンに増殖した。

 マシュマカロン 守200
 マシュマカロン 守200

「そしてマシュマカロンは1ターンに1度、破壊された時に分裂復活する。これで僕の場には、3体のモンスターが揃った!」
「3体……?」

 武藤遊戯、いまだ残る召喚権、そして場には3体のモンスター。とくれば、それらの符号が示す意味は1つしかない。でも、そんなはずはない。あのカードは消失した、そう聞いている。

「天空に雷鳴轟く混沌の時、連なる鎖の中に古の魔導書を束ね、その力無限の限りを誇らん―――――オシリスの天空竜、召喚!」

 ここは室内だというのに、激しい雷鳴が轟いた。3体ものモンスターがすべてリリースされ、そのかわりに現れた鮮烈な雷光に照らし出されるあの赤い姿は、まさに究極のモンスター。いや、モンスターなどと呼ぶのもおこがましいか。数あるデュエルモンスターズの中でも頂点に位置し規格外とされる存在、三幻神のうち1体……オシリスの天空竜。そしてその攻守は、プレイヤーの手札1枚につき1000ポイント……つまり遊戯さんの手札は2枚だから、そのどちらも2000となる。

 オシリスの天空竜 攻?→2000 守?→2000

「ど、どうして神のカードが……!」
「それは私からお答えしましょう。ユーがフランツ、いえ、邪神アバターによる恐るべき事件を解決してくれてから、私は考えたのデス。実際のカードとして完成させていないはずのアバターがああして自我を持ってしまった以上、同じくかつての私が着想だけ残しておいた残る2枚の邪神カード……オシリスの天空竜に対応する邪神イレイザー、そしてオベリスクの巨神兵に対応する邪神ドレッド・ルート。その2体もいつか第2、第3のアバターとしてあのような事件を引き起こすかもしれない。元はといえばそのような存在を作り出した私の責任ですが、私はその可能性を恐怖しました」
「嘘でしょ、あんなのがまだ2枚も……?」

 アバターの持つ、あの悪夢のような強さを思い出す。どんな相手よりも常に攻撃力が100高くなる、不定形にして無敵の邪神。正直もう1度奴と戦ったとして、また勝てるビジョンがさっと思い浮かばない、あれはそれほどの強敵だった。それと同格の存在があと2体、いつ目覚めてもおかしくない状況にあったというのか。乾いた僕の声に自責の念からか目を伏せ、それとこのオシリスがどう関係しているのかの説明が続く。

「はい。ですが3幻神の研究を続けるうち、ある変化が起きていたことに気が付いたのデース。あれは、神のソリッドビジョンを調べている最中のことでした。ある研究員がほんの不注意から、ソリッドビジョン投影のためデュエルディスクに置かれていたその神のレプリカを素手で触ってしまったのです。私も彼もその後に起こるであろう悲劇を恐れましたが、バット、彼に神の裁きが下ることはついにありませんでした。しかしこれは、コピーカードの使用者は神の怒りに触れるという従来の常識に反していマース。そこで私は慎重に実験を繰り返した結果、少なくとも遊戯ボーイが今召喚しているコピーカードからは使用者に裁きをもたらす能力が消えていることに気が付きまシタ」
「で、でも、どうしてなんですか?」

 食いつく僕に、ゆっくりと首を振るペガサスさん。

「それはわかりません……しかし、私はある1つの仮説にたどり着きました。恐らく神のカードは、たとえコピーであっても自らの存在を脅かす邪神の存在に気が付いたのでしょう。そこでまたフランツのような犠牲者が生まれるよりはと、裁きの力を緩め邪神の誘惑に屈することなく自らを使いこなせる真のデュエリストを求めたのだ、と。そこで私は今の話をすべて明らかにしたうえで、遊戯ボーイに白羽の矢を立てました」
「だから僕は、こうしてこの神のカードを再びデッキに入れているのさ。もっともさすがにレプリカだから、本物よりは効果も控えめになっているみたいだけど」
「その通りデース。例えばそのオシリスの場合、上級呪文にあたる魔法、罠の効果こそ1ターンのみ受け付けるものの他のカード効果は完全に受け付けない、いわゆる神の耐性は削除。またその代表能力である召雷弾も、真の姿とは異なり守備表示で召喚されたモンスターには発動できないように調整を施してありマース」

 その言葉に、アバター戦で出てきたラーを思い出す。そういえばあのラーも、バトルシティのビデオで見たときにはあったけどコピーカードになった時に消えた耐性を神縛りの塚で補ったり、アドバンス召喚時にリリースしたモンスターの攻守を束ねる能力が消えていたっけか。
 だけどあのラーも、そしてこのオシリスも。とてもじゃないがこの迫力、これが人の手で弱体化させられた神だとは思えない。まだ召喚されただけで攻撃すらしていないというのに、全身の毛が逆立ち肌が焼けつくようなひりひりした感覚がする。

「じゃあ、デュエルを続けようか。オシリスで怪粉壊獣ガダーラに攻撃、超電導波サンダー・フォース!」

 2つの口が上下に重なるオシリス独特の頭部のうち下側の口がおもむろに開き、その奥から溢れんばかりの力が迸る。そしてそこから放たれた雷撃が、視界を白く染めガダーラを消し飛ばした。

 オシリスの天空竜 攻2000→怪粉壊獣ガダーラ 守1600(破壊)

「ガダーラ!」
「これで僕は、ターンエンド」

 オシリスの召喚、さらにガダーラが倒されたことで戦局は一気に遊戯さんの側に傾いた。いくらツーヘッドでも、さすがに手札を2枚保持した状態のオシリスを相手するのは荷が重いだろう。さて、あのオシリスとどう戦うべきか……ここまで考えたところで、いつの間にかすっかりこの勝負に集中している自分に気が付いた。確かに余計なことを考えていてどうにかなる相手でないのはその通りなのだが……こういう時に役に立つかどうかはともかく一緒に戦略を練ってくれるあの神様がいてくれないのは、やっぱり少し心細い。

『マスターがデレたと聞いて。どうだ、少しはマシな気分になれたか?』
「チャクチャルさん!」

 ひょこっと思考に割り込んできた地縛神に、思わず驚きの声が出る。釘を刺しに来たのは例外としても、さっきの去り際の言葉からいってもう当分会えなくてもおかしくないと思っていただけに、これは本当に不意打ちだった。

『そりゃあ、マスターがやる気になったのなら私も協力を惜しむつもりはないさ。大体、マスターは根が単純だからな、それなり以上の強敵をぶつけておけば、あとはこう……闘争本能的な?勝手に燃え上がって勝手に元気が出るなんてわかりきっていたからな。それを自分でやろうとしないから、いつまでたってもあの調子だったというだけで。ましてや相手はデュエルキング、この世界で用意できる相手としては最高峰だろう。でかしたぞ、マスター』
「……ありがと」

 なんか言葉の端々から微妙に馬鹿にされているような気もするけど、まあ今回ばかりはあれだけ心配させたのだから何を言われても言い返す資格はない。チャクチャルさんの言った通り、ほんの10分前と比べてもだいぶマシな気分になれたのは確かだ。もちろんまだ絶好調とまでは言えないし、ペガサスさんの言っていたこのデュエルを通じて見つけられる何かというものもわからない。だがこの感覚は、まるでオシリスの一撃が僕の心の奥底にうじうじと淀んでいたものを幾分祓ってくれたかのようだ。それとも、これがラーをアバターの手から取り戻したことに関する三幻神なりの借りの返し方だったのかもしれない。

「さーて……ドロー!」

 とにもかくにも、今欲しいのは壊獣だ。神だろうが仏だろうが、リリースの魔の手から逃れることは不可能。結果論とはいえせっかく初手に来た2枚を早々に使ってしまったことが、つくづく悔やまれる。

『む、珍しいな。まだ少し腕が鈍っているか?』
「いや、これだって悪くないさ。カードを1枚伏せてターンエンド」

 どうやら、このターンは大人しくしていろということらしい。そんなデッキのメッセージに従い、素直にセットのみでターンを終える。もちろん、何も考えていないわけではない。次のターンは生き残れるという、それなりの算段あってのことだ。オシリスの天空竜は攻撃力が手札に依存するがゆえに、召雷弾で牽制しながらモンスターを並べて一気に勝負をつけようにもあまり手札を派手に使うことができないジレンマを抱えている。なにせ手札1枚ならその攻守はたったの1000、ツーヘッドすら突破できないほどの数値になるのだから。

 清明 LP4000 手札:2
モンスター:ツーヘッド・シャーク(守)
魔法・罠:1(伏せ)
 遊戯 LP4000 手札:2
モンスター:オシリスの天空竜(攻)
魔法・罠:なし

「僕のターン。ベリー・マジシャン・ガールを召喚!」

 ベリー・マジシャン・ガール 攻400

 ドロー、そして召喚されたのは十代のカードエクスルーダーよりもなお幼い、幼女どころかまだおしゃぶりをくわえた赤ん坊のようなちっこい魔法少女。オシリスのステータスもそれに合わせて1瞬だけ3000になり、またすぐ2000に戻る。

「そして召喚に成功したベリー・マジシャン・ガールは、デッキからマジシャン・ガール1体をサーチできる。来い、ブラック・マジシャン・ガール!」

 なるほど、サーチ効果持ちか。確かにそれなら手札を減らすことなく、なおかつ戦線を広げることができる。これによりオシリスの攻守がまた3000に上がる……だが、遊戯さんの側にそれで終わらせる気はないようだった。

「そして、僕のフィールドに存在する魔法使い族モンスター1体をリリースする。これにより手札から、沈黙の魔術師-サイレント・マジシャンを特殊召喚!」

 魔法幼女の姿が消え、うってかわって青と銀を基調とした体のラインがくっきり浮き出る服装の理知的な美女といった趣の魔法使いが特殊召喚される。その攻撃力は、ベリーよりは高いもののそれでも1000止まり……いや、さらにその数値が上がっていく。

「沈黙の魔術師の攻撃力は、僕の手札1枚につき500アップする。よって今の攻撃力は、2000!」

 沈黙の魔術師―サイレント・マジシャン 攻1000→2000

「攻撃力2000が2体……」
『それだけではないな。沈黙の魔術師は1ターンに1度、相手の魔法を無効にして破壊できる。そしてオシリスの前では、守備表示で召喚しない限り攻撃力2000以下のモンスターの起動効果は使えないも同然……気をつけろ、マスター。あれは、ただ漠然と合計攻撃力が高くなるようにモンスターを並べているのではない。着実に、こちらの打つ手を1つ1つ潰しに来ている』

 強い。ただオシリスのカードパワーに任せてがむしゃらに突っ込んでくるのではなく、かといって複雑なコンボだけに頼り切るわけでもない。要所要所でとてつもなく重いはずの神のカードを難なくアドバンス召喚したかと思えば、こうして最低限の手札消費で別のモンスターも並べてみせる。テーマデッキでもなんでもない、言ってしまえば特定の動きが存在しないデッキにもかかわらず、まるでこうなることが最初から予定調和であったかのように無駄のない展開。それを可能にするカード知識と分析力、そして咄嗟の判断力と運。どうしてこの人がデュエルキングと呼ばれているのか、その底知れなさを改めて思い知った。

「バトル、まずはオシリスでツーヘッド・シャークに攻撃!」

 オシリスの天空竜 攻2000→ツーヘッド・シャーク 守1600(破壊)

 再びオシリスの口が開き、放たれる雷撃がガダーラの時のようにツーヘッド・シャークに襲い掛かる。この攻撃はこちらが守備表示だからダメージは受けない、だけどこれで僕の場にモンスターはいなくなった。

「沈黙の魔術師で攻撃、サイレント・バーニング!」

 女魔術師の全身がまばゆい白い光を放ち、その光の中で振り抜かれた彼女の杖から白い衝撃波が飛ぶ。だけど、それをただ受けてやるほど僕だって甘くはない。

『不幸中の幸いなのは、ロックされた箇所が1ターンに1度の魔法に1部のモンスター効果と、トラップに対して無力であることだ。となれば、まだ勝機はある』
「わかってるって。永続トラップ、グレイドル・パラサイト!このカードの効果により、相手の直接攻撃宣言時に僕はデッキからグレイドルを攻撃表示で特殊召喚する!出番だよ、グレイドル・イーグル!」

 その攻撃が届くより先に、丁度その間に割り込むような位置で銀色の水たまりが床から湧く。もぞもぞと震えながら盛り上がるそれは、すぐに黄色い鳥を模したグレイドルへと変化した。

 グレイドル・イーグル 攻1500

「壁モンスターかい?だけど相手フィールドにモンスターが特殊召喚されたことで、オシリス第2の口が開く。グレイドル・イーグルに特殊攻撃、召雷弾!」

 オシリスの上側の口が開き、先ほどのような雷撃とは違う雷の光弾が発射される。空気を歪ませるほどの質量で迫るそれが、現れたグレイドル・イーグルの姿を瞬く間に呑み込んだ。

 グレイドル・イーグル 攻1500→0(破壊)

『今だ!』
「この瞬間、モンスター効果で破壊されたイーグルの特殊効果発動!相手モンスター1体に寄生し、そのコントロールを得る!そしてこの効果は墓地でモンスター効果として発動し、装備魔法として適応される。つまり、例え沈黙の魔術師でも止めることは不可能。僕がこの効果で選ぶのは、沈黙の魔術師だ!」

 できればこちらとしても、ここはオシリスを奪いたかった。だけど僕の手札は2枚で、このターンにパッと使える手札増強のカードもない。そして沈黙の魔術師は確か、破壊時に手札かデッキから新たなサイレント・マジシャン1体を特殊召喚する能力を持っている。
 つまりここでオシリスを奪っても相打ちの起点に持っていかれるばかりか、十中八九がら空きになった僕に後続として呼び出される攻撃力3500、サイレント・マジシャン LV8のダイレクトアタックが襲い掛かるという最悪の結果が起きるだけになっていた。だからこれが、今の僕にできる最善手だ。最善手の、はずだった。だけど遊戯さんの、デュエルキングの戦略は、そんな浅い考えを軽く上回る。優しい表情のはずなのに見ている側の背筋が寒くなる、そんな微笑を浮かべつつ1枚のカードを手札から発動する。

「速攻魔法、ディメンション・マジック!」
「そのカードは……!」
「そう。僕のフィールドに魔法使い族が存在するとき、モンスター1体をリリースすることで手札から別の魔法使い族を特殊召喚できる。効果の対象となった沈黙の魔術師をリリースし、ブラック・マジシャン・ガールを特殊召喚!」
『これは……驚いたな。ロックどころか、もしグレイドル・パラサイトでの妨害がなければこのターンで一気にけりをつけるつもりで来ていたのか』

 さすがのチャクチャルさんも、この容赦のない攻めっぷりには閉口したように呟く。一方フィールドではグレイドルによる寄生を回避した沈黙の魔術師が、今度は明るい金髪の魔法少女へと入れ替わっていた。今はまだ墓地にその師であるブラック・マジシャンが存在しないためその効果が生きることはないが、それでもその攻撃力は2000ある。ああ全く、どうせなら翔にも見せてやりたい光景だ。

 ブラック・マジシャン・ガール 攻2000
 オシリスの天空竜 攻2000→0 守2000→0

「ブラック・マジシャン・ガールで攻撃、黒・魔・導・爆・裂・波(ブラック・バーニング)!」
「ぐっ……!」

 ブラック・マジシャン・ガール 攻2000→清明(直接攻撃)
 清明 LP4000→2000

「……まさか、そんなカードをずっと隠し持っていたなんて。完全に一本取られました」
「いや、あの短期間でオシリスの召雷弾を逆に利用するコンボを思いついて、しかもそれを使ってみせた君も凄いよ。3年前に僕がオシリスの効果を跳ね返した時は、事前に対策を練る時間もあったわけだし」

 遊戯さんの言葉に、驕りや欺瞞の色はない。おそらく、本当に本気で賞賛の言葉をかけてくれているのだろう。この謙虚さも、さすがは王者の風格というべきか。

「僕は、これでターンエンド。さあ、君の番だよ」
「わかってます……じゃあ、ここからは逆転劇と洒落込ませてもらいますよ!僕のターン、ドロー!」

 状況は圧倒的に不利……でも、諦めようとは思わなかった。感じることを拒んで久しかったデッキとの、カード1枚1枚との一体感。考えてみれば、神ならすでにランクが1段上のラーだって僕たちは倒したんだ。なら、今更恐れるものは何もない。

「……って、これ」
『うわ、まーたそういうややこしくなることをするんだからなこのマスターは……』

 あ、やっちまった。真っ先に浮かんだのは、そんな感想だった。この大事な局面で引いたドローカードは、よりにもよって七皇の剣。確かに超強力なカードではあるけれど、いくらなんでもデッキの方がこれは変な方向に張り切りすぎているのではないだろうか。でも確かに、ついさっきペガサスさんに見せた後でデッキ内にいっしょくたにして入れたのはほかでもない僕自身だ。あの時はどうせもうデュエルなんてやらないだろうと思ってたから構わず突っ込んでしまったのが、完全におかしな方向に転がったか。
 ……この世界では誰も知らない、知るわけのないエクシーズモンスターのサポートカード。しかもドローしたターンのスタンバイフェイズに公開することでのみ効果が使えるという関係上、とりあえず保留していざとなったら使うことも辞さない、というような使い方もできない。このターンで使うか、諦めて手札で腐らせるか、だ。でもここでドロー1枚を完全に無駄にするような贅沢をしてもどうにかなるような相手……なわけがない。
 完全にフリーズした僕に助け舟を出したのは、他でもないペガサスさんだった。

「清明ボーイ。ユーが何のカードを引いたのか、私には心当たりがありマース。ユーがそれを躊躇うのにも、何か理由があるのでしょうが……ですが私に、デュエルモンスターズの生みの親に、このゲームの持ち得る新たな可能性の力を、ぜひ見せていただきたいのデース。それでよろしいですね、遊戯ボーイ?」
「よくわからないけど、清明君。遠慮はいらないから、君の全力でかかっておいで。僕も全力で、1人のデュエリストとしてそれに応えるから。大丈夫、君がそうしてほしいなら、僕たちはここで起こることを誰にも言わない。それにデュエルモンスターズがらみの不思議なことには、もう慣れっこだからさ」

 2人の言葉を頭の中で繰り返し、ついで手の中の七皇の剣を見る。
 ……ま、いいか。それに、僕だって知りたい。この新たな力を得た僕が、最強のデュエルキング相手にどこまでやれるのか。掛け値なしに本気の全力で、この戦いを終えたい。

「……ええい、もうどうにでもなれ!僕が引いたカードは、RUM-七皇の剣!このカードはドローしたスタンバイフェイズからメインフェイズ開始時まで相手に公開することでのみ、その効果を発動できる!」
「ドローした時に見せることで効果を発動できる魔法カード?」
「その通り。遊戯ボーイ、私達は今、デュエルモンスターズの新たな時代の幕開けを目にしているのデース」

 さも知ったような言い方だが、ペガサスさんだってこのカードを見たのはついさっきが初めてのはずだ。まったく調子がいいというかなんというか、ずるい大人だ。それはともかく七皇の剣が発動に成功したことで、空に七つの星が赤い光を放つ。白い箱舟が地底から浮上し、その中央からあの時と同じように黒い人型のものが射出される。

「このカードの効果によりエクストラデッキから直接オーバーハンドレッド・カオスナンバーズを特殊召喚し、さらにそのモンスターをカオス化させることができる。霖雨蒼生の時は来た、想い託されし不沈の守護者!CNo(カオスナンバーズ).101、S・H・Dark Knight(サイレント・オナーズ・ダークナイト)!」

 数日ぶりに会う漆黒の騎士の背中は、やはりただただ頼もしかった。オシリスの口が開き再び放たれる召雷弾を、感電しながらもその槍でがっしりと受け止める。

 CNo.101 S・H・Dark Knight 攻2800→800

「手札1枚で召雷弾を耐えきれる攻撃力のモンスターを特殊召喚するとはね。それに、ナンバーズ、だっけ?確かに、聞いたことのないカードだ。これが、君の手にした新たな時代の幕開けになるカードかい?」
「ええ。ですがダークナイトの力は、まだこんなものじゃないですよ!効果発動、ダーク・ソウル・ローバー!1ターンに1度相手フィールドに特殊召喚されたモンスター1体を、自身のカオスオーバーレイ・ユニットとして吸収する!」

 ダークナイトが今回その槍を向けたのは、ブラック・マジシャン・ガールだった。というかそもそも、アドバンス召喚された神には通じないし。ドラゴキュートスの時と同じく全身紅いオーラに包まれた魔法少女がクリスタルへと変換され、ダークナイトの足元に配置される。

 CNo.101 S・H・Dark Knight(1)→(2)

「吸収能力、か」

 あまり驚いた様子もないのは、そもそもここにいるペガサスさんのエースからしてサウザンド・アイズ・サクリファイス……モンスター吸収の元祖ともいうべきカードの使い手だからだろう。そして遊戯さんは、そのペガサスさんを正面から破ったことのある経験の持ち主だ。おそらく今だってその脳内ではこの光景に衝撃を受けるでもなく、どうやって僕のダークナイトを倒すかだけを考えているはずだ。

「だとしても、このターンにやることは変わらないね。ダークナイト、その手で神を叩き伏せろ!オシリスの天空竜に攻撃、ニライカナイ・ファンタズム!」

 反撃に放たれたサンダー・フォースを紙一重で回避し、漆黒の槍術師が振るう剛槍が神の開いたままの口内からその脳天まで深々と突き刺さる。1瞬の沈黙の後に神の瞳から次第に光が消え、その巨体もまた空に浮くだけの力を失いその場に崩れ落ちた。

 CNo.101 S・H・Dark Knight 攻800→オシリスの天空竜 攻0(破壊)
 遊戯 LP4000→3200

「よし!よくやった、ダークナイト!」

 いまだ効力を発揮する召雷弾のせいで、神の攻撃力は0であったにもかかわらずダメージは微々たるものだ。でも重要なのはそこではない、オシリスをこの手で打ち倒したというその事実だ。
 またもう1度、デュエルを通じてこんな気分になれるなんて。昨日どころかつい30分前の僕に言ったとしても、到底信じられない話だろう。

 清明 LP2000 手札:2
モンスター:CNo.101 S・H・Dark Knight(攻・2)
魔法・罠:グレイドル・パラサイト
 遊戯 LP3200 手札:0
モンスター:なし
魔法・罠:なし

「オシリスを……なるほど、でも僕だって負けないよ。ドロー、エルフの聖剣士を召喚!」

 エルフの聖剣士 攻2100

 オシリスが倒れ、手札も0枚の遊戯さんがここでドローしたのは、レベル4にして攻撃力2100を誇る二刀流の剣士。しかもあのモンスター、確か効果が……。

「バトル、エルフの聖剣士でダークナイトに攻撃!」

 いくら軽装とはいえ鎧を身に着けた剣士とは思えないほどに優美な動きで聖剣士が迫り、その剣を振りかざす。対するダークナイトも自身の槍で迎え撃とうとするも、その動きはあからさまに精彩を欠いている。いまだ神の裁き、召雷弾のダメージが深刻に残っているのだ。

 エルフの聖剣士 攻2100→CNo.101 S・H・Dark Knight 攻800(破壊)
 清明 LP2000→700

「この瞬間、相手に戦闘ダメージを与えたエルフの聖剣士の効果を発動。デッキから、場のエルフの剣士の数だけカードをドローする」
「ぐ……でもこっちも、破壊されたダークナイトの効果発動!カオスオーバーレイ・ユニットを持ったこのカードが破壊され、なおかつ墓地に進化前のNo.101 S・H・Ark Knight(サイレント・オナーズ・アークナイト)が存在するとき、墓地から蘇り僕のライフを回復する!僕たちはまだまだ倒れない、リターン・フロム・リンボ!」

 CNo.101 S・H・Dark Knight 攻2800
 清明 LP700→3500

 地面にぽっかりと暗い魔方陣が開き、辺獄の底より不死身の槍術師が蘇る。これでダークナイトの攻撃力はリセットされ、エルフの聖剣士のそれを大きく上回った。次のターンで一気に攻め込んで……だがその思考を、天から降り注ぐ光の剣が中断させる。

「魔法カード、光の護封剣!3ターン後に自壊するまでの間、相手プレイヤーの攻撃を禁止する」
「また……!」

 ダークナイト、そしてそれを封じる無数の光の剣。あの嫌な記憶を思い出してちょっと顔がこわばるが、それでも強いて自分を奮い立たせる。しっかりしろ、僕。あのデュエルとこのデュエルは別物、ちょっと似たシチュエーションになったからといちいちトラウマになってなってたらきりがない。

「僕のターン!む……」
『あらら』

 手札は3枚もあるというのに、護封剣を破壊できるカードがない。サイレント・アングラー、水精鱗(マーメイル)-ネレイアビス、そして今引いた雷撃壊獣サンダー・ザ・キング。1枚1枚はいいカードだけど、今手札にあってこれをどうしろと?いやまあ、やることが無いわけではないけれど。

「ちょっと勿体ないけど、しかたないか。エルフの聖剣士をリリースして、雷撃壊獣サンダー・ザ・キングを遊戯さんの場に特殊召喚!そして相手フィールドに特殊召喚されたサンダー・ザ・キングを対象に、このターンもダーク・ソウル・ローバー!」

 CNo.101 S・H・Dark Knight(0)→(1)

 攻撃できるわけでもないのに、自分で出して自分で吸収して……コンボといえば聞こえはいいが、ただのアド損気味な自作自演だ。それでもこのダークナイトは今の僕にとって生命線、まだ力尽きさせるわけにはいかない。

「ターンエンドです」

 宣言と同時に光の剣の一部が消えていき、ほんの少しだけフィールドがスッキリする。とはいえいまだ3分の2は残り続けており、僕とダークナイトの行動を阻害しつづけている状態だ。

 清明 LP3500 手札:2
モンスター:CNo.101 S・H・Dark Knight(攻・1)
魔法・罠:グレイドル・パラサイト
 遊戯 LP3200 手札:0
モンスター:なし
魔法・罠:光の護封剣

「僕のターン。レッド・ガジェットを守備表示で召喚し、効果発動。デッキからイエロー・ガジェット1体をサーチして、ターンエンド」

 レッド・ガジェット 守1500

 守りに徹する遊戯さんが呼び出したのは、場に出た時に仲間のサーチを行う3色ガジェットのうち1体。デッキ圧縮と手札増強を兼ねる、厄介な効果だ。それも、こちらの攻撃が封じられているこの状況では毎ターンコンスタントにアドバンテージを積み重ねられる。

「僕のターン!永続魔法、強欲なカケラを発動。ターンエンドです」

 これは護封剣の除去なんて考えずに、どっしり構えていろというお告げだろうか。確かにこの状況で、効果発動までに2ターンかかる強欲なカケラはマッチしていると言えなくもないが。でもどうせ遅行性のカードなら、グレイドル・インパクトの方が引きたかったのだが。
 ともあれこのエンドと共に残る剣のうちさらに半分が消え、フィールドの包囲もだいぶスカスカになってきた。このままだと本当に、何かするより先に時間切れで自壊する方が早そうだ。

 清明 LP3500 手札:2
モンスター:CNo.101 S・H・Dark Knight(攻・1)
魔法・罠:グレイドル・パラサイト
     強欲なカケラ
 遊戯 LP3200 手札:1
モンスター:レッド・ガジェット(守)
魔法・罠:光の護封剣

「僕のターン。イエロー・ガジェットを守備表示で召喚し、また効果を発動。これで、デッキからグリーン・ガジェットを手札に。さらにこのイエロー・ガジェットを対象に魔法カード、同胞の絆を発動!」
『ほう……!』

 感心するチャクチャルさんの声に反応したかのように黄色い歯車モンスターが腕を振り上げ号令をかけると、それに応えた2色の歯車がさらにデッキから呼び出される。ただしそれもノーコストとはいかず、同時に遊戯さんのライフもみるみるうちに減っていく。

 遊戯 LP3200→1200
 レッド・ガジェット 守1500
 グリーン・ガジェット 守600

「僕のライフ2000とこのターンの展開、及びバトルフェイズをコストに、選んだ下級モンスター1体と同じ属性、種族、レベルを持つモンスター2体を特殊召喚する。さらにこの特殊召喚したガジェットたちの効果で、デッキからそれぞれイエロー、レッドのガジェットを手札に。これでターンエンドだよ」
「いいんですか?いくら護封剣があるからって、2体も特殊召喚して」

 思わずそう聞いた僕に、遊戯さんがふっと笑って返す。

「その君のモンスター、ダークナイトの特性はわかったからね。カオスオーバーレイ・ユニットが1つでもあるかぎり蘇生効果を使うことができるなら、最初に1体を吸収された時点でその意味では対策をする意味は薄い。なら、ここは準備に徹させてもらうよ。それにいくら不死身といってもどうやら1ターンに2回の破壊、あるいは破壊以外の除去には対応しきれないようだしね」
「……」

 無言ではあったが内心、その発想に舌を巻く。たったあれだけのターン見ていただけで、もうダークナイトの特性と弱点をここまで把握したというのかこの人は。実際、遊戯さんの言葉はすべて正しい。正しいだけに、その大人しそうな顔に隠れた洞察力と行動力が恐ろしい。

「さあ、君のターンだよ」
「は、はい!」
『気圧されるな、マスター。ダークナイトの効果の穴は、元より見ていれば自然と気が付く程度のもの。それが早いか遅いかの違いだけだ』
「そ、そりゃわかってるんだけどさあ……このターン通常のドローをしたことで、強欲なカケラに強欲カウンターが1つ乗ります。さらにこのターンのダーク・ソウル・ローバーで、グリーン・ガジェットを吸収!」

 確かに返す言葉もないけれど、でもやっぱり怖いものは怖い。とはいえこちらにどうすることもできないのもまた事実、まずはできる事を1つ1つやっていくまでだ。
 ……このデュエルは、これまで多かった即座に決着がつくタイプとは全く異なる異質な勝負だ。長く複雑で険しい戦況を、正解かどうかもわからず1歩1歩踏み締めながら進めていく。どの行動が正解なのか、それとも失敗だったのか、それは最後までわからない。派手なワンキルの恐怖とは無縁だけれど、どこで道を踏み外して押し切られるかわからない緊張感が常に付きまとう。

 強欲なカケラ(0)→(1)
 CNo.101 S・H・Dark Knight(1)→(2)

 そしてドローカードは、幽鬼うさぎ。できればガジェット展開前に来てほしかったけれど、だったとしてもサーチが止められない時点で大して変わらないか。このまま手札で温存して、このうさぎちゃんにはまたしかるべき時に働いてもらおう。カード内のイラストに彼女の精霊がだぶって見え、前回のデュエルに参加できなかったこともあってかふんすとやる気たっぷりに無い胸を張る様子が見えた。

「ターンエンドです」

 そして、ついに3ターンが経過したことで全ての護封剣が消える。まさか本当に自壊するまで待つことになるとは思わなかったが、この稼がれた時間が後々まずいことにならなければいいが。遊戯さんの手札はひたすらガジェットのみと完全に割れているものの、だからといって安心はできない。

 清明 LP3500 手札:3
モンスター:CNo.101 S・H・Dark Knight(攻・2)
魔法・罠:グレイドル・パラサイト
     強欲なカケラ(1)
 遊戯 LP1200 手札:3
モンスター:レッド・ガジェット(守)
      イエロー・ガジェット(守)
      レッド・ガジェット(守)
魔法・罠:なし

「僕のターン。手札抹殺を発動!」

 やられた。互いの手札をすべて捨ててその枚数だけドローする、ある意味では究極の手札交換カードに一気に背筋が寒くなる。まさか遊戯さん、あの護封剣を発動した時からこれを狙って、ずっと手札補充にターンを費やしていた?いや、そんなはずはない……と思いたい。
 とにかく遊戯さんの手札から3枚のガジェットが一斉に墓地に送られ、僕の手札からは幽鬼うさぎにネレイアビスと貴重な手札誘発2枚が捨てられる。これで遊戯さんの手札は未知の3枚、そして場には3体のガジェット。嫌でも蘇る、先ほどのオシリスの威圧感。オシリスは既に倒れたから、残る神はオベリスクの巨神兵とラーの翼神竜。だけど、神のカードはとにかく重い。使い手の遊戯さんだって、それはよくわかっているはずだ。2種類目の神が、あのデッキに入っているという証拠はない。ただ逆に、入っていないという保証もない。結局のところ、何もわからないのだ。

「さらに、2体のレッド・ガジェットをリリースして……」

 2体。ということは、神ではないということだ。その事実に少なからずほっとするが、すぐそんな感情を抱いたことを後悔した。さっき遊戯さんがダークナイトの効果の穴に付いてわざわざ確認していた、その意味をもっとよく考えるべきだったのだ。

「来い、破壊竜ガンドラ!」
『ガンドラ……!まずい物を引かれたな、これは』

 破壊竜ガンドラ 攻0

 ガンドラ。漆黒の巨体を持つ、禍々しき破壊の竜。そしてその効果は、ダークナイトの不死身をもってしてなお上回る。

「ガンドラは僕のライフを半分払うことで、自身以外のフィールドのカード全てを破壊しゲームから取り除き、その枚数に応じて自身の攻撃力を上昇させる。そしてダークナイトの蘇生効果は、除外からでは発動できない」
「くっ……!」
「効果発動、そして攻撃!デストロイ・ギガ・レイズ!」

 その体中からまばゆく紅い破壊の光を放射し、フィールドの全てを焼き払いにかかるガンドラ。ダークナイトが、強欲なカケラが、グレイドル・パラサイトが、そして巻き添えを食う形で遊戯さん自身のイエロー・ガジェットが、その光の中に断末魔の声すら上げる暇なく消えていく。さらにその光の余波は、相手プレイヤーである僕にも襲い掛かった。

 遊戯 LP1200→600
 破壊竜ガンドラ 攻0→1200→清明(直接攻撃)
 清明 LP3500→2300

「なるほど、カオスオーバーレイ・ユニットはフィールドのカードとしては扱わないのか。カードを2枚伏せて、ターンエンド。そしてこのエンドフェイズ時、召喚されたガンドラは墓地へ送られる」

 どうやら、あの手札に追撃要因はいなかったらしい。フィールドを荒らし放題に荒らしていったガンドラもまた墓地で眠りにつき、これで遊戯さんの場はがら空き……だけど、とても素直には喜べない。あの2枚の伏せカード、あれは一体なんだ?ともあれ、まずはこのカードを使ってから考えるか。

「フィールド魔法、KYOUTOUウォーターフロントを発動。さらに魔法カード、強欲で貪欲な壺を発動。コストとしてデッキトップ10枚を裏側で除外し、カードを……」
「そこでトラップ発動、精霊の鏡!プレイヤー1人を対象にした魔法効果を、僕の元に移し替える。コストは君に払ってもらうけど、2枚ドローの効果は僕が貰うよ」
「嘘!?」

 そんなピンポイントなカードを、よりにもよってこのタイミングで引いていたとは。僕のデッキが虚しく削られていき、その横で遊戯さんの手札が0から2枚に潤う。 

 KYOUTOUウォーターフロント(0)→(2)

『なんとまあ、つくづくえげつない真似を。だが、見方を変えればこれで伏せカードは半分になったわけだ。つまり危険も半分、行くぞ、マスター!』
「……フィールドから墓地に2枚のカードが送られたことで、ウォーターフロントに壊獣カウンターが2つ乗ります。魔法カード、埋葬されし生け贄!このカードの効果により互いの墓地からモンスターを1体ずつ除外し、それをリリース要因として最上級モンスターをアドバンス召喚します!」

 互いのデュエルディスクからそれぞれ、幽鬼うさぎとオシリスの天空竜がはじき出される。これでよし、と。いくら神とはいえ、除外ゾーンまで追いやってしまえばさすがに何もできないだろう。

「さあ、一気に終わらせるよ!七つの海の力を纏い、穢れた大地を突き抜けろ!召喚、地縛神 Chacu(チャク) Challhua(チャルア)!」

 地縛神 Chacu Challhua 攻2900
 KYOUTOUウォーターフロント(2)→(3)

 そして満を持して現れる、僕の神。フィールド魔法にリリース軽減カード、そして最上級モンスター。これだけのカードを一気に引き込めたことを考えれば、あの手札抹殺もこちらにとって悪い事ばかりではなかったかもしれない。

「……」
『私の召喚は通った、か。さて、どうする、マスター?』

 だが、あと1歩。あと1歩のところまで追いつめたからこそ、最も警戒しなくてはならない。チャクチャルさんの言葉も、つまりはそういう意味だろう。あの伏せカード1枚に、手札2枚。チャクチャルさんはダイレクトアタッカーとしても使えるが、攻撃を放棄することでバーンを与えることもできる。そしてそのどちらを選んだ場合でも、それが通りさえすれば遊戯さんのライフは尽きる。目の前にいるのが並の相手であれば、まあ適当にその時の気分からどちらでとどめを刺すかを選んでいただろう。だが、あの人はなんといってもデュエルキングだ。戦闘、効果、どちらに対する対抗策を引いていてもおかしくない。

「壊獣カウンターが3つ溜まったウォーターフロントの効果で、1ターンに1回デッキから壊獣をサーチします」

 時間稼ぎを兼ねてわざとゆっくりとガメシエルのカードをデッキから取り出し、それを見せたうえで手札に加える。考えろ、考えるんだ。どちらの選択の方が、リスクが少ないと言える?。神のカードが入っている時点で、この学校に置いてある遊戯さんのレプリカデッキのレシピの知識は既に役に立たない。現にマシュマカロンや沈黙の魔術師などは、あのデッキには入っていなかったはずだ。となると、何が飛び出してきてもおかしくはない。
 例えば効果でダメージを与えにいく場合、有力な対抗策としては地獄の扉越し銃のような反射系やホーリーライフバリアーのような無効系、マテリアルドラゴンのような吸収系が考えられる。あるいはエフェクト・ヴェーラーやブレイクスルー・スキルのような効果そのものを無効にしてくることも十分考えられるだろう。逆に戦闘を選んだ場合は、ダメージを0にするクリボーならまだいい方でモンスター破壊のミラーフォース、最悪攻撃を跳ね返す魔法の筒(マジック・シリンダー)の存在がちらつく。

『バーンを狙う場合「ダメージ」か「私の効果」のどちらかを無効にする、あるいは搦め手として「私の守備力」を0にすればいいから無効手段が多い分耐えきられるリスクはやや増すものの、やられた場合のこちらのリスクも低い。対して戦闘をするのならば無効化のリスクそのものはやや小さいが、その分してやられた際の被害が大きくなる、といったところだな。もちろん、ライフ回復で正面から耐えきられる可能性もある。どちらのリスクを重視するか……こればかりは判断の分かれるところだろう、下手に横から口を出すよりもマスターに任せよう。その結果がどうなろうと、誰もマスターを恨みはしないとも』

 長々ともっともらしく語られたけど、要するにこっちに丸投げして逃げやがったなこの邪神。とはいえ、元より僕もそのつもりだ。この判断は誰かに任せるのではなく、この場で戦い指示を出すデュエリストである僕自身が下すのが筋だろう。
 ややあって、ついに覚悟が決まった。

「僕はこのターン、チャクチャルアの効果を発動!1ターンに1度自身の攻撃を放棄することで、その守備力の半分の数値だけ相手にダメージを与える!ダーク・ダイブ・アタック!」

 迷った末に僕が選んだのは、バーン効果の方だった。チャクチャルさんの守備力は2400、つまり1200のダメージが通る。頼むから、このまま何もしてくれるな……だがそんな思いも、あっさり打ち砕かれる。

「手札から、クリアクリボーの効果を発動。ダメージを与える相手モンスターの効果を、このカードを捨てることで無効にする!」
『……駄目か』

 マトリョーシカのように入れ子構造のクリボーが、その体内にチャクチャルさんの放つ闇の衝撃波を吸収する。手札誘発……ということは、あの精霊の鏡でコピーした僕の強欲で貪欲な壺が引かせたカードということか。このターンは僕のやることなすこと全てが裏目に出た、というべきか、要所要所でマストカウンターばかりを決めてきた遊戯さんのデュエルセンスと豪運を恐れるべきか。
 今の展開に3枚のカードをいっぺんに消費したため、今の手札はサーチしたガメシエルしかない。この際ブラフでもなんでもいいからせめて伏せられるカードが欲しかったが、そんな贅沢は言ってられない。

「ターンエンドです」

 清明 LP2300 手札:1
モンスター:地縛神 Chacu Challhua(攻)
魔法・罠:なし
場:KYOUTOUウォーターフロント(3)
 遊戯 LP600 手札:1
モンスター:なし
魔法・罠:1(伏せ)

「僕のターン……ふふっ」

 カードを引いた遊戯さんが、突然楽しそうに微笑む。突然の変化に虚を突かれた僕に、笑いながら語りかけてきた。

「ごめんごめん、でもなんだか楽しくって。たくさんの見たこともないカードを使いこなす君とこうして戦うのが、今とても楽しいんだ」
「遊戯さん……ええ、そうですね。僕も……僕も。このデュエルが、こうしてあなたと戦っていることが……楽しい、ええ、そうです。とっても、とっても楽しいです!」

 デュエルが、楽しい。その言葉を言おうとした時、喉の奥に詰まるような感覚がした。大切な人を救えなかった僕が、デュエルを楽しいなんて言っていいのだろうか。そんなこと、口が裂けても言えないのではないだろうか。それでも、自分に嘘はつけなかった。やや苦労したもののとにかく1度口に出してしまうと、なんだかすうっと体が軽くなった気がした。それと同時に、理解する。
 デュエルは、楽しい。そうだ、世界がどれだけ変わろうと、この世で何が起きようと。この原理だけは変わらないし、決して変えてはいけない。それは、デュエリストとしての自分自身を否定することになってしまう。もちろん、それは現のことを忘れるということにはならない。彼女との記憶も僕の初恋も、忘れられるはずがない。だけどその記憶とトラウマに縛られてデュエルを楽しむことすら忘れてしまうのはデュエリストたる自分自身、そして誰よりも何よりも彼女に対する冒涜に他ならない。こんなことにすら気づかなかった……いや、はじめからわかっていたのかもしれない。それでも僕はこの数日、こんなわかりやすいことからも逃げ続けてきた。

「ありがとうございます、遊戯さん。おかげで、大切なことを思い出しました」
「そうかい?それなら良かったよ。でも、手加減はしないからね!」
「もちろん、望むところです!」

 威勢よく啖呵を切ると、また遊戯さんが微笑む。そしてさっと真剣な顔に切り替わり、ドローカードを流れるような動きでデュエルディスクに置いた。

「カードをセットして、ターンエンドするよ」
『また伏せカード、か』
「僕のターン!まずはこのターンもウォーターフロントの効果で、怒炎壊獣ドゴランをサーチします」

 これで、僕の手札には2体の壊獣。でも先のターンで遊戯さんがモンスターを出さなかったせいで、いくら貯めこんだところでこの子たちの展開ができない。ガメシエルさえこちらのフィールドに出せていれば、あとはもう万能カウンターで守りながらチャクチャルさんで確実に攻め落とせたのだが。ならせめてトレード・インでも来て手札交換できないかと思いながら引いたドローカードは、目当ての代わりにそろそろ来るころだろうとは思っていたいつもの1枚。まったくもう……だけど、おかげでこのターンにやるべきことはよく分かった。僕は僕らしく、いつも通り行けということか。いいだろう、そこまで言うなら乗ってやろうとも。

「まずはもう1度、チャクチャルアの効果を発動。ダーク・ダイブ・アタック!」
「手札から、ハネワタの効果を発動!このカードを捨てることで、このターン僕が受ける効果ダメージは0になる!」
『ええい、またか!』

 2度にわたり自慢の効果を防がれ、たまったものじゃないと言わんばかりのチャクチャルさん。とはいえ、ここまでは一応計算通り。これで決着が付けばもちろんそれに越したことはなかったけれど、正直なところどうせこうなるんじゃないかとは思っていた。

「構いませんよ。僕はこのチャクチャルアをさらにリリースして、アドバンス召喚!これが、僕の切り札だ!そろそろ幕引きだ、霧の王(キングミスト)!」
『久しぶりにフィニッシャーがやりたかったところだが、仕方ないな。その役は譲るから、きっちり決めて来い』

 地縛神が消えていき、KYOUTOUが霧に包まれる。灯台の街に降り立ったのは、僕にとっても永遠のフェイバリットカード。

「霧の王は最上級モンスターですがそのリリースを任意で減らすことができ、そしてその攻撃力はリリースしたモンスターの合計値。この場合、チャクチャルアのものをそのまま受け継ぎます。そしてモンスターが入れ替わったことで、チャクチャルアのバトル不可になる制約もなくなりましたよ」

 霧の王 攻0→2900

 遊戯さんは何も語らないが、少なくともその目の闘志はまだ消えていない。だけど僕も、ここで怯むわけにはいかない。覚悟は、既に定まった。このまま攻撃して何が起きるというのか、この目で見させてもらおう。

「バトル!霧の王でダイレクトアタック、ミスト・ストラングル!」

 霧の魔法剣士が距離を詰め、その宝剣を大上段に掲げた。そして全身全霊を込め、生ける伝説を越えるための刃が振り下ろされる。

「墓地からクリアクリボーの効果を発動!相手の直接攻撃宣言時にこのカードを除外して、デッキから1枚ドローする。そしてそのカードがモンスターカードならば特殊召喚することができ、さらに相手はそのモンスターに攻撃しなければならない!」

 先ほどのマトリョーシカ型クリボーが再び墓地から現れ、次々に何重もの中身が開いていく。その一番奥、ひときわ小さいクリボーの中に配置されていた1枚のカードを、さっと遊戯さんが手に取った。

「……僕の引いたカードはモンスターカード、クリボー!」
「でしょうね……!」

 デュエルキングたるものが、この極限の状況で魔法や罠を引いてお茶を濁すわけがない。ここでモンスターを引いてみせる、だからこその王者なのだ。しかし、クリボーか。このまま守備表示で壁にしてもいいし、ウォーターフロントの壊獣カウンターを増やすことを嫌うのなら特殊召喚せずに手札誘発として戦闘ダメージを0にしてもいい。防御札としては理想的な1枚だが、オベリスクあたりを引かれて特殊召喚、そのまま返り討ちにされなかったことに関しては良かったと喜ぶべきか。

「僕はこのクリボーを、攻撃表示で特殊召喚する。そしてクリアクリボーの効果により、君の霧の王の攻撃は強制的にこのクリボーへと誘導される!」
「攻撃表示!?」

 クリボー 攻300

 ちょこんと鎮座するクリボーに、霧の王の剣が強制的に向けられる。本来ならば遊戯さんのモンスターが増えたことで起こるはずの攻撃の巻き戻しも、先ほど説明にあったように発生せずそのままバトルへと移行する。振り下ろされた剣が深々とクリボーに食い込んだ瞬間に遊戯さんの場にあった最後の伏せカードが表を向き、同時にクリボーの全身がかっと光りだす。あれは……機雷化?いや、違う。

「永続トラップ、ディメンション・スフィンクス!」

 半透明なスフィンクスの幻影が、クリボーを包むように浮かび上がる。その目が不気味な光を放つと、なんと霧の王の剣が少しずつ押し戻され始めた。両腕に力を込めて押し込もうとするも、それを上回る反発の力が少しずつ、少しずつ、突き刺さったはずの剣が不可視の力に押し返される。

「ディメンション・スフィンクスは、僕のフィールドに存在する表側攻撃表示のモンスターを対象にしてのみ発動ができる。そして対象となったモンスターが相手モンスターとバトルを行う際のバトルステップに1度だけ、2体の攻撃力の差の数値だけ相手にダメージを与える」

 霧の王の攻撃力は、2900。そして、クリボーの攻撃力は300。僕のライフは……2300。この攻撃が通れば遊戯さんのライフは0になるが、それより先に僕のライフが0になってしまえばデュエルはダメージ計算前に強制終了する。ライフ回復、クリボーの攻撃力を引き上げる、あるいは霧の王の攻撃力を下げる……いずれのカードも、手札にはない。ここまで、か。

『これは……どうしようもない、完敗だな』
「ありがとうございました、遊戯さん。お疲れ様、霧の王、それにみんな」
「うん。楽しいデュエルだったよ、僕の方こそありがとう」

 清明 LP2300→0





「……はぁーっ、負けたーっ!」

 ソリッドビジョンが消えてゆく。負けはしたけれど、それでも始まる前に比べたらはるかに気分は爽快だった。そんな僕の耳に、パチパチパチと力強い拍手の音が響く。

「ブラボー遊戯ボーイ、そして清明ボーイ。お2人とも大変素晴らしいデュエルを見せていただき、ありがとうございました。私もこのゲームの創造主として、とても鼻が高いデース」
「はは、お礼を言うのはこっちの方ですよ」
「そうだね。今日はありがとうペガサス、このデュエリストに合わせてくれて」
「ノンノン、私はただ若者に可能性を示しただけ、それを掴みとったのは紛れもなくあなたたち自身デース。清明ボーイ、どうやら一皮むけたようですね。では遊戯ボーイ、私たちはそろそろお暇しましょうか」
「そうだね。じゃあね、清明君。きっと君なら、もう何があっても大丈夫だよ」

 そう別れを告げる2人の声、そしてその目はとても温かかった。溢れる感謝の思いに胸が詰まり言葉が出てこず、ただただ深く頭を下げる。ドアが開き、そして閉じる音に顔を上げると、もう伝説のデュエリストたちの姿は消えていた。
 夢見心地のままさっきまで座っていた席に戻り、すっかり冷めた紅茶をすする。熱くほてった体と心が多少冷めてきたところで、またドアが開く。多少怒りを呑み込んだのか、それでもまだ仏頂面の葵ちゃんが入ってきた。

「失礼します!」
「お帰り、葵ちゃん。さっきは悪かったね」
「……あれ?」

 まさかさっきまで死んだ魚の目で座ってた張本人があの短時間でここまで復帰したとは思っていなかったのだろう、完全に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔でこちらをまじまじと見つめてくる葵ちゃん。その様子がなんだか無性におかしくて、笑いをこらえながらも姿勢を正し、遊戯さんたちにしたように頭を下げる。

「ありがとね、葵ちゃん。これまで全部、ずっとずっと」
「えっと、先輩、何があったんですか?ああいえ、言っていただかなくても結構です。私の先輩が戻ってきたのなら、それで構いません……それと、私からも。どういたしまして、先輩。卒業、おめでとうございます」

 差し出された彼女の手を固く握り返したところで、なんだか店の外が騒がしいことに気が付いた。ちらりと視線を向けると、何人もの見知った顔と目が合う。説明を求め葵ちゃんに視線を戻すと、ああ、と悪びれる様子もなくさらりと口を開く。

「先輩があの調子でしたので、とりあえず賑やかにすればつられて少しは良くなるかと呼んでみたんですよ。もっとも、いらぬお節介だったようですが」
「そりゃどうも。まあせっかく来たんだし、入っておいでよ」

 声をかけるとそれを待っていたかのように、わっと人がなだれ込む。三沢、万丈目、翔、剣山、明日香、吹雪さん、天下井ちゃん……大なり小なり僕のかけがえのない仲間、そして友達だ。そしてその奥には、トメさんやクロノス先生の姿まで見える。葵ちゃん、どんな呼び込みやったらこんな大勢引っ張ってこれたんだろう。

「そりゃあもう、葵ちゃんったら一生懸命だったからね。お姉ちゃんもまさかあの葵ちゃんがここまでやる娘だとは思わなかったよ」
「……なんで姉上が当然のような顔して混ざってるんですかね。私呼んでないんですけど」
「あーん、葵ちゃんったら辛辣なんだからー。でもそんな照れ隠し葵ちゃんも可愛いよ!清明ちゃん、また今度さっき隠し撮りした写真見せてあげるからね!」
「今すぐデータ全部寄越して下さい!」
「やだよー、これ私の観賞用と葵ちゃん布教用と保存用だもーん!」
「真ん中から特に嫌な予感しかしません!」

わーわー言いながら逃げる明菜さんと、それを追う葵ちゃん。その後ろ姿を目で追っていると、今度は三沢と万丈目が近寄ってきた。

「何があったかはわからないが、終わりよければすべてよし、だな」
「全くだ、無駄に心配させよって。ほら清明、お前にもこれを書いてもらうぞ」

 そう言って懐から取り出したのは、1枚の紙。開いてみるとそこにはたくさんの似顔絵と、それぞれの一言メッセージが添えられていた。

「これは?」
「十代の奴に、な。どうせあいつのことだから、卒業パーティーなんて待たずにこの島から飛び出して行ってしまうだろう。だからせめて俺たちからのサプライズとして、あいつの荷物にでもこれを仕込んでやろうと思ってな。だからお前も何か書くんだ」

 そういえば、これだけたくさんの人がいるというのに十代の姿はどこにもない。あの野郎、つれない奴だ。一緒に渡されたペンを手に取り、少し迷った末にこう書いた。万丈目がそれを覗き込み、よせばいいのにわざわざ音読する。

「なになに?『童実野町本店「YOU KNOW」絶賛営業中』?なんだこれ、宣伝じゃないか」
「いや違うんだって、場所はここだからいつでも会いに来い的な……ね?」
「まったく、お前らしいといえばお前らしいな」
「……三沢、それ褒めてんだよね?」

 一応聞いてみるも肩をすくめて笑うのみの三沢と、それを見て笑う他の皆。結局明菜さんには逃げ切られたらしい葵ちゃんが息を荒げながら帰ってきて、みんなして笑っている絵面に眉をひそめる。
 うん、悪くない。確かにこのアカデミアに入学してからは色々あったけれど、なんだかんだいっても最後にはこうやって笑って卒業することができるなら……それは、悪くない。ちょっと唇をほころばせて、なんとなく窓の外に視線を向ける。どこまでも広がる彼女の髪のように青い空の奥で、現も少し微笑んだ気がした。 
 

 
後書き
別にやる必然性はないよなあと思いつつも、最後だからと葵ちゃんとイチャイチャさせたい欲を抑えきれなかった。

はい。終わりです。本編終了。

暁様時代から数えるとなんときっぱり6年(と9日)、ハーメルン様で並行連載を始めてからカウントしても5年と8か月。なんだか遠い昔のようでもあり、まだ手が届くほどに近いほんの少し前の話のようでもあり。
この後の予定としましては、とりあえず番外編というか後日談的なのを1話。それが終われば何度も告知していた後語り的なものを載せる予定ですので、少なくとも後日談の方まではお付き合い下さると幸いです。

それでは言いたいことは色々とありますが、まあその辺は全部後語りに放り投げておきますので今はシンプルに。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました! 
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