ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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OS
~白猫と黒蝶の即興曲~
交わらない点:Point before#5
「レン、おかわり持ってきて欲しいかも!ジャンルは問わない!」
警察犬を放つブリーダーのように紅衣の少年を解き放った白髪の少女は、そのまま大振りの皿を器用に頭に乗っけたまま舌なめずりした。両手はそれぞれ異なる受け皿を持っており、キャパシティーは一杯だったのだ。
大道芸人みたいになっている幼女を見下ろし、頭上から溜め息が降ってくる。
そちらを見上げると、いつも通りの巫女装束を身に纏う女性が影武者のようにひっそりと立っていた。
「なぁに、カグラ。言いたいことがあるなら、はっきり言って欲しいんだよ?」
「まだ食うのかって別に言われなくてもニュアンスで感じ取ってくださいよ……」
頭痛がしたように額に手を当てる巫女装束の闇妖精は、これみよがしに苦々しくそう言ったが、真っ白な少女のほうはどこ吹く風と受け流した。
しかしそんな少女に向かって、半ば無駄とは思いつつもクドクドとカグラは言う。
「だいたいですね、先日の迷子事件もそうでしたが、もう少しあなたは他の者に対する迷惑というものを自覚してから行動を――――」
「ひょいぱく」
「ちょッ!それ私のローストビーフですよ!!返せこの猛獣!!」
「ふふーん、そんな恰好してて肉なんか食べようとしてるからだもーん。大人しく精進料理でも食べてりゃいいのに、ぺっ」
小さな取り皿に乗っかっていたちんまり肉を取られて逆上する巫女に、べーっと大きく舌を突き出す幼女。なんというか、ケンカは同レベルでしか発生しえないという言葉のお手本のような風景だった。
「いや別に私は本職の巫女でもないし、そもそも仏教徒じゃないですよ」
「えーじゃあそれって……コスプレ?」
「こすぷッッ!?ま、まぁそういう言い方もできますか」
ぐらぐら揺れる頭の受け皿(Lサイズ)を取ってやりながら、長身のインプは言う。
「これは私の創造主であるカーディナルが作り出したものです。意味は分かりませんが、おそらくは役職的にではありませんか?」
かつて己を操り人形としていた神の紛い物であり父である仇敵に対して、まったく臆することもないカグラの様子を横目で見つつ、マイは残る両手に持った皿をフリスビーのように回しながら、
「ふーん、意外だね。とくに国色とかは気にしないタイプっぽいのに、手元に置くのは天使じゃなくて神道系なんだ」
「さぁ、そこは趣味としか」
能力と人格と性癖は往々にして別カテゴリというのと同じようなものだろう、と適当に思いながら、カグラはなおも手元を狙う小さな猛獣を視線で牽制する。
睡眠欲を始めとして、食欲も薄い純粋なデータ体である彼女からすれば、食事は必ずしも必要な行為でもないのだが、必要ではないということは、したくないというのとイコールではないのだった。
つまるところ、
「うまいモンは私だって食いたいんですよッ!!」
本能に従って胸の内を吐露しながら、真下からエサを狙う肉食魚を追い払おうとするが、ちっこい少女はカグラと違ってシステム上の各種ステータスは与えられていないにも拘らず、ものすごい力で反抗してくる。
これが欲望の差なのだろうか、と人工知能の女性は欲の浅ましさについて悟りが開けてきた。
「そうですね……。確かに現実の肉体がない我々にとっては飢餓感と同じくらい満腹感もないですからね。理論上無限に食べれますよね……」
「むっ、何を勝手に納得されたのか分からないかも」
「胸に手を当てれば分かりますよ」
「そこはかとなくケンカ売ってない??」
しかして供物を取りに行った少年がなかなか戻らないことから、次第にマイの口元からガッキンガッキンという人間らしからぬメカニカルな音が聞こえ始めてきて、いよいよ受け皿の中身を生贄に捧げようかとカグラが算段していると――――
「あなたはどう思う?」
黒揚羽のような凛然とした声が、耳朶を震わせた。
飢えたチュパカブラ状態の少女はそちらを見ようともしなかったが、一応自分達にかけられたものかもしれないとカグラは周囲を見回す。
否、見回す必要もなかった。
いつの間にか。そう、いつの間にか。少し目を離した隙に、という感じですぐ隣に変わった印象を受ける少女が立っていた。
黒と紫を基調にしたワンピース。しかしそれがどうしようもなく周囲から浮いて見えるのは、そのデザインがどことなくALOのファンタジー然とした方向性ではなく、どちらかというと近未来的なSFチックなものだからかもしれない。
しかしその程度、プレイヤーのハンドメイド製品ならままあることだ。現実世界のサブカルチャーを世界観をセットにして存分に発揮できるあの業界は混沌の坩堝とよく伝え聞く。実際、主要都市以外でたまに見かけるアングラ市場などでは、ゲテモノメイド服やら制服コスプレ服などが所狭しと並べられた店もあった。
それに照らし合わせれば、この程度のデザインはまだまだ入門編のような違和感だが、それでも背景の妖精達からは別種の雰囲気を醸し出していた。
それはきっと、少女自身の持つ空気のせいかもしれない。
茫洋とした赤い瞳と白い長髪。それが合わさり、どことなく深窓の令嬢のような不思議な神秘さがあった。
「……えぇと、私達に何か?」
「あなたはどう思う?」
困惑気味に放たれたカグラの言葉が聞こえていないかのように、彼女は再度その問いを繰り返した。
決して聞こえていないということではなく、聞こえた上でスルーしている。思わず二の句が継げずに口を中途半端に半開きにしていると、
「なにが?」
横合いから不自然なほどに柔らかい声音が聞こえてきた。
そちらに目を向けると、食欲のカーニバルから脱したらしい幼女が、一転してどこか優しげな表情で少女を見ていた。
「あなたは何を訊きたいの?」
「――――大切な人が……彼が、やってはいけないことをしようとしてる。それを知っていて、私は何もできない。……私はどうすればいいの?ぶつかればいいの?逃げればいいの??」
「……………………」
「ねぇ、教えてよ……教えて……」
ぼんやりとして、ふらふらとした、迷子のような言葉の羅列。
だがそれに反して、その内容には並々ならぬ感情があるような気がした。いや、この場合並々ならぬというより、生々しいというべきか。
暴力よりも凶暴で、
冷酷よりも酷薄な。
剥き出しの、感情の発露。
それを直接向けられた訳ではないのにも拘らず、思わずたじろいだように愁眉を寄せるカグラに対し、マイは欠片も臆した様子もなく口を開いた。
「あなたはその人をどうしたいの?救いたいの?助けてあげたいの?」
「それは――――救い、たい」
「本当に?」
オウム返しのように即答されたその応えに、謎の少女は鼻白んだようだった。
対してマイは、どこまでも真っすぐに彼女を見ていた。
「誤解しないでね。あなたがその人のことを想っていないって言ってるわけじゃないんだよ。あなたはただ純粋に心配なだけ。何もできないと言いつつも、他人に助言を求めに行動を起こせるあなたが薄情なんてことは絶対にないんだよ」
「……っ」
少女の顔が一瞬歪む。それは親を見つけた迷子のようで、思わず手を差し伸べたくなるような何かがあった。
「だから、その上でもう一度聞くよ?あなたは、その人をどうしたいの?」
「ぅ…………」
「逃げたくはないんだよね。けど、ぶつかり合いたくもない。だってそれだと嫌われちゃうかもしれないから。その人が離れていっちゃうかもしれないから」
さっきまでとは別人――――どころではなかった。
柔らかで優しげな、どこか超然とした笑みを崩さずに、マイはそっと少女に手を伸ばした。
「分かるよ、分かる。マイ達は存在が不定形だから、どうしても《そこ》に自信が持てなくなるかも」
そこでマイは頭を巡らせ、こちらに「ね?」と話を振る。
むしろ目の前の少女が自分達と同じデータ体であるということに驚きの声を上げたかったのだが、その視線に押されるように巫女装束の麗人はカクンと首を縦に振った。
「――――その通りです。現実の肉体というものを持ち合わせない、そして絶対的な経験不足のせいで、我々は自分というパーソナリティそのものが曖昧になりがちになる」
「だから不安になっちゃうのも分かるかも」
マイはちこちこと指を振りながら、
「でもよく考えて。今あなたが取ろうとした二つの選択肢は、どっちも絶対辛いことになるんだよ。ぶつかったらヒビが入るかもしれないし、逃げたらすれ違うこともできなくなっちゃうかも」
「そんな……ッ。私は、そんなのイヤだ。私は彼といたい!彼と――――エイジと……!!」
「うん。だからマイは、あなたに第三の選択肢をあげる」
少女はにっこりと笑い、こう言った。
あっさりと。
本当に。
「それは――――」
「《あれ》で良かったのですか……?」
マイの言葉を受け、物言わずに立ち去った少女を目線で追いかけながらカグラは呟いた。
一方、マイは相変わらず空の皿を持ちながら、こちらの受け皿のほうにチラチラと目線を投げかけている。まだ諦めていなかったのか。
「いいんだよ。これは良いか悪いかの問題じゃないからね。あそこまで行くと、気に入るか気に入らないか――――要するに善悪じゃなくて好悪の問題かも。そしてそういうことは、他人の助言じゃなくて本人の気分しだいで決まるものなんだよ」
「そういうものですかね」
ふぅ、と溜め息のような重い呼気を吐き出しながら、巫女装束のインプは軽く肩をすくめた。
見た目と言動に騙されがちだが、カグラとて生み出されてから三年ばかり。人間の情動に関する部分はこと疎かった。
反対にマイは、人の魂とさえ言われているフラクトライトに直接アクセスできる権限を持つ。こと理屈抜きの無意識に近い本能や感情の面で彼女以上に詳しいのは、他ならない彼女の心に巣食う《魔女》くらいのものか。
「……それでは」
ローストビーフにフォークを突き刺し、口に運んだカグラは一拍の間を置いて改めて言った。
どこか、突き放すように。
「《これ》は、これで良かったんですか」
主語がない言葉。
二人だけで共有された、他者への理解を拒んでいる羅列。
だがそれでも、少女は真っ白な前髪の奥で理解したように目を細める。
「あなたは世界樹でレンが無茶をしてからというもの、家で閉じ籠っていました。それはひとえに、これ以上彼が負担を負うような場面に行き当たらせないように」
世界樹でのあのグランド・クエスト以降、マイは基本的にレンの購入した空中島から出たことはない。無論まったくないという訳ではなく、買い物や他人の家に遊びに行く時などはちょくちょく同行してはいた。
だがその頻度はお世辞でも高くはなく、普段の彼女はもっぱら家の中で読書をしたり散歩をしたりとゆったり過ごしていたのだ。
そしてそれらは全て、レンへの牽制だった。
マイが動けば、その分レンも動く。マイがトラブルに巻き込まれれば、レンもまたその渦中に躊躇なく飛び込む。
これは決して推測などではなく、世界樹まで至る一連の期間、ほぼ一緒にいたカグラがだした厳然たる事実だ。なにせマイが囚われているというだけであの少年は三か月もロクに現実に帰還せず、強引に狼騎士隊を作り出し、挙句の果てに央都の街を崩壊までせしめたのだ。これが無茶と言わずして何と言えよう。
だからマイはその無茶を少しでも止めようと、自分が静養するという選択肢を取り、そもそものトラブルに遭遇する確率そのものを減じようとした。
だがダメだった。
「レンは……我が剣の主はどこまでもヒーローでした。マイが静養しているからこそ、レンは新たな火種をもってして勝手に点火した」
GGO。
マイを起点としない、まったく新しい負債をあの少年は勝手に背負い込んだ。庇護対象が関わってもいない、本来ならば負うべきではない無茶と負担を独自に。
その理由に思惟を向け、少女は苦々しい思いで奥歯を噛んだ。
「なんで、レンはまだ囚われてるのかな。あの《呪い》に」
《冥王の堕日》の日にかけられた、ちっぽけな矢車草の末期の鎖。
透明な少年にヒーローという影を落とした元凶。
「しかも、それは悪化してしまっています。GGOで萌芽した《英雄》の気質。見知った個人を助けていたヒーローならばまだ引き戻せましたが、見も知らずの全を助けようとする狂人の可能性は無視できませんよ」
「……そうだね」
GGOでレンは、《災禍》と戦った。
だが、あれは本来、それまでのレンならばそもそも起こりえるはずのなかった激突だった。蘇った災禍は場所がGGOだけに、あの少年に関わる一切には関与しない可能性の方が高かった。レンの戦闘は本来ならば、ユウキを傷つけた死銃や道化師を倒すという方向性で終着するはずなのだ。
だが、実際に蘇った災禍を前に、あの少年は戦うと言った。
関与しない、見ず知らずのGGOの人々を指し、彼らのためにコレを放っておけない、と。
その思考がカグラにはこの上なく恐ろしい。
確かに恰好は良いだろう。善悪で言えばもちろん善だし、好悪で考えみても好感が持てる。コミックならば主人公だし、アニメだったらどう転んでも敵役にはなるまい。
だが現実問題、そんな十代の少年がいたら異常という単語しか出てこない。
全を軒並み平等に救うということは、親も友人も仲間も平等に全として一括りにするということ。それはもう、全から働かされる奴隷のようなものだろう。
だからこそ、マイは今回のパーティーに参加した。
レンがそんな状態にある以上、マイという首輪から彼がこれ以上外れていくのは危険極まりない。つまるところGGOの一件は、マイが家に閉じこもり、彼女がトラブルに巻き込まれないとレンが判断し、ヒーローの特性に従って外部にトラブルを求めた結果起こったことなのだ。
救いたがりのヒーローの欠点。
これが悪化していったら、そのうち救い出す対象を自分で作る最悪のマッチポンプになりかねない。絶対悪がいてこそ存在できる相対的な正義とは違い、ヒーローは庇護対象さえあれば存在できる概念なのだから。
しかし、それを改善するのは簡単だ。つまり、マイという庇護対象がその役割を取り戻せばいい。
SAOの頃と同じように、穏やかな平和に浸かりながらも常に騒がしくトラブルメーカーな《マイ》に戻ればいい。そうすれば彼は困り顔で苦笑しながらも、《マイ》を助けている、支えているという実感で満足して、無用な危険に首を突っ込むことはしなくなる。
救いたがりには、救われたがりがあるだけで完結するのだから。
それは、善悪で言えば悪かもしれない。彼の助けで確かに助かる誰かを、二人は切り捨てているようなものなのだから。
だがそれは同時に、レンが背負うようなものではない。世界に使役される奴隷は、あの少年には荷が重すぎる。
お前がいないから死んだのだ、などというふざけた言葉を浴びせかけられるには、彼は繊細過ぎる。
「このパーティーを切っ掛けに、あなたは外出するようになる。それで、あなたの世話をする中で、レンの中のあの《呪い》は小康的な状態で安定化する。……信じて、いいんですね?」
「たぶん、としか言いようがないんだよ。GGOで《英雄》の側面が出始めたレンはもう未知数。マイ一人だけじゃなく、他に目が行く可能性がない訳じゃないかも」
互いの顔を見ずに、少女達は会話を止めない。
「けど、レンの中のその側面はまだ芽が出たばかり。想像できない全体よりも、もともと手元にあった《お手軽》に意識が向くって考えるほうが当たり前だと思うんだよ」
「それは――――そうですが」
自らをモノのように言う冷めた言い方にカグラは思わず言い淀む。
カグラは知っている。SAO時代、この真っ白な少女と一心同体のような巫女は知っている。
この少女はそもそも、こんなトラブルメーカーでお転婆な性質――――ではない。
マイの歴代保有者を狩ってきたカグラだから知っているが、相手によってマイの性質は変わるのだ。
ある時は全てを賭けれる母親のように。
ある時は全て投げ打てる友人のように。
ある時は全て許せられる恋人のように。
その真意を聞いたことはない。興味もない。
だが、その目的は明らかなように思える。
そんな巫女の心の内を知ってか知らずか、マイは何でもないことのように視線を受け流し、そっぽを向いた。だがカグラの動体視力は、明後日の方向を向く少女の目元が涙をこらえるように小さく歪んだのを見逃さなかった。
その涙の向かう先が自分自身ではないということを折り込んだ上で、巫女装束の女性は小さく嘆息した。
「まったく、ヒーローはどちらだか……」
「なにか言った?」
「いえ何も」
少年はまだ戻ってこない。
だがそれを探そうとはせず、二人の少女はじっとその帰りを待ち続ける。
後書き
まったく戦闘もクソもなく、動きもなく、ただただYUNA――――通称、黒ユナさんが方々の人から教えをいただくという何じゃこれなOS編ですが、今話はかなり重要回です。
文字通り重要なことだからもう一度言います。重要回です。
SAOから遥々と、マリオに対するピーチ姫のような『ヒロイン』として活躍してきたマイちゃん。その内面にここまで踏み込んだ回は初でしょう。ヒーローあってのヒロインじゃなく、ヒロインがいてこそのヒーローなんだぜい?w
まぁしかし、なんで彼女が話の中にあったように、歴代の持ち主達の『ヒロイン』として自身を最適化させてきたか、そんなことをしていた理由についてはまたこれから明かされるでしょうが。
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