ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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OS
~白猫と黒蝶の即興曲~
交わらない点:Point before#6
ぶん……という、サーバーのファン回転数が上がった音に、初め鋭二は聞き流した。
だがその音の意味するところまで考えを至らせ、ラップトップPCに貼り付いていた視線を勢いよく引き剥がした。
作業の途中で邪魔くさいと毟り取っていたオーグマーをデスクから取り上げ、急いで身に着ける。
幸いなことに主バッテリーであるマグネシウムイオンバッテリーは放電しきっておらず、スリープ状態だったからか起動シークエンスはスッ飛ばされた。
すぐさま視界に広がるAR。
いくつかのプリセットアプリのアイコンが表示されると同時、天気やニュースなどのトピック情報が大きく視覚を取る。
それらは軽く指をスワイプするだけで脇に追いやれるのだが、青年にはそんな心情的な余裕はなかった。粗暴に腕を大きく振るい、邪魔そうに視界からそれらの諸情報を消し去る。
視界を確保した鋭二は、改めて眼鏡と同じく耳に引っ掛ける形で固定されているオーグマーを強く抑える。
溢れる感情は、理性を通り越して言葉になった。
「ユナ!帰ったのか、ユナッ!」
その声はあまり声を張り上げたつもりはなかった。
だが無人の研究室にはあまりにも大きな声だった。ゼミ生に綺麗好きが多く、伝え聞く他研究室のカオスぶりに比べればよく片付けられている重村研究室だが、それゆえに鋭二の声は空虚に反響した。
僅かにたわんだ自分の声に少しだけ肩を震わせた青年は、それを塗り潰すようにまた宙空に呼びかける。
「い、いるんだろうッ!何か言ってくれ!」
一瞬の、余白があった。
時計にすれば僅か数秒。だが鋭二にすればその数十倍に匹敵するような、不気味で仄暗く、しかし温かい少しの距離感。
そして。
「――――エイジ」
「っ!!」
青年の身体が、電流を浴びたように振り返った。
僅かなサーバーの駆動音。それに後押しされたように研究室の隅に少女のアバターが現れる。
「ユナっ!」
鋭二は安堵の声を上げたが、それに反してユナと呼ばれた少女の肩は大きく跳ね上がった。
単なる驚愕以上の悲哀がそこにはあった。
それを見て、続ける声色を努めて低く抑えながら、鋭二は慎重に口を開く。
「……心配したよ。どこに行ってたんだ?」
「…………………」
答えはない。
これは普段の彼女からすれば明らかな異常だ。それこそ重村教授の知るところになったら、最低でも主要データ以外のリセットか、プログラムか機械学習の洗い直しを命ぜられるだろう。
だがそれは鋭二の望むところではない。今まで蓄えていた彼女のクセとでも言うべき一時データが失われてしまえば《計画》に多大とは言えないまでも軽微な不都合は出てくる。
……というのは建前だ。
再起動のみならず、初期化までされた結果生まれ直すユナはもう元のユナではない。それが、その事実が鋭二にはこれ以上なく嫌だった。
勝手かもしれない。どうしようもなく醜いエゴかもしれない。
だがそれでも、かつての《彼女》とまったく同じ顔の少女が定義次第とはいえ死ぬのは、我慢ならなかった。
だから鋭二は、あえてそこから先に踏み入る勇気を出すことはできなかった。
知りたくない。知ってはいけない。
だって知ってしまえば、自分はそれに対処しなければならなくなるのだから。
「おいで。いつもの庭園に行こう」
「……うん」
少女の顎が小さく縦に動くのを見届けた後、鋭二はオーグマーを通じて視界端に浮かぶメニュータブを引っ張り出す。
オーグマーは基本的には生活に沿うガジェットというのを目的としたAR機器だが、四月から本格稼働する本命ゲームタイトルでは景色を塗り替えるという大規模な機能をふんだんに使っている。それは決してそのゲームだけの専売特許というわけではない。
制作初期から、その準VRとでも言うべき視界変遷をテストする目的で、テスター用試作機の鋭二のオーグマーにはその機能を任意で使えるアプリが入っている。
そのアイコンをタッチし、二人でよく入り浸っている庭園ステージを選択した。
すぐさまその意を汲んだオーグマーが鋭二の視界を操作。年を越したばかりの研究室は、麗らかな春の陽気すらも錯覚する庭園へとたちまちのうちに姿を変えた。無機質な壁は遥か彼方に優美な稜線を備える壮大な山脈に変わり、近くには自然の中にあるようなコテージ。
まるでカナダかどこかにある人里離れた貸し別荘にやってきたような光景の中、背景小物の白い蝶がひらひらと静かに舞っていた。
それをぼんやりと眺めながら、青年は改めてユナに目を向ける。
鋭二とオーグマーを通じて視覚情報を共有している少女の目にも、自分と同じ景色が見えているはずだ。にも拘らず、鬱々とした表情で陰りを見せる少女を見、一瞬だけ口元を自己嫌悪で歪ませた鋭二はそれを押し殺して言葉を紡ぐ。
「大丈夫だ、ユナ。僕は怒ってないよ」
「……本当?」
「本当さ。それに、今日は君の久しぶりの休みだったんだ。仕事をほっぽりだしてるんならともかく、休みの日くらい自分の行きたいところに行けばいい」
違う。それは人間の理屈だ。ただのAIである彼女に本来の意味での休日はない。
だがそれを必死に感情の仮面の下に覆い隠し、鋭二は機械的に四肢を動かす。
「――――今日は予定が入ってるけど、次の調整日を使って昨日やるはずだったフルチェックをやろう。それで何事もなし、だ」
重村教授はおそらく再起動を要求するだろうが、すでにしたと言えばバレはしないだろう。あの人にとってユナはどこまでいってもただのデータクローラーで、ただの――――人工知能なのだから。
《計画》のための必要条件であり、絶対条件ではない。
その程度の存在。
代わりはその気になれば創れるし、邪魔となればボタン一つでデリートできる。
それだけの、存在。
罪悪感が背筋を這う。
自分の表情筋が今どんな完成図を描いているのか分からなくなった鋭二は、逃げるように無理矢理少女から目線を外した。
爽やかな仮想の大気が肺を満たしても、気分はまるで晴れない。それも当然か、五感の全てをデジタルに委ねるVRとは違い、AR技術というのはあくまで視覚情報が基幹部分だ。薄暗く、空調も切って年明けの研究室の底冷えした空気と、視覚に映る雄大な自然はあまりにも乖離している。本能とかではなく、理屈の時点で身体が違和感を覚えているのだ。
まるであの世界から逃げ出し、ARに閉じ籠った自分を煽るかのように、と。
そんな自虐的な思惟を巡らせていた鋭二に、
「エイジ、私……歌うから」
「……え?」
脈絡もない言葉が耳朶を震わせた。
思わず振り返ろうとすると、それよりも早く背後から手が伸びてくる。実感を伴わない幻影の腕は抱き留めるように鋭二の身体を包んだ。
「ゆ、ユナ?いったい――――」
「私、歌う。エイジの言う通り、エイジの望む通り、私は私の在るべき姿に戻るよ」
ぞわぞわ、と。
望んだ言葉。満足するべき言葉。
そのはず、そのはずなのにもかかわらず、指の間を不安が這うような言葉を少女は吐く。
それに対する具体的な返答を鋭二が答える前に、ユナは小さく、だが確かな呟きを宣言するように囁いた。
「私はどこにも行かないよ」
その一言は、電光に撃たれたように鋭二の身体を竦ませた。
何かを言いかけた気がするが、それら全てが吹き飛ぶような衝撃が脳裏を揺らした。思わず立っていられなくなってしゃがみこんだが、そこで小さな煌めきが視界を落ちていくのが見える。
限界だった。
青年は、静かに嗚咽をこぼした。それはやがて決壊したように断続的になっていく。
寄り添う少女は何も言わなかった。
ただそれを、慈しむように見ていた。
いつまでも。
いつまでも。
いつまでも。
やっほーい、ユウキちゃん。
あ、アレちゃんとテオドラちゃんに届けてくれた?おっけー?中身見てないわよね?
……わーありがとありがと!さんきゅーさんくすゆあうぇるかむ!あとでお姉さんお手製の特製カクテルを奢ってやろー!
材料費込み込みだと結構しちゃうから、原価回収だけでもタイヘンだから普段はほぼほぼ自分で楽しむ用くらいしか作らないんだけどね、今回は働いてくれたからトクベツよん♪
え?……大丈夫大丈夫だいじょーぶ!ヘンなものは使ってないわよ!自分用ならバッカスジュースくらい入れるんだけどね。さすがに悪ノリはしませんよーっと。
さてと。
へいへい!ひっさしぶりに作っちゃうぜー☆
えーと、カクテルシェーカーとか滅茶苦茶久々に見たわね。ほっぽいててもホコリとか被らないのが仮想世界の良いトコよね~。
……形から入るぅ~?ええぃこれだから素人は!見てなさい、ちゃんとあのシャカシャカするヤツ練習したんだからね!!料理スキルを取ってるだけで、適当に振っただけの有象無象とは違うのよほ~らシャカシャカシャカァ――――ッ!!!
…………ほい、できたわよ。兎轉舎特製スーパーデリシャスカクテル、本当なら超ふんだくるトコなんだけどね。
ささ、召し上がれ。あ、色は気にしないでね。カクテルなんてカラフルなのが普通なんだから。それに薄いレモンとかブッ刺してたらカクテルになんのよ。
え?あの紙きれ渡すのがそんなに重要なのかって?
そりゃそーよ超重要なミッションよ。たぶん、ユウキちゃんが思ってる以上にねー♪
ここはあくまでゲームの世界だもの。本来なら現実世界で会うこともできない人も、ここなら誰とでも《遊び》や《趣味》というお題目の上で、現実の監視を避けて好き勝手出来るってワケ。まーある程度ならサーチは可能だろうけど、雁字搦めってのは建前がある以上無理ね。
うふふ、そんなに怖い顔しなくてもいいわよー。
ユウキちゃんには迷惑かけないようにするから。子供は知らん顔で遊んでなさいな。
ほらーもー、拗ねない拗ねない。
大人は子供より欲が深くて格好つけないといけないモンなの。
…………………ね。
あなたもそう思うでしょ?
イヨとユウキが目を向けた先。
いつの間に座っていたのか、マントのフードを目深に被った人物は、投げかけられた言葉にしばしの間まったくの無反応を貫いていた。
やがて――――
カラン。
ハンドベルの、音がした。
後書き
劇場版を見て最初に私が思ったのは、エイジくんの健気な愚かさでも、教授のいじらしい妄執でもありませんでした。
それすなわち、黒ユナさんはどうしてエイジくんに協力しているのだろう、というのが今回の短編のスタートとなり、起点となっています。
反発するのでも、見捨てるのでもない、第三の選択肢。
そう、見守るということです。
それがどれだけ愚劣で卑劣で、無駄で無謀で無理で――――そして無害ではなかったとしても、それを丸ごと包み込むような、全力で間違った方向の母性です。
さて、作中ではユウキがその在り方を誰かと似ていると言及していましたが、その相手は果たして誰なんでしょうね……?というところで、OS編完結を宣言いたします。
劇場版から数えて一年半以上の年月が経ちましたが、ひとまず終わりを迎えられて満足です。
あくまでこの後の出来事については劇場版SAOをチェックしてくれよな!という雑な宣伝も添えて、次はいよいよというか、なんぼ待たせんねんと言われかねないアリシ編へと移行したいと思います。
点が合わさり線となり、やがて大いなる一点に集結して終決する物語。
最終章にして幕切。大円団になるのか、ならないのか。……大《円》というのはあながち、間違いではないでしょうが。
それでは皆様、また次回でお会いしましょう。
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