ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
OS
~白猫と黒蝶の即興曲~
交わらない点:Point before#4
金製酒器を仰ぎ、壁に背を預けるチョコレート肌の土妖精は参加者の中に珍しい顔ぶれがいるのを見、思わず歓声を上げて抱きついた。
「シっゲっさーん!久しぶりーカンパイカンパーイ!」
「おっとっと、テオドラちゃん。できあがっとるのぉ」
しわくちゃの顔にさらに追加のシワを刻みながら迎えたのは、同じくノームの小柄な老人だ。腰は曲がっているが、人種的にがっしりしているテオドラの肢体を受け止めるくらいには安定している。というか通常ありえないほどの前傾体勢にも拘らず、ここまで身体のブレがないということは体幹が異常に発達しているからだ。
これも老獪に砥がれた牙の一つ。安易に組み伏せればたちまちのうちに喉笛の掻っ切られるだろう。
「ハッピーニューイヤー!」
「はい、あけましておめでとう」
からからと笑いながら、枯れ枝のような老人はアイテムウインドウから野外用の簡易椅子を取り出し、「よっこらせ」と言いながら座る。
「お疲れかい?」
「相応の地位になると、やりたい事とやるべき事が往々にして混ざる。そしてそれらは大抵、こちらの限界は見ておらん。そこで折れるかどうかでその人間の価値が決まると思うと、何とかやっていけるもんじゃよ」
「そういうもんかね」
スキットルを手渡すと、老人は豊かな白髭を綻ばせながら飲む。曰く、現実では健康上の都合で、飲酒など久しぶりだとのこと。
「かーっ……味だけだと言うが、よく再現されておるわい。平気じゃと言うのにあのヤブめぃ。酒は百薬の長という言葉を知らんのか」
珍しい老翁の口調にチョコレート色の肌を持つ女性は目を丸くする。
「驚いた、シゲさんでもそういう風になるんだね」
「かっはっは、儂も人間じゃよ。何かを為すたびに、代わりに何かを支払っているちゃんとした人間じゃ」
「ふ~ん。……じゃあ、それができる人は神様か?」
「そりゃあ人間とは言わんが、そうさな……。もしそんなことできる者がいたら、それはとんだ主人公じゃろうなぁ」
こちらを見上げ、痛快な笑みを浮かべるシゲさんに笑い返しながら、スキットルを受け取って更に呷る。
年輪が刻まれた顎をなぞりながら、老人は遠い彼方に眼を泳がせた。その目線を追うと、遠くのテーブルで暴れまわる白い頭と、それを必死に押しとどめるちっこい頭があった。
「……彼は、人間じゃよ。やったことに然るべき対価を払っておる」
「それが、叱るべき内容であっても?」
「………………」
空になった酒器がポリゴンの欠片となって砕け、代わりにテオドラは近くにいたウェイターからワイングラスと簡単なBLTサンドを奪い取る。
チョコレート色にワインレッドが映え、蠱惑的で煽情的なコントラストを描いているにも関わらず、男勝りな一気飲みをした。湿らせた唇をベロリと舐めながら、ノームの女性は口を開く。
「ガキは誰かの助けがなくても勝手にデカくなる。けどな、シゲさん。やっぱりそれでも大人は必要なんだよ。導く手がないと、ガキは迷子になっちまう。そして、たいていの場合そういうヤツは不幸になる」
「こりゃ手厳しい。それは体験談かね?」
「さてね」
残るBLTサンドの方も一口で食おうとしたら意外と大きく、勢いよくむせ込みながらテオドラは飄々と流した。
それは踏み込むなという言外のサインにも見えたが、老人から見るその横顔はどこか虚ろな哀愁さえ漂わせていた。ただ辛い記憶、という訳ではないのだろう。喜怒哀楽入り混じった、ある意味では一番人間臭い表情。
「――――儂にはできんな」
「ん?なんか言ったか?」
「いやいやはやはや」
若干強引な逸らし方だったが、食い下がってもこの大樹のような翁がこれ以上揺れることはないだろう。たとえこのような場で、常ならない愚痴を吐くような空気でもだ。
そうして束の間、話題の空隙ができ、二人して壁に背を預けるだけしていた時だった。
「あなたはどう思う?」
黒揚羽のような凛麗とした声が聞こえた。
戦闘職らしい反射速度で首を巡らせる二人の視線の先には、背景の妖精達から切り取られたような少女が佇んでいた。
風もないのにワンピースの裾をふわりとなびかせる真っ白で真っ黒な少女は、こちらを淡々と見据える。
「あン?何だお前」
「あなたは、大切な人が許されないことをしてるのを分かって、それに付いていく?」
「無視かコラ」
「チンピラか、おぬしは」
躊躇なくガンを飛ばすテオドラの脛をはたきながら、老人は顔の陰影を若干濃くする。白い眉の奥に表情らしい表情を隠しながら、謎の少女に向かって口を開く。
「哲学的な問いかね?面白そうじゃな。……そうさな、近しい者が赦されざることをするのを識っていて、なおそれに付いて行く……か」
ふむ、と一拍を置いたシゲさんは、己の中で整理するかのようにアゴヒゲを触りながら言葉を紡ぎだす。
「この出涸らしに色恋沙汰を語られたくあるまい。じゃから、即物的な観点から行こうかの。まず、そんな輩に付いていくようなメリットが分からんの。そんな泥船からは逃げて木の板にでも掴まったほうが幾分建設的じゃろう」
「私は逃げられない。私には、止められないの」
「ふむ、なるほどのぅ。なかなか難儀なことじゃ。素直に諦めろというのも選択肢かもしれんが、それでは答えにはならんか」
唸る老人を置いて、少女はなおも言葉を重ねていく。
「彼は《彼女》のために何でもする。そしてその方法は絶対に許されない。……私は、どうすればいいの?話し合えば――――ぶつかれば、いいの?」
「ぶつかって止まるようなら、もっと前に止まってるだろ」
新しく実体化させたスキットルの蓋を捻りながら、テオドラは言う。
「いけないことをやるヤツってのは、ある程度パターンがある。純粋な正義感でやらかす勘違い野郎、好奇心や直情的な感情に従う下半身野郎、ここまではまだハナシアイで解決できる余地がある。だが一番厄介なアホは、全部丸っと分かってる開き直り野郎だ」
ぐびりと酒器を傾け、口元をワイルドに拭いつつ女性は続ける。
「こういうヤツは気色悪いよ。勘違い野郎もだいぶアレだが、それでも労力的な意味でキツいってだけだ。だが、この手のバカは利益度外視でやらかす。しかも説得しようにも、マイナスな意味で理論武装が完成しているから説得の効果もない。分かるか?説得次第でどうこうできる前者二つのバカ野郎より、説得のテーブルにそもそも乗り終えている野郎はぶつかろうが何しようが止まらねーの」
やるだけ無駄だ諦めな、と冷めた口調で言うテオドラと入れ違いになるように、若干の苦笑を口元に浮かべた好々爺が口を開いた。
「ぶつかる――――話し合うという行為も、もちろん無意味な訳じゃない。信じるということは尊く、清らかで美しいものだからの。……じゃが、世の中はえてして卑しく、濁っていて醜いという現実もちゃんと見なさい。理想論だけで背を押すのは残酷な人間のすることじゃ」
「そして誠実で優しいヤツぁ普通、現実を語る。それが一番本人のためになると分かっているからだ」
「その通りじゃ。そしてこれを含めて、儂の見解を言おうかのぅお嬢さん」
老人は掘りの深い顔の中で、糸のように細い目を静かにこじ開ける。
飄々とした調子ではない。まるで大樹が如き歳月を過ごした獣が起き上がったような雰囲気を羽織った老翁は、厳かとさえ思える口調でこう言った。
「見捨てろ。そんな阿呆を想える心を持つようなお前さんがかかずらうような価値を、その男は持たんよ」
「……っ」
そこまでどこかぼんやりとしていた少女の南天の実のような瞳に、そこで初めて明確な力が宿ったようにテオドラは感じた。
「彼を悪く――――ッッ!」
「いいや、言わせてもらおう、お嬢さん。ジジィのお小言は聞くもんじゃ」
「イロイロ経験してる、大人のおねーさんの助言もな?」
二人で顔を見合わせて、めったに見せない悪戯めいた笑みを交換させながら、齢も性別もまったく違う両者は言葉を繋げる。
「先刻も言ったが、お嬢さんの乗りかけているその船は泥船じゃ。先に光も目的地もない。待っているのは確実な後悔だけよ。言うて置くが、これは別に決めつけではないぞぃ?」
「要するに、罪は罪、そして罪にゃ罰ってワケだ。どんだけ言い繕っても、どんだけ誤魔化しても、現行の法律ではそれを完全にチャラにはできない。一回でも何かやらかしゃ、経歴にそれが一生残る。それが嫌なら国家に属するな。そん代わり、それまでテメェが不当な抑圧と享受し続けていた平和と治安が剥ぎ取られて、自由っていう名の弱肉強食の世界にご招待されるがな?それが現実ってもんだ」
「ぶつかるのも確かに手の一つ。じゃが、儂としてはそんな輩にこれ以上関わる意味が見出せんな。時間の無駄以上に手間の無駄じゃ、労力に見合う何かがあるとは到底思えん」
「でも、彼にだって理由が――――!」
「理由が結果に還元される場合、それは往々にして感情論や倫理じゃ。その場限りの安く、薄っぺらい同情や時代でころころ変わる世論を人生の天秤に乗せるのは感心せんなぁ」
そこまで言い切り、打って変わり老人は韜晦した人懐っこい好々爺然とした笑みを浮かべた。
「――――と、ここまでが《赤の他人》の率直な意見じゃ」
そこまでの厳しい言葉の積み重ねで若干強張っていた少女の表情は、肩透かしを食らったように呆気にとられた。
それを眺めながら、口の中で含み笑いをするシゲさん。それを見てさらに苦笑の形に口端を歪ませてテオドラは首に手を当てる。
「ま、主観的な意見じゃお眼鏡が曇りやすいってヤツだよ。客観的な視点ってのは常に一定数必要なの。感情的に動いて成功するのは運任せが強いからな」
そのまま首を押し、骨を歯車のようにゴキゴキやってるノームの女性を放っておいて、老人はある種子供のようなキラキラした瞳をこちらへ向ける。
「論議において一番強い武器は正直と正論じゃ。なぜならそれは論破されないということと、それと相反する論には必ずどこかに綻びや嘘、虚実が混ざっているからじゃ」
例えば、『サンタはいない』という現実論に対し、『サンタはいる』という理想論は絶対に勝てない。
プレゼントの指紋や監視カメラ映像を始めとして、一晩で世界中の住居に同時多発的に侵入する怪人という図を、数々の科学的な論拠をもとに崩しにかかれる『いない』派に対し、『いる派』は最終的に科学は万能じゃないなどといった観念論、または指紋などの物的証拠が細工されたものなどという陰謀論にしか活路を見出せなくなるからだ。
そしてこういう論拠は、えてして嘘を嘘で塗り固めているような、お粗末な結末を迎える。
「だがその最強の武器の中に誠実が入っていないことから分かる通り、現実論は所詮理論武装に過ぎん。人の心をまったく考えていないんじゃよ。……まぁそういう胡乱なモノに左右されないよう切り取ったのが現実論なんじゃがな。しかし、理想論をまったく考慮しない現実論なぞ、別ベクトルの理想論じゃというのは一理あるのは間違いないがね?」
「つまりはロマンが足りないというこったガキンチョ」
大人二人が空笑いする中、謎の少女はしばし所在無さげにおろおろしていた。
その姿を眩しいものでも見るように目を細めたシゲさんはこう言った。
「何も、全てを丸のみにしろという訳ではない。これを聞き、お嬢ちゃんがどうするかという問題じゃ」
「そしてそのケツを拭くのは、テメェだってことも忘れんなよ」
右手を拳銃の形にし、少女に向かって撃つジェスチャーをしながらテオドラはそう話を締めくくった。
しかし思うところがあるのか、しばしその場に留まっていた少女だったが、やがてゆっくりと踵を返してパーティーの人波の向こう側に消えていった。
その様子を見送った後、「はぁー!」と溜め息にしてはいささか大きな掛け声とともに大きく伸びをしたテオドラは、
「あーきっつ!やっぱりあたしゃ説教するには向いてないわ!」
「ほっほっほ、悪くない話運びじゃったぞテオドラちゃん。ただもう少し聞かせる体勢にさせようとしていたらなお良いかの。及第点じゃ」
「こっちにも教育するなよなーもー。……っと、ヤバいヤバい。あたしこれから現実の方でウチのガキどもと年越し蕎麦食べなきゃ。んじゃね、シゲさん」
「はいよ、またの」
ひらりと手を振ってテオドラも立ち去る。ここはノーム領ではないので、どこでも即時ログアウトはできないのだ。近場の宿屋を借りてそこでするしかない。
彼女の黒髪が見えなくなってから、老人は手を挙げ、首裏の襟を探る。少しすると、枯れ枝のような指の先に微かな手応えが返ってきた。
それを手繰り寄せて引っ掴み、拳の中にソレを隠したままで膝の上に持ってくる。端から見れば、首裏が痒くて掻いただけというように。
そして一拍の間を置き、ゆっくりと拳を開き、手の中にある小さな紙きれを老人は見る。
――――否。
それはもう、只の枯れた老人ではなかった。炯々とした眼光のもと、手元の紙きれを注視しながらも眼球は正面を向いているその顔は、知る人ぞ知る《六王》の一角、《千手》その人に他ならない。
―――最初に抱き着かれた時……くっくくかか、百点満点じゃよ、テオドラちゃん。
手元を一瞥した老人は、次いでソレをギュッと勢いよくすり潰した。それだけで元々耐久度が低かった紙きれアイテムは耐久度がゼロになり、ポリゴンの欠片となって破散した。しかしモノがモノだけに、炸裂音も雑踏のざわめきを破るほど大きくはない。
しばし黙考した老人は、やがて密やかに単語を一つ、呟いた。
「…………アルカイック・レポート、か」
後書き
SAO三期が始まりましたね~、という割には、こうやって書いてる現在でもう三話が放映されてるんですが……(汗
劇場版と見まがうクオリティに手に汗握る展開。無邪気のアリシ編もこんな感じにやりてーなーと思う今日この頃です。
…………でも、原作よりアスナさんが怖く見えたのはワイだけ??
ページ上へ戻る