「おい、マコト。お前はいつ休んでるんだ?」
魔王にそう聞かれたのは、いつものように四畳半の部屋で迎えた、ある日の朝のことだった。
「あのお。ぼくは奴隷ですけど? 奴隷が休日をもらえるんですか」
「この国の奴隷は普通にもらってるぞ。知らんけど」
「知らないなら断言しないでくださいよ……」
この国の奴隷は、基本的に罪人がなるケースしかないと聞いている。数も多くないそうなので、魔王も実態はあまり良く知らないのだろう。
「気にしてくださるのは嬉しいんですが。いまは別に休みが欲しいなんて思ってないですよ? 開業したばかりで大切な時期ですし」
ちゃぶ台のところに座っている魔王に対し、素直に思っていることを伝えた。
競合店があるわけではない。魔王軍参謀ルーカスの後押しもある。国のトップである魔王の承認もある。法律の縛りもない。人間の国ではないという大デメリットを差し引いても、日本で開業したときに比べ条件はよいだろう。
それでも、完全に軌道に乗るまでは安心できない。むしろ、これだけバックアップを受けて失敗しようものなら、というプレッシャーが常にのしかかっている。
新しく入った弟子はローテーションで休ませているが、自分はまだ休まなくて良いのではないか――と、今のところは思う。
「じゃあカルラは休んでるのか……って、どう見ても休んでないよな? 毎日ここに来てるし、そのまま店直行だもんな」
「ううん? ボクは休みもらってるよー? けどちりょういんに行ってるだけー」
「あのな……。休みなのに店に行ったら意味ないだろが」
「だって、一人でいるよりもマコトといたほうが楽しいしー」
「……」
「申し訳ありません。休日は設定しているのですが、さすがに自分から来てくれるものは追い返せません」
ブラック治療院でごめんなさい。
「じゃあカルラが休みの日は、わたしがこの部屋から帰るときに一緒に連れて帰るから。お前もカルラと交代で休め。体力も気力も持たんだろ」
あ、この部屋には来ちゃうんだ、と突っ込みを入れるかどうか迷ったが……。反応がめんどくさそうなのでスルー。
「ではカルラ様については魔王様にお任せします。でも、ぼくのほうは本当に大丈夫ですよ? うちの治療院、魔王様みたいなめんどくさい人も来ないですし。今のところ、変な消耗はありません」
「そうか。それならいいんだが」
「はい」
「……」
「……」
「……って、お前なに堂々と悪口言ってんだ? 殺すぞ」
「いたたたっ、髪を引っ張らないでください」
抗議すると、髪のほうは自由にしてくれた。だが、本題にしているほうについては引き下がってくれなかった。
「じゃあ定期的な休みじゃなくてもいい。お前は近いうちに一日だけ休みにしろ。魔王命令だ。いいな?」
「はあ。んじゃお言葉に甘えて」
実はルーカスにも、「そろそろ休みを取るように」と言われていた。気が進むわけではないが、言われたとおり休みを入れることにしよう。
「で、マコト」
「はい」
「その休みの日、何か企画しろ」
「はい?」
「わたしが参加できるもので頼むぞ」
「……」
なんか妙なこと言い出すなと思ったら、そういうことだったのか。暇なのか?
ということで、適当に何か考えることにした。
***
冬の終わりなので、気温が高いわけではない。
だが、いつも通りの、良く晴れた日――。
ぼくは魔王、ルーカス、メイド長シルビアとともに、ルーカス邸の庭にある木の下で、同じ敷物の上に座っていた。
その敷物、さほど大きくはない。料理が詰められた箱が中央に置かれ、それを四人が取り囲んでちょうどいいサイズである。
少し離れて、もう二つ敷物が置かれているが、そちらは大きい。上にはやはり料理が入っている箱と、それを囲むように、魔王の護衛の魔族がたくさん座っていた。
「マコト。この企画はちょっと地味じゃないか?」
「文句言うなら自分で考えてくださいよ……」
「何だとこら」
「イタタタ」
ぼくの髪を右手で引っ張ってくる魔王。空いている左手のほうには、パンに肉や野菜が挟まれているもの――ぼくがメイド長と一緒に作ったサンドイッチ――が、握られていた。
そう。苦し紛れに企画したのは、「庭園での花見」だった。
ルーカスの自宅には、「立派な日本庭園」が存在する。手入れが面倒なうえ、乾いた魔国の気候にはとても合っていないため、知る限りでは王都唯一だ。
魔国の王都の冬――当然のことながら初めて経験したが、日本ほどグッと気温が下がる感じはなかった。だが、この庭園に生えている木の中で、葉を全部落としたものがあったのは気になっていた。
すぐ近くまで見に行ったこともある。そのときは、鱗片に覆われた冬芽が確認できた。
……もしかしたら?
そんなぼくの予想は、当たっていた。
現在、桜のような花が見事に咲いている。それは、マッサージ学校時代、沖縄から都内に出てきていた友人が写真で見せてくれた、「カンヒザクラ」という桜によく似ていた。日本で見慣れていたソメイヨシノとは花の形が少し違い、色も濃いピンクだ。
これは見事だと思ったため、ルーカスに相談の上、今回の企画に至ったものである。
「ふふふ、魔王様。これは一見すると地味なようですが、実は非常に大きな意味を持った娯楽だと思われます」
ルーカスが笑いながらそう言って、隣にいるメイド長シルビアに右手を伸ばす。その手には、片耳取っ手のスープカップが握られていた。メイド長はカップをスッと受け取ると、黄色いスープの素を入れている。魔法でお湯を入れてかき混ぜるのだろう。
「そうなのか? リンドビオル卿」
「はい。私もマコトに今回の話をもらってから、ドルムントのドワーフ商館に聞いてみましたが……。人間の国カムナビでも、春先にこうやって、木に咲く花を敷物の上で鑑賞する娯楽があるそうです。
そしてマコトはかの国の出身ではありませんので、異なる二つの人間の国で、同一の娯楽が存在していることになります」
「……ふーん。で、それは何を意味するんだ?」
「この『花見』という行事は、人間にとって特別なことで、花を見て単に『奇麗だ』と思うだけのものではない、ということです」
「リンドビオル卿の話はいつも遠回しすぎるぞ? もうちょっと手短に話せんのか?」
すでに話の途中で飽きていたのだろう。魔王がサンドイッチを頬張りながら、呆れた顔をしている。
魔王の態度はともかくとして、その意見にはぼくも同意だ。
「確かに。いつも思うんだけど、ルーカスの話はちょっとまどろっこしいんだよね。普段から魔王様でも聞ける程度に簡潔にしてくれると助か――」
「おいこら」
「ウグググ」
今度は首を絞められた。
「では手短に……。まず、この木の花は、下向きに咲いています。
これは、花が人に見られるため、そして、花が人を見つめるために、一生懸命に咲いてくれている――という捉え方ができます」
「ほう」
「そう考えますと、この花々が我々を温かく包んでくれている気がして、自然と気持ちが穏やかになってくるのです」
「なるほど。リンドビオル卿がそう言うなら、そうなのかな? 気のせいかわたしもそう思えてきた」
「わかってないくせに……」
「何だとこら」
ガツンという頭への衝撃とともに、視界で星が飛ぶ。
「イタッ……いちいち突っかかってこなくていいですってば」
「だまれ。お前さっきから何気に失礼なことばかり言ってるじゃないか」
「思ったことを言っているだけですって」
「それがダメだと言ってるんだ」
「イタタタタ」
ヘッドロックを極められているぼくを見て、ルーカスとメイド長がはにかむように笑っている。
ルーカスはその穏やかな笑いのまま、
「魔王様、まだもう一つあります」
と言って、続けた。
「花とは、あっという間に散る、非常に儚いものです。人間はその儚さを、自身の一生に重ねて考えているのだそうです。
人間も比較的長命な生物ではありますが、それでも一生なんてあっという間に感じるのでしょうね。こうやって花を見ることによって、人生を大切にし、しっかり花を咲かせ、そして悔いのないように散っていこうと、あらためて決意をするのだとか」
「へえ。そうなのか? マコト」
「そうなんですかね? でもルーカスが言ってるんだから、そうなんじゃないですか?」
「お前も結構適当じゃないか……」
「だって、そこまで考えたことないですよ? 前の世界のときは、花の下でみんなで一緒に食べたり飲んだりして、『ああ美味しいね』って思って。んで、みんなで一緒に騒いだり、誰かが出し物をしたりするのを見て、『ああ楽しいね』って思ってただけですもん」
「出し物?」
「ええ。酔った人とかが盛り上がって面白い芸をやったりとか、です」
「ふうん。じゃあマコト。何か面白いことしろ」
「言うと思った……無理ですって。そういうのパワハラですよ。パワハラ」
「ぱわはら?」
「はい。ダメなリーダーがやるものです」
「そっか。死ね」
「ふげっ」
裏拳で胸を攻撃され、仰向けに倒された。
「……」
ついでに……と、そのまま仰向けの景色を見た。
真っ青な空を背景に、たくさんの濃いピンクの花が、こちらに向いていた。
満開。
見事な咲きっぷりだ。
――なるほど。
ルーカスの言っていたことも、なんとなく、わかる気がした。
そんな気分に……たしかに、なる。
こちらの世界では、花を咲かせたい。
たぶん、咲かせる条件は整っている。
蕾はある。見守ってくれている人もいる。見に来てくれる人もいる。
ならば、うまくいくのではないか。
少しひんやりした、しかし穏やかなそよ風を頬に受けながら、そんなことを考えた。
「こら、マコト。いつまで寝てんだ?」
脱力していたぼくの手首が、ガシッと掴まれ、力強く引き上げられた。