提督はただ一度唱和する
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苦悩の果てに来たる
天気予報が当たらないと感じたことはないだろうか。その認識は正しく、天気予報とは競馬予想とは違い、当てるものではない。予報の言葉通り、予め報せるだけのものだ。
国家試験に合格した人間のやっていることなので誤解されているが、精度は上がっても古代の占いと何ら変わりない。過去の統計から現在の状況に当てはめ、以前はこうでしたと、事実を公表しているだけである。だから、天気予報士も占い師も、決して嘘つきではない。彼らは予言者ではなく、解説者だからだ。それを知ってどのように判断し、行動するかは、全て受け手に委ねられている。当たらぬも八卦とは、そうした意味だ。
深海棲艦についても同じことが言える。イ級の口から飛び出てくる筒は、大砲だと証明されてはいないが、大砲のような結果をもたらすが故に、大砲と認識されている。鳩が出ようと、水が出ようと、全く驚くに値しない。しかし、口から出た筒を向けられたら、すぐさま地面に伏せるべきだ。例え本当に水が出ても、拍手の準備をするのは間違っているだろう。
今回、海軍は敗北した。それがこの作戦の顛末だと、誰もが思っている。確かに、様々な失敗、慢心、油断、予断に濡れた戦いだった。原因などいくらでも見つけられるのだ。それがすなわち結果に繋がっていると考える気持ちも、わからなくはない。
だが、戦争は続いている。ゲリラ戦という意外なものが飛び出してきたが、深海棲艦の脅威が消えてなくなったわけではない。
新城は小心な男だ。艦娘の管理を任され、彼女らを訓練に参加させると約束した。その日から、妙な不安が頭をもたげていた。放置することは出来ない。だが、監督を西田に押し付けても、新城の忙しさは些かも減じられなかった。
まず、艦娘たちが短いスカートをひらひらさせながら、駆け足に参加した。新城は西田を蹴り飛ばして、苦労して小さめの野戦服を確保した。調整は古鷹に一任する。
これに暑いだの、ダサいだの文句をつけた者がいたが、新城は訓練中の着用を厳命し、徹底させた。新城の目を正面から見た艦娘は、素直に沈黙した。
あるとき、男は立って小便をするということを聞きつけた駆逐艦が、西田に詰めよった。西田は逃げ、摩耶が追いかけた。そして新城は鉄拳を見舞った。尊厳の旅立った先は、わからない。
摩耶と古鷹の態度に、変化があった。どこか気安いもので、新城は歓迎出来ないでいた。それを見た駆逐艦が、どういうわけか、新城を頼るようになった。人間が当たり前に持つ、同じ人間に抱く根源的な恐怖と無縁であるらしい彼女らを突き放すことは、子供の頃の千早を思い出させて、新城を苦しめた。西田はこの点、全く頼りにならなかった。
彼女らは新城に悩みを打ち明けた。これもおそらくは職務の内だろうと、新城は自分を納得させた。
ぬいぐるみを抱いて現れた島風は、提督に受け入れられなかった過去を、不器用に語った。そして、新城に何故なのか尋ねた。ぬいぐるみだと思っていたものが、彼女の武装であると知った新城は、彼女の衣装をぼんやりと見つめながら、島風と彼女の提督に対して心から同情した。連装砲ちゃんとやらは、柔らかかった。これらはほんの一例だ。
新城にとってよいこともあった。
霞は新城を見かけるたびに突撃してきた。艦娘特有の気安いどころか、攻撃的な調子だったが、不思議なことに不快感はなかった。言葉遣いに目を瞑れば、彼女の意見は誰よりも実質に則していたからだ。
まず、彼女は新城の意図を確認した。訓練を行う意義がどこにあるのか。この先の展望に、艦娘はどの程度関わっているのか。どこまでやってよいか。何をしてはいけないのか。
摩耶や古鷹は彼女らの精神的支柱だが、実際のまとめ役は彼女のようだ。それに今まで気がつかなかったのは、一重に彼女が自分を下士官として規定していたからだ。普段は二人を立て、常日頃から駆逐艦を統率して、問題がないように先回りしていた。他の駆逐艦を新城にけしかけたのも、彼女であるらしい。
「私たちって、元々は道具じゃない? だから、現状は不本意なのよ。誰かの役に立てないってのは」
つまり自己同一性を欠き、不安定な状態らしい。確かに危険だとわかった。稚内に残った艦娘たちを思い出す。
無意味であったとは思わない。だが、必要ではなかった。あのとき、口にしたことに嘘はない。稚内は北端の監視施設に付随する、小規模な集落だった。避難は全て陸軍で面倒が見れた。新城ほど徹底していないが、深海棲艦に渡すものなどほとんど残さなかった。
消極的な自殺と、新城は判断した。これを隣でやられると、戦場では苦労する。
「止めなかったのか?」
言葉に出して後悔した。そんなはずがないではないか。
だが、霞は新城の浅はかさを鼻で笑った。
「私たち、女だから」
彼女たちの死は、新城の想像を遥かに越えて無駄だった。深海棲艦と唯一、互角に戦える兵器が艦娘だ。このようになる前は、大戦での献身を称えられない艦はなかった。
霞は新城の腰を叩くと、歩き去った。新城は猪口を呼んだ。
新城は西田と猪口に艦娘を仮想深海棲艦として、演習を行うよう検討させた。統裁官は彼自身が行った。小隊の人間は簡単に死んだ。艦娘は連戦連勝だ。
艦娘は移動しながらでも射撃出来る。人間には不可能だ。砲は生半な遮蔽など粉砕した。前装式は彼女らの装甲を打ち抜けず、それ以外に当たるかは運だった。
演習に参加する小隊が増えた。新城が摩耶をけしかけた。大隊長に呼び出されたが、無関係を装った。大隊長は追求しなかった。
霞が再びやって来て、身の上話をした。彼女を喚びだした提督は素人に毛も生えていなかった。彼女は彼を鍛えようと思った。後任に、雷が来た。彼女はここにいる。
要約が過ぎるが、意味はわかった。海軍の現状が、端的にわかりやすく示されている。
「ショックだったし、認められなかった。恨んだこともある。でも、別の提督のとこから雷が来たの」
彼女は提督にこう言われた。
『お前といるとダメになる』
幼い少女相手に何をしているのか。だからこそ深刻なのかもしれないが。
霞は腹を抱えて、笑い声を噛み殺していた。新城は疲れを自覚した。
「冷静になれた。それで、色々見えた」
新城は頷いた。彼女の懸念は理解している。だが、大隊長も考えている。
霞は新城の感謝を受け取って、満足したように頷き返した。そして少し、迷うような、怯えるような表情になった。新城は無言で促す。霞は躊躇ったあと、ぽつりと口にした。
「でもね、今度は改めて思ったの。私のしたことは、無駄だった、余計なことだったんだって。ここにいるのも、当然じゃない?」
新城はいつものように、軍人として完璧な態度で答えた。
「君の教導の価値は、その提督が決めるだろう」
新城は冷徹に言った。
「君は義務を果たした」
新城と霞は敬礼を交換し、別れた。新城は陸軍の。霞は海軍式だった。新城はそこで見たものを忘却した。
まだ何も決断していない。自分に何が出来るとも思わない。それでも軍人である以上、行動しなくてはいけない。新城は押しつけられた仕事を終わらせたあと、毎夜資料を広げた。
見落としていることがあるはずだ。不安がどうしてもこびりついて離れない。そのことが新城を駆り立てていた。目を背けたいことが多すぎるのだ。新城の理性が、その一つひとつに値札をつけていく。
明らかな逃避であった。だからこそ没頭した。しかし、気分を変えることも必要だった。煙草とコーヒーを補給した。西田が目に入る。ずいぶんと久しぶりな気がした。
「どうだ? 調子は」
西田は苦笑した。しばらく放っておいたので、恨んでいるのかもしれない。他の小隊を巻き込んでからは、統裁官も務めていない。こちらに目線を寄越さなかった。
「負けっ放しです。今度は猫も入れようって話になりました。俺たち、剣虎兵ですから」
予想していた通りだ。撃ち合いで、人間が勝てるものではない。殴り合いに持ち込んで、何とか互角。結局、物量に押し潰されるが。
西田も考えているのだろう。腕を組んで唸り始めた。
「中尉殿は南へ行ったことがお有りなんですよね?」
今度は新城が苦笑する。素直なのはいいが、頼るのが早過ぎる。
「沖縄にな。艦娘が更地にしたところを散歩した。あちこち見て回ったが、暑かったな」
期待した答えが聞けそうにないので、西田は落胆したようだ。思ったよりもやられているようだ。もう少し、話を聞いてやることにする。
「摩耶も古鷹も、どんどん巧くなってます。摩耶が煽って、古鷹が援護、もしくは迂回。とにかく、捕まえられないんです。視野が広い」
妖精さんが囁くのだ。比喩ではなく。艤装に乗り込んだ妖精さんが、あれこれと助けてくれる。死角のない、正確な射撃は彼女たちが実現している。
新城に教えているというより、完全に愚痴だった。摩耶に煽られるとなれば、西田でなくとも熱くなるだろう。その辺の信頼感はある娘だった。そして、古鷹に側面から仕留められる。新城にしても、悔しいだろうと思えた。摩耶の笑顔を思い出して、いらっとする。
「まず、駆逐艦を狙え。彼女らなら装甲を抜ける」
だからではないが、助言していた。新城とて、後輩が可愛いという気持ちはある。西田は顔を顰めた。やはり、抵抗があるらしい。
「深海棲艦は、むしろ強力な艦ほど人間に近い」
西田は崩れ落ちながら、ため息を吐いた。何か繰り言を呟いているが、独り言と流す。
「どうしてもというなら、大隊長殿に相談することだ」
そろそろ、動いてもらわなければならない。西田は驚いたようだ。
「あの人は歴戦だぞ? 元は戦車乗りで、東海防衛にも参加されている」
だからこそ、戦車を無為にした深海棲艦と艦娘を嫌っている。ついでに流された先の猫のことも。周囲にはやる気のない上官だと思われていた。
「まあ、あんまり情けない姿は見せられないですからねぇ」
しまりのないいつもの笑顔を見せて、西田は仕事に戻った。新城は眉を上げた。後で、猪口にも話を聞こうと決める。
自分の席に戻って、広げた資料を改めて眺める。本土との連絡は、限定的ながら回復した。だが、陸軍である限り、海軍からの情報はほとんど流れて来ない。前線の一大隊の元となればなおさらだ。足りない材料では、結論は得られない。
自分と同じような懸念を抱いている人間もいるはずだ。しかし、共有出来る存在が周囲にいなかった。新城もあえて口にしない。混乱しかもたらさないからだ。
新城が気になっているのは、作戦の始まる以前のことだ。そこで集められた情報に、深海棲艦の移動が確認されていた。
何度も見直したが、瑕疵のない情報だ。任務に当たったのは、横須賀、佐世保、呉の各鎮守府。今日の安定をもたらした、本物の海軍だ。作戦に参加した、国家に飼われた提督とは違う。
沖縄の海で垣間見た、艦娘たちの戦闘を思い出す。美しく、冷酷で、容赦のない、徹底した殲滅戦。新城が踏んだ沖縄の大地は、文字通りの更地だった。戦艦や空母の威力というものを、これ以上ないほど実感する光景だった。
彼らはそんな存在を、個人という単位で率いているのだ。提督を衆愚化させるのは、苦肉の策だったのだろう。今回、やっと是正に動いたわけだが、思いっきり出鼻を挫かれた形だ。霞が新城にした警告も、この状況に基づいている。
その当たりの事情も関係しているのか、アリューシャンを攻められた深海棲艦がゲリラ戦を選択したことで、彼らが集めた情報は間違いであったとされた。事前情報が間違っていたから、予測が外れたと結論したのだ。
だが違う。誰も深海棲艦がゲリラ戦を行うなど、考えてもいなかった。今まで、深海棲艦はそんなことをしなかったからだ。偵察情報ではなく、蓄積情報が間違いだったのだ。だとするならば、これからの戦争に与える影響がどれ程になるか。案外、それを嫌ったのかもしれない。
しかし、現実は人間の事情を忖度しない。どこかに準備を整えた、無傷の軍があるはずだ。獣としてではなく、あの沖縄を平らにした、絶大な力の持ち主としての深海棲艦の群れが。
当初は、アリューシャン以外だと、新城は考えていた。戦力がないからこそ、ゲリラ戦を展開したのだと。
だが、資料をひっくり返し、考えを深めるほど不安が募る。どうしても理解出来ないのだ。ゲリラ戦までして、アリューシャンで防衛する意味が。物量が自慢の深海棲艦が、どうして脆弱なパルチザンの真似事などするのか。
この不安を形にして、上層部に訴える材料が見つからない。ただでさえ複雑な国内事情で、軍を動かし得る手段がないのだ。
だから、新城は方針を転換した。自分が動かせる範囲で、備えようとした。しかし、遅々として進まない。未だに艦娘は暇潰しの相手に過ぎず、受け入れられていないことは明らかだ。西田ですら、そうなのだ。でなければ、躊躇うまい。彼の影響力や権限では、それが精一杯だった。
だから、大隊長に動いて欲しかった。他に期待をかけるべき何者も、新城には見つけられなかった。それがどんな人物だろうとだ。
不安が心を侵していく。いっそ、しがらみなど吹き飛ばしてしまいたい。だが、それでは霞の気づかいを無にしてしまう。
誰もなくなった部屋、夜の帳の降りた机の上で、新城は一人吐き気をこらえて考え続けた。
だから、その報せが届いたとき、新城は救われたように笑顔だった。
視界の端では、何か小さな者たちが踊っている。
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