SAO-銀ノ月-
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虹架
前書き
レイン短編、最終回です
枳殻虹架は、この数日間で思い知ったことがある。自分たちの家族は誰も彼もが思い込みと自己嫌悪が激しく、無駄に行動力があるという非常に面倒くさい性質だということだ。記憶の中に僅かに残る父のことはよく分からないが、少なくとも虹架本人と妹である七色に、母もそうであろうと思う。
「虹架?」
「ううん、何でもない」
「そう」
虹架は昨晩の余り物を朝食として食卓に並べながら、トーストを焼きつつ紅茶を準備する母の顔を見つめて、そんなことを考えていた。離れていようが家族だという証明のようで嬉しくはあるが、そんな面倒くさい性格で似かよっていなくとも、という気持ちはある。
「ほら、あなたもさっさと食べなさい。今日は仕事なんでしょ?」
「あ、うん。いただきます」
母の言った通りに虹架の昼過ぎまでの予定は、メイド喫茶でのバイトであり。かくいう母もピッチリと決めたスーツ姿であり、今日も夜までの仕事になるだろうと予想された。お互いに手を合わせると昨夜の残りのサラダなどをつまみつつ、虹架は母の様子を伺った。
「……虹架。昨日のことだけど」
そんな虹架の視線を感じ取ったのか、多少ながらうんざりとした様子で、母は食事の手を止めると虹架に向き直った。昨日のこと――すなわち、七色とは会いたくないと拒絶する母に、《オーグマー》を利用して無理やり七色と連絡を取らせた件についてだろう。
「昨日みたいな真似はもう止めて。お母さんは、もうあの子に会うつもりはないって言ったはずよ」
一晩が経っても母からの拒絶の意思は変わらず、見たこともない冷たい目で虹架を見据えてくる。虹架も七色と会わせることを諦めるつもりはないが、昨日の《オーグマー》を使わせた騙し討ちに近い対面には、いきなりで申し訳ないという意味では謝るとともに。
「……ごめんなさい。でも――」
……チャイムが、鳴った。まだ仕事も始まっていないような朝の時間、家のチャイムを鳴らすような相手がいるはずもなく。母は怪訝な表情を見せながらも、虹架を制しながら食卓から立ち上がった。
「……誰かしら、こんな時間に。ああ、虹架は座ってていいわよ」
突然の来訪者に愚痴りながらも、母は虹架との会話から逃げるように玄関へ向かっていく。安い賃金の家には玄関先のカメラなどというものもないが、虹架にはその早朝からの来訪者の正体が分かっていた。鏡で手早く自分の口元を確認する母に気づかれないように、虹架も玄関へと足を踏み入れていく。
「……どなたですか?」
「あたしよ、久し振りね」
鍵はかけるものの、チェーンロックはそのままで。母は玄関の扉を開くと、扉の間から訪問者の全身が見てとれた。そこにいるのは、虹架の読み通りに七色・アルシャービン――アイドルとしての姿ではなく、科学者として表舞台に立つ時に着ている、幼い体つきに合わせた特注のスーツ姿であった。
「っ――虹架!」
目の前に誰かが立っているか把握した母の行動は早く、七色が何か行動を起こす前に扉を閉めると、振り返って虹架を糾弾する。その表情からは本当に怒っている様子が見てとれて、虹架は反射的に身をすくませてしまうが、そこはアイドルとして身に付けてきた演技力で表に出さないようにして。
「お母さん。せめて七色の話は聞いてあげて。そうしたら……わたしも七色も、もう諦めるから」
「あー、あー。お母さん、聞こえてる……わよね。この天才少女七色ちゃんによれば、この声量ならドア越しにちょうどいいから!」
虹架が逃げ場を塞ぐように立ちはだかりながら、七色の控えめな言葉がドア越しに聞こえてきた。とはいえ妙な口振りや声色からして、少し緊張しているようではあったが、これから虹架に出来ることは祈るだけだ。そうして真摯に見つめていた虹架から目をそらすと、母は観念したかのように扉へと向き直った。
「……何かしら」
「あ……その、あたしはね。また家族で一緒に暮らしたくて……」
「私は嫌よ。それに、ロシアにいるお父さんも嫌だと思うわ」
母から放たれた冷たい声に七色は少し気圧されてしまったようで、絞り出した抗弁もすぐに反対されてしまう。息を呑む気配がドア越しにも伝わってきて、迷っているのか七色が何も言わない間にも、そのまま母は容赦なく言葉の剣を振り上げた。
「……私はあなたを捨てたようなもの。あなたには悪いけど、会いたくないの」
「そんなの……あたしは……」
「あなたが気にしないなんて言っても私は気にするわ」
「…………」
どうして――と、虹架は心中で母に訴える。そんな苦しい表情をして七色に言葉の暴力を打ち付けて否定するぐらいならば、今すぐ扉を開けて七色を抱きしめてあければ、すぐにでも楽になれるだろうにと。それでも母がその選択肢を取れない理由は、子供を捨てた最低の親であるという負い目があるからだというのは、虹架にも分かっていたけれども。
「お姉ちゃんと会うのを止めたりしないから。もう……ここには」
「――ああ、もう! 分かったわよ!」
このままでは誰にとっても幸せな結末は訪れない。虹架もたまらず会話に割って入ろうとした時に、扉の向こうから七色の怒った……というよりは、ヤケクソになったかのような声が聞こえてくると、勢いよく七色の方から扉が開かれていた。もちろんチェーンロックに阻まれ、中途半端にしか開くことはなかったものの、あまりの勢いにチェーンが軋むほどで。
「家族で一緒にとか、お姉ちゃんがどうとか、あたしは正直に言っちゃえばどうでもいいの!」
「え?」
「今回だってさっさと仕事を終わらせてお姉ちゃんたちと遊ぼうと思ったのに、勝手に仕事は入れられるし! スメラギがいればいい感じに調整してくれるのに、アメリカに残ってるし!」
チェーンロックに阻まれて半開きとなった扉の向こう側には、癇癪を起こしたような七色の姿があった。アメリカの方で残った仕事を片付けているというスメラギへの愚痴も入ったその姿に、母もさっきまでの拒絶の姿勢を忘れたかのように、ポカンとあっけにとられていて。
「えっと……だから、要するに! あたしだってね、まだお母さんに甘えたい年頃なわけ!」
「……あ」
「あたしを捨てただとか気にしてるなら、今から償わせてあげるわよっ――」
世界的に有名なVR空間に対しての専門家。それと同時にアイドルとしても売り出され、そちらでも成功を修めている天才少女――そう、ただの少女。いくら世界的に有名だとしても、七色・アルシャービンという少女は、目の前で癇癪を起こして母を求める少女なのだと。
「…………」
それが分かったのか、母は静かにチェーンロックを外すと扉を開けていた。かつて英才教育などいらないから普通の少女として育って欲しい、と祈りながらも手を離した少女が、母の温もりが欲しいなどと誰よりも『普通の少女』として成長していたからか。
「あ……な、なんてね! お母さんを騙すなんて、天才アイドルのあたしには簡単なことっていうか!」
「うん、うん。ところで七色はさ。今、時間ある? 朝ごはんを食べてるんだけど」
「えっ……う、うん。大丈夫!」
そうして開け放たれた扉を見て、ようやく我に返って自分の癇癪を思い出したのか、慌てて演技だったと取り繕う七色を、虹架は家に迎えると。素早く《オーグマー》で予定のチェックや誰かへの連絡を済ませる七色を後目に、チェーンロックを外したまま動こうとしない母の様子を伺ってみれば。
「……昨日の残りしかないわよ」
……母は、そんなことを力なく笑いながら、ようやく口に出していた。
「……ありがとうね、お姉ちゃん」
それから別れていた間の時間を少しでも埋めるように、短いながらも母と子供の食卓が催された。七色はまだ甘えるのが下手なようだったし、母はまだ七色に後ろめたさがあったようだったが、これからまだいくらでも距離を縮める機会はある。きっといつかは元の家族に戻れるはずだと、姉としてのフォローに入った虹架は思って。
「ううん。七色が勇気をだしたから。わたしは関係ないよ」
「あ、あれはだから……演技だってば!」
「うん、うん」
「むぅ……あ、そういえば……」
そうして誰もが出かける時間になったということで、虹架は七色が乗せられてきたという車に同乗させて貰っていた。本当は母も乗せてもらうつもりだったが、あいにくと真逆の方向だったために虹架のみで。あくまでも演技だと言いはる七色を適当に流していれば、ふと思い出したかのように、そして話題を変えたいとばかりに聞いてきた。
「お姉ちゃんはさ、何でアイドルになりたいと思ったの?」
「もちろん、歌が好きだから! ……七色は?」
「あたしは……正直、売名行為って面もあるかな。もちろん、手を抜いたことはないけどね。あと……」
昨日まではあんなに悩んでいたにもかかわらず、歌が好きだから、などと即答できたことに、虹架が自嘲している間にも。こんな子供が天才科学者でアイドルだなんて、絶対に話題になるでしょ――と、うそぶいてみせた七色だったが、後にどこか憧憬めいた感情を中空に向け浮かべていて。
「……七色?」
「あー……あとね。あの《SAO》について調べてた時に、歌で中層の人たちを励ましてたプレイヤーがいたって聞いて……歌って凄いな、って思って」
「歌で……」
ふと、聞いてみれば。七色が照れくさそうに話した内容は、虹架にも縁があることだった。あくまで彼女はスキル上げの為に歌っていたのであって、中層プレイヤーの応援とまで考えていたかは分からないが、虹架もそれは言わないことにすると。それでも彼女の……ユナの願いを、知らずとも継いでいる者が自分以外にもいると分かって。
「そっか……」
「着いたぞ」
「……あんたは、もう少し愛想よく出来ないの?」
「こら、七色。……ありがとうございます、住良木さん」
「……レイン、だったか。一ついいか?」
「はい?」
その事実が虹架をどうしようもなく嬉しくさせてくれるとともに、車が虹架のバイト先の喫茶店へと止まる。先日この日本に帰ってきたばかりと聞いたのに、早くも運転手を勤めてくれているスメラギ――住良木に礼を言いながら、名残惜しいが車を降りてみれば、その住良木に呼び止められて。
「ショウキの奴に伝えておいてくれないか。次に会うまでに、まともなアバターにしておけと」
「お安いご用です」
「それじゃお姉ちゃん、またね!」
今までのアバターを失った彼への、住良木からの不器用な激励の伝言を受けとると。七色が手を振りながら車がどこかへ発進していく姿を見送れば、次に会えるのはいつの日になるのかな、などと早くも考えてしまう。
……ただ、今はそれ以上に、考えておくこともあった。
「よし!」
カバンに入れていた《オーグマー》を装着して、喫茶店へと入る前に彼にメッセージを打って。それを送信するとともにある決意を込めると、今日も頑張ろうと喫茶店の従業員専用口の扉を開けていく。
「おはようございます!」
バイトも終えて時刻はもう昼下がりだったが、芸能界の挨拶が「おはようございます」か「お疲れ様です」というのは有名な話で。地下アイドル崩れとはいえ、一応は芸能人の端くれである虹架ももちろん挨拶の礼儀ぐらいは心得て、先日は飛び出してしまった事務所へと足を踏み入れた。
「ああ、枳殻さん。昨日は本当に……」
「いいんですよ、悪いのはこの事務所じゃありませんし。今日はレッスンで来ましたから」
大口の仕事を七色に横取りされたことに気を病んでいるのか、虹架がロッカーに荷物を入れようとする前に、そうして事務所の方から声がかけられる。もちろん気にしてないと言えば嘘にはなるが、ここに苛立ちをぶつけても何が変わるわけでもない……代わりに、どこかの彼に愚痴をこぼしてしまった訳だけど。
「あれ……枳殻さん、何か変わった?」
「えへへー。セクハラですぞ?」
「スキャンダルは止めてくれよー」
そうして虹架が苦笑していれば、見る目は確かだと自称している事務所の方からそう揶揄されたのを、少し虚を突かれたものの何とか取り繕って。あいにくと期待されているような相手はいないと、ボロを出す前にロッカールームへ荷物を預けに行けば。
「あ……」
「……おはよっ!」
同じくロッカールームに荷物を持ち込んでいたのは、昨日にちょっとした言い争いアイドル仲間。虹架の姿を見て硬直してしまっていて、ひとまず挨拶とともに扉の近くにあるロッカーへ荷物を仕舞うと、どうするかと虹架は思案して。
「えっと――」
「――あの! あ……」
「あ、あはは。お先にどうぞ」
とにかく、昨日のことは気にしていない――と言おうとすれば、向こうも同じタイミングで声をあげていて。一瞬、いたたまれない空気がロッカールーム内に流れた後、ひとまず虹架は向こうに発言権を譲って。
「その……昨日はごめん。こっちも仕事なくて、イラついて」
「ううん、もう気にしてないよ。落ち着いて思い出したら、結構その通りだったし」
「その通り……?」
深々と謝罪する彼女の表情が、虹架の言葉にポカンとしたものに変わっていく。いわく、SAO生還者という触れ込みだけで仕事を貰っている、というのが昨日に彼女から言われたことではあったが……それは、確かに虹架にも覚えがあって。目の前にいる彼女を含めたアイドル仲間に比べて、虹架本人には何があるわけでもないと。
「でも、わたしが皆に勝る点なんて、それこそ《SAO》を含めたゲームのことだから。これからは、ゲームアイドルの虹架ちゃん、なんてのもいいかなーって」
「え……?」
「要するに! このままだと、わたしだけ売れちゃうぞってこと! もちろん歌やダンスも負ける気はないんだから。ほら、一緒にレッスン行こ!」
もう半ば以上に彼女のことは関係なく、ただの新しい自分への選手宣誓。使えるものは《SAO生還者》だろうとゲーマーとしての姿だろうと、七色のこと以外は何でも使ってやろうという決意。そんな昨日から考えていたことを言ってスッキリした虹架は、彼女の手を引いてロッカールームから飛び出した。
「む……」
そうしてレッスンも絶好調に終わって家に帰ってきていた虹架だったが、もちろん一日中ずっと好調とはいかないわけで。朝に起きた家族の一件からは、とてもいい調子で過ごしてきた虹架も打ち止めらしいと、心中で冷や汗をかいていた。
「むむ……」
イグドラシル・シティ。その商店街の一角にて、虹架――レインは、かれこれ十分ほど立ち尽くしていた。しかもただ立ち尽くしているだけではなく、あの浮遊城時代に必死になって最大まで鍛えあげた《隠蔽》スキルを使って、柱の影からある一点を見つめていた。
「むむむぅ……」
その《隠蔽》スキルの甲斐あって、町を行くプレイヤーたちには見えていないようだが、今のレインの姿は言い訳のしようもなくストーカーそのものだ。それはレイン本人も嫌になるほど分かっていて、どうして今日はさっきまで絶好調だったのに、最後の最後にこんなことになってしまったのか――レインは頭を抱えてしまう。
「……あっ!」
そうしている間にも、レインから用がある彼はどこかへ歩き出していた。すかさず《隠蔽》スキルを欠かさず追いかけるが、店から出てきた彼も何か急ぎの用事もあったのか、器用に人混みを避けながら商店街を急ぎ足で駆け抜けていく。そもそもレインよりもこの《イグドラシル・シティ》に慣れているために、すぐさまレインの視界を切るように曲がり角を曲がってしまう。
「ちょ、待って! 待ってってば……ひゃっ!」
――結論から言うと待っていた。見失うまいと走ったレインが曲がり角を曲がれば、すぐそこに待っていた彼に正面から衝突してしまって。ぶつかってくることは予想していたようだが、その速度までは予想外だったようで、彼は衝撃を抑えきれずにレインは尻餅をついて転んでしまう。
「えーっと……なんか、デジャブ?」
「……こっちの台詞だ」
昨日と同様、尻餅をついた状態から手を貸して貰って助けられると、すぐ近くに彼――ショウキの呆れ顔が見てとれた。声色も若干だが冷えており、リズと二人きりでの開店準備に水入りされたことは、おくびにも表情には出さないものの少しだけ気にしているようで。
「……ひとまず、ごめんなさい」
「……それで。メールの件か?」
恋人と二人でいる時を邪魔されてムッとするなんて、ちょっと可愛い――などと思いつつも、完全にお邪魔虫になってしまった自分が申し訳がたたず。そこは誠心誠意に謝っておくと、ショウキは手早く本題へと入ってくれる。喫茶店のバイトに入る前に、《オーグマー》からメールを送っていたのも効いたらしい。
「リズには聞かれたくない内容だろうしな。ならメッセージでも贈ってくれれば……」
「う、うん! そうだね!」
……正確には、どうやって話しかけていいものか迷って、ついつい隠れてしまったのが正解だったものの。どうやら、リズには聞かれたくない内容だから、回りくどい気配を察させて呼び出した――と、ショウキはありがたく解釈してくれたらしい。そもそも本来ならリズに聞かれても問題ないし、話しかけにくいならメッセージを打て、とショウキが言うのも当然なのだが。
「……ショウキくんのせいだもん」
……彼には聞こえないように呟く。ついさっきまで絶好調だったのに、ショウキに話しかけに行く時だけが何やら気恥ずかしくてダメなどと、彼のせいに違いないという責任転嫁。もちろんそんなものを、目の前の怪訝な表情をした彼に聞かせるわけにもいかず、スッとその感情を胸のうちにしまいこんで。
「……ううん、何でもない。メールで言った通りにね、ひとまず解決しましたので! そのお礼って奴ですぞ?」
「そんな……」
「あ、あと伝言。スメラギさんから、次に会うまでにまともなアバターにしておけって」
「ぐ。余計なお世話……って、レインに言っても仕方ないな……」
ただのお礼だけでは、独り言を聞いてもらった体になっている彼は聞いてくれないと、スメラギからの伝言も絡めてショウキに伝えていく。彼がどう思っていようと、レインが自己嫌悪でがんじがらめになっていた時に、背中を押して助けてくれたのは確かなのだから。
「そんなショウキ殿に、レインちゃんからお礼ついでのプレゼントですぞ?」
「これは……」
そうしてお礼の本命である、一冊の書物をショウキへと渡す。それはいわゆる『秘伝書』と呼ばれるアイテムであり、オリジナル・ソードスキルを編み出した者のみが手に入れることが出来る、他者に自分が開発したOSSを使用させられるアイテムだった。
「初期アバターになっちゃったショウキくんに、何かの役にたてばいいかな……って」
「ありがとう。これで何か……出来るかもしれない。だけど、いいのか?」
ただ、レインが編み出したOSS《サウザンド・レイン》は、魔法を絡めた複雑かつ偶発的に作り出された真にレインにのみ使うことを許された技であり、鍛冶魔法を使えないショウキでは十全に使いこなすことは出来ないだろう。それでも何かの役にたてば嬉しいということ以上に、自らが編み出したOSSを、この世界で誰かに使って欲しかった――ということでもあって。
「うん。わたし、《ALO》を引退しようって思ってるの。だから、さ……」
「引退……?」
「あ、引退って言ってもログイン頻度が減るだけで、データ消したりはしないから! ただ、その……リアルで忙しくなりそうだから」
突然の宣言にギョッとしてしまうショウキへと、わたわたと言い訳でもするかのようにレインは説明する。要するに、と。
「本気でアイドルしようって思って。ちょっとログインする時間が減ると思うの」
「……そうか」
今まで本気でやっていなかったという訳ではないけれど。早く七色に並ぶアイドルになるためには、今までの努力では足りないと、何でもやろうと決心した今ではそう思って。突然で迷惑をかけるが喫茶店のバイトも今月限りで辞めることになり、せめてOSSだけでもこの世界に残って欲しいと。
「それなら絶対、ありがたく使わせてもらう」
「う、ううん! 使えないと思うから、持ってるだけでいいから!」
本気でアイドルやってみる、という決心には変に騒ぎ立てず静かに頷いてくれたのに、どうやらOSSの方には変なスイッチが入ってしまったらしい。レインが習得した鍛冶スキルに魔法との併用を前提にしたもののため、単独では使えないと言っているのだが、ひとしきり反論してもショウキの意思は変わらないようで。
「……もう。あとさ、また迷惑かけちゃうかもしれないけど……たまには会いに来ても、いいかな?」
「ああ、もちろん」
ひとしきり二人で笑いあった後、レインはそうして彼に問いかける。一人では、また袋小路に迷い込んでしまうかもしれないから。それでも君が待っていてくれるならば、きっと道を見つけることが出来るから。だから、いつも迷惑をかけることになるかもしれないけれど、またこうして二人で会いたい――そんな問いかけは、確かに彼に肯定された。
「店をご贔屓にしてくれれば、な」
だけどそんな肯定は、あくまで店に客にと一線を引いたものだった……彼にはそうした意味を込めたつもりはないだろうが。
「店。そっか、店、か」
その返答は、レインとは隣同士でいられない、ということを意味していた。それはレイン自身にも分かっていたはずだった――先程、隠れてあの店を見ていた時に、彼がレインと一緒にいる時には決して見せない表情であること。そんな表情を見せるのは、もう一人の店員である彼女と共にいる時だけだということを。
自分ではなく――彼女だと。
「レイン?」
「っ……ううん、なんでもない! うんうん、わたしでよければ売り子でも何でもしちゃいますぞ?」
「未来のアイドルに売り子なんて贅沢だな」
芽生えかけていた感情を無理やり閉じ込めると、とっさの安請け合いをしてしまう。幸いなことに冗談だと認識してくれたようで、冗談ついでにない交ぜになった感情のままに、最も彼に伝えたい言葉を伝えていく。枳殻虹架――もしかしたらレインという名のアイドルとしての真のスタートは、もしかしたらここかもしれないと、万感の思いを込めて。
「……ありがと!」
結局はシンプルなお礼になってしまったけれど。あわてふためいて一周ほど回って、結局は単純な答えに行き着くのは、どうしようもなく自分らしいかもしれないけれど――と、レインは自嘲しつつも、目の前の彼に笑いかけていた。
後書き
若干おちゃらけてて朗らかで辺りを元気にする責任感があるお姉ちゃんであると同時に、内気で打たれ弱くてぽんこつで自分で悩んでるだけでは変な方向に舵を取る、そんなダメお姉ちゃんな感じが書けていれば幸いです。自分を頼りにしてくれる人がいれば強くなる、といいますか。
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