チェロとお味噌汁と剣のための三重奏曲
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6. あなたの声が聞きたくて(前)
とても楽しかった剣術大会の次の日。剣道部のみんなに『ロドニーさんに負けました』と報告したあとは、いつものようにチェロの練習をしようと練習室に入った。
「……」
準備も終了し、今日も僕は『白鳥』の練習を行う。いつものように……
「……んー」
いつものように……冷静に……
「……んふふふふふふ」
出来るわけがない。無意識の内に鳳翔さんに言われた言葉を反芻して、僕の口が途端にニヤニヤといやらしい笑いを浮かべてしまう。
「んふふふふふふふ……デュフ……鳳翔さぁん……」
……
…………
………………
剣術大会も終わり、みんなで鳳翔さんが作ってくれたお弁当を食べている時の事だった。
「鳳翔さん、お伺いしていいですか?」
「はい?」
すでにご飯を食べ終わっていた僕は、今は鳳翔さんの隣であぐらをかいて、PT子鬼の天龍二世さんと、その友達の妖精さんの相手をしていた。二人ともとてもいい子たちで、二世さんは僕の膝の上で静かに鳳翔さんのご飯を食べてるし、妖精さんは僕の頭の上で、さっき鳳翔さんが準備してくれた氷嚢を包んだ手ぬぐいを、僕のたんこぶに当ててくれていた。
「鳳翔さん、言ってましたよね。僕が争いに向いてないって」
「ええ」
「それってなぜですか?」
「ああ、あれですか」
「はい。何か言いかけてたみたいですが……」
確か、何かを言おうとして、ごまかすように僕の首筋を突っついて……
「ひぁあああああッ!?」
「?」
再び、僕の首筋に氷点下の衝撃がッ!?
「妖精さんっ! イタズラしないでくださいっ!!」
たまらず、頭の上の妖精さんに対し、声を荒げた。仲良くなってくれたのはうれしいけれど、こうやってイタズラしてくるのはなぁ……。
そんな僕らの様子を微笑ましく見つめていた鳳翔さんは、持っていたお茶を一口すすり、ほっと一息ついてから、静かに口を開いた。
「気迫は、よかったです。ロドニーさんの裂帛の気迫に負けない、強い気持ちを感じました」
「はい」
「でも……きっとあなたは、反射神経がそうよくないんでしょう。ロドニーさんの剣をさばくどころか、防ぐことも出来なかった」
……う。それを言われると……
「智久さん、最初に“自信がない”って言ってましたけど、それが理由なんじゃないかなって思ったんです。剣に限らず、戦いは色々な速さが命です。反射神経が劣っていると……」
「て、手厳しいですね……」
「いえ。研鑽を重ねたその先が、向き不向きの問題です。だから智久さんの気迫は良かった。ただ、向いてなかった。それだけです」
「……」
「好きで続けるのなら、そんなことは気にしなくても続けられます。でも、結果を求めるのなら、向き不向きはとても大切なことです」
背筋が伸びた正座で、手に持っている湯呑の中を見つめながら、静かに語る鳳翔さん。その言葉はとても手厳しい指摘だけど、不思議とショックは感じない。
それはきっと、鳳翔さんが、僕に対して誠実に向き合ってくれているからだろうと思う。ショックを受けないように慎重に言葉を選んでくれて……だけど、的確かつシンプルに……鳳翔さんの誠実さ……もっといえば、僕を、僕に合った道に導いてくれているような、そんな言葉だ。
「……それに、私はあなたのいいところを知っています」
「へ?」
鳳翔さんが、顔を上げてふわっと笑う。だけど、その言葉は意味がわからない。ちゃんと話をするようになって、まだ日が浅いのに、僕のいいところを見つけたって、どういうこと?
「膝の上の天龍二世さんと、頭の上の妖精さんです」
「コワイカー」
「二人が……ですか?」
「はい。あなたたち人にとっては、二人とも馴染みのない姿でしょう?」
まぁ確かに。妖精さんはまだかわいらしいけど、天龍二世さんなんかはどう見てもキモいもんなぁ……。
「ずーん……」
「ご、ごめん……」
「でも、あなたは臆することなく友達になってくれました」
「はぁ……」
「それに、気絶したあなたの面を、この二人は必死になって外してました。智久さんは、お二人とそんなに仲良くなってくれたんだなぁって、私は嬉しくなりました」
「へぇ〜……」
反射的に、僕の膝の上の天龍二世さんの頭をなでてあげる。それを『ずるい』と感じたのか、頭の上の妖精さんが、冷たい手で僕の首筋をちょんちょんとつついてきた。
変な声を必死に我慢して、後ろに手を回して妖精さんをつまみあげ、そのまま天龍二世さんの隣に移動させて、一緒に頭をなでてあげる。二人は途端に嬉しそうに『キャー』と声を上げてじゃれつき始めたが、その様子はどうしても、怪人サメ人間に子供が襲われているようにしか見えなかった。
「ほら。あなたはそれだけ優しいんです。その二人がそんなに懐いてるのが証拠です」
「そなの?」
「コワイカー!」
「そっか……ありがとう。仲良くなってくれて」
「コワイカっ」
今、僕の膝の上で、僕に対して満面の笑みで両手を振ってくれている……といっても、二世さんの顔は相変わらずキモいけど、僕の新しい友達に感謝だ。二人の手に、僕は自分の手を合わせる。二人にとって僕の手はちょっと大きいからか、二人は僕の人差し指をギュッと掴んで、僕とカワイイ握手をしてくれた。
「智久さんは、今は音楽をやってらっしゃるんですよね?」
「はい。ロドニーさんから聞いたんですか?」
「はい」
あの人は……僕の情報、すべて筒抜けじゃないかっ。今度大学で会ったら、文句を言ってやろう……なんて、先ほど僕を打ち負かしたロドニーさんへの恨み節を心の中で吐いていたら……
「……ん」
「どうしました?」
「いや……今、妙にイラッとした」
「誰かがロドニーさんのことをちっちゃいって思ってるのです」
「張り倒すぞ電」
「こわいのですー」
てな具合の会話が、ちょっとだけ離れたロドニーさんたちのグループから聞こえてきた。あの人、人の感情の機微に過敏なのか鈍感なのか、さっぱりわからない……。ロドニーさんを振り返る。試合中はあんなに大きく見えた彼女の身体は、今はいつものように小さく見えた。
「楽器をやってらっしゃると聞きましたけど……」
「はい。チェロをやってます。おっきなバイオリンみたいなやつです」
「チェロをやってらっしゃるんですか……聞いてみたいですね。智久さんのチェロ」
「……へ?」
しばらくの間、時間が止まった。膝の上の天龍二世さんと妖精さんも動きを止め、周囲の喧騒も聞こえなくなり、僕の意識はその瞬間、鳳翔さんを中心に、時の流れを感じなくなった。
ただ、心地いい風が吹いていた。僕と鳳翔さんの間に、そよそよと優しく、冷たくて心地いい風が吹き、鳳翔さんの前髪とポニーテールを、静かにゆらしていた。
僕の意識の中心にいる鳳翔さんは、ほっぺたを紅潮させ、僕をまっすぐ見つめて、ふんわりと微笑みながら、こう言った。
「きっと智久さんのように、優しくて……柔らかい、あたたかい音色なんでしょうね」
「……」
「そんな素敵な智久さんのチェロ、私も聞いてみたいです」
その声には、少しだけ、熱を感じた。
………………
…………
……
僕のチェロを聞いてみたい……鳳翔さんに、そんなことを言われてしまった……! しかもしかも……『きっと優しくてあたたかい音色なんでしょうね』なんてまで言われたッハァー!!
一度思い出すと、もう練習にならない。弓を握ったままチェロにしがみつき、『やーん……鳳翔さん……デュフフフフ』と気色悪い笑みをこぼしながら、僕はもじもじと身体をよじる。きっと第三者の目から見たら、キモいことこの上ない。そのキモさは、友達になってくれた天龍二世さん以上だろう。だけどまったく気にしない。
そうやって僕がチェロを抱きしめてもじもじとしていると、いつもは僕の練習中には決して開くことのないドアのノブが、ガチャリと音を立てて開いた。
「失礼する」
ドアの向こう側にいたのは、大会で僕に快勝したロドニーさん。今日はこの前のような黒のスーツではなくて、いつもの薄水色の清掃服に身を包んでいる。左手には長柄のモップを持ち、右手で清掃道具が乗ったワゴンを押して、いつもより幾分柔らかい表情で、練習室にズケズケと入ってきた。背の高さも、いつものちっこいロドニーさんに戻ってる。
「ひあッ!? ろ、ロドニーさんっ!? 練習中に何なんですかっ!?」
「たまにはここの掃除もさせていただこうかと思ってな。失礼するぞ」
そういい、窓ガラスの方に向かったロドニーさんは、モップをワゴンにたてかけ、手持ち用のワイパーとケミカルブルーの液体が入ったスプレーを手に取った。スプレーをこしゅこしゅと窓にふきつけ、器用にくいくいっと薬液をこそげとっていくその様子は、さすがプロのお掃除屋さんとも言うべき手際の良さだ。そのテキパキとした所作に、僕はつい見入ってしまう。
「……ぽー」
「……なんだ? 練習はしないのか?」
「いえ、やります。やりますけど……」
窓の縦一列をすべて拭き終わり、二列目に入ろうかというところで、ロドニーさんの手が止まる。また何か言われるのかと僕は身構え、『これからやるのです』アピールとして、チェロを構え、弓を一弦に当てた。
「……お前、さっきはどうした?」
「は、はいっ。さ、さっきとは?」
「その楽器……チェロと言ったか。それを抱きしめて、まるで憧れのバレー部の先輩への片思いが成就した女子中学生みたいに、もじもじくねくねしてたじゃないか」
み、見られていたッ!?
「正直、少しキモかったんだが……」
「ほ、鳳翔さんには言わないでくださいよ!?」
「? なぜここでお前の口から鳳翔の名前が出てくる?」
「い、いや、だって、やっと鳳翔さんと普通に話せるようになったのにッ」
「?」
「そ、それなのに『やだ普賢院さんってそんなキモい人だったんですか?』なんて言われたら……!!」
「?? ???」
ここで僕は、頭の上にたくさんのはてなマークを浮かべて、不思議そうに僕を見つめるロドニーさんに、この前やっと、普通に鳳翔さんと話が出来るようになったこと、鳳翔さんに『優しい』と褒められたこと、鳳翔さんに『チェロを聞いてみたい』と言われたことを、あわあわしながらまくしたてた。
その間ロドニーさんは、僕の話をジッと聞いていた。最初は困惑の表情を浮かべていたロドニーさんだったが、次第に表情が真剣になっていき……
「だ、だから! 今、嫌われたくなくて……」
「……」
「キモいだなんて思われたら……ッ!」
「……」
「だ、だからロドニーさん、絶対! 鳳翔さんには、言わないで……」
半べそで今のことを秘密にするよう懇願する僕に、左手の平をバッと向けて、僕の発言を静止した。
「……ッ!」
「へ?」
そして、左の手の平を僕に向けたまま、右手でポケットからスマホを取り出したロドニーさんは、真剣な表情でどこかに電話をしだした。画面が見えなかったから相手が誰かは分からなかったが、次のロドニーさんの一言で、誰が相手かはすぐに分かった。
「……赤城。鳳翔のスケジュールはわかるか?」
「……赤城さん?」
「……ああそうだ。それから、今から練習室に来られるか? ……よし。オペレーション“フライング・フェニックス”発動だ。ヤツにも協力を仰ごう。二人に連絡を頼めるか。……了解した。では私は普賢院智久にブリーフィングを行う」
「おぺれーしょん……なんだって? ブリーフィング?」
なんだか口早にペラペラと電話口で話すロドニーさんの横顔は、この前の試合の時よりも気迫を感じるほど、キリリとして目も鋭い。背はちっこいままだが、『戦艦ロドニー』の横顔を彼女は今日も見せている。
通話が終わったのか、親指でスマホをタップしたあとポケットにしまったロドニーさん。キッと前を見るその眼差しは、とても鋭い……試合の時以上の気迫を感じてしまう……。
「……普賢院智久」
「はい?」
「今日これより、ここに鳳翔を招き、お前だけの音楽発表会を行う」
ほわっつ?
「ついては、これから私と赤城で、舞台となるこの練習室の清掃を行う。お前は発表会に向けて必要な準備を整えろ」
「ちょ、ちょっと待ってください! なぜ突然?」
当然の疑問。確かに鳳翔さんは『智久さんのチェロを聞いてみたい』といい、僕はその言葉が嬉しかった。でも、だからといって、こんな急に、突然発表会だなんて狂気の沙汰だよ。発表会って、もっと前々から日取りを決めて、綿密に練習を重ねて、当日までに演奏のクオリティをがんばってあげていくものなんじゃないの? こんなに突然、『今日やります』て言って、やるものなの?
「鳳翔はお前のチェロを聞きたい」
「は、はい」
「お前は、それがうれしい」
「い、いえーす」
「なら今日、鳳翔に聞いてもらおうじゃないか」
「いやだからそれが突然だと言ってるんですっ」
「なぜだ。さっき赤城に聞いたら、今日の鳳翔はオフだぞ。これがチャンスでないとしたら、一体どんなシチュエーションがチャンスになる?」
いや、だから! 突然というところが問題なんです!
「大体、鳳翔さんだって突然『今日、僕の演奏を聞きに来ませんか? キリッ』とか言われたら、『ぇえッ!?』てびっくりしちゃうでしょ?」
「いや、それはない。鳳翔は絶対に来る。私が断言する」
あまりに自然な流れで、ロドニーさんが断言する。なんで突然のことなのに、鳳翔さんが僕の演奏を聞きに来てくれると断言出来るのか。そら確かに鳳翔さんはオフかもしれないけれど、でもだからといって、突然外出……しかも、ついこの前知り合ったばかりの僕の演奏を聴きに、わざわざ来るとは思えない。
そんなことを僕は必死にロドニーさんに説明したのだが、ロドニーさんは涼しい顔で僕の話のすべてを聞き流した上で、静かに口を開いた。
「……普賢院智久」
「なんですかっ」
「私は、お前の先ほどの奇行を鳳翔に話すつもりはない」
「……うう、他の人にも、なにとぞ秘密に……」
「だからお前も、これから私が話すことは、聞かなかったことにしろ」
「ほえ?」
「いいか。他人には……特に、鳳翔の耳には絶対に漏らすな」
「……は、はいっ」
その後、ロドニーさんは、とても真剣な顔で僕の顔を見つめながら……でも時々ほっぺた赤くしたり、鼻のてっぺんをぽりぽりとかいたりしながら……ある事実を僕に話してくれた。
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