チェロとお味噌汁と剣のための三重奏曲
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8. あなたに勇気を出してほしくて
「……承知した。ではカシワギ、俺の太陽と川内に、太陽メダルを……」
すでに清掃が終わり、ピッカピカに輝く練習室。そのど真ん中で、ソラールさんがそう言ったあとスマホを切った。耳に当てず画面を見ながら話をしていたから、テレビ電話か何かなのだろう。通話相手のカシワギさんと女の子の声も聞こえてきたし。
『太陽メダルって何すか先輩ッ!?』
『ソラールさん今度こそ私とやせ……』<プツッ
いいのかな……スマホの通話相手、確実に何か言おうとしてたけど、ソラールさん、それを最後まで聞かないで通話切ってたんだけど……。
「……朗報だ。俺の太陽と川内が、無事、鳳翔に案内状を渡したとのことだ」
『おおっ!』と声を上げるロドニーさんと赤城さん。二世さんは僕の足元で『コワイカー!』とバンザイし、僕の頭に乗ってる妖精さんは、どんな顔をしているかわからないけれど、とにかく立ち上がってなんだかもぞもぞ動いてた。二世さんと同じようにバンザイしてるのかも。
一方の僕は、時間が経てば経つほど、心臓がバクバクと音を立てて、緊張が増してくる。鳳翔さんがまだ来てすらいないのに、今の段階で、心臓が口からはみ出ていきそうなほどドッキンドッキンしてる。
「うう……」
「……普賢院さん?」
そんな僕の様子に気付き、赤城さんが心配そうに僕の顔を覗き込んできた。相変わらずつやつやの黒髪だけど、今の僕に、それを『キレイ』だと思える余裕はない。
「大丈夫ですか?」
「……ッ」
「顔真っ青ですよ?」
なんだか身体が震えてきた……さっき決意したときは、右手が震えただけだった。だから左手で、右手を抑えることができたんだけど……今はその左手も震えてる。
「……ちくしょッ」
少し、寒くなってきた気がするし、足までカタカタ震えてる……僕は両膝に両手を乗せて、そのまま必死に太ももをさする。温めれば、少しは震えが止まるんじゃないか……そう思ったけれど、中々身体は温まらず、身体の震えも収まらない……
決心したのに……鳳翔さんに、僕の気持ちを伝えると、決心したのに……土壇場になって怖くなってきた。僕に、気持ちを伝えることが出来るのか……僕が、鳳翔さんみたいな素晴らしい人に、気持ちを伝えていいんだろうか……自信がなくなってきた……
不意に鳴り響く、ピリピリというスマホの着信音に、怯えきった僕の身体が、ビクンと過剰に反応した。
「……お、すまん。俺の太陽から電話だ」
皆の注目を一身に受ける中、ソラールさんが赤と白のカラフルスマホを手に取って着信に出た。今度は普通に耳に当てているから……って、兜越しだけど……テレビ電話ではない。
「……承知した。早速、皆に伝える。……ありがとう。さすがは俺の太陽だ」
通話を終え、ソラールさんが僕らを見る。その言葉は、今の僕にとっては、ある意味では死刑宣告にも等しい。
「今しがた、鳳翔が鎮守府を出発したそうだ」
「……!」
「いつもの服ではあるが、とても上機嫌で出発したそうだ。それだけ、普賢院智久のチェロを聴くのが楽しみなようだが……」
鳳翔さんが……僕のチェロを楽しみに……とてもうれしいことだし、僕自身、それを願って、そして決意したことのはずなのに……身体の震えが止まらない。両の二の腕をさすり、必死に身体を温めようとするけれど、僕の身体は冷えていくばかり。
「……ッ」
「普賢院智久?」
「ちくしょッ……決意したのに……ッ」
身体を震わせる僕を、ロドニーさんをはじめとしたみんなが、心配そうに見守っているのがわかる。天龍二世さんだって、さっきまであんなに元気いっぱいで『コワイカー!』てバンザイしてたのに、今は心配そうに僕を足元から見上げて『コワイカ……』てすんごい心配そうにつぶやいてる。頭の上に乗ってる妖精さんも、僕の頭を撫で始めた。
そんな僕の様子を、ロドニーさんはジッと見ていた。
「クソッ……決意したのに……怖い……」
「……」
「演奏するのに……演奏したいのにッ……鳳翔さんに、僕の気持ちを乗せたチェロを、聞いてほしいのに……ッ」
「……」
「こんなに震えてたら……! 乗せられない……気持ちが、伝えられないじゃないか……ッ」
僕は必死に、二の腕を擦る。だけど、僕の胸を吹き抜ける、ぬるりとした生ぬるい風は止まらない。僕の胸に嫌な感触を残し、体中から、力と熱を奪っていく。
「……お前たち」
静かに、でも良く通る声で、ロドニーさんが口を開いた。
「すまない。先に部屋から出てくれ」
「はい? そらまぁ確かに、ここに鳳翔さんが到着する前には退散する予定でしたけど……?」
「頼む。今すぐ、部屋から出てくれ」
赤城さんが、当然の疑問を投げかける。僕は今、自分のことで精一杯だから、みんなのこの後のことなんて考えてる余裕はなかった。だから、僕はてっきりみんなも僕の演奏を聞くんだろうと思っていたけれど、計画では、鳳翔さんがここに到着する前に、みんなは退散するつもりだったみたいだ。
しばらくの押し問答の末、ロドニーさんの謎の気迫に押された赤城さんとソラールさんは、頭をひねりながら練習室を出て行った。最初は退出を渋るように僕にしがみついていた天龍二世さんと妖精さんも……
「お前たちもだ。私と普賢院智久を二人だけにさせてくれ」
とロドニーさんに改めて言われて、『コワイカ……ッ』とぶつぶつ言いながら、赤城さんとソラールさんの頭に飛び乗り、二人と一緒に練習室から退室。
「……さて」
「……ッ」
バタンとドアが閉じる音が鳴り響き、今の練習室には、僕とロドニーさんの二人だけ。練習室にほんのりと西日が差し込み、今、室内はうっすらとオレンジ色に染まりつつある。
カタカタと身体を震わせる僕の前に、ロドニーさんが立った。だけど、身体を縮こませている僕は今俯いているから、僕の目に映っているのは、床板とロドニーさんの足だけだ。
「……私を見ろ」
「へ……? なんでですか?」
「いいから。私の顔をまっすぐ見ろ」
言われるまま、渾身の力で顔を上げる。頭を動かすことすら一苦労だ。僕の身体は今、ガッチガチに固くなってしまっている。やっとのことで、ロドニーさんの顔を見た。
「うう……何……ですか……?」
言葉すら、満足に発することが出来ない。口もこわばっている……自分の意気地の無さが嫌になる。
ロドニーさんが何をやるつもりなのかまったく分からず、ほぼストップしている思考を必死に回そうとしていたら……
「……普賢院智久」
「……は、はい……」
ファサッという軽く心地いい音を響かせ、ロドニーさんが、自分の髪の編みこみを解いた。彼女はいつも、そのキレイな金髪をふんわりとキレイに編み込んでいる。その髪をロドニーさんは解き、とてもキレイなストレートの、白色をほのかに帯びた金髪を下ろした。
ロドニーさんが気持ちよさそうに頭を振り、そのたびに、彼女の髪が優しくなびき、そして輝く。サラサラと心地いい音が聞こえてきそうなほどしなやかな彼女の髪が、周囲に輝きをこぼしながら、キレイにまとまった。
そして次の瞬間ロドニーさんは、今まで見たことのない、ふんわりと優しく、柔らかい微笑みを、僕に向けていた。
「私は、お前が好きだ」
「……へ」
「鳳翔は、お前の良さをよく知っていると言ったが……私も、お前の良さはよく知っている」
「……」
「……普賢院智久。お前は、ずっと私の決闘の申し出を反故にしていたな」
「はい……」
「にもかかわらず、困っていた鳳翔のために私と戦った。恐れながらも覚悟を決めたお前は、気迫ではこの私に、一歩も遅れをとることはなかった」
「……」
「私に挑発されながらも動じない強さ……鳳翔のために私との戦いを決めた優しさ……恐れながらも私に立ち向かった勇気……私は、そんなお前が好きだ」
差し込む夕日に照らされた、ロドニーさんの顔を見つめた。少し顔を動かすたびに髪が揺れ、そのたびにサラサラと心地いい音が聞こえてくるようだ。そんな彼女の表情はとっても穏やかで……今までの、賑やかで、うるさくて、そして雄々しいロドニーさんからは、想像出来ないほど、優しく、ふんわりと柔らかい微笑みだ。
ロドニーさんのしなやかな右手が、僕の頭に伸びてきて、前髪に触れた。その手は、あの日僕を気絶に追い込んだ一撃を叩き込んだ手だとは思えないほど白くしなやかで、とてもキレイだ。
「自分の気持ちを包み隠さず相手に伝えるのは、とても怖いだろう……でも大丈夫だ。お前なら出来る。この私に臆せず立ち向かったお前なら、大丈夫だ」
「……」
「自分の気持ちを伝えた結果、もし相手に拒絶されたら……そう思うと、怖くて仕方がないだろう……でも大丈夫だ。鳳翔は、きっとお前の気持ちを受け止め、そして応えてくれる」
「……」
「大丈夫だ。お前と鳳翔なら……私が好きなお前たちなら、大丈夫だ」
僕の頬に優しく触れ、静かに『大丈夫だ』と繰り返してくれるロドニーさん。
その言葉は、恐怖と緊張で震える僕の胸に、優しくじんわりと染みこんでいった。
そして、僕の頬に触れる彼女の手はとても温かく、寒さで震える僕の身体を、じんわりと温めてくれた。
今まで、僕の中でのロドニーさんという存在は、『怖い』『しつこい』『声でかい』の枕詞が必ずついていた。
でも今日、僕は『彼女と知りあえてよかった』『彼女が友達になってくれてよかった』と、初めて思うことが出来た。
「本当はお前を抱きしめて激励したいが……それは鳳翔の役目だからな」
「……ありがとうロドニーさん……ありがとう」
「大丈夫だ普賢院智久。……大丈夫だ」
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