彼願白書
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
リレイションシップ
リターン、ウオツリシマ
「タラップ、固定完了。」
「ふむ。」
巡視船『おおどしま』は、魚釣島第一バースに接舷した。
そして、おおどしまを降りた壬生森は景色を見渡す。
「いつになく憂鬱そうね。」
「誰のせいだろうね。」
「二度と戻るまいとした『提督』の座に戻る羽目に遭ったから?」
その壬生森の後ろには、叢雲がいつになく上機嫌な顔でいる。
「まったく、またこの離れ小島で私に何をしろというのやら。」
「そんなの、決まってるじゃない。」
壬生森と叢雲は埠頭から歩き、ついに見慣れたかつての本拠地の前に着く。
「わかりきった答えを知らんぷりしてるのは、アンタだけみたいよ。」
魚釣島ニライカナイ泊地司令部、その前には以前より一回り大きくなった熊野と鈴谷を始め、17人の艦娘。
「おかえりなさいませ、提督。」
「待ってたよー!」
全員の姿に、叢雲が加わる。
壬生森の配下の艦娘は、これで18人。
「アンタの居場所は、やはりここなのよ。永田町の地下も悪くなかったけど、アンタはやっぱり、その格好が一番よ。」
「叢雲が言うなら、そうなんだろうな。」
「そうよ。それに陽の下で働くほうが、ご飯も美味しいわよ。」
壬生森のスーツの上に羽織った軍服と、制帽を被った姿。
若い士官は教本か史書の写真でしか見たことがない、蒼征の指揮官としての壬生森の復帰。
一部では様々な陰謀論が語られたこの人事の真相は、一ヶ月前の内務省にある。
「壬生森分析官、よく来てくれたな。」
「正式な呼び出しとあれば、無視はしませんよ。」
壬生森はいつものスーツ姿で、内務省の地上階最上層に出頭していた。
出頭要請の連絡はわざわざ内線での、内務次官直々のもので。
壬生森としては、断りようもない真っ当な要請に渋々ながらも、向かうことになったのだ。
事務次官執務室、そこに今回のトラックの件で、壬生森が根回しした相手がいた。
「で、私に如何な用で?内務次官たる貴方が下っ端の小役人一人をわざわざ呼び出すなんて、ただ事ではなさそうですが。」
「うむ、とりあえず自身を我が省の小役人と言い切る自らの立場への見識を、まずは改めていただきたい。」
内務省事務次官に新しく就任したのは、内務省危機管理情報局局長からの抜擢となった初老の男。
「君は今や、国内のみならず米国や大陸側も注目する『要注意人物』だ。何しろ、内閣や市ヶ谷の進める日本の領海拡大戦略の根幹は、君達の成した『プロジェクト・ニライカナイ』の成果を踏まえたものだ。その上に今回のネームレベル撃破で、君達は戦力としても未だに健在だと内外に知らしめることとなった。」
「……藤村事務次官、私は」
「君が自身をどう判じているかは、この際は無意味だ。事実として、君は公人としては、この海で一番の影響力があるのだ。」
藤村、と呼ばれた白髭の老紳士は執務机の上に広げられた書類をまとめる。
「君には、相応の立場が必要だ。君自身にではなく、君が相応の立場にいることに安堵する者達のために、な。」
「私がどこにいるかで枕を高くして眠れるような者が、私に関わる人事で安泰を得るには、私を永田町から追い出すくらいしかありませんが?」
「確かに、永田町からは出てもらう。君のことを待っている者がいて、君がそこにあることに安堵する者がいる、そんな場所に行ってもらいたい。」
藤村は雑にまとめた書類を、壬生森に突き出す。
壬生森は、藤村から受け取った書類を一枚ずつ、見ていく。
「この書類は……」
「“海上安全保障企画部”『蒼征』、その設立案だ。既存の安全保障の命令系統に組み込まれない、内閣総理大臣のみを責任者とした、海上での我が国の国益のみを視野に、司令官の指揮によってのみ動く、完全な独立独歩の武装戦力だ。」
「バカなことを。これは制御不能な軍閥を魚釣島に作り上げる、ということではないですか。永田町が市ヶ谷にずっとちょっかい出してきたのは、まさにこういう制御不能な武装戦力を芽から摘むためだったハズです。」
壬生森は顰め面で、書類を一枚ずつめくっていく。
その内容は壬生森からしたら寝言もいいとこの、無茶苦茶だった。
「しかも、この案件はシュレッダー行きで当然の愚案です。こんなものを産み出すことも、存在を認めることも、人類には受け入れがたいものです。理由は簡単で、人は自分の頭上から落ちてくるかもしれない落石を歓迎しないし、人は落石から逃げるのではなく、害のある落石を取り除くことを使命とする生き物だからです。そして、この案件は多くの権力者には、害意ある落石にしかならない。何より、その落石は明確な意思を持って落とされるとあっては、誰が認めるというのでしょうか。」
「君なら、そう言うと思っていた。」
「藤村事務次官、こんな無茶を通そうとしたのはどこですか?市ヶ谷ですか?内閣ですか?私は蒼征も、ニライカナイも、こんな愚案を目標として作り上げた覚えはありません。」
老人は執務室の壁に掛けられた国旗の前に歩く。
「米国国防総省、そこからだよ。君を『ハーミテス』の事後調査から遠ざけるべく、別職に回すように圧力がかかった。しかし、我々としてはこのままこの一件を終わらせるわけにはいかない。故にだ。」
「米国に楔を打ちたいのはわかります。ですが、これは本末転倒です。こんなのを通せば、米国はトラックに撃ちそびれたトランシルバニアのトライデントを、今度は魚釣島に向けてきますよ。」
「だが、彼等は機密案件であり封印事項だった、オリジナルの製造を盗み出していた。その失敗が『ハーミテス事件』だ。これに対して、我々は言外に抗議する必要がある。」
壬生森は眉間を指先で押さえて揉みほぐす。
そして、壬生森は書類の束を藤村老人に突き返す。
「藤村事務次官、米国はオリジナルが如何に禁忌となったのか、既に身に染みて理解しているでしょう。だから、核で消し去ることを選んだ。全てを紺碧の底に沈めて、なかったことにしようとしたのです。」
ページ上へ戻る