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ラインハルトを守ります!チート共には負けません!!

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第九十話 狂乱の始まりです。

帝国歴487年10月15日――。


 自由惑星同盟では近年ある人物への期待が高まっている。エル・ファシルの英雄でもヴァンフリート星域会戦での英雄でもなかった。

 シャロン・イーリス中将である。統合作戦本部の作戦部長としてアーレ・ハイネセンを駆使した大戦略を構築し、表立って出ないものの、その言動は既に世論によく知られていた。賛否両論あったがこの場合賛成が圧倒的だった。彼女の歯に衣着せぬ物言いは自由惑星同盟市民から崇拝と尊敬の念さえ持たれていたのである。これはシャロンが裏からカトレーナを通じ、情報を操作して「意図的に操作した印象」を徹底的に市民に刷り込んだからにほかならない。同盟市民や軍の下級兵士たちの中には、早くも彼女を「次期にして初の宇宙艦隊司令長官、若しくは将来初の女性統合作戦本部長」とする期待と機運が満ち満ちていた。
 彼女が既に政財界はじめ各界に「シャロン派」を構築していることは既に述べた。
 その各シャロン派があらゆるメディアを通じて彼女を取り上げ続けたが、当の彼女は表向きはメディアに出たがらない、軍人としての職務を貫くという姿勢を取り続けたため、ますます評判が高くなった。
 その政財界やメディアを操作しているのは他ならぬ彼女であり、そのプロパガンダが行きつくところはもはやある一点しかないのだった。彼女の前ではヨブ・トリューニヒトすらも霞み(トリューニヒトは一命をとりとめていたが未だ獄中の中であった)、最高評議会議員ですらかすんでしまう。

 今まで水面下でのみ動いていた彼女が、ついに表舞台に立つべく動き始めたのだった。

 これを見ていたごく一部の「良識派」は危惧を覚えていた。極論を言えばシャロンがあのルドルフのように独裁権を確立するのではないか、と思い始めたのである。
ことシドニー・シトレ大将やブラッドレー大将は、以前ひそかにマーチ・ラビットで会合の際に話し合われた内容が現実味を帯びてきたことに関して愕然とするとともに、それに対する手立てを模索し始めたのである。
 だが、彼らが行動に移る前にある一矢が統合作戦本部に突き立った。他ならぬダニエル・ブラッドレー大将がアーレ・ハイネセン遠征作戦の失敗に伴って辞任を余儀なくされたのである。国防委員長アラン・マックナブも辞任したが、彼は後に大手エネルギー・プラント会社の副総裁の地位に納まったことを考えれば、標的がブラッドレー大将ただ一人だったことは否めない事実だった。
 辞任を要求された時、ブラッドレー大将は、
「女共を、孺子共を頼んだぞ、シトレ。」
とだけ言い残し、さっさと統合作戦本部長席を明け渡してしまったのだった。
「参ったものだよ。」
シドニー・シトレ統合作戦本部長代理はヤンを自分の執務室に呼び寄せていた。ブラッドレー大将がアーレ・ハイネセンの敗戦の責任を取って辞任した後、彼が代理を務めることとなったのである。少なくとも、当面の間は。
「そう言うな、俺はまだ死んだわけじゃない。退役しただけだ。」
そう言ったのは他ならぬブラッドレー退役大将である。引継ぎという名目でちゃっかりと統合作戦本部長室に居座っているばかりか、勝手にコーヒーサイフォンからコーヒーを入れてシトレとヤンに振る舞っていたのである。そしてもう一人、客がいた。クリスティーネ・フォン・エルク・ウィトゲンシュティン予備役中将である。
「ヤン少将、いや、中将。」
ヤン・ウェンリーは少将ではなく、この統合作戦本部長室に入った瞬間に、正確には10月15日午後1時30分をもって中将になっていたのだった。あの多大な敗戦を100%敗戦のみとしてしまえば、同盟市民が納得はしない。誰かをスケープゴートにし、誰かを英雄に仕立て上げなくてはならないのだ。
 スケープゴートの標的は、要塞司令官でありながら要塞を満足に使いこなせなかったクレベール中将に集中した。彼は少将に降格させられ、辺境の基地司令官に転出していったが、その時の表情はまさに見ものだったという。
「何故、私だけが標的にされなくてはならないのだ!!」
と、腹立ちまぎれに言い残して彼はシャトルに乗っていったというのが目撃者の談話である。
 他方、ヤン・ウェンリー少将は敗軍をよくまとめるべく多大な貢献をし、敵に有効な打撃を与えつつ遠征軍の後退を支援したという事で中将に昇進していた。ウィトゲンシュティン中将は据え置きとなったが、病弱の身として予備役を命じられ、第十三艦隊の司令官から外されることとなった。カロリーネ皇女殿下やアルフレートらが恐れた事態になったのである。人事局の背後に誰がいるかをウィトゲンシュティン中将はそれを肌で感じ取っていたが、何も言わずに辞令を受領したのだった。
 だが、シドニー・シトレ大将やブラッドレー大将は易々と敵の思惑には従わなかった。第十三艦隊の残存部隊をそして新兵の一部を第十七艦隊に組み込んで、新生・第十七艦隊として再編成したのである。艦艇13000隻、兵員130万人は一個艦隊としてはほぼ正規艦隊に同格の数字となった。書類上は、である。また、第十三艦隊については零からの再編成となり、予備役や新兵、それに新造艦隊をもって充てられることとなった。指揮官は第二艦隊分艦隊を任されていたニコラ・ジャン・ケレールマン少将が中将に昇格して指揮を引き継いだ。
こういう事情もあって、ヤン・ウェンリーとウィトゲンシュティン中将は表向き第十三艦隊の引継ぎという名目で本部長室にやってきていたのだった。
「既に知っているかと思うが。」
一番最後に入ってきたヤンを席に着かせ、コーヒーカップが一渡り渡ったところでシトレが口を開いた。
「ブラッドレー大将閣下は今回の敗戦の責任を負う形で統合作戦本部長を辞任することとなった。予想外だったのはブラウン・フォール派閥に属する要塞司令官クレベール中将がスケープゴートにされたことだ。そして・・・・。」
シトレはウィトゲンシュティン予備役中将を見ながら、
「君の第十三艦隊司令官から予備役への転出も、止めることはできなかった。」
シトレ、ブラッドレーの力と派閥をもってしても、最高評議会にはかなわなかったのだ。また、軍の人事権を握る軍の人事局に関してはシトレ、ブラッドレー派閥はむしろ少数であり、評議会とつながる人間が多い。
「クレベール一人を生贄にしたところで、まだ羊共は沢山いるとふんだのだろうよ。」
ブラッドレー予備役大将が苦々しげに言う。
「その生贄の羊を選定する司祭は一体誰なのでしょうね?」
ヤンの隣に座って白い手でコーヒーカップを撫でているウィトゲンシュティン予備役中将の問いに、ブラッドレー予備役大将は肩をすくめ、
「司祭共は評議会の政治屋とそれに加担するインテリどもだろうが、まだ裏にもう一人二人いると見たな。どうだ、シトレ?それにヤン。」
4人の脳裏にはある一人の人物の顔が浮かび上がってきた。表向き最高評議会がすべてを牛耳っているがその実舞台裏にいて演出をしているのは――。
「シャロン・イーリス中将ですか。」
その名前は統合作戦本部長室に虚ろに響いた。
「階級から見れば高々一中将で、戦略課という一部局の作戦部長にすぎん。だが、奴の場合はそれが当てはまらない。これは俺の勘だがな、今回の一件は大地震の前の初期微動だ。もういつ奴が動き出してもおかしくはないと思ったぞ。」
いつ動き出してもおかしくはない。その言葉の重みを正確に理解しているのは同盟全土でもこの四人のほかに幾人いただろう。もちろん、帝国側には彼女の恐ろしさを知悉している人間は多数いたが。
「思えば、先年の和平交渉の際に妨害がありましたが、あれも彼女の仕業だったのでしょうか?」
ウィトゲンシュティン予備役中将の呈した疑問にヤンは首を振った。
「いや、それはないと思います。あの時帝国側からは大貴族の長であるブラウンシュヴァイク公爵、そしてリッテンハイム侯爵がともに出席していました。いくら彼女でも、いや、彼女だからこそ、あの場であの二人を殺してしまえば、帝国が全戦力を上げて報復に出てくることは知っていたでしょう。彼女の仕業じゃありませんよ。」
「俺もそう思う。どちらかと言えば、準備が整ってから乗り出すタイプだ。アイツはな。」
ブラッドレー予備役大将はコーヒーをすすりながらそう言った。そのシャロンは作戦部長としてアーレ・ハイネセンの敗退の件につき、評議会において参考人として招致されることとなっていた。本来であれば軍の最高責任者レベルが召喚されるのであるが、シドニー・シトレ大将とブラッドレー大将は作戦責任者として彼女を推挙したのである。推挙と言えば聞こえはいいが、実際はスケープゴート、いや、この機会をもって彼女を排しようと考えていたのだった。排除できないまでも彼女の勢いをそぐことができればと考えたのである。
 その思惑を知ってか知らずか、シャロンは「承りました。」とだけ言い、特に反対も陳情もしなかったのである。これについてはブラッドレー、シトレサイドはやや不安を覚えたが、さりとて今の段階ではどうしようもできない事だった。
「ま、とにかく用心をするに越したことはない。今回の評議会での証人喚問において作戦立案者たる彼女に責任が集中すれば、即座に彼女も今回の敗戦の責めに帰すべき人物のリストに連座させる。ひとたび軍の中枢から外れれば、容易には復帰できはしない。その間にさらなる手を打つとしよう。」
「失礼ですが、シトレ閣下。閣下はシャロン・イーリス中将を暗殺なさろうとするおつもりですか?」
ウィトゲンシュティン予備役中将が澄んだ声で、しかし鋭いまなざしをもって正面から彼を見つめた。思わずヤン・ウェンリーが身じろぎをするほどの視線だった。
「彼女が真に同盟にとって脅威となりうる存在であると確証があるまでは、私は手出しはしない。」
「確証が持てれば手出しをするという事ですか?」
ウィトゲンシュティン予備役中将の声は鋭い。
「いけないかな?」
「彼女は危険な存在です。失礼ですが暗殺などという生温い手段では到底彼女を倒すことはできないと思います。」
「暗殺が生ぬるいだと?おいおい、たいそうなことをいう嬢ちゃんだな。」
ブラッドレー予備役大将は大仰に肩をすくめた。
「だったらあれか?奴を公開処刑にするか?あるいはリンチにしてぶった切って畜肉場の豚の餌にしてやるか?」
「閣下!私は本気で心配しているんですよ!もう!」
ウィトゲンシュティン予備役中将が怒った。その拗ね方はヤン・ウェンリーをして自らが木石でないことを再認識させるには十分なものだった。
「ヤン中将、君はどう思うかね?」
シトレに促されたヤンはウィトゲンシュティン中将から視線をかつての恩師に戻した。
「私としては彼女の正体を掴みかねているところもあって、あまり強硬な手段に訴えるのはどうかと思います。何しろ彼女には表だった、明白な、疑いようのない罪状はないのですから。この自由惑星同盟では、建前上はそうなっているはずですよ、疑わしきは罰さず、と。」
「・・・・・・・・・・・。」
ウィトゲンシュティン中予備役中将は黙って膝の上のコーヒーカップをソーサーごとテーブルに返した。乾いた陶器が触れあう音がかすかに3人の耳にも届いてきた。
「ヤン中将。」
ウィトゲンシュティン中将は彼の方を向いた。
「あなたの事はある人たちから聞いています。その人たちはあなたの事をこう評していましたよ。あなたは昨日のことは知っている。そして明日の事も知っている。でも、あなたは今、この瞬間に起こりつつあることについては認識できていない、と。」
冷たい声と視線はヤン・ウェンリーをたじろがせるに十分だった。ただ、彼は頭を掻いただけでそれ以上の反応は示さなかった。
「私は万能ではありませんよ。ましてや神ではないのですから。」
「ええ、知っています。でも、時として誰しもが誰かを頼りたい時はある。その時、頼る相手が頼りがいがある方に手を求めたくなるのは人間の本性ではないかしら。」
だからと言って、何もその役目を私に求めなくてもよいのではないでしょうか。そうヤンは言いたかったが、ウィトゲンシュティン中将の瞳の奥に浮かぶ表情に気が付き、それを口に出すのはやめにしたのだった。



ティファニー・アーセルノ中将は新設された艦隊司令官という事もあり、異動はなかったが、大打撃を受けた第十六艦隊はその再編成の必要から当面は首都星ハイネセンから動けないこととなったのである。ヤンたちが統合作戦本部長室で話をしていたその同時刻、ティファニーは極低周波端末でシャロンと会話をしていた。
「閣下、よろしいのでしょうか。敗戦の責任は敵の圧迫を防ぐことができなかったこの私にあります。ですのに、閣下御自らが評議会に出向かれるなどと――。」
『私はあなたを庇うために赴くのではないのよ、ティファニー。』
シャロンはティファニーがかすかに胸の奥に抱えていたであろう淡い思いを切り捨てた。
『そろそろ裏で糸を操り続けるのも飽きてきたの。帝国ではラインハルト・フォン・ローエングラムが台頭し、イルーナたちもそれに追随する形で地位を得てきている。すでに帝国全軍の半数を掌握したそうね。だから私も動き出すの。それだけの事よ。』
「ですが、並大抵の事では評議員たちを、市民を納得させるのは難しいと思います。」
『私が並の転生者であればね。』
シャロンは微笑した。
『私たちがどういう力をもってここに転生してきたのか、それをもう一度思い出してみなさい、ティファニー。』
ティファニーは答えなかったが、背中にじっとりと汗がにじむのを感じていた。そう、シャロンがもし本気になればその時は――。
『私たちにはこの世界における『現実』という法則が適用されないことを、思い知るがいいわ。この世界に生きる人間、そして、転生者たちは。』
シャロンが微笑しながら通信を切った時、ティファニーはどっと椅子に座りこんでしまった。
「私は・・・とんでもない思い違いを・・・・どうして・・・・・。」
彼女は両手で顔を覆った。
「どうすればいいの?私は・・・・フィオーナ・・・ティアナ・・・・。そして、ジェニファー教官・・・。私は・・・・・私は・・・・!」
彼女のかすれた声は官舎の無機質な壁に当たって消えた。



* * * * *
イルーナと執務室にこもって束の間の休息を楽しんでいたジェニファーは不意に顔を上げた。そしてヴァルキュリアの司令官公室から見える漆黒の宇宙を見つめていた。まるでその先にある何かを注視し、耳を傾けようとしているかのようだった。
「ジェニファー。どうしたの?」
あらぬ方を見ているので、イルーナがどうかしたのかと尋ねた。
「失礼。何か・・・そう、呼ばれたような気がしたの。そんなはずはないのだけれど。」
「誰に?」
ジェニファーは少し苦笑したっきり何も言わなかった。凛としている彼女にしては珍しい事なので、重ねてイルーナが尋ねてみると、
「ティファニーから呼ばれたような気がしたのよ。あの子と私は前世では師弟関係だったから。自由惑星同盟に転生して、シャロンの下で苦労していなければいいけれど。」
「それは無理な話だわ。シャロンの性格はあなたもよく知っているはずよ。たとえ自分の教え子であろうとも不必要であれば即座に切り捨てる人間なのだから。」
「だからこそ、あの子の事は気にしていたいのよ。イルーナ。」
ジェニファーは即座にそう言った。
「そう、たとえシャロンの下にいても何をしていても、元教官としては教え子の事は常に気にするものだという事よ。残念ながら・・・シャロン自身には当てはまらないけれど。ティアナが不憫だわ。」
期せずして二人は同時に黙り込んだ。シャロンの教え子であるティアナはもはやシャロンの事を気にしていないと声を大にして言っているが、その実は違うだろうと二人は思っている。前世での師弟の絆という物は少なくとも普通の感情を持ちうる人間にとっては、そしてよほど互いを嫌いあっていなければ誰しもが強く抱くものだから。
「もし、自由惑星同盟に侵攻することになれば、ティファニーと正面からまた戦うことになるわ。」
「それはわかっているわ。それでも彼女を助け出す機会があればそれを掴みたいと思っているの。それはあなたもでしょう?イルーナ。」
言外には言わなかったが、かなうならばシャロンを倒すのではなく止めたいという思いをこの№2の参謀総長が抱いていることをジェニファーはよく知っていたのである。
「かなうならば、そうしたいわ。」
本音はあまりにも小さな声であまりにも頼りない吐息と共に吐き出された。その可能性が限りなく零であることを彼女たちはよく知っていたからである。



* * * * *
3日後――。

シャロンは地上車で評議会議場に赴いていた。そして今その優雅な姿を参考人席に見出すことができる。
「アーレ・ハイネセンの建造にいったい我が同盟市民の血税がいくら投入されたか諸君らはご存知か!?」
革新派の野党議員が壇上で叫んでいる。
「正確な数字をなぜか財務委員会も軍部も公表しないのだが、ある筋からの資料を基に試算すると約1兆ディナールに及ぶのだ!!」
会場が愕然、擁護、批判、驚きなどの喧騒の色に包まれたが、シャロンは顔色一つ変えず、悠然と微笑みながら会場を静かに見つめている。
「そのような多額の血税を投入したあの要塞がなしえたことは何か?!答えは『何一つなしえていない。』だ!帝国軍になるほど多少損害は与えたことは事実として認めよう。だが、我が同盟も同等それ以上の被害を被った。それならば大艦隊をもって相対しても同じことではないか?!」
議員の発言を肯定、否定、擁護、反発の叫びが飛び交ったが、ともすれば野党派は勢いづき、与党派は押され気味になった。何しろアーレ・ハイネセンが何一つなしえないまま帰投したことはれっきとした「事実」だったからである。およそ1時間にわたり野党側からの攻勢が続き、ついにそれに対する「当事者」からの答弁がなされることとなった。
「イーリス中将。」
この名前が呼ばれた時、シャロンは厳かに立ち上がり、優雅な足取りで壇上に上がった。誰もがしぼむように声を出さなくなったのは彼女の持つオーラに当てられたからにほかならない。
「で、あなた方は私に何を求めているのですか?」
開口一番に放たれた言葉は予想外の物だった。気圧された様に会場の空気がシャロンを起点として放射状に逃げるように動いたのが彼女の近くに座っていた速記者には感じられた。
「この敗北に対しての原因究明と謝罪だ。」
誰かが発言した。先ほどの議員かも知れないし、別人かも知れなかったが、シャロンは意に介さなかった。
「原因は明白ですわ。」
シャロンは悠然と微笑んだ。
「あなた方政府がアーレ・ハイネセンの建造を決定したことです。軍としてはそれに従わざるを得ませんでした。あなた方政府がアーレ・ハイネセンの派遣を決定したことです。軍としてはそれに従わざるを得ませんでした。」
一瞬、会議場の空気が固まった。誰しもが身動きをしようとしても動けず、ただ衝撃の大きさを体に刻み付ける作業を行うしかなかったのである。ようやくその作業を終えた人間が一人、また一人と喚きだした。
「非常識な!!」
「何を言っているのだ!?」
「実際に作戦を行ったのは貴様ら軍ではないか!!」
「責任を取れ、責任を!!」
「議長、即刻参考人を――。」
不意に議場が静まり返った。いったん喧騒に陥った議場は容易なことでは静まり返らない。にもかかわらずそうなったのは、たった一つの身振りだった。シャロンが軽く片手を上げた、ただそれだけで。
「失礼いたしました。これはほんのジョークですわ。」
ジョーク、だと・・・。という唖然としたささやき声が議事堂を駆け巡った。
「ですが、このささやかな失礼に百倍、いえ、数千倍する対価を皆様にお支払いいたします。」
訝しげな視線が集中される中、彼女は微笑を浮かべて話し出した。同時に彼女の身体から赤いオーラが立ち上り、それは議事堂の壁に沿って広がりを見せていたのに気が付いた者はいなかった。
「私は確信をもって言いますが、遠からずして自由惑星同盟は帝国軍に決定的なダメージを与えられるでしょう。すべてはイーリス作戦発動のため。回廊の戦いはその開幕式にすぎません。この作戦は同盟軍史上最も壮大でかつ崇高な大義の下に行われるでしょう。そう、あのダゴン星域会戦以上になることを、自由惑星同盟建国に匹敵する大業になることを、私は皆さまに保証いたしますわ。」
ここまで大っぴらに、かつ大胆に宣言されることなど、どの議員も経験しなかったことである。いつの間にか一同はかたずをのんで見守っていた。そうせざるを得ない圧倒的なオーラがシャロンからあふれていたのだ。もちろんそれは彼女が意図的に放出したものにほかならなかったが。
「皆さまはこの国を愛していらっしゃいますか?」
シャロンが呼びかける。その呼びかけには奇妙な甘い香りが伴っていた。それはアルコールを摂取した時の心地よい酔いを引き起こすものだった。
「皆さまは自由民主主義の理念を愛し、それを守りたいと思いますか?」
一同が麻酔にかけられたかのようにうなずく。それに向かってシャロンが両手を広げる。
「今や準備は整いました。帝国軍は遠からず回廊内から同盟領内に進攻してくるでしょう。それを奥深く誘い、限界点に達したところで完膚なきまでに殲滅するのです。あなた方はその瞬間に立ち会うことができる。後世の人々はあなたたちのことをこう呼ぶでしょう。『民主主義の理念を守り、大義の旗を掲げた戦争に勝利した偉大なる指導者たち。』と。」
おお、という声にならない声が議場を満たした。今やシャロンの魔力は議事場を支配し、甘美な甘い言葉で議員たちを包み込んでいる。
「ええ、皆様の抱える一抹の不安も十分にわかりますわ。」
シャロンは優雅に、優しげに頷いて見せる。その瞬間彼女を見る人間すべてがこう思うのだ。

彼女は我々の不安、恐れのすべてを知っている。彼女はそれをすべて受け止めてくれる、と。

「当然、それには有人惑星は犠牲になるでしょう。しかし、それが幾百年の恒久的民主主義の理念の勝利につながるとしたら?それは無益な犠牲であると言えるでしょうか?」
「・・・・・・・。」
「帝国を打倒し、そこに住まう貴族たちに虐げられ続けてきた民衆を解放することにつながるとしたら?それは無益な犠牲であると言えるでしょうか?」
「・・・・・・言えない。」
誰かがつぶやいたが、それはむろん誰にも聞こえなかった。だが、そのつぶやきには狂乱の眼差しが伴っていた。
「宇宙を統一し、再び民主主義国家を立ち上げ、誰一人不平等に扱われず、誰一人虐げられることのない国を作ることにつながるとしたら?それは無益な犠牲であると言えるでしょうか?」
「言えない・・・言えない・・・・言えない・・・・!!」
誰かは分らないが、熱に浮かされた様に合唱が始まる。それは与党、野党を問わず巨大な熱波となって議事場を満たした。
「ええ、そうですわ。言えません。それこそが私たちが今まで掲げてきた旗であり、意志であり、大義であり、目標なのですから!」
シャロンが身を乗り出した。一段と大きな彼女の甘美な声が議事場を満たす。
「今こそ、戦うときです!自由惑星同盟130億人が一丸となり、帝国を打倒し、崇高な民主主義の理念を、恒久的平和を、ここに打ち立てるのです!」
シャロンの瞳が輝いた。それにさらされた者たちはまるで麻酔にかけられたがごとく夢遊病のように叫び続けていた。
「シャロン!シャロン!シャロン!偉大な指導者!シャロン!シャロン!シャロン!」
「シャロン・イーリス中将・・・いや、シャロンを恒久的な指導者にするべきではないか!!」
「一中将ではなく、自由惑星同盟の最高元首として、恒久的な指導者として!」
そうだ、そうだ、そうだ!という声が議事場に満ちた。不思議なことにこれを最も忌避すべき最高評議会議長ですらも声を大にして叫び続けている。全員の眼がおかしかった。まるで何かの魔力にかけられたかのように。
シャロンが手を上げると、再び議事場は静まり返った。今やそこにいるのは弾劾者たちと被告ではなかった。絶対的指導者とその前にひれ伏す信者たちだった。
「皆様方が偉大なる指導者だということは充分に承知しておりますが、そのうえでなお、強力な指導者が必要だというのであれば、私は喜んでその任につきましょう。」
狂乱、と言ってもいいほどの歓声が議事場を包んだ。これは自由惑星同盟を建国宣言した時、あるいはダゴン星域会戦での勝利を祝った時、以来だった。
「力こそが大義を支え、力こそが、強大な指導者の下にあってこその庇護が人類を幸福にするのです。あなた方が私を欲するならば、私は可能な限り、あなたたちのために力を尽くしましょう。可能な限りあなたたちの為に私は舞台に立ち続けましょう。」
シャロンは微笑を浮かべた。
「今から新しい歴史が始まります。それは、私と、あなたたちが織り成す究極の理想郷。そこでは皆甘美な世界に時を過ごすことができる。欲する人間は誰一人かけることなく、誰一人漏らすこともなく。そう、そこでは死でさえも究極の快楽として提供されるのだから。」
大歓声が沸き起こる。全員が狂ったようにシャロンの名前を叫び続けている。それを受け止めながら、クク、とシャロンはこらえきれずに笑った。あっけないものだ。自分の魔力と、力と、オーラを使用したものの、これほどあっけなく「堕ちる。」とは思わなかった。もろいものだ、人間という物は。
(いえ、違う。私は提供しただけよ。あなたたち人間が欲する『華美・娯楽・快楽』を。)
そう思いながらシャロンは両手を広げた。


「民主主義よ、永遠に!私の庇護下にある自由惑星同盟よ、永遠に!」


舞台女優のように優雅に一礼して身をひるがえすと、シャロンは壇上を降りた。大歓声と大拍手、そして歓声の口笛の中を一度も振り返ることなく、議場を後にする。後は「シャロン派」が上手くまとめてくれるだろう。
「ククク・・・・・。」
誰もいない廊下を地上車が待機している地下に通じるエレヴェーターに一人きりで向かいながら、シャロンは笑みを漏らす。楽しい。楽しくてたまらない。なんて愚かな人間たち。
「ククク・・・・フフフ・・・・。」
主義思想などという御大層なものを掲げているが、その本質はご覧の通り、一皮むけばそこにはむき出しの欲望という肉塊だけがうごめいている。これが人間という物だ。どんなに澄んだ衣をまとっていても中はご覧の通り、穢れているのだ。自分はそれを最大限に引き出してやったに過ぎない。
「ア~~~~~~ッハハハハハハハ!!!アハハハハハハ!!!アハハハハハハハハハハ!!!!」
シャロンの高笑いが誰もいない廊下に満ちた。心底幸福そうな笑いであるが、どこか調子はずれで、冷静に聞くものをしてぞっとさせるような笑い。狂乱の笑いだった。
 
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