ラインハルトを守ります!チート共には負けません!!
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第八十九話 艦隊再編成、そして、次の章の幕開けです。
この世界における第六次イゼルローン要塞攻防戦は、原作と異なり、帝国歴487年8月から10月にかけて行われた。自由惑星同盟軍にとって、帝国歴487年5月の第五次イゼルローン要塞攻防戦以来約4年ぶりになるわけだ。
だが、新要塞まで投入した4年ぶりの遠征は勝利に彩られることはなく、150万人の犠牲者と2万隻近い艦艇損傷を被っての大敗北となった。さらに、新要塞に寄せられた多大な期待を「裏切った」といういわば二重の負のベクトルが発生していたのである。
とはいえ、これは冷静に状況を俯瞰できる人間から見れば言えることであって、当の本人たち、とりわけ遠征軍とその救援に赴く人間たちにとっては眼前の仲間を一人でも多く救うことが何よりの急務となったわけである。
エル・ファシルを発進した第五艦隊が急行につぐ急行でまっさきに回廊付近に到着した時、全軍は安堵というよりも今後予想される激烈な戦闘を想定してますます身を引き締める思いでいた。主将であるアレクサンドル・ビュコック中将だけは泰山のごとく司令席から動かず、腕を組んで半ば目を閉じたままでいる。主将が不動の位置を示しているため、焦燥の中にも一定の落ち着きと秩序が保たれているのはそういうことであった。
前方に友軍艦隊、と報告するオペレーターの声にアレクサンドル・ビュコック中将は眼を開けた。
「間に合わなんだか。」
ここまで昼夜急いでやってきたが、回廊での戦闘は終わってしまっているようだった。その証拠が今目の前に現れた友軍艦隊の反応であろう。
「全滅したのではなかったようですな。」
ほっとした表情で参謀長が言ったが、ビュコック中将はなおも前方のディスプレイから目を離さないでいる。その表情に参謀長が再び前方を見た時、彼は息をのんだ。
「これは・・・・・。」
参謀長の隣で幕僚のファイフェル少佐が声を失っている。
目の前に展開していたのは、艦隊でなく、残骸であった。正確には生き残った艦が敗残の艦を引きずってきたのだった。彼らの後ろに宇宙の残骸となった鉄くずが漂っているのがわかった。ビュコック中将もおそらくは内心衝撃を覚えなかったはずもないが、彼はいち早く指令を下し始めていたのである。
「前方には敵反応はないか?」
「ありません!」
「よし、前衛艦隊は回廊付近において哨戒体制に入れ。他は負傷者の救助に当たる。」
ビュコック中将は立ち上がった。
「急ぎ工作艦隊を出せ。さらには病院船隊もフル稼働させろ。なお負傷者がある場合には戦艦から逐次負傷者を収容するのじゃ。」
第五艦隊はこの瞬間戦闘艦隊としてではなく、一個艦隊規模の病院艦隊としてその機能を十全に発揮することとなったのである。
* * * * *
イゼルローン回廊を脱出した自由惑星同盟側はかろうじてティアマト星域にて第五艦隊と合流することができた。敵がそれ以上追ってこなかったので、敗残艦隊は再編成を行い、補給と補充、それに第五艦隊が引き連れてきた工作艦隊による修理を行うことができたのである。
ほどなくして第十艦隊が、そして第十二艦隊が増援として到着し、敗残艦隊を守るようにして展開した。
どの艦隊も損傷がひどかった。ヤン・ウェンリーの第十七艦隊ですら損害率5割を超えており、第十六艦隊に至っては損害率7割強を記録している。もはや艦隊として機能することがかなわないほどにダメージを受けてしまったのだ。
人的被害も大きいものだった。150万人強の死傷者は自由惑星同盟にとっても無視できない損害である。
だが――。
最も深刻なものは、将兵の心に負った傷の深さだったのかもしれない。目に見えないものだったが、それだけに事態の大きさは深刻だった。「要塞には要塞を。」「新要塞をもってイゼルローン要塞を攻略する。」などと大々的に銘をうった今回の戦いが、自由惑星同盟の敗退になり、何一つ得るところなく引き揚げてしまったことに、ショックと屈辱、喪失感、そして後方の市民への恐怖が前線将兵に疫病のごとく蔓延していたのである。
軍上層部は冷静にこの大敗北を受け止めていた。何しろ再三こちらの方から戦略的撤退許可を求めたにもかかわらず、国防委員長及び最高評議会がそれを許可しなかったのである。現場の駆け引きは軍が行うが、大略方針は国防委員長及び最高評議会が決定する。文民統制と言えば聞こえはいいが、むろん実態はそれとはかけ離れている。この基本方針の弊害が如実に出たのが今回の戦いだった。
敗残の司令官たちとそれを迎え入れた救援艦隊の司令官たちは一同に第五艦隊旗艦リオ・グランデに設けられた会議場に集まってきていた。
第十三艦隊のウィトゲンシュティン中将が参謀長、副司令官、副官、そして副官補佐役のアルフレート、カロリーネ皇女殿下を伴って訪れた時、歴戦の老提督はただ一言、
「よく、帰ってきたのう。」
と、言い、彼女の肩をポンポンと叩いた。日頃不愛想だと評判の老将にしては珍しいこととささやき交わされる声はないことはなかった。シャトルに乗り込んでからここに来るまでずっと硬い顔をして一言も話さなかったウィトゲンシュティン中将は、一言、
「申し訳ありません。」
とだけ言い、頭を下げた。その声に隠し切れない震えが、わずかに漏れ出ていたのを聞いた幕僚はすぐ傍らにいたカロリーネ皇女殿下とアルフレートの二人だけだった。一同が席に着くと、ビュコック中将は開口一番こういった。
「貴官らは後方に下がり、補給と補充、それに艦艇の整備をしてほしい。これまでずっと戦いっぱなしじゃったのだから、後は儂らに出番を譲ってくれてもよかろう。」
それが、ビュコック中将ならではの敗残の将兵に対する慰めだということを居並ぶ人間たちは理解していた。第十六艦隊、第十三艦隊、そして第十七艦隊のここに出席している人間のうち半数は負傷をおしてここにやってきている。ヤン・ウェンリーはというと彼は負傷していなかったが、その表情は硬い。こんな時に固くならない方が不思議よね、とカロリーネ皇女殿下は思った。第十六艦隊のティファニー・アーセルノ中将は傷一つ負っていないが、その表情を見たカロリーネ皇女殿下は不思議な気持ちになった。中将は何かに耐えるように歯を食いしばって席についている。長いテーブルに両の拳がまるで張り付けられているかのように置かれ、小刻みに震えていた。
会議が散開した後、第十三艦隊の艦隊幹部は言い知れぬ無気力の鎧をまとって、帰途についた。誰一人として口をきく者もなく、誰一人声をあげる者もいない。
開戦前、第十三艦隊13500隻余、兵員170万人を数えていたが、今や残存艦艇は損傷した艦艇を含めても8000隻を切り、負傷した兵員をいれても100万人を下回っている。およそ5000隻の艦艇を失い、70万人が戦場に散った。今後この損失は増えることはあっても減ることはない。
麾下の諸戦隊を率いる司令たちの戦死も相次いでいた。特に、副司令官のトーマス・ビューフォート少将までもが戦死していたことは誰もがショックだった。副司令官として若年のウィトゲンシュティン中将を補佐して艦隊を良くまとめ上げていたのであるから。
「閣下も思い知ったでしょう。」
不意に静まり返ったシャトルに強い声が満ちた。一同が振り返ると、クレアーナ・ウェルクレネード准将の声だった。彼女とカレン・シンクレア准将はあの激戦の中でかろうじて生き残っていたのだ。
「無謀な突出をしなければこんなことにはならなかった。何が御家の為ですか、何が家長として守り抜くですか、結局あなたは自分自身の家の事しか考えていなかった。」
いったん口を開くと、後はもう止まらなかった。怒涛のような非難が彼女の口からほとばしった。
「やめなさい!やめて!やめてと言っているでしょう!」
カレン・シンクレア准将が悲鳴のような声を上げてウェルクレネード准将の腕をつかんだが、あっさりと振り払われた。他の人間も口々にやめるように言ったが、彼女の勢いは止まらない。低いが刺すような声でウェルクレネード准将はウィトゲンシュティン中将を糾弾し続けたのである。
ウィトゲンシュティン中将の方はというと、蒼白さを増しながら、一言も言葉を返すことはなかった。ただ、その眼はウェルクレネード准将からそらされることはなかったのである。
カロリーネ皇女殿下は総身が震えるのを抑えられなかった。敗戦のショックで動揺しきっているところにこの争いである。心臓に杭を打ち込まれたような衝撃が来ていたが、次第にそれは怒りに変わっていった。
「あなたは司令官失格です。70万人の犠牲者を出して、それであなただけが生き残った。勝てばまだ良かったですよ。犠牲は犠牲でも意味のあるものだったと思うことができるから。でも、負けてしまったら何も残らない。」
「・・・・・・・。」
「多くの人が遺族年金をもらうだけ。それも帝国からの亡命者に対してのものになるわけですから、ほんの微々たるものでしょうけれどね。」
「・・・・・・・。」
「あなたの更迭を国防委員会に要求し――。」
ものすごい音がした。ウェルクレネード准将が体勢を崩して狭いシャトルの壁にうち当たったのを、その襲撃者を、皆は凍り付いたように見るだけだった。
「あなたに、何がわかるというのよ!!!!」
カロリーネ皇女殿下がものすごい形相で襲い掛かっていた。襟髪を掴んで引きずり起こすと、所かまわず拳を叩き付け、ひっかきまわす。殺す気か!?と誰かが叫び、引き離そうとしたが、あらん限りに抵抗した。
「ウィトゲンシュティン中将閣下が、どんな思いでいるか、全然わかっていない!!!」
さらに二、三発殴り、揺さぶり続ける。誰もがカロリーネ皇女殿下を引き離しにかかったが、彼女は声を上げて抵抗して暴れまわり、准将を放そうとはしなかった。
「何十万人も死なせておいて、閣下が平気でいられると本気で思っているの?だとしたらあなたはバカだわ!!閣下が一人一人をどんなに大切に思っていらっしゃったか!!毎日毎日軍務の傍らずっと兵士一人一人の記録を、履歴を見て、時間が許す限り声を掛けに行って!!!私は傍らでそれをずっと見ていた!!」
鉄臭い味が口の中に広がり、血が飛び散った。誰の血かわからない。痛みを感じることもなかった。
「無力なことがどれほどつらくて、どれほど悲しくて、どれほどむかつくか、あなたにわかる!?私は嫌というほど知っているわ!!!誰だって好きで無力でいるんじゃない!!!」
皇女殿下時代から一転、亡命し、そして運命に翻弄され続け何一つできていない自分をカロリーネ皇女殿下はどれだけ憎んできたか。それでも生きようと思ったのは自分を気にかけてくれている人たちのために役に立ちたいと思ったからだ。それでもなお、先の戦いで自分は何一つできなかった。何一つ、何一つ!何一つ!!
「あなたは部下だからいいわよ!!何かあれば全部責任を上司に押し付けて終わりだもの!!!そしてあなたは知らんぷり!!!あなたは本当に――。」
カロリーネ皇女殿下はあらん限りの声で叫んだ。
「最ッ低だわ!!!!!」
不意に二、三の鋭い痛みが頬を走った。カロリーネ皇女殿下は喘ぎ、涙を浮かべながらようやく目の前の光景を理解することができた。彼女は両腕を抱えられていた。そして、目の前にはウェルクレネード准将が血だらけになりながら横たわっていたのである。そして、カロリーネ皇女殿下の頬を張ったのは、ほかならぬウィトゲンシュティン中将だった。
「もう、やめなさい!」
彼女の怒声を正面から浴びたのは初めてだった。怒りのエネルギーがカロリーネ皇女殿下の身体を襲った。ビリビリとした衝撃が全身を貫く。その時になってカロリーネ皇女殿下はウィトゲンシュティン中将の怒りがどれだけ凄まじいかを悟った。だが、同時に胸をつかれてもいた。ウィトゲンシュティン中将の両目には涙が一杯にたまっていたからだ。
「死んだ人がこの光景を見たら・・・何というか・・・・!!」
胸を上下させたウィトゲンシュティン中将は双方をにらみすえながら、
「少しは考えられない・・・!?」
かすれた声でそう言ったのである。彼女は息を一つ吸って呼吸を整えると、言葉をつづけた。
「私がこんなことを言う資格はないことは十分に承知しているけれど、あえて言わせてもらえれば『何の為に俺たちは死んでいったんだ?』というでしょう。私にできることは一日も早く艦隊を再編成し、そして皆の仇を取ることと、これ以上私たちの家を潰さないように、家族を不幸にすることがないように善処することよ。」
ウィトゲンシュティン中将はウェルクレネード准将を見おろした。
「あなたは一つだけ間違っているわ。私はもう自分の家のことを優先してなどいない。信じてもらえないならそれで結構よ。私はこの家を、第十三艦隊とその家族を守ることに決めたの。・・・もっとも、それも半分はなしえなくなったわね。これについてはあなたの言う通りよ。」
「・・・・・・・。」
ウェルクレネード准将はじっとウィトゲンシュティン中将を見上げている。血だらけになり、あまりにも痛々しい姿なのに、それでいて「痛い。」と一言も言わないでいる。
不意にズシンという音とともに震動が来た。シャトルが旗艦に到着したのだ。
「エクレール中尉、あなたを一時的に営倉に監禁します。バウムガルデン大尉はエクレール中尉を連行し、その後彼女の職務を引き継ぎなさい。」
「・・・はい。」
腕を抱えている二人のうち一人がアルフレートだということをカロリーネ皇女殿下は初めて知った。そして彼の頬や手には生々しいひっかき傷が残っていた。
* * * * *
「・・・・ごめんね。」
連行されながら、カロリーネ皇女殿下は小声でアルフレートに言った。普通に話すわけにはいかないのだからやむを得ないが、せめてこの一言だけは伝えたかった。
「無茶な人です。あなたは。」
アルフレートがと息を吐いた。
「あの時は銃殺されてもおかしくなかったのですよ。」
そのことについてカロリーネ皇女殿下は全く考慮していなかった。考慮する間もなく、ただ体が前に出ていた。それだけだったのだ。さすがに前世での年下相手に「知りませんでした。」などとは言えず、
「私にだって時には自分を顧みることなく守りたいもの、侵されたくないものがあるのよ。」
とだけ言ったのだった。二人の前を幾人かの将兵が通り過ぎようとしたので二人の会話は途切れた。将兵たちはいずれも好奇の目を二人に向けてくる。
「でも、これで私は前科持ちになっちゃったわね。軍を辞めることになるかもしれない。」
カロリーネ皇女殿下はぽつりと言った。やめてしまえば、どうなるのだろう。またハイネセンのあの家に戻ってずっと人目を忍ぶ日々が続くのだろうか。そう思うと耐え難い気持ちになるのだった。ただじっと運命の足音を聞いているよりも、動いていたいのだ。
「でも、あなたは私よりもずっと立派です。」
「立派じゃないわ。あの時は我慢することができなかった。子供みたいだけれど、ただ、それだけなのよ。」
カロリーネ皇女殿下とアルフレートは営倉に着いた。カードキーを差し込むと、扉が無機質に音を立てて開いた。カロリーネ皇女殿下はためらわずに中に入った。
「アルフレート。後を・・・・ウィトゲンシュティン中将のこと、お願い。」
無言でうなずいたアルフレートに、一瞬だけカロリーネ皇女殿下は笑いかけた。悲しみと半々にない混ざった道化師のような表情だった。
自由惑星同盟の大敗北については、そこに立ち会った将兵一人一人に様々なドラマがあっただろうが、事態はそれを考慮することなく無機質に進んでいく。アレクサンドル・ビュコック中将は最先任であるため、臨時の派遣軍司令官となり、第十、第十二艦隊と共に防衛陣を敷いた。敵が回廊を出てくるところを一矢報いるためである。
これに対して――。
回廊から同盟軍を駆逐した帝国軍は艦隊の再編成と修理に忙しかった。それに、イゼルローン要塞をいったん所定の位置に戻させなくてはならない。
「この余勢をかって、反徒共の宙域に侵攻し、彼奴等にさらなる打撃を与えてくれん!」
という意見も出なくはなかったが、ラインハルト、そして№2で参謀総長のイルーナが出撃を禁止した。敵は回廊出口にて確実にこちらを待ち構えている、というのがその根拠であり、さらには、
「我々の使命はあくまでイゼルローン回廊の防衛であり、それが果たされた以上、また新たなる指令が出ていない以上は余計な軍事行動を慎むべきだ。」
と、述べたのである。ラインハルトは攻防戦の結果を帝都オーディンに通信し、その是非を待った。ところが、彼の下にもたらされたのは攻防戦に対する賞賛でも叱責でもなく、もっと別の問題だった。彼はこの話を受けて直ちに麾下の艦隊司令官以上の人間を召集した。
ブリュンヒルトの大会議室には、ロイエンタール、ミッターマイヤーを始めとする諸提督が招集された。
「太陽系に侵入し、地球教徒共を殲滅しに向かったゼークト大将が刺客に襲われたそうだ。」
ラインハルトは麾下を見まわしながら言ったが、その中には悲哀のエッセンスは一滴も入っていなかった。事実を淡々と、いや、どちらかと言えば面白みをもって述べているのである。一方、その情報を伝えられた麾下はさすがに声こそ挙げなかったが、互いに視線を見交わしていた。
「地球教徒共も存外大胆なことをする。だが、ゼークトの命を奪い去るまでには至ってはいない。重傷であるが命には別条はないとのことだ。これが幸いか、はたまた不幸か、わからぬがな。」
ラインハルトは次いで、ベルンシュタイン中将以下の憲兵隊が帝都にて徹底的な第二次草刈りを開始したこと、軍上層部では第二次太陽系派遣艦隊の編成を決定したことなどを述べたのちに、
「我々は新たな指令が下るまで、ここに待機することとなる。各員はこの間に艦隊の編成と、整備を行い、並行して将兵に休息を取らせよ。また、今回の戦いでの論功行賞は追って卿等に沙汰するものとする。」
「閣下!」
ビッテンフェルトが立ち上がった。
「イゼルローン回廊の反徒共の宙域にはなお増援の艦艇が展開しているとの報告があります。この余勢をかって彼奴等のねぐらになだれ込み、さらなる致命傷を与えてはいかがでしょうか?」
「ビッテンフェルトのその意気は良し。」
ラインハルトは猪突猛進の部下の意気込みを買うようにうなずいた。
「だが、さしあたってはこの戦いでわが軍は充分な打撃を彼奴等にあたえた。むろん今ここで回廊を通過し、彼奴等の度肝を抜いてやることも可能である。」
ラインハルトはここでビッテンフェルトに微笑を含んだ問いかけの眼差しを投げた。
「卿に問うが、卿の艦隊が全力で戦えるのは幾日だ?全力でだぞ。如何なる手抜きも許さぬ。」
ビッテンフェルトは気圧された様に一瞬口を閉ざしたが、
「そう申されますと、せいぜい1日という回答になります。」
と述べた。
「フロイレイン・ティアナ。」
ラインハルトはティアナを見た。
「ここまでわが軍は幾日戦闘を続けてきた?断続的なものを含めてだ。」
「イゼルローン要塞に駐留する私たちはかれこれ二か月。増援としてやってきた元帥閣下方はだいたい2週間というところかしらね。」
ラインハルトはビッテンフェルトに視線を戻して、
「卿の言うところの『一日』どころではない連戦であったな。」
ビッテンフェルトもラインハルトの言わんとするところが分かったらしい。
「御意。」
と一言いい、席に座った。
「ビッテンフェルト、今後の休息が次の戦いへの力となるのだ。私とて戦いたい。だが、戦うからには全力をもって戦うべきであるし、そのようにするべくあらゆる布石を打たなくてはならぬ。」
「異存、ございません。」
ラインハルトは一座を見まわした。
「次にわが軍が回廊を突破して彼奴等の領域へなだれ込むときは、彼奴等に城下の盟を誓わせる時だ。その時こそ卿等らが存分に各自の才幹と力量を活かしうる時になるであろう。卿等の奮闘に期待する。」
『はっ!!』
諸提督は一斉に立ち上がって敬礼をささげ、ラインハルトは答礼を返した。
イゼルローン要塞の高級士官用のラウンジで、ヴェートーベン「悲愴」第二楽章を奏でているのはメックリンガーであり、その周りには諸提督が集まって思い思いの姿勢で時を過ごしていた。
「終わったな。」
酒杯を手にしていたミッターマイヤーが誰ともなしに言う。
「一つの戦いは、だ。これは幾度となくある間奏曲の一小節にすぎぬ。幾日かすれば再び戦いが起こる。死神が作曲した血塗れのロンドを再び演奏することになるだろうよ。」
ロイエンタールはワインを飲み干して、グラスをテーブルに置く。乾いた音がした数秒後に新しいワインが黙って注がれた。軽くうなずきをもって謝意を示した後、彼は淡いルビー色の赤い液体の入ったグラスを小さく揺らした。
「150万人、か。」
ティアナがロイエンタールに注いだワインボトルを持ったままつぶやいた。
「敵側の推定の死傷者数よ。こっちは100万近い死傷者が出たわ。」
「帝国軍上層部は、今度の犠牲を無視できぬものだというだろうが、所詮はそれだけだろう。」
ケンプが言った。
「後方の上層部、そして大貴族連中は前線の、平民の犠牲を天候の崩れ程度にも考慮しないのよ。」
ルグニカ・ウェーゼル少将が吐き出すように言った。彼女は貧家でそだち、食うに事欠いて女性士官学校に入ったので、大貴族やそれに加担する軍の上層部を嫌いぬいていた。
「奴らが前線に進出し、実際に反乱軍と対峙した際に、自らに降りかかる主砲の一撃を驟雨程度に見ることができるかな?」
ルッツがワイングラスを傾けたのちにそう言った。彼の言葉に賛同するようにうなずく提督たちは多かった。
「長い間戦ううちに、数十万単位の犠牲者が生じることを当たり前だと思う風潮が醸成されてきているのよね。」
ティアナが皆を見回しながら言った。
「でもそれではだめだと思うのよ。人間を艦艇の数のように物として扱うようになってしまったら・・・・・。」
「しまったら?」
フィオーナが親友の横顔を見つめた。
「その瞬間に私たちは人・・・いいえ、武人ではなくなってしまう。そう思うの。私たちは軍人であり、指揮官であるわけでしょ。人の上に立つ立場としては、武人として自己を律する立場にあると思うのよ。」
「何を当たり前のことを言っているのだ?武人として自らを律し、他人に貶められることのないように常に心身を鍛錬するのは当たり前の事ではないか。」
「卿の言う『当たり前のこと』とやらができない人間があまりにも多すぎるのだ。この帝国にはな。」
ビッテンフェルトの反駁にロイエンタールが応じた。意図してしたフォローでなかったのかもしれない。そして普段のロイエンタールであれば絶対にそういうことはしなかったろう。この時少しだけ寄り添うことができたように感じたティアナは少しだけロイエンタールに感謝したのだった。
* * * * *
ハーラルト・ベルンシュタイン中将が軍務尚書の下を辞したのは夕刻を過ぎようというところだった。
「うまくいった・・・・。」
一仕事終えたという安堵とこれからの工程を思う気持ちが半々に溢れている。ラインハルト・フォン・ローエングラムの遠征軍召還指令はほどなくして発せられるだろう。そしてそれこそが彼らの滅亡への序曲となるのだ。第二次対ラインハルト包囲網の構築と増強にベルンシュタイン中将は職務の傍ら全力で取り掛かってきたのである。
「それにしても・・・・。自由惑星同盟は案外頼りないものだ。ヤン・ウェンリーが一司令官の身分に安んじている間はうまくはいかないか・・・・。」
独り胸の中でつぶやいたのも、自由惑星同盟がラインハルト・フォン・ローエングラムを倒すことができなかった結果を受けての事である。だが、逆にこれこそがラインハルトを打倒する機会になることをすぐに悟った。何しろラインハルトはいずれ帝都に戻らなくてはならない。それを利用してあらゆる手を打てば向こうを激発させることも、意のままに罪状をおっ被せることも可能であることに気が付いたのだ。むろん、充分なコネクションと用意周到な計画、そして・・・憎悪が必要なのであるが。
もうこれ以上彼奴を台頭させてたまるものか!!
独りそう思ったのも、この世界における父の死後5年がたつのにもかかわらず、そのかたき討ちができていないせいであった。ハーメルン・ツヴァイ一隻が生き残り、父は死んだ。そのことを彼はずっと胸にしこりとして残し、復讐を誓い続けてきたのである。前世における彼の家庭は幸福とは程遠いものであったから、この世界における父の存在はかれにとって過剰なまでにかけがえのないものだったのだ。
憲兵局に戻ると、彼はひそかに部下の一人を呼び出した。
「例の地球教徒の件はどうなっているか?」
「はっ。既に取調室に入れておきました。」
太陽系のゼークト大将暗殺未遂事件を受けて、憲兵局も地球教徒の再度の洗い出しと捕縛に忙しかった。かつてオーディンに一斉手入れを行ったにもかかわらず、未だ数件ほどの捕縛事件と軽微な抗戦があり、憲兵局としても地球教徒には注意を払う必要性はあったのである。だからこそ、局長自らが気にする発言をしても部下はいっこうに不審に思わなかったのだ。
だが、ベルンシュタイン中将の思惑はそれとは別のところにあった。
「よし。レーシング大佐に取調べをさせよ。」
レージング大佐もベルンシュタイン中将の忠実な与党であり、彼の意向を十分に受けていた。だからこそ自ら赴くことなく種を植え付けることができるのだ。
部下が出て言った後、ベルンシュタイン中将は秘密裏にある人物と短時間の間交信を持った。彼の目的を達するにはわずか数分の話で充分だったのだ。
「見ているがいい・・・・。ラインハルト・フォン・ローエングラム。お前の居場所など、この私がすべて奪ってやる。」
夕日にうつる窓ガラス越しに彼の歪んだ憎悪の笑みが写っていた。
後書き
長い間水面下で動いていたベルンシュタイン中将がついに動き出します。
ページ上へ戻る