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ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐

作者:sonas
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第2章 魔女のオペレッタ  2024/08 
  最後の物語:ヒトタラシメルモノ

 戦闘の渦中にあるみことを案じながら、ピニオラは未だ動けない自分に歯噛みする。今すぐにでも救出に向かいたい衝動こそあるものの、広間とはいえ室内で繰り広げられる剣戟は流れてきた斬撃だけでも自身の致命傷たりえる威力があることは明白であった。その事実を正しく認識する理性が彼女を戒めて赦さなかった。
 畢竟するに、その判断は正しい。現状、彼女のいるこの場(笑う棺桶の本拠地)に於いて、みことの救出という目的を同じくする者などいない。誰もが目の前の敵と戦い、動くことさえできない幼女に意識を向ける余裕もないだろうし、そもそも存在さえ認識されてはいまい。スレイドでさえ横たわって動かないみことに見向きもせず、突如として人格が豹変したかのように笑みを浮かべて剣を振るっている。

 禍々しい色彩の片手剣が円弧を描いて宙を滑り、凌がれ、返される漆黒の凶刃を受けることなく躱し、更に踏み込んでは双方の剣が舞う。
 衝突を最小限に、軽やかに、薄やかに。まるで致命傷を避けながら突破口を探るような、ともすれば臆病な戦い方にも見えなくはない。だが、スレイドの吊り上がった口の端は明らかな愉悦に歪んだそれだ。今まで、どんなことがあろうと、彼はそんな表情を()()()()()覗かせることはなかった。俄には信じがたいが、その笑顔と刀身の回避に専念するPoHの細やかな体捌きからして命を奪うに余りある力を連想させた。そんな信じ難くも理不尽な現象が起き得るものだろうかとも一方で訝しんだが、ふとある光景を思い出す。

――――アインクラッド第一層主街区《はじまりの街》、中心部《黒鉄宮》、内部第一階層広間《生命の碑》。

 刻まれた多くのプレイヤーネーム、多くの死、その中に紛れるように記される不可解を、ピニオラは目にしていたはずなのである。
 かつて、グリセルダという女性プレイヤーを殺害する依頼を受けた彼女が仲介となって斡旋した、当時の最前線を(ねぐら)に活動していた実力派のPK集団。計画が実行される予定時刻に死亡した彼等の死因は――――すべからく《毒殺》であった。
 加えて、PoHを筆頭とする《笑う棺桶》の所属プレイヤーで構成された二十五名もの舞台のうち、実に二十二名という人数を喪ったグリセルダ殺害事件の事後処理の際も、やはり帰らぬ者となった参加メンバーも先の死亡者と同様の死因によってアインクラッドから退場している。

 一般的に、SAOにおいて毒と副次的なダメージソースとしては極めて軽んじられる部類だ。
 刃に塗るか、或いは麻痺させた相手に経口摂取させることで発生する状態異常ではあるが、毒によるダメージは《HP残量によってアルゴリズムを変更するモンスター》の行動予測を複雑化させるという認識が強いのである。武器に塗布した毒では状態異常の発生率が減少し、その確率は心許ないと言わざるを得ない。むしろ、確実に発生しないばかりか、毒を塗布した刃で戦闘を繰り返すと予期せぬタイミングで状態異常を発生させるという事態も想定し得るのだ。ダメージコントロールにおける不確定要素となりかねない以上は誰も使いたがらない。つまるところ、この世界における毒とはリアルほどの危険性はないのである。誰かの命を奪うには余りにも心許ないというのが多くのプレイヤー間での共通認識といって差し支えなかろう。
 仮にあの一振りに、相手のステータスを無視して死を齎す状態異常の根源が潜んでいるとなれば、それもまたピニオラとしては看過できない危険性となる。
 押し潰されそうな思いで、嵐のような刃の応酬に視線を向けていると、ピニオラはスレイドの行動のある規則性に気付く。尋常ならざる撃ち合いはさながら混沌の様相を強く印象付けるが、彼は一貫して《あるセオリーを守り抜いている》のだ。

 その立ち回りは常に、至近距離での縺れ合いを避けるように。
 深追いせず、じわじわと敵へ迫るような挙動は、魔剣たる《友斬包丁》を警戒した上で慎重に手を進めるようにも映るのだが、そもそもPoHに至ってもスレイドの攻撃手段の威力を見極めた上で安全策を取るような様子が伺える。不可解窮まる膠着の答えとなりそうなものは、それこそ《みこと》であった。

 スレイドはみことを気にしていない。
 PoHとの間にみことを据えず、意図的に背を向けて彼我の距離を遠ざけている。そもそも保護対象が目障りならば、邪魔にならない位置取りさえすればよい。視界にさえ入らないように間合いから排してしまえば、細やかな気配りなどかなぐり捨ててしまえる。しかし言葉にすれば単調ではあるものの、フィールドに湧くモンスターとは勝手の違う《思考する人間》に対しては極めて難儀する。それを可能としているのが、まさに彼の握る片手剣というわけだ。相手が思考する能力を持つならば、彼の振るう剣は抑止力として余りある。その真価を目にしていなければ眉唾にさえならないような絵空事だが、これまでの状況証拠から鑑みても一蹴するには難い。
 この状況にも希望があるとピニオラは思考を改めた。なにしろ《スレイドの敵がPoHである(敵の敵が味方である)》ならば、非力な自分にも勝ち目はある。むしろこうして、みことからPoHを遠ざけてくれているこのタイミングこそ好機だろうと意を決する。

 気付けば浅く小刻みな呼吸で息苦しさの増した肺を宥め、呼吸を止めて、深く大きく空気を取り込む。
 仮想の肉体である以上、それ自体の不備が生じるのは状態異常のみで、大抵は気の在り方次第でパフォーマンスは大きく変動する。意識が確かに集中されたと判断したピニオラは滑らかな所作で床を蹴った。広間の左右の幅は二十メートル程度、奥行きは実に三十メートルを優に超える。ただ、彼女のAGI(敏捷値)であればほんの僅かなものでしかないものの、視界を流れる風景の流れはひどく緩慢に捉えられた。
 一歩、また一歩。あまりに短い距離は単調に消化され、とうとう半分を越える。
 近付くみことの姿と、未だ遠くにある剣戟。その二つは揺るぎない好条件だったことだろう。多少のイレギュラーに困惑することこそあったが、事態はつつがなくピニオラを後押しする運びとなっている。

 だからこそ、慢心が生じる。

 これまで張り詰めていた集中が解け、一心不乱にみことへと飛び込もうとしたピニオラの進路上にスレイドが退いた。それまで浮かべていた笑みを僅かに潜め、牙を剥くような鬼気迫る表情で相手を睨み付ける。一歩及ばなかったか、何らかの手を損なったか。推し量るにはそのあたりが妥当であろうが、注視すべき事象は《突然の障害物の出現》という点である。
 完全に気が緩み、その隙を突くように現れたスレイドをして、ピニオラは咄嗟に回避しようとするも足を踏み外す。その際に破砕された木箱の破片を踏み抜いてしまうことで、悪手をとることとなる。彼女の《隠蔽》スキルであれば、物音や姿を隠したまま潜入することも容易いが、それはあくまでもスキルの恩恵でしかない。ハイレベルの《索敵》スキルに晒されたならば看破(リピール)のリスクも当然のことながら発生するし、事実としてスレイドに存在を察知されて索敵スキルを解除させられている。つまり、現状ではスレイド以外のプレイヤーにも可視状態にあるというわけだ。

 突如として姿を現した第三者を、スレイドは無害であると即断できるだろうか。
 突如として戦線が後退した状態でピニオラが、状況を立て直すに足る手段を行使できるだろうか。
 答えは、明確に否であった。

 むしろ、そこに生じた一瞬の硬直を、PoHが見逃す筈もなかった。

 一足で踏み込まれライトエフェクトに包まれた《友斬包丁》が振るわれる。
 当惑するスレイドは逆手から順手に柄を取り直して片手剣で凌ぐよう構えるが、しかしその差は歴然であった。
 ピニオラが耳にした金属同士の衝突。甲高く耳に残る音は、その中に何かが砕けるような響きを内包していた。次の瞬間、遠くに半ばから折れた剣先が転がり、立ち竦む足下に柄を握る右腕が落下した。スレイドから分かたれた二つが爆散する頃には、本体たる彼もPoHの蹴脚を受けて吹き飛ばされていた。満身創痍のスレイドに対して、PoHの被った損傷は三筋のダメージエフェクトのみ。火を見るよりも明らかな結末に、ピニオラは不意に込み上げる怖気に身動きが取れなくなっていたことに気付く。


「これで終わり(ゲームセット)だ。せっかくここまで来たってのに、残念だったな。誰も助けられず、誰にも顧みられずに死ぬって、陰気な幕引きだがリアリティがあって良いと思うぜ」


 嗜虐的な嘲笑が零れ、荒っぽく掴まれたピニオラの首に向けて友斬包丁が添えられる。
 ドロップ品の中では俗称でいう《魔剣》クラスに相当する逸品だ。ピニオラのステータスでは耐えられる道理もない。抵抗しようにも、自分に勝ち目があるわけでもない。既に行く末は決しているのだ。
 半ば無理矢理に思考を諦念で満たし、みことから目を背けて唇を噛む。そもそも都合が良過ぎたのだ。誰かの命を深い意味もないまま、ただ思うさま奪い弄んで、幸せになれる道理などないというのに。それでもピニオラは、望んでしまっていた。

――――夢を見る資格さえないというのに、わたしったらお馬鹿さんですよねぇ………

 言い聞かせるように、呟く。
 きっと、掠れるような呻きにしかなっていなかっただろうが、誰かに向けた言葉でもない。
 自分という愚者へ、せめて手向けと零した乾いた嘲笑。身の程を弁えなかった不遜への、当然の報いだと一笑を零すくらしか、ピニオラには出来なかった。
 だが、そう思い、自ら燻る夢や希望を踏みにじる度に、(まなじり)から熱い何かが零れ落ちようとする。

――――でも、もう一回だけ、みことさんとお出掛けしたかったなぁ………

 それでも、叶うことのない想いが巡り、胸が苦しくなる。
 どうしても消えることのない光がちらつき、奇跡を祈ってしまう。
 もっと一緒に居たかった、もっと色々な思い出を作りたかったと、求めてしまう。
 叶うことのない願いばかりが巡り、胸を締め付ける。

 しかし、最期の走馬灯のように駆け抜ける記憶と願いは途絶えることはなかった。
 その代わりに、ただただ細く、弱々しい嗤い声が床から響く。気付けば、PoHもその声の主を見据えたまま動かない。ピニオラもまた、恐る恐るうつ伏せに倒れたスレイドを見遣った。


「勝利の余韻、ってやつか。悠長だな」


 左の肘を突き、ゆったりと上体を起こす。
 切断や剥離で欠損した両腕と、攻撃を凌いだ余波で右目に手酷い痕が残るものの、それ以上のダメージの発生はないようで、回復させようとする意思はないらしい。そもそも、そんな間隙をPoHが見逃すなど在り得ないのだが。
 どこまでも空しく聞こえるスレイドの言葉は、PoHに()()()()()現れた状態異常によって意味を為す事となる。


「………オイ、これは………マジか………」


 奇しくもPoHと対面する形となっていたピニオラは、その驚愕を含んだ声の真意に気付く。
 驚愕で言葉を詰まらせるPoHのHPバーには、ダメージ毒のアイコンが点滅していた。
 しかし、この毒は突発的に発生したものだ。これまでの戦闘中に見落としではない。加えて通常の毒によるダメージにしてはHPの減少幅が異常なほどに大きい。耐毒スキルによる軽減数値を鑑みても、常軌を逸する威力を秘めていることが伝わってくる。じわじわと削れるHPはやがて2割を蝕み、そしてあろうことか、新たにもう二つのダメージ毒アイコンが思い立ったようにポップする。SAOのシステムを無視した《突発的な状態異常の発生》と、加えて《状態異常の重複発生》を目にして、PoHは再びスレイドを見る。


「………面白い」


 ピニオラを捉えるPoHは、こうしている間にもHPを損耗させている。
 対するスレイドは膝を立てていつでも駆け出せる態勢に移行していた。
 PoHの行動如何では、スレイドは確実に一矢報いるべく疾駆するだろう。ピニオラやみことを凶刃に掛ける瞬間は彼にとっての好機であり、クリスタルによる回復や転移を図ろうものならボイスコマンドを阻害して攻撃に転じることは容易に想像できる。裏を返せば、それしか手は残されていないのだ。その予測を裏付けるように、彼の目はピニオラでもみことでもなく、ただPoHにのみ向けられている。殺意や害意を込めた視線の外側は驚くほどに無関心で、それこそどうなっても構いはしないという意思さえ伝わってくる。両腕を失いながらもスレイドにとっての勝利条件はあくまでも《PoHの殺害》の一点に向けられているのだから。
 やがて、三つもの状態異常(デバフ)はHPを残り3割というところまで削る。
 頭を振り、乾いた笑いを零すと意外にも得物を腰のホルダーに納めては、乱雑にピニオラを捨てて転移結晶を手に数歩後退ってみせた。


「このまま続けても面白そうだが………残念、そろそろ潮時だ」


 攻略組の侵攻速度と、自身のHP残量。加えて発生条件の不明なダメージ毒への警戒。
 幾重の意味合いで告げられたであろう引き際に、スレイドはただ無言で応じる。しかし、害意が揺らぐことはなく靴底が床を擦る音が僅かに鳴った。
 両名の睨み合う視線も音を合図に途切れ、PoHは笑みを浮かべて青い転移エフェクトに飲み込まれてゆく。
 同時にスレイドが駆けた。両腕も未だ再生されないまま疾走するスレイドは構うことなくその体躯を突如として床に向けて沈み込むように屈め、床に転がる剣の柄を口で捕らえる。
 顎から軋む音を響かせて剣の柄を噛み絞り、左の肘で地面を打つと上半身は再び浮き上がる。その上昇に併せて振り抜かれた刃は石造りの床を滑り、大気を裂いて響く摩擦音の波は緩やかに静まり、最後には青い燐光に晒されるスレイドが残された。
 剣が滑り落ちる音も、膝から(くずお)れる音も、痛いほどの静寂が飲み込んでしまった。その光景は獲物を屠った狩人ではなく、翻弄された敗者の佇むものであったに相違ない。
 脅威が過ぎ去り、取り残されたピニオラは一にも二にも無くみことを確保する。アバターが健在である以上は生存が明白であっても、これまでの恐怖も手伝って温もりに縋るように抱き締める。カラーカーソルの下に麻痺を示すアイコンが点滅していて、それが自由を奪っていると判断する。もっとも圏内に転移してしまえば状態異常も無効化され、ダメージも忽ち回復される。しかし、すぐにこの場から撤退するという選択を下せないでいた。
 ここにいる、もう一人。虚空を睨むスレイドに対する何らかの心残りがピニオラを押し留めていた。


「………リン、さん」


 呼びかけられ、左の指が微かに動く。
 それまでの激情は既に失せ、希薄な無表情を崩すこともピニオラに一瞥を向ける事もない。抜け殻のように生気のない様子でただ茫然と佇む姿は、今のピニオラからして明らかな異常として映る。しかし、掠れるような声で返答されるのは間もなくのことだった。


「用事は済んだだろう。最低限そいつだけは守ったんだ。とっとと此処を引き払った方が良い」


 意外にも、それは忠告だった。
 端的に述べれば、ピニオラはスレイドの敵である。彼との因縁はそれなりに深いし、なによりも自分は《笑う棺桶》の構成員として活動していた。故にこそスレイドやそれに類する人物達に少なからぬ怒りを買うような所業を働いてきたと自身でも認識している。それらの清算を果たすならば今この場を除いて他は無いだろうとも、同時に認識しているのだ。だからこそ、理解しがたい。剣を収めた彼の真意が、理解できない。


「………どうして」
「どうして俺がお前を殺さないのか、か。随分と謙虚になったな」


 虚ろな目はピニオラに向けられることはない。口ごもるピニオラの言葉は呆気なく塗り替えられてしまう。脳裏に浮かんだ疑問をなぞるように言い当てられた事で思わず身を竦める姿にさえ見向きもせず、指が辛うじて残った左手で胸の前まで持ち上げた転移結晶を降ろしつつ溜息を零しながら、スレイドはポツリと言葉を零した。


「お前が殺してきたプレイヤーは俺にとって関係のない他人だ。そんな奴等の敵討ちをしてやるほど、俺は出来た人間じゃない。それだけだろう」
「だとしたら、貴方は何なんですか………関係のない他人の為に抗って、わたしの邪魔をしてきた貴方は何なんですか!? わたしが憎くないんですか? そんな筈ない、だって貴方は………、………!?」


 怒り、とは別の激しい情動。
 悲しみ、とは異なる切なさ。
 言葉にするには余りにも複雑で、だからといって適当な言葉で妥協するには鮮烈に過ぎる感情だった。自身を制御するという点においては相応の自信があったピニオラは、やりきれない思いに耐えかねて声を張り上げる。なりふり構わず、内から込み上げる絶叫をただ思う様ぶつける。しかし、それは唐突に失速して喉で詰まってしまう。

 ようやく、ピニオラは認識し、対面したのだ。
 楽しければ笑う、悲しければ泣く、怒りに任せて声を昂らせる。それらの情動に当てはまらない、数多存在する例外のうちのほんの一角。いや、それを感情の為す事象と受け取ることが、ピニオラには出来なかった。

 痛くても叫べない、辛くても泣けない、()()()()()()()人間の成れの果て。
 常人でも直視に耐えないような痛ましさを理解できていない無垢さがあったからこそ、ピニオラはスレイドを見つめられていたのかも知れない。


「………お前は、どうして俺に執着する」


 冷たい声が、ピニオラに向けられた。
 射竦めるような視線は、常人のそれではない。
 その要因に怯んだわけではないが、ピニオラは答えを返せずに口を噤んでしまう。思い至らなかったのだ。スレイドから向けられた問いについて、ピニオラの中にあると思っていた理由が。あれほどまでスレイドに執着していた理由が、今のピニオラでは正当な価値を見出せなくなってしまっていたのである。


「わたしは、貴方から奪おうとしたんですよ? 貴方に、命を奪わせたんですよ………? そんなわたしに、貴方はどうして、何もしようとしないんですか………?」


 しかし、頭を振って否定する。
 理由は確かに在る。新たに生じたのである。自身の罪を雪ぐ為に、被害者たる彼は自分に復讐する権利があるのだと、ピニオラは思っていた。しかし、彼の素っ気ない態度にはそれさえも眼中に無い。それでは、誰も報われない。誰も救われない。これまで抱えてきた鉛のような感情と決別するには、この場での清算しか有り得ないと思っていたのに。


「それは間違っている」


 否定される。追って、怖いくらい穏やかな声が石壁の室内に木霊する。


「お前は俺に、無関係な相手に罪の意識から解放して楽にしろとせがんでいるだけだ。どうやってそんな風に更生したかは知らんが、駄々を他人に押し付けるな。犯した罪が消えてなくなるなら、俺が真っ先に縋っている。罪人は永遠に罪人のまま。俺もお前も、その事実を背負っていくしかない。…………違うか?」


 無慈悲な言葉だと、ピニオラは思った。
 鋭利な刃で衣服を肌ごと斬り裂かれたような、熱と冷気の入り乱れた感覚がピニオラの胸に残る。それでもまだ、スレイドは発言を続ける。


「それでもまだ、罪を犯した自分を少しでも許せるようになりたいというなら、自分なりの手段で帳尻を合わせるといい。そんなもの、たかが知れているだろうがな。…………少なくとも、俺は俺の分で手一杯だ。他を当たれ」


 感慨もなく、告げる言葉を終えるとスレイドは転移結晶を起動して立ち去ってしまう。
 言葉の意味を受け止めて、幾度も反芻する。自分には難解過ぎる。他者を認識するようになったばかりの自分には、まだ満足のいく答えに至れない。だが、今は為すべきことを優先して思考を切り替えた。

 傍に横たわるみことをようやく抱き上げ、そっと頭を撫でてみた。
 華奢な身体だ。矮小な身体だ。この地獄を独力で生きていながらとても無垢で、まだあどけない。
 そんな彼女に、自分はどうあるべきか。何を為すべきか。これまでの漠然としたものではない明確な指針が求められる局面にあるのだと、それだけをピニオラは理解した。


――――決断の時(猶予の終わり)が、迫っていた。 
 

 
後書き
PoH戦(負けイベント)&みこと救出回。


PoHさんも知らない未知のスキル(ユニークスキル)をブラフに用いて敗北しながらも幼女の命を救う結果となった燐ちゃんですが、意図したものだったとはいえ、不本意なものだったのでしょう。毒剣を折られたり両腕欠損したりしていたり散々な終わり方ですが、そこまでして攻略組に在り続けることに拘る理由は次章のお話になりそうです。

そして、心境の変化に伴って燐ちゃんに自らの罪の清算を求めるようになったピニオラさんの心情も明らかになりました。幼女と暮らすようになって、自分の罪を自覚するようになった現れなのでしょうが、近しい境遇にあった燐ちゃん(そこに至るまでのプロセスは真逆)には取り合ってもらえないまま放置されるという始末。ある意味で同族嫌悪か同類の好みのような思いはあったのでしょうが、PoH戦の直後ということもあって結構ドライな扱いとなっております。

人の真似をした人格破綻者と、人であろうと足掻く罪人のお話は、もう少しだけ続きます。

次回、いつになるか分かりませんがそのうち更新します。



ではまたノシ 
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