銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第二百三十一話 捕虜交換(その2)
宇宙暦 797年 12月25日 イゼルローン要塞 ヤン・ウェンリー
調印式が終了した後、ヴァレンシュタイン元帥を応接室に誘った。応接室ではキャゼルヌ先輩とグリーンヒル大尉がお茶の準備をして待っているだろう。私には紅茶、ヴァレンシュタイン元帥にはココア、メックリンガー提督とキャゼルヌ先輩にはコーヒー。
応接室では地球の件を話さなければならない。ヴァレンシュタイン元帥はメックリンガー提督と共に後を着いてくる。その後ろには帝国の護衛兵とローゼンリッターが付いてきた。帝国の護衛兵とローゼンリッターはお互いに見向きもしない。やれやれだ。
ヴァレンシュタイン元帥と会うのは第六次イゼルローン要塞攻防戦以来だ。あれからもう三年が経っている。あの時は酷く具合が悪そうだったが今日は穏やかな表情をしている。
思わず何かを話しかけそうになって慌てて口をつぐんだ。騙されるな、この男の恐ろしさを忘れてはいけない。“互角の兵力で戦うな、ヤン提督と戦うには三倍の兵力が要る”……。
今の帝国軍の指揮官を相手に三分の一の兵力で勝てるだろうか? 否、互角の兵力でも勝つのは容易ではないだろう……。それなのに三倍の兵力を用意しろと言っている。優しげな外見からは想像もつかないが、勝つためには手を抜かない、冷徹で隙を見せない男……、それがエーリッヒ・ヴァレンシュタインだ、油断は出来ない。
応接室に入ると其処にはキャゼルヌ先輩だけではなくシェーンコップ准将も居る。こちらを見るとニヤリと不敵な笑みを浮かべた。キャゼルヌ先輩がしょうがないと言ったような表情をしている。溜息が出そうになった。シェーンコップ、頼むから中で騒ぎは起さないでくれよ。外にいる護衛達もだ。今頃はドアの外で睨み合っているだろう。
キャゼルヌ先輩とシェーンコップがヴァレンシュタイン元帥に挨拶をすると適当にソファーに座りお茶を飲み始めた。ヴァレンシュタイン元帥はキャゼルヌ先輩に興味を持ったらしい。キャゼルヌ先輩に“自分も後方支援を専攻したのだ”と言っている。キャゼルヌ先輩と元帥の会話が和やかに進んだ。補給こそが戦争の要だと二人が話している。メックリンガー提督が“閣下の持論ですな”と言って会話に加わった。
「ヤン提督、捕虜交換が無事に済んで一安心ですね」
「ええ、そうですね」
ヴァレンシュタイン元帥が私に話しかけてきたのはキャゼルヌ先輩との会話が終わった後だった。
「ところで、例の件、同盟政府にはお伝えいただけたのでしょうか?」
「確かに伝えました」
「それで?」
私と元帥の会話に皆が不審そうな顔をしている。
「元帥閣下の推論通り、同盟政府がフェザーンの成立に関与した事は間違いが無いようです」
「!」
皆の不審そうな表情が驚きに変わった。無理も無い、フェザーンの成立に同盟が関わっているなどこれまで誰も唱えた事が無い説だ。落ち着いているのは私と元帥だけだ。
ヴァレンシュタイン元帥は念を押すかのように問いかけて来た。
「それは同盟政府が認めたと言う事ですか?」
「その通りです」
キャゼルヌ先輩とシェーンコップが物問いたげな表情をしている。メックリンガー提督も同様だ。
「なるほど、それで地球についてはどうでしょう」
「それについては確証が取れませんでした」
「取れませんでしたか……」
ヴァレンシュタイン元帥が呟いた。少し表情が曇っている。どうやらこちらの調査にかなり期待を抱いていたようだ。
「お話中のところ申し訳ありませんが、我々にも」
キャゼルヌ先輩が話しかけるとヴァレンシュタイン元帥が右手を上げて遮った。
「キャゼルヌ少将、シェーンコップ准将、話せば長くなります。詳細は後ほどヤン提督から聞いていただけますか。メックリンガー提督には私が話します」
三人は顔を見合わせ頷いた。それを見てヴァレンシュタイン元帥が“申し訳ありません”と言って頭を下げると三人が恐縮したように頭を下げた。
「地球の関与は確認できませんでしたか……。となると同盟政府の協力は難しい、そういうことでしょうか?」
「現時点ではそうです。地球教は主戦論を煽っていますがそれだけでは犯罪とは言えません」
私の答えにヴァレンシュタイン元帥は無言で頷いた。
「トリューニヒト議長は主戦派と親しいと聞いていますが?」
「以前はそうですが現在は違います。この件で議長が地球教を庇うような事はありません。閣下の推論が正しいのであれば、今回の件は非常に危険だと議長は考えています」
ヴァレンシュタイン元帥がこちらの言葉に考え込む様子を見せた。自分がトリューニヒトの弁護をするなど以前は考えられなかった事だがサンフォード前議長のようなフェザーンの傀儡に比べれば千倍もましだと言える。少なくとも今のトリューニヒトには協力するのにやぶさかではない。
「新たな証拠が出ればこちらも動く事が出来ます。地球は帝国領にある、そちらで地球を調査はしていないのですか?」
「現時点ではしていません……」
「調査をするべきだと思いますが?」
「そうですね、同盟政府の協力が期待できるのです、地球を調べてみましょう。結果はそちらにもお伝えします」
ヴァレンシュタイン元帥は溜息をついて答えた。地球の調査に余り気乗りがしないらしい。この問題に関してはこれで良いだろう、とりあえずボールは帝国に投げた。後はどんなボールが帰ってくるかだ。
話が終わったと思ったのだろう、キャゼルヌ先輩が口を開いた。
「帝国では改革が進んでいると聞きますが?」
「まだ始まったばかりですが、同盟の方にも受け入れられるように頑張っています」
元帥の口調は穏やかなものだった。“同盟の方にも受け入れられる”、口調と言い表現と言い、取りようによっては和平を望んでいるようにも聞こえる。亡命者からの情報によれば帝国は同盟を征服するために改革を行なっているという事になる。果たして本当か、亡命者が反帝国感情を煽っていると言う事も有るだろう。確認しなければならない。
「同盟と帝国の間で和平は可能だとお考えですか、ヴァレンシュタイン元帥?」
どう答える……。可能だと答えるか、それともはぐらかすか……。皆がヴァレンシュタイン元帥に視線を集めた。
「私がどう考えているかはご存知なのでは有りませんか、ヤン提督」
「……」
やはりはぐらかすのか……。
「私は宇宙は帝国の手で統一されるべきだと考えています」
「!」
彼は同盟の存続を認めていない、亡命者からの情報は真実だった。応接室の空気が瞬時に重くなった。キャゼルヌ先輩もシェーンコップも強い視線でヴァレンシュタイン元帥を見ている。そしてメックリンガー提督はそんな二人を注意深く見ている、警戒しているのだろう。
「ヤン提督、私はこの宇宙から戦争を無くしたいんです」
澄んだ瞳だった。気負いも野心も無い。本当に心からそう思っているのだろう。もし元帥が野心から統一を望むのなら反発を持っただろう。だが今の自分はそれを持てずにいる。
「和平でもそれは可能ではありませんか」
ヴァレンシュタイン元帥が苦笑を浮かべた。
「可能だとは思いませんね、同盟市民のほとんどが反帝国感情を持っている。彼等が和平を受け入れると思いますか?」
受け入れるだろうか、難しいかもしれない。しかし不可能ではない、帝国が変わったことを市民が認めれば和平は可能のはずだ。目の前の男がそれを認めれば同盟は存続できる。無駄な血を流さずにだ。
「……難しいかもしれません。しかし時間が経てば、帝国が変わったと同盟市民が理解できれば不可能とは思いません」
ヴァレンシュタイン元帥がまた苦笑を浮かべた。
「時間が経てば同盟は国力を回復します。そのとき叫ばれるのは“シャンタウ星域の仇を討て”、そうではありませんか? また戦争が起きますよ、ヤン提督。国力が落ちれば和平を、充実すれば戦争を、返って戦争が長引くだけです」
「……人間が其処まで愚かだと私は思いませんが……」
「百五十年も戦争をしていてですか?」
「……」
何も言えなかった。確かに百五十年も戦争をしているのだ、同盟と帝国の間にある憎悪は私が考えているより大きいのかもしれない。いや、大きいのだろう。同盟市民を分かっていない、トリューニヒトにそう言われたことを思い出した。
「ヤン提督、私はシャンタウ星域の会戦で一千万人を殺しました。辛かったですよ、自分のした事が恐ろしかった。だからその犠牲を無駄にしたくないと思った……」
呟くような口調だった。気持は分かる、自分も何度も同じような思いをした。
「宇宙を統一する、宇宙から戦争を無くす。そのために邪魔な門閥貴族を潰しました。ローエングラム伯も切り捨てた……。多くの血が流れました、もう後戻りは出来ないんです」
「……」
答える事が出来なかった。宇宙を統一するために、宇宙から戦争を無くすためにヴァレンシュタイン元帥は血を流してきた。私はどうだろう、何処かで逃げていなかっただろうか……。イゼルローン要塞を攻略した後、退役しようとした。あの時本当は和平のために何かするべきではなかったか。政治家の仕事だと何処かで逃げなかったか?
「メックリンガー提督、そろそろ失礼しましょうか。あまり遅くなると皆が心配します」
「それが宜しいかと小官も思います」
ヴァレンシュタイン元帥はメックリンガー提督の言葉に頷くと“ご馳走様でした”と言って席を立った。メックリンガー提督が後に続く。キャゼルヌ先輩もシェーンコップも引きとめようとはしない。席を立つこともしなかった。
応接室を出る直前、ヴァレンシュタイン元帥はこちらを振り返った。
「ヤン提督、自由惑星同盟を、民主主義を守りたいのなら私を倒す事です。但し、私を倒した後貴方が何を得るのか……。多分同盟を守った英雄の名と戦争の激化する宇宙でしょう。楽しみですね……」
そう言うとヴァレンシュタイン元帥は応接室を出て行った。送るべきなのだろう、だが私は彼の後を追えなかった。彼の言った言葉の重さに動く事が出来なかった。同盟を、民主主義を守りたいと思う……。だがその代価が戦争だとしたら私はどうすべきなのだろう。平和を求めるのか、同盟を民主主義を守るのか……。
帝国暦 488年 12月 25日 帝国軍総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
イゼルローン要塞が少しずつ遠ざかっていく。要塞に居たのは僅かに二時間程度のものだろう。サインを一つしただけだがこれで二百万の捕虜が帝国に戻ってくる。後は軍務省に任せておけば捕虜が帰って来るだろう。
ヤンと交換したペンを手にとって見た。良い物なのかな? どうもよく分からん。
「閣下、そのペンがどうかしましたか?」
ヴァレリーが問いかけて来た。彼女は今回総旗艦ロキの中で留守番だった。流石に同盟軍の前で連れて歩くのは拙いからな。リューネブルクはオーディンで留守番だ。装甲擲弾兵総監が戦争でもないのに三ヶ月も仕事を放り出して散歩など許される事じゃない。
ヴァレリーにペンを差し出して今回の捕虜交換の調印式でヤンと交換したのだと言った。彼女はペンを受け取るとじっと見ている。そして俺にペンを返すと“安物ですね”と言った。まあヤンの事だからな、そんなところだろう。俺が渡したペンだってそんな良い品じゃない。お互い様か……。
同盟は意外に政府と軍部の連携が良いようだ。前からそうじゃないかと思える節があったが今回の件でそれがはっきりした。おまけにヤンがトリューニヒトを庇った。最初は何の冗談かと思ったがヤンの言う事が正しければトリューニヒトは主戦派から離れている。つまりトリューニヒトには主戦派以外に頼りになる味方が居ると言う事だ。ヤンを始めとする現在の軍上層部がそれだろう。厄介な話だ。
フェザーン成立にはやはり同盟が関与していたか……。しかも同盟側にその証拠があった……。残念なのは地球の関与が確認できなかった事だ。まあそう簡単に分かる事ではない。とりあえず同盟がこちらの話に乗ってきたことだけで良しとすべきだろう。地球の関与の証拠が見つかれば同盟の協力は難しくない。
地球に人を派遣するようにアンスバッハに頼むか……。あまりやりたくないんだよな。洗脳とかサイオキシン麻薬とか訳のわからんことをやってるし……。下手するとミイラ取りがミイラになりかねない。少し考える必要があるだろう。
地球教徒にサイオキシン麻薬の常習者が居ないだろうか、そこから教団内部への強制捜査に持っていく。表向きはあくまでテロ容疑ではなく薬物への捜査だ。サイオキシン麻薬の根絶は以前にも帝国は厳しくやっている。地球教に疑いが有るとなれば強制捜査はおかしな話じゃない。アンスバッハとフェルナーに相談してみよう。
ヤンはどう考えたかな、俺の言った事を。民主主義を第一に考えるか、それとも平和を第一に考えるか……。俺にしてみれば民主主義にあれだけ拘るヤンがどうにも理解できないがヤンにとっては難しい問題かもしれない。主義主張なんて生きるための方便、そう割り切れればヤンも生きるのが楽なんだろが……。
会ってみて良かった。思った通りの人物だった。軍人には見えないし、穏やかで聡明で好感が持てる人物だ。苛めるつもりは無かったんだが、向こうはそうは取らなかったかもしれない。彼とは戦いたくないな、強敵だからとかじゃなく戦争はしたくない。なんかそう思わせる相手だ。
これから辺境星域の視察に向かわねばならん、特に貴族の私有地がどうなっているかを確認しなければ……。面倒ではあるがリヒターやブラッケに頼まれているし、リヒテンラーデ侯も辺境星域には関心を持っている。オーディンに着くのは二月の中旬から下旬になるだろう。ユスティーナは寂しい思いをしているだろうが、戻れば結婚式だ。爺様連中がまた張り切るだろうし艦隊司令官達も張り切るだろう、やれやれだ。
さてと、メックリンガーに例の件を話さなければならん。驚くだろうな、容易には信じないだろうがオーディンまでは一月以上ある。考える時間は十分に有るだろう。口止めも要るな、まあ口止めしてもクレメンツとケスラーには伝わるだろう、こいつら妙に連帯が強いからな。困ったもんだ……。
ページ上へ戻る