銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百三十二話 捕虜交換(その3)
宇宙暦 797年 12月 31日 イゼルローン要塞 ヤン・ウェンリー
『レベロから聞いたよ、亡命者達が言っていた事は事実だったようだな、ヤン』
「はい、厄介な事です」
『うむ』
スクリーンにはシトレ元帥が映っている。両手を組み頑丈そうな顎を乗せて話す姿は統合作戦本部長の頃と全く変わらない。変わったのは軍服がスーツ姿に変わったことくらいだ。
『どんな人物だったのかね』
「そうですね……。覇気や才気、自負を表に出してくる人間ではないようです。堅実で思慮深い、天才というより努力の人のように見えました」
私の言葉にシトレ元帥が苦笑を漏らした。
『彼は帝国きっての名将であり実力者だ。皆彼を恐れているがその彼を、君は天才ではなく努力の人というのかね』
シトレ元帥の言う事は分かる、私の言葉はヴァレンシュタイン元帥を凡人だといっているように聞こえたのだろう、だが自分には元帥のように笑う事は出来ない。私は彼を甘く見ているつもりは無い。
しかし彼に対する認識を変えるつもりも無い。天才が全てを変える事は有るだろう。しかし天賦の才を努力が何処かで超えることもある……。ヴァレンシュタイン元帥の場合はそれではないのだろうか。
「それだけに手強いと思います。天才なら何処かで自分の才に溺れる事も有る。しかし彼にはそれが無いでしょう。考えて考えて考え抜いてその上で手を打ってくる。隙がありません」
『……なるほど』
シトレ元帥が苦笑を収め考え込んだ。元帥に分かるだろうか? あの男に“互角の兵力で戦うな、ヤン提督と戦うには三倍の兵力が要る”と言われたと知った時の恐怖が。自分に自信の有る男なら自分に任せろと言うだろう。だが彼は三倍の兵力で戦えと言った……。
「彼が宇宙を統一しようとしているのは戦争を無くすためです。彼個人の野心や欲のためではありません」
シトレ元帥は頷くと問いかけて来た。相変わらず顎は両手の上だ。
『戦争を無くすためか……。それは戦争が嫌いだと言う事かな、それともこれ以上の戦争は危険だと思っているのか……。君はどちらだと思うかね』
「戦争が嫌いなのは間違いないようです」
『君とは気が合いそうだな』
シトレ元帥はかすかに笑みを浮かべている。もしかすると冷やかしか? 確かに気が合うだろう。彼が同盟に居たら良い友人になれたかもしれない。
「同時にこれ以上の戦争は危険だと思っているのだと思います。だから彼は単純に同盟を占領するのではなく、帝国を改革し同盟市民に帝国を受け入れ易くしているのでしょう」
『しかし彼は民主主義を拒否しているのだろう。同盟市民にとっては受け入れがたいはずだ、そのあたりをどう考えていると君は思うかね』
そう、彼は民主主義を否定している。同盟市民に帝国を受け入れさせるのなら何処かで帝国の統治に民主主義を取り入れても良いはずだ、それをしないのは何故か……。
「彼は民主主義に関してかなりの見識を持っています。民主主義の欠点も良く知っている。先年の帝国領侵攻では彼に上手くしてやられました。おそらく彼は民主主義に否定的な考えを持っているのでしょう」
そして帝国内でも民主主義を受け入れる勢力は少ないのではないだろうか。たとえ彼自身が受け入れたいと思ってもそれが出来ない可能性もある。
『改革により門閥貴族を潰し、平民の地位と権利を向上させながらかね……、どうも中途半端な感じがするな。どうせなら一気に立憲君主制というのを考えても良さそうだがな。もっともそれは民主主義に馴染んだ我々の考えかもしれんが……』
シトレ元帥が首を傾げ訝しげな表情をした。
そう、彼は同盟市民ではない、帝国臣民だ。平民の地位と権利を向上させる事と民主主義への否定的な考えは矛盾しない。
「おそらく彼が考えているのは国民主権による民主主義ではなく皇帝主権による民主主義なのではないかと私は考えています」
私の言葉にシトレ元帥は困惑を見せた。
『皇帝主権による民主主義?』
「ええ、そうです」
民主主義国家では国家の主権は国民にある。国民の意思を以って物事を決めるのだが、当然同盟では国民全員で討議などは出来ない。そこで間接民主主義の形態である選挙による議会制民主主義が採用されている。国民に主権を与える事で国民の人権を保障し国民の意思を政治に反映させようとしている。
ではヴァレンシュタイン元帥の考えている政治体制とは何か? 妙な表現だが皇帝主権による民主主義としか言いようが無い。主権は皇帝に、但し主権者である皇帝がなすべき事は一部特権階級の利福では無く帝国臣民の人権を保障し、その意思を政治に反映させる事にある。
「要するに主権が皇帝にあるか国民にあるかの違いだけです。目指すところは代わりません」
『うーむ』
私の言葉にシトレ元帥は唸り声を上げた。
「これまでにも無かったわけではありません。名君と呼ばれたマクシミリアン・ヨーゼフ帝などが行なった政治はそれに近かったでしょう。ただヴァレンシュタイン元帥は門閥貴族を政治勢力としては潰しました。より徹底していると言えるでしょう」
『君はそれを受け入れられるかね?皇帝主権による民主主義を?』
スクリーンに映るシトレ元帥が厳しい視線を向けてくる。
「私は……分かりません……」
『?』
訝しげな表情だ、答えなければならないだろう。
「門閥貴族が勢力を失った以上、皇帝主権による民主主義は上手く行くかもしれません。しかし上手く行けば行くほど市民は政治から関心を無くすでしょう。それは危険な事ではないかと考えています」
『……』
「悪政が起きたとき、市民が責めるのは皇帝だけです。民主制なら市民は政治家を選んだ自分達を責め反省する事が出来る。政治的に成長できるんです。それが人類の成長に繋がると私は考えています。しかしヴァレンシュタイン元帥の考える皇帝主権による民主主義ではそれは期待できません」
『……』
「そして政治的無関心は第二のルドルフ誕生の土壌となりかねません。民主主義が消え唯の皇帝主権になりかねない危険性があります」
『……第二のルドルフか、有り得ない話ではないな』
シトレ元帥の表情が沈痛なものになっている。帝国に征服された後にルドルフが登場する。悪夢だろう。
「多分ヴァレンシュタイン元帥は気付いているでしょうね。おそらくそれに対する手段も考えている」
私の言葉にシトレ元帥が眉を上げた。
『手段とは』
「憲法の制定です」
おそらくヴァレンシュタイン元帥は憲法を制定する。その中で皇帝主権と帝国臣民の人権の保障、その意思を政治に反映させると明記するはずだ。同時にそれを守れない皇帝は廃位するとも記載するだろう。
帝国内部の民主主義への不信感はかなり強いはずだ。選挙のたびに、不祥事が起きるたびに同盟は出兵をしてきたのだ、同盟の政治家よりも帝国の政治家のほうが民主政による衆愚政治に対する危機感、嫌悪感は強いだろう。
帝国の政治家達は改革の実施を受け入れた。しかし民主主義を帝国の統治に受け入れる事はないだろう。だが同時に暴君による悪政を避けなければならないということも理解しているはずだ。その妥協点が憲法制定だろう。おそらくヴァレンシュタイン元帥はその方向で動くはずだ。
それによって帝国の統治体制を安定させると共に同盟市民に対して安心感を与えるに違いない。帝国に併合されても自分たちの生活が脅かされる事は無い。同盟市民が失うのは選挙権だけだ……。
シトレ元帥は私の言葉を黙って聞いていた。そして話し終わるのを待って問いかけて来た。
『失うのは選挙権だけか……。しかしそれは政治への参加が出来なくなると言うことではないか、同盟市民が納得するか……』
「今でも選挙の投票率は五十パーセントに満たない事が殆どです。権利はあっても行使していません」
『……行使はしていなくとも奪われれば怒るだろう』
「……そうですね、それはあるかもしれません。ヴァレンシュタイン元帥はそのあたりをどう考えているのか……」
彼がどう考えているか正直分からないことだ。シトレ元帥も難しい顔をして考え込んでいる。もしかすると余り重視していないのかもしれない。投票率五十パーセント、その中で過半数をとった政党が政治権力を握る。極端な事を言えば同盟市民の二十五パーセントの支持を得れば政権を担当する事になるのだ。これが国民の意思を反映していると言えるのか、政治への参加と言えるのか……。
『厄介な相手だな、軍事面だけではなく政治面においても我々を追い詰めてくる。彼が単なる軍人なら此処まで苦労はしないのだろうが……』
溜息交じりの元帥の言葉だ。全く同感だった、ヴァレンシュタイン元帥は軍人というよりも政治家としての資質に恵まれているように見える。それも国家というものが分かる政治家だ。そういう相手を敵に回すとは……。
『君との会話だがレベロに話したいと思うが構わないかね?』
「それは構いません。但しあれは私が感じた事です。証拠は何処にもありません」
『ヤン提督の推論か、構わんよ、レベロは君を高く評価している。それに彼と直接会って会話をしたのは君だ。それなりに根拠は有るだろう』
レベロ委員長に伝わればそれはトリューニヒト議長にも伝わる。元帥が私に確認をとったのはその所為だろう。トリューニヒトならどう考えるだろう、レベロ委員長なら……。政治家がどう考えるか急に知りたくなった。
「シトレ元帥、後ほどレベロ委員長やトリューニヒト議長が私の推論をどう考えたか、教えていただけませんか」
『ほう、君が彼らの意見を求めるとは……。良いだろう、後ほど連絡しよう』
そう言うとシトレ元帥は“それでは、また。良い年を迎えてくれ、ハイネセンで会えるのを楽しみにしている”と言って通信を終わらせた。スクリーンは暗くなり何も映していない。良い年か、今年は小競り合いは有ったが戦争は無かった。そういう意味では良い年だったのだろう。
しかし相手の恐ろしさを嫌というほど認識した一年だった。少しも気の休まるときなどなかった……。これから今日は新年を迎えるパーティがある。そろそろ準備をしなければならないだろう。
年が明ければ忙しくなるだろう。両国の捕虜がこのイゼルローン回廊を通航する。おそらく大変な騒ぎになるはずだ。捕虜が戻ってくれば軍の再編も少しは進むだろう。それにクブルスリー提督達も戻ってくる。兵だけではなく将の面でも補充が進むだろう。
ウランフ提督も喜ぶだろう。新兵を熟練兵にするために自ら指揮を執って鍛えているが訓練用の艦艇も教官も不足していて遅々として進んでいないと聞いている。おそらく今一番ストレスが溜まっているのは彼のはずだ。捕虜を再訓練すれば新兵と合わせて一個艦隊は楽に編制できるはずだ。同盟の軍事力はこれで六個艦隊になる。
パーティが終わったら帰還兵歓迎式典に出席するためにハイネセンに行かなければならない。おそらくハイネセンでは今日の話が出るだろう。対策も含めて話すことになるはずだ。だが対策が出るのか……、正直ハイネセンに行くのは気が重い。
ヴァレンシュタイン元帥……、私は彼の考えを受け入れる事ができるだろうか? 平和と民主主義のどちらを選ぶかと言われたが、選ぶ事ができるだろうか? 自分が帝国に生まれていれば簡単だった。彼の下に行き、彼と共に歩む事が出来ただろう。だが私は同盟に生まれた……。
ユリアンが軍人になりたがっている。彼が戦場に出るところなど私は見たくない。だが民主主義が消滅するところも見たくは無い。統一ではなく和平による共存、それは不可能なのだろうか?
ヴァレンシュタイン元帥は一時的な和平ではなく恒久的な平和を考えている。そして共存は不可能だと答えを出したのだろう。彼の考えは分かるし理解も出来る。だが……、もう考えるのは止めよう。そろそろパーティの準備をしなければ、パーティが始まれば少しは楽しめるだろうか?
宇宙暦 797年 12月 31日 ハイネセン ある少年の日記
十二月十日
今日、イゼルローン要塞に帝国から捕虜交換の調整担当官が着いたそうだ。帝国軍のトップはエルネスト・メックリンガー上級大将。正規艦隊の司令官だけど鼻髭を生やしたオジサンだ。なんでも芸術家だとTVでいっていた。絵を描いたりピアノを演奏したり詩を作ったりするらしい。
それって貴族趣味なのかと一瞬思ったけどメックリンガー提督は平民だし変なの。旗艦の中でも絵を描いたり詩を創ったりしているのかな? 部下の人はそういう時はどうしているんだろう?
十二月二十一日
イゼルローン要塞で行なわれていた捕虜交換の調整が昨日終わったそうだ。今日の朝のニュースで流れていた。やったね、これで捕虜交換は問題なしだ! これまでニュースでは調整は必ず上手く行くといっていたけど年内に終わるかどうかはちょっと疑問だと言う人もいた。
お互い面子が有るから困窮? 紛糾? どっちだか分からないけどそうなって大変のはずだと。でもイゼルローンに居る担当者によると帝国側がかなり譲歩してくれたらしい。メックリンガー提督のお蔭だといっていた。メックリンガー提督、鼻髭のオジサンだなんて御免なさい。
今日は学校でもこのニュースで大騒ぎだった。クラスの中にも家族や親戚の中に戻ってくる人がいる子も居る。彼らは皆とても嬉しそうだ。戦争が有ると戦死者や捕虜が出てそのたびにクラスの中が暗くなった。どうしてもっと早く捕虜交換をしてくれなかったんだろう。
十二月二十六日
昨日、捕虜交換の調印式が行なわれた。帝国からはヴァレンシュタイン元帥がやってきた。僕はこれまで元帥を見た事が無い。元帥の写真は有るけど、ずっと昔の写真で元帥の具合が悪いときの写真らしい。おかげで写真に写る元帥は真っ青で苦しそうな疲れきったような表情をしている。これじゃ憎い相手でも少し同情してしまう。余り良い写真じゃないよ。
本物のヴァレンシュタイン元帥は小柄な人だった。まだ大人じゃないというか子供でもない、学生みたいな感じの人だった。顔も優しそうな笑顔を浮かべていてなんていうかお姉さんみたいだ。TVでも“女性というより女の子みたい”ってイゼルローン要塞の女性兵士が言ってた。
男性というより女性は有るかもしれないけど女の子? それで良いの? 相手は敵なんだけど。イゼルローン要塞は最前線なのにそんな人がいて大丈夫かな。凄く不安だ。
学校に行ってもクラスの女子たちが皆ヴァレンシュタイン元帥に夢中だった。“カワイイ”、“優しそう”……。相手はシャンタウ星域で同盟軍を壊滅させた敵なんだぞ! その事を言ったけど女の子たちは全然無視だ、最低! 彼女達は皆元帥の顔写真を大事そうに持っている。中には男子の中にも元帥の写真を持ってる奴がいる。何考えてるんだろう? 頭が痛くなってきた……。
やっぱり元帥は危険だ、同盟の女性を全部味方につけてる。僕のお母さんも“カワイイ”なんていってる始末だ。何時か必ずやっつけてやる。そうすれば皆目が覚めるはずだ。
調印式の映像を見たけどあっさりしたものだった。元帥とヤン提督が敬礼をしてサインをして握手して終わり。なんかこんなもんで良いの、そう聞きたい調印式だった。でも後で聞いたんだけどこれは仕方ないそうだ。
帝国は公式には同盟を認めていない。だから式典のようなものは大袈裟には出来ない。今回の捕虜交換も調印式はあくまで軍が行なうもので政府は直接にはタッチしない事になっているらしい。
だから同盟政府も今回の調印式については声明を発表しただけだった。その代わり帰還兵歓迎式典は盛大にやるそうだ。変なの、同盟はちゃんとあるのに認めないなんて、絶対馬鹿げてるし同盟を馬鹿にしているとしか思えない。
全く元帥の事と言い、女の子の事と言い、帝国が同盟を認めない事と言い、調印式は面白くないことばかりだ。年が明ければ帰還兵歓迎式典がある。そっちのほうは盛大にやるそうだから楽しみにしている。僕の大好きなトリューニヒト議長も一杯TVに出るだろう。
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