| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第二百三十話 捕虜交換(その1)

宇宙暦 797年 12月 8日    イゼルローン要塞 ユリアン・ミンツ



イゼルローン要塞は最近ざわついている。もう直ぐ帝国から捕虜交換のための実務担当者が来るからだ。エルネスト・メックリンガー提督、帝国軍宇宙艦隊の正規艦隊司令官の一人だ。

メックリンガー提督は軍人だけど同時に芸術家でもあるそうだ。水彩画、ピアノ演奏、散文詩等、幅広い分野で活躍している。イゼルローン要塞でもメックリンガー提督の到来を心待ちにしている人が居る。カスパー・リンツ中佐だ。中佐は画家になる事が夢で何時かは個展を開きたいと思っている。そんな中佐にとってはメックリンガー提督は憧れの存在なのだろう。

僕がヤン提督にそれを伝えると提督は溜息混じりに呟いた。
“芸術の道に進んでくれれば良かったんだけどね、どうしてそうしてくれなかったのか……”
“提督は歴史学者になりたかったんですよね、でも軍人になっています。同じですよ”
僕がそう言うとヤン提督はもう一度溜息をついた。
”世の中、上手く行かないことばかりだ”

ヤン提督によればメックリンガー提督は非常に手強い相手らしい。第三次ティアマト会戦でミュッケンベルガー元帥が倒れた後、全軍の指揮をメックリンガー提督が執ったそうだ。
“一個艦隊の指揮だけじゃない、大軍を指揮できる用兵家だ。もう少しで同盟軍は殲滅されるところだった”

あの戦いでヤン提督は同盟の危機を救い英雄とまで言われたけど、提督によれば軍を退く事が出来たのは僥倖に近かったのだそうだ。敵が追撃してこなかったから逃げられた。多分ミュッケンベルガー元帥の健康状態が不安で戦闘を打ち切ったのだろうと。

“あの第三次ティアマト会戦に参加した指揮官達が、今の帝国軍の宇宙艦隊の司令官になっている。彼らは皆ヴァレンシュタイン元帥が抜擢したんだ。手強い連中だよ、シャンタウ星域の会戦では散々な目にあった”

最近ヤン提督は憂鬱そうな表情をする事が多い。帝国からヴァレンシュタイン元帥の使者がやって来てからだ。帝国軍の使者はフェルナー准将という人物だったけどヤン提督と二人だけで長時間話したらしい。話が終った後、ヤン提督は厳しい表情をしていたそうだ。

何の話だったのかはヤン提督が沈黙しているから分からない。キャゼルヌ少将やアッテンボロー少将が問いかけたのだけれどヤン提督は“悪いけど答えられない”と言って沈黙を守っている。よっぽど重要な事だったのだろうと皆は話している。

皆知りたがっているけどヤン提督に問いかけるのは控えている。何となく問いかけられるのを拒否するような雰囲気があるらしい。この間夜遅くにトイレに起きたら、書斎で一人考え込んでいるヤン提督の姿があった。じっと考え込んでいるヤン提督の表情はいつもと違って凄く厳しかった。一体何があったのか、僕も凄く知りたいと思う。


帝国暦 488年 12月 20日  イゼルローン要塞  エルネスト・メックリンガー


「メックリンガー提督、お疲れ様でした。さぞ大変だったでしょう?」
「いえ、そんな事は有りません。同盟も帝国も今回の捕虜交換を成功させたいと思う気持は同じです」
私の言葉にヤン提督は“それは良かった”と笑みを浮かべた。柔らかい笑みだ、ヴァレンシュタイン司令長官に何処か似ている。

私がイゼルローン要塞に着いたのは今月の十日だった。それ以後帝国の軍務省から派遣された軍人達とハイネセンから派遣された同盟の軍人達の間で捕虜交換について実務レベルでの調整が続いた。そして昨日、調整が終了した。

ヤン提督には“そんな事は有りません”と答えたが実際には簡単なことではなかった。両国の担当者が捕虜交換を成功させたいと思っていたのは確かだが、両者とも国の面子を背負っている。帝国は同盟を反乱軍と呼び国家としては認めていない、そして同盟はその事を必要以上に重視している。

式の手順は当然だが捕虜のリスト―――帰還する捕虜、帰還を拒否した捕虜、抑留中に死去した捕虜の三種類のリスト―――の確認。さらには捕虜交換の証明書に帝国と同盟、どちらの国名を先に記すか、調印者の名前はどちらが上に来るかなど、どうにも下らない事で揉め続けた。そして彼らの間に入って調整をまとめたのが私だ。形式と言うものの馬鹿馬鹿しさを嫌というほど味わった。

私も含めて両国の担当者が紆余曲折は有っても調整を終える事が出来たのは、捕虜交換を成功させなければならない、失敗すれば国には帰れないという恐怖心と一日毎にイゼルローン要塞に到着が近付くヴァレンシュタイン元帥の事が頭に有ったからだろう。

閣下が到着した時点で調整が終わっていないとなったらどうなったか……。考えたくも無い事態だ。おそらく何も言わずに自ら調整を始めるに違いない。多分閣下の事だ、同盟側の意見を丸呑みする形でまとめただろう。

今夜は慰労を兼ねて親睦パーティが開かれている。パーティはこれで二回目だ。到着したその日にも歓迎パーティが開かれた。もっともその時は初対面ではあるし調整作業が残っている事も有ってかなりぎこちないものだった。それに要塞の外には私の艦隊が警戒態勢をとっている。同盟側も落ち着かなかったに違いない。

それに比べれば今夜のパーティは皆明るい顔をしている。皆調整が終わったという事を知っているのだろう。昨日まで顔をあわせればいがみ合っていた帝国と同盟の担当者達の顔にも笑みがある。彼方此方で談笑が弾んでいる。

「メックリンガー提督、形式というのは必要かもしれませんが時には馬鹿馬鹿しいものでもありますね」
「同感です、ヤン提督」
どうやらこちらの苦労はお見通しか……。形式的なことが嫌いなようだがその辺りも誰かに似ている。

ヤン提督の傍には金褐色の髪とヘイゼルの瞳をした美しい女性士官が居る。グリーンヒル大尉、ヤン提督の副官だが彼女は宇宙艦隊総参謀長グリーンヒル大将の娘でもある。ヤン提督はこの若さで最前線を任されるのだ、中央から信頼されているのだろうが軍の中央に強い絆も持っているようだ。

他にもヤン提督を守るかのようにローゼンリッターの連隊長シェーンコップ准将が傍にいる。ヤン提督を守るつもりか……、安心して良い、私はヤン提督に危害を加えるつもりは無い。この辺りも元帥閣下に似ている。元帥閣下にもリューネブルク大将がいる。

少し離れたところにこちらを熱心に見ている少年がいた。整った顔立ちをしている。年の頃は十五、六だろうか……。眼でヤン提督に問いかけた。ヤン提督は困ったように笑みを浮かべると少年を呼び寄せた。

「私の養子です、ユリアン、メックリンガー提督にご挨拶しなさい」
「ユリアン・ミンツです。お目にかかれて光栄です」
養子? 思わず二人を見比べた。ヤン提督は結婚してないはずだ、まだ若いのに養子?


宇宙暦 797年 12月 22日    イゼルローン要塞 フョードル・パトリチェフ


今日はメックリンガー提督と共に植物園の散歩をした。捕虜交換の調整も終わり向こうも暇だったのだろう。要塞の中の植物園を見たいと言ってきたのだ。自由に歩き回らせるわけにはいかない、そこで案内役という名目で俺がメックリンガー提督に同行する事になった。

案内役という監視である事はメックリンガー提督も分かっていただろう。だが向こうは少しも嫌な顔をしなかった。穏やかに笑みを浮かべながら植物園の中を歩く。幸い彼はこちらの言葉が話せる。変な緊張をせずに歩く事が出来た。いい散歩だった、久しぶりのことだ。

ユリアンに会ったのは植物園のベンチの傍でだった。最近ヤン提督が植物園のベンチで一人考え込んでいる姿が目撃されている。それでちょっと興味が湧いたので見に来たという事だった。

メックリンガー提督がそれを聞いて面白そうな顔でベンチを見た。そしてベンチに座ると“こんな感じかな”と言ってロダンの考える人のポーズを取った。意外にユーモアが有る。ユリアンと二人で笑ってしまった。

俺が植物園の中を案内をしているというとユリアンは妙な顔をした。多分監視だと分かったのだろう。なかなか聡い少年だ、ヤン提督が可愛がるのも分かる。そこからは三人で植物園を散歩した。

ユリアンはヴァレンシュタイン元帥に関心が有るらしい。いや、彼に関心の無い人間などいないか……。一緒に歩き出してから直ぐにメックリンガー提督に話しかけた。

「もう直ぐヴァレンシュタイン元帥が此処にいらっしゃるんですね」
「そうだね、あと三日もすれば閣下は到着されるだろう」
ユリアンの質問にメックリンガー提督が笑顔で答えてくれた。本当に嬉しそうな笑顔だった。

「メックリンガー提督、ヴァレンシュタイン元帥はどんな方なのでしょう?」
「どんな方か……。君は、いや同盟の人は元帥をどう見ているのかな?」
ちょっと悪戯っぽい笑顔を浮かべながら逆に問いかけた。

ユリアンはちょっと困ったようだった。まあ気持は分かる、同盟ではヴァレンシュタイン元帥の評判は悪い。油断できない冷酷な謀略家、シャンタウ星域の虐殺者、皇帝に取り入る奸臣等だ。ユリアンはすこし躊躇った。

「御気を悪くしないで欲しいのですが、元帥の評判は同盟では良くありません。ユリアン君が戸惑っているのもその所為でしょう」
「分かっていますよ、准将。遠慮は要らないよ、ユリアン君。我々は暴虐なる銀河帝国の軍人なのだからね」
そう言うとメックリンガー提督はクスクスと笑い声を上げた。

「確かに元帥の事を悪く言う人もいます。でもヤン提督は元帥のことを恐ろしい相手だと言っていました。多分、褒め言葉なんだと思います」
妙な表現だが褒めていると思ったのだろう。メックリンガー提督は気を悪くした様子も無く頷いた。

「恐ろしい相手か……。ヴァレンシュタイン元帥もヤン提督の事を恐れているよ。私達に互角の兵力で戦うな、ヤン提督と戦うには三倍の兵力が要ると言っている……」
三倍の兵力? そんな事を……、俺とユリアンは思わず顔を見合わせた。

そんな俺達の様子が可笑しかったのかもしれない。メックリンガー提督は笑いながら話し続けた。
「此処には皆が来たがった。ヤン提督はどんな人物なのかとね。皆提督に会って提督を知りたがったんだ。私が選ばれたときには皆から羨ましがられたよ」
「……」

俺達が黙っていると、メックリンガー提督はもう一度笑い声を上げた。
「私自身ヤン提督の恐ろしさは分かっている。第三次ティアマト会戦ではもう少しで完勝できるところだったのに上手くしてやられた。あの時は悔しさよりも恐ろしさを感じた……」

何となく話題を変えたほうが良いような気がした。
「ヴァレンシュタイン元帥の人となりは如何です」
「誠実な方です、信頼できる方ですよ、元帥は」
即答だった。謀略家の元帥が誠実? 俺は訝しげな表情をしたのだろう。メックリンガー提督はこちらを見てまた笑い声を上げた。

「同盟では元帥は謀略家と言われているようですがそれは勝つためです。時々心配になりますよ、無理をしているのではないかと」
少し遠くを見るような眼で答える。その姿から彼がヴァレンシュタイン元帥のことを本当に心配しているのが分かった。

「……想っておられるのですな」
「想っている? 」
意表を突かれたのだろうか?
「想っている……、そうですね、想っていますよ我々は……。皆元帥閣下のことを想っている」
そう言うとメックリンガー提督はクスクスと、そして最後は大きな笑い声をあげた。


宇宙暦 797年 12月25日    イゼルローン要塞 ユリアン・ミンツ


ヴァレンシュタイン元帥の艦隊がイゼルローン要塞にやってきた。要塞の外にはヴァレンシュタイン元帥の艦隊、メックリンガー提督の艦隊、合わせて三万隻に近い艦隊が展開している。僕は捕虜交換の調印式が行なわれる大広間にいるけど、大広間のスクリーンには大艦隊が映っている。

イゼルローン要塞の中は緊張に包まれている。大艦隊に包囲されている事も有るけど、これからヴァレンシュタイン元帥がこの要塞の中に来る所為もあるだろう。大広間の正面には調印式のためのテーブルが用意されている。マスコミも大勢来ている。皆ヴァレンシュタイン元帥を間近に見る事が出来る事に緊張し興奮している。

艦隊の中から一隻の艦がイゼルローン要塞に近付いて来た。スクリーンがその艦を映す。漆黒の戦艦、細長い艦首と滑らかな艦体、総旗艦ロキだ。その姿に大広間がどよめいた。

魔神ロキ、帝国軍宇宙艦隊司令長官の地位に有るのに悪魔神の名を持つ艦を旗艦にする。それだけでもヴァレンシュタイン元帥は一筋縄では行かない人物だと思う。メックリンガー提督は誠実で信頼できると言っていたけど、それだけじゃないはずだ。

ヤン提督が大広間に現れた、メックリンガー提督も一緒だ。二人とも正面に用意されたテーブルに座るとスクリーンに目を向けた。先日メックリンガー提督が言っていた三倍の兵力を以って戦え、という事をヤン提督に伝えるとヤン提督は押し黙ってしまった。“高く評価されてるんですね”と言っても変わらなかった。黙って紅茶にブランディーを入れて飲むだけだった。

「やれやれだな。こっちの気も知らないで暢気に……」
スクリーンを見ていたポプラン少佐が呟いた。どういうことだろう? 僕の疑問に答えてくれたのはコーネフ少佐だった。
「今頃はローゼンリッターが砲手を監視しているだろうね。間違っても総旗艦ロキを砲撃しないように」

「そんな事、有るんですか?」
「冷酷な謀略家、ヴァレンシュタインだからな。恨み骨髄さ、有り得ない話じゃない」
「大丈夫だよ、そんな事するのは此処にいるお調子者か、考え無しの阿呆だけだ。調印式に来た相手を吹っ飛ばすなんて事したら捕虜交換がぶっ飛ぶだけじゃすまない。帝国軍はイゼルローン、フェザーン両回廊から攻め込んでくるからね」

コーネフ少佐がそう言うとポプラン少佐は“念のためだ、間違いの無いようにな”と言った。スクリーンには要塞に近付く総旗艦ロキが映っている。要塞のメイン・ポートのゲートが開いた。そしてロキが港内にゆっくりと入っていく。いよいよヴァレンシュタイン元帥を見る事が出来る、楽しみだ。

ヴァレンシュタイン元帥が大広間に現れたのは十五分ほど経ってからだった。元帥が現れると周囲からざわめきが起こった。特に女性士官から“可愛いわね”、“優しそう”という声が聞こえる。ポプラン少佐が“やれやれだね、シャンタウ星域ではもう少しで殺されかかったのに”とぼやきコーネフ少佐が肩を竦めた。視界の隅ではヤン提督とメックリンガー提督が立ち上がっている。

元帥の背後を何人かの帝国軍人が歩いてくる。周囲を警戒しているから護衛だろう。ヴァレンシュタイン元帥は思ったより小柄で華奢な感じの人だった。帝国元帥の証であるマントとサッシュをしている。マントは黒、サッシュはマントよりは少し明るいけど黒っぽい色だ。黒髪、黒目、軍服も黒、黒一色の中で金色の肩章がよく映えている。手には書類を持っていた。マスコミが写真を取っている。フラッシュが元帥を包むのが見えた。

調印式用のテーブルに近付くとメックリンガー提督が敬礼をしつつ少し後ろに下がった。ヴァレンシュタイン元帥がメックリンガー提督に答礼しつつヤン提督に近付く。そしてヤン提督と敬礼を交わした。ヤン提督は少し緊張気味に見えるけど、ヴァレンシュタイン司令長官は穏やかな笑みを浮かべている。周囲を同盟の軍人に取り囲まれているのに怖くないのだろうか……。

ヴァレンシュタイン元帥とヤン提督は互いに席に着くと書類を交換した。そして捕虜交換の証明書にサインをした。サインが終了すると互いに使ったペンを交換して握手をしている。二人とも表情に笑みを浮かべている。その瞬間に無数のフラッシュとシャッター音が大広間に溢れた。多分新聞の第一面はこの写真だろう……。


 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧