銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百三話 キフォイザー星域の会戦(その1)
帝国暦 488年 1月30日 10:00 リッテンハイム艦隊旗艦オストマルク ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世
艦隊はキフォイザー星系に到達した。それとほぼ時を同じくしてガルミッシュ要塞から連絡が入ってきた。宇宙艦隊別働隊が接近中、敵の兵力は六個艦隊、約七万~八万隻。こちらとほぼ同数と言って良い。問題は兵の錬度だろう。
疲れた……、先程までこのオストマルクで各艦隊の司令官を呼んで会議を行なっていたが実りのないことおびただしかった。議題は当然だがどう敵と戦うかだった。まとまりが無かったのではない、皆の意見はまとまっていた。一戦して勝つ、あの根拠の無い自信は何処から来るのか……。敵は総司令官を解任されて動揺していると言っていたが本気だろうか……。
敵別働隊の新しい総司令官はコルネリアス・ルッツ大将。ヴァレンシュタインによって抜擢された男だ、シャンタウ星域の会戦にも参加している。目立った功績は無い、だが無能では無いだろう、むしろ手堅いと見るべきだ。
こちらの艦隊は一応六個艦隊から成り立っている。もっとも殆どが寄せ集めだ。それぞれ数千隻単位を率いる貴族達を大きく五つにまとめただけだ。それと私が率いる艦隊、合わせて六個艦隊……。
六個艦隊の指揮官はヒルデスハイム伯、ヘルダー子爵、ホージンガー男爵、クライスト大将、ヴァルテンベルク大将。そして私のところにはラーゲル大将、ノルデン少将がいる。
ガルミッシュ要塞に到着した後は、クライスト大将がガルミッシュ要塞司令官兼駐留艦隊司令官として要塞を維持する。そして残り五個艦隊で辺境を解放することになっている。ラーゲルがいるのは辺境星域の解放で地上戦が想定されるためだ。
もっともそこに行き着けるかどうか……。どうやら敵はこちらがガルミッシュ要塞にたどり着く前に決戦を挑んでくるらしい。積極果敢と言って良いだろう、戦意は高いに違いない。総司令官を解任された動揺など微塵も感じられない。
「腕が鳴りますな、これほどの規模の会戦に参加するのは初めてです。ようやく連中に我等の実力を見せる事が出来ます」
意気込んでいるのはノルデン少将だ。顔を紅潮させ明らかに興奮している事が分かる。溜息が出そうになった。
「ノルデン少将、哨戒部隊から何か報告はあったか」
「いえ、今のところは特にありません」
「そうか、敵はこちらに接近しつつある。先鋒のクライスト大将には十分注意するように伝えてくれ」
「はっ」
私が慎重なのが気に入らないのだろう、幾分不満げに頷き指示を出すためにオペレータの方に向かって歩き出した。彼はこの戦いが終わったら、父親から家督を受け継ぎ子爵家の当主になるのだと言う。父親は内務省の次官まで務めた男だ、私も知っているがなかなかの人物だったと記憶している。
狡猾で強かで抜け目無い男だった。地位を利用してかなり私腹も肥やしただろう。貶しているのではない、褒めている。そのくらいの悪党でもなければ内務省という巨大官庁で次官など務まる筈が無い。
そんな父親から見てノルデン少将は不出来な息子らしい。三十代半ばで少将ならまずまずだとは言える。しかし彼は宇宙艦隊の正規艦隊に所属していない。その事が父親にとっては不満のようだ。
宇宙艦隊はミュッケンベルガー元帥が退役後、大幅な人の入れ替えがあった。主としてそれはヴァレンシュタインによって行なわれたものだが、新たに宇宙艦隊に配属された人間達は身分や縁故ではなく実力で選ばれた。そしてノルデン少将はその人選から漏れた……。ノルデン少将も彼の父親もその事に大いに不満を持っている。
ノルデン少将がこの内乱に参加したのはヴァレンシュタインに対する反発もあるが、この内乱で武勲を挙げ周囲に自分の実力を認めさせてから家督を継ぐ、そういう思いもあるようだ。父親を見返したいのかもしれない。
もっともこちらにとってはヴァレンシュタインが登用しなかったという一点で何処まで信頼して良いのかという不安を持たざるを得ない。もちろん登用されなかった人間にもグライフスのような頼りになる人間も居る。先入観は持つべきではないのだろう。しかし、ノルデンに対する不安は日ごとに募りつつある。今更だがブラウラー、ガームリヒに傍に居てくれればと思った。
「閣下」
私に声をかけてきたのはクラウス・フォン・ザッカートだった。古くからリッテンハイム侯爵家に仕える男で歳はもう七十に近い。にもかかわらず髪は黒々としている。不思議な男だ。
「何だ、ザッカート」
「あまり、考え込まぬ事です」
「表情が暗いか」
ザッカートは黙って頷いた。リッテンハイム侯爵家の軍はこの男が押さえている。軍では三十歳前後で少将まで進んだが、その後退役しリッテンハイム侯爵家の艦隊を預かってきた。この男が居る限り艦隊に不安は無い。軍を退役した理由は分からない。一度尋ねたが沈黙したままだった。何となく気圧される思いで、そのままにしている。
敵と接触したと哨戒部隊から報告があったのは五時間ほど経ってからだった。
「敵との交戦まで後どのくらいの時間がある?」
「両軍がこのまま進めば三時間後でしょうか」
「そうか……、一旦全軍を止めよう」
私の言葉にノルデンはちょっと驚いたような表情を見せた。
「厳しい戦いになるからな、二時間ほど休息を取らせよう。食事も許可する、但し飲酒は不可だ。戦場で酔われては戦えんからな」
「承知しました」
ノルデンが命令を下すためにオペレータのところへ行くのと入れ替わるようにラーゲル大将がやってきた。
「敵と接触したそうですが?」
黙って頷くと“そうですか、いよいよ決戦ですな”と言って体をブルッと震わせた。武者震いと言うのはこれか、そんな事を考えていると戻ってきたノルデン少将と二人で興奮気味に話し始めた。根拠の無い勝利の確信、聞いているのが辛い。
「すまんが私も少し休ませて貰う。卿らも適当に休んでくれ」
「はっ」
「ザッカート、後で部屋にきてくれ、三十分ほど後でいい」
「はっ」
私室に戻り、ソファーに座って敵とどう戦うか考えた。味方は寄せ集めだ、おまけに指揮能力は必ずしも高くない、いや低いだろう。クライスト、ヴァルテンベルク大将は軍人とはいえ指揮下の分艦隊は貴族が率いているのだ。指示通りに動けるかどうか……。
ガイエスブルク要塞に篭ったのもそれが有るからだ。敵が押し寄せてくる間に艦隊行動を習熟させるつもりだった。連日のように訓練させたが何処まで使える様になったか、正直なところ不安がある。
ザッカートが来た。無愛想な男だ、“何か用ですか”とも言わない。だが今はそれが心地よかった。無言で正面のソファーを示すとザッカートも無言で座った。
「戦闘の中で細かい艦隊運動は出来まい。一つ間違うと混乱して敵に付けこまれかねん」
「そうですな」
「となると、正面からの力押しの一手になる」
ザッカートが無言で頷いた。
「……中央に我等をその両側をクライスト、ヴァルテンベルクを持ってくる。ヘルダー子爵、ホージンガー男爵はその外側において、ヒルデスハイム伯を予備にしようと思う」
ザッカートは今度は眉を上げただけだった。
「私とクライスト、ヴァルテンベルクの中央が敵を突破すれば我等の勝ち、突破する前に両翼を崩されればこちらの負けだ。その場合は、最後尾で味方の撤退を援護する事になる」
多分そうなるだろう、ザッカートも同じ思いなのかも知れない。大きく頷いた。
「クライストとヴァルテンベルクがどれだけ頼りになるかは分からん。なんと言っても味方殺しだからな。しかし、仮にもイゼルローン要塞で最前線を任されたのだ、ヘルダー子爵やホージンガー男爵、ヒルデスハイム伯よりはましだろう」
私の言葉にザッカートは頷いていたが、ふと笑顔を見せた。
「そうですな、それに予備などにしては後ろから撃たれかねませんからな」
思わずその言葉に笑いが起きた。笑い事ではないのだが笑うしかない、
「酷い事を言う奴だな、他に何か注意すべき点は有るか?」
「いえ、私からは何も有りません」
「そうか……」
「ご安心ください、閣下を失望させるような戦いはしません。御約束します」
「うむ。頼むぞ」
ザッカートは、ソファーから立ち上がると一礼して部屋を出て行った。彼には全てを話してある。最後尾で味方を逃がすためにはこの男の指揮が必要だ。“すまぬが、私と共に死んでくれ”その言葉にザッカートは何も言わずに笑顔を見せた。いぶかしむ私に“なかなか華々しい最後になりそうですな”と嬉しそうに言ってくれた。その笑顔に何も言えなかった。ただ“すまぬ”と言って頭を下げる事しか出来なかった……。
門閥貴族としての生き様を貫いて欲しいか……。ヴァレンシュタイン、どうやら卿の願い通りの死に方が出来そうだ。覚悟は出来ている、この私の死で味方が一つに纏まってくれるのならこれ以上の死に様、いや生き様は有るまい……。
帝国暦 488年 1月30日 20:00 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル コルネリアス・ルッツ
指揮官席に座りながら眼前のスクリーンを見ていた。そこには敵の大艦隊が映っている。正面戦力は五個艦隊、後方に予備が一個艦隊だ。陣形そのものはこちらと大差ないものになった。だが予想外の事が有る。敵の中央の艦隊は一際規模が大きい、二万隻以上有るだろう。おそらくはリッテンハイム侯が率いる艦隊だ。
どうやら俺があの艦隊の攻撃を受け止める事になりそうだ。厳しい戦いになるだろう。だが残りの艦隊はそれぞれこちらの方が兵力は大きいようだ。つまり中央を突破されるか、防ぎきって敵を両翼から崩す事が出来るかの勝負になると見ていい。
かなり押し込まれるだろう、危険な状態になるかもしれない。両隣に居るワーレン、ロイエンタールと連携をとって艦隊陣形をV字型にする。いや自然とそうなるだろう。そこで耐える。俺に出来る事は耐える事だけだ。
後はミッターマイヤーとミュラーが敵の両翼をどれだけ叩けるかだ、そしてシュタインメッツの投入時期。敵も予備を用意している、投入時期が勝負を分けるかもしれない。
「敵との距離、百光秒」
オペレータの声は緊張を帯びていた。艦橋の空気がその声に応えるかのように重苦しいものになる。俺の傍にはフロイライン・マリーンドルフが居る。表情が青褪め強張っていた、そしてスクリーンを睨むように見ている。初陣でこれだけの大艦隊が辺境星域の支配権を賭けて雌雄を決するのだ、緊張も恐怖も有るだろう。
この戦いが始まる前、彼女には艦から降りるように勧めた。彼女は軍人ではない、艦から降りる事は決して不名誉にはならない。だが彼女は俺に感謝を述べつつも退艦する事を拒んだ。“自分は自分の意志で此処に残る事を選びます。味方を見捨てて逃げる事は出来ません”。
伯爵家の次期当主に万一の事が有ってはマリーンドルフ伯に申し訳のしようが無い、そう言って退艦を進めたが“別働隊に同行している以上、父も覚悟はしています”そう言って彼女は笑みを浮かべるだけだった。
負けられない、傍にいるフロイライン・マリーンドルフを見て思った。もし負けたらどうなる? 彼女は最後をも共にしようとするだろう……。また一つ背負う物が増えた。
地位が上がり、権限が大きくなるに伴い、背負う物も重くなる一方だ。此処には両軍合わせて十五万隻、千五百万を超える兵力が集まっている。そして俺の命令一下、生死を賭けて闘うことになるのだ。
士官学校時代が懐かしい……。あの頃は無邪気にシミュレーションで優劣を競うだけで良かった。自分の指揮で兵が死ぬという事を悩まずにすんだ。そして戦場に出てからは無茶な命令を出す上級司令部を罵るだけでよかった。だが今は自分がその上級司令部なのだ、誰を罵る事も出来ない。
ヴァレンシュタイン司令長官もメルカッツ提督も、そしてローエングラム伯もこの重さに耐えてきたのだろうか、耐えられ続けるものなのだろうか? そして俺は……。ミュッケンベルガー元帥の事を思い出した。元帥の威厳溢れる姿と心臓を患ったこと……。
「敵軍、イエローゾーンを突破しつつあります」
微かに震えを帯びたオペレータの声が戦闘が間近である事を告げた。艦橋の空気はさらに緊迫する。余計な事は考えるな! 今は勝つ事だけを考えるのだ!
「敵、完全に射程距離に入りました!」
「撃て!」
俺の命令とともに数十万というエネルギー波が敵に向かって突進していった。そして同じように敵からもエネルギー波がこちらに向かってくる。辺境星域の支配権を賭けた戦いが始まった……。
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