銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百四話 キフォイザー星域の会戦(その2)
帝国暦 488年 1月30日 22:00 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ
開戦から二時間が経ったが戦況は良くない。戦術コンピュータに映る彼我の陣形はV字型になっている。味方は一方的に押されているのだ。その所為だろう、艦橋の雰囲気も険しいように感じられる。ヴェーラー参謀長、副官のグーテンゾーン大尉の表情も決して明るいとは言えない。
なんと言っても正面の敵が強力すぎるのだ。兵力はこちらの倍近く有る、それにどうやら錬度も高いらしい。開戦直後、ルッツ提督が“手強いな、意外に整然と攻撃してくる、もう少しムラが有るかと思ったのだが”と呟いていた。
私には敵の数が多い事は分かるが兵の錬度は分からない。それでも敵に勢いが有る事は分かるしスクリーンに映る敵に圧倒されそうな思いも感じている。ルッツ提督も同じような思いを抱いているのかもしれない。
先程までルッツ提督の瞳は藤色の彩りを帯びていた。興奮するとそれが出るとは聞いていたが私は初めて見た。しかし今ではいつもの青い瞳に戻っている。戦局は決して有利ではないが、ルッツ提督は落ち着いている。まだまだこれからが勝負と言う事だろう。
「フロイライン、心配かな」
「少し不安です。申し訳有りません、閣下の指揮を疑うわけではないのですが……」
「構わんよ、初陣でこれでは不安になるのが当たり前だ。これで不安が無いと言われたら逆にこっちが不安になる。この人は大丈夫だろうか、とね」
そう言うとルッツ提督は朗らかに笑い声を上げた。思わずこちらも笑ってしまう。釣られた様にヴェーラー参謀長、グーテンゾーン大尉も笑い声を上げた。
周囲が私達を見ているのが分かった。呆れたような表情をしているような人間も居れば、安心したような表情の者も居る。だが艦橋の雰囲気は明らかに険しさが消えた。
「指揮官と言うのは楽ではないな。味方を落ち着かせるために劣勢でも余裕の有る振りをしなければならん」
ルッツ提督が小声で話しかけてきた。どうやら先程の笑い声は演技だったらしい。それでも演技が出来るだけましだろう。
「敵は意外に連携が良い、誤算だった。引きずり込んで両翼を叩けば勝てると思ったのだが……」
「上手く行かないのですか?」
私の問いにルッツ提督は頷いた。だがそれ以上は話そうとしない。代わりにヴェーラー参謀長が戦術コンピュータのモニターを指差しながら現状を説明してくれた。
「敵の正面はリッテンハイム侯です、その両脇を敵から見て右隣にクライスト、左隣にヴァルテンベルクの両大将が固めています。さらにその外側に居るのがヘルダー子爵、ホージンガー男爵、予備にヒルデスハイム伯です」
ヘルダー子爵はクライスト大将の右、ホージンガー男爵はヴァルテンベルク大将の左隣になる。
「リッテンハイム侯の兵力が多いため、我々はどうしても両隣にいるロイエンタール提督、ワーレン提督の支援を必要としています。その所為で両提督は正面のクライスト、ヴァルテンベルク大将を抑えきれない。その分だけ余力を持った彼らはヘルダー子爵、ホージンガー男爵を上手くフォローしているのです」
なるほど、そういうことか……。だからミッターマイヤー提督もミュラー提督も敵を崩せずにいる。ルッツ提督が“敵は意外に連携が良い”と言う訳だ。しかしこれから先、どう現状を打開するのか……。
「味方殺しと侮ったつもりは無かったが、何処かで過小評価していたのかもしれん。考えてみれば帝国の最前線を任された軍人なのだ。無能であるはずが無いな」
ルッツ提督が戦術コンピュータのモニターを見ながら話した。何処と無く忌々しげな口調だ。自分に対して怒っているのかもしれない。
「やはりもっと引き摺り込むしかないな。リッテンハイム侯、クライスト、ヴァルテンベルクを更にこちらに引き寄せる。そうなればヘルダー子爵、ホージンガー男爵を支援する事も出来なくなるだろう」
「しかし閣下、より引き摺り込むとなれば彼らを勢いづかせかねません。今でさえ我々は敵の圧力に苦しんでいるのです。彼らが勢いに乗って攻め寄せてくれば危険です」
「参謀長の仰るとおりです。むしろ予備を使うべきではありませんか」
ヴェーラー参謀長、グーテンゾーン大尉が口々に反対する。
「今の時点で予備を使えばこちらが苦しいと敵に教えるようなものだ。余り良い手とは言えない」
「……」
「クライスト、ヴァルテンベルクがこちらに押し寄せる。望むところだろう、参謀長。そのときこそヘルダー子爵、ホージンガー男爵を撃破するチャンスだ。ミッターマイヤーもミュラーもそれを逃すような凡庸な指揮官ではない。それに合わせて予備を動かそう」
ルッツ提督が落ち着いた口調でヴェーラー参謀長を説得した。
「……分かりました。小官は閣下の御判断に従います。ただし事前に各艦隊司令官に説明をしたいと思います。よろしいでしょうか?」
「いや、駄目だ。敵に傍受される危険がある。参謀長、彼らを信じるんだ!」
力強い、自らに言い聞かせるような口調だった。ルッツ提督は賭けに出ようとしている。ヴェーラー参謀長も覚悟を決めたのかもしれない。大きく頷いた。
「分かりました。艦隊を後退させましょう」
帝国暦 488年 1月30日 23:00 リッテンハイム艦隊旗艦オストマルク クラウス・フォン・ザッカート
「敵、後退します」
ノルデン少将が弾んだ声を出した。ラーゲル大将が嬉しそうに頷いている。
「リッテンハイム侯、今こそ予備を使うときです。敵の側面を突く、或いは後方にまわらせれば勝敗は決しますぞ」
「ノルデン少将、敵にも予備が有ることを忘れるな」
「敵は戦意が有りません。見ての通り後退し続けています。敵の予備など恐れるに足りません」
「予備を使うのは後だ、今は敵を押し込め」
リッテンハイム侯はノルデン少将の意見を却下した。ノルデンは不満そうにしている。ラーゲル大将は沈黙したままだ、艦隊戦は素人だ、口を出すべきではないと考えているのだろう。
リッテンハイム侯が俺を見ている、微かに俺が頷くと侯が頷き返してきた。もしかすると侯にも迷いが有るのかもしれない。侯の判断は間違ってはいない、まだ敵には余力がある。今予備を動かせば、当然敵も予備を動かすだろう。敵の予備は約一万五千隻、こちらは約一万隻、兵力と言い錬度と言い圧倒的な差がある。
予備同士がぶつかればあっという間に撃破されるだろう。ノルデンは味方が優勢に戦闘を進めているため、その辺りが見えなくなっている。分かっていた事だがノルデンの戦術能力はかなり低い、頼りにならん小僧だ。
「リッテンハイム侯」
「何だ、ザッカート」
「敵の狙いはヘルダー子爵、ホージンガー男爵の艦隊でしょう。我々とクライスト、ヴァルテンベルク大将の三個艦隊を引き寄せ、ヘルダー子爵、ホージンガー男爵を孤立させた上で撃破しようとしている」
「うむ、私もそう思う」
「クライスト、ヴァルテンベルク大将の艦隊に彼らを支援させ、正面の敵は我々だけで押し込むべきかと思いますが」
俺の言葉にノルデン少将が反対した。
「馬鹿な、それでは我々は敵中深くに孤立するではないか。リッテンハイム侯、今こそ予備を使うべきです」
馬鹿が! 黙っていろ小僧! 今説明してやる。
「我々が敵の本隊を押せば、敵は耐え切れずに両隣の艦隊に支援を求めるでしょう。そうなれば敵の両端は孤立します。予備を使うのはその時です」
元々は中央の三個艦隊で敵を押し込むつもりだった。だがクライスト、ヴァルテンベルク大将が意外に良くやる。ヘルダー子爵、ホージンガー男爵の艦隊を援護しつつ正面の敵を押しているのだ。そのため味方の両端の艦隊は戦線を維持し続けている。
このままの流れを維持すべきだ。敵の中央はルッツ提督だろうが、彼だけでは我々を抑えきれない。当然両脇の艦隊の支援を必要とするはずだ。敵の中央の三個艦隊は連携を強めようとすればその分だけ敵の両端の部隊は孤立する。
クライスト、ヴァルテンベルクがヘルダー子爵、ホージンガー男爵を支援して彼らを押さえ込む。機を見て予備を動かし右翼か左翼のどちらかを包囲して殲滅する。敵も予備を動かすだろうが、そこは時間との勝負だ。遣り様は有る。
両軍はV字型になりつつある。お互いに予備は本隊の後ろに置いているが、本隊が押し込まれている分だけ敵の予備は両翼からは遠くにある。更に強く押し込めば良い。
包囲される分だけこちらも損害は出る。だがそこは耐えなければならない。V字型の陣が縦長になるほど、こちらの予備のほうが先に敵を攻撃できる位置に着く。予想外の事だが勝機は十分にあるようだ。ただ向こうもそれなりの対応策を取ってくるだろう、油断は出来ない。
面倒では有るが噛んで含めるようにして説明した。ノルデンは“危険だ”、“予備を使うべきだ”とぶつぶつ言っているが、以前より語調は弱い。どうやらこの男は臆病なようだ。耐える事が出来ない、だから勝負を早く付けたがるのだろう。敗戦となれば誰よりも先に逃げ出すに違いない。所詮は貴族のボンボンだ。
「ザッカートの言う通りだ。敵の中央は我等で押し込もう」
リッテンハイム侯がそう言った時だった。オペレータが驚いたような声を上げた。
「ヒルデスハイム伯の艦隊が動きます!」
「馬鹿な、何を考えている……」
呆然とするリッテンハイム侯の声が艦橋に流れる中、喜色に溢れたノルデン少将の顔が見えた。
帝国暦 488年 1月31日 0:00 ヒルデスハイム艦隊旗艦アイヒシュテート ロタール・フォン・ヒルデスハイム
「閣下、リッテンハイム侯より通信です。スクリーンに投影します」
オペレータの声とともにスクリーンにリッテンハイム侯の姿が映った。
『ヒルデスハイム伯! 何を考えている、元の位置に戻るのだ!』
「戻れません。今こそ私の手で勝利を確定するのです!」
『馬鹿な、もう少しで勝てるのだ、もう少し待て!』
「もう少しで勝てる? 今勝っているでは有りませんか、何を待つのです。通信を切れ」
通信が切れると同時にオペレータが心配そうに問いかけてきた。
「閣下、よろしいのでしょうか」
「構わん、これ以上黙って見ている事などできん。私の手で勝利を確定するのだ! そうなればリッテンハイム侯も文句は言わん」
そう、私の手で勝利を確定するのだ。大体何故私が予備なのだ。予備ならヘルダー子爵、ホージンガー男爵のどちらかで十分だ。私こそ最前線で戦い、勝利をもたらす人間だ。それなのに予備? おまけにもう少し待て? 待っていたら戦闘は終わっているだろう。私に武勲を立てさせないつもりなのだ、連中は。そんな事は断じて許さん。私こそがこの戦いで英雄になるべきなのだ。
帝国暦 488年 1月31日 0:00 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル コルネリアス・ルッツ
「敵、予備部隊を動かします」
「何!」
オペレータの声に戦術コンピュータのモニターを見ると確かに敵は予備部隊を動かしている。我が軍の右翼を攻撃しようとしているようだ、どういうことだ? 勝機だと思ったのか?
「閣下、こちらも予備を動かしましょう」
「そうだな、参謀長、シュタインメッツ少将に連絡してくれ。敵の予備部隊を攻撃し、撃破せよ。その後は敵の後背を突けと」
「はっ」
「どういうことだ、何故予備を動かす」
思わず言葉が出た。どうにも納得がいかない。此処までの敵の動きは忌々しいが見事としか言いようが無い。なかなか反撃のタイミングが掴めなかったのだ。それなのに何故、今予備を動かす……。俺の疑問に答えをくれたのはフロイライン・マリーンドルフだった。
「おそらくヒルデスハイム伯の独断でしょう」
「独断?」
訝しむ俺にフロイラインは落ち着いた口調で言葉を続けた。
「彼は我儘で自制心が無く虚栄心の塊のような人物です。自分の手でこの戦いの勝利を確定しようとしているのだと思います。寄せ集めの軍の弱点が出ました」
「貴族連合の弱点が出たか、リッテンハイム侯も不運だな」
「私もそう思います」
俺の言葉にフロイラインが頷いた。勝利が見えてきた、本来なら喜ぶべきなのだろう。しかしリッテンハイム侯にとっては命運を賭けた一戦の筈だ。素直には喜べなかった。彼女も同様なのだろう、何処と無く表情が沈んでいる。
彼女も貴族の一員なのだ、自分と同じ立場の人間が実力以外の部分で敗北を喫しようとしている。複雑な気持なのだろう。だがそんな彼女に好感が持てた。もし彼女が喜びを露わにしていたら、俺は彼女の才は認めても人格には不快感を感じたかもしれない。
当初予想した展開とは違うがどうやら勝機が見えてきたようだ。しかも敵が勝機をくれた……。妙な話だ、これほどの大会戦でこんな事が有るのか。釈然としないものを感じながら、後はシュタインメッツ少将の手腕が全てを決めるだろうと思った……。
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