銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百二話 別働隊指揮官 コルネリアス・ルッツ
帝国暦 488年 1月26日 レンテンベルク要塞 イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン
貴族連合軍が辺境星域の回復に乗り出した。それ以来レンテンベルク要塞は目に見えない緊張感に、興奮に囚われている。早ければ今月中にも辺境星域で大規模な会戦が発生するだろう。
敵の総指揮官はリッテンハイム侯だ。それなりの覚悟で出てくるのだろうから油断は出来ない。おそらくは辺境星域がどちらのものになるか、その帰趨を決する戦いになるはずだ。
両軍合わせて十五万隻に及ぶ艦隊が戦うことになる。シャンタウ星域の会戦には及ばないが大会戦である事は間違いない。こちらはルッツ提督が指揮を執るがルッツ提督は今どんな気持なのか……。
ヴァレンシュタイン司令長官はルッツ提督に対して“信頼している”、“思うように戦ってください”と言ったそうだ。羨ましい事だ、それほどの信頼を司令長官から預けられるとは。
自分がその立場ならどうだろう。不安も有るだろうが昂ぶりも有るに違いない。軍人になった以上、歴史に残る大会戦に参加する、ましてやその総指揮を採るなどこれ以上は考えられない栄誉と言って良い。
此処二日ほど司令長官は考え込んでいる事が多い。最初はルッツ提督のことで不安を抱えているのかと思った。しかし不安そうな様子ではない、ただ何かを考えている。そして時々溜息を吐く。
辺境星域で起きるであろう戦いの事ではないのかもしれない、確証はないが何となくそう思えるのだ。知りたいとは思うがどう問いかければよいのか……。
司令長官は今日も要塞の司令室で椅子に座って何かを考えている。フィッツシモンズ中佐が渡す書類に決裁をしながら時折手を止め考え込んでいるのだ。そして俺を始めクルーゼンシュテルン副司令官、ワルトハイム参謀長、グリルパルツァー、クナップシュタイン少将はそんな司令長官を黙ってみている。皆司令長官の様子を気にかけている。
「何を考えていらっしゃるのです」
リューネブルク中将が躊躇いがちに司令長官に声をかけた。中将は司令長官との付き合いが長い。俺などは黙って見ているしかないが中将はそうではない。羨ましい事だ。
「……ローエングラム伯の事を考えていました」
「……」
「伯なら今頃は会戦を前に昂揚していただろうと」
「……」
瞬時にして司令室に緊張が走った。問いかけたリューネブルク中将だけではない、副官のフィッツシモンズ中佐も絶句している。皆声を出せなかった。司令長官はローエングラム伯の事を考えていた。司令長官にとってローエングラム伯とは何なのだろう。
彼の所為で命を落としかけた、にもかかわらず司令長官からは伯に対する嫌悪や侮蔑の言葉は聞こえてこない。やはり何処かで伯を処断したくないと考えているのだろうか。
「……閣下、その事は」
司令長官を諌めようとしたリューネブルク中将に司令長官は首を振って言葉を遮った。
「そうじゃないんです、リューネブルク中将。私は彼の事を惜しんでいるわけではない。いや、やはり惜しんでいるのかな」
戸惑いがちにそう言うと司令長官は俺の方を見た。
「トゥルナイゼン少将、少将は英雄になりたいですか?」
突然の質問だった。司令長官は穏やかに笑みを浮かべている。からかっている訳ではないようだ。皆の視線に困惑したし気恥ずかしさも感じたが正直に答えるべきだろう。
「なりたいと思ったことは有ります」
俺の答えに司令長官は頷いた。
「ローエングラム伯は英雄でした。彼は皇帝になろうとした。夢を見る事は出来てもそのために努力し続ける事は難しい。だが彼はそれを行う事が出来た……。軍の頂点に立ち、皇帝になる……。もう少しで玉座に手が届くところにまで行きました」
「しかし、閣下がいました」
リューネブルク中将が言葉を挟んだ。
「そうですね。私が彼の夢を阻んだ、何故そうなったのか……」
「十年前、私はこの国を変えたいと思った。同じ頃、ローエングラム伯は皇帝になろうと思った」
「……」
十年前……。司令長官は両親を殺され、ローエングラム伯は姉を後宮に連れ去られた。彼の性格では名誉に思うなどと言う事は無かっただろう。
「私はこの国を変える事が出来るのであれば彼に協力しても良いと思っていました」
「閣下! 滅多な事を言われますな! 御自身のお立場をお考えください」
周囲が唖然とする中、ワルトハイム参謀長が声を大にして司令長官を窘めた。同感だ、一つ間違えば司令長官とて反逆罪に問われかねない。だが司令長官は気にする様子もなく言葉を続けた。
「何故私達は協力する事が出来なかったのか……」
「両雄並び立たず、と言います。ローエングラム伯が英雄なら閣下も英雄です。こうならざるを得なかったのでしょう」
リューネブルク中将の言葉に俺も同感だ。帝国は二人の英雄を共存させるほど広くは無かったと言うことだ。
「英雄? 私は英雄なんかじゃありませんよ」
司令長官は心外だと言うようにリューネブルク中将に言い返した。
「軍を退役して弁護士か官僚になる事を夢見ている人間が英雄なんかの筈が無い。私はただの凡人です」
生真面目な口調だった。司令長官は本気で自分が凡人だと思っているようだ。妙な気分だった、司令長官が英雄で無いのなら俺達はなんなのだろう。思わずグリルパルツァー、クナップシュタイン少将を見た。彼らも何処と無く困惑している。
「閣下が凡人なら小官などは大凡人ですな」
ふざけたような言葉を出したのはリューネブルク中将だった。重くなりがちな空気を変えようとしたのかもしれない。もっとも笑う人間は誰も居なかった。司令長官も気にした様子もなく言葉を続けた。
「私は国を変えたいと思った。誰もが安全に暮らせる世界を作りたかった。そう、英雄など必要のない世界を作りたかったのだと思います」
「……」
司令長官がまた俺を見た。柔らかい微笑を浮かべている。
「トゥルナイゼン少将、英雄など必要ないほうが良いんです」
「……」
「英雄が必要とされる時代、そんな時代は決して良い時代じゃない。世の中に不満が有るから、矛盾が有るから、それを解決するために英雄が必要とされる。不幸な時代なんです」
「……」
「もしローエングラム伯が帝国の実権を握ったら全てを打壊し新王朝を興して宇宙を統一したでしょう。そうする事で不満や矛盾を解消したはずです。まるで叙事詩のような時代ですよ、華麗で壮麗で眩いほど輝かしい時代……。炎と流血で彩られた激しい時代です」
司令室に司令長官の声が流れた。皆黙って司令長官の言葉を聞いている。リューネブルク中将も口を挟もうとしない。
「私には受け入れられなかったでしょうね。何処かでローエングラム伯に付いて行けず反発したと思います」
「……」
「私とローエングラム伯は並び立つ事が出来なかった。でもそれは私が英雄だからじゃない。私が凡人で英雄を受け入れられなかったから、英雄など必要ない時代を作ろうとしたからです」
「……」
「凡人の、凡人による、凡人のための改革……。後世の歴史家はそう言うかもしれませんね。この改革には英雄的な要素は何処にも無かったと……」
司令長官は苦笑を漏らした。もしかすると自嘲しているのかもしれない。
「閣下の御気持は分かりました。しかし御自身を凡人だと仰るのはお止めください。我々は閣下こそが英雄だと信じているのですから」
リューネブルク中将の言葉に皆が頷いた。同感だ、司令長官が自身をどう評価しようと帝国は司令長官を中心に動いている。これこそが英雄の証ではないか。
「……そうですね、気をつけましょう。ケスラー提督にも以前同じような事を言われていますから」
「ケスラー提督にですか?」
司令長官はフィッツシモンズ中佐の問いに頷いた。そしてクスクスと笑った。
「英雄では有りませんが、その真似事ぐらいはしないと怒られますからね」
「真似事ですか、なかなか上手くやっておられると思いますが」
「リューネブルク中将、いくら中将でも失礼ですぞ」
リューネブルク中将の言葉にワルトハイム参謀長が厳しい表情で注意した。フィッツシモンズ中佐も中将を睨んでいる。リューネブルク中将が彼らを見て微かに肩を竦める仕草をした。周囲から笑いが起き、ようやく雰囲気が和んだ。もしかすると中将はこれを狙っていたのかもしれない。
俺も皆と一緒に笑いながら考えていた、英雄とはなんなのだろうと。自ら英雄たらんとする者、英雄に憧れる者、そして英雄でありながらそれを否定する者……。ローエングラム伯を、司令長官を想うとどう捉えて良いのか……。
無理に分かろうとしないほうがいいのかもしれない。俺は英雄じゃない、それだけを覚えておけば良い。大事なのはその事を残念だとは思わない事だ。司令長官が作ろうとしているのは英雄など必要としない時代なのだから。
帝国暦 488年 1月28日 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル コルネリアス・ルッツ
旗艦スキールニルの会議室には各艦隊から将官以上の士官が集まっていた。これからこの会議室で作戦会議が開かれる事になる。会議室に集まった士官はある者は興奮を、そして別な者は緊張を身に纏っている。なんとも形容しがたいざわめきにならないざわめきが会議室を支配していた。
ヴァレンシュタイン司令長官から連絡が有ってから四日、キフォイザー星系を制圧中だった別働隊は一旦作戦行動を中止。敵に出来るだけ気付かれないように情報収集を行なってきた。その結果、貴族連合軍の詳細な状況がほぼ分かった。
「定刻になった。会議を始めよう」
俺が会議の開始を告げると会議室を支配していたざわめきが消えた。皆が緊張に満ちた視線でこちらを見てくる。気圧されそうだ、腹に力を入れた。
「知っての通り、貴族連合軍が辺境星域の回復のために軍事行動を起した。兵力は約八万隻、指揮官はリッテンハイム侯爵。彼らは此処、キフォイザー星系の外縁部にまで接近している」
“リッテンハイム侯”、“八万隻”、彼方此方で囁くような声が聞こえる。既に分かっていた事のはずだが、それでもリッテンハイム侯の存在、八万隻の艦隊は重圧を感じさせるのだろう。
「敵の狙いは辺境星域の回復だが、具体的にはキフォイザー星系にあるガルミッシュ要塞を基点として辺境星域の回復を行なうだろう。当然だが我々の撃破も視野に入れているに違いない。我々はどう動くべきか、卿らの意見を聞きたい」
自分の考えは決まっている。しかし先ずは皆の意見を訊くべきだろう。十分に意見を言わせる、それによって気付いていなかった何かが見えてくるということもある。
「彼らをガルミッシュ要塞に合流させるのは面白くないな」
ワーレンの言葉に皆が頷く。そして幾分沈鬱な表情でミュラーが続いた。
「本隊同様、ガルミッシュ要塞に立て篭もられては厄介です。辺境星域の鎮定にも影響が出かねない」
ミュラーの言葉に皆が渋い表情をした。例え彼らが積極的な行動をせずともガルミッシュ要塞に八万隻もの艦隊がいてはこれまで制圧した星系も動揺しかねない。さらに彼らの撃破に時間がかかれば、それだけ辺境星域の平定が遅れる事になる。
「やはり彼らがガルミッシュ要塞に合流する前に戦いを挑むしかありますまい」
「奇襲は出来ん。となると正面からの艦隊決戦になるな」
ロイエンタール、ミッターマイヤーが口々に意見を述べた。正面からの艦隊決戦、その言葉に会議室の緊張感が高まった。
ガルミッシュ要塞はレンテンベルク要塞同様多数の偵察衛星や浮遊レーダー類の管制センター、超光速通信センター、通信妨害システムが充実している。こちらがリッテンハイム侯達に近付けば当然だがガルミッシュ要塞にも近づく事になる。
要塞に艦隊戦力は無いから挟撃される心配は無い。しかし我々の情報をリッテンハイム侯に送るだろう。つまり敵は十分な備えをして我々を待つ事になる。楽な戦いにはならないだろう。
「他に意見は無いか? これは軍議だ、遠慮はいらん。どんな些細な事でも構わない、言ってくれ」
「……」
誰も何も言わない。つまり皆決戦こそが取るべき手段と思っていると言う事か。俺と同意見だ、早期に敵を撃破し辺境星域を平定する。そのためには多少不利でも、敵が要塞に合流する前に戦うしかない。
内心ほっとした、そして同時に恥ずかしくなった。此処に居るのは帝国でも能力を認められて宇宙艦隊に配属された男達なのだ。馬鹿げた作戦案など出す訳が無い、一体何を心配しているのか……。
「敵が要塞に合流する前に撃破する。私も同意見だ。この一戦に辺境星域の支配権を賭けよう」
俺の言葉に皆が頷いた。第一関門を突破だ、これからもう一つの関門をクリアしなければならない。
「この場で布陣も決めておこう。中央に私が、左翼はロイエンタール、ミッターマイヤー提督、右翼はワーレン、ミュラー提督に御願いする。シュタインメッツ少将は予備として後方にいて欲しい」
会議室にざわめきが起きた。
「閣下、我々を予備にとはどういう意味でしょう」
問いかけてきたのはカルナップ少将だった。不満なのだろう、立ち上がっている。
「不満か、カルナップ少将」
「今回の戦い、早期撃破を目指すのであれば予備などおかず、全力で敵に向かうべきでは有りませんか」
「それは違う、予備は必要だ。予備無しでは戦局が急変したとき迅速で効果的な対応が取れなくなる」
「……」
ワーレンの言葉にカルナップが口惜しげに顔を歪めた。反論しないのはワーレンの意見が正しいと分かっているからだ。ただ感情面で納得がいかないのだろう、何故自分達が予備なのか、信頼されていないのか、もしかすると自分達は使われずに会戦は終わるのではないか……。他の分艦隊司令官達も必ずしも納得した表情ではない。
「カルナップ少将」
「はっ」
「私は卿らの能力に対して不安など感じてはいない。ローエングラム伯は何よりも無能を嫌った。その伯に抜擢されたのだ、問題は無いだろう」
「……」
「私が卿らに不安を感じるとすれば、それは卿らが功を焦らないかということだ」
「……」
「ローエングラム伯がああなった以上、焦る気持は理解できる。しかし戦場ではその焦りは味方を敗北に落としかねない」
「……」
「だから卿らの役割を予め決めておく。この戦いは何時、どのタイミングで予備を使うかで勝敗が決まるだろう。卿らの勇戦に期待している」
「閣下……、小官が浅慮でありました。お許しください」
カルナップは素直に謝罪すると腰を降ろした。ブラウヒッチ、アルトリンゲン、グリューネマン、ザウケン、グローテヴォール、いずれも表情から険しさが取れている。ようやくこれで戦えるだろう。シュタインメッツ少将が微かに目礼を送ってきた。
会議が終った後、ロイエンタール、ワーレン、ミッターマイヤー、ミュラーが俺の所に来た。
「上手く彼らをまとめる事が出来ました。お見事です」
「からかわんでくれ、ワーレン提督。柄にもないことをしたと思っているのだ」
「いや、本心から賞賛しております」
ワーレンの言葉に皆が笑った。
「まあ、彼らの気持は分かるからな。俺にもああいう時が有った、認められたいと思う時が……」
あの時、第五十七会議室に呼ばれなければ俺は未だに辺境にいるか、或いは何処かの艦隊の分艦隊司令官でもやっていただろう。
間違っても宇宙艦隊の正規艦隊司令官にはなっていなかったはずだ。認められたいと思っても誰も認めてくれなかったあの時、司令長官が俺達を認め機会をくれた。あの時の俺達と今の彼らと何処が違うのか? 何処も違いはしない……。
「彼らを予備に回す以上、正面戦力は敵より劣勢になる可能性がある。卿らには苦労をかける事になるが、宜しく頼む」
俺の言葉に僚友達はそれぞれの言葉で任せてくれと言ってきた。頼りになる男達だ、司令長官の言葉が思い出された。
“各艦隊司令官は皆信頼できる人物です。大丈夫、ルッツ提督は一人ではありません、もっと気持を楽にしてください”
その通りだ、俺は一人ではない。勝てるだろう、根拠は無いが何となくそう思えた……。
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