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【WEB版】マッサージ師、魔界へ - 滅びゆく魔族へほんわかモミモミ -

作者:どっぐす
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第一部
第五章 滅びゆく魔国
  第64話 ダルムント陥落

 撤退。
 言うのは簡単だが……この状況でうまく出来るのだろうか。

 食料の備蓄はあと一か月分も残っていなかった。
 そのため、順調に防衛を続けていたとしても、近いうちに撤退を余儀なくされることにはなっていたと思う。
 
 だが予定通りの撤退と、今の状況での撤退では、事情が大きく異なる。

 魔王やその他の幹部を避難させ、残留民間人を避難させ、軍をその護衛に付ける――。
 既に門が破られ敵がなだれ込んで来ようとしている今、その段取りをおこなうのは想像を絶する困難があるだろう。

「リンドビオル卿。いま門のところを支えているのは私の部隊だ。そのまま私が殿軍の指揮を務めよう」

 ルーカスのところへ来てそう言ってきたのは、壮年で立派な身なりをしている男性。
 覚えがある。第九師団長だ。

 この人はもともと第九師団の副師団長だった。
 だが師団長だったメルツァー氏が、前々回の大きな戦――ノイマール戦役直前の集会で司令長官に昇進したため、彼もそのまま師団長に昇格していた。

「よろしいのですか」

 ルーカスの声は重い。
 昔の日本では、進軍時の『一番槍』よりも退却時の『殿』を勤め上げるほうが名誉――歴史に疎い自分でも知っている知識である。
 それだけ困難な役であるということだと思う。

「ああ。どの程度持つかは怪しいが、なるべく時間を稼ごう。その間に魔王様を」
「……わかりました。では北門は将軍にお任せいたします」
「退路にも人間の軍がいる可能性がある。魔王様を頼んだぞ」
「はい。必ずや」

 ルーカスが丁寧な言葉で返事をしたのは、相手が年上という理由だけではないだろう。

「マコト君」
「はい」

「私の第九師団は軍の中で一番早くから君に世話になっている。おかげでノイマール戦役では、全師団で唯一崩壊を免れ殿軍を務めることができた。
 そして今回もその栄誉にあずかることができる。部隊を代表して感謝したい。ありがとう」



 ***



「みんな! 逃げるよ!」

 撤退の合図は届いていたとは思うが、念のために臨時施術所に飛び込み、弟子たちに直接指示をする。

「あなた……またここにいたんですか。急がないと逃げ遅れます」

 なぜか宰相がいたので、一緒に逃げるように言った。
 塔の階段を下りる。

 塔の下。少し離れたところには、壊れた門を死守している部隊が見える。
 悲鳴、叫び声、火魔法の爆音。
 戦いの音が生々しい。

 奮闘してはいるが、徐々に内側に押されつつあることがわかる。
 人間はどんどん倒されているが、その上を次々と人間兵が押し寄せる。
 倒れた兵で人塚が出来んばかりに人数で押してきているようだった。

「走りましょう」

 殿軍に向かって心の中で一礼し、弟子たちとともに、走った。
 向かう方向はダルムントの裏門、南口。
 街をひたすら駆けていく。

 ところどころで、兵士が慌ただしく声掛けと避難誘導をしているようだ。
 ほうぼうから避難を急かす叫びが聞こえる。

 そして――。

「北門が突破されそうだ! 南門へ急げ!」

 あまり聞きたくない叫び。

 庁舎がある中心部、そして南の民家があるゾーンを、ぼくたちは駆け抜けていった。
 途中、庭でのんびり荷物をまとめていた魔族の民間人へ叫んで、避難を急かしながら。



 南門の集合場所へと到着すると、避難してきた魔族たちが固まっていた。
 魔王とルーカスも一番手前にいる。

「おお、マコトよ。来たか」
「お。マコトも宰相も無事か」

 少し待っていると、遅れて避難してきた魔族がパラパラと到着した。
 あらためて門前の広場に集まっている魔族を見回す。
 ……軍人も民間人も少ない。

「なんかえらく少なくない?」

 もっといるはずだ。
 軍人については、殿軍として残っている第九師団のほか、避難誘導にも人数を割いているため、少ないのはわかるが。
 民間人は何をしているのだろうか。

「残念だが脱出を希望しない者も多いのでな。もちろんギリギリまでここで待つが」
「希望しないって、何でさ」

「逃げる気力もないという者もいるし、この街を出るくらいなら――そう考える者もいるのだ。
 軍としてはまだ万策尽きたというわけではない。ここは逃げて、生きのびていれば、またチャンスは巡ってくる――そう説明してはいるが……」

「……」

 またしばらく待っていると、大通りの向こうに小さな黒い点――人の姿が見えた。

「あ、また遅れて避難してきた人たちかな」
「いや、あれは――」
「……!」

 よく見ると、どうやら人間の兵士のようだった。

「もうこれ以上ここに留まっていることはできない。出発しよう」

 そう言う彼の姿は、なんともいたわしいものだった。
 講和云々と言い出したのは魔族側からであり、しかもここの都市の代表者らである。
 彼はそれを無下にできる立場でもなかった。
 罠に嵌まったのは不可抗力な部分が大きかったように思う。

 そしてその罠の中身にしても、想定と違ったというのは彼だけではない。
 ぼくだって勘違いしていたし、誰も予想できていなかった。

 だが、眉間に皺が寄り、顎に力が入った、苦渋に満ちたその表情――。
 人間側の罠に嵌まってしまったこと。そして不在を狙われて門を破られたこと。その結果大量の逃げ遅れが発生するであろうこと。
 恐らく彼は、今のこの事態を招いてしまったのはすべて自身の責任だと思っている。

「この外にも人間の部隊がいるようだが、中央突破で脱出する」

 彼の号令とともに、門が開かれた。



 ***



 八か月以上にわたり人間の攻撃を耐えていたダルムント。
 最後は人間側の罠によりあっさりと陥落した。

 ノイマールやリンブルク陥落時と同様に、逃げ遅れ、もしくは残留した民間人は、人間の手により皆殺しとなった。
 殿軍を務めた第九師団も師団長以下全員戦死したと思われ、ついに一人も王都へ生還することはなかった。

 ダルムントを脱出した軍たちも、途中まで人間側の執拗な追撃を受けた。
 文官や残留民間人を護衛しながらの戦いはたやすいものではない。
 道中、各所で死者が累々と横たわることとなった。

 結局、王都へ無事に逃げ延びることができたのはごく少数。
 軍は再編できないほどの潰滅的な状態となった。

 とうとう――人間の軍の王都侵攻を阻める可能性は完全になくなった。 
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